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中秋の名月 (1997)
日時:2012年09月29日 (土) 05時00分
名前:伝統

明日9月30日は「中秋の名月」。

いわゆる「十五夜」で、旧暦8月15日の満月のこと。

旧暦では7月、8月、9月の3ヶ月が秋にあたるのですが、
8月はその真ん中の月であるので「中秋(仲秋)の名月」と呼ばれています。

【中秋】 (1)秋を三分したなかの秋。仲秋。 (2)秋のまんなか。陰暦八月十五日。

【仲秋】 秋三箇月の中の月。即ち陰暦八月。中商。なかのあき。
     八月十五日を指す中秋は、これとは別の語。

一般的に、お月見の日(旧8月15日)に見える月の場合は
「中秋の名月」と書きます。


十五夜に欠かせないのが、「月見団子」と「ススキ」。
昔は里芋を蒸して供えていたことから、十五夜の月は「芋名月」とも呼ばれていましたが、
月見団子はその里芋を模したものといわれています。

これは、京都などの関西圏の月見団子が丸型ではなく、
里芋の形に似せた細長い餅に餡を巻き付けた形状であることからも伺えます。

また、十五夜の習慣が定着し始めた江戸時代には、その年の月度の数だけ
(江戸時代は旧暦なので年により月の数が増減する)月見団子を供えるのが目出度いことと
されたそうで、普通の年は12個、閏年には13個の月見団子を供えたとか。

また、十五夜のときに15個、十三夜のときに13個供える地域もあるそうです。


ススキは、供えたススキを家の軒に吊るしておくと一年間病気をしない、
という言い伝えが全国に分布しています。


ちなみに、一般的によく言われる「名月」という言葉は正しくはこの旧暦8月15日の
十五夜の満月のみを指し、旧暦8月以外の満月は「明月」という書き方になるんだとか。


また、日本では8月15日だけでなく9月13日にも月見をする風習があり、
こちらは「十三夜」、「後の月」、「栗名月」とも呼ばれています。
十三夜には、月見団子の他に栗や枝豆をお供えします。

各地には「十五夜をしたなら、必ず十三夜もしなければいけない」
という言葉が伝えられており、片方だけの月見を嫌う風習があったようです。

(平成24年の十三夜は、10月27日となっております)

           <感謝合掌 平成24年9月29日 頓首再拝>

「月」に喩えた、尊師の説法 (2027)
日時:2012年09月30日 (日) 04時56分
名前:伝統

(1)山雲海月

   中秋の名月から、離れますが、「月」に関連し、以下に、
   「谷口雅春墨滴集」より、「月」を含む書から、拾ってみました。

    68 海月澄影清 (海月澄みて影清し)

   166 海月澄影無

   236 月澄而無影天地一新

   308 山雲海月相共語

   424 白雲去来而其跡無海月懸天無影(白雲去来して其の跡無く海月天に懸けりて影無し)

   ・・・

   *(山雲)海月の意味は、「一切のこころ」。
    山雲海月については、『碧巌録』第五十三則 にあります。


(2)『大般涅槃經解釋』(P106〜P107)より

   「如來の本性は生滅なし」 月喩品十五

        (ここには、月を使って人間の實相の素晴らしさを説いております)

   釈尊はそのとき迦葉に対(むか)って、

   「たとへば、お月様が山の端(は)に隠れたのを見て、人は皆“月が没した”と言つて
   月が没したといふ想ひを起す。しかも、本當はお月様は没したのではないのぢやよ。
   やつぱりお月樣はをられるけれども、蔭になつて見えないだけぢやよ。

   そして又地平線上にお月樣が見えて来たら、“お月樣が出て来た”と言ふ。
   しかしお月樣そのものには出没といふことはない。

   何故(なぜ)かといふと、須弥山の影になつたり、ならなかつたりして、
   此方(こちら)から見たら、没したり出たりするやうに見えるだけのことぢやよ。

   應供(おうぐ)、正遍知(しょうへんち)といはれる如來もまたその通りぢやよ。

   三千大千世界に充ち満ちてをつてどこにでも出現する。
   あるときは地球上に出現して父母の体内から出生したように見せると、
   衆生たちは“閻浮提(えんぶだい)に釈尊がお生れになつた”などと言うのぢやよ。

   或はこの地球上で涅槃に入(はい)つたやうに見せると、
   “如來さまは涅槃にお入りになつた”と悲しむ。

   しかし、如來の實性(じっしょう)、本當は涅槃に入るなどといふことはないのぢやよ。

   それは月が山の端(は)に隠れたときに、“ああ月が没して無くなつた”と
   歎(なげ)くやうなものぢや。

   善男子よ、如來の本性は、實は生滅などは無い。
   衆生を教化せんがために生滅があるかの如く見せるだけのことぢやぞよ」と
   仰せられました。


   (これは、釈尊だけでなくすべての人々の事でもあります)


(3)さて、今日9月30日は、満月で、中秋の名月です。

   《多くの場所で、中秋の名月を仰ぎ、拝せますよう、お祈り申し上げます》。

   なお、「生長の家“本流宣言”掲示板」内の「中秋の名月 (4406)」にも
   「月」に関連し、非常に意味深い内容の記事がありますので、
   参考にしていただければとも思っております。

    → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=907

           <感謝合掌 平成24年9月30日 頓首再拝>

伝統様、ありがとうございます。 (2028)
日時:2012年09月30日 (日) 07時20分
名前:道産子

掟を破りて(^.^)闖入させていただきます、ご容赦を。

私、俳句も少々ひねったりするのですが(^.^)、本当に「月」の旧暦には惑ってしまいます。

ご説明でよく判るところもありました、ありがとうございます。

「月」の項の歳時記にはすべて新暦月日もメモして氣をつけています。

今日は台風で中秋の名月もお隠れになり、なにやら日本、生長の

家の現状を象徴する事態にはなりましたが、雅春師の御教えを信じて参りたいと思うばかりです。

「谷口雅春墨滴集」素晴らしいものです、雅春師の書道?はどこ

でお習いになったのか、字の崩し方(行書、草書など)なども本

当に正しいもので、感銘いたしております。

私は、仙崖和尚の書画をこよなく愛しておりますが、やはり雅春

師の方が一歩も二歩も優っているのでしょうか(~_~;)

ふと、伝統様のこれも、すばらしきご投稿が目に止まりましたので、私なりの拙き感想を述べさせていただきました。

ありがとうございます。北海道も天気予報に逆らいて、早い台風影響の大雨となっております。

伝統様、ありがとうございます(~_~;) (2067)
日時:2012年10月01日 (月) 08時20分
名前:道産子

仙崖和尚VS雅春師の書(画)について、言葉足らずで落ち着きませんでしたので一言付け加えさせてください。

丁度今朝、出光カレンダーの10月をめくりましたら、写真のような仙崖和尚の書が現れました。

すごい達筆です(^.^)、書体、筆体?は流石に江戸時代の方、惚れ惚れするような「流れ」です。

「学ぶ会」誌では毎月雅春師の珠玉の如き書が紹介されています。恵美子先生監修の墨滴集も我が家のお宝になっております。

あ〜、こういう字が書きたい!、そんな私の究極の書、ふたつです。

写真の解説は次の項に載せておきます、ご参考になられる方もひょっとしておられるかもしれませんので(^.^)

ありがとうございます。闖入を終わります。お赦しください。

書の意味です(^.^) (2068)
日時:2012年10月01日 (月) 08時22分
名前:道産子

深いですよね・・・。

太宰府にて (2073)
日時:2012年10月01日 (月) 11時07分
名前:童子

 闖入です

 道産子様が提出されました仙崖和尚の「太宰府」で思い出しました


 二十数年前、森田征史氏が福岡教化部長として着任されたときの挨拶で
 太宰府の歴史に触れられ、『私は古人の心に倣って防人になる』と
                  (※この件は後日機会があれば)

闖入、ありがとうございます。 (2080)
日時:2012年10月01日 (月) 17時38分
名前:伝統


”道産子 さま””童子 さま” いつもありがとうございます。


”道産子 さま”
仙崖和尚の書の紹介、ありがとうございます。
意味深い内容に、考えさせられました。

谷口雅春先生の「墨滴集」をお持ちのようですので、
この掲示板にても、その書の写真を、少しずつで結構ですので、
掲示していただければと、念願しております。

・・・

”童子 さま”
>二十数年前、森田征史氏が福岡教化部長として着任されたときの挨拶で
>太宰府の歴史に触れられ、『私は古人の心に倣って防人になる』と
>(※この件は後日機会があれば)

是非、機会をつくっていただき、紹介していたければ、と思っております。


以上、お願い申し上げます。

           <感謝合掌 平成24年10月1日 頓首再拝>

伝統様、童子様ありがとうございます。 (2102)
日時:2012年10月02日 (火) 08時25分
名前:道産子

仙崖和尚の書もすごいんですが、「画」もまた全くプロの技です。雅春師とはやはり比較はできないかもしれません(^.^)

いま、伝統様の(童子様のご投稿もしっかり<でもないですが(^.^)>見させていただいております)別稿の「阿部新総裁への提言」(RPE?に拠る)を読ませていただき大いに勉強になりました。

4000円だか、5000円だかのカツカレーを昼食に摂ったとかでも騒がれていましたね(^.^)

ぬらりくらりしたどじょう政権から、しっかりとした日本文化に支えられた鰻(^.^)政権で立て直しを願うばかりです。

「墨滴集」の紹介は、さて、私のバカチョンカメラ(^.^)で写し獲ることが可能か?をクリアすれば実に有意義なことですからできないことはないでしょうが・・・。

師の書は本当に巧み+真理の書ですから、皆に観ていただきたいものです。「学ぶ会」誌でも観られますが。

昨夜はブラインドの隙間から煌々たる(ほとんど)満月が差し込んで来ました。

私の以前の拙作(^.^)を恥を忍んで披露します。

 枕辺に白き光の置かれたり ブラインド越しの十六夜の月光

ありがとうございます(~_~;)

伝統様ありがとうございます。 (2132)
日時:2012年10月03日 (水) 08時16分
名前:道産子

いろいろ悩みましたが、早速、雅春師の書を取り敢えず載せてみました。

折しも、NHKで柿沼康二なる書道家が「型(基本)を吸う(学

ぶ)、はみ出し、型を吐く(己を)」が書道なり、と語っていましたが、

「墨滴集」(恵美子先生精選、でした。貴康先生、荒地浩靖先生、松下昭先生も編集にご参加されていますね)には、雅春師が
昭和38年1月9日に朝日新聞社での講演で、

「本当に生命の躍動する”書”をかくには、一旦書法から入って、更に書法に捉へられずに”無構へ”の心境になって生命そのまゝが動き出すやうにならなければならないのであります・・・」と、やはり前述の柿沼氏にも通じたお話をされています。

もともと、文学、芸術に大いなる資質をお持ちの雅春師は書画にも充分の才能を発揮されたことは「墨滴集」に如実に表現されております。

それらは、数万枚も流布?されて、偽物さえ出たそうで雅春師の
パワーの一端を示すところと思います、スゴイです(~_~;)

で、ここまで書きましたが、問題は、当書は大聖師生誕百年記念出版ですが、平成5年、日本教文社版(当時の社長は現学ぶ会代表、中島省治先生)です。

それで、写真の転載はまずい面もあると思いますので、取り敢えず何回か続けてみて、クレームが入りましたら、即中止いたします(~_~;)

伝統様にお願いです、他稿に独立すると目立ちますので、中秋の
名月も打ち過ぎ、できれば、当稿を貸借させていただきたくお願いいたしたいのですが・・・。闖入から貸借、決してかの国の言うような「盗っ人」ではありませんのでご容赦くださいませんか?厚かましきお願いで、相済みません。

今朝の「書」は宮本武蔵の言葉を師が書いたもの、素晴らしいです。

伝統様、よろしくお願いいたします。
ありがとうございます。

続けて、お願いいたします。 (2158)
日時:2012年10月04日 (木) 05時00分
名前:伝統

”道産子 さま”ありがとうございます。

>伝統様にお願いです、他稿に独立すると目立ちますので、中秋の名月も打ち過ぎ、
>できれば、当稿を貸借させていただきたくお願いいたしたいのですが・・・。
>闖入から貸借、決してかの国の言うような「盗っ人」ではありませんので
>ご容赦くださいませんか?厚かましきお願いで、相済みません。

了解いたしました。大歓迎です。
是非、このまま、このスレッドにて紹介いただきますようお願いいたします。


お願いが一点ほどあります。

その書の読解(何と読むのか)も是非、お願いいたします。
(何せ、書には疎く、読解能力が欠けておりますため〜恥ずかしいことですが)


今回の書は、”道産子 さま”のヒントとして、
「宮本武蔵の言葉」とありましたので、何とか「無構之構」と読むことができました。

よろしくお願い申し上げます。




・・・以下は、”生長の家「本流復活」について考える”にタイミングよく、
   ”志恩 さま”による、宮本武蔵に関する情報がありましたので、
   折角の機会ですので、転載させていただきます。
   ( ”志恩 さま”のお許しをお願いいたします)

   併せて、他の宮本武蔵に関する情報も掲載しておきます。

(1)武蔵流修行法9原則。

  @「よこしまなき事を思う所」
    〜常に良き事、正しい事を思え。邪心を持ってはならない。

  A「道の鍛錬する所」 〜 評論家になるな。実践人になれ。

  B「諸芸にさける所」 〜 芸術でも何でも幅広く学べ。

  C「諸職の道を知る事」 〜 目的をもって他の多くの仕事からも学べ。

  D「物毎の損徳をまきまゆる事」 〜 物事を客観的に強み、弱み、機会、脅威を分析せよ。

  E「諸事目利を仕覚ゆる事」 〜 物事の状況を見通す目利きとなれ。判断力、決断力を磨け。

  F「目に見えぬ所を悟って知る事」 〜 表面の目先の現象に振り回されるな。本質を見よ。

  G「わずかなる事にも気をつくる事」 〜 小事、些事こそ大事。小事にこそ細心になれ。

  H「役に立たぬ事をせざる事」 〜 すべては目的の為にせよ。一切を無駄にするな。

(2)武蔵の『独行道』21ヶ条

   宮本武蔵が、最後に「独行道」を書いたのが死の数日前。
   最後の力をふりしぼって書いたのが、自省自戒を込めた武蔵最後の書『独行道』21ヶ条、

  @「世々の道を背く事なし。」 〜 世の中の不変の真理、道理に背くな。
  A「身に楽しみをたしまず。」 〜 自分には娯楽を求めるな。
  B「万に依怙の心なし。」 〜 えこひいきをするな。

  C「身を浅く思い、世を深く思う。」 〜 自分の事は少々にして、世の為、人の為に尽くせ。
  D「一生の間、欲心思わず。」 〜 人生において欲望を持つな。
  E「我事において後悔せず。」 〜 いかなる事があっても後悔するな。

  F「善悪に他を妬む心なし。」 〜 他人を決してうらやむな。
  G「いずれの道にも別れを悲しまず。」 〜 いかなる場合でも、一切別れを悲しむな。
  H「自他とも恨みか二つ心なし。」 〜 決して恨み心を持つな。

  I「恋慕の道、思いよる心なし。」 〜 恋慕の心一切持つな。
  J「物事にすき好む事なし。」 〜 物事において、風情を求めず、一切好き嫌いするな。
  K「私宅において望む心なし。」 〜 自分の家に一切執着するな。

  L「身一つに美食を好まず。」 〜 美食を求めるな。
  M「末々代物なる古き道具所持せず。」 〜 骨董的価値のあるような道具を所持するな。
  N「我が身に至り、物忌みする事なし。」 〜 迷信、不吉な事を一切気にするな。

  O「兵具は格別、世の道具たしなまず。」 〜 兵法の為の道具以外にはこだわるな。
  P「道においては、死をいとわず思う。」 〜 兵法の道を究めるのに死を恐れるな。
  Q「老身に財宝、所領用ゆる心なし。」 〜 財産、土地を所有する心を持つな。

  R「仏神貴し、仏神を頼まず。」 〜 仏神は大切に崇敬するが、加護は一切頼るな。
  S「身を捨てても、名利は捨てず。」 〜 身は犠牲にしても、名誉、誇りは捨てるな。
  21、「常に兵法の道、離れず。」
    〜いついかなる時でも兵法の道を絶対離れるな。心はすべて常に兵法に投入せよ。

           <感謝合掌 平成24年10月4日 頓首再拝>

伝統様、誠にありがとうございます。 (2163)
日時:2012年10月04日 (木) 07時54分
名前:道産子

無理なお願いを難なく快諾いただき嬉しく存じます。

”志恩 さま”による、宮本武蔵に関する情報まで載せていただきありがとうございます。畏れ多い方ばかりで身が縮まります(~_~;)

さて、早速ですが、武蔵の無構へ之構へ、ですが、ご紹介した講演の最後で雅春師は、

「彼が船島(巌流島)に於いて佐々木小次郎と試合をしたとき彼

は櫂を削ってつくった四尺二寸の樫の木刀をぶらり瓢箪と無構へ

に右手にぶら下げて登場したと伝えられてゐる。構へているとき

は、構へた方向には隙がないけれども、”構へる心”があるとき

には必ず構へない面が出来て、其処に隙ができるのである。本当

にその人が無構へになったとき、その人は、八方正面になって天

地四方自由自在に動けるやうになるのであります。」と仰って、

この後に、昨日の稿で書いた「本当に生命の躍動する〜」書道の極意?が続いて、ご講演は終わるのであります。

今朝の書からは、当稿の「中秋の名月」に相応しいように「月」

の字が書かれたものを続けてみようと思っています。雅春師も月はお好きのようです。

「海月澄無影」・・・、「無」が太く、真ん中で目立っています。

亡くなられる直前の「病無し、迷い無し、罪無し」も連想されます。

海月とは海面に映った月ということですか?

「澄」の字の崩しなど、私どもには難解ですが、師はきちんと会得されておられるのもスゴイところです。

今朝は、このへんで失礼いたします。不要の説明は不要ですから。

ありがとうございます。

続けます(^.^) (2218)
日時:2012年10月05日 (金) 07時59分
名前:道産子

「靖国見真会」参加者様、伝統様、童子様他、すごいパワーで論争盛んです。

雅春師の新刊書、出そうと思えば200冊超、は、また雅春師の

並外れたパワーを伝えるものです。

伝統様の総裁選の「勝に不思議の〜」剣の達人、松浦静山の言葉

は初耳でしたが、何か、ノム監督もつぶやいていたような・・・(^.^)

安藤優子さん、正論吐いていた、ただ、松井ゴジラがお好きでな

かったような印象があったのが・・・、話題が小さいですか(~_~;)

安倍新総裁のかつての「戦後レジームからの脱却」そのように壮大なる構想だったのですね。

今、大いに期待したいものです。健康の件も、是非「学ぶ会」からでも雅春師の「病無し」をお伝えして頂きたいものです。

さて、師の<惚れ惚れする><氣持ちをふっくら豊かにしてくださる>書ですが、

今日は私ごとで恐縮ですが長女の誕生日ですので、その<音>が入った書(やはり月関連)を・・・。

「山雲海月相共語」は、どうも公案「碧巌録」にあるようなのですが、

てっきりアニミズムやら自然愛?、と思いましたら(これが愚人の感じ方)
「話尽山雲海月情」ともあって、腹の底から語り尽くす、の意のようです。(これも私の、例の独断と偏見かもしれませんので・・・)

とかく、流れるように自然自在の師の書でございます。

ありがとうございます。




月夜がないのに、月の書を続けさせて頂きます。 (2244)
日時:2012年10月06日 (土) 07時34分
名前:道産子

このところ、月が見られないお天気続きです。されど、雅春師の書はあくまでも煌々たる、欠けることのない月光を放ってやみません。

ちらと他稿をみますと、「靖国見真会」参加者様の<流れ>でアクエリアン様の、

<仏教学者津田真一氏は、仏教信徒の定義として次のように述べている。

ーーーーー

仏教信者と はブッダの教えを聞き、それを真理として信受 し、それに従って自らの生(レーベン)を実践 的に規整してブッダが教示する宗教理想に帰入 しようとする、つまり、ブッダの思想を自ら生 きようとする人のことである。」
(「アーラヤ的世界とそ神」(大蔵出版)2 38p)

ーーーーーー

今の教団幹部の人たちは、開祖の教えにたいして「真理として信受し」という態度が取れない、非信徒の集まりだ、ということになってしまいますね。・・・>

というお言葉が印象的にすっと胸に入りました。

今朝の書は「竹影 階を拂ひて塵動かず 月 潭の底を穿ちて水
に痕無し」

という明末期の儒者、洪自誠の「菜根譚」からの語で「竹影が階

段に映って(箒のように?)掃いても塵は拂われず、月が淵の底

を照らしても?痕はない」・・・、で「明鏡止水」とか不動心、

即ち心身脱落した自在な境地を表しているようです。

「不動心」なる著書のある松井秀喜はNYで鍛錬しているのかなあ

〜、2世はまだなのかなあ〜(~_~;)

あるサイトでは、軍人、永野修身のこの書が海上自衛隊の幹部学校の記念館に掲げられてあるということです。

後の、雅春師の書「四海波静」にも関連しますので当サイトをご

紹介しておきます。開戦に反対だったという永野修身元帥の立派

な行動が垣間見られて、素晴らしいサイトです。私は今回初めて

見させていただきました。

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1541.html

話は変わりますが、NHKのラジオ深夜便、で只今流れているのは

♪同じ月を見ている(谷山浩子唄)でした(^.^)、そして今朝は

国文学者、中西進さんが「万葉集ー古今和歌集ー新古今和歌集と

これらは天皇政治を盛り上げるために編纂された和歌集なり」と

仰ってました。弥生時代から始まった<大和言葉>(後に外来語

=漢字が来る)のことも、よく理解できました(^.^)。

ありがとうございます。

月はツキを呼ぶ(~_~;) (2289)
日時:2012年10月07日 (日) 07時57分
名前:道産子

朝の太陽(^.^)(でしたか?)伝統様の<言葉の力>〜<天皇即大

宇宙一体の理念>のパワーを心より<讚歎>致します。

勿論、伝統様だけでなく、童子様、コスモス様(NHKによれば今日

の誕生日の花がコスモスだそうです、宇宙を表す花、花言葉に

「調和」が・・・、「大」をつけたいくらいです(^.^))マリーゴ

ールド様、縹様・・・、(順不同(^.^))皆様ありがとうございます。

他稿を垣間見ると、「靖国見真会」参加者様の<千巻”毒”誦>

やら<混ぜると気の毒><教文社を「取締」役>、また諧謔の王

様(^.^)「笑点」ファン様の<経本の「取って替わる、は切り取っ

て貼る>など、小気味の良いウイットが連発しています。昨夜の

国文学者、中西進先生も諧謔、オヤジギャグの必要性を説いてま

した。通り一遍の、決まり文句?だけでは人生に潤いがないとい

うことでしょうか?先生は、また、四書五経の中国(書き言葉で

残された)などと違い、日本には口承=話文化?が特徴とも言っ

ておりました。現代のメール習慣の危うさも憂いておられるように感じられましたが、さて・・・。

雅春師の、今朝の書は「月は圓相 華は爛漫 今此處天國」で

す。説明は不要ですので、今朝はMoon関連の唄(私好みの(^.^))

ご紹介。

直近の話題にもなっていますベートーベンのピアノソナタ14番♪月光、もひとつ、ドビュッシーの♪月の光もいいです。

先日亡くなられたアンデイ・ウイリアムスのMoon River、グレン・ミラーのMoonLightSerenade、軽快ですよね(^.^)、なんといっても(~_~;)プレスリーのBlueMoon、一世を風靡しました、演歌では、昔の(^.^)♪月がとっても青いから、最近では知る人ぞ知る
川中美幸の♪月夜だね、これはいいですよ、だいぶ前ですけど、
佳曲です(^.^)

他稿で大分こき下ろされてましたが、私はジョン・レノンの唄が
(ビートルズの中では)1番好きなんです(^.^)

奥さん、オノヨーコ(日本人)の影響が善くあればよかったのでしょうが、前衛作家ではねえ・・・。ジョンも「笑点」ファン様の仰るようなPeaceLoverだったのでしょうか?

蛇足で、やはり「笑点」ファン様の稿にあった、自由<と>自由<なる>行動、から、

BY <戸>が<鳴る>で、ガタガタです(^.^)

ありがとうございます。




「月」はあと2回(^.^) (2307)
日時:2012年10月08日 (月) 07時38分
名前:道産子

平成24年度のことではありません、雅春師の「月」の書のことです。

「月」のあとに他の、これまた類稀なるものを2〜3紹介したいとは思っております。悪しからず・・・。

今朝の「雲晴れて後の光と思ふなよ 元より空に有明の月」は

法華経にあるらしいのですが、「世の中の凡てのものが、そのま

ま佛の世界になる」「自分が佛」「自分の心が弥陀である」「身

体そのまま浄土」等々を表しているようです。

今日は寒露、北海道でも旭岳に初積雪でぐんと寒い朝となりまし

たが、『甘露の法雨』の「霊」に「仮相(仮のすがた)は永遠

に仮相にして實在となることを得ず。汝ら、實在にあらざる物

を恐るること勿れ、實在にあらざる物を實在せるが如く扱うこと

勿れ。實在にあらざるものには實在をもって相対せよ。真にあら

ざるものには真をもって相対せよ。仮相に対しては實相を以て

相対せよ。闇に対しては光をもって相対せよ。非實在を滅するも

のは實在のほかに在らざるなり。〜」とあるのがこの書に連想されました。

またまた、NHK深夜便ですが、今朝は画家の渡辺隆次さんが、なん

と、八ヶ岳にアトリエを構えて35年とか、当時は道行く高校生

が挨拶をし、村の古老(明治生まれの)とも良き付き合いをして

いたけれども、今や高校生はケイタイに夢中、開発で道路拡張さ

れ、村も断絶、里山は消滅、ご自分で興味を持ったキノコも今や

(全国的に)毒キノコが150種(10種にも満たなかった)に

も増えるなどの変化がみられると。

渡辺さんは森の中で行き倒れ風に土に還り、虫や動物やキノコに

自分の体の栄養分を与えて死んでいきたいという<願望>がある

そうですが、とてもそういう氣にもならぬ現状の里山や森林だと

嘆かれておりました、実に印象的なご述懐でした。

纏まりのない説明になりまして、恐縮しております。

ありがとうございます。

ツキは今日まで(^.^) (2342)
日時:2012年10月09日 (火) 08時11分
名前:道産子

縹様がたの<深い>ご解釈に<阿修羅>のごとくなっている(~_~;)私ではあります。

今朝はまた、NHK深夜便、聴いてしまいました。

インド料理の3代目!G・M・ナイルさんという方、日本大好きの清

元を唄うひとですが、「前進」は過去=父、祖父の足跡を尊んでこそのもの、とはっきりと言っているところなど素晴らしいひとではあります。4代目は柔道(警察?)黒帯、頼もしいと自慢?
しております。

清元ならず、カントリー&ウェスタンも大好き、には私も狂のつく大ファン、共感してしまいました(~_~;)。

2〜300年後にはグローヴァルな地球家族?が出現するとの発言は少々首は傾げましたが、その思いは判る気も・・・。

また、グッド・ニュースは山中教授のノーベル賞受賞、挫折にもめげぬ精進は感動です。

浪速っ子らしき「笑いを取る」ところも余裕でしょうか。
iPSはipadなどに倣った名付けらしいです。

「日本国(日の丸)が受賞」のコメントも立派です。補助は外国の十分の一程度だそうですが。

さて、ツキの最後は「東天日昇西天月下其儘天國」です。

私も与謝蕪村の<菜の花や 月は東に日は西に>を長い間勘違い

していて、これは蕪村が六甲山の摩耶山の、見渡す限りの菜の花

畑?での句らしいのですが、月が東から昇る頃、日は西に沈んで行く、もう夕刻なのだ、の意のようです。

日本では太陽、月、星(北側を除く?)(地球の自転=西から東へ)は必ず<東昇、西沈>だそうです。

180度反対方向に(自動的に)満月がある、夕暮れの美&満月を同時に眺められる時間ということですが、さて・・・(~_~;)
小学校の理科クイズにもあるそうですが、これまた・・・(~_~;)

で、今朝の雅春師の書ですが、書そのものは淡々とした草書体(でしょう?)で<流麗>で美しいものです。

なにか、気恥ずかしいのですが、次回は師の絵のセンス、2〜3載せさせていただき、そのあと、(紹介したい)立派な書がいくつかありますので、伝統様、当稿をもう少しお貸し願います。

ありがとうございます。

雅春師の絵画のセンスも・・・。 (2373)
日時:2012年10月10日 (水) 08時30分
名前:道産子

縹様の「日本の實相がまだ顕現していない、ということでした

ら、日本の別名である生長の家も、實相が顕現していない状態で

仕方ないのではないかと思いました。

単純な事すぎて、気が付かなかったですが、

この二つは、同時進行で實相が顕現していくように思えます。・・・」

に目が止まりました。が、私どもにはなんとも及びもつかぬお考えではあります。
そうであってほしいと祈るばかりではありますけど。

さて、今朝は師の絵を添えた?書を紹介します。なんともお優しい、また厳しき真理のお言葉ではあります。

マタイ伝「山上の垂訓」といわれるイエスのお言葉ですか・・・。

<野乃百合ハ 如何にして育つかを思へ、勞せ須紡がざる奈里>

取り越し苦労(ぐろう、というんですか?)も、悔恨の念も何も要らぬということでしょうか。(短絡的(~_~;)?)

彩色、形、絶妙です、お名前の後に四角に「雅」の字も妙なり。

今朝はこれまでです、ありがとうございます。




そのままに・・・。 (2397)
日時:2012年10月11日 (木) 07時56分
名前:道産子

他稿、マリーゴールド様の「あらゆる宗教の本は日の本であり、

高天原である生長の家だと感じたのでした。

日本精神…きっとそれは日本人のものだけではないのではないか

という思いさえします。

天皇皇后両陛下は、日本だけでなく世界の天皇皇后両陛下であ

り、世界の中心帰一であると感じたのです。

日本国の実相顕現を祈ることは、世界中の実相顕現と人々の神性

を祈ることだと感じました。・・・」が印象的に身に入りました。

いつも思うことは、新聞の皇室関連記事の掲載箇所のこと、さす

が3面にはありませんが、ひょっとすると変なニュースの下段など

にも載せてあったりして、(腹が立つことの多い)取り扱いなの

ですが、あれはどうにかならぬものでしょうか・・・。

今朝の雅春師の書画は、見事な筆致で形の良い大きな糸瓜(へちま)が主題です。

背景の葉もヘチマをよく際立たせて。

「其儘尓 たゞ下りたる糸瓜加奈」・・・、何の衒いもない飾ら

ぬ自然体を表現されたのでしょうか? 師が説かれた、もっと適切なお言葉があるような・・・。

色使いも淡く濃く、絶妙のところがあります。墨画の妙?。

昨日の「野の百合」について、「叡智の斷片」に「野の百合を見

よ、つとめず紡がざる也ー此の境地に達するまでには、異常の精神的鍛錬を要するのである」

と、厳しくもお説きになっていられます。身が引き締まります。

今朝はこれまでです、ありがとうございます。


今朝の富士山は? (2448)
日時:2012年10月12日 (金) 07時56分
名前:道産子

別稿、縹様の<この度の桃の實会の見真会は、聖書に書かれてあ

る通りが実現していたように、私自身は感じております。

 代表の方が、

「総裁先生は、本物と偽物をハッキリと分けてくださいました」

「生命の實相復活の日です」

「今日は、お祝いの日です」

「ご参加下さった皆様は、谷口雅春先生から直々のご招待状を戴

かれた方ばかりです」

「この日を記念に、桃の實会は、学ぶ会の福岡支部になります!」

等々仰られていましたお言葉は、すべて黙示録の予言と一致致します。・・・>

は、意味深いご投稿と印象づけられました。(2437)の<黙

示録との類似点>もよく吟味させていただきます。

「靖国見真会」参加者様の<「退会!」>は、また小気味よく(^.^)
続々続いてもらいたいものです。

童子様の<小林昭三(なんですか、変換で二つ目にぴったり出ま

した!)青年の物語>まさに本流の本流神話です。

今朝の雅春師の書画は、大観もびっくりの富士の素描風に

「胸中 無一物 不掛一絲」です。無一物(むいちもつ、むいち

ぶつ)、不掛一絲(裸、むき出し、「赤」(しゃく)とも?)な

ど、やはり禅語の方の言葉なのでしょうか。

<一切の煩悩を離れた境地>(短絡的(^.^))のようですが、前の

<野の百合>や<へちま>にも通じるものがありそうな感じもいたします。

だけど、この富士の形はすべてを超越してスゴイものだと思いますが如何でしょう。

雅春師の書画は、明日のでひとまず終わります。独断と偏見では

いつかは嫌われますから(~_~;)

ありがとうございます。

光芒とは(~_~;) (2466)
日時:2012年10月13日 (土) 08時00分
名前:道産子

蒼穹様の(2446)<「黴菌や悪霊と和解せよ」と読んでしま

う雅宣氏の真理の理解の浅さ・・・

たとへそのように読んでしまっても、いや待てよ、谷口雅春先生

は黴菌とは和解してはいけないと何処かのご本で書いておられ

た、と気づくのが生長の家の信徒たる者であります。・・・>に

目を惹きつけられました。

今朝の雅春師の書画は水彩画風の、落款もない自然の風景です。

恵美子先生にでも描いてあげたものなのでしょうか。

だけど、これも非常に意味深げな風景で、一般には「光芒」とい

われる雲間から光が射し込んでいるものです。

「慶雲昌光」とも言われ、瑞祥の印であり、旧約聖書では「ヤコ

ブの階段」「天使の梯子」と云われ、GodRays、太陽柱(サンピラ

ー)などとも・・・。日本海軍、朝日新聞旗などにも表現されているということです。

それよりもなによりも、生長の家では雅春師の著書の上表紙の背

面?にデザイン化されたロゴマーク(?)が必ずあります。

光明思想社発行の(立教八十周年記念特別限定版)聖経「甘露一

切を霑す」にも金色に輝く三本の光が萌えいづる芽に射し込んで

いる図が神々しく写されております。

ただただ、ありがとうございますと頭を垂れるばかりであります。




来週金曜日までお願いいたします (2484)
日時:2012年10月14日 (日) 08時10分
名前:道産子

伝統様、貸借中(~_~;)の当稿ですが、今日よりいよいよ雅春師の

入神の書群が目白押しです。

今朝はまず、おめでたく「雙鶴翔遊此處天國」から。

「翔遊」の円やかな筆運びなど実にご自身が闊達に「翔遊」され

ておられる感がいたして嬉しくなるような書になっております。

私事でなんですが、昨年11月ころ長男の家の地鎮祭の時に(鶴で

はありませんが)四羽の白鳥が天空を飛んで(鳴き声もしていた

とも、コウ、コウ〜とか(^.^))南の方へ悠々と行ったことをふっ

と思い出しました。釧路の丹頂は今、千羽鶴内外を数えておるそうです。

旭山動物園のヨーロッパフラミンゴはいまだ捕獲されず紋別のコ

ムケ湖に翔遊中、坂東元(元はお名前(^.^))園長は「飼育動物は

園で終生世話をする」とまだ捕獲を諦めてはいないそうです。

「翔遊」三題、ご紹介まで。

伝統様のお若いのにはびっくり、人間らしさを垣間見て(^.^)うれしく存じます。
ありがとうございます。

「愛国本流」のHPが開けないのを心配しております。たしか信徒

連合様(「生長の家實相顕現の祈り」をお考えになられた)のも

のと思われますが。神想観の最初に、雅春師の「住吉大神の祈

り」の後に唱えさせていただいておりますので、早く開かれるこ

ともお祈りいたします。*信徒連合様は「今昔物語」でした。





「柔者ハ能く剛者に勝つ」。 (2496)
日時:2012年10月15日 (月) 07時57分
名前:道産子

講道館のキャッチコピーのような言葉を、雅春師が筆を振るわれた。

相変わらず力の抜けた、まさに柔者の筆遣いではあります。

「三略」なる中国の兵法書(太公望著作?)にある言葉のようだ

が、北条早雲がその冒頭のみで兵法の極意を悟ったという曰く付きの書です。

即ち、「夫れ主将の法は務めて英雄の心を撹(と)り有功を賞禄

し、志を衆に通ず・・・」に首領の心得を見出したと・・・。

伝統様の今朝の「一度に力を出して置いて、あとはい眠っているのは精進ではない。

兎と亀との競走に於て、のろい亀が勝利を得たのは、亀はたゆみ

なく歩んだからである。・・・」は、この書の言葉には少々無理がありますか(~_~;)

ありがとうございます。「愛国本流」はまだのよう、早くの再開=再会を願っております。当掲示板にご連絡ないのも不思議ですね。


「不」と「無」を加えた雅春師。 (2516)
日時:2012年10月16日 (火) 07時59分
名前:道産子

だと思うのですが、さて・・・。

今朝は横書きで「魚行不水濁」とあります。他に師の書で

「魚行不水濁鳥飛空無痕」なるものがあります。

公案 碧巌録第二十九則に「魚行水濁鳥飛毛落」があって、これは魚が泳げば水は濁り、鳥が飛べば毛を落とす、で、人間も過去には色々と禍根を残す様な行いをするものだ(?)、という意の
はずなのですが、

雅春師は、そこへ「不」と「無」を入れてしまっています。

(あくまでも私の考えですが(~_~;))禅の教えをも超えられた

雅春師の思いが込められた書のように思うのですが、どうでしょう?

連想するのは「続々甘露の法雨」の終盤の一節、

「罪を右顧左眄すること勿れ。迷いを右顧左眄すること勿れ。病

いを右顧左眄すること勿れ。汝ら百尺竿頭より一歩跳ぶべし。

更に空中に遊歩すべし。空中遊歩の神人とは汝らの『生命』の實相なり。・・・」

であります。

(畏れ多くも)この「空中遊歩の神人」こそ雅春師の当該書に込められた意思ではなかったのか、と私は思うのですが、さて、的を得ているや否や(独断と偏見の)私の直感判断ですからどうぞ
よろしくお願いいたします(~_~;)。

「叡智の斷片」に「あまり完全な家相はかえって悪い。満月は翌

日から欠けはじめる。水清ければ魚住まず。どこかぬけたところ

があるのでよいのである。」と、魚関連はございます。

「骨取り魚」売り込み、のニュースもありますね、あまり関連はないですが。

当該書関連とすれば、今朝の伝統様の(2515)の、

<「本来完全円満万徳具有の「真実の完全自己」を諦視せよ。
「真実の完全自己」を想念せよ。
「真実の完全自己」のみを常に語れ。

心の中に、想念の中に、言葉の中に「真実の完全自己」を再発見した時にのみ、
本当に完全なる自己があらわれるのである。>の方が的確かもしれません。

ありがとうございます。

ますます、達筆の書です。 (2540)
日時:2012年10月17日 (水) 08時20分
名前:道産子

本当に寒くなりました。冬支度の季節とはなりました。
今朝の気温はひょっとして、鉢などの取り込み(室内への)の限界、5℃位になっているかもしれません。
まだ、暖房は付けていませんが。

今朝の書は「百華爛漫今爰天國」、すばらしい筆遣いです。惚れ惚れするような見事な出来です。(私が言うような事でもありませんが(~_~;))

内容とて、私が連想するものは、「甘露の法雨」の結びの、

<ーかく天使語り給うとき、虚空には微妙の天樂の声聞え

葩は何処ともなく雨ふりて、天の使の説き給える真理をば

さながら称うるものの如くなりき。>のような景です。

「甘露の法雨」といえば、意外なことに気が付きましたが、皆様

この聖経中に「疑問符=?」などという「記号」が入っていると思われますか?(^.^)

「あ〜、入っているとすれば、あそこかもしれない・・・」・・・、慧眼の方ならすっと閃かれるかもしれません。

そうなんです、「罪」の冒頭のところです、<『罪は實在なりや?』とまた重ねて天の童子は問う。>

雅春師がちゃんとクイッションマークを使っていらっしゃいました。たいした発見でもないでしょうが、ちょっとした驚きでもありました。

もひとつ、「天使の言葉」の最初と、続々「甘露の法雨」の最後に「五彩の虹」なる言葉が出てきて、「あれ、虹は七色では?」

と、不思議に思いましたが、元々、虹は「五彩」のようです。

かのニュートンさんが、それにオレンジの橙とインデイゴ植染の

藍を加えて七色としたという逸話が残っているそうです。

だけど、辞書で引くと、「五彩」は青、赤、黄、白、黒となっていて、虹の色とは少々趣が・・・。

ドイツでは「五彩」、沖縄などは二色(赤と黒<青>)というから面白いものです。

とりとめもない「私事」で聖経に痕を残さぬか心配ですが、どうぞ私人の戯言と認めてご容赦願います。

「百華爛漫」、「百花繚亂」とも言いますか、話題もそのようにすべく企んだつもりですが(実は、もっとあったのですが)、御目を汚しただけかもしれません、お赦しを。

ありがとうございます。

いよいよ、佳境に(^^) (2561)
日時:2012年10月18日 (木) 08時21分
名前:道産子

あす終了予定が、1日延びました。

伝統様、よろしくお願いいたします。

さて、今朝の書に入る前に、昨日の聖経「甘露の法雨」に「?」

記号があるやなしや、で、「罪」の冒頭に一つありましたが、そのあとを唱えると、すぐ、二つ目がありました。

「然らば問わん。汝は罪を以て完全となすや?

此の時天の童子答えて曰くー『師よ、罪は完全に非ず』と。」

計二つございました。

では、今朝の書に。

縦に豪快に「四海波静」・・・、自ずから昭和16年9月6日の

御前会議にて、昭和天皇が(明治天皇の御製を)読み上げられた

ことが連想されます。

<ねずさんのひとりごと>というブログに詳しく載っております

が、一部、写させていただきます。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1541.html

<及川海相が「重点は外交にある」と答えました。
すると昭和天皇は、懐から紙片を取り出され、御自らお詠みになられました。

よもの海
 みなはらからと思ふ世に
など波風の
 たちさわぐらむ

明治天皇の御製です。
四方の海は、みんな同じ人間、同じ家族であり兄弟であると思うのに、なぜ争いの波風が起こるのだろうか。

昭和天皇のこのお言葉に、列席した閣僚たちは、全員、ただうなだれるより言葉がなかったといいます。
しばらくの間、誰もがうつむいてしまい、言葉を発することができなかったのです。言えないです。・・・>

<当時の新聞は、「最早日米開戦止む無し!」「鬼畜米英」「進め!一億火の玉だ」などと特大の見出し文字で無責任に国民世論をあおっていましたが、兵学校から鍛え抜かれた軍人というものは、たいへん教養にあふれ、目先の利益確保などとはほど遠い、深い国家観をお持ちの方々でもありました。

戦うなら、勝たなければなりません。
けれど、敵は世界最強の米英です。
国力も軍事力も、当時の日本の百倍以上の力を持っている。
そういう相手と戦い、日本は勝利を得なければならないのです。・・・>


<この日、しばしの静寂あと、昭和天皇は海軍軍令部総長の永野修身(ながのおさみ)に発言を求められました。
永野はしばしの沈黙のあと、ようやく重い口を開いて、答えました。
そのときの言葉です。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜
アメリカの主張に屈服するというのは、日本が亡国の憂き目に遭うということです。
しかし、戦うのもまた、亡国であるかも知れません。
戦わないなら国が滅び、戦ったとしても国は滅びる。

けれど、戦わずに国が滅びるというのは、日本民族が、身も心も永遠に国を失うことになります。
もし戦い、護国の精神に徹するなら、たとえ戦いに勝てなかったとしても、祖国を護るという日本精神が残ります。
そうすれば、私たちの子孫は、必ず再起し、あるいは三起する。・・・>

すごい覚悟ではあります。長野修身元帥の書については前に

「竹影階を拂いて〜」で紹介しました。

御前会議等については、どうぞ上ブログをご参照ください。
ねずさん、拝借して御免なさい。

もうひとつ、引用させていただきたいのが、「学ぶ誌」平成22年

9月号に載った同志社大学教授 井上雅夫先生の「大東亜戦争を見る眼」です。

<儒学に見られる四海兄弟という言葉も、江戸時代の心学でもし

ばしば使われましたし、明治天皇の有名な御製(略)にも見られ

るように、皆兄弟(ハラカラ)の人間観は広く日本人の中にあったものでした。

これに比べ西洋ではキリスト教において人間は罪人とされただけ

ではなく、人間は来生において天国に行くものと地獄に行くもの

と分けられてきました。・・・>

<しかし、やむを得ざる戦争であっても、一旦始まった戦争に対

しては、大変な苦悩や悲しみの中で日本人は「国之為に」精一杯

戦ったものでした。侵略戦争どころか、苛酷な戦争の中でも日本

人はまじめに誠実に戦っていたことは特筆に値することです。

ドナルド・キーン氏は大戦中、米軍の手に落ちた日本軍の公私

さまざまな文書の翻訳の仕事をしていたのですが、氏は「日本兵

の日記や手紙」を「読み進みうちに深い感動に襲われた」、それ

は米軍兵のものに比べ「圧倒的な感動だった」と述べているのです。

というのも、米兵の手紙が「不平不満のかたまり」だったのに

日本兵のものは「次元が違っていた」のです。・・・日本兵の日

記には天皇陛下のためだとか、東洋永遠の平和のためとか、戦う

ための大義が必ず記されていた」と氏は述べ、「・・・日本人の

ほうこそ勝利に値する人々ではないかと信ずるようになった」と

感銘深く記しています(『日本文学の中へ』)・・・>

長くなりまして、恐縮ですが、今、尖閣、竹島、四海は波荒し、

良き方向へ参りますように・・・。

安倍新総裁の靖国参拝はよかったですね・・・。

ありがとうございます。誤字、間違いあったら、お赦しを。



優勝の決まっていない14日目ですか(^^) (2600)
日時:2012年10月19日 (金) 07時56分
名前:道産子

明日の千秋楽(^^)を控えて、今朝も冷えています。札幌への大動脈、中山峠もとうとう積雪です。

この間、靖国参拝があり、安倍総裁はきちんと参拝、筋を通して。

だけど、羽田国交相が参拝して「(私的参拝であるが)日本から

世界へ発信(表現は?だが)していきたい」とかコメントしてい

たのは何か好印象を得たがどうなんでしょう?

橋下代表はといえば「(日本は)加害国だから〜」なんてことを

コメントしているようでは少々心もとない気もしないではないような・・・。

他稿では、童子様が89歳になられる(10月10日で)恵美子先

生のことを憂慮されていますが、本当にわれらが母であり、姉で

あって欲しい方なのに、裁判にはかり出されるは、息子には怒鳴

られるはで、まさに不遇のときを過ごされています。

救い出す血気盛んな青年などおらぬものでしょうか(~_~;)

今朝の、雅春師の書は「虚空を打破して 實相に超入」・・・、

これぞ「八ヶ岳教団(オフィス(^^))VS本流」を表現したような

心強いお言葉、今、座右の銘にしたいようなよき書ではあります。

本当に全てを悟り、自由自在になっている書の形でもあります。

硬さが少しも感じられません。

先日の「百華爛漫〜」の際に、ひょっとしてと思い検索してみま

したら、なんでしょう、「今の教え」と「本流復活」を考えるサ

イトが真っ先に出てきて(~_~;)、そこでは、硬軟?入り混じりて

の大論争が延々と続いておりました。そのPowerなるやスゴイもの

で、私の眼は遂にはショボショボと成り果てました(^^)。

今、内容はここに引用できませんが、八咫烏様という方のご主張

が(正論として)1番目に止まりました。

もひとつ、検索で大本教主のサイトが出てきましたが、これもカ

ラー付きの豪華なサイトでスゴイPowerを感じるもの、インターネ

ットの威力を強烈に印象づけられた1日でした。なぜ「百華爛漫

〜」でこの二つが出てきたのか不思議な経験もいたしました。

まだまだ書き足りませんが、今朝はこの辺で、あすの千秋楽に備

えます、肉体の力士横綱でないホンモノの横綱登場を祈りて・・・。

ありがとうございます。

千秋楽の柝(き)が入る(~_~;) (2625)
日時:2012年10月20日 (土) 08時01分
名前:道産子

いよいよ最後の書紹介です。少々、緊張気味。

この書で締めたいと思っていました。

「實相」です。

日本国と安倍新総裁に対する『甘露の法雨』讀誦を提唱された

自然っ子様も「實相」御軸の前で讀誦されたと仰ってますね、私にはないので羨ましき限りです(^.^)
安倍総裁の奥様の記事も気にかかりますが、めげずに日本国のために驀進されんことを祈るばかりです。

さて「實相」に就いては、雅春師は、著書「法華經解釋」(佐藤勝身共著)P390にて、

<聖経『甘露の法雨』には佛教とキリスト教の考へを滅茶苦茶に引用してあるといって、彼らは(廃物教=折伏教典を持つ某宗教)批判するのであるけれども、それが単に滅茶苦茶のものだったら、それを受持し、讀誦することによって、あれほどの現實の功徳があらはれるはずはないのである。(中略)

釋尊は如来壽量品に於いて「自分は五百塵点(略字)劫プラス無限時間以前から”さとり”を開いてゐる久遠の本佛である」といはれ、日蓮上人は、「その真理を付属(略字)された上行菩薩はわれなり」といふ風にいはれたが、、キリストは、「この世界の創造られぬ前から神と倶にありたりし我」といはれ、パウロは「最早我れ生くるに非ずキリスト我にあって生くるなり」と宣言してゐる。

黒住教祖も「最早、黒住宗忠が生きてゐるのではない、天照大御神われにあって生くるなり」と自覺して、さしもの重患も治ってゐるのである。
(中略)

その内在の佛性、内在のキリスト、内在の天照大御神が人間の本来の相(すがた)ー實相ーであるから、そのやうな宗派的な名称をつかうと、名前の異なるために他教だと見て、相争ふ見苦しき姿を演ずるから生長の家では單に「實相」と称してゐるのである。>と述べられております。

丁度この辺が某宗教に対して徹底した批判を構えている部分でもあり、以前、縹様かが「和解を解明するに、『法華經解釋」のおしまいの方に答えがある(?)」と言っていたように記憶があったのですが、全く私の勘違いかもしれません。ご容赦を(~_~;)。

余談ではありますが、雅春師の書、の逸話として印象に残っているのは、
誌友のお宅に泊まられて、書をお願いされて、墨を零してしまい、困惑しながらも朝までにそれを修復(^.^)されて、見事に書画
(?)を完成させられた、ということがありました。
よきエピソードです。

「学ぶ誌」には毎号、雅春師の書が掲載されております。私もいつもしみじみと感銘させていただいております。

今回の書の複写も、また文章も誠に拙いものでありましたことをここに深く陳謝し、

当稿を優しく、愛深くお誘いいただきました伝統様、童子様に心よりの「ありがとうございます」を表明し、当稿を終わらせていただきます。

直近の、「靖国見真会」参加者様の(2566)<「訊け」さん、薩摩隼人になるための条件は、 一に 「議をいうな」 二に 「弱者に優しくあれ」 三に 「勇猛果敢であれ」 …でしたよね。

それを今の状況に当てはめれば、「聖典擁護派」は、一に 「議をいうな」行動に移せ! 二に 「弱者に優しくあれ」教団の弾圧に苦しむ同志を救え!  三に 「勇猛果敢であれ」 教団の非を断固、言挙げすべし!

これに尽きると思うのですがね…。>も心に銘じておきます。


また、信徒連合様のお考えになられた「生長の家實相顕現の祈り」を、住吉大神の祈りと共に掲載させて頂きます。


住吉大神(すみのえのおおかみ)の祈り


住吉大神出てまして宇宙を浄め給う

あー、おー、うー、えー、いー、

住吉大神出てましてわが日の本を浄め給う

あー、おー、うー、えー、いー、

住吉大神出てまして生長の家の人々を浄め給う

あー、おー、うー、えー、いー、

雲はれて暁(あけ)のみひかり見え初めぬ
 
 日の大神の稜威(みいつ)われ待つ

あー、おー、うー、えー、いー、

住吉大神すべてを浄め終て天照大御神あれましぬ

       *******

「生長の家」實相顕現の祈り<1>


住吉大神、

「生長の家」教団を浄め給ひて、

その實相を顕現せしめ給ひ、

開祖・谷口雅春先生の御教へを

全相そのままに継承される、

新しき正統の新総裁・新副総裁を

実現せしめ給ふのである。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「生長の家」實相顕現の祈り<2>

<『生長の家』は開祖・谷口雅春先生の本来の『御教え』を信奉

する信徒たちの棲居(すまい)であって『非・生長の家 雅宣

教』の棲(す)み家(か)ではない。『環境の家・雅宣教』には

『環境の家・雅宣教』の棲み家があって、實相の世界に於いて

は、互いに相侵すことなく、完全に調和しているのが生命の實相である。>



十三夜 (2887)
日時:2012年10月27日 (土) 08時21分
名前:伝統


”道産子 さま” ありがとうございます。

その後、次がまた始まるのかな、と淡い期待を持っておりましたが、
本当に、千秋楽で打ち止めになってしまったようですね。

できれば、次に、新たに、新場所として、初日から再開していていただければと、
心ひそかに念願いたしております。

・・・

さて、今宵は、十三夜です。

旧暦九月十三日(平成24年の新暦では、10月27日)の十三夜の月見は、
日本独特の風習だそうで、一説には宇多法皇が九月十三夜の月を愛で「無双」と
賞したことが始まりとも、
醍醐天皇の時代(延喜十九年:西暦919年)に開かれた観月の宴が風習化したもの
とも言われています。

十三夜は「栗名月」とか「豆名月」と呼ばれています。
これはお供えとして栗や豆を、神棚などに供えるからだそうです。

樋口一葉の「十三夜」においては、
「今宵は旧暦の十三夜、旧弊なれどお月見の真似事に団子をこしらえてお月様にお供へ申せし」
とあります。

十五夜はあまりすっきりしない夜空であることが多いのに対し、
十三夜の夜は晴れることが多いようで、「十三夜に曇り無し」という言葉もあります。

今宵の十三夜の月は、微笑みかけてくれますでしょうか?

<Web:十三夜 → http://www.echizenya.co.jp/mini/colum/13.htm >

           <感謝合掌 平成24年10月27日 頓首再拝>

伝統様、ありがとうございます (2925)
日時:2012年10月28日 (日) 08時14分
名前:道産子

なくなりかけた「中秋の名月」が十三夜で甦りましたね。

千秋楽のつもりで終了しましたので、どうぞご了承ください。

雅春師の書画はまだまだ奥深く、何万枚も流布しておるようですし、
とても私ごとき小さきものには鑑賞さえ可能なれど「紹介」などということは重荷の他の何ものでもありません。

しっかりとした先生のご解釈を期待したいものです。

さて、昨日、天皇皇后両陛下もご観覧になられるという「天皇賞」でもと思い(^.^)、そちらのサイトを覗いておりましたら

な、なんと、出走各馬の評の下に見覚えのある雑誌(^.^)の表題が・・・、「いのちの環」と出て、「お試しに・・・」とか広告が、びっくりです。

ギャンブル狂を救わんがためなんでしょうか(^.^)救いの手はこんなところにも・・・。

フェノーメノ号=ポルトガル語で超常現象、怪物、ルーラーシップ号(月はルナでした(^.^))、昨夜の十三夜は強風で雲の流れが速く、こうこうと照っていた月も夜中の二時すぎには真っ黒い雲に覆われてしまいました。ので、ダークシャドウ号などはどうでしょう(^.^)

だけど夕方東の空にあった眞白な月の中のうさぎさん、上方に耳を右に向けて横向きでお餅を搗いてましたが、深夜、東の空に来た時には右斜めになってまっ逆さまとは、ちょっと可哀想な気がしておりました。

今朝のNHK深夜便ラジオでは、月一回の「五木寛之さんの歌の旅人」(お相手の須磨佳津江アナがすてきなんです(^.^))の大分編で、滝廉太郎の♪荒城の月が流れました。

童子様が♪里の秋を出されて、私の「一番」なものでつい感想を挟んでしまいましたが、今朝も、KS様の、

<何十年も前のこと、谷口恵美子先生が白鳩会副総裁に就任された時、神誌『白鳩』にお写真と共に書かれていた紹介文の美しい言霊を忘れません。

飾りなく豊かに
おのずから深く
尊師の道を歩む
真実の人・・・>に対して、童子様の、

< 『光』
    
   かぎりなき光のうちを歩めよと父おしへたまふ子らにも
                        つたへん

          谷口恵美子先生 (昭和35年詠進)>

が、印象的です。

今朝は相変わらず鮮明ではありませんが(御免なさい)、恵美子先生の撮影されたという、雅春師の揮毫の場面を紹介しますが、

尊師の左側赤丸とそれが撥ねてるような陰影も何かを暗示(してないですか(^.^))しているような風なのですが・・・。

まずは、伝統様、長い間貴重な場所を占領いたしましたことを心より陳謝し、「本流」のこれよりの大発展を切に祈りて、ここは
おしまいにさせていただきます。

ありがとうございます。




感謝! (2949)
日時:2012年10月29日 (月) 04時43分
名前:伝統


”道産子 さま” 本当にありがとうございます。

>千秋楽のつもりで終了しましたので、どうぞご了承ください。

無理に催促してしまったようで、申し訳ございませんでした。


>長い間貴重な場所を占領いたしましたことを心より陳謝し、
>「本流」のこれよりの大発展を切に祈りて、ここはおしまいにさせていただきます。

谷口雅春先生の「書」の連載を続けていただき、お礼申し上げます。
また、新たな気づきの題材がありましたら、このスレッドを活用していただけばと
願っております。

           <感謝合掌 平成24年10月29日 頓首再拝>

伝統様、ありがとうございます。 (2959)
日時:2012年10月29日 (月) 08時40分
名前:道産子

ご丁寧なお言葉誠に恐縮いたしました。早朝の善きお言葉を引き続きお続けくださることを念願いたします。

昨日は競馬予想などという不埒な試みさえいたし、雅春師ならきっときつく叱責されるとは思いましたが、

なにか、近代競馬150周年として、両陛下が行幸啓されたことに少々引かれた結果でした。

実況を観ておりましたら、両陛下は実に楽しそうに観覧されておりました。

勝者の外人ジョッキーが思わず馬を降りて芝に跪き、深く敬礼したのには感動いたしました。いいシーンでした。

<天覧の競走勝者の外人の騎手は下馬して深く敬礼> 

今朝のNewsではまた、月のうさぎ形模様は巨大隕石の衝突跡と実測データが証明した、と出ていました。探索機「かぐや」の分析
ということです。すばらしい成果です。

今後とも宜しくお願いいたします。
ありがとうございます。

明治天皇御製〜秋の月 (3062)
日時:2012年11月01日 (木) 04時48分
名前:伝統


(明治天皇の「秋の月」に関する御製の紹介です。)


秋の夜の 月は昔に かはらねど 世になき人の 多くなりぬる

山もなき 青海原の 波の上に 待てどもおそし 秋のよの月

霧はれて 風しづかなる 秋のよの 月にすみゆく 虫の声かな

白川の 関うちこえて 見しかげも おもひぞいづる あきの夜の月

わたつみの 波の千尋の 底までも てりとほるらむ 秋の夜の月

           <感謝合掌 平成24年11月1日 頓首再拝>

伝統様、ありがとうございます。 (3065)
日時:2012年11月01日 (木) 08時07分
名前:道産子

明治天皇の御製、数多のお歌を詠まれた中の「月」のお歌、ご紹介ありがとうございます。

最初の御製は日清、日露戦争などで亡くなった人への哀歌なのでしょうか?

童子様も(1596)<『日本国の使命』16年10月の法語>にて、雅春師の御製に対するご解釈を載せていらっしゃいます。

<みる人はなきものにしてしづがやの籬の花は咲きならひけむ


 畏くも此の明治天皇御製の中(うち)にあらわれている「しづがやの籬(まがき)の花」の心が日本精神である。

 見られるために何事をも成すのではない。すこしも衒うこころもなければ、人に見せびらかす心もない。ただありのままに、‘いのち’のありのままに咲いているのである。・・・>

<同じく四十四年の御製に ――


    なつかしき朧月夜のかげふみてたたずむ袖にちる櫻かな


 単に叙景の御歌としてもまことに素晴らしく拝せられるのでありますが、『散る櫻』が散る瞬間に『久遠の生命』を生きているのであり、その瞬間と久遠との一致、『今』と『久遠』との現成をいみじくも捉えたまうて表現したまうたのであります。

 この『今』と『久遠』との一致、散る一瞬に『久遠なるもの』を見る精神が日本精神なのであります。・・・>

本当に教えられます。

他稿に、中村晃生先生の<風俗店社長(光明法語カレンダーを掲げた)の行く末>、北海道の大熊猫(パンダ)先生ご紹介の「新版真理」132Pの師の「公娼制度への著述」なども考えさせられました。

ありがとうございます。





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