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[89] 2013年12月21日 (土) 18時06分 会津若松
最初は八重の桜を見て、会津の歴史を知りたいと軽い気持ちの検索でした。
で、会津戦争を調べているうちに戦死者の埋葬に穢多が駆り出された記述から、興味を持ち、地理や旧町等を徹底的に調べあげ、自分なりの歴史的事実、考察が練りあがりました。

以下会津若松城下の古地図、絵図からの考察です。

●穢多町(ゲナイ町、ゲネ町)
拡大図ではだいたい消されて祝町になっています。会津弁ではこじきの事を、「ほいど」(漢字で祝人)といいます。
実際現地視察してみましたが肉屋や皮革業者多数でした。

●小屋(二つ釜)

エタ町の西側、蒲生の時代、罪人夫婦が煮られた釜が明治まで残っていたと言われる地区。
別地図では「ライ」「ライゴヤ」の記載

今は何の名残も見つけられません。

●泪橋

先の小屋から橋を渡った所に処刑場がありました。
どんな罪人でも橋を渡る際には涙したそうです。

刑場跡にはキリシタン塚が残されています。隣に廃材置き場があり掘ったら骨がザクザク出るだろうと思われます。



本稿2に続きます

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