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福の神 (5122)
日時:2012年12月29日 (土) 06時39分
名前:伝統

もう いーくつ寝ーると お正月ー♪♪

あと3日で、お正月がやってきます!

そして、今日は福の日(29日)。

お正月には、歳神様・福の神様がやってきます。


そこで、このスレッドでは、「福」や「福の神」について、紹介して参ります。

まずは、童謡から。


童謡:おしょうがつ
http://www.youtube.com/watch?v=XceuFX_6KYg

作詞:東くめ
作曲:滝廉太郎

もういくつねるとお正月
お正月には 凧あげて
こまをまわして 遊びましょう
はやくこいこいお正月

もういくつねるとお正月
お正月には まりついて
おいばねついて 遊びましょう
はやくこいこいお正月

            <感謝合掌 平成24年12月29日 頓首再拝>

福を招く「正月飾り」  (5144)
日時:2012年12月30日 (日) 06時39分
名前:伝統

     *(生長の家“本流宣言”掲示板)「正月飾り (5934)」より
     ( http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=1314 )


正月飾りの準備はお済みでしょうか?

今は略式化されたものがほとんどですが、正月の飾り物にもひとつひとつに意味があります。

例えば、門松は歳神様が降りてくるときの目印となり、
「松は千歳を契り、竹は万代を契る」との諺にもありますように
松には長寿、竹には発展への願いが込められています。

また、しめ飾りは不浄なものを寄せつけず、清らかな場所であることを示し、
鏡餅の円形は円満をあらわし、新しい年の命の象徴でもあります。

ちなみに、正月飾りの飾り時について、29日の9は「苦」に通じるため、
31日の大晦日に慌てて飾るのは、「一夜飾り」といって年神様に対し礼を失するとの
理由で避けられます。

つまり、正月飾りは28日までに飾るか、または30日に飾るのが良いとされています。


・・・以下は、谷口雅春先生のお言葉より(『白鳩』誌 昭和22年3月号 「道場聴き書」)

(1)正月には松を立てる。

   松とは何であるかと云えば、それは《ときは》木であって、永遠に栄える木、
   即ち《サカキ・榊》である。

   天照大御神が天の岩戸にお入りになった時、神々がその戸口に立てたと云うサカキは、
   この『永遠に栄える木』を象徴している。松は即ちこのサカエギ(サカキ)である。

   また神前にサカキをそなえる場合、そのサカキもこの『永遠に栄える木』なのである。

   榊を神にそなえるとは、實は自分の心の中にサカキ(栄える木)を立てることである。
   榊は所謂『神様』に捧げるものではなくして、かえって『自分自身』に捧げるもの
   なのである。

   それ故、榊をそなえる場合には美しい緑の葉をみんな自分の方に向けて供える。
   『神様』の方には裏のきたない方が向いている。

   されば『神様』は自分以外の建物の中に在ますのではなくして、
   自分自身の心の中に存在することを知らねばならない。


(2)そして神前には《おみき》を供える。

   《おみき》はサケ(酒)である。 
   サケ(Sake)もやはりサカエ(Sakae)を表わす言葉である。

   サカキを立ててサケを飲むのは『サカエ』るものを観る事であり、
   それは『サカエ』るものを創造り出すことである。
   新たなる《いのち》の創造である。

   サケ(酒)はサカエ(栄え)であるから陽である。
   ものをいきいきと燃え立たせる働きである。

   それに対し水は陰である。

   こんな話がある。

   あるとき上戸と下戸とが酒3升と水3升とをどちらが先に呑み尽くすかという競走を
   した。はじめのうちは下戸は水をぐいぐいと早く呑んだが、上戸は酒をチビリチビリと
   呑むだけだったので、下戸の方がその競走に勝つのではないかと思われた。

   ところがお終いになると下戸はもう水がどうしても呑めなくなった。
   ところが上戸はいくらでも酒を呑む。時々小便に立って行っては、又呑むのである。
   そしてとうとう上戸がこの競走に勝ってしまった。

   それは何故であるかと言うと、酒はサカエであって、消化吸収されて一つなる働きを
   もっているからである。陽性であるからである。


(3)そして正月には《しめなわ・注連縄》を張る。

   《しめなわ》は天照大御神が天の岩戸からお出ましになった時、二度と再びお入りに
   ならないように張り巡らしたものであると古事記に書いてある。

   それはどういう意味かと云うと『再び退転しない』という意味である。
   再びもとの暗い生活には帰らないという誓いをあらわす。

   《しめなわ》を張り巡らす所はどこかのかど口の様な所だと思っていたら大間違いで、
   実は自分の心の中に張りめぐらすのである。

   心の中で『二度と再び過去のあやまちには退転しない』と固く決心することなのである。

            <感謝合掌 平成24年12月30日 頓首再拝>

貧乏神と福の神 (5154)
日時:2012年12月31日 (月) 04時57分
名前:伝統


むかし、むかしとても働き者の夫婦が住んでいました。

でも働けど、働けど生活はいっこうに楽になりませんでした。

「もう貧乏にはこりごりだ。どうしてこんなに貧乏なんだろう。
酒も飲みたいし、お前にきものも買ってやりたい。たまには町にも行きたい。」

「そんなこと言っても仕方がないわ。とにかく働きましょう。」

夫婦は村一番の働き者でした。でも貧乏です。
朝から晩まで畑で働いて、家ではわらぐつやかごをあんでいました。

ある大晦日のことです。神棚の前で妻が言いました。
「神様、今年はわずかですがお金がたまり、お餅を作ることができました。」

その時です。屋根裏で泣き声がしました。
「そこで泣いているのは誰だ。」
屋根裏から顔を出したのは貧乏神でした。

「そうか、お前がいるから俺たちは貧乏なんだ。でもどうして泣いているんだ。」

「今年はお前たちが一生懸命働いたから、私はもうこの家にはいられない。
まもなく福の神がやってくることになっている。」

「それじゃ、追い返してここにいればいいじゃないですか。」

「でも腹が減って、力がでない。」

「元気をお出し! この餅とさかなをたらふく食べなさい。」と妻が励ましました。


「うわ、こんなにおいしい物は初めてです。もっと食べていいですか。」
食べて、食べて、貧乏神は元気が体にみなぎり、福の神を追い出す勇気も出てきました。
相撲取りのようにしこを踏みました。

さて、福の神がゆっくりと家の前までやってきました。
「おお、この家だ。」そして入り口をたたきました。

「われこそ、福の神じゃ。この家に福を与えにやってきた。
貧乏神はさっさと立ち去りたまえ。」

「いやじゃ。この家からは一歩も離れないぞ。
この家のあるじが福の神は追い返せと言ってくれた。」

「貧乏神、福の神に負けるな。がんばれ。」と妻が声援しました。

「一体どうなっているんだ。貧乏神の味方をするとは。」
貧乏神は福の神を飛び掛ると外に投げ出しました。

「こんな家には二度と来てやらないぞ。」
福の神は行ってしまいました。
そして「打ちでの小槌」を忘れていきました。

「おや、これは打ちでの小槌じゃ。これがなければ、福の神はもう福の神ではない。
これがあれば、もう貧乏神ではない。われこそ福の神じゃ。」
と貧乏神、いや福の神は言いました。

「これは、打ちでの小槌というものです。望みをかなえてくれます。
何か欲しいものはありませんか。」

二人は顔を見合わせました。
欲しいものは米俵ときれいなきものと少しのお金です。
「われは今日より福の神。」と言って望みをかなえてやると屋根裏に戻っていきました。

二人はその後も一生懸命働いて末永く幸せに過ごしました

<参考Web:日本昔話「貧乏神と福の神」
       http://hukumusume.com/douwa/pc/jap/01/24.htm >

            <感謝合掌 平成24年12月31日 頓首再拝>

”七福神”がやって来る! (5179)
日時:2013年01月01日 (火) 08時20分
名前:伝統


お正月には、七福神を乗せた宝船がやってきます。

【七難即滅・七福即生】


(1)徳川家康と七福神

   将軍徳川家康が、天海僧正に、
   「国が栄えるようになり、人徳がたかまるようにするには、
   どのような道が大切であろうか?」
   ときいた。

   僧正は、
   「仁王護国般若波羅密経(仁王経)などの経典に説かれている教を大切にすれば、
   七難即滅し、七福即生します」
   と答えた。

   これは、室町時代一休和尚が説いた秘伝であった。

   さらに家康は「七福とはなにか?」ときいた。

   僧正は、
   「七福とは[寿命][有福][人望][清廉][威光][愛嬌][大量]であります」
   と答えた。

   この七つの福徳が、人生にとって大切であることを説いた。

   家康は、さっそく狩野派の画家に古法にのっとり「七福の神々」を描かせた。

   このことが、江戸時代以降流行した「七福神」「宝舟」の始まりである。

   では、七難とは、なんであろう。
   七難はいろいろな経典に説かれ内容に大同小異があるが、
   仁王教では次の天災、人災が七難であるとしている。

  @日月の難
  A星宿の難
  B火災の難 
  C水害の難
  D風害の難
  E早魃の難
  F戦乱盗賊の難

   なお、一休和尚の決めた七福の徳目とそれをつかさどる福神は、

  @寿命 寿老神   
  A有福 大黒天   
  B人望 恵比須神 
  C清廉 布袋尊   
  D威光 毘沙門天 
  E愛嬌 弁財天   
  F大量 福禄寿   

   さて、福をつかむには順番があります。

  @大難は小難に
  A小難は無難に
  B無難は小福を
  C小福は大福を

   まずはどんなときにも「難」を払うことです。
   大難は大福にはなりません。


(2)正月の時の話題は七福神。

  @恵比須
   唯一「国産」の神様で、「えべっさん」などと親しまれています。

   右手に釣竿、左手に大きな鯛を持つ姿から、元々は豊漁の神様でしたが、
   次第に商売繁盛や農業豊作の神様としても信仰されるようになりました。

   今宮戎神社(大阪府)十日戎での「商売繁盛でささもってこーい」
   の掛け声は有名です。

  A大黒天
   丸い頭巾をかぶり打ち出の小槌と大きい袋を手に、
   米俵の上に座っている姿が一般的です。

   豊作や、家、福徳の神様ですが、もともとは「怒りの神様」でした。
   いつしか招福の神となり、打ち出の小槌で望みのものを出してくれる
   ありがたい神様です。

  B弁才天
   七福神の中で紅一点の神様で、もともとはインドの水の神様でした。

   琵琶を弾く姿が一般的で、音楽などの芸術、弁舌(知恵)の神様として
   信仰されています。

  C毘沙門天
   甲冑をつけ、右手に槍を、左手に宝珠をささげた勇ましい姿をしており、
   仏法を守り、福徳を与えてくれる神様ですが、
   知恵の神様としても信仰されています。

  D布袋尊
   中国唐代末期に実在したお坊さんがモデルで、常に大きい布袋を担いで
   喜捨を集めてまわっていたので、布袋和尚と呼ばれました。

   吉凶占いを得意とし、天気予報も百発百中、太鼓腹に大きな福耳、福福しい顔
   から、福徳の神様とされています。

  E福禄寿
   福(幸福)、禄(俸禄)、寿(長寿)の三徳を授ける神様とされ、
   「福禄寿目礼をしてつんのめり」といった句があるほど、
   長い頭をして長いヒゲをたくわえています。

   杖を片手に腰に瓢箪をつけ、白い鶴や亀をお供に従えています。

  F寿老人
   中国の道教の神様で、長い頭に白くて長いヒゲ、
   人間の寿命を記した巻物を杖にぶら下げています。

   鹿を伴っている姿が多く、
   左手に長寿福徳のシンボルである桃を持っているのが特徴です。


(3)七福神の由来・巡り方

  @七福神は室町時代末頃に、農民や漁民の民間信仰として成立し、
   そのルーツは中国の八福神(八仙)と言われています。

   「七福」は仁王般若経の「七難七福」の教えや、
   「竹林の七賢者」にならったとされています。

  A江戸時代に入り、徳川家康が七福神信仰を奨励したことから、七福神を祀る神社仏閣が
   増え、「元旦から七草の日までに七福神を巡る」のが招福の行事として流行り、
   ハイキングのような感覚で七福神めぐりを楽しむ人々もでてきました。

   また、正月に枕の下に七福神の乗った宝船の絵を入れておく
   と良い初夢が見られると言われています。

  B七福神めぐりをする場合、自分の家に一番近い所から反時計まわりに見て
   2番目の所から順に巡っていくとよいとされています。
   一番近い所で打ち上げ(終わり)にする訳です。

(4)この願いをかなえてくれる神様は?

  @お金がたまりますように・・・福禄寿がおすすめ

  A出世したい・・・毘沙門天がおすすめ

  B美味しいものを食べたい・・・大黒天がおすすめ

  C家庭円満・・・布袋尊がおすすめ

  Dもっと勉強ができるようになりたい・・・弁財天がおすすめ

  E長生きしたい・・・寿老人がおすすめ

  F商売繁盛・・・恵比寿天がおすすめ

            <感謝合掌 平成25年元旦 頓首再拝>

 (5197)
日時:2013年01月02日 (水) 06時20分
名前:伝統


       *(山下景子・著「美人のいろは」より)

(1)「福」という漢字は、神様から授かっためでたいお酒をあらわしているのだそうです。
   そこから転じて、幸せという意味になりました。

(2)まつりの供物のおさがりという意味もあります。
   これも、神様からの賜(たまわ)りもの。
   幸せが宿るものとされていました。

(3)幸せがしみじみと感じるものなら、
   福はにっこり笑って受けとるという感じでしょうか。

   福袋、福引き、福笑い、大福餅、大福帳など、生活に結びついて親しまれています。

(4)私たちの身近にいる福の神様。
   「長者教」によると、十人の御子までいたそうです。

   たくわえ太郎たねもち
   あさおき二郎むねきよ
   さんよう三郎かねます
   うちいの四郎いゑよし
   五じょう五郎なをます
   えしゃく六郎ためよし
   ありあい七郎むねやす
   しんしゃく八郎すゑよし
   ものこらえ九郎しげよし
   こころだて十郎しゑたか

            <感謝合掌 平成25年1月2日 頓首再拝>

長寿教 (5242)
日時:2013年01月04日 (金) 04時49分
名前:伝統

長寿教のエッセンス。

     *上記記事(福 5197)に出ている「長寿教」についての紹介です。

なににつけても金のほしさよ。それ金は火に入れても損せず、
水にいりても朽ちず、いよいよ光増す物なれば、

かまだや、なばや、いづみ屋、この三人の金言を、
よくよく分別して、一分一厘にても疎かにつかふべからず、
これ、長者教のこころなり。

かまだや、なばや、いづみ屋は3人の長者。
それぞれの教えはこう。

かまだやが説くのは「貯蓄」。
なばやは「倹約(=始末)」。
いづみ屋は「分別」を説く。
いづみ屋がまとめを説くのだけれど、こんな感じ。

常に身の程を知って諸事控え目に過ごせばその身を保つこと疑いなし。

生きていく上で大切なことは、才覚始末と自らの業専一に励むことである。

思慮分別によって長者となることもできるが、
楽に居れば悪業に走ることが多いから、貧に居て身を慎むるに如かず。

なるほどなあ。

面白いのが、「ふくのかみ十人御子」と「貧乏神十人御子」というやつ。

ふくのかみ十人御子。

 たくわへ太郎たねもち(貯え)
 あさおき次郎むねきよ(朝起)
 さんよう三郎かねます(算用)
 うちゐの四郎いえよし(内居)
 五じやう五郎なおます(五常)
 えしゃく六郎ためよし(会釈)
 ありあひ七郎むねやす(あり合わせ)
 しんしゃく八郎すえよし(斟酌)
 ものこらへ九郎しげよし(耐乏)
 こころだて十郎すえたか(心だてが良い)

貧乏神十人御子。

 だてしの太郎(伊達好き)
 ぶぎやうぎ二郎太郎(不行儀)
 ものずきの三郎二郎(物好き)
 人あつめの四郎三郎(パーティ好き)
 女ばうさり五郎四郎(女房去り)
 けいづだて六郎太郎(系図立て)
 大火たきの七郎二郎(過剰暖房)
 けん物好み八郎三郎(物見遊山)
 あぢわいぐち九郎太郎(グルメ)
 あつぎしの十郎四郎(厚着仕)

    (http://yutaka-u.cocolog-nifty.com/azabujuban/2006/02/post_cdd8.html

            <感謝合掌 平成25年1月4日 頓首再拝>

到福(福が到る) (5276)
日時:2013年01月05日 (土) 04時40分
名前:伝統


中華料理屋に入りますと「福」の字を逆さまに掛けてあるのをよく見かけます。

幸福を意味する「福」を逆さまにしたら幸福が遠のきそうですが、もともとは
「福運」という意味を持つ「福」の字を倒して(逆さにして)「倒福」、
この発音は「到福(福が到る)」と同じ発音であることから、
逆さまの「福」に「幸せに暮らせますように」「素晴らしい未来が到来しまうように」
との願いが込められています。

・・・

倒福(逆さま福)の習慣に関しては、明の洪武帝の皇后であった馬皇后の伝承がある。

とある春節、洪武帝はお忍びで市井を散策した時、
ある人物の描いた年画(春節用の縁起ものを描いた絵)を目にした。
そこには豊作を願った纏足をしていないスイカを抱えた女性が描かれていた。

洪武帝は「准(抱える意味)西(スイカ)婦人の足が太い」ことを風刺し、准西出身の馬皇后を
嘲笑したものと思い込み、年画を描いた者を処罰しようとした。
(当時は、足の小ささ、細さが女性の美の基準だった)

宮廷に戻った洪武帝は年画を描いた人物を調べさせ、無関係な者の家には「福」の文字を書いた紙を
貼るように命じ、翌朝「福」の表示がない家の者を処刑しようとした。

心優しい馬皇后は、この計画を知ると、無実の罪で処罰される民衆に同情し、
明け方までに全ての家に「福」の表示を貼ることを命じた。

翌朝、城内の家中には「福」の文字が貼ってあり、
洪武帝の命を受けた士兵は、どの家の者を処罰するか分からなくなってしまった。

しかし、その中の一軒が、文字を知らなかったために「福」の文字を逆さまに貼ってしまい、
このことが洪武帝に報告された。

洪武帝は、福を倒して貼るということは、皇帝の治世を皮肉った行為であると激怒し、
部下にその家の者を斬首するように命じた。

またしても無辜の民衆に危害が及ぶことを恐れた馬皇后は、機転を働かせ、その家の者は、
洪武帝の使者が訪問することを知り、故意に福を逆さ(倒dao)に貼って
「皇帝の使者(福)がやって来る(到、倒daoと同じ発音)と言いたかったのですよ、
と洪武帝を説得し、無辜の民衆を助けたというものである。

それ以降、善良な馬皇后を顕彰し、大晦日に民衆は門上に「福」の文字を大書した赤紙を
逆さに貼り、一家が平安であることを願ったと言われている。(wikiから)

     (倒福 http://www.yakuzenro.jp/room/jijyo/daofu.htm )

            <感謝合掌 平成25年1月5日 頓首再拝>

福の神と貧乏神〜「吉祥天と黒闇天」 (5302)
日時:2013年01月06日 (日) 04時35分
名前:伝統

誰しもが来て欲しいと願うのが「福の神」で、
もし自分の家にいるのなら、どうぞ出ていってくださいと願うのが「貧乏神」でしょう。

この福の神と貧乏神について、涅槃経というお経に次のようなお話しがのっています。


   ある家に、とても美しい女の人が訪ねてきました。
   豪華な服を着て、見るからに気品のある女性でした。
   その美女は、「私は吉祥天です。福徳を授けに来ました。」といいます。

   幸福の女神の到来ですから、家の主人は大変に喜んで、家の中に招き入れました。

   ところが、そのあとから、もう一人の女性が入ってこようとしています。
   こちらのほうは、見るからにみすぼらしい、醜い女性でした。

   「おまえは誰だ。」と主人が問うと、
   「私は黒闇天(こくあんてん)。私の行くところ、必ず災厄がおきる貧乏神です。」
   と後からきた女性が言いました。

   家の主人は、貧乏神に家の中に入ってこられてはたまりませんから、
   「おまえなんか、とっとと消え失せろ。」とどなりました。

   すると、その黒闇天は大声をあげて笑いました。

   「あなたは馬鹿です。さっき入って行った吉祥天は、わたしの姉です。
   わたしたち姉妹はいつも一緒に行動しています。
   わたしを追い出せば、姉の吉祥天だってこの家から出て行きます。」

   そして、そのとおり、吉祥天と黒闇天は肩を並べて、その家を去って行きました。


この涅槃経の話しは、福の神の性格をよく表わしています。
このように、福の神であるところの吉祥天と、貧乏神であるところの黒闇天とは、
姉妹、いいかえると、一心同体なのです。

成功のシンボル、お金ですら、それをどん欲に求めすぎると、かえって不幸のもとになります。

以前、テレビで、6億円の脱税が発覚したニュースを流していました。
その人は、重加算税、罰金等で7億2千万円を追徴された上で、1年2ケ月の懲役、
さらには社会的信用を落としてしまいました。


また、逆に、一病息災という言葉がありますが、病人の方がかえって長生きする例が多いようです。
病気は身体の注意信号ですから、注意信号がつけば用心すればいいのです。
かえって、今まで医者にかかったことがない、
と健康を豪語している人の方がぽっくり逝くといったこともあります。


こうして考えてみると、福の神の吉祥天と、貧乏神の黒闇天とが
一心同体であるということもうなづけることです。

そして、私たちが、これは福の神、これは貧乏神とえり好みをして一喜一憂するということは、
私たちの自分勝手な考え方だということもできます。

よく霊場めぐりなり、お寺めぐりをするときに、
「あそこには、あちこちに賽銭箱があるから、1円玉をたくさん用意して行った方が良い」
などという声を聞くことがあります。

1円玉をぽいと賽銭箱にいれて、
「家内安全、大願成就、商売繁盛、身体健全、諸縁吉祥、子供が良い大学に入れますように…」、
これでは神さま仏さまも大変です。

神さま仏さまを、お賽銭を入れると御利益が出てくる自動販売機にしてあげたのでは、
申し訳ないような気がします。


江戸時代の曹洞宗の禅僧、大愚良寛禅師、あの良寛さんはこう言っています、

「しかし、災難にあう時節には、災難にあふがよく候。
死ぬ時節には、死ぬがよく候。
是はこれ災難をのがるる妙法にて候。」

災難にあって、じたばたしてはいけない、災難にあえばどっぷりと災難につかることだ、と、
災難だの幸運だのと差別しないで、それにこだわらない心を良寛さんは教えて下さっています。
これが、仏教の生き方なのです。

災難だ、幸運だ、と自分勝手にご都合をならべている凡夫の姿に、
仏さまは「いい加減にしろ」と苦笑いをされているかも知れません。

しかし、この「いい加減」ということが大切なのです。何事もほどほどに、極端に走ることのない、
ゆったりとした大道、つまり「中道」を歩むことが肝要なのです。

    ( http://wp1.fuchu.jp/~zenshoji/hukusin.htm )

            <感謝合掌 平成25年1月6日 頓首再拝>

幸運を呼ぶ 福の神・仙台四郎 (5336)
日時:2013年01月07日 (月) 04時27分
名前:伝統


仙台四郎さんは江戸末期仙台に生まれた実在の人物です。

明治時代、商売繁盛の福の神として商人に大切にされていて
何時もニコニコと四郎さんが立ち寄る店は必ず大入り満員、商売繁盛・・・。

仙台四郎は本名を芳賀四郎といい、江戸末期に鉄砲職人の家庭に4番目の子として生まれました。
生家は裕福だったのですが、いわゆる「智恵おくれ」だったため「しろばか(四郎馬鹿)」と
呼ばれていたそうです。

しかし、生まれつき智恵おくれだったわけではなく、7歳の頃に川(広瀬川)に落ちて流され、
意識不明になった時から知能の発達が遅れたようです。

その後四郎さんは街を徘徊するようになり、箒(ほうき)が立てかけてれば、
勝手に店の前を掃いたり、店先にひしゃくを入れたままの水おけがあれば、
これまた勝手に水をまく。といった行動をとったようです。

やがて四郎さんが掃除した店は繁盛すると噂されるようになり、
「福の神」と呼ばれるようになるわけですが、実際に四郎さんが立ち寄った店は
客が入るようになったそうです。

四郎さんが「福の神」と噂されるようになると、わざと店の前に箒(ほうき)を立てかけたり
水おけを置き、四郎さんを招き入れようとする店が増えたそうですが、
そのような下心のある店には寄りつかなかったそうです。

四郎さんの知能がどれほど遅れていたのかは不明ですが、どうやら、直感的に自分を本当に
歓迎してくれる店とそうでない店を見分けていたようです。
そして、歓迎してくれる店が繁盛したということらしいです。

また、四郎さんは、子供のように明るく、純真で、いつも笑顔だったそうです。
体も丈夫で、四郎さんに抱いてもらった子供は健康に育ったとも言われています。


<Web:福の神 〜仙台四郎(せんだいしろう)〜
     http://www.nobi.or.jp/z/sendai-shirou/index.html >

            <感謝合掌 平成25年1月7日 頓首再拝>

トイレに住む「福の神」 (5393)
日時:2013年01月09日 (水) 06時43分
名前:伝統


        *Web「信仰日記(2010年09月29日)」より拝借・抜粋
        (http://igaiganet.seesaa.net/article/164099291.html

(福の神は便所に住む・・鍵山秀三郎の事)

便所の逸話を話してくださった。

「昔々人間の家に神様達も住むことになったそうです。
いよいよ引越しの時に、家の玄関が狭く神々は一度に入れなくて、
一人一人順番に好きな部屋に住むことにしたそうですが、
福の神だけがあまりにも金銀宝が入った袋が大きくて、最後に残されて家に入ったそうです。

ところが既に部屋はそれぞれの神々に埋め尽くされて、残っていたのは便所であったそうで、
そこに福の神が住むことになったそうです。」

従って、便所を汚くしていると福の神は出て行ってしまう
と言う事で、便所は特別に綺麗にしなさいと言うことになっているそうです。


そういえば小便器はキンカクシ「金隠し」といいますね・・
そうかここから金が溜まっていくんだ・・トイレ(富入れ)といいますね・・
富がたまるところなのか・・・


お尻を拭く(福)といいますね・・便器にうんこ(運)がたまりますね・・
綺麗に拭く(福)特に福の神の住まいを拭く時「隅」が大事・・
隅を綺麗に拭くことが福の神の住家を拭く事である。


手洗いといいますので「手で」しっかり洗うこと・・
手で心を込めて感謝して洗うことが福の神は喜ぶ・・・


さて・・便所掃除の達人といえば誰でもご存知カー用品販売の大手「イエローハット」
の創業者 鍵山秀三郎様ですが、「便所掃除の奥儀をこのように言っておられます。

「私は、抜きん出た能力はなし、商売の才覚もなし、リーダーシップもあるとはいえない。
・・だからせめて便所掃除から始めた。凡事徹底、言行一致、
誰でも出来ることを、誰も出来ないくらいに徹底し続けた・・

掃除は日本の文化です・・
掃除は心を綺麗にする一つです。すべてに行き届く原点です・・」


また、鍵山様は、このような事も言っておられます・・・・・

「唾面自乾(だめんじかん)」「たとえ顔に唾を吐きかけられても、手で拭ってはならない。
自然に乾くまで待て。長い人生には、さまざまな屈辱を味わう場面がある。
そんなときは、心を乱すことなく、ひたすら耐えよ」

という耐えがたき屈辱も耐えられる悟りの境地を生きておられます。

実は、私は昔々・・・今から35年前くらいに始めて鍵山様にお会いしました。
とても親しく親交が始まり、プライベートなお付き合いもさせて頂きました。

鍵山様は良く言いました

「誰でも良いことを知ると、今までは出来なかった。これからはやろう・・
というが、これからなどというときは無い・・こんな人は今を持っていない人」

同感の思いだが、私は「今」を知っていた人・・
鍵山様は「今」を生きてこられた方・・


(中略、以下はまとめ)


福の神は便所に住んでいるということではなかろうか・・
便所が汚れれば福の神は汚くて住めないから逃げてゆく・・・


まさに鍵山様の哲学「唾面自乾(だめんじかん)」までは出来なくても、

「凡時徹底」「言行一致」だったのではなかろうか・・・
「何をいまさら、いい年をさらして・・」と、鍵山様に笑われそうですが、
いまさらながら便所掃除の妙味を感じている毎日です。

便所を拭けば福がつき、運がつく・・隅まで拭けば福の神が住む・・

綺麗ピカピカ福の神・・手で洗えばピッカピッカ手洗い・・

ツルツルに磨けば「鶴」もすむ・・

スリッパも拭けばゴリッパになる。

お手拭だって、恩手富喜となる。

「紙」もありがたい「神」となる・・

大便だって「体からの大きな便り」と思えば、大切な大切なバロメーター

「うんこれで良し」と安心して毎日過ごせるのも便所のおかげ・・

もしもトイレが無かったら想像するだけでも気が狂う・・

トイレは運を貯める福の神がすむところ、せいぜい綺麗にしたいもの・・

            <感謝合掌 平成25年1月9日 頓首再拝>

それぞれの家に住む「七人の福の神」さま (5590)
日時:2013年01月14日 (月) 04時17分
名前:伝統


それぞれの家に住む七人の福神(『屋敷神・家内神』)さま

   それぞれの家には七人の神さまがつくと言われております。
   家が新築されると、この七人の神さまがダーと走って来て、
   自分の担当する部屋を決めるらしいのです。


(1)1番早く着く神さまは、応接間が一番お金がかかっていて見栄えがよく、
   格好いいということで、応接間の担当になるそうです。

   この神さまは、何も持たずに**(確認後掲載)で、脱兎のごとく走ってきます。

(2)2番目に着いた神さまは、ニ番目にお金がかかっていて見栄えがいい玄関を
   担当することになります。

   この神さまは、小さな紙袋位のお土産を持ってきます。

(3)3番目に着いた神さまは、次にお金がかかっていて見栄えがいいのは寝室と居間ですが、
   居間の方が、大きいテレビが置いてあったするので、居間を担当します。

   この神さまは、セカンドバックのようなものにお土産をつめてきます。

(4)4番目に着いた神さまは、残っているところでは寝室が一番見栄えがいいので、
   寝室を担当します。

   この神さまは、小さなナップザックを背負って走ってきます。

(5)5番目に着いた神さまは、残っているところで、台所が一番格が高いということで、
   台所を担当します。

   この神さまは、ちょっとしたリックサックを背負ってきます。

(6)6番目、7番目に着いた神さまには、流し洗面所、風呂、トイレしか残っていません。

   6番目に着いた神さまは、汚れた所を洗い流すという意味で、
   洗面所とお風呂を一人で担当します。

   この神さまは、リュックサックの中に大きなものすごい塊を入れてきます。

(7)7番目の神さまがたどり着いた時には、
   担当するところがトイレしか残っていないのでトイレを担当します。

   この神さまは、山男が背負うような後ろが全然見えなくなるほどの大きなリュックサックを
   背負ってきます。走ろうとするのですが、どうしても速く走れないので7番目になってしまいます。
   そのバックに何が入っているかというと、金銀財宝が入っているのです。

   その家に行って皆を裕福にしてあげようと思うのだそうです。


   この「トイレの神さま」は、その家で一番不浄な場所を担い、
   不浄なものを受け止め流す役割を果たしております。

   そして、その家の人々を豊かにしたいと願っております。
   7人の福の神さまの中で、一番愛深い神さまなのです。

   さらに、トイレは、人にインスピレーションが天降る3つの場所のひとつでもあると
   古来から、言われております。
   つまり、トイレの神さまは智慧の神さまでもあるのです。

   愛と智慧を具え、そして富をもたらす「トイレの神さま」。


   谷口雅春先生は、「トイレそのものが神さまであり、
   その働きがなければ、人間は生活していけないのであります」と述べられ、
 
   さらに、「愛と智慧は車の両輪」「愛と智慧は偏らないバランスが大切」と
   お説きになっておりました。

   まさしく、トイレの神さまは、神さまの御徳を体現されている、家神さまなのです。

   トイレを大切に扱い・拝みきることで、その人には「愛」と「智慧」の御徳と
   そのバランスがもたらされ、「富」の無限供給の流れに乗ることになるのです。  

   <参考Web:トイレの神様 
          http://zhimei-miyu.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_017a.html >

            <感謝合掌 平成25年1月14日 頓首再拝>

”お陰さま”という「福の神」 (6013)
日時:2013年01月28日 (月) 04時47分
名前:伝統

ある人は、”お陰さま”は自分の頭の右上方にいて、
それぞれを導いていられると言っておりました。

今回紹介する以下の書では、自分の足元にいて、
それぞれを導いているという設定になっております。

これから何回かに分けて、この書から、主人公である若い女性を導く
”お陰さま”の言葉を紹介して参ります。


         *檀れみ・著「幸運をはこぶ お陰さま」より


(1)「間違ったことをしている場合には、必ずサインが出ているはず。
   物事がうまくいかなくなって、必ず悪い結果で終わることになるというサインがね。
   誰かに会いに行こうと思っても急な予定が入って邪魔されるとか・・・。

   でもそれに気がつかないで失敗してもいいんだ。失敗は悪いことじゃない。
   最悪なのは、その理由を ”たまたま運が悪かった” で片付けちまうことなんだよ」

   「本来、この世の中の「幸運の法則」を ”発見することが出来る” のに、ただ
   ”たまたま運が悪かった” として ”忘れようとする” ってほうに頭がいっちまう」

   「”運が悪かった” で片付けてしまうと、お陰さま(幸運を運ぶ神様)から見ると、
   ”私の人生これでいいんです、うまくいっていますから、ほっといてください”
   という ”ニセ幸せサイン” に映ってしまう。」
 
                         (P62〜63)

            <感謝合掌 平成25年1月28日 頓首再拝>

幸運のサイン (6135)
日時:2013年02月01日 (金) 04時44分
名前:伝統

(2)お陰さまはいつも身近にいて、皆のことを見守ってくれている

   「神様っていうと、空の高いところから見守ってくれていそうな気がするけど、
   ”お陰さま”は目に見えないほど極小で、地上の草の陰や、人間の足元に存在するんだ。 
   昔の日本人は、こういう神様がいることをちゃんとわかっていたものさ」

                         (P54)

(3)幸運のサインを見逃さない

   「私達お陰さんはね、偶然を装うことが多いのさ、
   この世の中には、偶然なんてものは一つもない。
   サインに身を任せることを覚えて初めて、幸運に恵まれるんだよ」

                         (P56)

(4)宇宙の法則である陰陽五行を知る

   「この世はね、すべてのことがうまくいくように出来ているんだ。
   そういう幸運の法則で成り立っている。宇宙にはそういう法則があるんだ。
   それを陰陽五行というのさ。余計なことなどする必要はない。

   必要な時に必要なだけの力が与えられることになっている。
   そのことに気付けずに、変なことを考えだして自ら間違った方向へ行っちまう」

                         (P61)

            <感謝合掌 平成25年2月1日 頓首再拝>

幸せの運命に乗る (6171)
日時:2013年02月02日 (土) 04時45分
名前:伝統


(5)幸せの意味がたんに欲望を満たすことになっていないか注意する。

   「多くの人間が幸せだと思って目指しているものは、実際は幸せではないことが多いんだよ。
   幸せの意味ってのが、いつの間にか『欲望を満たす』にすりかわっちまっているんだ。
   見様見真似で培ってしまった間違った欲望だ」

                         (P70)

(6)幸せは形式ではない。常に今、感じられるものである。

   「本当の幸せとは、”常に気持ちいい。楽しいって思っていられる状態にあること”」

   「幸せを感じるのは、常に今じゃなければいけないんだ。
   幸せが先で形式は後、幸せと切れちゃいけない。
   そうすれば未来の運命だって手の中にあることになる。

   それをちゃんと感じていることが、運に乗るということだ」

   「そして運命による幸せというものには限界がない。
   この世は幸せに満ちあふれているといっていい。
   まず間違った欲望から解放されることだ」 

                         (P72〜73)

            <感謝合掌 平成25年2月2日 頓首再拝>

「人さま」は”福の神” (10268)
日時:2013年07月31日 (水) 07時18分
名前:伝統

     *『あなたに奇跡が起こる!心のそうじ術』<佳川奈未・著>(P91〜103)

ビジネスパートナーは”福の神”と知る
〜「初心」と「人さま」を大切にすると、ずっと成功と繁栄を受け取れる


自分のエゴと欲で汚してしまった心も、(心の)そうじをするすることで、
みちがえるような感動的で楽しい人生を送れるものです。

しかし、人は、エゴや欲ですっかり汚れ切っているとき、
そのことで自分がまちがったことをし、
誰かにひどいことをしていることさえ、気づけないものです。

ここに、心を洗い清め、潜在意識をクリーンにし、ミラクルの力で
失ったすべてを取り戻した人(S氏)がいます。

    ☆    ☆    ☆     ☆

S氏は、いまやその街を代表する大会社の社長です。
彼の信念は愛と感謝です。

“人さまを大切にしてこそ、自分の成功もあるのだ”ということを、あちこちで伝えています。

そんなS氏は、心のそうじをすることによって、穢れや悪い考えにおちいった自分を改め、
どん底の人生から幸せに復活した人です。



あるときS氏の人生は悲惨な状態に落とされました。
S氏が社長をつとめる会社の取引先が次々と契約を解除し、
ライバル会社に移っていったのです。

そのうえ、優秀だと信頼していた社員のしたことで大きなミスや不祥事が発覚し、
社会的名誉を傷つけられたことで、新たな仕事もなくなり、にっちもさっちも
いかなくなったのです。

負債は増えるばかりで、ついに会社は倒産寸前で、
いっそ自殺してしまいたいよいうところまで、追い込まれたのです。

そんなS氏は困り果て、最後の望みの綱として、ある霊能者(僧侶の経験を積まれた
霊験あらたかな方)のところに相談にいくことにしたのです。

そこでS氏はことの流れをすべて正直に話したのです。S氏の話はこうでした。

「実は、わたしは中学しか出ておりません。学歴もお金もコネもなく、そのためか、
得られるいい仕事もありませんでした。そして、それゆえ、何とか成功したいと思っていて、
自分の力でやれるものをと、いまの仕事を考え、ひとりでするようになったのです。

しかしながら、ひとりの人間が動いたところでたいしたことにはなりません。

わたしはまわりにいる仲間連中に声をかけ、何とか仕事を手伝ってもらえないかと
頼んでまわったのです。みんなもわたしの身のうえを案じて、それはそれは、親身になって
くれました。わたしが安い賃金しか払えないことも承知で、わたしがうまくいくようにと、
みんな、本当によくわたしを助けてくれたのです。

しかも、わたしをはじめ、一緒に仕事を手伝ってくれた連中も、無学でコネもなく、
とりえといったら、“よく働く”ということだけでした。

そんな連中とともに会社を大きくしていったのです。
会社は自分でも驚くほど急成長しました。

ところがわたしはあるとき、ふと、こんなふうに思ってしまったのです。

“こんな無学な連中と組んで仕事をしても、こんなに会社を大きくできるなら、
この連中より、もっと学歴があり、いいコネや、経済的サポートを受けることが
可能な立場や環境にいるやつと組んだら、どうなるだろう?

きっと、いまより会社は発展し、もっと大きく儲けられるに違いない”と。

そう思ったわたしは、社員に内緒で、優秀な人間を自らヘッドハンティングし、
あるとき、創業時から一緒にいたすべての人間の首を切り、人材を総入れ替えしたのです。
これで、会社はもっと拡大するだろうと計算していました。

ところが、会社の様子がおかしくなり、低迷してきたのは、この頃からなんです。

わたしには理由がまったくわかりませんでした。なぜ、こんなに高学歴の人たちを
集め、頭脳優秀集団をつくることに成功しているのに、会社は成功しないのかと。

会社の業績の落ち方といったらびっくりするほどで、いったい何が起こったのかが
わからないまま、なす術もなくここまできてしまったのです。

なぜ、会社は上向きになるどころか、こんな悲惨な状態になっているのでしょうか?

先生、どうぞ教えてください!! わたしの大事な会社がこんなに急激に落ちた理由を!!
どんな悪いものがとり憑いてこのような不運にみまわれたのでしょうか?
このままだと 道はありません! 助けてください!!」

話し終えると、S氏は頭を抱え、霊能者の言葉を待っていました。
すると、霊能者はこう言ったのです。

「何も悪い霊などとり憑いているようには視えません。そんなものはありません」

「えっ!? では、いったい何が原因で? 」

霊能者は落ち着いた口調で、S氏にこう聞いたのです。

「あなたが一番最初に辞めさせた人がいますね。
それも、かなりひどいやり方で切りましたね。それは誰ですか? 」

「ああ、先生、最初に辞めさせたやつなんか、問題じゃありませんよ。
そいつは、無学な19歳の男で、何のとりえもないので、倉庫係にしていただけのやつですから。
そいつがどうこう言ったところで、なんら会社に影響などありませんよ。
会社の悲惨さとは、まったく関係ないと思います」

「いや、その青年をすぐに呼び戻しなさい」

「先生、何をおっしゃるんです! いまのわたしの話を聞いていなかったのですか?
それより、会社が上向きになる方法をぜひ教えてください!!
困っているんです、本当に!!」

霊能者は、もう一度同じことばを、今度はもっときっぱりと伝えました。

「その19歳の青年を呼び戻しなさい!! 彼こそが会社の“福の神”です!
よく思い出しなさい!! その青年のふるまいを!あり方を!!
他の人間にはない、純粋な素晴らしい宝物があったのではありませんか? 」

「・・・・・・・!! 」

そして、霊能者は、感じ取ったすべてを、続けてこう伝えました。

「すべての取引先があなたの会社から手をひいたのは、その19歳の青年がいなくなったから
です。どの取引先も、彼の人柄の良さに惚れこんで、彼のためならと、いろんな荷物を
あなたの会社の倉庫に入れる契約をしていたのです。

彼は、天使のような人間で、誰に偉そうにするわけでなく、
頭も腰も低い、相手をよく立てていた人です。

雨の日も、風の日も、嵐の日も、冬は寒くて冷たい倉庫にいても、
また、夏は暑くて蒸し風呂のようになる冷房のない倉庫にいても、何一つ文句を言うどころか、
人をねぎらい、かげになって一生懸命働いていたはずです。

取引先のトラックを毎度毎度、気持ちのいい笑顔で迎え、心から相手をねぎらい、
惜しみなくあたたかい言葉をかけていました。

みんな、その青年に癒され、救われ、力をもらっていた様子がありありとわたしには視えるん
ですが、あなたは知らなかったとでも!?

悪いことは言いません。とにかく、救われたいとあなたが本気で心から願うなら、
その青年をバカにするのをやめ、彼こそが福の神だったと知ることです。

そして、社長のあなたのほうからひどい仕打ちを何年もしていたことをわび、感謝しなさい。
そうすれば、再び以前の取引先も戻ってきてくれ、あなたの会社はもとに戻ることでしょう。
わたしが伝えたいのはそれだけです」

S氏は、ただただ驚き、そうして、こてんぱんにやっつけられたような気持ちになりました。
と、同時に、絶望的な気持ちにもなっていました。
というのも、いまさらどうしらいいのかと。そして、こう霊能者に言ったのです。

「先生・・・それをいまさらどうすればいいのでしょうか? いくら天使のような青年とはいえ、
わたしはあまりにも彼に対してひどい仕打ちをしていましたし、彼をねぎらったこともなく、
むしろ、学歴のないやつを雇ってやっているんだから、もっと働けとでもいうような態度を
とっていたのですから。謝るといっても、わたしのことを受け入れてくれるかどうか・・・」

「大丈夫です。彼はあなたに会いますよ。そしてなにもいやな受け取り方はしないことでしょう」

「・・・けれども、先生、わたしには勇気がありません・・・。人に頭を下げたこともないし、
まして従業員に社長のわたしが頭を下げるとは、恥のような・・・・。ひとりで行く勇気がない
のですが、先生、ご同行願えませんか。もし、そこで彼に会ってもらえなかったとしたら、
悔やまれてなりませんが・・・」

そして、早々、2人は、青年に会いに行ったのです。行くとき、
「もしかしたら、青年はもう新しい仕事をみつけて働いていて、家にはいないかもしれない」
という不安もよぎりました。しかし、どうしても青年を訪ねたいということで、
彼のもとへ足を運んだのです。

青年の家につくと、深呼吸し、それから社長は、呼び鈴を押しました。
家の中から人が玄関にやってきた気配がしました。そして、鍵の開く音が聞こえました。
社長は心苦しい顔をして、ドアの前に立っていました。

そのとき、青年が玄関のドアを開け、出てきたのです!

青年は、社長の顔を見るなり、とびきりの笑顔になり、こう言ったのです!

「あっ、社長!!どうされましたか?さぁ、どうぞ、中にお入りください。
社長がどうされているのかと気になっていたのですが、今日はお顔を見せていただけ、
こんなにうれしいことはありません!

社長、お体は大丈夫ですか?
腰の痛みはとれましたか?
いつでも言ってくださったら、僕が腰をもませてもらいますから! 」

その青年の言葉に、S氏はその場にしゃがみこんで、号泣してしまいました。
そして、地面に頭をこすりつけて、土下座して、こう言ったのです。

「すまなかった!! 本当にすまなかった!! わたしが悪いんだよ!!
君にはひどいことばかりしていたことを、なんと詫びればいいんだ・・・」

「社長、よしてください! そんなこと!どうぞ、顔をあげて、お立ちになってください。
ひどいことだなんて、そんなことをされた覚えはありません。
それより、僕は、社長が僕を雇ってくれていたことにいつも感謝していたんです。

僕は社長に、あれをしろ、これをしろと言ってもらえるのが、とてもうれしかったんです!
生き甲斐でした。

僕のような者でも、少しは社長のお役に立てるんだろうと思うと、
それだけでうれしかったんです!

僕は社長もあの会社も取引先も、みんな大好きで、みんなによくしてもらっていたこと、
感謝しかありませんから」

その青年の言葉を聞いて、社長は、こう言ったのです。

「戻ってきてほしい!! 君に戻ってきてほしい!! わたしを助けてほしい!!
心を入れ替えて君に接するから、もう一度、わたしと仕事をしてくれないか」

「えっ、本当ですか! 僕、もう一度社長のところにいられるんですか!
それなら、よろこんで、お仕事させていただきます! なんでも僕に言ってください!
いくらでも僕を使ってください!」

そうして、本当に彼は会社に戻ってきたのです!

S氏は、青年とともに解雇した前の仲間たちも呼び戻す努力をしました。

青年は再び会社に入るとすぐに、離れていった取引先にかたっぱしから電話をかけ、
あいさつまわりに行きました。すると、
「ああ、君が戻ってきたのなら、もう一度取引してもいいよ」と、
みんながそう言ってくれたのです。

そうして、ほんとうに、“福の神”が舞い降りたかのように会社が活気を取り戻し、
再生したのです。

S氏は、人を大切にすることは、自分を大切にすることであり、
それなくして、幸せも成功も豊かさもないのだという大きな教訓に気づき、
かけがえのない宝物を、再び手にすることができたのです。

人間が、心の穢れを一掃し、すべてを一新できたとき、
いつでも、本当に手にすべき幸せな奇跡が起こるようになっているのです!

・・・

ここに、某S団体の復活の鍵のひとつがあるような気がいたします。

            <感謝合掌 平成25年7月31日 頓首再拝>



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