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無限の富 (5854)
日時:2013年01月23日 (水) 04時31分
名前:伝統


(このスレッドでは、「富」に関する資料を集めて参ります。)

     *「生命の實相」第37巻幸福篇上(P22<1月23日>)より

心の平和を得ることが幸福の本である。
心の平和を得なければ億兆の富といえどもなんの幸福をもわれわれにもたらしえない。
それはかえってわれわれの生活を掻き擾(みだ)し、われわれを地獄へ突き落とす重荷となる。

幸福は富の有無ではない。
しかしわれわれは富を排斥するのではない。

富に捉えられずして富を善事に駆使しうる者は富ますます多くして世のためとなることますます
多くなるであろうが、多くの人の場合に「富」を得るときそれに捉えられる。

俗人は「富」をもてば増殖したくなるであろうし、
それが奪われざらんことを欲して守りたくなるであろう。

ここに、人が現象に捉えられて、自己の内にすでにある「無限の富」を忘れがちとなる
危険がひそんでいるのである。

多くの富豪の家庭にはおもしろくないことが潜んでいる。
誰でも必要以上に富をもつことことは人生に不要な重荷を背負いこんだことになる。

無限供給というのは飽食の意味ではなく、必要なだけ食膳に上(のぼ)るということである。
このことは食物に限らず「金(かね)」でもおなじことである。

           <感謝合掌 平成25年1月23日 頓首再拝> 

与えよ、そして信じて待て、さすれば与えられん (6174)
日時:2013年02月02日 (土) 04時53分
名前:伝統


与えることによってのみ受けられる

       *「光明法語」(P37<2月2日の法語>)

太陽の温かさを受けようと思えば先ず一歩日向(ひなた)に向って「歩み出し」を
与えることが必要である。日向にむかって「歩み出し」を与えないでいて
太陽の温かさをうけることは出来ない。

写真を写すには先ずカメラに代金を払わなければならぬ。
マメラを借りて来ても好(よ)いが、やはり吾らは、
焦点距離を合わしてスイッチを捻る動作を与えなければならないのである。

音楽をきこうと思えば音楽会に金を払うか、レコードに金を払うか、
蓄音機を廻すかラジオの波長を合わすか、
いずれにせよ金又は「動作」を与えなければならぬ。

・・・

気が短いのでは可(い)かぬ

       *「光明法語」(P37<2月3日の法語>)

「与えれば与えられる」と云う法則は直ぐ覿面(てきめん)にあらわれて来るものもあるが、
必ずしも直ぐ結果が現れないこともある。

電燈はスイッチを捻ればすぐつくが、水力電気や火力電気の設備を構築するのは
一夜に出来た事ではない。

電燈がスイッチ一つでつくようになったのは、それらの発電設備や配電設備が、
多くの与えられた労力の蓄積として「天の倉」に蓄えられているからである。

麦は一夜にしては実らない。卵も一夜にしては孵化しない。
すべての形の世界に現れるのは時間を通して現れる。
気が短いようなことでは可(い)かぬ。

           <感謝合掌 平成25年2月2日 頓首再拝> 

宇宙は無限供給である。 (6265)
日時:2013年02月05日 (火) 04時58分
名前:伝統


      *『生命の實相』第八巻観行篇(P114)より

われわれの「心」というものは、単に、われわれの肉体の内部にだけ立てこもっているのでは
ないのでありまして、ひとりひとりの心は宇宙に遍満している心につながっているのであります
から、ひとりの心に起こった希望の波動は全宇宙の心に感じられ、

宇宙のどこかにその希望を満たそうとする《働き》が起こり、その《働き》が波及してきて、
ついにわれらの起こしたその希望を満たしてくれるようになっているのであります。

「われらの希望は空しからず」「求めよ、さらば与えられん」とはよく言ったものであります。

全宇宙は一つの生命体でありますから、(中略)
われわれが経済状態にあるマイナス状態を生じますと、必ず全宇宙の供給の流れが還流して、
そのマイナスを埋めてくれるようになっているのであります。

だからわれわれの生活が大宇宙の一つの流れに繋がっているという実相に目覚める限り、
われらに絶対に「貧」ということはありえないのです。

宇宙は無限供給である。
その無限供給に繋がっているとき、どうしてわれわれに「貧」ということがありましょうぞ。

           <感謝合掌 平成25年2月5日 頓首再拝> 

われわれは、宇宙の無限供給の富の中心にいる (6311)
日時:2013年02月07日 (木) 04時23分
名前:伝統


      *『生命の實相』第八巻観行篇(P115)より

すべての富は今すでにわれらに与えられているのであります。
われわれは、宇宙の無限供給の富の中心にいるのであります。

今必要でないものまで無限無尽にその供給を「私」という肉体的有限容積のものに
背負わされては、それでは「私」も取り扱いに困りますので、世人が金があれば、
当座用として若干を手許において、他は銀行に預けておきますと同じく、

「私」はすべて当座用以外の全財産を、人間の設立した銀行ではない、
神立「大宇宙銀行」に預けてあるのであります。

仮に「私」と申しましたが、「私」と称したのは仮であって、「皆様」も同様であります。
ただ異うのは「私」は無限財産を、神を頭取とする「大宇宙銀行」に預けてある事実を
自覚していますけれども、ひょっとしたら皆様はそれを自覚していられないかもしれない
―― ここがわたしと皆様とが異う点かもしれないのです。

(中略)

誰でもこの神立「大宇宙銀行」には無限の預金をもっているのですが、
自覚しないために必要に応じてそれを引き出すことができないというのが、
ふつうの人のふつうの状態なのであります。

           <感謝合掌 平成25年2月7日 頓首再拝> 

真の大富豪とは (6358)
日時:2013年02月09日 (土) 04時56分
名前:伝統



      *『生命の實相』第八巻観行篇(P117)より

金持とか財産家とか言いましても、「金(かね)」というものを「形」あるだけのもののように
思い、ある一定の銀行にある額だけとか、自分の名義になっている証券の額だけとかを自分の
財産のように思っていられる方は、その額がどんなに多額にありましても、それは大した富豪
ではないのであります。

なぜなら、《かかる富はすでに数えられているからであります》。
本当の大富豪と言いうる者は、自分名義の財産は何一つなくても、「大宇宙銀行」に
無限無形の預金があって、それをいつでも引き出せるという自覚をもっている人だけであります。

           <感謝合掌 平成25年2月9日 頓首再拝> 

富の種蒔き (6449)
日時:2013年02月13日 (水) 04時46分
名前:伝統


       *「生活の智慧365章」(P42)より

貧しい人も、その人が實相に於いて貧しいのではないのである。
彼は實相に於いて富める「富」を現象界に表現する方法を知らないだけの事である。
彼は多分「与えよ、さらば与えられん」の心の法則を知らないのである。

人に与えることをせず、爪に火をともすようにして蓄積しさえすれば富むのだと
《めのこ》算用的な考えをもっていて、人を救うために献資をして出すことが、
富の「種」蒔きになるのだということを知らないのである。

「種」を金庫に入れて蓄積すれば、蓄積するだけは殖えるけれども、
「種」は蒔かない限り、百倍千倍万倍に子を産んで増殖することはあり得ないのである。
だから釈尊は「飢饉の時ほど托鉢せよ」と仰せられたのである。

飢饉の時には作物はとれず、百姓自身も貧しくなっているのに、それにも拘らず
報謝米の施しを求めて歩くのが”托鉢”である。

何故そんなことをするかといえば、飢饉のために貧しくなっているのは、「与えれば与えられる」
という法則を彼が知らないで、謂わば「種」を天地に与えて「種蒔き」をして置かなかった結果
であるから、彼に「施しの心」を起さしめて富の「種蒔き」を為さしめるために、

釈尊は、「飢饉の時ほど農家へ往って施し(富の種蒔き)を求めよ」と仰せられた訳である。

           <感謝合掌 平成25年2月13日 頓首再拝> 

無限供給について教えを請う (7375)
日時:2013年03月30日 (土) 13時44分
名前:ガラスの仮面

伝統さま、ありがとうございます。

いつもいつも早朝からの掲示、勉強させていただいているとともに、
以前の掲示板のときから、何事にもぶれない風格ある書き込みに
感じ入っているしだいです。

さて「富」に関するスレッドですが、私自身のこととして、
これまでずっと氷解できなかったことに教えを請う良い機会をいただきました。

生命の實相第2巻179ページに次の例話と教えが出てまいります。
「今は米国財界に時めく千万長者の某氏は‥‥」に始まり、
自己暗示法と言葉の力、良い食事や一流の喫茶店のソファ、
服装から住まいまで一新させ、これが千万長者の端緒になったとあります。

そして尊師は「心の変化でどうにでも自由にできる。」と結ばれています。

伝統様がご紹介されました資料の中にも同様の真理がありますが、
別の説き方もあるようです。企業に身をおくものとして、
どのような側面から捉えるべきか、お教えいただければ幸甚でございます。

よろしくお願い申し上げます。

合掌

ある米国千万長者による例証 (7388)
日時:2013年04月01日 (月) 03時42分
名前:伝統


”ガラスの仮面 さま” ありがとうございます。

>いつもいつも早朝からの掲示、勉強させていただいているとともに、
>以前の掲示板のときから、何事にもぶれない風格ある書き込みに
>感じ入っているしだいです。

早朝からお付き合いいただき、まことにありがとうございます。
さすがに、企業の中心部にてご活躍されている方らしい表現での、
お褒めの言葉に、心より感謝申し上げます。



>さて「富」に関するスレッドですが、私自身のこととして、
>これまでずっと氷解できなかったことに教えを請う良い機会をいただきました。

小生は、このスレッドにて、「富」と云うもの学び直そうという気持ちで、投稿を始めました。
ですので、”ガラスの仮面 さま”が紹介の「生命の實相第2巻179ページに次の例話と教え」
にある千万長者の足元にも及ばない者であることを、ここに白状しておきたい
と思います。<当たり前か? 笑>

そして、このスレッドを立て、まだ、少ない投稿件数でありながら感じていることは、
谷口雅春先生が説かれたことは多面的であり、奥が深いということです。(当たり前のことですが・・・)

そのように感じているところへの、
”ガラスの仮面 さま”の問いかけでありますので、ビックリ致しております。

ですので、”ガラスの仮面 さま”が氷解していないという課題に対して、ツボを得た対応が
できるか、不透明であることをご理解ください。


>企業に身をおくものとして、
>どのような側面から捉えるべきか、お教えいただければ幸甚でございます。

”ガラスの仮面 さま”による、この質問、どのように捉えればよいのか、
小生は使い古した頭をひねくりまわして考えておりますが、
小生からすると、広すぎて思考が止まってしまっております。

ここで(この掲示板を閲覧されている方々への)お願いなのですが、
(困惑している小生以外の)経験豊かな方で、”ガラスの仮面 さま”からの問いかけを
汲み取ってお答えすることが可能と感じておられる方がおられれば、その方によるお答えを
お願いできればとも捉えております。


・・・折角ですので、”ガラスの仮面 さま”が、紹介している
   『生命の實相』のご文章を以下に掲載し、理解の端緒といたします。

《「生命の實相第2巻179ページに次の例話と教え」》(P178〜181)より

人生はたとえていえば「心」という役者が演ずる舞台であります。

成功したい者はすでに成功者であるかのように演出し、
高徳者になりたい者はすでに高僧であるかのように演出し、
健康になりたい者はすでに健康であるかのように眉をのばし、

役者がある人物を舞台で演ずるように、
心から自分のなりたいと思う人物になりきって人生という舞台で演出するとき、
その人の「心」は人生でそれを形に現わすことをうるにいたるのであります。

そして服装はこの演出のさいの気分を助ける一要素となるものでありますから、
経済的に成功しようとする者は、それにふさわしい衣装を着て人生の舞台に出るべきであります。

次に掲げる実話は生活様式は心を支配し、心は成功を支配する実例として興味あるものです。


今は米国財界に時めく千万長者の某氏は、長いあいだ自分の貧困を脱することができなかったので
ありますが、ある日ふと自分の読んだ本に「貧乏とは心の病気」だということが書いてあるのを
見出して

「コレだ。自分がいつまでも貧しいのは。今日からぜんぜん生活をやり直そう」

と豁然(かつぜん)さとったのであります。

氏は今まで「自分は貧乏だからできるだけシマツをしなければならない」と、
一挙手一投足「自分は貧乏だから」を前提とした生活を送っていたために骨の髄まで心のうちに
貧乏の感じがしみとおっている自分を笑いたくなった。

氏はそれ以来毎日

「おれは貧乏ではないぞ。心で富を呼び寄せるのだ。
貧乏という観念(こころのたね)をおれはもう自分の心から駆逐した。自分は神の子だ。
神は無限供給だから、神のもちたまうすべては自分に与えられているのだ。

自分は無尽蔵の富を与えられているのだ。
その自分を貧しいと思っていたのは自分のまちがいだったのだ。
欲しいものはすべて今後は磁石に吸い寄せられるように自分のところへ集まってくるのだ。
恐れることはない。今現にきつつあるのだ」

と、公園をひとりで散歩するとき、就寝前の静かなる時などに、耳に聞こえるほどの声で、
自分自身に強くはっきりと断定的にいって聞かすことにした。

つまり、これは後に説く「自己暗示法」であって、言葉の力の応用であります。

氏はしだいに成功に対する自信を得てきて、今まで心に横たわっていた貧乏の恐怖は消失しました。
 
今たとい貧しくあろうとも、それは氏にとって消えるべく約束されたる
過去の貧しい心の影にすぎないということがさとれたのです。

未来には現在心にもっているところの無限供給の確信が形にあらわれてくるに相違ないという
自信が強くムクムクと心の底から湧いてきたのであります。

で、氏の生活様式も一変しました。
今まで、氏は何事をするにも「自分は貧乏だから」を前提としていた。

食事をとる時には、できるだけ安価な食事をとったし、
数マイルのところへ通うにも、自分は貧乏だからとテクついたし、
あらゆる生活様式がお前は貧乏だぞと 氏の耳元で囁(ささや)いていたのでした。

しかし氏は新しい勇気にかられて生活様式全体で、
自分の富めることを印象(しみ)こませようとした。

彼はふところの許す限り良い食事をとりました。
一流の喫茶店でコーヒーをすするとき、悠揚とその柔かいソファに身体をもたせかけながら
「われ富めり」という感じをたましいの底の底まで吸い込むようにしました。

彼は今までの見るからに見すぼらしい乞食のような靴や帽子や洋服を捨てて、
かなり紳士らしい服装を身にまとうことにしました。

住宅も引っ越した。

氏は「類は類を招(よ)ぶ」という真理にしたがって、
できるだけ知名の富める人々と交際しはじめました。

すると、そこから氏の運命はひとりでにひらけてきました。

氏の快活な挙動、紳士らしい服装、自信のある態度は
人々に氏を信用ある人物と認めしめるようになったのであります。

氏はついにある人から大事業を託されるにいたり、
それが氏の今日千万長者たる端緒(いとぐち)になったのであります。



金銭的成功を名誉ともなんとも思っていない本書の多数読者には、
この話は大して興味をそそらないかもしれません。

が、この実例によっても、境遇でも運命でも、
自分の心の変化でどうにでも自由にできるという例証にはなろうと思います。

心が一切の元であるから、境遇でも運命でも心しだいで思うとおりにねじ曲げられる
―― こういう真理を「生長の家」が発見したということはただ富だけの問題ではない、
健康だけの問題ではない、もっと深い問題、人間の無限性、人間の自由性が悟られるので
尊いのであります。


・・・ここで筆(?)をとめてしまうと、”ガラスの仮面 さま”に申し訳がない気が致します
   ので、ヒントとなるかも知れないお話を次に紹介いたしたいと思います。

   それは、記事 (6660)で、谷口雅春先生がご紹介の「鵞鳥(がちょう)が黄金の卵」の
   反面教師的な部分のお話です。

   (イソップ寓話「鵞鳥と黄金の卵」より)

鵞鳥(がちょう)が黄金の卵を生むようになったあと、農夫は初め信じられなかったが、
来る日も来る日も同じことが起きて、やがて農夫は大金持ちになりました。

富が増せば増すほど欲が出て、農夫はせっかちになっていきました。

1日1個しか産まれない黄金の卵が待ちきれなくなった農夫は、
腹の中の卵を全部一度に手に入れようと鵞鳥の腹を開けてしまう。

しかし、腹の中に卵はなく、鵞鳥まで死なせてしまう。

・・・というお話です。

人は目標を達成する(黄金の卵を手に入れる)ことには執着しますが、
そのための資源や達成する能力(鵞鳥)には配慮しないことが多々あります。

この寓話が教えている教訓は、

「欲張り過ぎて一度に大きな効果を得ようとすると、
その効果を生み出す資源を失ってしまうことがある」

ということです。

目標を達成することはもちろん大事ですが、その効果を生み出す資源や能力についての
ケアやフォローが大切であること、そして一歩一歩着実に歩みを進めることが必要となります。

便利な機械もメンテナンスを怠れば後々大きな出費につながります。
周囲の仲間との良好な関係やフォローを怠れば、これも大きな壁となって立ちふさがってしまいます。

例えば、整理整頓をしない子供に対し、片づけることにばかり目を向けてしまうと、
片付けするよう終始小言ばかり言っているということにもなりかねません。
しまいには脅したり大声で叱ったりということになりがちで、子供のやる気を削ぎ、
大切な鵞鳥の健全な育成を阻害することになってしまいます。

(的外れであれば、ご容赦願います)

           <感謝合掌 平成25年4月1日 頓首再拝> 

多面、奥行き (7436)
日時:2013年04月02日 (火) 23時22分
名前:ガラスの仮面

伝統様
早速のご回答そして鵞鳥の寓話、ありがとうございました。


>谷口雅春先生が説かれたことは多面的であり、奥が深いということです。



伝統様のおっしゃる「多面的」、これで迷ってしまうのです。
「あれっ?これ正反対じゃないの?」なんて思うこともしばしば。

富(金、モノ)に関する体験談を、これまで拾い集めてきました。
模範となるものはないかと思って。
参考になるケース、とても歯が立たないケースなど、
まさに多面的としか言いようがありません。


以下が収集例です。
(生命の實相、無限供給を開く扉、無限供給の鍵、奇跡の時は今、
著名講師の著作、掲示板での紹介例、等々)




八文の定やんが若様に教わった通りに信じ実行し、嫁さんをもらう。
金が全くないのに既に与えられたと信じて祈り、結納金も与えられた。


谷口家のお嬢さん(幼少の恵美子さん?)。欲する菓子の来ることを念じると、
その日か翌日に届けられる。


手の届くはずのない豪華な邸宅が手に入った体験。


銀行に返済する期限の直前に誰かがスーッと持ってきてくれた。


マグロが不漁で一村が危機に。大山先生は監禁状態で、ひたすら聖経読誦。
三隻の内、聖経読誦を続けた一隻だけ、大量にマグロが獲れた。


大山先生は大晦日にありったけの金を子供に与えた。
そのあと縁を絶たれていた兄が突然お金を持ってきた。


大山先生は奇跡と言えるような経緯で家を借りることができた。


イエスが無花果の樹に対して“今後実ることなかれ”と呪う。
翌朝ペテロが見ると、無花果は根元から枯れていた。


熊本の諸竹さん。倒産失業、夫婦別居案、個人指導により夫婦で道路掃除。
その時、隣家の奥さんからパートの誘い。
履歴書を届ける日に寝込み、代わりにご主人が届けると「あなたが履歴書出すように」と。
7人中から1人採用された。


鍼医者の石橋さん。立ち退きを迫られ、雪の日に出ようとすると家主が
「出て行かなくても。客は紹介する。」となった。


板倉さん、家族8人、借金だけ。立ち退くよう迫られる。
金はないけど家探し。家主に立退き料要求した。しかしこれを感謝に転換。
偶然の連続で新築の家が手に入る。


エリヤは祈り召使に見に行かせ、これを繰り返し、ついに雨を降らせた。


コツコツ貯めた百円、自慢して火鉢に落として燃えてしまう。
「もう貯めない、派手に使う。」その後数十万円の貯えができた話。


水田さん「自分は月末まで勘定を見ないが、ちょうど収支が合う。」


質問「ケチの乾は大富豪だが」。
尊師「本当の富は乾のような富ではない。世の中を生かすために使われない金は形だけ、生命がない。血がない。類をもって集まっているだけ。」


質「形だけだとしても集まっているではないか。」
尊師「金を集める名人。一心不乱。目的はどうであれ全生命を出している。
ケチ以上のものが出ている。一種の精神統一。目的物が吸い寄せられる。」


この軸が欲しい。金がない。念の力で半年、一年後に必ず手に入る。
売れない画家。思いがけないところから注文が来る。
売れない彫刻家。必要な時に必要な金が入ってくる。


メンソレータム創業者ヴォーリズ、近江でキリスト教を布教するも困窮。
神に祈る、無名の為替が届く。




類型化してみたり、取り入れやすい順に並べてみたり、試行錯誤しています。
しかし、いまだ定まりません。



無限供給者なる神に焦点を合わせる (7472)
日時:2013年04月04日 (木) 03時46分
名前:伝統

”ガラスの仮面 さま” ありがとうございます。


>「多面的」、これで迷ってしまうのです。

そうですか、どうやら思いは同じようですね。


谷口雅春先生は、真理には、2つある。
それは、絶対的真理と相対的真理である、と述べております。

相対的真理とは、方便による真理であり、対機説法もこれに含まれるような気が致します。
相対的真理は、人・時・処によって、自由自在に説かれております。


「光明道中記」(2月21日 躓かざる日)には、次のように説かれております。

・・・

○真理は時処(じしょ)と人とによって相(すがた)が変る。
  一つの水でも蒸気にも氷にもなるから役に立つ。

○『生命の實相』は両方面から書いてある。

○人事処三相応である。凡そ吾がために躓かぬものは幸いである。

・・・

「富」に関していえば、

その絶対的真理は、「われは、常に、宇宙の無限供給の富の中心にいる」ということになり、
他は、この無限の富に繋がる方法、顕わし出す方法が、万人万様に説かれた相対的真理である
ように感じております。

自分の身に合った真理(相対的真理)は、どれかということは、役割・使命・機縁によって異なり、
それを確認するには、個々人が自分を省みて、探索するしかないのように捉えております。


>類型化してみたり、取り入れやすい順に並べてみたり、試行錯誤しています。
>しかし、いまだ定まりません。

素晴らしい取り組みですね。
是非、輪郭が見えましたら、紹介していただければと、強く念願いたしております。


・・・

以下に、”ガラスの仮面 さま”にご紹介いただきました、「生命の實相第2巻」
《ある米国千万長者による例証》、に続く部分《富の無限供給と循環》の中から
そのまとめの部分(P193〜195)を掲載して、学びを進めて参ります。


          ☆      ☆      ☆

マルクスは唯物史観を説きますが、「生長の家」は唯心史観であります。

近代の経済組織は節約しなければ万一のために困ることが起こる、
という人間の恐怖心が原動力となって築かれたと観るのであります。

この恐怖心がもとになって富が一部に蓄積され、有無相通ずる流通が完全に行なわれないために、
貧富の懸隔がますますはげしくなり、資本家が無資産家を脅かすようになったのであります。

だから、この不完全な経済組織を改造するには、何も制度そのものに斧鉞を加えるにはおよばない。

人間の心からこの恐怖心をとり去り、財をわれわれは蓄積しないでも、われわれの生活に
なくてならぬものは必ず神が与え給う――換言すれば無尽蔵の大生命から与えられる――という
大信念を人間に与えるようにすればよいので、こうすれば財がある一箇所に片寄って有るという
奇形な状態はなくなって、全体の人間に平等に富が循環するようになるというのであります。

本来、神につくられ、神に生かされ、無限供給の神と一体であるところの人間が、
みすぼらしくもその日のパンに困ったり、職業が得られなかったり、免職される心配で
ふるえておらねばならなかったりするのは、実に不合理な話でありまして、
どこかにきっとまちがいがあって、無限供給の配水管に栓がされているに相違ないのであります。
 
このまちがいさえ無くすれば人間は無限供給の泉にふれて、
直接その無尽蔵の供給を受けることができるに違いないのであります。

このまちがいというのがなんであるかといいますと、神の無限供給性を自覚しないことであります。

さきにもいいましたように、人間は本来貧しくあるようには造られていないのであります。
ケチケチせねばならぬようには造られてはいないのであります。
これが「生長の家」の信念であります。

みんな人間は無尽蔵に善いものが充ち満ちているエデンの楽園にすんでいるのでありますが、
いろいろ受けるところに相異があるのは、心だけのものを受けるからであります。

心という器が小さければ少ししか盛ることができないのであります。
心という器が大きい者は多くを得ることができるのです。

聖書に「少なくもてる者はなおうばわれ、多くもてる者はなお与えらる」という言葉がありますが、
この心の法則をいったものでありましょう。

だから心という器を大きくし、富想を持続するようにしさえすれば、
われわれは欲する事物を自分のところへ呼び寄せることができるのであります。

心を大きくするには、神すなわち無限供給者、無限英知者、無限能力者、無限生命者と一体である
との自覚を深めることにまさるものはありません。

かくして無限供給者なる神にわれわれが精神を集中するとき、
同波長のものを呼び寄せる原理に従って、霊知的活動または霊知的微粒子体で互いに交流して、
想念のうちに描いた富を実現することができるのであります。

          ☆      ☆      ☆

           <感謝合掌 平成25年4月4日 頓首再拝> 

今回、おまけ付きで (7503)
日時:2013年04月05日 (金) 23時04分
名前:ガラスの仮面

伝統さま ありがとうございます。


伝統さまおっしゃる「絶対的真理」と「相対的真理」。
「縦の真理」と「横の真理」につながるのでしょうか。

私の周辺では「横」派がほとんど。亡くなった母もそうでした。

「無限供給」についても、似たようなことが言えるように思います。

目的をただひとつ、明確に絞って「与えたまえ」と祈って与えられる、これを「横」としましょう。
   ・祈ったら無名の為替が届いた。
   ・マグロの大漁。
   ・嫁さん。
   ・結納金。
   ・好きなお菓子。
等々。実にわかりやすく、自分でもなんとかできそうな気がする。「癌を治して欲しい」みたいな。

では「縦」はどうか。
   ・絶縁状態の兄が、突然お金を持ってくる。
   ・思いもよらず家主から「出ていかなくてもよい」と引き戻される。
   ・必要なとき必要な金を誰かがスーッと持ってきてくれる。

「縦」を考えていると、無量寿経「食べたいと思うとお膳が出てくる、食べたと念ずるとお膳が消え去る。湯浴みしたいと思うときれいなお湯が、終わったと念ずると自然と去る、これが極楽浄土のありさま」(25巻207ページ)を連想することがあります。

「神の無限の供給の海、神の無限の供給の海‥‥」と言ったところでしょうね。

類型化で比較するなら「縦」の方が上位かなという気がしますが、やはり「横」の方がわかりやすい。
大山昌平先生はまさに字句通り、縦横無尽のように思います。

携帯電話のメモ機能にタテヨコの真理を箇条書きで入力し、
片道約二時間の通勤時に潜在意識に刷り込もうとしますが、それがなかなかどうして‥‥。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
全く蛇足ですが・・・・・
伝統さまは“本流宣言”掲示板でたびたび甘露の法雨の奇跡について紹介しておられました。
ここで私のプチ「体験談」を。

笹子トンネル天井板落下事故から1ヵ月ほど経った、今年の1月のことです。

106歳のガールフレンド(知人のおばあちゃん)に会いに、長野市まで出かけた時のこと。事故の後ですから、普段はやらないのですが、聖経のお守りをバックミラーにぶら下げて出かけました。

行きは何事もなかったのですが、帰りの上り車線は事故のあった場所。トンネルに入ってすぐ、お守りがカタカタと音をたてるのです。

手で握ると止まりますが、離すとまたカタカタ。
トンネルを抜けて5分くらいは続きました。

家に戻って娘に「お守りが守ってくれたのか、それとも迷った霊が助けてほしくてずっと着いてきているのか、どっちだと思う?」と尋ねますと、しばらく天井を睨んでいましたが「着いてきてないよ」ということでした。

この話を聞いた知人(生長の家ではない)が、ぜひにとお守りをひとつ持っていってしまいました。リアガラスには、宝蔵神社のステッカーまで貼って。

すみません、脱線しまして。


神の供給を大きく受けよ (7535)
日時:2013年04月07日 (日) 03時44分
名前:伝統

”ガラスの仮面 さま” まことに、ありがとうございます。

>携帯電話のメモ機能にタテヨコの真理を箇条書きで入力し、
>片道約二時間の通勤時に潜在意識に刷り込もうとしますが、それがなかなかどうして‥‥。

最新のIT機器と機能を活用し、潜在意識に落とし込んでいるその熱き情熱に、脱帽です。



>ここで私のプチ「体験談」を。
>笹子トンネル天井板落下事故から1ヵ月ほど経った、今年の1月のことです。
>トンネルに入ってすぐ、(甘露の法雨の)お守りがカタカタと音をたてるのです。

凄い、素晴らしい体験ですね。
おそらく、「甘露の法雨」を通して「生長の家の大神」が、
”ガラスの仮面 さま”を護り、トンネル内を浄化してくれたのかも知れません。

”ガラスの仮面 さま”が、おまけと謙遜しておりますが、
素晴らしい体験談を、ありがたく頂戴いたします。感謝あるのみです。

そして、さらに伝道につなげておりますこと、ただ、頭が下がります。


・・・以下に、スレッドを進めて参ります。

【神の供給を大きく受けよ】

       *「幸福を招く365章」(P187)より

神より来る資源は無限である。しかしその無限は只存在するだけであって、
具体的に人間のものになっていないのである。

具体的には人間のものとなるには、それをみずから進んで受取らばなれぬものである。

神は光のようなものである。
地上に充ち満ちていても、みずから眼をひらかぬ者には、
神が眼瞼を押しあげて、光を押し込み給うことはないのである。

神は海原の水のようなものである。
大きな容器をもって行って汲めば、いくらでも多く満たしてくれて、
しかし小さな杯をもって汲めば小さな杯の分量しか与えられないのである。

心をひろく持つことである。

           <感謝合掌 平成25年4月7日 頓首再拝>

私的「無限供給」 公的「無限供給」 (7541)
日時:2013年04月07日 (日) 22時31分
名前:ガラスの仮面

伝統さま
過分なお言葉をいただき、実にうれしいです。


“プチ”には後日談がありまして、聖経のお守りを持っていった人が、
その後、少人数グループで旅行をして家に戻ってテレビを見ていたら、
自分たちが通過した直後に多重事故があったそうで、えらく喜んでいました。

じわりじわりと真理の方向へ誘導できるかなと、ひそかに狙っております。


もひとつ、先月我が細君が宇治の10日間練成を受けにいったときのこと。
数人でお茶を飲みながら笹子トンネルの話をしたところ、
その内の1人はお守りを6個買っていったんですと!
鼠算になるとうれしいんですが。

それにしても甘露の法雨はすごい!

宇治では、裁判の争点になっている書籍やお経に、品切れが多くなってきているようで、
いずれお守りも無くなるのでしょうね。淋しい限りです。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ところでスレッド本来に戻ります。
引き続き、体験談のコピーです。


1 小嶋先生
岡崎道場の場所を物色していたとき、尊師が「30畳では狭い。100畳にしなさい。本部に金はないがね。」とおっしゃる。

みんなで会議を開いたが、できるわけがないと言う結論になった。
遅れて到着した方が「無限力」を主張して食い下がる。

それを横で聞いていた山本さんは、自分に金はないが、持っている乳牛を質に入れることにして7万円そっくり寄付した。
後にこの乳牛は品評会で10万円の賞金をとる。

そして最終的には本部から50万円をいただくことになる。
以後、次々と9つの道場ができる。(伝統様 3359)



2 秋月さん
結核をわずらっていたが、生長の家で救われた。数年間社会を遠ざかっていたので、仕事が見つからない。

かねてから導こうとしていた、結核の桧山君と言う苦学生が宿を追われていると聞き、安い療養所を探しに歩いたが、病床が少ない。

最後に訪ねた療養所にお願いしたがやはり超満員。そこの係員がふと「実際、どうにもなりません。近くに間貸しする家があれば繁盛するでしょうが。」と言う。

そうだ自分がやってみたい。生長の家主義の療養所が欲しいな。
そう思いつつ門を出ると、ふと三戸の人家が目に付いた。

最初断られたが、生長の家の話をすると「家賃はいくらでもいいからお貸ししましょう。」と言われる。
谷口先生の許可をいただき「生長の家京都支部見真寮」の看板を掲げることになった。(17巻186ページ)



3 福島さん
結核の自分が救われたので、療養所を作ることにした。
材木を提供する人、大工の手間賃を奉仕する人、土地を献納する人、
完成後の無料修繕奉仕を申し出る人まで現れた。(5巻78ページ)



いずれも生長の家の草創期のことですが、真理に古いも新しいもありません。
いま教団外部の世論は雅宣総裁の辞任か解任、そのうえで教団奪還を目指しているようですが、そうなればそれに越したことはありませんが、そうならなくても良いと考えます。

使命に目覚めた方々が、それぞれに真理を広めていけばよい。
釈迦の2500年、イエスの2000年、そうやって世界に広がっていった。

善鸞がいても真宗は広く日本に根付きました。
天理教、大本教、世界救世教、霊友会はいずれも開祖が亡くなった後分裂しますが、
教団は消滅しませんでした。
立正佼成会は世襲していませんし、金光教は世襲しますが、後に選挙制に移行します。

学ぶ会があり、ときみつる会があり、桃の實会があり、
もっとあって良いと思います。キリスト教の12使徒のように。

現教団は、いずれ本来の生長の家とは異質な団体として生き残るか、
あるいは消滅するかもしれません。

しかし谷口雅春尊師の教えを消滅させることは、人類の大損失でしょう。
イエス・キリスト、釈迦、谷口雅春師は世界三大聖人に違いありませんから。

現教団を奪還できず、その神殿も取り戻すことができなかったとき、
小嶋先生、秋月さん、福島さんの「無限供給」の再現が必要となるのではないか。

どのようなグループが、そしてどなたがその使命を果たされるのかはわかりませんが、
そのときが来たら、ぜひとも一端を担いたいと願うのです。
かならずや「無限供給」の教えが生きてくることでしょう。

伝統さまにも、くれぐれもよろしくお願い申し上げます。私にも機会をお作りください。



◆ 伝統さまのスレッドに触発され、「私的」な無限供給と「公的」な無限供給、
楽しく対話させていただきましたし、教わるところがありました。

私のもちネタは、一応これで尽きました。
これからも伝統さまの掲示を楽しみにして閲覧させていただきます。

合掌 ありがとうございました。

《心の中のアイディアが具象化する》 (7563)
日時:2013年04月09日 (火) 04時45分
名前:伝統


”ガラスの仮面 さま” この度も、素晴らしい投稿をいただき、ありがとうございます。

>“プチ”には後日談がありまして、聖経のお守りを持っていった人が、
>その後、少人数グループで旅行をして家に戻ってテレビを見ていたら、
>自分たちが通過した直後に多重事故があったそうで、えらく喜んでいました。

早速、「甘露の法雨」の功徳がもたらされたようで、すごいですね。

以前のある時期、「甘露の法雨」のお守りを、日本国民全体に携帯させよう!
という運動がありましたが、近い将来、そのような運動が復活することを期待したいものです。


>しかし谷口雅春尊師の教えを消滅させることは、人類の大損失でしょう。
>イエス・キリスト、釈迦、谷口雅春師は世界三大聖人に違いありませんから。

神様が、谷口雅春先生を通して、この世に顕わした教えですから、
必ず大きなうねりとなって、さらに大きな人類光明化運動として展開する時期が
来るものと確信いたしております。

今は、そのための試練の時期のような気がいたします。


>(教団が、今後、どのように推移するにしても)
>かならずや(小嶋先生、秋月さん、福島さんに起きた事例のように)
>「無限供給」の教えが生きてくることでしょう。

真理を普及するための「いのちのゆには」を始めとした
”ガラスの仮面 さま”が述べておられる”「公的」な無限供給”は、
これからも天より、アイディアとして降り注がれるでしょうし、
それを形にする力も与えられることは間違いないことであります。


>私のもちネタは、一応これで尽きました。

種々、教えていただきありがとうございます。

もし、これからも感じることや思い出したことがあれば、
そのときは、是非、投稿していただければ、と密かに期待しております。


・・・以下は、昭和10年頃の、「生長の家」の各種の建物のアイディア
   が具象化していったさまを示した谷口雅春先生のご文章の『光明道中記』からの紹介です。

《心の中のアイディアが具象化する》

    *『光明道中記』(四月九日 善事のみ心に描く日)より

【心そのものは吾らの本体にして病気にかかることはない。(『生命の實相』第四巻)】

心に描くことが第一の創造である。
心に描いた通り形にあらわれるのは第二の創造である。

家は建ち上ったとき初めて建ったのではなく、それは設計家の心に出来上がったとき
既に立ち上がったのである。それよりも更に遡れば、漠然たる建築主の心の中に何となく家を
建てたくなったとき、既にその家は建っているのだとも言えるのであろう。

或る地方では食事のときにする遊戯に「茶柱が建つ」と云って、湯呑に注(つ)いだ茶の茎が
縦になって浮き上るのを楽しんで、左手で箸を拾い上げて袂(たもと)の中に祝福しながら
入れる風習がある。

盛んに茶柱が立つときには、その人の運勢は盛んであり、家なども盛んに建つ。

昭和10年どこへ往っても私の茶碗に注がれる茶には不思議に「茶柱」が立ったと言っていると、
本部の改築が出来上がる、光明思想普及会の新社屋が出来上がる、原宿の学生寮が新築される、
家庭光明寮の第三寄宿舎「愛泉寮」が新築される、研究室の新設等・・・建つ、建つ、建つ・・・

形あるものは、その奥にその形に相応する心の波動(アイディア)が動いているのであるから、
自分の心の世界に「すべて立つ」アイディアが動き出すと、現象界の事々物々にそのアイディアが
映し出されて具象化するのである。

           <感謝合掌 平成25年4月9日 頓首再拝>

既に与えられているものを完全に利用せよ (8667)
日時:2013年05月25日 (土) 04時51分
名前:伝統


       *『光明法語』(5月25日の法語 )より

神の有ち給えるすべての富は既に汝に与えられているのである。
それをみずから取るか遠慮して取らないかは自分の自由である。

次のものを求むるよりも前に、既に与えられているものを完全に保有し、
感謝し、それを働かせているかいないかを反省すべきである。

既に与えられているものに感謝し、既に与えられている自分の富を、愛を、能力を、
深切を、充分人に与え、且つ働かせてこそ、新たなるものを求むるべきである。

その時にこそ神が既に豊かに与えたまうている物を取る力が出来ているのである。

            <感謝合掌 平成25年5月25日 頓首再拝>

富の源泉は神にあり、他の人を幸福にすることが真の宝です。 (8800)
日時:2013年05月30日 (木) 06時38分
名前:伝統


     *松島修・著「聖書に隠された成功の法則」(P193〜198)より抜粋

すべての富の源泉は神にあります。富はよいものです。

ところが、お金についてネガティブな考えを持った人は結構多いのです。
お金を持つことが「よい」とか「悪い」ということではありません。

ただ、お金にはひとつの特徴があります。
それは、「持った人の力を増殖する」ということです。

「貧乏な時には普通の人だったのに、お金を持ったとたんに人が変わってしまった」
という話はよく聞きます。これは、お金が悪いからではなく、その人がお金を持ったために、
悪い面が増殖されたということです。

よい面を増殖させることも悪い面を増殖されることも、それはその人次第です。
お金が問題なのではなく、それを管理する人の心が問題となります。


聖書は、私たちが裕福になることを否定していません。
そもそも、金も銀も含めてすべての富は神の手の中にあり、
神は人に豊かになって欲しいと願っています。


   自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。
   自分の宝は、天にたくわえなさい。     (マタイ6・19〜20)

   あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。(マタイ6・21)

   急に得た財産は減るが、働いて集める者は、それを増す。(箴言13・11)

   初めに急に得た相続財産は、終りには祝福されない。(箴言20・21)

   主の祝福そのものが人を富ませ、人の苦労は何もそれに加えない。(箴言10・22)

   ばらまいても、なお富む人があり、
   正当な支払いを惜しんでも、かえって乏しくなる者がある。(箴言11・24)


注意すべきことは、私たちが百万の富をこの地上に築いたとしても、
死後天国へ持っていくことはできないということです。

また、巨万の富を地上に築いたことも天国ではまったく評価されません。

自分の内側を磨くことと、他の人を幸福にすることが真の宝です。

           <感謝合掌 平成25年5月30日 頓首再拝> 

富を得る10の条件〜その1 (9984)
日時:2013年07月21日 (日) 04時53分
名前:伝統


     *「眞理第五巻 女性篇」(P125〜127)より

富を得る第1の条件は、《富に関して正しい観念を持つこと》である。


先ず清貧礼讃を捨てることです。

多くの高潔な宗教家又は、精神主義者は、克己主義的(ストアてき)な人生観を持っております。
そして、物質的所有は、霊の発達に妨げになるものだと考えたり、
富は天国に入(い)る邪魔者だと考えたりいたします。

この考えを持っている限りは、その人の潜在意識は常にその人の無意識面から、
その人の発案や計画を左右し、天国に入る邪魔者であるところの富が自分の懐に入らないように、
失策行動をとらせるようになるのであります。

それは私の青年時代の体験によって実証済なのであります。
私は聖書を読んで「富める者の天国に入ることの難きこと駱駝の針の孔を通るが如し」
と云う言葉の意味を、文字通り信じている間は、富むことはできませんでした。

生長の家の神観に達するようになってから、思うように富が手に入るようになったのであります。

        <感謝合掌 平成25年7月21日 頓首再拝>

富を得る10の条件〜その2 (10099)
日時:2013年07月24日 (水) 04時54分
名前:伝統

     *「眞理第五巻 女性篇」(P125〜127)より

富を得る第2の条件は、
《富は決して穢(きたな)い物でも、汚(よご)れた物でもないのであります。
その清さ穢さとはその扱い方によって定(さだ)まるのだと知らねばなりません》。


富に対する過大な執着は、穢く感じられるものなのです。
すべて執着は見ぐるしいものでして、
必ずしも「富に対する執着」だけが見ぐるしいのではありません。

異性に対する執着、肉欲に対する執着、名誉に対する執着、食物に対する執着、物的所有に対する
執着なども悉く見ぐるしいものであって、その見ぐるしさは、それが異常に過大になるに従って
見ぐるしく感じられてまいります。

しかし「持たないこと」に対する執着もまた一種の心の凝滞(ぎょうたい)でありまして、
生命(いのち)の自由自在性を失うことになるのであります。

貧乏と云う状態も清貧礼讃と云うことも「持たないこと」に対する執着のあらわれであります。
そこで「持って持たず」「執して執せず」と云う境地になることが必要なのであります。

「持って持たず」と云うことは、何も持たないことではない、その持てる物を私有として持たず、
神のものを預からして頂いていると云うことをハッキリ悟って、預かっているときには
大切に預かっている。

それを出すときには神のものとして執着なしに、最も適当なところへ適当な出し方をする。
そうすると神の御意(みこころ)にかなう程度に従って、
其の預からして頂く富の量が増加して来るのであります。

        <感謝合掌 平成25年7月24日 頓首再拝>

富を得る10の条件〜その3 (10169)
日時:2013年07月27日 (土) 05時06分
名前:伝統

     *「眞理第五巻 女性篇」(P125〜127)より

《富は形の上では物質や貨幣のように見えているけれども、
 その実体は、神の生命(せいめい)、智慧、愛の顕現だと云うことを知らねばなりません》

この富の本質への礼拝が、富を築き、且つそれを正しく扱う上に必要な土台となるのであります。
富を大切に扱うと云うことは、それを「物質的存在」だとして大切にしましたならば、
貧慾(とんよく)とか吝嗇(りんしょく)とか云うことになりますが、

それを神の生命(せいめい)、智慧、愛の顕現として、大切に取り扱い、
いやしくも無駄にしないように取扱うと云うことは、ケチに見えてもケチではなく、
貧慾に見えても貧慾ではないのであります。

富と云うものの本質が神の生命(せいめい)、智慧、愛であるとしたならば、
富は物質的なものではないのでありまして、精神的なものであります。
神の国にある精神的なものが、物質の形表現されているものが富であります。

だから「先ず神の国を求めよ、その余のものは汝らに加えらるべし」と
キリストは教えているのであります。

富を得るには、神の国から、縦に、その富を天降らせて来るのが本当なのであります。
「蠹(しみ)食い錆くさる地に宝を貯うること勿れ]
と言われている所以であります。

吾々の生きる力、生命力、健康、凡ゆるエネルギーの本源が神より来るのと同じように、
富も神から来るのでありますから、それを穢れたるものとして軽蔑するのは無論問題でありますが、
それを使用するには十分気をつけて、それを繰返し濫用しないようにすることが必要であります。

        <感謝合掌 平成25年7月27日 頓首再拝>

富を得る10の条件〜その4、その5 (10214)
日時:2013年07月29日 (月) 04時27分
名前:伝統


     *「眞理第五巻 女性篇」(P125〜127)より

富を得る10の条件〜その4

《富とは金(かね)や貨幣のみだと考えてはなりません》

貨幣は、財の循環流通の象徴に過ぎないのであります。
循環流通しない貨幣は既に貨幣ではないのであります。
無論、富ではありません。

富の本質は、神より流れ出づるものでありますから、神の持ち給う一切の善き物は富であります。

「美」は無論「富」の一種です。
容貌の美、人体の美、衣装の美、家族の美、景色の美 ――
悉くこれ等は富であるのであります。

ですから多くの女性は美容院に通い、美顔クリームや白粉(おしろい)を塗り、
美しき衣装を纏(まと)い、美しき邸宅に住みたがります。

男性も亦、よく似合う洋服やネクタイや靴や靴下の色の配合に心を配ります。

併し皆さん、あなたの眼が美しくなかったら容貌の美の70%は減殺されてしまいます。
若しあなたが斜視であったり、生まれつきの盲目(めくら)であったりしたならば、
いくら美顔クリームや、服装に気を配って見ても、概(およ)そ似合わないことになるかも
知れません。

それでは、あなたは、あなたの其の眼に感謝さないましたでしょうか。

・・・

富を得る10の条件〜その5

《富を得る原則は、現在、頂いている富に、先ず、感謝すると云うところから、
 次の富を受け得る資格が出来ると云うことなのであります》


自分の眼に感謝して、富が増大するなどと思うことは、途方もない無連絡なことだと
考えられるかも知れませんが、多くの人達は既に与えられている「恵み」に対して感謝しない
ために、富むことが出来ないのです。

あなたの眼に感謝しなさい。
頭に感謝しなさい。
毛髪に感謝しなさい。
耳に感謝しなさい。

口に、歯に、舌に、咽喉(のど)に、食道に、胃袋に・・・
すべての内臓に感謝しなさい。

それは健康の道でもありますが、やがてそれがあなたの事業の成功の原因となり、
無限の財福を得(う)るもとになると云うことに気のつく人の少いのは
まことに気の毒なことです。

        <感謝合掌 平成25年7月29日 頓首再拝>

富を得る10の条件〜その6 (10364)
日時:2013年08月04日 (日) 04時36分
名前:伝統


       *「眞理第五巻 女性篇」(P131)より

富を得る10の条件〜その6

《(富を得る原則)
 あなたは食物に感謝しなさい、空気に感謝しなさい。日光に感謝しなさい。
 衣装に感謝しなさい。住居(すまい)に感謝しなさい。その功徳は無限です。》

今の住居に不足を言わずにお礼を言っていると、新しい一層よい住居が与えられます。
感謝の功徳は無限なのです。今年の生活を感謝から出発せしめて御覧なさい。
富は積極的なものの具体化なのですから、どんな豊かな富でも集って来るのです。

        <感謝合掌 平成25年8月4日 頓首再拝>

富を得る10の条件〜その7 (10406)
日時:2013年08月06日 (火) 04時40分
名前:伝統

     *「眞理第五巻 女性篇」(P131〜134)より


《(富を得る原則)
 心の波長をよくするには家族が仲よくなることが大切です。
 特に夫婦の調和と云うことが、事業の発展に大いなる影響を与えるものだと
 云うことを知らねばなりません》

家庭が調和する道を簡単に次に述べることにいたします。

(1)常に明るい言葉を家族互いに話すことにすることです。

  @互いに気が腐るような話をしてはなりません。
   気の腐るような言葉は、気持ちを腐らせます。

   気持ちが腐っている時、生理作用は活発に行なわれません。
   神経痛や脳神経衰弱や、心臓病や、胃腸病を惹き起こします。

  A気が腐って、生理作用が鈍っている時に考えついた考えは、
   あまり好い構想でないのが普通であります。

  B腹立ったときに書いた手紙には取り返しのつかぬ失錯が書かれているものなのです。
   決して腹の立った時手紙を書いてはなりません。
   
   又、そんな時計画した仕事には自己破壊の要素が含まれているものです。

  C言葉は必ず明るい励まし合う言葉のみを語りましょう。
   計画は必ず明るい心で行いましょう。

(2)家庭で咎める心で説教してはなりません。

  @激しい語調を伴った説教は、憎悪を相手につたえるばかりで、
   相手の反抗心を喚(よ)び起こすにすぎません。

  A明るい賞(ほ)め言葉のみが貴方の家族の心を明るく高め上げ、
   その高め上げられた心になって、初めて善い行ないが出来るのです。

(3)意見の違う場合に、直ぐ高い声を出してはなりません。

  @優しい語調で、ハッキリと明晰に自分の意見を述べるのです。

  A必ずしも人間の意見は一致するとは決まっていません。
   立場が異なるに従って、見える相(すがた)は異なるのです。

  B多くの家庭争議は、自分の妻に、良人に、自分と等しい意見にならしめようとして、
   固執するところから起るのです。
   
   民主主義の生活は各人の異なる意見を尊重することによって成立つのです。

  Cどんなに恋愛した上で結婚した夫婦でも、相手を自分の意見のみに
   縛りつけて置こうとすると仲が悪くなるものです。

   これが法則です。

   本当に愛すると云うことは相手を自分に縛りつけて置くことではなく、
   相手を放すことなのです。
   
        <感謝合掌 平成25年8月6日 頓首再拝>

富を得る10の条件〜その8 (10457)
日時:2013年08月09日 (金) 03時14分
名前:伝統

          *「眞理第五巻 女性篇」(P134)より


《(富を得る原則)
  富を得るためには、自分自身が富そのものにならなければなりません。
  富のみが富を呼ぶのです》

鉄に錆をつけて置くと、一層多く錆が出来てまいります。
類は類を招(よ)ぶのであります。

ジメジメした所にはカビが生え、カビは更に湿気を招(よ)びます。
類は類を招(よ)ぶのであります。

それでは富を招(よ)ぶには先ず自分自身が「富」になることが必要なのです。
自分が「貧しい心」を持っていて、
貧乏人が富を追っかけ廻しているような格好では駄目であります。

宜しく、

「われは富を追及せず、われ自身『富』なれば、富はわれを求めて集まって来るのである。」

と心に常に思念して、自分自身が「富」を吸着する磁石的中心にならなければなりません。

        <感謝合掌 平成25年8月9日 頓首再拝>

富を得る10の条件〜その9 (10498)
日時:2013年08月11日 (日) 04時53分
名前:伝統


          *「眞理第五巻 女性篇」(P135)より


《(富を得る原則)
 「我れは神の子なれば、神の無限の富の後継者(あとつぎ)である」
 と常に念ずるように致しましょう》


富は神の表現ですから、神が無尽蔵であると同じように、富も無尽蔵であり、
その現れ方も無限であります。

人がやっている真似だけしか出来ないようでは魅力はありません。
神は新機軸を出すことを喜び給うのであります。

良いことは真似ても宜しいが、その上に必ず何か新しいものを追加し得なければ
神が貴方を此の世に生み出した目的にかなわないのです。

神の智慧を喚(よ)び出しなさい。
常に新しき智慧があなたの心にインスピレーションンとして入って来ます。 

眠りしなに、神想観をして神に祈り、問題を神にゆだねるのです。
必ず、眼が覚めた時か、或は適当な時にその問題を解決する神からの智慧が与えられます。

        <感謝合掌 平成25年8月11日 頓首再拝>

富を得る10の条件〜その10 (10538)
日時:2013年08月13日 (火) 05時01分
名前:伝統

          *「眞理第五巻 女性篇」(P135〜137)より


《(富を得る原則)
  人間に父母があるように、富にも父性原理と母性原理とがあります。》

母性原理とは、ゆたかに「拡げて受ける」心です。

自分で富を受ける分量を少なく限ってはいけません。
あまり大(おお)く貰っては頂き過ぎると考えてはなりません。
受ける気持ちにもケチであってはなりません。

それは欲張れという意味ではありません。

【神は人間を無限に富ませたいと考えていられる、ということを信じなさい】

神の供給は大海の水のようなものであります。
自分の持っている容器(いれもの)が大きければ大きい程沢山汲み取ることが出来るのです。

盃を出せば盃に一杯です。
バケツを出せばバケツに一杯です。
四斗樽(よんとだる)を出せば四斗樽に一杯です。
三十石(こく)も入る酒造樽を出してもやはり一杯頂けるのです。

あなたはどんな樽を出しますか。

それは「受ける原理」で、富の母性原理です。


富の父性原理とは「出して与える原理」です。

「受ける原理」ばかりあっても「与える原理」があなたに調わなければ、
「富」と云う立派な子供は生まれません。

聖書のルカ伝には「与えよ、さらば与えられん。人は量目(はかり)をよくし、
押し入れ、揺れ入れ、あふるるばかりに汝の懐に入れん」と教えられています。

富を得るにはあなたは富の種を蒔かなければならないのです。
今日(きょう)、今からよき種を蒔くことによって新生活を始めようではありませんか。

人を救うことです。
何か人のためになることを毎日一つでもすることです。
読み捨てにしてしまう雑誌でも、役に立て、人を救ってあげることです。

そうすれば必ず人に喜ばれます。
人は神の子ですから、必ず神に悦ばれます。

供給は神から来るのですから、神に悦ばれことをしていたら
必ず無限の供給は与えられるのであります。

        <感謝合掌 平成25年8月13日 頓首再拝>

富を得る10の条件(まとめ) (10563)
日時:2013年08月14日 (水) 04時02分
名前:伝統


(1)富に関して正しい観念を持つこと。

   清貧礼讃を捨てることです。

(2)富は決して穢(きたな)い物でも、汚(よご)れた物でもないのであります。
   その清さ穢さとはその扱い方によって定(さだ)まるのだと知らねばなりません

  @「持って持たず」「執して執せず」と云う境地になることが必要なのであります。

  A預かっているときには大切に預かり、出すときには神のものとして執着なしに、
   最も適当なところへ適当な出し方をすることです。

(3)富は形の上では物質や貨幣のように見えているけれども、その実体は、
   神の生命(せいめい)、智慧、愛の顕現だと云うことを知らねばなりません。

  @この富の本質への礼拝が、富を築き、且つそれを正しく扱う上に必要な土台となる
   のであります。

  A富も神から来るのでありますから、それを使用するには十分気をつけて、
   それを繰返し濫用しないようにすることが必要であります。

(4)富とは金(かね)や貨幣のみだと考えてはなりません。

  @富の本質は、神より流れ出づるものでありますから、
   神の持ち給う一切の善き物は富であります。

  A容貌の美、人体の美、衣装の美、家族の美、景色の美 ――
   悉くこれ等は富であるのであります。

(5)富を得る原則は、現在、頂いている富に、先ず、感謝すると云うところから、
   次の富を受け得る資格が出来ると云うことなのであります。

  @多くの人達は既に与えられている「恵み」に対して感謝しないために、
   富むことが出来ないのです。

  Aあなたの身体の隅々の諸器官に感謝しなさい。

(6)あなたは食物に感謝しなさい、空気に感謝しなさい。日光に感謝しなさい。
   衣装に感謝しなさい。住居(すまい)に感謝しなさい。その功徳は無限です。

  @今年の生活を感謝から出発せしめて御覧なさい。

  A富は積極的なものの具体化なのですから、どんな豊かな富でも集って来るのです。

(7)心の波長をよくするには家族が仲よくなることが大切です。
   特に夫婦の調和と云うことが、事業の発展に大いなる影響を与えるものだと
   云うことを知らねばなりません。

  @常に明るい言葉を家族互いに話すことにすることです。

  A家庭で咎める心で説教してはなりません。

  B意見の違う場合に、直ぐ高い声を出してはなりません。

(8)富を得るためには、自分自身が富そのものにならなければなりません。
   富のみが富を呼ぶのです。

  @類は類を招(よ)ぶのであります。

  A自分自身が「富」を吸着する磁石的中心にならなければなりません。
   「われ自身『富』なれば、富はわれを求めて集まって来るのである。」と思念せよ。

(9)「我れは神の子なれば、神の無限の富の後継者(あとつぎ)である」
   と常に念ずるように致しましょう。

  @神は新機軸を出すことを喜び給うのであります。
   神の智慧を喚(よ)び出しなさい。

  A眠りしなに、神想観をして神に祈り、問題を神にゆだねるのです。

(10)人間に父母があるように、富にも父性原理と母性原理とがあります。

  @母性原理とは、ゆたかに「拡げて受ける」心です。
   神の供給は大海の水のようなものであります。

   【神は人間を無限に富ませたいと考えていられる、ということを信じなさい】

  A富の父性原理とは「出して与える原理」です。
   富を得るにはあなたは富の種を蒔かなければならないのです。

   神が喜ばれることをすることです。
   供給は神から来るのですから、神に悦ばれことをしていたら
   必ず無限の供給は与えられるのであります。

        <感謝合掌 平成25年8月14日 頓首再拝>



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