傳記 二宮尊徳 あとがき (2866) |
- 日時:2015年01月16日 (金) 17時03分
名前:平賀玄米
いちいち彼の言葉を挙げてはきりがないが、彼の片鱗を示すにはやはり彼の言葉によるのが 一番いいと思うから、その内のごく一部を書いて彼の精神をはっきり示したいと思う。
青柳又左衛門という人が彼に「越後の国に弘法大師の法力に依り、水油、地中より湧き出でて 今に至って絶えない」と言った。
尊徳はそれを聞くと直ぐこう言った。 「それは奇は奇なりだが、只その一所だけだから尊ぶに足りない」 続いて云う。 「私の道はそれと違い最も奇である。何国にても荒地を興して菜種を蒔き、その実る法を得てこれ を油屋に送れば、種一斗にて油二升はきっと出て永代絶えない。
是皇国固有天祖伝来の大道にして、肉食妻帯暖衣飽食し智愚賢不肖を分たず、天下の人をして、 皆行わす事が出来る、是開闢以来相伝の大道で日月照明ある限りこの世界あらん限り間違いなく 行われる道である。だから大師の法に優る万々である」
彼は続けて又云う。 「且つ我が道又大奇特あり、一銭の財無くして四海の困窮を救い、普く施し海内を富饒にして 猶余りあるの法なり、その方法は只分度を定むるの一のみ、予(よ)是を相馬、細川、烏山、 下館等の諸藩に伝う、然りといえども、是は諸侯大家にあらざれば、行うべからざるの術なり、 此の外にまた術あり、野原を変じて田畑となし、貧村を変じて福村となすの術なり、また愚夫 愚婦をして、皆為さしむベき術あり山家に居て海魚を釣り、海浜に居て深山の薪を取り、草原 より米麦を出し、争わずして必ず勝つの術なり、只一人をして能(よく)せしむるのみにあらず 智愚を分たず、天下の人をして皆能せしむ、如何にも妙術にあらずや、能学んで帰り能勤めよ」
この言葉は尊徳だから言え、又この言葉は生きるのである。
つづく。
<平成27年1月16日 謹写> ありがとうございます 合掌。
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