険阻な道が、本当はその人の魂にとって向上への通路 (155) |
- 日時:2014年09月07日 (日) 04時58分
名前:伝統
*「若人のための78章」第3章<魂の向上について>(P8~9)より
愛は憐憫ではない。 憐憫は相手の不幸な面を強調して、それに執着的な同情を与えることなのである。
一度彼が不幸なる面を強調してそれに心を停滞せしむるならば、 その念の力によりてその人はその憐むべき状態から再びおき上ることができなくなるのである。
困難は決して不幸ではないのである。
魂にとってもっとも大いなる敵は怠惰と惰弱である。
吾々が人生に処する行為において、色々の道があるとするならば、 大抵の人はもっとも安易なる道を選ぼうとするであろうが、 もっとも険阻な道が、本当はその人の魂にとって向上への通路なのである。
努力も克服もいらないような平易なる坦々たる道は、 その人の魂をきたえることができないのである。
吾々は、今興えられた重荷よりもなお一層重い仕事の方が、 自分の力をきたえだす所のもっともよきものであるということをしらなければならない。
吾々の肉体力は、それに適当な重荷を興え、 これを練磨することによって一層力強くなると同じように、 吾々の魂はむつかしい問題を興えられれば興えられるほど、魂の力は増加するのである。
このようにすることによってのみ、 人間がこの世に生れてきた所の神の無限力を表現することができるようになるのである。 <感謝合掌 平成26年9月7日 頓首再拝>
|
|