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光明掲示板・第三

 

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よき運を招くⅡ (48)
日時:2014年09月02日 (火) 03時43分
名前:伝統

光明掲示板第二「よき運を招く (9891)」からの継続です。
  → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=1912

             ・・・

運がよくなる極意とは

    *『神様に愛されたら、幸せな奇跡が起こりだす』(P48~50)より抜粋

(1)「開運」とはどういうことでしょうか?

   これって、ひと言で済むことです。つまり、

   「神様に好かれる」

   それだけのことなのです。

   つまり、

   「神様に好かれる」⇒「神々が自分に寄ってくる」⇒「神々にお力添えをいただける」
    ⇒「当然のように運がよくなる」⇒「不幸が近寄らない」 

   ということです。

(2)神様たちが好きな人間とは?

   「嫉妬心がまったくない人」

   「嫉妬心がまったくなくて、いつでも他人の幸せや才能や、優れた能力を
   自分のことのように素直に喜べる人」

   神々は、自分たちと同じような、似たような波長の人間のところに
   スーッと吸い寄せられてきます。

   霊の世界というのは、同じような波動のもの同士が自然に惹かれ合うのです。
   それは神様と人間の関係でも同じことです。

(3)神様が寄って来ない人がやってしまっていること(負のカルマ)を、
   徹底してやらないことからはじめることです。

   そうすることで、自分の魂を下げることがなくなります。

   そうして、自分の魂を高め続けることです。

            <感謝合掌 平成26年9月2日 頓首再拝>

【あなたは相当運がいい】 (132)
日時:2014年09月06日 (土) 03時55分
名前:伝統

            *メルマガ「日本一元気になる(平成26年9月3日)」より

毎日生きていると、
いやなことがあったりして、自分はついてないなあとか、
自己嫌悪に陥るようなことがあったりするものです。


他人の成功を見て、自分には能力がないなあと思ったり、
ときにはうまくいかないことを自分のせいではなく、
親のせいにしたりする人もいたりすることでしょう。


しかし、自分のご先祖様に思いを致すと、
あなたは相当運がいい人であるということに気づくでしょう。


あなたのお父さん、お母さん、
つまり両親は2人です。

さらに、あなたの両親には必ず両親がいるので、
二代前は4人です。

あなたの4人いるおじいさん、おばあさんにも、
両親が必ずいたはずなので、 三代前は8人です。


と考えていくと、四代前、五代前・・・・

六代前は64人、
七代前は128人、
八代前は256人、
九代前は512人、

十代前になるとついに千人を超え、1,024人。

十一代前は2,048人、
十二代前は4,096人、
十三代前は8,192人、

十四代前は1万人を超え、16,384人。

あの名酒「十四代」と関係はないでしょうが、
あなたの先祖を十四代さかのぼると1万人を超えるご先祖さまがいるわけです。


さらに行きます!

十五代前は、32,768人、
十六代前は、65,536人、
十七代前は、10万人越え、131,072人。

十八代前は、262,144人、
十九代前は、524,288人、

そして二十代前になると、100万人を超え、
104万8,576人のご先祖様がいることになるわけです。


しつこいようなので、
ここらへんでやめておきますが、

さらに計算すると、
二十八代前で1億人を突破する計算になるようです。


一世代30年といわれますので、
28代掛けることの30年で、840年。

840年前、1174年。
武士の時代が確立する直前の時代ですね。



840年間、1億人のご先祖様が、

ただの一人も欠けることなく、

あなたのご先祖様である男女がしっかりと出会い、
次の世代にバトンをつなぎ、

いまのあなたがあるわけです。


途中の人生で病死することもなく、
不慮の事故によって亡くなることもなく、
生命のバトンをつないでくれたご先祖様が1億人いたので、

いまのあなたがあるわけです。



そう考えてみると、
1億人のご先祖が、840年間という長い間、

何事もなく男女が出会い、
平穏無事に暮らし、
次の世代へバトンタッチをし続けてきた、

その結晶が、

「いまのあなた」

であるわけですね。


つまり、

あなたは相当「強運」の、
そして強く、すばらしい生きる力を持った人物である、

といえるでしょう。


そう考えてみると、
宝くじで3億円当たるのは、
大した運ではないとも思えるほどですね。


あなたは、

とてもツイている、

すごい人です!

            <感謝合掌 平成26年9月6日 頓首再拝>

【仕返しは運を悪くする】 (240)
日時:2014年09月10日 (水) 04時07分
名前:伝統

         *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年08月20日)」より


   (リチャード・カールソン氏の心に響く言葉より…)

   親切にしたのに、恩を仇(あだ)で返される、約束したのに裏切られる…。
   心の底から「くやしい!」と思ったことがあなたにもきっとあるはずだ。

   そういう時は、どうした?
   相手に何とかして「思い知らせてやりたい!」と思わなかっただろうか。

   人間は「仕返し」をしたいと考える生きものである。

   大きいことから小さいことまで、
   自分にイヤなことをした相手に「仕返し」をしたいと思うし、実際に仕返しする人もいる。
  
   古今東西の小説でも現実の世界でも、「仕返し」という悲劇は生まれている。


   なぜ仕返しを考えるのか。

   それはスッキリしたいからだ。

   でも、この「仕返し」ほど運を悪くさせることはない。

   仕返ししたい気持ち、つまり復讐心は、
   悪魔が仕掛けた大きく深い落とし穴といってもいい。


   私の友人に、抜きん出て歌のうまい女性がいた。

   才能を磨けば、一流の歌手になれそうなほどだったが、
   そのころ、彼女は両親との仲がひどく悪かった。

   その両親は、彼女が聖歌隊に入ることを望んだ。

   彼女自身も入りたかったのだが、
   彼女は親への反応が強かったので「思い知らせてやる」つもりで、とうとう入らなかった。

   おかげで彼女は、持って生まれたすばらしい才能に磨きをかけるチャンスを逃した。


   腹の立つ相手に「思い知らせて」やると、たしかに一時的には気分がいいかもしれない。
   だが、結局損するのは仕返しをしたほうだ。

   なぜ、そのことに気づかないのだろう。

   私だって、頭にきているときには、相手をやっつけてやりたくなる。
   だが、腹立ちまぎれの仕返しは、「自分のためにならない」。


   一歩退いて、悪魔の落とし穴をよけて通ろう。

   そうすれば「私は賢明で強い人間だ」と自信が持てる。

           <『運がよくなる77の方法』(浅見帆帆子訳)王様文庫>

          ・・・

くやしくて眠れなくなるようなひどい仕打ちを受けたとき、
「仕返し」をしたくなってしまう気持ちは痛いほどよくわかる。

しかし、その仕返しを実際にしたと仮定してみれば分かるが、
その結末は自分にとっていいことはあまりない。


「最高の仕返しとは、とんでもない成功を収めることだ」(フランク・シナトラ)

くやしい気持ちをバネに、いつか見返してやると成功した人は多い。


それは別の言葉で言いかえると、

「最高の仕返しとは、楽しく愉快に暮らすこと」

相手に思い知らせてやる、と仕返しするのではなく、
自分に目を向けると、別のやり方が見えてくる。


「仕返し」をすれば、結局は自分の身を傷つける。

人の不幸を願ったら、自分も不幸になる。


仕返しは運を悪くする。

            <感謝合掌 平成26年9月10日 頓首再拝>

”負けるが勝ち” (526)
日時:2014年09月21日 (日) 04時44分
名前:伝統

         *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年09月01日)」より

   (萩本欽一氏の心に響く言葉より…)

   「負けるが勝ち」
    よくこう言いますよね。僕もそう信じています。

   でも、なんで負けるほうが勝ちなんだと思いますか?

   僕なりの理由はこう。

   “負けたほうが運がたまるから”。

   誰も必ず人と意見が衝突することがあるけれど、そういうとき
   「自分のほうが正しい」とか「議論に勝ちたい」って、つい思っちゃいますよね。

   でも、そう思ったら負け。

   勝とうとすると自分の運が減っていくんです。

   カッとなって「てめえ、ばか野郎!」なんて相手に言うと、
   それだけで運が10ポイントも減点されちゃう。

   「てめえ」でマイナス2ポイント、
   「ばか野郎」で8ポイントの減点。

   売り言葉に買い言葉で1時間も相手を罵っていると、
   それだけで2000~3000ポイントも運が減ります。

   このマイナス分は、なかなか取り戻せないですよ。

   だから言い合いになったときは、自分が正しくないかということより、
   運を減らさないことを大事に考えたほうがいいの。

   相手が「てめえ、ばか野郎!」と言ってきたら、
   「あ~あ、あの人、自分の運を減らしちゃったよ、
   その分をこっちがもらっちゃおうかな」と心の中で考えるの。

   具体的な方法はどうすればいいかというと、謝っちゃうんです。

   「そうか、悪かったね」とか、
   「ごめん、君の言う通りだよ」って言えばいい。


   えっ、そんなの悔しい?

   そう、悔しいよね。

   自分が謝る場面じゃないのに「悪かったね」なんて言うと、損したような気がする。

   でも、そのときあなたには、相手が失った10ポイントの運がたまっています。

   気持ちで損をするのと、運が10ポイントたまるのと、
   どっちをとるかっていったら、運がたまるほうがいいでしょ?

   こうやって少しずつ運のポイントをためていれば、
   宝くじだって当たるかもしれないしね。


   もう一つ大事なのは、自分が一歩引くことによって、
   相手に嫌われるのを避けられるっていうこと。

   人に嫌われないっていうことは、すごく運になるの。

   それでまた10ポイントついてくる。


   人生って結局、運をどれだけためられるかっていう勝負なんです。

   だから、そのほかの勝負で勝とうなんて思わなくていいの。

   だからバ~ンと言われても、ぐっとこらえて言い返さない。

   負けるが勝ち。

   いや、我慢していい言葉を返していくとポイントが次々に加算されるから
   「負けるが勝ち、勝ち、勝ち」だね。

   勝ち、勝ち、勝ちって、火打石がカチッ、カチッ、カチッと鳴って
   火がポッポッポッとつくようで景気もいいでしょ。


   今の日本では、運をなくしている人が多いですよね。

   これもみんなが怒りっぽくなってることと関係あるんじゃないかな。

   これからは相手に一歩譲る人になって、小さな運を少しずつためていきましょう。

      <『まけるが勝ち、勝ち、勝ち!』廣済堂新書>

              ・・・

欽ちゃんは、「運がいい人」はなぜか“負け好き”の人、だという。

負け好きの人は、失敗しなれているということでもある。

失敗しなれている人は、打たれ強いし、起き上がりこぼしのように
転んでも何度でも立ち上がる「飄々(ひょうひょう)とした軽さ」がある。


逆に、負けず嫌いの人は、他人に負けることを嫌う勝気な性格であり、
負けないことに執着するという、「融通のきかない固さ」のようなものがある。

軽さや柔らかさは明るさにつながるが、固さは明るさにはつながらない。


神さまから好かれるのは飄々とした明るい人。

そして、神さまから好かれる人を運のいい人という。

負けるが勝ち、の精神で、飄々として明るく頑張りたい。

            <感謝合掌 平成26年9月21日 頓首再拝>

ツイている人の心 (669)
日時:2014年09月28日 (日) 04時39分
名前:伝統

        *「幸せな気持ちになる不思議な本」福田 純子・著(P41~44)より

あなたの人生はツイていると思いますか、
それともツイていないと思いますか。

何よりも大切なことは、自分自身に対する思いです。
「人生は思いどおり」なのですから、ツキを呼ぶためはまず
自分自身がツイていると思うことから始めましょう。

どうしてもツイていると思えない人は、「ツイてる、ツイてる・・・」と、
10回大きな声で言ってみましょう。
口に十と書くと「叶う」という字になりますから、思いがかなうかもしれませんよ。

さて、次にツキを呼ぶために必要なのは「よかった思考」です。

「愛少女ポリアンナ」は、一日の中でアラ探しではなく、「よかった探し」をして、
しあわせを心に実現させた少女の物語です。
ポリアンナ少女のように、何でもよかったと思える方向に心を運転するのです。

1000円を手にして「なあーんだ、1万円の10分の1か 」と思う人もいれば、
「ワアーツ、100円の10倍だあ 」と感謝いっぱいの気持ちになる人もいます。

「怠け者」と「働き者」という二宮尊徳の話があります。

二人の若者が江戸へ出て働く決心をします。
ところが、水に代金を支払うことになって、一人は
「江戸は水にまでお金を取るなんて、なんとひどいところだろう」と田舎へ戻り、

もう一人の若者は
「江戸では水さえもお金になるのだから、やろうと思えば何でもお金になるんだ」と
働く決心をするという話です。

前者の若者は江戸に出てきた自分のツキのなさを嘆き、
後者の若者は自分のツキを喜んだとも解釈できるでしょう。

どんな環境の中でも前向きに考えることが、ツキを呼んで、
自分にしあわせを引き寄せるコツなのです。

今このとき「私はツイている」と思い込み、声に出してみることから始めましょう。
そして、なぜツイているのかをじっくり逆算して考えて、自分で自身を説得、
納得させてみてはいかがでしょう。

思いの切り替え一つで、自分が驚くほどツキのある人生を歩んできたことを
知ることになるかもしれません。
 
ツキを呼ぶためのいろいろな法則をより早く実現させるのが笑顔です。
ツイている人をまわりに集めて、笑顔でその仲間入りをするだけで必ずツキが回ってきます。
 
ツキには不思議な磁力があるようです。


            <感謝合掌 平成26年9月28日 頓首再拝>

【ツキも実力のうち】 (789)
日時:2014年10月04日 (土) 04時17分
名前:伝統

         *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年09月14日)」より

   (野村克也氏の心に響く言葉より…)

   ■よく、「ツキも実力のうち」といいます。

    この言葉こそ、至言(しげん)だろうと思うのです。
    生意気なようですが、30歳をすぎた頃から、
    私は、そう考えるようになっていました。

    誰だったか、

    「これほどの、努力を、人はツキといい」
    と、ザレ歌にしたことがありました。

    確か、スポーツ新聞で読んだ記憶がありますが、
    そのとき、強い共感を覚えたものです。


   ■「私はすごく努力しましたよ」などというやつがいるでしょう。

    これは日本語としておかしいんです。
    努力しているかどうかを判断するのは、まわりの人でしょう。
    自分が判断すべきことではない。

    だから、自分は努力しているなどというやつに、
    本当に努力しているやつがいたためしがない。

        <『人生を勝利に導く金言』致知出版社>

            ・・・

「私はすごく努力をした」と言う人がいたとすれば、
それは「自分をもっと認めてもらいたい」ということであり、
「自分はこんなにすごいんだ」と自慢していることになる。

「こんなに忙しい」「すごい儲かっている」「自分は頑張ってる」というのも同じ。


本当に儲かっている人は、人には言わない。

同様に、本当に努力している人は人には言わず、ただひたすら淡々と努力をしている。

頑張っているかどうかは見ている人が決めること。


「ツキも実力のうち」

努力をするからこそ、実力が身につく。

すなわち、ツキは努力に比例する。


ひたすら努力する人に、ツキの女神はやってくる。

            <感謝合掌 平成26年10月4日 頓首再拝>

【運を上げるチャンス】 (970)
日時:2014年10月11日 (土) 04時53分
名前:伝統

         *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年10月06日)」より

   (本田健氏の心に響く言葉より…)

   「いつも一所懸命に頑張っている人」は応援されます。
   「汗をかいている人」は、誰しも応援したくなるものです。

   たとえば、一所懸命にラーメンをつくっている人、
   道路で汗だくになって工事している人、重い荷物を運んでいる人。

   特に、雑用を丁寧にやることは大事です。
   役職の高い人がパーティなどの際に、イスやゴミを片づけていたりすると、
   「そんなことまでやってくれるの」とまわりの人はみんな感心します。

   自分に才能らしきものが見つからないうちは、ここからスタートするのもありです。


   面倒くさいこと、汚いこと、人に嫌がられることを率先してやれる人になれば、
   それだけで「応援される人」になれるからです。

   誰もが嫌がる仕事を率先してやることは、
   職場で運をよくする一番手っ取り早い方法です。

   どの職場にも、必ず人が面倒くさがったり、敬遠したりするような業務があります。
   それを進んでやることができる人は、必ず評価されます。

   そして、そういう業務をあてがわれたときは、自分の不運を嘆く代わりに、
   「運を上げるチャンスがやってきた」と、喜ぶべきです。

   これからの人生で、どこに行ったとしても、
   雑用、面倒な作業があれば、率先してやっていくことをお勧めします。

   なぜなら、その仕事をやることは、あなたに運をもたらすからです。

   今、評価されているトップの多くは、不遇な時期を必ず体験しています。
   そこで、めげずに明るく振る舞ったり、まわりを励ました過去を持ちます。

   逆境でめげない精神力と、復元力は、高く評価される素質です。

   これからの人生で、面倒くさいこと、汚れ仕事を見つけたら、
   自分の男(女)を上げるチャンスだと喜んでください。

   そして、それをニコニコしてやりとげたら、
   あなたはまわりを驚かせることになるでしょう。

   そうやって、まわりの人を喜ばせる人物になれば、
   きっとあなたは、今とは違った評価をされるはずです。

          <『なぜ、あの人はいつも好かれるのか』三笠書房>

            ・・・

町内や職場での一斉のドブ掃除や、大掃除をやったようなとき、
手を抜く人か、一所懸命にやる人かすぐに分かってしまう。

社会的地位に関係なく、身を粉にして動く人は魅力がある。

雑用や、面倒な作業、人から嫌がられるような作業は、魅力のリトマス試験紙。


ある講演会の時、講師が
「講演が終わった後、自分の書いたホワイトボードの字をきちんと消して帰るかどうかで、
その講師の評価が決まる」と言っていた。

後始末がきちんとできる人かどうかで、
言っていることとやっていることが違う、と思われてしまうからだ。


「雑用や面倒な仕事は運を上げるチャンス」

人から嫌がられる仕事ほど、ニコニコしてやれる人でありたい。

            <感謝合掌 平成26年10月11日 頓首再拝>

「伊勢神宮を参拝できた人はみな、大吉」 (1207)
日時:2014年10月20日 (月) 06時10分
名前:伝統

        *「全感謝する練習」(P78)より

神社にお参りに行った際に、おみくじを引かれる方は多いと思います。
特に初詣のときには、今年1年を占う気持ちで引かれるのではないでしょうか。

全国、どこの神社に行ってもおみくじはたいていありますが、
実は、伊勢神宮にはこのおみくじがありません。
それはなぜだかわかりますか?

理由は、「伊勢神宮を参拝できた人はみな、大吉」だからです。

「伊勢神宮に参拝できた人」とは、「伊勢神宮に呼ばれた人」です。
呼ばれないと伊勢神宮には参拝できないのです。

私の知り合いにも「伊勢神宮に行きたいんだけれど・・・」と言いながら、
予定していた日に急な仕事が入って行けなくなったり、機会に恵まれない人が多くいます。

だから、伊勢神宮に呼ばれ、お参りできただけでも、その方は”大吉”なのです。

            <感謝合掌 平成26年10月20日 頓首再拝>

「ツイてる」とはツイてる考え方ができること (1330)
日時:2014年10月28日 (火) 04時28分
名前:伝統

         *「全感謝する練習」(P78~81)より

(上の記事にあるように)

本当に、伊勢神宮に呼ばれないと行くことが不可能なのかどうかということを証明する
ことはできませんが、私はこの「おみくじを引かなくても、伊勢神宮にお参りできた人は
みな、「大吉」という考え方は、とても共感できます。

おみくじは、楽しんで引く分にはいいのですが。その結果に一喜一憂したり、
悪い結果が出たからといって落ち込むのは考えものです。

おみくじで自分の運を”ためす”よりも、
運は自分で”開き”、いくらでも”良くする”ことができます。


たとえば、朝、家を出るときに靴のひもが切れました。
「ツイてない」とか、「不吉だ」と思うと、朝から一日、憂鬱な気分になります。

それよりも、「出るときでよかった。これが外出先だったら大変だった。ツイてる」
と思えば、気分を害することもありません。


また、駅に行く途中で頭に鳥のフンがポタリ!
「汚いなぁ、なんてツイてないんだ」と思うところを、
「落ちてきたのが石だったら大ケガしているところだ。ツイてる」と言って、
これで”運”がついたと思うことができれば、なにかいいことが起こりそうな気もしてきます。


さらに、途中で財布を落としたとします。
「最悪だ! なんてツイてないんだ! 」と思ったところで財布は返ってきません。

それよりも、「命まで落さなくてよかった。ツイてる」と思って警察に届けを出し、
カード会社にも連絡するなど、まずは対策ありきで、やるべきことをやります。

財布を落としてお金もなくなったうえに、気持ちまで落ち込んでしまったら、
なにもいいことはありません。対策をとれば被害を最小限にとどめることができますし、
財布が見つかって戻ってくるかもしれません。

だからとにかく、気持ちだけでも落さずにいたほうが絶対にいいことがあります。


結局、「運がいい」とか「ツイてる」というのは、考え方次第なのです。

起きる現象は同じでも、「ツイてない」と思う心は、
また「ツイてない」という現象を呼び寄せます。

反対に、「ツイてる」と言っていると、
また「ツイてる」と言いたくなるような現象を呼び寄せます。

これがまさに、「引き寄せの法則」なのです。

物事には、必ず良い面と悪い面があります。
片面だけで判断するのはよくありません。

大切なのは全体をとらえること。
そして《全体に感謝することです》。

伊勢神宮の話の続きで言えば、私は伊勢神宮に参拝するときには外宮、内宮だけではなく、
内宮別宮の「月讀宮(つきよみのみや)」にも必ず参拝しますし、人にもそう勧めます。

月讀宮の御祭神は、天照大神の弟神である月讀命です。
天照大神が太陽の神であれば、月讀命は夜を統治する月の神様です。

太陽である天照大神は、あまりにも大きな存在なので、どうしてもそこに注目して
しまいますが、太陽と月は表裏一体の関係です。昼があれば夜もあります。
だから、バランスをとるという意味でも、私は天照大神だけでなく、月讀命も参拝する
ようにしているのです。


「大好きな人にフラれた」という悲しい事実の裏側には、
「もっとステキな人に出会えるかもしれない」という楽しい事実があります。

「大好きな人と出会い、結ばれた」というしあわせな事実の裏側には、
「いつの日か、死か別れのときがくる」というつらい事実があるのです。

だから、その片面だけを見て喜んだり悲しんだりするのではなく、そのことすべてに感謝する。
そして喜ぶべきことも、悲しむべきことも、すべて受け入れるという心のあり方が大事
なのだと私は思うのです。

            <感謝合掌 平成26年10月28日 頓首再拝>

悪運を避けるために (1529)
日時:2014年11月07日 (金) 04時53分
名前:伝統

          *『人生をたのしく』医学博士徳久克己先生・著(P117)より  


生長の家は光明思想と言っていました。
どういう時に明るい気持ちになるかというと、感謝したときに明るい気持になる、
これは間違いありませんね。

だから似たものが集ってくるんだから、
悪運を避けるには、悪運と違う心になればいいんですよ。


悪運と違う心というとどんな心かというと、124頁( 頭注版『生命の實相』第1巻)に

《 自分の心の状態が、災難や不幸とはぜんぜん似つきもせずかけはなれた
明るい信仰状態にいましたら、われわれは災難や不幸のまっタダ中にいてさえも、
災難や不幸から鰻(うなぎ)のようにぬるぬる滑り出して
傷つけられるということはないのであります。 》

と書いてありますね。

こういう悪運を避けるためには明るい心になる、
そうして悪運と波長の合わない心になることが大切です。

            <感謝合掌 平成26年11月7日 頓首再拝>

《トイレ掃除と金運》 (1609)
日時:2014年11月10日 (月) 04時26分
名前:伝統

今日は11月10日。トイレの日です。
「いい(=11)トイレ(=10)」の語呂合わせで、1986年に 定められました。

そこで、今回は、「トイレ掃除と金運」についてのお話の紹介です。


《「金運」を上げるには、トイレの掃除をするのが良い》


(1)やっぱり、トイレ掃除だった-お金を稼ぐ絶対法則

   「トイレ掃除金持ち」伝説が単なる迷信であることを証明するため、
   ある男性が調査をしました。しかし、結果は期待と全く逆でした。

   収入の高いご家庭のトイレ清掃回数を調べたのですが、
   収入と清掃回数が比例していることが分かってしまったのです。

   トイレ掃除伝説の間違いを証明するはずが、逆に「お金持ちがトイレ掃除を
   頻繁にしている」という事実を信じざるを得なくなってしまったのです。

   (http://okaneeru.web.fc2.com/006.html


(2)体験談

  ①トイレ掃除を毎日続けてから5年以上経ちますが、ホント、お金に困ることもなく、
   けっこう臨時収入があったりして金運がかなりUPしましたね。

   (http://heyanokataduke.com/

  ②トイレ掃除を始めてまる5年を過ぎました。
   ありがたいことに必要なときに必要なだけのお金が入ってきているように思います。
   朝 家を出る前の習慣になりました。

  ③トイレ掃除を始めて1年が過ぎました。
   あれから一日も休まず、旅先では旅先のトイレの掃除もしています。
   もちろん、素手で!

   さて、こうやって1年以上過ぎて、振り返ってみると、
   お金が随分舞い込み貯まりました。
   年収くらいのお金がそのまま銀行の口座に入っています。

   舞い込んできたと言うのもあるし、逆に出費がなくなったというのもあります。

   トイレ掃除ってすごいです! これからも続けます。

   (http://www3.ezbbs.net/35/matuti/

(3)トイレの神様 烏枢沙摩明王

  ①烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)は、密教における明王の一尊である。
   台密では五大明王の一尊である。

  ②特に有名な功徳としては便所の清めがある。

   便所は古くから「怨霊や悪魔の出入口」と考える思想があったことから、
   現実的に不潔な場所であり怨霊の侵入箇所でもあった便所を、烏枢沙摩明王の
   炎の功徳によって清浄な場所に変えるという信仰が広まり今に伝わっている。

  ③本当にいた! 「トイレの神様」は婦人科の病気からも守ってくれる強い味方

   (http://woman.excite.co.jp/topics/culture/rid_woman_topics26538/

  ④トイレの神様に対して、真言を唱えながら心をこめて掃除をすることで、
   金運が上がるのだそう。

   その真言とは・・
   「オン・クロダノウ・ウンジャク・ソワカ」

   トイレの神様は「ウスサマ」(烏枢沙摩明王)ですから、
   「ウスサマ・オン・クロダノウ・ウンジャク・ソワカ」
   と、唱えながら掃除をするといいのだそうです。

   (http://abekeiko.blogspot.jp/2013/02/blog-post_12.html

<参考Web:

(1)風水で運が良くなる方法。
       金運も!健康運も!「トイレ編」
      → http://fushigi-chikara.jp/fusui/240/ 

(2)トイレ掃除+真言でお金が貯まる【金運ジンクス4選】
      → http://joshi-spa.jp/15599       > 

            <感謝合掌 平成26年11月10日 頓首再拝>

《トイレ掃除と金運》② (1808)
日時:2014年11月19日 (水) 04時55分
名前:伝統

トイレ掃除と金運上昇との関連は、多くの人が触れて推奨しておりますが、
その中で、独自の意見をお持ちの神田昌典氏の考え方を紹介しておきます。


         *「あなたの悩みが世界を救う!」神田昌典・著(P222~235)より

○「ありがとう」と唱えながらトイレ掃除をすると、本当に運がよくなるのでしょうか?

「ありがとう」「ありがとう」と唱えながら、
トイレ掃除をするのは、おそらく効果抜群だと思います。

まず「ありがとう」「ありがとう」と単純なフレーズを唱えることは、マントラ効果がある。
不安や恐れ、怒りなどの悪感情から意識を引き離すことができる。
すると、ざわめいていた心は安らかになっていく。

そこでトイレ掃除をすれば、強烈な臭いで何も考えることができなくなり、
頭は真っ白になる。


この一連のプロセスは、瞑想に入っていくのと同じ方法論なんだ。
つまり、トイレ掃除をすることによって、おそらく脳波が、リラックスする
α波からβ波の中間(7~8Hz)程度まで落ちているのではないだろうか?

アイデアやインスピレーションは、この脳波のときにハッと浮かぶものであるから、
トイレ掃除をしている間に驚くほどアイデアが生まれるということもあるだろう。


さらに、人によっては効果を高めるために、
汚い公衆便所を選んで、素手で掃除をする。
こびりついた糞や石化した尿を、爪で削ぎ落とす。

人間の一番汚い部分を直視するわけだ。

便器を掃除していれば、自分の便も、他人の便も同じように臭い。
自惚れや傲慢さが見事に砕かれる。

だから「オレが」「オレが」の雑念がなくなって、
むしろ人のために働きたいと思うようになる。

トイレを掃除することは、自分の心を掃除することになる。


これだけ潜在意識にとって効果的なのだから、
社員全員でやると、会社の業績が上がらないはずがはずがない。

犬猿の仲の社員がいたとしても、お互いの糞尿を掃除しなければならない。
だから家族以上に、家族であるとという意識になっていくだろう。
一人ひとりのエゴが弱まるから、社員のまとまりがよくなる。

こう考えると、「ありがとう」と唱えながら、トイレ掃除するのは、
最も費用対効果のいい社員研修であると、私は思う。


また借金まみれで、仕事もなく途方にくれていて、自分の失敗を他人のせいにして、
世の中に恨みをぶっつけている人がいれば、ぜひトイレ掃除をお薦めする。
朝早起きして、公衆便所を掃除してまわることは、運を劇的に改善するうえで素晴らしい
ことだと思う。

(中略)

しかし、私自身は「ありがとう」と唱えながら、トイレ掃除はしない。
どん底に陥ったら最高級のスーツを着て、靴をピカピカに磨いて街に繰り出し、
最高のホテルのロビーに座って突破口を見出すだろう。

でもトイレ掃除の効果にはかなうまい。それでもトイレ掃除はしない。
イヤだからではなく、自分の美意識にかなう方法を優先したいのである。


勘違いして欲しくはないが、トイレ掃除がイヤというわけではない。
トイレ掃除をやるのは気持ちがいいし、すがすがしい。

だが、トイレ掃除を、業績アップや開運の手段としてやることが、
私のスタイルではないのだ。

            <感謝合掌 平成26年11月19日 頓首再拝>

【最後に言ったことが大事】 (1900)
日時:2014年11月22日 (土) 03時18分
名前:伝統

          *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年11月02日)」より

   (斎藤一人さんの心に響く言葉より…)

   豊かになりたい人は、
   「豊かになりました! ありがとうございます! 」と願えばいいのです。

   仕事を繁盛させたい人は、
   「仕事が忙しくなりました! ありがとうございます! 」と願えばいいのです。

   どんな願いでも、すべて同じお願いの仕方で大丈夫です。

   これがコツなんです。


   「なりたい状態になったつもりで感謝すること」が大事だとお話ししましたが、
   さらに、とっておきのコツをお話ししましょう。

   「お願いする言葉は、最後に言ったことが大事」なのです。
   最後に何を話すかで、あなたの発信する「願い」は変わってきてしまうのです。


   例えば、「部長がガミガミうるさく言うんです」とずっと思っていると、
   「ガミガミうるさく言う」という思いが発信されて、あなたの部長は、
   ますますガミガミ言うでしょう。

   ところが、「部長が10倍うるさく言っても、私はぜんぜん平気です」

   と思うと、どうでしょう?


   「内神さま」は「ぜんぜん平気です」という現実を、かなえようとするのです。
   その結果、あなたの心はなんだかとても落ち着いて、
   平気な顔をして会社に通えるようになるかもしれません。

   部長は「平気な顔」をしているあなたに、ガミガミ言いづらくなるかもしれません。
   もしくは、あなたが他の部署に異動して、部長と別れられるかもしれません。

   とにかく…、「私はぜんぜ平気です」にともなう現象が起こってくるのです。


   これはたとえてみると、タクシーと同じです。
   タクシーに乗って、運転手さんに、「東京駅に行ってください」とお願いしたら、
   運転手さんは、東京駅に向かってタクシーを走らせますよね。

   ところが、「東京駅に…、あ、やっぱり、新小岩へ行ってください」
   とお願いしたら…、あなたが最後に言った「新小岩」へ向かって、
   運転手さんはタクシーを走らせるでしょう?


   最後に何を言うかで、その人の運勢は決まってくるのです。

   最後に、どんな言葉を放つかを、「内神さま」は聞いているのです。

          <『神様に上手にお願いする方法』KKロングセラーズ>

         ・・・

「終わりよければすべてよし」ということわざがある。
結末さえよければ、途中のいざこざや失敗などがあっても
まったく問題ではない、ということだ。


「ピーク・エンドの法則」とも似ている。

ピーク・エンドの法則とは、ピーク(絶頂期)や、エンド(終わり)が、
どんな感じ、どんな気持ちだったかで全体の印象が決まる、というものだ。

ピークのときや最後のときの印象が、いい感じであれば、
途中にどんな嫌なことがあっても、すべてが好印象になるという法則だ。


逆に言うと、現在が、がっかりすることや失敗続きで、
愚痴のひとつもいいたくなるような状況であっても、
「でも、うまくいった」「でも、大丈夫だった」と最後を好印象の言葉でしめくくればよい、
ということになる。

言葉が未来を引き寄せるからだ。


「どんなに失敗しようと、間違えようと、
不思議に最後はうまく行くんだよなぁ… ありがたい! ツイてる! 」

最後を、明るい言葉、元気の出る言葉でしめたい。

            <感謝合掌 平成26年11月22日 頓首再拝>

【運がいいと言い続ける】 (2063)
日時:2014年12月01日 (月) 03時27分
名前:伝統

           *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年11月03日)」より

   (ひすいこたろう氏の心に響く言葉より…)

   ものの見方次第で、人生に革命が起きます。
   
   たとえ、大ピンチにおいこまれたとしても、
   たとえ、犬のウンチをふんだとしても、
   たとえ、絶望の底に陥ったとしても、

   たとえ、妻が悪妻でも、夫がどうしようもない男でも、


   ものの見方次第で、それを面白がれて、その結果として、
   行動を変えて、状況を変えることだってできるのです。


   人生を退屈にするか、面白くするかは、
   「現実」が決めるのではありません。
   「考え方」が決めます。

   起きた出来事をどう捉え、どう考えるかという「思考」が変わると、
   「感情」に変化が起き、「行動」に違いがあらわれて、
   「相手の反応」が変わり、「結果」(現実)が変わっていくのです。

   思考を変えれば「最悪」をも「最高」にできるのです!

   「おもしろき こともなき世を おもしろく すみなすものは心なりけり」

   これは、幕末の革命児、高杉晋作の辞世の句として伝わるものですが、
   面白くもなんともない時代でも、心次第で、面白く生き抜ける、というわけです。

            

   『秋元康式・運の見方』

   タクシーから降りたその足に、なんと犬のウンコが直撃!
   このとき、作詞家の秋元康さんは感動して動けなくなったそうです。

   なぜ感動したのでしょうか?

   場所はロサンゼルス。
   タクシーから降りて、一歩目がウンコ直撃だったら…。

   普通なら「ツイてない!」 って思う場面です。
   一体、どういう見方をしたら、この場面で感動できるのでしょうか。

   ロサンゼルスでタクシーを降りた一歩目にウンコがある確率。
   そしてそれを見事に踏む確率。

   その確率の低さに思いを馳せていたら、
   秋元さんは感動で一歩も動けなくなったそうです!

   「これを踏めるやつは誰もいない!
   すごいな、おれは」(秋元康)


   秋元さんは言います。

   「エジソンは『成功とは99%の汗と1%の才能である』 と言ったようですが、
   僕の場合は、98%の運と1%の才能と1%の努力じゃないかと思うんですよ」

   自分より努力している人は世の中にいっぱいいる。
   自分より才能がある人も世の中にいっぱいいる。

   だからこそ、大切なのは「運」 じゃないかと秋元さんは言うのです。

   じゃあどうすれば運がよくなるのか?

   それは…

   「自分は運があると思えばいいだけなんです」

   犬のウンコを踏んでも感動できたのは
   「自分は運がいい」と秋元さんは決めているからです。

   自分は運があると思えばいいだけ。
   そこに根拠はいらないんです。

   何が起きたって、「運がいい」 と言い続けるんです。

   水をこぼしたときも、
   「なんて運がいいんだ。これがコーラだったらシミになっていたし、
   青酸カリだったら飲んで死んでいたな」 とか(笑)。

   ダッシュしたのに電車に間に合わなかったときは、
   「なんて運がいいんだ。朝からこんなに運動ができて」 と思えばいいし、

   今日のひすい家のように、おなかをすかせて帰ったのに、
   妻が夕飯をつくってくれていなかったときでも、
   「運がいいな~。おかげでダイエットができる!」

   そう思って歯をくしばるんです(笑)。

          <『ものの見方検定』祥伝社>

            ・・・

何の勉強もせず、その上、ものの見方や、考え方の訓練もしなかったら、
ほとんどの人は悲観的な考え方になっているはずだ。

「心配事の9割は起こらない」というような本がよく出ているが、
それは逆に言えば、ほとんどの人が心配性で、悲観的に考えてしまうということだ。

ものの見方や考え方は、ほぼその人の癖(クセ)と言ってもいい。
つまり、それはその人の習慣によって決まる。

そして、習慣は、日ごろのちょっとした訓練によって変えることができる。

「自分は運がいいと言い続ける」

運がいいと思えば、見方も変わる。

根拠のない自信はとても大事だ。

            <感謝合掌 平成26年12月1日 頓首再拝>

【ツイてる人間】 (2268)
日時:2014年12月11日 (木) 04時26分
名前:伝統

           *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年12月04日)」より

   (斎藤一人さんの心に響く言葉より…)

   ツイてる人間は、怖い顔をして
   「頑張ります」
   とは言いません。

   ライバルとは敵です。
   敵を作ってはいけません。

   敵を作ることより、まず友達を作ることです。
   競争するより、協力したほうがいいんです。

   ツイてない奴がいくら集まったって、どうしようもありません。

   ツイてる人間になることは別に難しいことではありません。

   「ツイてる、ツイてる」

   と言えばいいのです。


   よそでは、「三位一体、心と体と言葉がともなわないといけない」
   とか言われますが、「ツイてる」のひと言だけ、簡単です。

   でも、言っているんだから、もうすでに心はともなっているはずなんです。
   心がともなっているから言っているのに、

   「心がともなわない」
   と言われると、何か別のことをやらなければならないのかとカン違いしてしまう。


   「ツイてる」

   と言っている人間に、

   「形から入れ」

   と言われても、ツイてる形なんて、誰が想像できますか?

   そんな難しいことはいりません。

   ただ、「ツイてる」と言っていればいいのです。

   思っているだけではいけません。

   「この会社に入れてツイてます」

   「日本に生まれてツイてます」

   それから、

   「あなたがこの会社にいてくれて、ツイてるよ」
   と言われるような人間にならなければなりません。

   何かにつけて、ツイてないとしか思えない人間には、そういうことはできません。

   世の中いろんなことがあるけれど、それもツイてることです。

   「ツイてる、ツイてる」

   って言いましょう。

           <『変な人の書いたツイてる話』総合法令>

              ・・・

「ツイてる」と言っているだけで、
「ツイてる」人間になれるなら苦労はいらない、と言う人がいる。

そういう疑り深くて理屈っぽい人は、
バカバカしいと言って、永遠に「ツイてる」と言うことはない。

しかし、「ツイてる」と言い始めたときからツキはやってくる、というのも真実だ。

つまり、言う気持ちになったということは、心や心がまえが変わったから。

心が変われば行動が変わる。

「あなたと友だちになれてツイてる」とか「この町に生まれてツイてる」といえば、
その友達も、その町も喜んでくれる。

だから、友達にも好かれ、その町からも好かれる。

これは、人も、道具も、会社も、国も皆同じで、
相手に対し、「お蔭さま」という思いと「感謝」の気持ちを持つということ。

そして、それは全面肯定であり、賞賛すること。


ツイてるという言葉を多く発したい。

            <感謝合掌 平成26年12月11日 頓首再拝>

一寸したことで人間の運は変る (2439)
日時:2014年12月21日 (日) 04時39分
名前:伝統

         *「人生読本」(P226~227)より

世の中には学問も良くでき、立派な才能を有(も)ちながら、運が悪くて、
勤め先をあちらへ更(かわ)り、こちらへ更り、しまいには落ちぶれて
働く先もなくなるような人があります。

そんな人はたいてい、気が短くて、言葉使いに深切がなく、
身体(からだ)の動作に礼儀正しさのない人です。

礼儀作法は女だけの習うものではありません。
礼儀作法は男にも必要です。

人間の値打ちを智慧や学問ばかりにあると思うのは間違です。
尚それよりも態度の優美ということは、何よりも必要な人間の値打ちです。

最初はどういう態度が美しいかは、鏡を見て稽古をなさるのもよろしい。
どの程度に微笑する事が相手に気持ちのよい感じを与えるか、
十分研究して置いて相手に快(よ)い気持ちを与える稽古をなさい。

「そんな詰まらないことを研究するよりも、本を読む方が偉くなる」
とお考えになるかも知れません。

しかしあなたがいくら偉くなっても、
姿態(かおかたち)はあなた自身の玄関のショーウインドウーです。

ショーウインドーが埃(ほこり)だらけでは、
いくら家の中に上等の品物があっても、中まで入って買ってくれないでしょう。

あなたの中味の値打がどれほど偉くても、
言葉態度が下手では、その中味は値打ちを出す時が来ないのです。

中味はどんなにおいしい御馳走でも、泥にまみれたら誰でも食べ手がないでしょう。

せっかく立派な才能(ちえちから)をもちながらも、言葉態度に深切丁寧さがなくては、
せっかくのよい御馳走を泥まみれにして出すのも同じことです。

これではどんなに才能ある人でも立身出世はいたしません。
これではどんな中味の立派な店でも会社でも繁昌いたしません。

            <感謝合掌 平成26年12月21日 頓首再拝>

【運に巡り合いたいのなら】 (2541)
日時:2014年12月28日 (日) 03時15分
名前:伝統

           *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年12月11日)」より


   (林修氏の心に響く言葉より)

   自分の好きなことを仕事としてやっていくことができる人は、本当に幸運だと思います。

   僕自身、そんなことはほとんどできていません。

   やりたくもない予備校講師を長年やってきたことで、
   ようやく自分が一番やりたい本を書くという仕事の依頼を
   次々といただけるようになりました。

   ところが、本を書くより好きだとはとても言えない
   テレビの出演の依頼も多数いただけるようになり、
   肝心な本を書く時間をほとんど捻出できない状況です。

   だったら、テレビの仕事を断ればいいではないか、という声も聞こえてきそうです。

   それはもっともですが、「それはちょっと違う」と言いたいのも事実です。

   みなさんは、自分の「交換可能性」ということについて考えたことがありますか?

   僕は、このことに絶えず自覚的です。
   仕事を断ることは簡単ですが、僕でなければできない仕事などほとんどありません。

   そう、僕にできる仕事は、基本的には他の誰でもできるのです。

   にもかかわらず、相手はぜひ僕に、と依頼してくれた…。
   どこに断る理由があるのでしょうか?

   ありがたくお受けして、そこで全力を尽くすだけです。

   そして、依頼してくれた相手が、「やっぱり林さんにお願いしてよかった」と
   ほほ笑んでくれれば、それでよいではありませんか。

   こういった「交換可能性」は、すべての人に当てはまる話なのです。

   「オレがいなかったら、この会社は立ち行かないよ」
   こんな妄言はありません。

   その人がもしいなくなっても、おそらくその会社はしっかり営業を続けるでしょう。
   組織とはそういうものであり、また、そういうふうに組織づくりを行うべきなんです。

   そんなふうに、誰しもが「交換可能性」に脅かされるように生きているなかで、
   『アンパンマン』の作者であるやなせたかしさんは、次のようにおっしゃっています。

   『運に巡り合いたいのならば、なんでも引き受けてみるといい』


   自分の好き嫌いなどという小さな物差しにこだわらないことが、運に巡り合う秘訣だ。

   そう読み替えることもできるでしょう。
   そういうものなんですよ。
   これは、僕がいただいたテレビの仕事に全力で向き合ったからこそ出会えた言葉なんです。

   『やりたくない仕事に全力で打ち込むことが、
   やりたい仕事に自分を近づけてくれるという逆説』

   そんなふうにも言えるのではないでしょうか。逆に、

   『やりたいことにこだわりすぎるがゆえに、
   逆にやりたいことができなくなってしまうという逆説』

   これもまた真実のような気がします。

   会社に入って、最初に配属されたのが希望した部署ではなかったと、
   モチベーションが下がってしまう人がいます。

   ひどい場合は、それだけで会社を辞めてしまう人さえいます。

   「僕にはそれはできません」「私はこれしかやりません」と拒否することが、
   結果的には自分の可能性を狭めることになる場合が少なくないのです。

   自分にどんなポテンシャルが眠っているのかは、案外自分ではわからないもの。
   第三者が客観的に見たうえでの、「この人にはこの仕事をやらせてみよう」
   という判断は、意外に正しい場合が多いのです。

   ですから、自分のモノサシにこだわって、
   まだわからない未知の才能が花咲く可能性をつぶしてしまうのはもったいない。

   やなせさんのような、こんな仕事もやってみるか、
   という柔軟な姿勢から好結果は生まれるものなのです。

           <『林修の仕事言論』青春出版社>

           ・・・

幸運も不運も、人が運んでくるもの。

運の悪い人と巡り合えば運は悪くなり、
運のいい人と巡り合えば運はよくなる。


「運は自分が引き寄せるもの」、と考えるより、
「運は人が運んできてくれるもの」と考えた方が謙虚で可愛げがあり、
運の女神には好かれやすい。

もちろん、自助努力なしの、口をあけてただ待っているだけの人頼りの姿勢では、
運はやってこないのは言うまでもない。


人から頼まれたり、やる羽目になったことは、テストのようなもの。

頼まれたこと以上のことをして、相手を驚かせたり、喜ばせたらテストは合格。

そこから、運がやってくる。


自分の幅を大きく広げてくれるのは、
多くは、人からの無茶な頼みや、無理難題にも思えるオーダー。

運は予期せぬ方角からやってくる。

そして、自分の枠を超えたところに運は存在する。


人からの頼みごとを全力でやり遂げる人に、運は巡ってくる。

            <感謝合掌 平成26年12月28日 頓首再拝>

好運を招く10の法則 (2619)
日時:2015年01月01日 (木) 04時43分
名前:伝統

        *「運を引き寄せる宇宙の法則<ルール>」植西 聰 (著)より

(1)頼まれたことに応じると運がよくなる。

(2)余分なことをすると運がよくなる。

(3)福を分けると運がよくなる。

(4)喜びを与えると運がよくなる。

(5)奉仕すると運がよくなる。

(6)人を立てると運がよくなる。

(7)譲歩すると運がよくなる。

(8)人をほめると運がよくなる。

(9)誠意を示すと運がよくなる。

(10)感謝すると運がよくなる。

            <感謝合掌 平成27年1月1日 頓首再拝>

人相を良くすると、運がよくなる (2665)
日時:2015年01月04日 (日) 05時02分
名前:伝統

          *「人生読本」(P203~205)より

人相を観れば、その人の運命が判るということが言われますが、
それは顔にはその人の心が顕れているからなのです。

人相というものが、生まれつきで変らないものなら仕方がありませんが、
人相は変るもので、人相が変わるだけでその人の運命が変ってくるのです。

そして人相をよくするのも、常日頃の心の持方によるのです。
人間は運がよくなるのも、悪くなるのも、人相にあり、人相は心にあるのです。


では、皆さん、人に対したときには不平そうな膨(ふく)れた表情(かおつき)をしないで、
深切な、愉快な相手を歓迎するような表情をいたしましょう。

しかし顔の様子というものは、習慣になっているものですから、
今、この人によく思われたいと思って愉快に深切に見せかけようとしましても、
一時は努めてわざとそういう表情ができるでしょうけれども、
すぐ習慣のついた顔付(かおつき)に変るものです。


いつも怒っている人はこわい顔になりますし、
いつも人に好い感じをもっている人は、また自分がよい感じの顔になりましょう。
ですから顔の表情(ようす)をよくするには一時の付焼刃では駄目です。

いつもいつも、深切な、やさしい、快活な、好意のある、
誰のためでも思い遣りのある心をもっていれば、そのような顔になるのです。

顔は生来(うまれつき)よりも習慣なのです。

            <感謝合掌 平成27年1月4日 頓首再拝>

日本人であることに感謝し、温顔無敵で生きる (2776)
日時:2015年01月12日 (月) 06時25分
名前:伝統

【起こることはすべて必然、必要】

         *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年09月12日)」より

   (船井幸雄氏の心に響く言葉より…)

(1)幸運と不運

   『起こることはすべて必然、必要』

   マクロに見ると、この世の中はよくなる方向に進化してしています。
   一見、不運に思えることもすべては必然、必要であり、
   振り返ればベストのタイミングで起こっているものです。

   幸運も不運もすべてを受け入れられるようになると、
   ツキを呼び込むことができるようです。


(2)自分の身に起こることは、すべて自分が引き寄せている

   なぜ不運が続くのかと、思ったことはありませんか?
   不運に思えることも、あとから振り返ればすべては必要だったと
   思える日は必ずやってきます。

   すべての出来事は互いにつながっていて、
   どれが欠けても今の自分は存在しないと、わかります。


(3)まず自分が変わろう

   私たちの目に見えない本質の心は、まわりの人の心ともつながっているようです。

   自分の心が変われば、まわりの人の心も変わると考えられます。

   自分のまわり、人生に起こることは、
   すべて自分が引き寄せるもので、自分に責任があります。

   まずは自分が変わることから始めましょう。


(4)運がいいと思えば、運がよくなる

   天運は持って生まれた素質、地運は環境、人運は出会い運。

   天運は変えられませんが、地運と人運は思いひとつで変えられます。

   たとえ運が悪いときでも運がいいと思えるようになると、
   失敗も、成功へのステップに変わります。

   運を味方にする近道は、プラス発想できるかどうかです。


(5)不運が続くときは、メッセージかもしれない

   行動が裏目に出たり、トラブルが続くときは、
   ストレスがたまり、目先のことに気持ちがとらわれてしまいます。

   そんなときは、無理に前に進もうとするのではなく、
   立ち止まって考えてみるのも一手でしょう。

   不運が続くときは、あなたの反自然行為をいさめるメッセージかもしれません。

(6)心の持ちようは「相」に表れる

   自然に反する生き方をやめて、人の悪口や欠点を言わず、
   人に物をあげると、自然と人相がよくなります。

   一方、良心に反する生き方をすると、人相は悪くなります。
   良心にそった生き方を心がけて、人相をよくしましょう。


(7)明るく、元気に、さわやかに

   どんなときでも、明るく、元気に、さわやかに、
   人の心を開く万国共通のカギは、屈託のない笑顔です。

   笑顔と感謝がよい人間関係をつくり、よい人相をつくります。
   そして、ツク人生が自然と引き寄せられれます。


(8)温顔が福を招く

   人間性が高く、ツイている人の顔つきは、
   笑顔で、温かく、幸せで、均整がとれているものです。

   このような「温顔」になると、どんなことでも肯定でき、
   人の足を引っ張ったり、人に嫌われるようなこともなくなります。

   「温顔無敵」こそが、人間の究極の姿なのです。


(9)プラスの言葉を口ずさみましょう

   言葉にはそれぞれ波動があり、自分の潜在意識に影響を与えます。

   プラスの言葉を口ずさむとツキがよくなり、
   マイナスの言葉を口ずさむとツキが悪くなってしまいます。

   ありがとう、うれしい、楽しい、絶対できる…など、
   プラスの言葉を選んで口ずさみましょう。


(10)ツク言葉を使おう

   「ありがとう」は「有難し」が語源。

   有難しは、ありえない! 信じられない! などの奇跡に対する驚き、
   畏怖(いふ)、感謝といった深い歓びを表現する言葉です。

   嫌悪する言葉を使わずに、この言葉をたくさん使うと、
   歓びの気持ちが相手に伝わり、応援されて、運気も高まります。

         <『すべては「必要、必然、最善」』ビジネス社>

            ・・・

船井幸雄氏は2014年1月19日に81歳で永眠した。


この本の巻末にこのような一文がある。

『アメリカは明らかに病んでいます。
私はアメリカの「実験」は、このままでは失敗に終わると思うのです。

いずれにせよ自由も平等も、西欧文明が生み出した価値観でした。
自由と平等自体は素晴らしいのですが、彼らの失敗は
結局「支配・被支配」の観念から抜け出せなかったことです。

西欧思想が限界に来たことを悟ってはいても、
彼らはいぜん、そのクビキから逃れられないでいるのです。

西洋思想がダメなら東洋思想ということになりますが、
いま、これからの人類をリードしていく思想を生み出せる東洋の国はどこなのか?

中国や韓国には、これは無理です。
ようやく経済的には発展してきましたが、露骨なくらい自分のことしか考えていません。
経済発展に人間的成長がまるで追いついていないのです。

中国もダメ、韓国では話にならないとなると、
残るは日本しかないということになります。

これまで日本は欧米に追いつけ、追い越せでやってきて、
本当の意味でのリーダーシップを発揮した歴史がない、
だから心配だとはよく言われることです。

しかし、私は何も心配していません。

日本人は、できるのです。

人類の未来をリードしていく哲学、コンセプトを、世界に発信できると確信しています。

あなたは、そんな素晴らしい国の住民なのですから、大いに自信を持って生きてください。

では、またお会いしましょう』


「起こることはすべて必然、必要」

日本人であることに感謝し、常にプラス発想で生きていきたい。

            <感謝合掌 平成27年1月12日 頓首再拝>



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