【二日の法語・言葉(1月2日)】 (2642) |
- 日時:2015年01月02日 (金) 04時34分
名前:伝統
(1)《神の人間創造の意義》
自己が自己を知り、自己が自己を観るにはそれを客観化しなければならない。
神が人間をつくったのは、神が自己自身の姿を観るために、 神が自己自身の姿を楽しむため、自己の外に自己の影を創造したのである。
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(2)《喜ぶべきことしかないのが人生である》
すんだことの中に生活せず、「今」のなかに生活せよ。 「今」は常に生きている。「今」の中にはあらゆるものが輝いている。 「今」は常に新しく、「今」は常に喜びに満ちている。
喜ぶべきことしかないのが人生である。
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(3)《人の幸福をねがう日》
【愛はすべての物に調和と平和とを齎(もたら)す精神波動である。 (『生命の實相』第十一巻)】
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(4)《〃洗礼〃と〃禊〃とを通して》
イエスが「人は水と霊とによりて生まれずば神の国に入る能わず」といった。
その当時の洗礼の儀式は、水のなかに、頭から脚先まで全身を押し沈めて、 肉体を完全に没し去り、再び浮び上って来た時には、肉体は既に没して、 神にってその人は〃霊的実在〃として新生したと認め 〃神の子〃としての資格を与えらるというような宗教的儀礼になっていたから、 「水と霊とによりて生まれる」といったのである。
古代日本にもそれに似た〃禊〃の行事があった。 〃みそぎ〃は水〃注(みずそそ)ぎ〃という意味もあるが、 〃身剥ぎ〃であって、肉体を洗い流して肉身を剥ぎ去ること
―― すなわち、この〃禊〃の行事を通して「最早、われ肉体なし、 従ってわれは肉体にあらず、〃神の子〃也」の自覚に入ることなのである。
仏教にも頂(ひたい)に水を潅ぐ〃潅頂(かんちょう)〃の行事がある。
<感謝合掌 平成27年1月2日 頓首再拝>
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