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 練成会に臨んで内観すること            信濃練成 藤原敏之部長 / 再掲 (8385)
日時:2013年05月14日 (火) 08時15分
名前:童子

       『練成会に臨んで内観すること』




◇偉大な〃神癒の原理〃


 合掌、有難う御座います。
 生長の家大神の御守りと御導きを賜り、尊師谷口雅春先生の御恩徳によりまして、毎回信濃練成に於て神癒と奇蹟とが続出しておりますことを此の上もなく有難く感謝申上げます。


 医学や常識では、到底治る筈が無いというような重患が、一瞬にして消えたり人間業では解決しそうもない困難な問題が、忽ち解消すると言っても、一般には一寸納得出来かね又体験として発表しても信じようとはしないのであります。 其れ程迄に現象にとらわれ、現象を信じ込んでいるのが人間なのであります。 この長きに亘る迷妄を打ち破ることこそ御教えの目的であり、根本的課題であると信ずるものであります。



 『生命の實相』第一巻第三頁に、この神癒の原理が示されているのであります。 『生命の實相の自性圓萬を自覚すれば、大生命の癒力が働いてメタフィジカルヒーリング〈神癒〉となります』 とも御示し戴き又實相圓萬の自覚によって、大生命の治す力が働いてわれわれの不幸を癒して戴くことが出来るとも御教え戴いておりますから、私達は只信じて実行すれば、それだけでよいのであります。



 私は練成の根本方針を、此処のところに於て実施させて戴いております。 御教えが絶対であり間違いないからこそ御教え通りどんな悪性疾患も機能障害もみんな消えて治ってしまうのであります。 別に種も仕掛けもないのであります。 強いて言えば、同じお話しをしても行事をするにしても、形式的とならず、生命が篭り生命を通したものがそこに発現して練成を受けられる皆様の魂を打ち、肉の耳で聞くだけではなく魂で受け止め、身体で受けられる結果神様に直結せられ神癒をお受けになるものと信じます。


 理由は私共にも判らず又治る方々にも判らないのであります。 兎に角人間は少し本を読んで判りかけますと、覚えたものを自分のものだと思い違いしたり、御教えを私有物とし勝ちでありますが、このことは極めて警戒を要することだと思います。御教えを御説き下さる谷口雅春先生も 「自分は教祖ではない教祖は自分を指導して下さる御神霊である」 と申しておられます。 私達は常に神想観して自己を否定し、己れを空しうする時、神に直結し神の導きを戴くことが出来るのであります。



 人間心や人間力で人間が救われる筈がなく、私達が祈りに徹し自己を放下し切った時、神は私達を媒体として働き給い、神智と神愛とを天下し給いて神癒を現わさるものと信じます。




◇神様が直接主催し給う練成



 私達は練成に際して神以外のものを一切認めないよう自己否定の祈りに徹して練成に従事させて戴いております。 随って信濃練成は 『神様が直接主催し給う練成』 であると信じております。


 私達は只奉仕者としてお手伝いをさせて戴くのであり、神意以外のものが混じってはならないと、常に厳重なる内観の下に従事させて戴いております。 話しが上手であっても、行事がうまく行われても、人間によって為されている限り、単なる行事に終り、話しとなります。 救われるのは話しでもなく行事でもなく、そこに神の御降臨があるかないかで決まるものと信じます。



 どれだけ神を現すかが重要な鍵となり、このことを明確にし正しい基盤の上に立って行われる時、上手下手には関係なく必ず成果が上がるものと思います。何故かと言えば、其処に神が現われている時、そことは最高となり最善となりますが、神が現われないでは人間力が主体となり、相対力しか働かないからであります。



 神力は無限でありますが人間力に自ずから限界があり、絶対的な自信は伴わないから、言うこと為すことに権威が無く相手の魂を打つだけの迫力に欠けるのであります。



 御教えは覚えたり、知るものではなく、行ずるのであります。 教えをそのまま実行する時初めて結論となり、金剛不壊の信となり、信は即ち絶対でありますから自信となり、其処に完全な自由が得られるのであります。無碍光如来とはこの様な境地に生きる人を言うのであります。


 『生命の實相』に 「自己を礼拝し自己を讃嘆せよ」 とあり、釈尊が「天上天下唯我独尊」の自覚を得たのも如来以外のものを認めなくなったからだと思います。 この自己を礼拝するということは、肉体人間を礼拝することではなく、「自分が自分と見える侭自分ではなく、神の生命其のものであり無限なるものである」という自覚に到達することでありますから、只話しや言葉だけではなく真実であり、御教え通り如実に実現するところに御教えの真実性と無限の尊さがあるのであります。


2. (8407)
日時:2013年05月15日 (水) 08時07分
名前:童子

◇み教えの基礎をしっかりと



 さて、前おきが長くなりましたが、物ごとは前提となり基盤となるものが一番肝腎であります。 建物でも土台がシッカリしていない所にどんなに立派な建築をしても、すぐガタガタになり壊れてしまう如く、練成の成果もこれ同様でありまして奉仕する者、練成担当自身の心構えが極めて大切であり、ここが狂っていては正しい指導は生れず、どうすることも出来ないと思います。


 ありもしない現象ばかり見て現象処理の方便ばかりと取り組み、心の法則や因縁話だけに力を入れてみても、實相を観る心が開かれないで、迷って苦しんでいる人達は益々判らなくなるばかりであります。



 生長の家の御教えには、縦の真理と横の真理とが明確に区分されて説かれて、縦には 『人間は神の子であり、無限であり、絶対なるものであり、肉体的存在ではなく生命そのものであり、其の生命は即ち神の生命である』 との大前提に立つのでありまして、このことを離れては御教えは存在しないと信じます。


 この御教えの根本であり中心を貫く筋金がシッカリとはいっていなかったならば 『物質は無い、肉体は無い、病気も無ければ不幸も無い』 と横の真理を口で言ってみても、所詮解決は得られないのであります。 病気が癒えるのも、不幸が解消するのも、元々無いものが無くなる丈のことであって、悪いものが善くなったり、あるものが無くなる訳ではなく、本来善なるものが本来の姿に帰るだけのことであります




◇どれだけ相手の實相を拝み得たか



 人間は、現象の悪や不完全なものがあるという迷妄によって、ありもしない苦しみや悩みを造り出しているのでありますから、この根本的な間違いを打ち破る以外に、解決の道は無いと確信致します。 現象の悪に執えられて苦しんでおられる方達は、丁度ありもしない夢を見て夢を本当だとして恐れているのと同様でありますから、夢の中の出来事を解消する為の努力を払う必要もなく、夢が醒めることが根本なのであります。



 私達練成担当者の使命は、この夢にうなされ苦しんでいる人達の夢を醒ましておあげすることだと信じます。 そのことを忘れて一緒になって夢の解決に力を入れているようでは本当の救いとならないのは当然であります。指導する立場にある者が現象や悪を認めて現象処理の方便としての横の真理のみに力を入れて、心の持ち方や、又先祖祀りの形式や、神想観のやり方の上手下手によって問題の解決が決まるというような導き方で根本的な解決の出来る道理はありません。 それだけでは生長の家の肝腎要の神髄が失われ、骨抜きになります。



 救いの顕れるのは本人の自我的努力によるものでは勿論なく、指導者の巧拙によるものでもなく、 『どれだけ相手の實相を拝み得たか』 ということにあると確信致します。 拝むということは人間を拝むのではなく、神を拝むのであります。 相手を人間と見乍ら何程拝んでも、それは拝んだことにはならないと思います。本当に拝むということは徹頭徹尾現象を否定し、人間を否定し切ることであります。


 そこに初めて神を観ることが出来、無条件に拝むことが出来ると信じます。否拝まずにはおられなくなるのだと思います。



3. (8440)
日時:2013年05月16日 (木) 13時32分
名前:童子

 ◇神のみが神を観、生命のみが生命を観る


 生長の家の練成会には必ず『神性開発』という肩書きが附けられのも、この為だと思います。 このことが抜けた場合は、只の練成会となり、他の団体等で行われている単なる集団訓練と変わらないことになります。



 神癒の原理は人間的常識を超越することによって起るのであり、現象の法則を超えた神の世界に於いてのみ現れるのでありますから、常識では納得出来ないのが当然であります。 信ずる者のみに起る現象なのであります。キリストも「汝の信ずる如く汝にまでなれ」と教えております。



 この信とは単に頭で理解するだけではなく、真理に醒め自覚することであり、自覚とは生命で把握することでありますから小賢い者程、人間智が邪魔して自我が捨て切れず、真剣さに欠けたり素直さが失われ本来の相(すがた)を観ることが難しいのであります。



 神のお造りになった世界には、元々聾唖盲も居ないのでありますが現象界には現象界の法則があり、生長の家の横の法則としては仏教でいう三界唯心であり運命や環境は心の影でありますから無いものでも仮りにはあるが如く現れ造ることも出来るのであります。



 病気や不幸等もみんなこのありもしないものをありと想像し思い違いした結果あるかの如く現れているに過ぎないのでありますから、無いものが無いと判れば自然と消えるのであります。このことを離れて生長の家の御教えは存在しないのであります。



 
 唯単にみ教えを受売りするだけの言葉では、中々魂の底には響かないで肉の耳にしか達しません。 正しい祈りにより神想観を通して生命で把握した言葉は只の言葉ではなく、相手の生命に結び附くことが出来るのであります。 「神のみが神を観、生命のみは生命を観る」 とはこのようなところを指してお教え戴いたものと有難く拝受致しております。




 以上は講師として尊い御使命を頂戴致した者が、最も関心を持ち、第一に把握しなければならない最重要事項として、常に自分に言い聞かせ、常に内観を怠らず反省を繰返しているところであります。自我流になった時、御教えを毒し汚すことになりますので、注意が肝要と存じます。


 以上が練成に臨む私の根本とする心的態度であります。

                    『生長の家』誌 47年6月号




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