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長寿 (368)
日時:2014年09月15日 (月) 04時43分
名前:伝統

今日は、9月15日「敬老の日」です。


総務省は14日、「敬老の日」に合わせて15日現在の高齢者の人口推計を公表した。
65歳以上の高齢者人口が3296万人(総人口の25・9%)、
75歳以上が1590万人(同12・5%)となり、いずれも過去最高。

「団塊の世代」の1949年生まれが65歳になったのが一因で、
4人に1人が高齢者、8人に1人が75歳以上となる。

  ・・・

厚生労働省が行った調査によりますと、今年9月1日の時点で全国の100歳以上の
高齢者は前年比4423人増の5万8820人で、44年連続で過去最多を更新しています。

ちなみにこの調査が始まった昭和38年(1963年)の100歳
以上の高齢者は全国で153人でした。
近年は毎年3千人から4千人ほど増え続けているそうです。

敬老の日は「老いや長寿」について考える良い機会です。
当たり前ですが、老齢に達した人も若かりし頃がありました。

育てられ、結婚をし、子供を育て、幾たびの困難があり喜びがあり、
他人に言えない悩みや苦しみも当然あったでしょう。

いつの間にそんなに偉くなったのかと思えるほど次の世代の成長は早いものですが、
老いへの道は皆が辿る道であり、そこにあるのは自分自身の姿でもあります。

   ・・・

以下に、《長寿の節目》をいくつかご紹介させていただきます。


【還暦】 数え年61歳で、十干(じっかん)十二支(じゅうにし)
     の「六十干支(ろくじっかんし)」が一回りし、
     もう一度生まれた時の干支を迎えること。

     本卦還り(ほんけがえり)とも言います。

【古稀】 70歳 杜甫の詩「人生七十、古来稀なり」から。

【喜寿】 77歳 喜の草書体が、七十七に見えるため。

【傘寿】 80歳 傘の略字が八十とも見えるため。

【米寿】 88歳 米の字を分解すると八十八となるため。

【卒寿】 90歳 卒の略字は、九と十を続け書きするため。

【白寿】 99歳 百の字から一をとると白になるため。

【紀寿】100歳 百年は1世紀。百寿(ももじゅ)とも言う。

【茶寿】108歳 茶の字の草かんむりは「十十」で二十、下の部
         分の縦書きされた「八十八」を足して108。

【皇寿】111歳 「皇」の字は「白(一を加えると百になるので九十九)」と
         「王(十と二)」を足して111。
         川寿または王寿とも言う。

【頑寿】119歳 「頑」の字を分解すると「二、八、百、一、八」と分解できるため。

【大還暦】120歳 2回目の還暦を迎えたことになるため。

  ・・・



【青  春】

     (サミエル・ウルマン)

青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。

優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、
安易を振り捨てる冒険心,こう言う様相を青春と言うのだ。

年を重ねただけで人は老いない。
理想を失う時に初めて老いがくる。

歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ。

苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、
精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。

年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。

曰く

「驚異への愛慕心」

空にひらめく星晨、

その輝きにも似たる事物や思想の対する欽迎、

事に處する剛毅な挑戦、

小児の如く求めて止まぬ探求心、

人生への歓喜と興味。


人は信念と共に若く   疑惑と共に老ゆる
人は自信と共に若く   恐怖と共に老ゆる
希望ある限り若く    失望と共に老い朽ちる


大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、偉力と霊感を受ける限り
人の若さは失われない。

これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、
皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至ればこの時にこそ人は全くに老いて
神の憐れみを乞う他はなくなる。

          <感謝合掌 平成26年9月15日 頓首再拝>

「長寿の秘訣」〜「いまを喜びなさい、いまを感謝しなさい」 (413)
日時:2014年09月16日 (火) 04時47分
名前:伝統

     *月刊誌「『致知』2014年9月号 」より

国土は狭いといえども、
日本には、年を取っても心は若く、
イキイキと生活されている方が数多くいらっしゃいます。


107歳の声楽家・嘉納愛子さんと93歳の淨信寺副住職・西端春枝さんも
そのうちの1人でしょう。


いまも現役で日々忙しくされているお2人の活力の源泉はどこにあるのか。


合わせて200歳、その「長寿の秘訣」に迫ります――。


《対談〜「いまを喜びなさい、いまを感謝しなさい」》

    嘉納愛子(声楽家)
    西端春枝(真宗大谷派淨信寺副住職)
   

嘉納  私の人生もいろんな節目がありました。

    音楽学校を出て演奏活動をして、
    山田耕筰先生の媒酌で結婚をして、
    息子を亡くした後に音楽教育に携わって、
    それがずっといまも続いています。

    だから100歳の時に
    NHKの「百歳バンザイ!」っていう番組に出てほしいって言われたけれど、

    「えっ、私が100歳?」

    って不思議だったんです(笑)。
    自分がそんなになるって思ってないもの。


西端  ホント、年が重なるのが分かりませんね。
    私も気がついたら93歳。



嘉納  とにかく1年が早いのね。

    だけどまだまだ美味しいものをたくさんいただいて、
    こんな歌をつくって頑張っています。

    「老人太り三途の川は乗船拒否」


西端  まぁ素晴らしい(笑)。
    どこからそんな元気が出てくるのかしら。


嘉納  やっぱり音楽の力です。

    音楽の訓練は苦しいけれども楽しい。
    人間、やっぱり楽しくなくちゃ続きません。

    人様のことは分かりませんが、続けられるということは、それが好きだから。

    私には音楽という、好きで続けられるものがあったから
    いまもこうして元気に過ごしていられるんだと思います。

    ですからいまはただ感謝のひと言。

    NHKに出た時に色紙を渡されたんですけど、
    私がその時に書いたのも「感謝」のひと言でした。


    神社に行くと願い事の書かれた絵馬が たくさん掲げてありますけど、
    あれじゃ神様もきっと大変(笑)。

    だから私は願い事はしないで、ありがとうございますって感謝だけ。


西端  私も本当に同感です。

    自分1人では何もできなくて、いろんな人に大事にしていただいていますから、
    もう本当に感謝しかありません。

    佐藤義詮先生もよくおっしゃっていました。

    済んだ過去に拘らず、これからの未来に対してどうこうじゃなく、
    もっといまを感謝しなさい。

    いま喜ぶことがいっぱいあるだろうと。

    でも、いくらお金があって家族に恵まれていても、
    不幸せと感じている人もいます。


    篤志面接官のお仕事で刑務所に入っている人に面会すると、最初はみんな

    「おまえ、何しに来たの」

    みたいな感じでブスッとしているから、
    いろいろ笑わせて心をほぐしながらお話を聞くんです。

    でも話を聞いてみると、罪を犯した原因を自分以外のところに求めているんですね。

    以前の私はただ相槌を打つだけでしたが、
    この頃は「あんたも悪い」って、はっきり言うようにしているんです。

    こちらが真剣になって本当のことを伝えてあげると、
    気持ちが楽になって、素直に頷いてくれるんですよ。


嘉納  親身に相手を思うから、耳を傾けてくださるんでしょうね。


西端  昔の人の言葉に「喜ぶ人には勝てない」というのがあります。

    他人が辛かろう、寂しかろうといっても、
    いや自分は幸せですという人には誰も勝てないんですね。

    きょうのテーマは「万事入精」と伺いました。

    この言葉を聞いて頭に浮かんだのは、仏教の諸行無常という教えです。

    先ほど嘉納先生もおっしゃったように、人生この先何が起こるか分かりませんが、
    だからこそ一日一日を大切に、感謝の心で生きていきたいですね。


嘉納  それは真心を込めて生きるということね。
    私も毎日一所懸命、真心を込めて生きています。

    まだ満足してないの。
    私の歌はもっと上手になるはずだし、私にできることもまだあるだろうにって。

    どなたがおっしゃったのか知りませんが、

    「50、60、花ならつぼみ、七十、八十花盛り、
    90なってお迎えが来たら100まで待てと追い返せ」

    という言葉があります。


    私はもう100歳を超えましたが、
    まだ見たい、食べたい、聞きたい、歌いたい。

    欲張りな人間なんです(笑)。


西端  私が尊敬している平澤興先生(京都大学元総長)という方も
    こんなことを書かれています。

    「60歳で一応、還暦という人生の関所を過ぎ、
    70歳で新しい人生を開き、
    80歳でまた第3の人生が始まり、
    90歳まで生きないと本当に人生は分からない」

    こういう言葉に触れると、心の底から元気が湧いてきますね。


嘉納  お互いに毎日一所懸命できることをやり尽くしたいですね。

    そうして満足した時にさよならできたら、一番幸せでしょうよ(笑)。

          <感謝合掌 平成26年9月16日 頓首再拝>

元気で長生き (640)
日時:2014年09月26日 (金) 04時13分
名前:伝統

日本の平均寿命が延びています。男性80 才、女性86才。
男性も80才の大台にのびました。


元気にすごす健康年齢も、男70.4才、女73.6才。 世界一の長寿国です。


「PPK(ピンピンコロリ)」願望ではないですが、
いつまでも元気で若々しく、お迎えが来たら「ポックリ」と往きたいものです。


先日、テレビをみていましたら、
元気で長生き法(ぼけ防止)として、

(1)早期発見が大事。早いめに手を打ち進行をとめる。
(2)適度の運動を繰り返す。特に第二の心臓「足」を動かす。
(3)頭を使う。
(4)上手いモノ(高カロリー)はほどほど。酒、タバコは控え目に。

とありました。


・・・(以下は、谷口雅春先生の言葉より)

《老衰をふせぐには》

      *”童子 さま”のブログ(2011/9/19)より
        ”童子 さま”のお許しをお願いいたします。

老年は、暦日の年数によって来るのではなく、
自分の精神が先ず『老年』を想念して肉体にその印象を刻みつけるのである。

肉体は常に新陳代謝して、古き細胞は搬び去られて、
新しき細胞をもって置換えられているのである。

それ故に、細胞それ自体は常に新しいのに、その新しい細胞をつくるときに、
自分の想念が『老齢』を刻印を押すのである。

それ故に、新しくつくられた細胞にも『老齢』の形態が刻印されるのである。

ではその『老齢』の想念は何処から来るかと云うと、人類全体の潜在意識の中にあるのである。
”精神テレビ局”の放送電波のように空間に漂っているのである。
そして多少とも波長の類似のところへ行って受像される。

そして、テレビに映る影のように、あなたの肉体にその”老齢”の影を映すのである。
だから、自分が”老齢”の念を起すと、それだけ人類意識の”老齢”を受像し易くなるのである。

私たちの生命は、神より受け継がれた生命であり、神は無限に若いのであるから、
私たちも無限に若いのである。

                 谷口雅春師

   ( http://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/21140190.html )


          <感謝合掌 平成26年9月26日 頓首再拝>

「イチジク」は不老長寿の果物 (757)
日時:2014年10月03日 (金) 04時22分
名前:伝統

           *Webから

聖書にもたびたび登場する「イチジク」は世界最古の栽培果樹といわれ、
エデンの園でアダムとイブが食べた禁断の果実はイチジクという説があります。

一般的にはリンゴと思われていますが、当時の中東ではリンゴが採れなかったことや、
アダムとイブが恥ずかしくて前を隠していた幅の広い葉っぱがイチジクの葉として
描かれているからだそうです。


漢字で『無花果』と書いて『イチジク』。

不老長寿の果物とも呼ばれ、果実の内側に花があり、外側からは見えないことから
漢字では『無花果』と書くそうです。

一般的な露地物のイチジクの収穫期は長く、夏の8月頃から10月頃までです。

主な産地は、愛知(18%)、和歌山(14%)、福岡(8%)、兵庫(8%)。
この4県で全国の半分近くを生産しています。

1日に1果熟すことから「一熟」と呼ばれた・・・等々、名前の由来には諸説があります。


「イチジク」は、不老長寿の果物と言われるだけあって、からだが喜ぶ優等生の果物です。

具体的な効能については、次のWebにてご確認ください。
  → http://www2.tokai.or.jp/shida/ichijiku/kounou1.htm


店先で選ぶ際は、ぽってりと丸みがあり、
果皮に張りと弾力があって香りのよいものが良いそうです。

へたの切り口に白い液がついているものは新鮮な証拠で、
お尻の部分が裂けそうになり、ヘタのところまで赤褐色に染まると食べ頃です。

皮を剥くときは、じくの付け根の方から剥く方が綺麗に剥けるそうです。

          <感謝合掌 平成26年10月3日 頓首再拝>

【不老学】 (913)
日時:2014年10月09日 (木) 04時25分
名前:伝統

      *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年01月26日)」より

   (医師の後藤眞氏の心に響く言葉より… )

   ロビン・ウィリアムズ主演の「アンドリューNDR114」という
   ファンタジックな近未来映画があります。

   彼はロボットである「アンドリューNDR114」を演じていたのです。

   示唆(しさ)に富んでいた映画でした。

   アンドリューは、現在注目されている「人工知能(AI)」を備えてはいますが、
   どこもかしこも容姿はロボットそのもの。

   それでも、ヒトと接触しながら人間的教養のパターンを覚えたすえ、
   ある美しい女性に恋をしてしまうのです。

   その恋を成就するため彼が選んだ方法は、肉体的にも精神的にもヒトに近づけようと、
   最先端の技術でもって自分自身を改造することでした。

   つまり、なんとヒトになろうとしたロボットの話です。


   相手の女性はアンドリューの献身的な、それでいて謙虚な接し方に
   やがて魅了され恋心を受け入れます。

   ふたりは時の政府に向かい、人間どうしとして結婚を認めるよう訴えます。

   長い裁判となります。

   やがて女性のほうは年老いていく。

   片や永遠変わらなぬ姿。

   出てきた判決は残酷でした。

   「アンドリュー、あなたはどこから見ても、人間そのものです。
   しかし、それを認めるわけにはいきません。
   あなたはやはり人間ではない。 なぜなら、年をとらないからです」

   この映画にはヒトの条件がはっきりと意識されていました。

   その条件とは「老化する」ことだということ。
   つまり老化とはきわめて人間的な現象であるということなのです。

            <『痛快! 不老学』集英社>

          ・・・

人間には、誰しも受け入れなければならない真理が、たった一つだけある。

それが、「生まれたら、いつかは必ず死ぬ」ということ。


「不老不死」の妙薬を求め、古来より多くの王侯貴族がそれを探した。
老いることが恐かったからだ。

しかし、まわりの知り合いが次々と世を去っていく中、
自分だけが何百年も生き残ったとしたら、それは逆の意味で悲惨だ。


「人生とは何ですか? 」、と聞かれたとき、今東光和尚はこう言ったという。

「人生は冥土までの暇つぶし」


ジタバタせずに、この世を生きられたら幸せだ。

          <感謝合掌 平成26年10月9日 頓首再拝>

「老衰と虚弱を去るには」 (1225)
日時:2014年10月21日 (火) 05時01分
名前:伝統

          *「真理」第9巻生活篇(P22〜23)より

潜在意識を改造して「若さ」の暗示で満たすことが、
あなたの肉体を「老衰」に導かない唯一の道であります。

多くの人々が年齢相応に老衰の状態をあらわすのは、
一般の人々の「老衰観念」に暗示されて、
その暗示に従って潜在意識が活動するからです。

だから年齢が老けて来るほど、私達は絶え間なく「私は若いのだ」
と云う暗示を、馬に拍車をかけるように、潜在意識に与えなければなりません。

過去に「老衰」や「虚弱」や「××慢性病」と云うような観念を、
潜在意識に烙印している人は、尚一層その反対の「若さ」「強健」「神の子・無病」の
観念を繰り返して暗示して、過去の潜在意識の傾向を塗り消してしまわなければなりません。

そのためには「人間・神の子、本来老病死なし」の真理を
『生命の實相』第1〜4巻で繰り返して読み、神想観を実修しなさい。

          <感謝合掌 平成26年10月21日 頓首再拝>

「『健康第一』は間違っている」名郷直樹氏(武蔵国分寺公園クリニック院長) (1441)
日時:2014年11月02日 (日) 06時30分
名前:伝統

         *Web日刊ゲンダイ(2014年9月18日)より

日本は世界一の長寿国。
2013年には日本人の平均寿命は男性が80・21歳、女性は86・61歳となり、
男女いずれも過去最高を更新している。

これはもちろん素晴らしいことだが、一方で私たちの身の回りは
“健康長寿”のための情報であふれ返り、必死に健康に、もっと長寿にと突き進んでいる。

「80歳をとうに越えたご高齢の方が、大好きな酒や甘いものを必死で我慢する。
禁煙を守り通す。一生懸命運動をする。すべては、健康長寿のために。

そんな患者さんと数多く接する中で、これが本当に正しい道なのかと
疑問を感じるようになりました。

健康長寿が悪いというつもりはありませんが、
日本人はその果てしない“健康欲”と、どこかで折り合いをつける必要があると思うんです」

 
日本人の生存曲線を見てみると、
1980年代までは、50歳以降100歳にかけて徐々に死ぬ人が増える
という緩やかな曲線だった。

これが近年、70歳過ぎまで線がおおよそフラットな状態で、
以降急激に死亡が増えるという急カーブを描くようになっている。



「医療が進歩しても、死はいつか訪れます。つまり、日本人は長生きになった結果、
高齢になると同年代が一挙に次々と死んでいくという、つらい現実を体験せざるを
得なくなっています。

このような状況の中でも、長寿大国である日本では、
長寿を目指さず頑張らないことは非難されがちです。
生き残った高齢者は、もっと長生きしようと努力せざるを得ないんですね」

 
人間の3大欲求は性欲・食欲・睡眠欲といわれるが、
これに勝るとも劣らない強い欲望が健康欲であると著者は言う。

とくに食欲は健康長寿に大きく関わるが、これが暴走しそうになっても、
ダイエットや生活習慣病などのキーワードが抑止力として働いてくれる。


「ところが、健康欲には抑止力がない。どんどん健康になることを目指し、
しかし実感としてなかなか満たされず、底がない。
食欲に置き換えて考えると、大変危険であることが分かるでしょう」

http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/book/153413

          <感謝合掌 平成26年11月2日 頓首再拝>

老衰を避けるには (1682)
日時:2014年11月14日 (金) 04時18分
名前:伝統


           *「幸福を招く365章」(P164〜165)より

人間は物質的肉体だと云う信念から人間は老衰するのである。
この観念は人類一般に共通的に懐かれている考えであり、
それが集まって「人類意識」と云う大いなる意識の海原をなしているのである。

人間はこの人類の一員として人類意識の影響を受けることなしに生活することは難しい。
従って、「人間は老衰する」と云う観念から完全に超出することは極めて困難である。
従って真理を知ったと云う人でも多少は老衰して行きつつあるのである。

だからと云って「仕方がない」と人類意識の波のまにまに
沈没せしめられてしまってはならないのである。

老衰を避けるには、先ず人間は肉体的存在だと云う観念を「人間は霊的存在であり、
霊は老いず、傷つかず、病まざるものである」と云う観念に置き換えることが必要である。

          <感謝合掌 平成26年11月14日 頓首再拝>

「命とは君たちが持っている時間である」  (1949)
日時:2014年11月25日 (火) 03時58分
名前:伝統

         *『致知』2008年12月号
          〜日野原重明(聖路加国際病院名誉院長)より
        

僕はいま人生において最も大切だと思うことを、
次の世代の人に伝えていく活動を続けているんです。

僕の話を聞いた若い人たちが何かを感じ取ってくれて、
僕たちの頭を乗り越えて前進してくれたらいいなと。

その一つとして僕は2年前から2週間に1回は小学校に出向いて、
10歳の子どもを相手に45分間の授業をやっています。

最初に校歌を歌ってもらいます。
前奏が始まると子どもたちの間に入って、僕がタクトを振るの。

すると子どもたちは外から来た年配の先生が
僕らの歌を指揮してくれたというので、心が一体になるんですね。


僕が一貫してテーマとしているのは命の尊さです。
難しい問題だからなかなか分からないけれどもね。

でも「自分が生きていると思っている人は手を挙げてごらん」
と言ったら、全員が挙げるんです。

「では命はどこにあるの」って質問すると、
心臓に手を当てて「ここにあります」と答える子がいます。

僕は聴診器を渡して隣同士で心臓の音を聞いてもらって、
このように話を続けるんです。


「心臓は確かに大切な臓器だけれども、
 これは頭や手足に血液を送るポンプであり、命ではない。
 命とは感じるもので、目には見えないんだ。

 君たちね。
 目には見えないけれども大切なものを考えてごらん。

 空気見えるの? 酸素は? 風が見えるの? 

 でもその空気があるから僕たちは生きている。
 このように本当に大切なものは 目には見えないんだよ」と。


それから僕が言うのは

「命はなぜ目に見えないか。
 それは命とは君たちが持っている時間だからなんだよ。
 死んでしまったら自分で使える時間もなくなってしまう。

 どうか一度しかない自分の時間、
 命をどのように使うか、しっかり考えながら生きていってほしい。

 さらに言えば、その命を今度は自分以外の何かのために使うことを学んでほしい」

ということです。

僕の授業を聞いた小学生からある時、手紙が届きましてね。
そこには

「寿命という大きな空間の中に、自分の瞬間瞬間をどう入れるかが私たちの仕事ですね」

と書かれていた。
10歳の子どもというのは、もう大人なんですよ。
あらゆることをピーンと感じる感性を持っているんです。

僕自身のことを振り返っても、
10歳の時におばあちゃんの死に接して、人間の死というものが分かりました。

子どもたちに命の大切さを語り続けたいと思うのもそのためです。

          <感謝合掌 平成26年11月25日 頓首再拝>

地上の寿命は予定されているけれども (2132)
日時:2014年12月04日 (木) 03時26分
名前:伝統

          *「人生を支配する先祖供養」(P101)より

私たちの地上の寿命は、だいたい予定されているのである。
謂わば地球生活への出張期間が受胎のときに既に任期何年何ヶ月という風に
きめられているのである。

しかし、大抵その任期一ぱいに地上に生活し得る人は少ないのである。

大抵の人は、正しい生活法を守らず、正しい健康の法則を守らず、
更に地上に任命された役割を果さず他の人の迷惑になることをかまわず、
勝手気儘(きまま)な不規則な生活を送っているために、

恰も折角、優秀な社員として海外出張を命じてあるのに、その任務をつくさないで
放埓(ほうらつ)な生活を送っているために、任期満了にならない先に本社へ帰還命令が出て、
他へ転出せしめられる社員のように、

地球生活へのあらかじめ定められた出張期間が満了しないうちに
霊魂が霊界に召還(しょうかん)される(肉体の死)人もあるのである。

          <感謝合掌 平成26年12月4日 頓首再拝>

健康寿命を延ばすのがポイント (2342)
日時:2014年12月15日 (月) 03時23分
名前:伝統

平均寿命と健康寿命

平成22年度の厚生労働省の発表によると、
日本人の「健康寿命」と「平均寿命」には、9〜12歳の差があるとのこと。
(男性の場合は、9.13年。女性の場合は、12.68年)

つまり、現実には多くの方が寝たきり状態を経て、

寿命を終えている  ということになります。

http://diamond.jp/articles/-/59827
http://www.jili.or.jp/lifeplan/lifesecurity/oldage/3.html


中高年の健康リスクは突然やってきます。

そのための鍵は、「カラダの中のしなやかさ」


「カラダの中のしなやかさ」のための生活習慣(中高年)

(1)腹八分目の食事

(2)良質な睡眠

(3)インスタント食品や脂っぽい食事は控える

(4)週2回、1日20分のウォーキング

(5)禁煙

(6)ストレスをためない

<参考Web:「健康寿命を延ばすには」
http://www.jinji.go.jp/shougai-so-go-joho/pdf/bring/advice_ms_yasumura.pdf

          <感謝合掌 平成26年12月15日 頓首再拝>

愛の実践はあなたに長寿と幸運を約束する (2498)
日時:2014年12月25日 (木) 04時50分
名前:伝統

          *『神と偕に生きる真理365章』(P45)より

あなたの実相は”神の子”である。
神は愛であるから、”神の子”たるあなたには神の愛が宿っているのである。

神は無量寿の生命であり老いないのであるから、
あなたが、内に宿る神の愛を外にあらわして、
常に人々に愛を施し、常に人々に深切(しんせつ)を尽くすならば、

そこに神があらわれるのであるから、
あなたに於(お)いて、神の無量寿(むりょうじゅ)があらわれ、
あなたは長寿の生命を生き、老いる事がなくなるのである。

不老長寿の生命にまで新生するために、愛行を実践するほか仕方がないのである。

          <感謝合掌 平成26年12月25日 頓首再拝>

大往生への誘い (2687)
日時:2015年01月05日 (月) 03時41分
名前:伝統

《身心一如》

        *「大往生の養生力」帯津良一・著(P66〜67)より

「正法眼蔵」に次のようなくだりがあります。

「身心一如のむねは、仏法のつねに談ずるところなり。しかるに、なんぞ、
その 身の生滅せんとき、心ひとり身をはなれて、生滅せざらん」(『正法眼蔵』弁道話)

道元は身と心が一つだからこそ、生も死も別のことではなく、
生の延長に死が続いていること(死生観)を述べているのです。

さらに「身心一如」には別の意味が含まれていると思うのです。

それはつまり「心と体は一体である」ということです。

したがって、心に聞くことは体に聞くことであり、
また体に聞くことは心に聞くよいうことになります。

二つは表裏一体であり、体の健康を知る上では、心に体のことを尋ね、
身心に必要な養生をすることが重要になってくるのです。

・・・

《「断捨離」「放下著」》

        *「大往生の養生力」帯津良一・著(P74〜75)より

昔から「病は気から」といわれますが、
「悩む気」「迷う気」「妬む気」といった悪い気を一切、
見事に捨て去ってしまえばいいのです。

それが今、私たちに必要な「心や体からアプローチする健康」の一つであり、
その方法を「断捨離」「放下著」(というブーム)は示しています。

・・・

《【粥有十利 (しゅうゆうじり】〜お粥の十の御利益》

        *「大往生の養生力」帯津良一・著(P116〜117)より

この " 粥有十利 " は、道元禅師自身が 『摩訶僧祇律(まかそうぎりつ)』
という仏典から引用していて、次にあげる十項目を指します。

(1)【色】 〜 血色をよくする。
(2)【力】 〜 体力をつけ、気力を増す。
(3)【寿】 〜 寿命を延ばす。

(4)【楽】 〜 食べ過ぎとならずお腹がに楽である。
(5)【詞清辯】〜 言葉が清く爽やかになり、はっきりする。
(6)【宿食除】〜 前に食べたものが残らず胸やけもせず。

(7)【風除】 〜 風邪を引かない。
(8)【飢消】 〜 消化よく栄養となって空腹をいやす。
(9)【渇消】 〜 のどの渇きをいやす。

(10)【大小便調適】 〜 便通を整える。

・・・

《死後の世界はある、と考えたほうがよく生きられる》

        *「大往生の養生力」帯津良一・著(P138)より

(1)どんな死に方をするにせよ、ときめいた状態で亡くなりたい。

(2)死はずべての終わりではなく、虚空への旅という次の壮大な
   ジャーニーへの入り口でもあるのです。

・・・

《老境を楽しむことが大往生につながる》

        *「大往生の養生力」帯津良一・著(P192〜204)より抜粋要約

(1)老境は本来、楽しいものであって暗く寂しいものではないのです。
   「楽しむのは人間の生まれつきの性質なのだから、いつも養生の道に
   従って欲を自制しながらも、楽しみを失ってはならない」(貝原益軒)

(2)日々の暮らしに楽しみを見つけられる人が、最高の老境に達するのです。

(3)青雲の志を胸に抱き、ときにひらめき、ときにときめき、
   こつこつと攻めの養生を果して行くことに尽きるようです。
   大事は平凡な日常のなかに潜んでいるようです。

          <感謝合掌 平成27年1月5日 頓首再拝>

人間の老衰の原因に就いて (2822)
日時:2015年01月15日 (木) 05時00分
名前:伝統

          *「女は愛の太陽だ」(P98〜100)より

「心で思うとおりに身体にあらわれるのだ」と、私が嘗てある人に話したとき、
その人は反駁して、

「私は一度も、中風になるなどとも、血管が硬化するとも心で考えた事もないのに、
脳溢血を起して、このような中風になったのだから、心で思う通りに身体にあらわれる
という学説には疑問があると思う」というのであった。

その時、私はこういって答えたものである。

「自分の身体を単なる物質だとあなたは思っているでしょう。その想念の中に老衰も
あれば、血管の硬化もあるのです。物質は長く使えば禿(ち)びて来るし、空気に長く
触れたり、たびたび良質のゴムでも硬化して脆(もろ)くなってくる。

自分自身を物質的肉体だと思っている限り、古いゴムが弾力を失い、硬化して脆くなって
来るのと同じように、自分の肉体や血管が硬化して脆くなる ――
これは結局、自分の想念が思う通りにあらわれた結果ですよ」

あなたも、やっぱり、自分自身の身体を”物質”の一種だと信じているのではありませんか。

《神想観は若返りに必要か》

毎日毎日、神想観の実修を続けて、
霊的自覚の想念をいよいよますます自分の心の中に積み立てて行きなさない。

それは最初は大した効果もないかのように見えていたかも知れないけれども、
だんだん霊的自覚の想念を積み重ねて行くに従って、その霊的自覚の強度は増して、
ついにあなたの肉体を霊化するに至り、容貌を若返らせ、精力を増進し、
普通以上の健康と美とを自己の身体に実現し得ることになるのである。

「ローマは一日にして成らず」という諺の通り、それは一日や二日の神想観によって
成るのではない。忍耐強気継続的修行が必要なのである。

常に五官の感覚は周囲を見、且つ自己自身をみて、それらはすべて”物質”で
出来ていると見るのである。そして、その感覚から来る有様を毎時毎刻自分の潜在意識に、
”暗示”として注ぎこんでいるのであるから、神想観を実修して、肉眼を閉じ
五官の感覚を蕩尽して、自己を”霊身”と見る修行を重ねることによって、

五官による「汝は肉体なり」という暗示を出来るだけ速やかに拭い去ってしまう
ようにしなければならないのである。(谷口雅春著『詳説神想観』参照)

          <感謝合掌 平成27年1月15日 頓首再拝>



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