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大生命の歓喜 (947)
日時:2012年09月01日 (土) 18時22分
名前:伝統

スレッド「聖典書籍の広告コピー 〔戦後篇〕NEW (927)」にて、
広告コピーとして、「聖教『光明法語』」とのご紹介がありました。
 → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=228

童子さまのコメントによると、冠に【聖教】と紹介されたものは見かけません、
とあります。

そこで、このスレッドでは、その『光明法語』(9月の法語 大生命の歓喜)を
味わっていきたいと思います。

・・・

著者(谷口雅春先生)のはしがきより抜粋

「谷口雅春著作集」の第一巻に『光明法語』を選ばれたのは、とりわけ私にとっても
読者にとってもこの巻が最も印象深いからである。

戦争の爪跡がまだ随所に残る昭和二十四年、四季を描いた私の淡彩を四葉挿入し、
和とじちつ入りの香り高い豪華本として世に出た。

印刷・製本事情も未だ恢復せず、諸材料も枯渇していた中で、
当時の著作の編集長の山口悌治氏が心魂傾けて作られたものだった。

今は既に故人である山口悌治氏も霊界で今度この出版物が再び世に出ることを知って、
さぞ悦んでいられることだと思う。

本書はその後絶版となり、復刊の要望が高かったと聞いているが、
格調高い法語は歳月を経て愈々輝きを増していると思う。

これは自分の文章を賞めるのでなく、私の執筆を指導し給う神を讃えているのである。

その第一巻と偕に、続刊の書も繰り返し日々精読いただければ、
生長の家の指導の神・龍宮住吉大神の歓喜の御守護を授かることになり、
光明一元の幸福生活を如実に現象界に実現し得られることなると思う。

       昭和五十九年八月一日    著者識す

・・・

    *「光明法語」(9月の法語 大生命の歓喜)より

九月一日の法語 智慧と愛と美


生命の本源は智慧であり、愛であり、美である。

智慧と愛と美との表現が生命の根本的衝動であるのである。
雪の一片一片の結晶にも、名もない小草(おぐさ)の一枚の葉にも
不思議なる智慧と愛と美とが表現されているのである。

生命は普遍である。
普遍とは何処にも行きわたっている「一」つの存在であると云う事である。

アメリカに生じた禾本科(かほんか)の植物も
アジアに生じたる禾本科の植物も同様の構造をもっている。

アメリカ人も日本人も其の生理的構成は等しい。
全て兄弟である。

           <感謝合掌 平成24年9月1日 頓首再拝>

普遍とその個體化 (973)
日時:2012年09月02日 (日) 08時04分
名前:伝統


    *「光明法語」(9月の法語 大生命の歓喜)より

九月二日の法語 普遍とその個體化

普遍にして無限なる「一」の生命は如何にして自己内在の智慧と愛と美とを表現するかと
云えば、普遍にして無限に行きわたるのは自己そのままでは表現することは出来ない。
普遍なるもの、無限なるものは見えないからである。

表現は何らかの意味に於いて形象化しなければならない。
形象化するためには無限が有限にならなければならない。

普遍者が個別となり、無限者が有限者となるのは自己限定である。
自己限定を通じて神は自己を表現したのである。

           <感謝合掌 平成24年9月2日 頓首再拝>

有限にして無限 (997)
日時:2012年09月03日 (月) 04時22分
名前:伝統


    *「光明法語」(9月の法語 大生命の歓喜)より

九月三日の法語 有限にして無限

人間は普遍なる生命が具象化し、個別化したものです。
それは形に於いては有限であり、個別であるけれども、
本質に於いては普遍であり、無限である。

果たして然らば吾らは形に於いては有限であっても、
その有限の中に無限を表現し得ないことはない。

人間を地球に生えたカビの様に思って其の弱小を嘆くなかれ、
人間は地球に生えたカビ以上のものである。
また「考える葦(あし)」でもない。

人間は無限である。
人間は普遍なる神の智慧と愛と美が最高に表現されたものである。

           <感謝合掌 平成24年9月3日 頓首再拝>

個は如何にして表現されるか (1033)
日時:2012年09月04日 (火) 07時49分
名前:伝統


    *「光明法語」(9月の法語 大生命の歓喜)より

九月四日の法語 個は如何にして表現されるか

普遍が個別によって表現される場合、個別が個別たり得ることは、
彼が他と区別されることによってである。
他と区別されることなければ、何物も表現されないのである。

牡丹の花が美しく見えるのは、周囲の空気に対して区別されているからである。
若し牡丹の花が空気色していて他と全然区別されないようであるならば、
そこには牡丹の花は存在しないのである。

普遍は個別によって表現され、
個別は他と区別することによって表現を完(まっとう)する。
此処に個性の意義がある。

           <感謝合掌 平成24年9月4日 頓首再拝>

個別者の相互関係 (1086)
日時:2012年09月05日 (水) 04時52分
名前:伝統


    *「光明法語」(9月の法語 大生命の歓喜)より

九月五日の法語 個別者の相互関係

個別は他と区別される事によって表現されるのであるが、
ただ区別されるだけでは表現されるものではない。

個別されたる者と、他の個別されたるものとの相互関係がなければ
それは他から認められ様がないから、折角、個別化されたものも表現を完うする事が出来ない。

個別者と他の個別者との相互関係は如何にして可能であるか。
全然彼と是とが別物である場合は、相互関係はあり得ない。

個別者が互いに相互関係があるのは個別者は本来互いに一体であるからである。

           <感謝合掌 平成24年9月5日 頓首再拝>

そのままが完全円満 (1134)
日時:2012年09月06日 (木) 04時54分
名前:伝統

    *「光明法語」(9月の法語 大生命の歓喜)より

九月六日の法語 そのままが完全円満

本来の自然になった時、生命は最も完全に発現する。

愛が若し自由意志による発現でなく、強制的に機械的に行わしめられるものであるならば、
それは妓楼(ぎろう)の主人に強制されて愛を売る売笑婦のそれになってしまう。
愛は自発的であるのが尊いのだ。

愛は自他一体の認識だ。
個別者同士互いに「愛」の感情が起こるのは個別者は、
互いに別物ではなく本来一体であるからである。

また個別者が神に対して「愛」の感情が起こるのは、
個別者は本来、全体者(神)から発した者だからだ。

           <感謝合掌 平成24年9月6日 頓首再拝>

人間に現れる美と荘厳 (1171)
日時:2012年09月07日 (金) 04時34分
名前:伝統


    *「光明法語」(9月の法語 大生命の歓喜)より

九月七日の法語 人間に現れる美と荘厳

個別者(人間)が全体者(神)から発した者であるならば、神の完全円満さや美しさが
個別者に現れない理由は本来あり得ないではないか。

大自然の美や荘厳さは美しい花や巨大なる瀑布(ばくふ)や、渓谷や、滔々たる大河の流れや、
落日などに表現されているのであるが、万物の霊長であり、神が自意識をもって顕現したところの
「人間」なる神の表現に美や荘厳さが完全に表れ得ない道理はないのである。

大自然における荘厳や美は自由選択をもっていない機械的荘厳と美である。

           <感謝合掌 平成24年9月7日 頓首再拝>

人間の荘厳と尊厳 (1210)
日時:2012年09月08日 (土) 04時48分
名前:伝統


    *「光明法語」(9月の法語 大生命の歓喜)より

九月八日の法語 人間の荘厳と尊厳

人間のみが意識をもち、自由意志によって自己の美と荘厳と全と完全さを
自分の選択によって表現することが出来る。
爰(ここ)に人間は初めて神の最高完全たる顕現たるを得るのである。

人間の自由とは、善なるを得ると同時に悪(善の否定)なるをも得る自由だとも言い得る。
一方的に「善しか出来ない」と定められていたならばそれは一種の機械である。
かくて人間は、悪(不健康等)をさえ表現し得る。

併し、吾らは何もかかる否定的なものを選択する必要はないのである。

           <感謝合掌 平成24年9月8日 頓首再拝>

大生命の歓喜 (1247)
日時:2012年09月09日 (日) 06時26分
名前:伝統


    *「光明法語」(9月の法語 大生命の歓喜)より

九月九日の法語 大生命の歓喜

大生命は内に無限の可能性を包蔵し、外に機会ある毎にその内蔵する可能性を顕現しようとする。
而して内にあるものが外に発現せられる時に歓びを感ずるのである。

それは画家が自己の内にある美を絵に表現せられた時に歓びを感じ、
音楽家が自己の内にある感情を音楽に表現せられた時に歓びを感じ、
舞踏家が自己の内にある生命の衝動を舞踏に表現し得た時に喜びを感ずるのと同様である。

大生命は森羅萬象を自己に内在する美と感情と衝動とを表現せんが為に造った。

           <感謝合掌 平成24年9月9日 頓首再拝>

無限の生長と前進 (1273)
日時:2012年09月10日 (月) 08時03分
名前:伝統


    *「光明法語」(9月の法語 大生命の歓喜)より

九月十日の法語 無限の生長と前進

かくて大生命の創造は、大生命の歓喜の爆発であるとも言える。
大生命は内に無限を包蔵するが故に、その表現されるものは常に一層大きく、
一層豊かに、一層美しきものであるほかはない。

それは無限の生長であり、無限の前進である。
時として過去に見出すことが出来ないところの全然新しいものを創造するのである。
その新しき創造はつきることはないのである。

大生命は無限の新しきものを包蔵する。
その大生命が吾らのうちに流れ入って吾らの生命となっているのだ。

           <感謝合掌 平成24年9月10日 頓首再拝>

新しきものの創造 (1315)
日時:2012年09月11日 (火) 04時54分
名前:伝統


    *「光明法語」(9月の法語 大生命の歓喜)より

九月十一日の法語 新しきものの創造

汝らの内に宿る生命は大生命の一部分であるが故に、大生命と同じき本性をもっている。
それ故に絶えず新しきものを創造する事に生命の歓喜を感ずるのである。

大生命は、吾々の一々の小生命を、創造の各々の中心として、
その各々の中心に於いて新しきものを表現し、創造せしめる。

吾々は各々創造の中心として新しきものの表現に創造に歓喜を感ずる。
新しく伸びないもの、新しく創造しない小生命は、大生命に歓ばれることは出来ない。
それは大生命のバックを受けられない。

           <感謝合掌 平成24年9月11日 頓首再拝>

沈滞と頽廃との原因 (1354)
日時:2012年09月12日 (水) 04時42分
名前:伝統


    *「光明法語」(9月の法語 大生命の歓喜)より

九月十二日の法語 沈滞と頽廃との原因

大生命の援護(バック)を受けられないものは、新しい生命の補給を大生命(神)から
受ける事ができない。かかる小生命は沈滞し頽廃し遂に病いを得たり、事業に挫折したりして
自己の運命の進展をみずから停止する事になる。

自己の運命を伸ばそうとする者は常に前進しなければならない。
新しきものを創造すべく努力しなければならない。

若し吾々が決意して新しきものを創造しようとするならば、
それは大生命そのものの意志に一致するが故に大生命が吾々を助けるであろう。

           <感謝合掌 平成24年9月12日 頓首再拝>

大生命の導き (1399)
日時:2012年09月13日 (木) 04時43分
名前:伝統


    *「光明法語」(9月の法語 大生命の歓喜)より

九月十三日の法語 大生命の導き

吾らの生活が大生命の創造に歩調を合わすことをするならば、
大生命は吾々を導いてくれるに相違ないのである。

大生命はみずから大自然を創造すると共に、大生命の自主的支点とも称すべき
吾々「人間」をつくって、「人間」かれ自身に自主独立に創造することをまかせている。

大生命は「人間」に強制することはないが、
大生命は「人間」に対して、恰も総本店のようなものであるから、
「人間」が新しき創造に際して指導をもとめるならば、指導も惜しむものではない。

           <感謝合掌 平成24年9月13日 頓首再拝>

大生命の指導にゆだねよ (1429)
日時:2012年09月14日 (金) 04時09分
名前:伝統


    *「光明法語」(9月の法語 大生命の歓喜)より

九月十四日の法語 大生命の指導にゆだねよ

大生命は小生命に対して指導を惜しむものではないが、
また小生命がエネルギー補給を求めるならば、恰も本店が支店に対して資金を供給するが如く、
吾々に必要な生命力を補給してくれるのである。

大生命が森羅万象の創造主であることが解るならば
大生命は驚くべき精密な設計家であることが判るであろう。

吾々人間の肉体的頭脳が到底設計する事の出来ない精密な構造を
一枚の木の葉にさえも彼は与えているのである。

況(いわ)んや一枚の木の葉にまさる人間を如何に複雑精妙に構造していられるかは
考えてみればわかるだろう。

           <感謝合掌 平成24年9月14日 頓首再拝>

我でやれば失敗する (1454)
日時:2012年09月15日 (土) 04時56分
名前:伝統


    *「光明法語」(9月の法語 大生命の歓喜)より

九月十五日の法語 我でやれば失敗する

頭脳の知恵にのみ訴えて、大生命の導きを受ける方法を講じない者は、本店の指導を
全然除外して支店のみで勝手に振舞おうとするにも似ている。

それは時には好い事もあるであろうが、時には本店の方針にそむく事によって、
除名されたり閉鎖を命ぜられたりする事もありうる。

吾々の真の自由は、大生命の流れを大生命その儘の方向に、
自発的に向かう事によってのみ遂げられるのである。

真の服従のあるところに自由はあり、真に無我のところに自由はある。

           <感謝合掌 平成24年9月15日 頓首再拝>

神の人間創造の目的 (1473)
日時:2012年09月16日 (日) 06時15分
名前:伝統


    *「光明法語」(9月の法語 大生命の歓喜)より

九月十六日の法語 神の人間創造の目的

神は何の為に人間を創造したか。
神は自己を表現する為に人間を創造した。

外から創造したのではなく、神は「内在の生命」として内から創造したのである。

演奏中のヴァイオリンの弓を硝子板に触れると、硝子上にある一定大いさの砂粒が、
その音楽のリズムに従って或いは美しき花模様を、或は美しき波模様をなして
自然に配列されるが如く、

女性の子宮内で細胞分裂をなして行く多数の細胞を、
一定の人間的構造に配するのは生命の律動(リズム)の力である。

           <感謝合掌 平成24年9月16日 頓首再拝>

生命の純粋律動 (1512)
日時:2012年09月17日 (月) 04時55分
名前:伝統


    *「光明法語」(9月の法語 大生命の歓喜)より

九月十七日の法語 生命の純粋律動

生命の純粋なる律動は感情である。
感情は音楽とひとしく、知的な、又は理論的な根拠は伴わない。
それは理窟なしにただ動く生命の純粋なる波動である。

しかしそれが既に波動的にあらわれた結果を理解すれば、
それは知的な理論的な構成をもっているであろう。

それは純粋感情の創造せる結果を知的に分解したに過ぎないのであって、
「知」の創造ではないのである。
「知」は創造の結果を分析して体系づけるに過ぎない。

創造は感情によって行なわれる。
愛は感情である。

           <感謝合掌 平成24年9月17日 頓首再拝>

神の生命の歓喜 (1535)
日時:2012年09月18日 (火) 07時58分
名前:伝統


    *「光明法語」(9月の法語 大生命の歓喜)より

九月十八日の法語 神の生命の歓喜

神は生命の歓喜によって人間を創造したのである。
神は生命の歓喜によって大自然を創造したのである。

美しい緑の若葉は神の生命の歓喜を物語る。
牡丹の豊艶なる、海棠(かいどう)の幽艶なる、白百合の清楚なる、桜の爛漫たる、
梅花の孤峭(こしょう)なる・・・

数えれば限りはないが、いずれも神の生命の歓喜の発露であるのである。
万物は、すべて神の生命の歓喜の発露であり、表現であるが、「神の生命」そのものの
発露であり表現であるのは「人間」である。

人間が喜べば神が喜ぶのである。

           <感謝合掌 平成24年9月18日 頓首再拝>

歓喜の創造 (1588)
日時:2012年09月19日 (水) 04時32分
名前:伝統


    *「光明法語」(9月の法語 大生命の歓喜)より

九月十九日の法語 歓喜の創造

歓ばない人間は、神の生命の歓喜の出口を閉塞するものである。

喜ばない人間は健康になることが出来ない。
喜ばない人間は勝利することは出来ない。
喜ばない人間は如何に盛んなように見えても最後に挫折するのである。

イザナギの神様は「あなにやし、好乙女(えおとめ)」と歓喜して世界を創造したのである。
イザナミの神様は「あなにやし、好男(えおとこ)」と歓喜して世界を創造したのである。

喜ばない人間は創造することが出来ない。
喜びは創造する力である。

           <感謝合掌 平成24年9月19日 頓首再拝>

創造の最初に感情あり (1625)
日時:2012年09月20日 (木) 04時34分
名前:伝統


    *「光明法語」(9月の法語 大生命の歓喜)より

九月二十日の法語 創造の最初に感情あり

最初に感情が動いて、軈(やが)てハッキリした行動又は構図の設計的なものが心に浮ぶ、
それが想念である。

たとえば或る人が腹が立つ。腹が立つのは感情である。まだハッキリした形は心に浮ばない。
軈(やが)てそれが握り拳となる。即ちハッキリした形に思い浮び、それが行動を指導する
ことになるのである。

腹が立つのは悪い方の引例であるが、善い方の例を引けば「可愛い」と云う感情が起る。
それは最初は明確な形を豫想しないが、軈(やが)てそれは愛撫の形をもって顕れる。

           <感謝合掌 平成24年9月20日 頓首再拝>

良き芸術、良き科学 (1661)
日時:2012年09月21日 (金) 04時53分
名前:伝統


    *「光明法語」(9月の法語 大生命の歓喜)より

九月二十一日の法語 良き芸術、良き科学

愛は生命の純粋感情であるから、真の愛のあるところ必ず創造が行なわれる。
愛は愛撫となり、抱擁となり、やがて事物が生み出されるのは、
ただ肉体の子供のみではないのである。

真の愛のないところに優れたる科学も工作も生まれない。
愛さえあれば、愛は次第に明確な形をとって、如何なる知的な作業も可能ならしめる。

想念も実は愛の産物であり、愛は想念となり、行動となり、行動はものを作る。

愛せよ、先ず真に愛せよ。
愛の足りない仕事は必ず何処かに欠陥がある。

           <感謝合掌 平成24年9月21日 頓首再拝>

全てのものを愛せよ (1703)
日時:2012年09月22日 (土) 04時07分
名前:伝統


    *「光明法語」(9月の法語 大生命の歓喜)より

九月二十二日の法語 全てのものを愛せよ

汝の親を愛せよ、汝の子を愛せよ、
汝の良人を愛せよ、汝の妻を愛せよ、
汝の兄弟を愛せよ、汝の姑舅を愛し、汝の婿又は嫁を愛せよ。

汝の国の人民を愛せよ、人類を愛せよ、すべてのものを愛せよ。

そこから無限の力がわき出て、無限の創造が行なわれるのである。
併し愛することは執着することではない。
愛するとは彼の生命(いのち)を彼の生命(いのち)そのものたらしめることである。

牡丹をして牡丹の花をひらかしめ、朝顔をして朝顔の花をひらかしめることである。
”もの”そのものの生命を解放して自由ならしめるが愛である。

           <感謝合掌 平成24年9月22日 頓首再拝>

愛と執着とは異なる (1721)
日時:2012年09月23日 (日) 04時10分
名前:伝統

    *「光明法語」(9月の法語 大生命の歓喜)より

九月二十三日の法語 愛と執着とは異なる

小鳥をして籠の中に押し込むのは真の愛ではない。それは執縛であり執着である。

日本の言葉は執縛をも執着をも、ともに「愛」と云う語をもって呼ぶことがある。
それ故に、「愛する」と言いながら相手の生命を縛ってしまい、
相手の生命を伸びられなくしてしまい、相手の生命を殺してしまうことさえ往々ある。

多くの母親は子供を愛するが故に執着し、心配して、子供の病気を重からしめたりする
ことが往々あるのである。愛すると称して自分の自由に相手を縛るものは煩悩に過ぎない。

           <感謝合掌 平成24年9月23日 頓首再拝>

真の愛は放つ (1760)
日時:2012年09月24日 (月) 04時25分
名前:伝統


    *「光明法語」(9月の法語 大生命の歓喜)より

九月二十四日の法語 真の愛は放つ

真の愛は放つということである。
そのものの生命(いのち)のままにそのものを行かしめることである。

朝顔の蔓(つる)に牡丹の花を咲かせようとすることではない。
小鳥を籠の中に閉じ込めることではなく、自由に山野に放つが如く、
自分の子供を放つと云うことである。

個人個人は神の創造の一つ一つの中心であるのである。
個人個人の自由を縛るのは、神の創造の一つ一つの中心を束縛すると云うことである。
それは個人に対する冒涜であるばかりでなく、神の創造のみわざに対する冒涜である。

           <感謝合掌 平成24年9月24日 頓首再拝>

人間は神の創造の中心 (1790)
日時:2012年09月25日 (火) 04時52分
名前:伝統


    *「光明法語」(9月の法語 大生命の歓喜)より

九月二十五日の法語 人間は神の創造の中心

人間が神の創造の中心である事がわかるならば、
人間は大いに自己を尊敬し、又大いに自重すべきである。

神の無限力が、自己の「個性」を通じてあらわれようとしているのである。
そこには「個性」と云うパイプと其処を貫き流れている大生命の力とがある。

パイプの小なることを見て、そこを貫流する生命が小さいと思ってはならないのである。
そこには大生命が滔々乎と流れているのである。

大生命がみわざをなし給うのである。
”大生命は自分の生命そのものである”。

           <感謝合掌 平成24年9月25日 頓首再拝>

想念感情は同類相(あい)引く (1846)
日時:2012年09月26日 (水) 04時41分
名前:伝統


    *「光明法語」(9月の法語 大生命の歓喜)より

九月二十六日の法語 想念感情は同類相(あい)引く

大生命は流れるが、どんな形に流れさせるか。
大生命は創造するが、どんな形を創造させるかその形を決定し、
創造されるものの姿を決定するのは、自分の感情であり、想念である。

それは類似の波長は共鳴し、相牽(あいひ)くと云う法則に随って、
明るき感情は明るき想念を呼び出し、明るきものを創造せしめる。

暗き感情は暗き想念を呼び迎え、暗きものを創造せしめる。

一瞬時と雖も暗き感情をもつ事は罪悪である。
罪悪とは本来の明るい姿をツツム事である。

           <感謝合掌 平成24年9月26日 頓首再拝>

明るさの善徳 (1901)
日時:2012年09月27日 (木) 04時56分
名前:伝統


    *「光明法語」(9月の法語 大生命の歓喜)より

九月二十七日の法語 明るさの善徳

あらゆる善徳を備えていると見える善人でも、心に明るさを失っている者は真の善人ではない。
あらゆる悪徳の中で「暗い」と云う事はすべての善を悉く覆して反対効果に変じてしまう程の
力をもっているものなのである。

心に明るさを持つと云う事は、大生命の貫流するパイプを掃除するにも似ている。
心が暗いと云う事は、大生命の貫流するパイプをつまらせて置く様なものである。

大生命を自分の内に流れ易くならしめるのが明るさの徳である。

何事にも執(とら)われない自由自在な実相そのままの明るさにならねばならぬ。

           <感謝合掌 平成24年9月27日 頓首再拝>

個性を通じての表現 (1943)
日時:2012年09月28日 (金) 04時53分
名前:伝統


    *「光明法語」(9月の法語 大生命の歓喜)より

九月二十八日の法語 個性を通じての表現

神は自己を表現するのに、普遍であるばかりでは自己を表現することはできないのである。
普遍に満ちているものは空気の如く、エーテルの如く、それは何らの表現をもなし得ない。

表現は個性を通じてのみ行なわれるのである。
表現されたものは何らかの意味に於いて個性を有する。

桃には桃の個性があり、梅には梅の個性がある。
幾千個の桃にも決して同じ桃と云うものはないのである。

人間の個性も千差万別であって、同じ個性はない。
神は無尽蔵である。

他の人を自分の如くならしめようと縛る心を起してはならぬ。

           <感謝合掌 平成24年9月28日 頓首再拝>

神に一致する個性 (1993)
日時:2012年09月29日 (土) 04時32分
名前:伝統


    *「光明法語」(9月の法語 大生命の歓喜)より

九月二十九日の法語 神に一致する個性

神に一致する事は決して個性を没却する事ではない。
梅は純粋に梅の個性を発揮する事が神に一致する事なのだ。
桜は一層純粋にその個性ある美を発揮する事が神に一致する事なのである。

神は梅を通して自己の無限個性の一部を表現し、
桜と通して自己の無限個性の一部を表現し給う。

神は「無」にして「一切個性」であると言い得る。
一切個性が「無」の一つに統一せられてあるのが無相の神である。

七色が統一されて無色の太陽光線になっている如く、
神に於いては一切が内に包容されていて無なのである。

           <感謝合掌 平成24年9月29日 頓首再拝>

協力の美しさ (2025)
日時:2012年09月30日 (日) 04時51分
名前:伝統


    *「光明法語」(9月の法語 大生命の歓喜)より

九月三十日の法語 協力の美しさ

個性が完全に発揮されたとき、それは美しい。
梅は梅として美しく、松は松として、竹は竹として美しい。

そしてそれ以上の段階美は如何にして発揮されるか。
それは夫々(それぞれ)に美しい個々のものが互いに協力する事によってである。

例せば松竹梅美しく配置することによって得られる。
互いに和解する事によってである。
天と地と人とは互いにその位置を異(こと)にしながら、しかも一つに渾然と調和する。

それが盆栽や生花(いけばな)の美である。

人間も一個人として無論美しいが互いに和し協力する美は交響楽の様に美しい。

           <感謝合掌 平成24年9月30日 頓首再拝>



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