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生命の教育 (3543)
日時:2012年11月13日 (火) 16時00分
名前:童子

        『生命の教育』発刊の辞    谷口雅春


 人類の偉大なるは人それ自身の本質による。金の良質なるは金それ自身の本質による。金は鉱石を外から磨いても純金となるのではなく、その本質を抽出するところに純金が顕現するのである。人間の教育もかくの如く、人間を外より磨くよりも、その本質を内より抽出することによって完成するのである。併し人は金よりもなお偉大なるものである。金は自然に放任するときは。みずから内よりその純分を析出しないけれども、人は生命であるから、本当に自然に放任するとき、栗の実が毬を破って出ずるが如く、おのずからその本質のよさを呈露するのである。


 人の偉大なるは縛られて善くなるのではない。『本当の自然にまかす』とき、内在無限の善さが、内在無限の能力が、内在無限の智慧が、内より呈露して発現するのである。併し、『本当に自然にまかす』とは、何であるか。それはただの放任ではない。大生命を知り大生命に任すのである。ただの放任は『自然にまかせた』ように見えていて、その実は今までの『悪しき惰力』に縛らせている場合が多いのである。悪しき惰力に縛られずして、人それ自身に宿るところの大自然をよびだして、それにまかせて教育する教育が吾らの生命の教育である。人それ自身に宿るところの大自然とは何であるか。これこそ吾らに内在する神性であり、仏性である。この内在の神仏をよびだすは言葉の力により、文章の力による。


 吾らの教育の本質と方法とを万人に宣べ伝えて、一挙にして全人類を光明化し、地上に一人の劣等児なく、虚弱児童なく、家庭争議なく、一切の歪める思想家なく、神そのものの如き人間を地上に創造せしめんがために、吾らの地上天国建設運動に参加せられんことを庶幾う。

                         昭和10年6月

『生命の教育』とは (3544)
日時:2012年11月13日 (火) 16時18分
名前:童子

 生命の教育とは、『唯神実相哲学』を根幹として展開される谷口教育学の原理と方法のことで、生命の本源にさかのぼり、神性一元の人生観、世界観に徹するところに窮極がある。


 生命の教育とは、すべての子供に、神性・仏性・無限の可能性の内在することを信じ、これを観ずること、すなわち、広義の“コトバ”の力によって〃引き出す教育〃のことである。


 生命の教育では、『実相』と『現象』とを明らかに区別し、現象に如何なる悪しき相(すがた)があらわれても、唯、実相を観ずる『観の教育』で解消する。


 生命の教育は、常に『今』を活かす教育で、子供の生長、発達の各段階に応じ、内部生命の発現に相応する教育を行なう。


 生命の教育は愛の教育である。


 生命の教育は、生命顕現の法則に従い、秩序を尊び、中心に帰一し、大和(だいわ)の理念、日本の使命達成のための教育を行なう。


               『生命の教育』 はしがき

新教育者連盟に就いて (3546)
日時:2012年11月13日 (火) 16時44分
名前:童子

        新教育者連盟に就いて    山口悌治



 「教育の基礎となるものは、何と言っても、人間の内部に『神が』宿っていることを信ずることです。『神』と言っても『仏』と言っても好いのでありますが、『神』と言う場合には『内在の神性』 ―― キリスト教的に言いますならばね、『内在のキリスト』であり、神道的に言いますならば、『日子』なるもの、『日女』なるもの、命(みこと)なるものが人間の本性だと云うことです。仏教的に言いますならば、『一切衆生悉く仏性あり』 ―― すべての人間には、円満完全な『仏性』が宿っていると云うことであります。

 その名称は神仏耶に従って色々に違いましてもこの円満完全なる人間の『本来性』を引き出すのが教育であります。教育と云うものは、教え込むのではなくて本来の『円満完全性』を引出すのでありますから、それを引出すためには、その『円満完全性』を信ずることが先ず根本にならねばなりません。『円満完全性』なんか無いと信じていて『円満完全性』を引出し得るものではありません。

『信ずる』次には『観る』ことが必要です。『信じて観る』ことによって、内在の円満完全性があらわれてくるのであります。」 〈谷口雅春先生『現代教育の基礎となるもの』より〉



 この短い御文章に要約されている精神こそ、個々の教育技術の根底をなすもの、まことに人間教育の真髄を道破したものであり、『人間神の子』の神性の徹底的な礼拝と開発が、実際にどんなに素晴らしい成果をもたらすかに驚嘆されたことと思います。

 従って、直接教壇に立って児童を導かれる先生方は勿論の事、愛児の健全なる生育を心から願われる親御様は一人もいらっしゃらない筈で御座いますから、お互いに手を取り合って人間神の子の自覚を深めつつこの生命の教育を学校教育の面に家庭教育の面に実践すると共に、更に進んで混迷の世中に木の葉の如く奔弄されているかに見えます世の多くの子供の為に大きく愛の手を差しのべ、結束して一大運動を展開したいので御座います。

                  『白鳩』誌 28年5月号

『生命の實相』は一大生命の教育書 (3590)
日時:2012年11月14日 (水) 20時05分
名前:童子

          現代教育に光をあてる生長の家の教育運動
               奥田寛 元・(財)新教育者連盟理事長



 昭和四年十二月十三日、「生命の実相を知れ」「人間・神の子」「今即久遠」「天地一切のものと和解せよ」との天啓を受けられた尊師谷口雅春先生によって、翌昭和五年に『生長の家』誌が発刊され、革命的な人類光明化運動が発進しました。

 更に谷口雅春先生は、昭和十年六月「生長の家教育者連盟」を創立され、同時に『生命の教育』誌を発刊されました。この発刊の辞こそ、現代教育に光をあてる生長の家の「生命の教育」の源であり、基本理念であります。



 もちろん私たち人類光明化運動の典拠となるものは、生長の家の根本教典『生命の實相』全40巻〈頭注版〉でありますが、その第25巻には、

   「わたしはこの『生命の實相』を宗教と云うよりも一大生命の教育書と云いたいのであります」

    「わたしは『生命の實相』は偉大な生命の教育書だと言うのであります」


 したがって、生長の家の教育 ―― 「生命の教育」の所与の根本教典もまた、『生命の實相』であると言うことができます。


 『生命の實相』全40巻のうち、

 教育篇として特に第13、14巻には、教育のよってたつ土台としての倫理観、人生観、世界観について論及されており、

 第14巻後半には「生長の家の児童教育法」が総括的に述べられております。

 第25、26巻は教育実践篇、第29巻は女性教育篇、第30巻は再び児童教育について、第40巻には胎教及び胎教以前の重要性について、又乳幼児の教育についてそれぞれ論述されております。


 初歩、入門の方は、これ等教育篇のどの一冊からでも読みすすんで下さるか、あるいは教育篇からの抜粋による『生命の教育』を先ずお読み下さるのも一方法でしょう。

完全な人格の養成 (3627)
日時:2012年11月16日 (金) 03時00分
名前:童子

                     中嶋 與一 主管(当時)


 教育とは一事慣行の力を修練することであるといってもいいのである。それは移り気の克服であり、持続力の旺盛でなければならないのである。

 それは道具の使い方を知ることではなく、自分自身を如何に使うかを知ることを目標としなければならないのである。自分自身を完全に使うことができないでいて、世の中を渡るということは馬の乗り方を知らないでいて、騎馬で富士山に登ろうとするようなものである。又それは舟の運転の仕方を知らないでいて、大海原に航海しようとするようなものである。自分自身の操縦の仕方を知ることが、何よりも教育の眼目でなければならないのである。


 教育とは何かを覚えることであると思っている人があるかもしれないが、教育とは自分を辞書にすることではないのである。辞書を自由に使いこなす人間を養成することである。人間が辞書になってもつまらないのである。

 必要に応じてどんな書物からでも自由に必要なものをもって来て、それを自由に組み立て直して、その時その場に必要な目的に使う所の人間自身を養成するのが教育である。


 教育をただ講師や教授の教えてくれることを写真にとるように覚えることだと思っている人はつまずくのである。人間は外界の印象をそのまま精確に脳髄に印刷するミノグラフではないのである。

 吾々は自由の智慧がなければならない。そして与えられた材料を自由に消化し、組み合わせ尚一そう新しいものを創造する所の力がなければならないのである。

 その為に真の教育は心の力を養成する所の教育こそ根本的なるべきものでなければならない。

こどものしつけの根本問題 (4192)
日時:2012年12月02日 (日) 03時07分
名前:童子

        ◆しつけのこころ ―― しつづけること ――

 「しつけ」には次のような意味があります。

(一) 仕付 ・・・ これは着物を仕立てることです。‘しつけ糸’は、したてた着物の型が狂わないようにするための糸です。子供のしつけも、正しい型からはみでないようにする、という意味があります。

(二) 農業では「田植」や「植付」のことをいいます。こどもの‘しつけ’は、単に外から型をつくるのではなく、内からの生命を育てていくということに大切な意義があります。

(三) 教育では主として礼儀作法を教え習わすことを「しつけ」と言います。

(四) 「しつけ」は「しつづける」がつまって「しつけ」となったもので、日常生活の中で、よい習慣をしつづけていくうちに、第二の性格形成に導くことをいうのであります。



        ◆生命の教育のしつけ ―― 内なる生命のめざめ 

 「しつけ」という言葉のひびきからくる感じでは、子供がわるくならないようにするためとか、悪いところをためなおすとかいう形の上のしつけが中心になっていますが、「生命の教育」のしつけは、はじめに「こういう子供がよい子である」という、いわゆる「よい子」のワクをつくっておいて、その中に子供をはめこむことではありません。

 子供の内部に宿る生命をぐんぐんとひきだしながら、自然に、その子にあった個性的な型をあとからつくっていくというのでなければなりません。この点はとても大切です。



       ◆しつづけるためには ―― 誓うことなかれ

 「しつけ」とは「しつづける」ことであるとは、しつけの基本です。

 ところが、しつづけることができずに中断してしまったときの心の姿勢が、うんと大事であることに気付かない人が多いのです。

 「テレビを見る前に勉強をかたずけると、ほら、約束したでしょう」
 「夜は○時に寝ると、約束したでしょう、もう約束を破ったの」

 これに類する会話が、意外と多いのです。

 キリストは「汝、誓うなかれ」と申しました。あまり、続きそうもないことを、やたらに約束したり、心に誓ったりしますと、それができないときに、心が大いにいたむのです。甚だしいときには自己劣等感や、自己嫌悪や、自己処罰をひきおこします。

 しつづけるために、うれしいたのしい見かた、考えかた、方法を発見し、創造していくことが、豊かな個性をひきだし、伸ばす鍵となります。

 子供のしつけは、実は親自身の正しい生活法の発見にかかっているのです。

            鹿沼景揚 (財)新教育者連盟理事長 当時




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