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言葉の力 (892)
日時:2012年08月31日 (金) 07時20分
名前:伝統


生長の家七つの光明宣言の第5条において、
「吾等は、言葉の創化力を駆使して大自在の境に達しうることを信ず」とあります。


「生長の家“本流宣言”掲示板」では、
スレッド「言葉の持つ力 (5205)」で言葉の創化力の題材を紹介して参りました。
→ http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=1100 

この掲示板(「生長の家光明掲示板」)においても、継続して紹介して参ります。
 
・・・

      *『生命の實相』第一巻(總説篇 P23)より 

五、吾等は神の子として無限の可能性を内に包有し、
  言葉の創化力を駆使して大自在の境に達し得ることを信ず。


われわれは宗教上の言葉で「たましいの救い」という言葉を使いますが、
救われるということは工場で営々とはたらき苦しんでいる職工を網ですくうように
すくい出して、楽にのらくら遊べるように遊里(ゆうり)のちまたに置くというような
助けようではないのであります。

「たましいの救い」とは最も厳粛な意味での救いでありまして、
救われるということはわれわれのたましいが個性(ひとりびとりの特性)をもちながらも
神または仏そのものなる大自在の境地――欲しいと思う事物(もの)はそこに現われ、
欲せざる事物(もの)はそこから姿を消すというような大自在境に達するということであります。

この大自在境をわれわれは実相の世界においては今現にもっておるのでありますが、
現象世界においてはしだいに開発されてくる可能性としてもっているのであります。

われわれの「生長」とは実相の世界におけるこの大自在境を現象世界において一歩一歩
その実現に近づかせることであります。われわれの内に潜んでいるところの無限大のこの可能性こそ
われわれの実相なるところの真如または仏性であります。

この”真如”または”仏性”は、これを発揮(ひら)けばコトバ(真言<しんごん>)となり、
名号(みょうごう)となり、念力(ねんりき)となり、真に驚くべき創造力を発現するのであります。

日本神道(にっぽんかんながらのみち)ではこれを言霊(ことだま)の力といい、
息吹きにて病を癒し、祝詞(のりと)にて禍(わざわい)をはらい、和歌にて雨を降らしたりしますが、

キリスト教では「万(よろず)の物すべて言葉にて造らる」(『ヨハネ伝』福音書第一章)といい、
「なんじの信仰なんじを医(い)やせり」等々となって現われているのであります。

また仏教では「声字(しょうじ)即実相」と説かれまして真言秘密加持法によって神通をあらわし、
称名(しょうみょう)念仏と申しまして、阿弥陀仏の名号(みょうごう)を唯(ただ)となえるだけで
驚くべき功徳をあらわし、

「生長の家」では「聖典の読誦(とくじゅ)」といって、
本書のごとき真理の書かれている言葉を読むだけで難病が治ったりするのであります。

こんなことがなぜできるかといいますと、宇宙のいっさい事物はリズムすなわち言葉(近代の科学的
術語を使えば波動)でできているからであります。

「生長の家」では必ずしも耳に聞こえなくともエーテル波動(ラジオ等)でも思念波動でも
すべて波動を指して、コトバというのでありますがわれわれの実践生活のうえでは思念と発声音と
表情とが最も重要な、善かれ悪(あ)しかれわれわれの運命を左右するコトバになっているのであります。

           <感謝合掌 平成24年8月31日 頓首再拝>

【トランプの実験】 (1129)
日時:2012年09月06日 (木) 04時42分
名前:伝統


      *メルマガ「人の心に灯をともす(2012年08月31日)」より

   立花大敬氏の心に響く言葉より…


   トランプの面白い実験があります。

   トランプを裏にして、『ハートが出る、ハートが出る』と称えながら1枚取ります。
   それをくりかえしますと、だんだんハートが出る確率が上がってくるそうです。

   それから、途中で別の仕事ができて実験を中断する。

   それから仕事をやり終えてから実験を再開すると、
   実験を休んでいる間も、さらにハートの確率があがっているのだそうです。

   別の仕事をしている間も、心さんは目標達成に向けて仕事を続けてくれていたわけですね。
   いったん心さんに目標の言葉がしっかり伝わりましたら、
   あとは自動的に心さんが仕事をやり続けてくれるんですね。


   そして、もう一つの面白い実験があります。

   たとえば、『ハート出るな、ハート出るな』と称えながらトランプをひきます。
   そうしますと、ハートの確率が逆に増えてしまうのだそうです。


   ですから、病気の時は、『病気治れ』などと称えてはいけないし、
   虫の好かない人がいたら、『Aさん来るな、Aさんがいなければ』などとくりかえし
   思っていたらダメなんです。

   そんなことをしたら、ますます病気が重くなってしまいますし、
   Aさんは、より以上にあなたにまとわりつくようになります。

   どうして、そんなことになってしまうのかといいますと、
   わたしたちはまだ心さんとの会話が下手なんです。

   先ほどの『病気が治る』では、まず心さんに<病気>のイメージが伝わるのです。
   これはイメージになりやすい単語ですね。

   次の<治る>は、抽象的でイメージ化が難しいですね。
   こんな単語は、心さんにはうまく伝わりません。

   そこで、心さんには、まず<病気>だけが伝わってしまって、
   病気を期待していると誤解して病気を現実化してくれるので、
   ますます病気がこじれてしまうのです。

   こんなときは、『病気が治る』より、『元気』や、『健康』と称えるほうがいいのです。

   出来るだけ単純に、ストレートに、これがポイントです。

          <『お日さまの教え』《しあわせ通信》“第4集”本心庵>

   ・・・・・

目標達成には、ビジュアリゼーションが必要だと言われる。
ビジュアリゼーションとは、目に見える形にすること、
映像や図表にして具体的に分かりやすく示すことだ。


脳は、「病気が治る」と念じると、「病気」だけをビジュアルにイメージして、
「病気」を実現させようとするという。

「治る」という抽象的な言葉は、ビジュアル化しにくいので、実現しにくい。


同様に・・・

「借金がなくなる」と念じたら、借金が増える。

「赤字解消」と願えば、赤字が増える。


だから、念じるなら、ポジティブな言葉。

「借金」ではなく、「貯金」

「赤字」ではなく、「黒字」


より具体的で、ポジティブな言葉を口ぐせとしたい。

           <感謝合掌 平成24年9月6日 頓首再拝>

おまじないのことば  (1940)
日時:2012年09月28日 (金) 04時46分
名前:伝統


    *メルマガ「人の心に灯をともす(2012年09月22日)」より

   山本紹之介氏の心に響く言葉より…


   おまじないのことば  「あなたが好きです」

   自分にもやさしい気持ちになってくる

   毎日、私たちはたくさんの人に出会います。

   大好きな人、好きな人、きらいな人、大きらいな人など、いろいろな人があるでしょう。
   大好きな人や、好きな人なら問題はないのですが、
   たまにはきらいな人や、大きらいな人に出会うことがあるかもしれません。

   また、いちばん多いのは好きでもきらいでもない人と出会う場合でしょう。

   このような人たちに対しても“あなたが好きです”と心のなかで言いながら会うようにします。
   くり返し心のなかでそう言いながら会っていると、
   その人がだんだんほんとうに好きになってきたり、それほどきらいでなくなったりします。

   きらいな度合いが減ってくるのです。

   会う人ごとに片っ端から“あなたが好きです”と言いながら会うようにしていると、
   世の中が好きな人ばかりのような気がしてきます。

   この言葉はいうまでもないことですが、原則として口に出さず、心の中で言いましょう。

      <『あ  うれしくなる ちいさなはなし』cocoroの文庫>

   ・・・・・

坂村真民さんの、「念ずれば花ひらく」という詩がある。


念ずれば
花ひらく

 
苦しいとき
母がいつも口にしていた
このことばを

わたしもいつのころからか
となえるようになった

そうしてそのたび
わたしの花がふしぎと

ひとつひとつ
ひらいていった


真民さんは、心の中でひそかに念じ、となえていれば、いつか必ず花がひらくという。


おまじないの言葉…

「感謝しています」

「うれしい」

「楽しい」

「しあわせ」

「ゆるします」


誰かと会う前に、「おまじないの言葉」、ひそかにとなえてみたい。

           <感謝合掌 平成24年9月28日 頓首再拝>

「明元素」言葉 (2535)
日時:2012年10月17日 (水) 04時35分
名前:伝統


     *「笑いがニッポンを救う」(P101)より

言葉には、プラスの力をもつ言葉と、マイナスの力をもつ言葉があります。
言葉は、「言霊」といわれるように大きな力を秘めているのです。

プラスの言葉には、人を明るくしたり、元気にしたり、素直にしたりする力があります。
これを「明元素(ねいげんそ)」の言葉といいます。
「ありがとうございます」は中でも大きな力をもつ「明元素」の代表的な言葉です。

逆にマイナスの言葉は、人を暗くしたり、病的にしたり、反発や反抗を招く力を持ちます。
これは「暗病反(あんびょうたん)」の言葉ということになります。
「マズイ!」「ヤバイ!」といった否定的な言葉がこれに当ります。

マイナスの言葉はできるだけ使わないようにし、プラスの言葉だけで生活していれば、
明るく、元気で、素直な毎日を送ることが可能になるのです。


人間が発する明元素の言葉の中で、最も強力なプラスのエネルギーをもつものが「笑い」です。
「笑う」ことで、どんな人も明るくなり、どんなときも元気になり、誰もが素直になれるのです。

           <感謝合掌 平成24年10月17日 頓首再拝>

善き言葉をふやすのが「生長の家」の役目 (3207)
日時:2012年11月04日 (日) 04時34分
名前:伝統

     *『生命の實相』第一巻実相篇(上)P151

言葉は『信念』を喚び起こし信念は直ちに人間の健康を左右するものでありますから、
われわれはできるかぎり言葉の善き使い方を知らねばならないのであります。

『言葉』でこの世界に健康を満たせば、この世界の人類が健康になる。

『言葉』でこの世界に光明を満たせばこの世界が光明化される。

『生長の家』は実にこの『言葉の力』によって人類生活を健康化し、幸福化し、
光明化せんがための『神の国運動』であって、『生長の家』の発行部数がふえるほど、
この世界に『善き言葉の力』がふえることになる。

『善き言葉の力』がふえればそれだけ人間の心が光明化し、
地上に浮動している人間の『想念の波動』が光明化し、
いっさいの現実的悪の種子(たね)が浄められ、

キリスト教でいえばキリストの再臨、
仏教でいえば弥勒菩薩下生、
すなわち地上天国建設の時期が早まることになるのであります。

           <感謝合掌 平成24年11月4日 頓首再拝>

実相の善き言葉で、人類の言葉を浄める (3408)
日時:2012年11月09日 (金) 06時20分
名前:伝統


      *『生命の實相』教育実践篇上(P187~188)より

ヨハネが福音書を書いた時分には「言葉は神なりき」であって、もうすでに言葉は神ではなかった。
それはどういう意味であるかといいますと、言葉は、實相の言葉と嘘の言葉(つまり迷いの言葉)
との二種類があるのであります。

「言葉は神である」というのは、實相の言葉、すなわち善き言葉が神であって、
善き言葉を使う時、この善き言葉の力によって創造られるものはすべて善きものであるという
ことであります。

それが反対に、本来の善き言葉が汚され歪められて、
われわれが神の言葉、實相の言葉を使わなくなり、悪しき言葉を使う時、
その言葉の力によってこの世は乱れ、汚れ、天災地変、その他家庭争議などと、
災い多き、悪しき現象となって現れてくるのであります。

この時、もう「言葉は神なり」ではなく、「言葉は悪魔」なりになっているのであります。

それで生長の家の人類光明化運動とは、人類の言葉を浄(きよ)めて、ほんとうに神の言葉に
するということであって、人々の言葉を、本来の神より発する言葉、実相より発し実相を讃える
言葉にしてしまおうというのが目的で、これこそわれらの人類光明化運動の究極の目的なので
あります。

本来われわれは神の子であり、その実相は神であります。
この実相より発する言葉は必ず善ならざるを得ないのであります。
すべての人みな神の子でありますから、すべてこれ善人なるべきはずであります。

ところがこの世の中には必ずしもことごとく善人の姿をした人間ばかりはいない。
またそのことごとくが神の子らしい幸福さを備えていないというのは、
とりもなおさず実相から出た言葉がこの世界を形造っていないからであります。

実相ならざる言葉、罪とか、病とか、死とか、本来ないものを、あるかのごとく装っている
言葉がこの世の中を占領しているからであります。

そこでわれわれの使う言葉を実相の言葉 ―― 神より出でた浄(きよ)まった本来の
善き言葉のみに還元したならば、実相の言葉によって、すべてのものが実相の姿をこの世の中に
現わしてきてたちどころに地上に天国浄土が湧出するというわけであります。
           
           <感謝合掌 平成24年11月9日 頓首再拝>

他(ひと)の悪を語るなかれ! (4154)
日時:2012年12月01日 (土) 04時58分
名前:伝統


      *「生命の實相」第三十八巻幸福篇下(P158)より

十二月 陳(ふる)きものおのずから謝(さ)る

十二月一日

もっともっと気高く生きよう。
最も気高いことのほか何事も考えまい、
最も気高いことのほか何事も為すまい。

他(ひと)を助けよう、
他(ひと)のためになろう。
他(ひと)に愛を注ごう。
愛を注げば
愛が自分に還(かえ)って来る。

悪い人というのは本来一人もない、
地獄というものも決してない。
悪いことがそこに語られるとき
そこが地獄であり、
それを語る人が悪い人である。

汝の世界に天国浄土を実現せんと欲するならば
決して人の悪を語るな、
決して人の悪を思うな、
天国を目指しつつ人の悪を語るものは
必ずや穽(おとしあな)に陥(おちい)って地獄へと墜落せん。

            <感謝合掌 平成24年12月1日 頓首再拝>

善き言葉を使い、良きことを信じつづける (4456)
日時:2012年12月10日 (月) 08時08分
名前:伝統

     *メルマガ「人の心に灯をともす(2012年12月04日)」より

  植西聡氏の心に響く言葉より…

  東北のあるところに、どうにもこうにも手がつけられない不良少年がいました。
  高校を中退して以来、定職に就くこともなく、恐喝やケンカばかりしていたのです。

  心配になった母親が占い師にみてもらったところ、
  「息子さんは、いずれ極道の道を行くことになるだろう」と言われ、
  大変なショックを受けました。

  しかし、母親は気を取り直し、「占い師にみてもらったら、
  おまえは将来、仕事で大成功をおさめるらしいよ」と、
  息子にわざとウソの告白をしました。

  すると、息子は大いに発奮し、「東京で一旗あげてみせる」と母親に宣言し、
  上京することを決心しました。

  それから30年経った今、息子は極道の道を歩むどころか、
  年商40億円を誇る造園会社の社長として大成功をおさめるにいたりました。


  この話を通して言いたいのは、占いが当てにならないこともさることながら、
  良いことを信じつづけると、人生の流れが確実に良い方向に変わるようになる
  ということです。

  良いことを信じつづけると、心の中にプラスのエネルギーが生まれるようになります。
  それが充満すると、成功や飛躍・発展につながるラッキーな現象が引き寄せられる
  ようになるのです。

     <『運気をつかんで離さない人の習慣』徳間ポケット >

   ・・・・・

斉藤一人さんは、「風水や、方位などを気にする人がいるが、
今あなたのいるところがよい場所であり、よい方角。
そんなことを気にするより、今いる場所に感謝するほうが大事」と言っている。

占いや方位、名前の画数、あるいは、仏滅や大安などにこだわりすぎると、
生き方が窮屈になる。

それより、それらを逆手にとり、自分に都合のいいように解釈した方が、
成功する確率が格段に高くなる。


言葉は、「言霊(ことだま)」。

善き言葉を大事にすれば、善き事がやってくる。

            <感謝合掌 平成24年12月10日 頓首再拝>

「そのままでいいんだよ」は、魔法の言葉 (4646)
日時:2012年12月15日 (土) 07時22分
名前:伝統

    **芦川裕子・著「(斎藤一人)天使の翼」(P122~128)より

人は「そのままでいいんだよ」といわれてても、進歩する生き物だよ。
いや、「そのままでいいんだよ」というひと言から、人は歩き出せる。

みんなが人に望んでいることは、高いんだよ。
親が子どもに期待すること、学校の先生や周りが望むことは、階段が高いから、
相手は登り切れないの。一歩も足をだせなくなるんだよなぁ・・・。

だけど、「そのままでいいんだよ」といわれたとき、
一歩、前に出てみようという気持ちになるんだよ。

そして一歩、前に足を出してみる。半歩、出しても、進歩だよね。
それを喜んであげればいいんだよ。
そしたら、「出しなさない」という勧め方ではなくて、「そのままでいいんだよ」って。

楽しく足を出しちゃうような、導き方をすれば、みんな、しあわせなんだ。

今、世の中では、昔の裕子ちゃんみたいに、いじめのことで苦しんでいる人、
過去のいじめで今うつになっている人やパニックになって困っている人、
家から一歩も出られなくなっちゃっている人、いっぱいいるよね。

そういう人を救おうと思ったらね・・・。

いつも私はいうけれど、凍りついている冬の山でも何でも、いきなり夏が来るとえらいことになる。
大洪水になるんだよ。心の中で大洪水が起きて、制御できなくて洪水に流されて、
「もう、生きられない」ってなるんだよ。

だから、何でもかんでも、相手の心をとかせばいい、というわけではないの。
最初はちょっと温かくなって、雨が降って、ちょっと、ちょっとずつとけて行く、という。
”春のあたたかさ”のようなものが出るといいんだなぁ。

そうすれば、自然の形で、少しずつ、少しずつ、
「歩きたくなってきて」ということになるのね。

だから、時をかける。
一番早い方法が、速いわけじゃないの。傷あとが残っちゃうんだよ。
急にとかすようなやり方をすると、傷あとが残っちゃうんだ。

それより、ゆっくり、ゆっくり。

こうやって私がいうとね、「いや、相手にそんな高い要求を出していませんよ、
私、普通であって欲しいだけです」という人がいるんだけれど。

あなたが望む、普通のことが高いの。
「これぐらいのことは、この年だったら普通じゃない」というけれど、
普通が高いということもあるんだよ。

要するに、心の問題を抱えている人は急には上がれないんだ、っていうことだよね。
だから、「なぜ、普通のところまで行かないんだろう」じゃないんだよ。
なだらかな坂にしてあげるの。そうすれば、一歩一歩登って行くんだよね。

1階から2偕に跳び上がるのは、たいへんだよ。
でも、なだらかな階段にしてあげればさ、すぐ上がれるよね。
だから、その「なだらかさ」だな。相手に応じてのね。

ただし、「なだらかだから、行こうよ」ではないんだよ。

「そのままでいいんだよ」
そうやっていわれたとき、人はそのままでいられないんだよ。
不思議なんだけど。しばらくたつと、歩みだすものなんだ。

            <感謝合掌 平成24年12月15日 頓首再拝>

一言の重みで人生が変わる (5656)
日時:2013年01月16日 (水) 04時45分
名前:伝統


      *「みんなで探したちょっといい話」(P60)より

鹿児島県の池田小学校の先生から、3年2組の学級通信「キラキラ」を送っていただきました。
そこには、クラス全員に「たった一言」に続く言葉を次々に書いてもらい、
詩の形式にまとめたものが綴られていました。

       ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

《たった一言で》          池田小学校・3年2組

たった一言で うれしくなる 
たった一言で かなしくなる

たった一言で 苦しくなる
たった一言で 楽しくなる

たった一言で なきたくなる
たった一言で 「ありがとう」と言いたくなる

たった一言で やる気が出る
たった一言で あたたかくなる

たった一言で さみしくなる
たった一言で わらえる

たった一言で むずむずする
たった一言で 頭にくる

たった一言で 心が落ち着く
たった一言で まよう

たった一言で はずかしくなる
たった一言で 落ち込む

たった一言で いやになる
たった一言で おこりたくなる

たった一言で いじけたくなる
たった一言で ぐさっと傷つく

たった一言で こわくなる
たった一言で 元気になる

たった一言で 仲間だと思える

たった一言で ・・・

<担任の先生の結び>

「たった一言ですが、されど一言。
その一言は、ひょっとすると人生をも左右する
大きな力を持っているかもしれません」


【 言葉はその瞬間に消えてしまうが、心にはいつまでも残る 】

            <感謝合掌 平成25年1月16日 頓首再拝>

言葉は”魔法”、言葉は”魔術”である。 (6263)
日時:2013年02月05日 (火) 04時52分
名前:伝統

     *中島孝志・著「40歳からの人を動かす『表現力』」(P17~19)より

君までがなんや!


言葉は”マジック”である。
言葉は”魔術”である。

政治家にしろ、軍人にしろ、古今東西のリーダーというリーダーはすべて、
言葉による表現術を磨きに磨いてきた。
それは「言葉にはパワーがある」ということを誰よりもよく知っていたからに他ならない。

確かに言葉にはパワーがある。言葉には意思がある。
言葉は言霊そのものである。
だから、言葉は人を活かしもするし、殺しもする。

むかし後藤清一さんという松下電器と三洋電機で同時に副社長を兼務していたという人に、
こんなことを聞いたことがある。

社長の松下幸之助さんがたまたま不在だったとき、みんなで野球をやろうという話になった。
悪いと思いながらも、後藤さんも仕事を早く切り上げてみんなと一緒に野球を楽しんだと
いうのである。

もちろん後日、 このことは幸之助さんの耳に入った。
そして、そのときのメンバー全員が呼ばれたのである。

幸之助さんという人は、けじめにものすごくうるさい人だった。
当然、全員を叱り飛ばすのである。後藤さんも激しく叱られた。

ところがである。彼は、こんなことを懐かしそうに私に言うのである。

「ボクだけは特別扱いやったな。というのも『君までがなんや!』、
大将は、「他の人間はいざしらず、よりによって、君がするとは思わなかった」
「期待してたのになぁ。がっかりしたよ」という意味こう言ったんや」

後藤さんは叱られながらも、ものすごくうれしかったという。

「君までがなんや!」この表現の言外に含まれているように感じたのだという。
確かにそう聞こえる。
実際、後藤さんは「その日を境にガラリと変わった、と思う」と述べている。

もし、このとき、「やっぱり君もか」と幸之助さんが言ったらどうなっていただろうか。
「どうせ君のことだ。いつかはやると思ってたよ」「それ見ろ、やっぱり思ったとおりだ」
となるだろう。

これでは奮起など出来ないし、やる気などもちろん起こるわけがない。

「君までが」と「やっぱり君もか」の間には、表現のうえでは些細な違いしかないけれども、
その効果たるや、天と地ほどの違いがあるのだ。

もし、人の心を揺さぶり、痺れさせる表現力があれば、
あなたの仕事と人生は黙っていてもガラリと変わってくるだろう。

なぜならば、あなたを取り巻く周囲の人がプラスアルファの能力を発揮して
全面的に協力してくれるからだ。

変わるのはあなただけではない。
あなたの表現力によって、部下や家族といった周囲の人までもがガラリと変わるのだ。
人を動かす表現力にはそれだけの影響力やパワーがある。

「あの一言でキレました」……そう言って、テロリストに変身する人間だっている。
「その一言で生まれ変わりました」……これで伝道師にガラリと変わる人間もいる。

伝道師にするか、それともテロリストにしてしまうのか。
それはあなたの言葉次第、表現次第なのだ。

心揺さぶる表現力はマジック、痺れる表現力は魔術、人を動かす表現力は魔法である。
今こそ、自分を活かし、人を活かす魔法の表現力を体得しようではないか。

            <感謝合掌 平成25年2月5日 頓首再拝>

できるだけ善いことを喋る (6676)
日時:2013年02月24日 (日) 03時10分
名前:伝統


    *『生命の實相』第37巻幸福篇上(P63<2月23日>)より

ある強化団体のある講師があるところへ講演に出かけて行った。
彼はその教化団体で救われ人生観が一変し、性格が一変し、生活が一変したものであるから
そのことを聴衆に語りたかった。

どんなに自分の生活が一変したかということを知らせるには、自分の過去の生活を述べねばならない。
彼は「わたしはこんなに悪い者だったのです」といって女を騙したことや、酒を飲んだことなどを
過去の生活を懺悔のつもりで50分間も喋り続けた。

そしてこんな浄まった生活になったのはこういう動機であるといって、その転向の明暗を
明朗(はっきり)させるつもりであったのだが、彼が50分間も自分の過去の罪悪を喋っている間に、
聴衆は『そんな悪い人の話は聴く必要はない』と一人去り二人去りして、
彼が本当によくなったところを話すころには聴衆は四分の一に減ってしまった。

懺悔でも、悪いことをあまり喋りつづける者は、ついに人の信用を墜すものである。

言葉は力であるからできるだけ善いことを喋らねばならぬ。

美人の色の白さを引き立てるための斑点美粧も、
それが顔反面イッパイに及ぶようになっては痣(あざ)としてまちがえられる。

光を引き立たす陰影(かげ)は濃く、ただし少量でなければならむ。  

            <感謝合掌 平成25年2月24日 頓首再拝>

言葉には力がある (7010)
日時:2013年03月10日 (日) 04時45分
名前:伝統


        *「言い訳にサヨナラすればあなたの人生は輝く」(P107~108)より
          <ショーン・スティーブンソン(著)、成甲書房 (刊)>

言葉には力がある。

武器は身体を痛めつけるが、言葉で身体に害を与えることはないと教わった。
でもそれは間違いだ。
修行を積んで自我から解放されたヨガの達人とかではないかぎり、人は言葉によって傷つく。

言葉はただ単に文字を並べただけのものではない。
言葉は感情を包み込んでいるのだ。

優しい言葉は人を素敵な気分にすることができる。
人を傷つける言葉は害を及ぼす。

想像してみるといい。
毎日ずっと毒のある言葉ばかりを浴びていたら、いつか病気になってしまうだろう。
言葉には感情が含まれていることに気をつけるようにするだけで、変化が起こる。

人は自分の言葉で生きているのだということがすぐにわかるだろう。

良い言葉で人は良い気分になり、きつい怒りの言葉で嫌な気分になるというのは、
偶然ではなく、必然である。

言葉の選び方と感情は、完全に相関関係にある。

            <感謝合掌 平成25年3月10日 頓首再拝>

言葉で癒やされもし、殺されもする (7151)
日時:2013年03月17日 (日) 03時36分
名前:伝統

        *「言い訳にサヨナラすればあなたの人生は輝く」(P111~118)より
          <ショーン・スティーブンソン(著)、成甲書房 (刊)>

言葉に癒やされることがある。そして言葉に殺されることもある。

言葉には破壊する力があるが、創造する力もある。
言葉が経験を「創り出す」ことは少なくない。

もし自分に向って何か良い話をすれば、きっと良い気分になるし、元気づけられるし、
前向きな気持ちになるだろう。

自分に向って否定的だったり、気が滅入るような話をしたら、
きっとひどく落ち込んでしまう。


心の中に聞こえている、あの小さな声についてはどうだろう。
何のことか誰でも心当たりがあるはずだ。耳をすましてほしい。
きっとあなたにも聞こえるだろう。

「小さな声? 声なんて聞こえない。ショーンっておかしなことを言う人だよね。
ああ、食べ過ぎてお腹いっぱい、疲れた。あっちにいるあの娘は私のこと嫌いなんだ。
あ、出かけるときストーブちゃんと消したかな? 」

そう、その声だ。いつも話しかけてくる。
昼間はあまり目立たないが、その声のせいで不安になったり悲しくなったりする。
そして夜には夢の語り手となり、悪夢を引起したり、心配のあまり眠れなくなることもある。

あの声を恐れる必要はない。
ただし、自分でコントロールをする必要がある。

私がこれまで見てきた限り、ほとんどの人が自分の心の声を無視している。
それが大声になって乱れた行動を始めるようになるまで、ほったらかしにしている、

そんな心の声を回避するために、自分の感覚を麻痺させて忘れようとし、逃げ込む先は、
過食、テレビの見過ぎ、相手の人格を無視したセックス、アルコールの過剰摂取、ドラッグの使用
・・・・・挙げたらきりがない。

人によっては、心の声にひどく傷つけられ、
自ら命を絶つことにしかその声を止める方法はないと思い込む。


たいていの人は、自分の声に意識的に耳を傾けることはほとんどない。それはなぜか。
おそらく、自分のことや自分の行動に対して批判的になったり否定的になったりして、
自分のせいで注意散漫になってしまっているからだ。そこへ、心の声が悪意に満ちた中傷をしてくる。

注意散漫にならないように気持ちを集中させたいなら、自分をもっと大切にすることに努めよう。

そして、自分に向って言う言葉は慎重に選ぶことです。
その言葉が現実を創造するのだから。

            <感謝合掌 平成25年3月17日 頓首再拝>

コトバエネルギー (7312)
日時:2013年03月26日 (火) 06時48分
名前:伝統


       *メルマガ「人の心に灯をともす(2013年03月23日)」より

   コピーライターの佐々木圭一氏の心に響く言葉より…


   強いコトバをつくるのに必要な、「コトバエネルギー」をどう生み出すか?

   その方法は、ジェットコースターの原理と同じです。
   コトバに高低差をつけてあげれば、エネルギーは生まれるのです。

   例えば、

   「あなたが好き」

   より

   「嫌いになりたいのに、あなたが好き」

   のほうが高低差があります。

   高低差とは、そのコトバを見る人、聞く人にとって心を動かすエネルギーです。

   ジェットコースターと同じで、高低差があればあるほど、人はぐっとくるのです。


   「これは私の勝利ではない。あなたの勝利だ」 (オバマ大統領就任演説)

   あえて「あなた」の反対側である「私」というコトバをその前に使って
   ギャップをつくりだしたのです。

   このコトバこそが、人々の感動を最高潮にしたものでした。
   演説を聞いて、涙を流す人たちもいました。

   感動をつくるには、ただ伝えたいことをそのまま言い放つのではなく、
   伝えたい内容にギャップをつくることです。

         <『伝え方が9割』ダイヤモンンド社>

   ・・・・・

佐々木圭一氏は、ギャップを使ったコトバとして次のようなフレーズをあげている。

「№1にならなくてもいい もともと特別なonly one」 『世界に一つだけの花』

「事件は会議室で起きてるんじゃない! 現場で起きてるんだ! 」『踊る捜査線・青島俊作』

「お前の為にチームがあるんじゃねえ チームの為にお前がいるんだ! 」 
                             『SLAM DUNK・安西先生』


言葉は、ただ単純に自分の気持ちをストレートに伝えても、相手には伝わらないことが多い。

そこに、人を動かすプラスのエネルギーがないからだ。

強いエネルギーを生み出すコトバ、発したい。

        <感謝合掌 平成25年3月26日 頓首再拝>

天気の悪口や心配は口にしない (7409)
日時:2013年04月02日 (火) 03時42分
名前:伝統


     *はづき虹映・著『人生でいちばん大切な自分との約束』(P25~27)

確実に「運が悪くなるコツ」というものがあります。
それは「悪口、愚痴、文句、不平不満、泣き言」などを口にすること。

これらのネガティブな言葉を合わせて、「言葉の五戒」と言います。
こうした「五戒」を口にすればするほど、あなたの運気は確実に下がることになるので要注意です。

こうしたネガティブな言葉が自分の運を下げることになるのは、誰もがなんとなく感覚的には理解
しているでしょう。しかし、実際には私たちが日常、口にする言葉の半分以上は「言葉の五戒」と
言われる、こうしたネガティブワードで占められているのです。

中でも、ほとんどの人が毎日、無意識に口にしているのは、「天気の悪口」。

「チェッ・・・、今日は雨か」「天気、最悪! 」「今日は雨ふりで、イヤな天気ですね」
「こう暑い(寒い)と、かないませんね」などなど。

これらは立派な「天気の悪口」です。お天気は文字通り、「天の気」、「天の神様の気持ち」であり、
「天からの恵み」そのものです。その「神様の気持ち」に対して、文句や悪口を言っていて、
好運が巡ってくると思うのは、虫が良すぎると思いませんか?

「天気の悪口」と同様に、無意識に口にしがちなのが、「天気の心配」。
たとえば、車で移動中、窓を雨が濡らすのを見て、「あぁ、雨が降ってきた。今日は傘を持って
きていないのに・・・。困ったな、どうしよう・・・」とつい、口にしてしまうことはありませんか?

この天気の心配を口にしてしまうと、「困った状況」を自ら引き寄せて、結局、
天気に文句を言うことにつながるだけなので、注意が必要です。


あなたの元に「運」を運んできてくれるのも、お天気を司っているのも、同じ神様「天の気」です。
その「天の気」に嫌われたくないのなら、少なくとも「天の気」のことを悪く言ったり、心配する
のは慎みましょう。

実際、雨が降ってくれないと、困るのです。
雨は「天(アマ)の目」。
天の神様からこぼれた涙であり、贈り物、「恵みの雨」です。

あなたが本気で変わりたいと思うなら、今日から「天気の悪口は口にしない」と約束しましょう。
それだけであなたの運気は間違いなく、上昇します。

        <感謝合掌 平成25年4月2日 頓首再拝>

言葉をプラスに変えたら人生はプラスになる。 (8091)
日時:2013年05月02日 (木) 07時10分
名前:伝統

     *『あなたに奇跡を起こす 笑顔の魔法』野坂礼子・著(P122~125)より


          《言葉のプラス変換・ポジティブ変換》
  
(マイナスの言葉      ⇒ ⇒ ⇒ ⇒      (プラスの言葉
 暗い 病気 反発                    明るい 元気 素直
 消極 否定 陰気)                   積極  肯定 陽気)

    忙しい        ⇒ ⇒ ⇒ ⇒       充実している
 
 できない、嫌だ       ⇒ ⇒ ⇒ ⇒       やってみよう
  
 大変だ、きつい       ⇒ ⇒ ⇒ ⇒       やりがいがある、なんとかなる

 難しい、まいった      ⇒ ⇒ ⇒ ⇒       手ごたえが感じられる

 つまらない         ⇒ ⇒ ⇒ ⇒       おもしろくなる

 どうしよう         ⇒ ⇒ ⇒ ⇒       考えよう、工夫しよう、大丈夫

 失敗だった         ⇒ ⇒ ⇒ ⇒       次につなげよう、いい経験だった

 いいことがない       ⇒ ⇒ ⇒ ⇒       これからよくなる

 お金がない         ⇒ ⇒ ⇒ ⇒       まだ○○円ある

 もう歳だ          ⇒ ⇒ ⇒ ⇒       まだまだ○歳だ、元気だ

(仕事で)疲れた       ⇒ ⇒ ⇒ ⇒       よく働いた


・・・

言葉はあなたの思考や行動を規定します。
あなたの人生は実は言葉によって、すべて決められているのです。
プラスの言葉を使うことは、あなたの人生に必ずツキを呼び込んでくれるのです。 

        <感謝合掌 平成25年5月2日 頓首再拝>

言(ことば)は万事の本(もと) (8123)
日時:2013年05月03日 (金) 04時02分
名前:伝統


    *『生命の實相』第37巻幸福篇上(P122<5月3日>)より

「太初(はじめ)に言(ことば)あり、言(ことば)は神なりき。
万(よろず)のものこれによりて成る」と「ヨハネ伝」の冒頭にあるとおり、
言(ことば)は万事の本(もと)である。

言(ことば)というのは空気の振動ばかりのことではない。
心の振動も、顔の皮膚の振動も、身体(からだ)の態度も、文章も、手紙も
すべてコトバである。

しかし根本的には心の振動が、言語という空気の振動ともなり、
表情という顔の皮膚の振動ともなる。

見ゆる形は、見えない心的エネルギーが現われたのである。

心を平和に、言葉に善きことのみを発し、表情を明るくすることが大切である。

        <感謝合掌 平成25年5月3日 頓首再拝>

ネット上にネガティブな書き込みを決してしない (8290)
日時:2013年05月10日 (金) 04時56分
名前:伝統


     *はづき虹映・著『人生でいちばん大切な自分との約束』(P51~53)

「かく」を漢字に当てはめてみると、「火久」。
「《火のような強いエネルギーを久しく残す行為》」が、
「かく(書く)」ことの本質だということが読み取れます。

「紙に書く」という行為は、「神に火久」こと。
神様に対して、自らの強い(=火のような)意志を久しく誓う行為です。

大事な契約書に署名したり、サインしたりするのは、まさにこの「紙に書く」
という行為の本質を見事に表していると言えるでしょう。

では、「紙に書く」というアナログではない、
ネット上でのデジタルなメールのやりとりや書き込みは、
そこまで気にする必要はないのでしょうか?

コンピューターは、デジタル化された「0」と「1」だけで成り立つ技術です。
「0」は「あの世」を表し、「1」は「この世」の始まりを表す数字です。

「0」は、エネルギーを増幅する性質を持っています。
「0」がいくつ集まっても「0」のままですが、隣に「1」が来れば、
「1,10、100、1000、、」と「1」のパワーを、どこまでも限りなく増幅させていく
ことができる無限のパワーを秘めているのです。

つまり、「0」と「1」で成り立つ携帯やパソコン、インターネットなどのデジタルツールは
すべて、「エネルギーの増幅器」であり、まさに「あの世」と「この世」をつなぐ
驚異の道具(ツール)だと言えるでしょう。


つまり、あなたがネット上に「書く」ことは、限りなく増幅される可能性があり、
「この世」を超えて、「あの世」にまでダイレクトに届く可能性を秘めているということです。

もちろん、それが良いことであろうが、悪いことであろうが、関係ありません。

ネット上にネガティブな書き込みをすれば、そのネガティブなパワーがこの世を超えて、
あの世にまで無限に増殖していく可能性を秘めています。

それが匿名であったとしても、書いた本人はわかっています。
本人がわかっている限り、逃れようはありません。

「出したものが受け取るもの」というのが、宇宙を貫く法則です。

ですから、どんな種類のエネルギーであっても、
それは出した人のところに必ず戻ってくるのです。
しかも、それは無限に増殖して、発した本人の元に戻ってくることになるのです。


ネット上に「書く」ことは「この世」と「あの世」両方の世界にエネルギーを放つこと。
これはまさしく、「もろ刃の剣」。

そこにネガティブなエネルギーを放てば、ネガティブなエネルギーが・・・。
ポジティブなエネルギーを放てば、ポジティブなエネルギーが
放った本人の元に増殖して、返ってくることになるのです。

「匿名だから...」「ネットの掲示板だから...」と、タカを括っている場合ではありません。

現代において、ネット上にネガティブな書き込みをすることほど、
運気を確実に、かつ急激に落とす方法はほかにないと言ってもいいぐらい・・・。

それでもまだ、あなたはネット上に、ネガティブな書き込みをする勇気はあるでしょうか?

        <感謝合掌 平成25年5月10日 頓首再拝>

【ことばの日】~善き言葉で、生活を光明化する (8481)
日時:2013年05月18日 (土) 03時42分
名前:伝統

今日、5月18日は【ことばの日】。

・・・

5月(こ)18日(とば)の語呂合わせから生まれた記念日で、
言葉を正しく使うように心掛ける日。

・・・

善き言葉で、生活を光明化する

      *『生命の實相』第十一巻萬教帰一篇上(P66~67)より

われわれの言葉によって、
万物は、その言葉のとおりに《成る》(名ある)ことになるのであります。

善き名をつければ、善くなり、悪しき名をつければ悪しくなる。
これは必ずしも「姓名学」のことをいっているのではありません。

お前は虚弱だといえば虚弱になり、おまえは病気だといえば病気になり、
お前の病気は不治症だといえば不治症になり、お前は怒りっぽい人間だと罵れば怒り出し、
お前は泥棒根性だといえば真に泥棒を働くようになり、
お前は天才だと賞めれば真に天才になってしまうのであります。

それだからこの現象世界を善くするには言葉を善くすることが非常に大切である。

「生長の家」で人類生活を光明化するために善き言葉の聖典を出しているのもそのためであります。
すでに、生長の家の善き言葉の力は歴然たるもので、
この聖典を読むだけで病気は続々治っているのであります。

で、『創世記』に「土にて造られたる生物(せいぶつ)にアダム(人間)が名づけたるところは
皆その名になった」というのは、こういうように人間の言葉によって万象が善にもなれば悪にも
なるという意味なのであります。

        <感謝合掌 平成25年5月18日 頓首再拝>

嬉しいことばの種まき (8647)
日時:2013年05月24日 (金) 06時26分
名前:伝統


       *「嬉しいことばの種まき」村上信夫・著(P264)より

ボサボサの髪の毛を掻き上げながら「二日酔いだ! 」、
化粧気のない顔を見つめながら「もっと寝ていたかった! 」
と言う朝だと、不機嫌な一日になる。

少しだけ早起きして、鏡に映った自分の顔に口角あげてニコッとして
「おはよう! 」と言ってみるのだ。そして「顔の艶がいいぞ」「寝癖がないわ」
と自分で自分を褒める言葉を口にすることも忘れないでほしい。

60兆の細胞のひとつひとつに聞こえるように・・・。
心が窓が開いて、その日一日ご機嫌よく過ごせるはずだ。

そんな思いを詩にしてみた。


【 嬉しいことばの歌 】


「おはよう」って言えば、心の窓が開く

「ありがとう」って言えば、心がニコニコする

「いただきます」って言えば、心がつながる

「おかげさま」って言えば、心がおじぎする

「よかったね」って言えば、心が一つになる

「だいすき」って言えば、心がウキウキする

「だいじょうぶ」って言えば、心が柔らかくなる

「おやすみ」って言えば、心がまあるくなる

「おやすみ」

        <感謝合掌 平成25年5月24日 頓首再拝>

善き言葉の暗示は、子供の知力に影響する (8964)
日時:2013年06月03日 (月) 04時34分
名前:伝統


      *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(P151<6月3日>)より

「知力も直覚も語(ことば)によって構成せられ、またそこなわれる。
善き語(ことば)、悪しき語(ことば)は知力と直覚とをあるいは構成し、あるいはそこなうゆえ、
十分語(ことば)を選択する術(すべ)を知らねばならぬ」とパスカルは言っている。

言葉の暗示の力は、知力を増す。
祈りが学業成績に影響するのは当然なことである。

子供の学修を指導しつつある父母がすぐ焦(じ)れてきて
「子供の頭の悪さ」に不平を言うようなことでは、
その子供の学業成績は挙がるものではない。

        <感謝合掌 平成25年6月3日 頓首再拝>

自分という風船に詰めるガスは? (9280)
日時:2013年06月16日 (日) 07時38分
名前:伝統


   *『「ありがとうを言う」と超健康になる』町田宗鳳・著(P29~33)より

人間の肉体は、薄いゴムでできた風船のようなものです。
病気や事故という針で、ちょっとつつけば破裂して「一巻の終わり! 」となることもあります。
いつそうなるかは、人それぞれの運命ですから、あれこれ気にしてもしかたありません。

それよりも重要なのは、自分という風船をどんなガスでふくらませるかということです。

愚痴・不満・怒りといったガスはとても重いので、こういったガスで自分という風船を
ふくらませると、地上から浮き上がることができません。風が吹くたびあっちへゴロゴロ、
誰かに押されてこっちへゴロゴロと地上を転げ回るだけです。

感謝・喜び・希望というガスはとても軽いので、こういったガスで自分という風船をふくらませる
と、どんどん空高く舞い上がっていきます。もちろん体が舞い上がっていくわけではありませんが、
精神はどこまでも軽やかに、高みに昇り続けることになります。


人間として同じ肉体を持ちながら、詰めるガスで一方は地上を転げ回り、
一方は空に舞い上がるのですから、たいへんな違いです。

真の生きる喜びは、良質なガスで満たされ、晴れやかに空を飛べる精神にこそ宿ります。

何があっても、何がなくても、「うれしい、楽しい、ありがとう」という言葉をくり返しながら、
自分という風船にポジティブなガスを充満していきます。

目の前の現実が「うれしい、楽しい、ありがとう」と言えるものでなくても、
言えるものでないからこそ、「うれしい、楽しい、ありがとう」と言うのです。
ここが大事なポイントです。

言葉の力で自分という風船に軽やかなガスを詰めたら、
「うれしく楽しくありがたい」現実のほうが引き寄せられてきます。

          <感謝合掌 平成25年6月16日 頓首再拝>

「言葉の力」で宇宙力を動かす (9306)
日時:2013年06月17日 (月) 05時00分
名前:伝統


      *『生命の實相』第37巻幸福篇(6月17日<P169~170>)より

宇宙全体は一つの生命で生かされている。宇宙全体が生き物なのである。
その生命流れ入って「吾」となっているのである。
宇宙全体が、「吾」の内に流れ込んでいるということもできる。

そして自分の受け持っている環境では各自が船長であり、舵手である。
各自が舵をとった方向に宇宙の生命力全体が動き出すのである。

そしてその舵は次の「言葉の力」である。――

「『自分は宇宙力全体にバックされている。自分は宇宙力全体と一つである』

常にこのことを『言葉の力』にて心に描け。これが常住の神想観である。

そう念ずるとき、そこに仏が現前しているのである。
自分はすでに成仏しているのである。

        <感謝合掌 平成25年6月17日 頓首再拝>

言葉は人生航海の舵  (9324)
日時:2013年06月18日 (火) 05時01分
名前:伝統

       *『生命の實相 幸福篇上(第三十七巻)』<6月18日>より

言葉が舵であって、人生の方向を定める。
言葉、言葉、言葉、言葉・・・・・
われわれの心に印象を深からしめるために「言葉」という字を繰り返し繰り返し書いておく。

船は船長の言葉の力でその方向に必ず進むのである。
船長はみだりにまちがった言葉を出すことはできない。
船長が「東」と言うのに、船が「西」に進むということはありえない。

では、われわれは「幸福」に人生を航海したいならば、
「幸福」の方向にのみ自分の「人生」を進めたいならば、
われわれは人生の船長であるから、「幸福」とのみ掛け声をかければよいのである。

「幸福」「幸福」とのみ毎日掛け声を掛けているならば、
必ず自分の「人生」は幸福の方向に進んで行くにちがいないのである。

「健康」「健康」とのみ掛け声をかめていれば、
必ず「健康」の方向にのみ自分の人生は進んで行くにちがいないのである。

それだのに「幸福」を切に求めながら、
毎日「自分は不幸だ」と掛け声をかけたり、呟いたりしている人があり、
「健康」を切に求めながら、毎日「自分は虚弱だ」と掛け声をかけたりしている人がある。

自分の運命について呟く人、自分の病身について呟く人はこういう種類の人であって、
その人がその生活習慣を改めないかぎり、本当に幸福と健康とは来ないであろう。

今現に不幸であっても「幸福」と言う人は、
西へ行こうとしている船が「東」と言う船長の言葉で「東」へ位置を変じはじめると同様に、
「幸福」の方向へ生活が転向しはじめるのである。

        <感謝合掌 平成25年6月18日 頓首再拝>

悪しき言葉は、善き言葉で打ち消す (9346)
日時:2013年06月19日 (水) 04時48分
名前:伝統


       *『生命の實相 幸福篇上(第三十七巻)』<6月19日>より

「アダムの名づけたるところのものはその物の名となれり」と「創世記」にあるように
言葉のとおりに事物はなるのである。

宇宙は感受力鋭敏なラジオ・セットのようなものである。
このラジオ・セットは言葉で放送したものを感受するほか、
心で放送したものを鋭敏に感受して、それを具体的可聴的可視的な存在とするのである。

自分の放送しないところのものは一つとしてこの世界に形を顕わさない。

妻を呪う言葉を出したときには、妻はやがて呪わるべき形に変わって来るだろう。
良人を呪う言葉を出したとき、良人はやがてその呪ったとおりの姿となって現われて来るだろう。

自分の職業を呪い、境遇を呪うがごとき言葉は冗談にも発すべきではないのである。

もし誤ってそんな言葉を出したならば、それと反対の言葉、
「善い良人だ」「善い妻だ」「自分の職業は良い職業だ」「自分の境遇は幸福な境遇だ」
というような言葉で打ち消しておくことが必要なのである。

        <感謝合掌 平成25年6月19日 頓首再拝>

言葉は大事じゃぞ (9897)
日時:2013年07月17日 (水) 03時49分
名前:伝統


       *「珠玉篇 心にしみるいい話」(P210)より

昭和11年、私が小学校4年生の秋、運動会も済んだころのことです。

「今、戻りました」

の、声を待っていたかのように、

「静(しず)よ、藁(わら)を打ってくれんかのう? 」

と、祖父の声が聞こえて来ました。ふだん着に着替えながら、私は、

「ちくっと、行ってくるきに・・・」

「戻ったら打ってくれよ」

「うん・・・わかった」

と、返事はしていたが、仲良しの友だちと、つい遊びすぎて帰った。
待ちかねたように母が言いました。

「静よ、おじいさんと約束をしちょらせきったかね。藁を打って貰うと言って、
おじいさんは待ちよるぞね。早よう行きなさい」

”しまった”と思い、母屋から離れた稲納屋へと走った。

祖父は横槌(よこづち)で、小さい藁束を一人でコツコツと、打っていたのです。

「戻ったか。お前は友達と遊ぶ約束をして遊んできた。
お前は”うん”と返事をしてくれた、おじいさんは、お前の言葉を信じて待ちよった。
打ってくれるか・・・」

と、掛矢を目の前に差し出されました。

きれいにハカマを取った藁の大きな束を、50センチ四方のカズラ石に乗せ、
おじいさんは、ひざをついて構えている。
私は自分の頭より大きいと思う掛矢を振りだした。

明治3年生れの祖父は、藁束をクルリ、クルリと回しながら、遅く帰ってきたことを怒りもせずに、
今だに忘れることのない話をしてくれました。
私の振り下ろす掛矢に合わせて、ゆっくりと、語りかけるように、

「静よ、人間はのう、うんと言葉を大切にせよ、よ。
人との出会いも大事じゃが、言葉はもっと大事じゃぞ、・・・えいか」

―― 言葉にも、ちゃんと足があってねや。言うて良い足、言うて悪い足の、言葉の足が
ちゃんと2つついちゃうぞ。

その言葉の足をしっかり踏まえて、言うて良いか、言うて悪いか、ようく考えて、
腹の底からしっかりと、ものを言え。

一度、口から出した言葉は元には戻らん。
一度、口から出した言葉には必ず、責任を持て。
責任のない言葉は信用を失うぞ。


―― 言葉の足は、信用という大きな、大事な体を支えちゅうがぞ。わかるか?
何によらず、言葉には必ず責任を持てよ。

―― 事を頼まれて、出来ないことは安請け合いをせずに、はっきりと丁寧に断れ。
断ることも信用の一つぞ。

―― 言う口の下、尻からはぐれる出まかせの嘘を言うな。人間を見下げる。

―― 人を笑うな。指を指すなあざけるな。情けを掛けよ。情けと意地悪は後日必ず返って来る。
今、言うた話は、子供の時も大事じゃが、大人になったらなおさらのことぞ。
よくよく心しちょけよ。えいか。

―― それに、人と出会った時に頭だけコックリするな。
荷物は左手に持ち替えて、右手を膝の上まで下げよ。自然に頭は下がる。
それに、人と目が合ってすぐに横を向くな。ちょっと首を傾けて笑顔を見せよ。女らしい。


話の合間に、藁の柔かさを確かめながら、ゆっくり時間を掛けて話してくれました。

藁の元も穂先も布のように柔らかくなりました。
柔かさをごつい右手で確かめていた祖父は、
「もう良かろうか。静も約束を果たしてくれた。わしも明日は約束の草履を持って行ける」

やれやれと、ほっとしている私に、
「だれた(疲れた)のう。おおきに、おおきに、秋の日は早いのう」
と、夕焼けの空を見上げて、ニッコリしていました。少し寒く暗くなりだした。

布のように柔らかく打たれた藁で、おじいさんの作った草履は、出来上がりもきれい。
上部で長持ちがすると評判で、近所の漁師さんの注文がよくありました。


言葉の責任を教えてくれた祖父は「自分のことは自分でせよ」と言って、
80歳を過ぎても、布団の上げ下ろしを自分でやっていました。

両親より以上に世話になった祖父母を思い出します。
事あるごとに思い出し、言葉の責任は、私と共に生きるでしょう。

        <感謝合掌 平成25年7月17日 頓首再拝>

「あぁ、よかった」と口に出す (10711)
日時:2013年08月20日 (火) 04時39分
名前:伝統


       *はづき虹映・著『人生でいちばん大切な自分との約束』(P19~20)

何事も最初が肝心です。
天国に向かって踏み出す一歩と、地獄に向かっての一歩であっても、
最初の一歩の時点では、たいした違いはありません。

しかし、その最初の一歩目の方向を間違えると、どれだけがんばって歩いても、
目的地に辿り着くことはできません。

最初の一歩で間違ってしまうと、歩けば歩くほど、本当の目的地かたは遠ざかってしまう
ことにもなりかねないので、くれぐれも注意が必要です。

すべての出来事に絶対的な「良い・悪い」はありません。
出来事自体には「良い・悪い」はなく、その出来事をあなたが「良い・悪い」と
判断し勝手に決めつけているだけに過ぎません。

「いや! そんなことはない・・・。これは誰がみても悪いことだ!
これのどこが良いと言えるんだ! 」と叫びたくなる気持ちはわかりますが、
そのスタンスをとっている限り、あなたの人生にポジティブな変化を起こすことはできません。

そういう考え方、そうしたネガティブの言葉を実際に口にすることこそ、
最初の一歩目を地獄に向かって踏み出す合図にほかならないのです。

目の前で起きた現象に「悪い」というレッテルを貼らないこと、少なくとも「悪い」と決めつけ、
ネガティブな言葉を口にして、自らネガティブな方向に足を踏み出さないこと。
これが人生にポジティブな変化を起こすための、シンプルなルール(約束)です。

自ら言葉を出すのは、人生の「検索ワード」に入力するのと同じこと。
「あぁ、よかった」と口にすれば、アタマは「よかった」ことを一生懸命探してくれます。
それが「よくない現象」を「よかった現象」に変えていくコツ。

まずは、どんなときでも、最初に「あぁ、よかった」と口にして、
天国に向けての一歩を踏み出しましょう。

        <感謝合掌 平成25年8月20日 頓首再拝>



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