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光明掲示板・第三

 

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困難に戯れよ! (70)
日時:2014年09月03日 (水) 03時37分
名前:伝統

光明掲示板第二「困難に戯れよ! (10457)」からの継続です。
  → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=2004



すべての経験は、「神」を掘り出す喜びの作業

     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(P5〜6)より

われらのすべての経験は、自分の内にある「神」を掘り出す作業である。

どんなにそれが失敗したように見えようとも、どんなにそれが深刻であり、
悲惨なように見えようとも、それが深刻であればあるほど、悲惨であればあるほど、
われらの神に通ずる坑道は深く穿たれていきつつあるのである。

深く深く下げていくうちには、やがて広々とした世界に出る。
そこには、もうなんの悲惨もない、常楽のみの世界なのである。

どんな経験も、苦しい経験も、
ただ、われわれは神に近づく掘り下げ方だとして喜ばなければならない。

            <感謝合掌 平成26年9月3日 頓首再拝>

険阻な道が、本当はその人の魂にとって向上への通路 (155)
日時:2014年09月07日 (日) 04時58分
名前:伝統


      *「若人のための78章」第3章<魂の向上について>(P8〜9)より

愛は憐憫ではない。
憐憫は相手の不幸な面を強調して、それに執着的な同情を与えることなのである。

一度彼が不幸なる面を強調してそれに心を停滞せしむるならば、
その念の力によりてその人はその憐むべき状態から再びおき上ることができなくなるのである。

困難は決して不幸ではないのである。

魂にとってもっとも大いなる敵は怠惰と惰弱である。

吾々が人生に処する行為において、色々の道があるとするならば、
大抵の人はもっとも安易なる道を選ぼうとするであろうが、
もっとも険阻な道が、本当はその人の魂にとって向上への通路なのである。

努力も克服もいらないような平易なる坦々たる道は、
その人の魂をきたえることができないのである。

吾々は、今興えられた重荷よりもなお一層重い仕事の方が、
自分の力をきたえだす所のもっともよきものであるということをしらなければならない。

吾々の肉体力は、それに適当な重荷を興え、
これを練磨することによって一層力強くなると同じように、
吾々の魂はむつかしい問題を興えられれば興えられるほど、魂の力は増加するのである。

このようにすることによってのみ、
人間がこの世に生れてきた所の神の無限力を表現することができるようになるのである。

            <感謝合掌 平成26年9月7日 頓首再拝>

困っても、困ったらあかん。 (412)
日時:2014年09月16日 (火) 04時44分
名前:伝統

      *メルマガ「成功への道しるべ(2014年9月10日)」より


<感じ方もあなたの責任です>

「会社で、横暴な上司がいて、ことある度に、“バカヤロー”と私を罵倒するのです。 
毎日“バカヤロー”、“バカヤロー”と云われる度に私は傷つき、
もうお先真っ暗で、死にたいくらいです。」


相談を受けた人が、彼に尋ねました。 
                     
「1日何回ぐらい“バカヤローと言われるの? 」

「日に10回位の時も、それ以上の時もありますよ。」

「もし“バカヤロー”と云われる度に3万円もらえるとしたらどうだろう。
毎日30万位になるよね。」

「そんな調子のいい話、あるはずがないけれど、
もしあれば明日はもっと何回も“バカヤロー”と云われたいと思うでしょうね。」

「そう! だから君は、“バカヤロー”というコトバに傷ついているのではないんだ。
“バカヤロー”といわれたことに対して、自分の感じ方に傷ついているんだよ。」


なんとなく分かったような?? お話ですが
他人が、あなたに、どんなことを言ったとしても、
どのように感じるかは、あなた次第ということです。


◆誰かが、私に、“お前は馬鹿だ、能なしだ”といくら繰り返し、繰り返し言ったとしても、
 私が、そのことに同意しなければ、誰も私に劣等感を抱かせることは出来ません。

 他の人達が言ったことに対して、普通無意識に反応しているかもしれませんが、
 どう感じるかは私達の選択できることなのです。

 それは私達の成熟度を示す指標であり、それによって私達は自分の人生を支配できるのです。


◆これは他人から言われたことに対してだけでなく、
 与えられた状況また置かれた環境に対しても同じことが云えます。

 どのように感じるかは選択の問題であり、選択の自由も与えられているのです。


◆現在経営コンサルタントとして活躍されている木野親之氏は、日本で初めて
 ファクシミリの機械を製造販売しようとしていた倒産寸前の会社の社長として
 派遣されていました。

 ところがあらゆる面で問題が続出、もうどうにもならない状況です。

 そんな時、 松下幸之助氏が、“困っても困ったらあかん。”と助言したのです。

 その意味するところは、

 “困ることはいっぱいあるやろう、しかしそのことを困ると思うか思わないかは
 君自身の問題や、困ると思えば、益々八方塞がりの状態になり、
 絶対に困らないと思えば、そこから解決の道も見えてくる。”

 木野氏はその一言で、絶対に困らないと決意したら、心の中のモヤモヤは一気に吹っ飛んで
 しまい、晴ればれとした気分で、課題に取り組み難局を乗り越えることが出来たと
 いうことです。

 私達は、困るという選択も、困らないという選択もどちらもできます。


◆私達が他人や与えられた状況や環境、更にいえば世界を変えることは出来ないとしても、
 私達自身の責任で、自分の感じ方、考え方を選択することは出来ます。


◆1970年代、米国で車による大気汚染が深刻になり、世界中の自動車メーカーの反対を
 押し切って、排ガスの廃棄物の量を一気に1/10にまで減らすことを義務付けた
 マスキー法が制定されました。

 GMやフォードも難しいといっているのに、その頃のホンダのような規模のメーカーは
 完全に施行されたら倒産してしまうと云われたりもしました。

 しかし本田宗一郎氏は、これは千載一遇のチャンスだ。
 この件に関してはGMやフォードも、ホンダも同じスタート地点からの競争が出来ると考え、
 新しいエンジンの開発に全力で取り組むのです。

 その結果CVCCエンジンが誕生し、
 4輪メーカーとしての地位を一気に確立することになります。


◆ 問題は、問題ではありません。

  問題は、私達が問題に対して、どう考えどう対応するかが問題なのです。


世の中困ったことを挙げれば、もう限りなくあります。
それを悩んでいたら一歩も前進できませんが、
「絶対に困らない」と決意すると、困っていたことが全て消え去ってしまいます。

            <感謝合掌 平成26年9月16日 頓首再拝>

【人生は何度でも勝負できる! 】 (638)
日時:2014年09月26日 (金) 04時07分
名前:伝統

         *メルマガ「人の心に灯をともす(2013-01-08)」より

   (中野明氏の心に響く言葉より…)

   農場の手伝いからペンキ塗り。
   ペンキ塗りから再び農場の手伝い、さらに路面電車の車掌。
   路面電車の車掌から軍隊入隊、除隊後に鍛冶屋見習いに。

   鍛冶屋見習いから機関車の灰さらい、さらには機関士へ。
   機関士からなぜか弁護士実習生に転身。
   弁護士実習生から保線作業員、さらにプレデンシャル保険のセールスマン。

   保険セールスマンからフェリー運行会社を設立。さらに商工会議所の秘書。
   秘書を辞め、フェリー会社からも手を引きアセチレン・ライト製造販売会社を設立。
   アセチレン・ライト製造販売会社が倒産し破産。

   ミシュラン・タイヤのセールスマンに。
   大けがのあとスタンダード石油のサービス・ステーション(ガソリンスタンド)を経営。
   世界恐慌の影響でサービス・ステーションが破綻。

   シェル石油のサービスステーションを経営。
   サービス・ステーションにレストランを設置。この頃助産士の仕事もする。
   サービス・ステーションにモーテルを併設し事業は大成功。

   と思いきや、レストランとモーテルが全焼。それでも必死の覚悟で再建する。
   第二次世界戦中はテネシー州にある軍のカフェテリアで運営責任者に。
   巨額な税金の支払いで実質破産する。

   モーテル事業が再び軌道に乗ると州議会議員に出馬。しかし落選。
   事業不振でレストランとモーテルを売却。65歳で無一文になる。


   ご覧のようにこの人物は目まぐるしく職業を変えている。
   しかも浮き沈みが激しく、成功したと思ったら失敗し、再びそこから立ち上がる。
   これを繰り返すという人生だった。

   ではこの人物とは誰のことか。
   実はこの経歴の持ち主こそがカーネル・サンダースにほかならない。

   白髪に白い口ヒゲとやぎヒゲ、白いスーツに蝶ネクタイで
   ステッキを片手ににこやかに両手を広げる…。

   とはいえ、この経歴にはケンタッキー・フライドチキンの
   フランチャイズ・ビジネスがどこにも書かれていない。

   なるほど。それもそのはずだ。

   カーネルがフライドチキン・ビジネスへと本格的に邁進するのは、
   65歳で無一文になってからのことだからだ。

   それから90歳でこの世を去るまで、
   カーネルはケンタッキー・フライドチキンの顔として活躍する。

   この90年の人生の中でカーネルには死に至るかもしれない危機が少なくとも4度あった。
   銃の撃ち合いや、車の事故だ。
   これらに加えて度重なる破産である。

   やがてカーネルは、これらの人生の危機をくぐり抜けて生きてこられた理由を
   次のように考えるようになる。

   「神様は何か特別なことをワシにさせるために命を救ったのではないか」というように。

    <『カーネル・サンダースの教え 人生は何度でも勝負できる!』朝日新聞出版>

          ・・・

カーネル・サンダースは世界で初めてフランチャイズ・ビジネスを生み出した人。
いつも、にこやかで温厚なイメージのサンダースおじさん。

しかし、若い頃はすぐに頭に血が上り、ケンカっ早くて、下品な言葉を人に浴びせていたという。

「できることはすべてやれ。やるなら最善を尽くせ」が、カーネルのモットーだった。

モーテル(郊外のホテル)を始めたときも、
相場より高い室料だったが、徹底したサービスを提供したという。

客室には防音壁を用い、全室をエアコン装備。
ベッドは上質のマットレスで、寝心地は極上。

お客がチェックインして部屋に入ると、
5〜10分後にウエイトレスが現れてコーヒーを届けてくれる。
ウエルカム・サービスだ。

さらにウエルカム・フルーツも全てのお客に提供された。
雨が降っていたら駐車場まで従業員が出迎えてお客に傘を差し出す。
それでいてチップは一切受け取らない。

これらの厚いおもてないしに加えて自慢の料理の提供だ。
焼き置きではない、熱々の焼きたてのビスケットが自慢だった。
何と4年半も一切空き室が出ない状況が続いたという。
(以上、同書より)


カーネルがモーテルを作ったのは1937年、今から80年近く前のこと。
その当時に、この徹底したサービスは奇跡のようなことだった。


昔も今も、人と違ったアイデアがあれば商売は繁盛する。
そして、アイデアがある人は、何の商売でも成功する。

できることを、ベストを尽くしてすべてやれば、「人生は何度でも勝負できる」

何度倒れても、立ち上がる不屈の人でありたい。

            <感謝合掌 平成26年9月26日 頓首再拝>

【キズのあるリンゴ】 (738)
日時:2014年10月02日 (木) 04時03分
名前:伝統

         *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年09月18日)」より

   (外山滋比古氏の心に響く言葉より…)

   青森へ行った帰りに、朝市に寄ってリンゴを買った。
   
   キズのあるリンゴを売っているおばあさんがいる。こちらが、
   「キズのあるリンゴの方が甘いんですよね」
   と言うと、おばあさんが、

   「東京のひとのようだけど、よくごぞんじです。みんなにきらわれています」
   という意味のことを土地の言葉で言った。

   うれしくなってもち切れないほど買ってしまった。


   キズのついたリンゴ。
   なんとかそれをかばおうとして、力を出すのであろう。
   無キズのリンゴよりうまくなるのである。

   キズのないリンゴだってなまけているわけではないが、
   キズのあるリンゴのひたむきな努力には及ばないのか。

   人間にも似たことがある。

   試験を受ければ必ず合格、落ちるということを知らない秀才がいるものだ。

   他方では落ちてばかりいる凡才がたくさんいる。

   もちろん、秀才の方がえらくなるけれども、
   落第ばかりしていた人が、のちになって、たいへんな力を発揮、
   かつての秀才を追い抜くことも、ときどき起こる。

   若いときに失敗をくりかえすような人は、はじめはパッとしない。

   しかし、いろいろな経験を重ねているうちに、実力があらわれる。

   ちょっとした失敗は人間ならだれしもあることだが、
   失敗したことのない秀才、エリートは、なんでもないミスで破滅したりする。


   K氏は大組織のトップであった。
   その前は官僚として最高のコースをのぼりつめた大物だった。

   あるとき、その組織でちょっとしたトラブルがおこった。
   K氏は「私は相談を受けていない。知らなかった」と言った。

   責任回避。

   トップに相談しないで、できることではないのは内部の者には明々白々である。
   しかし、苦労を知らないK氏は、もっともまずい、言いのがれをした。
   たちまち一般からの非難を浴び、やめたくないポストを投げ出さざるを得なくなった。

   失敗を知らない、すばらしい経歴がアダになったのである。
   K氏は幸福すぎたために不幸になった。


   H氏は家が貧しく、小学校すらロクに出なかった。
   昔だから、そんなことが許されたのであろう。

   両親が早く亡くなり、いろいろつらい目にあいながら、
   二十歳になるかならずかのとき世界的発明をした。

   ところが関東大震災でハダカ同然になり、
   さらにあくどい同業者から商売をうばわれるといったこともあったが、
   H氏は、めげず、へこたれず、努力をつづけて大企業を育てた。

   いくつものキズを受けながら、それを乗り越えて大器になったH氏は、
   普通の人間に勇気を与える。

        <『リンゴも人生もキズがあるほど甘くなる』幻冬舎 >

          ・・・

蓮(はす)の花は、にごった泥の中でしか咲かない。

人も同じで、幾多の失敗や試練をくぐりぬけ、泥水をかぶって生きてきた人ほど、
真の強さがあり、深い人間味(にんげんみ)という花を咲かせることができる。

キズのあるリンゴの方が旨い、ということだ。


深みがあるというのは、振幅のおおきさが大きいということ。

成功と失敗の落差、幸福と不幸の落差、楽しさと悲しさの落差…

落差が大きければ大きいほど、人生というドラマは盛り上がる。

そして、人は、それらを乗り越えるたびに、深い魅力的な人間となる。


深くて魅力ある人でありたい。


            <感謝合掌 平成26年10月2日 頓首再拝>

岐路にたちつつ (938)
日時:2014年10月10日 (金) 04時44分
名前:伝統


          *『道をひらく』松下幸之助・著(P110〜111)より

動物園の動物は、食べる不安はなにもない。
他の動物から危害を加えられる心配も何もない。

きまった時間に、いろいろと栄養ある食べ物が与えられ
保護されたオリのなかで、ねそべり、アクビをし、ゆうゆうたるものである。

しかしそれで彼らは喜んでいるのだろうか。

その心はわからないけれども、それでも彼らが身の危険にさらされながらも
果てしない原野をかけめぐっているときのしあわせを、
時に心に浮かべているような気もするのである。

おたがいに、いっさい何の不安もなく、危険もなければ心配もなく
したがって苦心する必要もなければ努力する必要もない、
そんな境遇にあこがれることがしばしばある。

しかしはたしてそこから生きがいが生まれるだろうか。

やはり次々と困難に直面し、右すべしか左すべしかの不安な岐路にたちつつも、
あらゆる力を傾け、生命(いのち)をかけてそれを切りぬけてゆく
− そこにこそ人間としていちばん充実した張りのある 生活があるともいえよう。

困難に心が弱くなったとき、こういうこともまた考えたい。

            <感謝合掌 平成26年10月10日 頓首再拝>

【自分で押して坂を上る】 (1142)
日時:2014年10月17日 (金) 04時47分
名前:伝統

         *メルマガ「人の心に灯をともす(2013年04月19日)」より

   (オリソン・マーディン氏の心に響く言葉より…)

   「人に押されて坂を下るか、自分で押して坂を上るか」
   何かを成し遂げた偉人にも、このような断固たる姿勢が見られる。

   パワフルな気持ちと言葉で挑みつづけ、
   最後には当然の結果として成功をおさめるのだ。

   力強く「私はこうしたい」と主張することができる積極的な人か、
   それができない消極的な人かで成否が分かれる。

   前者は「私はできる」、
   後者は「私はできない」にそれぞれ人生の照準を合わせている。

   「環境、才能、チャンスに制約はない」というのが積極的な人の考え方である。

   一方、消極的な人は環境と闘いもしないうちから白旗を掲げている。
   彼らの目には周りは制約や苦難だらけで、
   どれもみな「乗り越えられそうにない」障害に映る。


   人類に積極さと断固として先に進む力がなかったら、
   いまだに洞窟に住み、食べ物を生のまま食べていたかもしれない。

   障害を乗り越えるのは、いつの世も積極的で力にあふれた人間。

   この世は、「自分で押し進むか」「押されて進むか」のふたつにひとつ。
   押されて進めば坂を下り。
   押し進めば坂を上っていく。

   <『オリソン・マーデン 成功の原理原則』“本田直之監訳”ダイヤモンド社 >

              ・・・

人の生き方の姿勢は、2つに分かれる。

「現状維持の姿勢」か「現状打破の姿勢」か、だ。

現状維持の姿勢の人は、現状を何も変えようとしない人。

しかし、何も変えようとしない人は、まわりに流される、ということを知らない。
なぜなら、時代は変化しているから、自分だけ現状維持でいようとしても、
いやおうなしに、いつか強制的に変えられてしまからだ。

武士が刀をさしチョンマゲのままで暮らそうとしても、
明治維新が起こり時代が変われば、刀は持てなくなり、チョンマゲは結えない。


だから、人は、「現状打破」の生き方を選択した方がいい。

人から強制的にやらされるより、「現状打破」という苦しいけれど
自分で選んだ道を進む方が精神的にはいいからだ。


人に押されれば、坂を下りるしかない。

たとえ困難な道であろうと、自分で自分を後押して坂を上っていきたい。

            <感謝合掌 平成26年10月17日 頓首再拝>

試練と支援 (1308)
日時:2014年10月26日 (日) 04時49分
名前:伝統

       *『致知』2013年12月号 (P108)より
        〜 鈴木秀子(文学博士)
     

幸せは遠くに求めるものではなく、自分のいる環境の中に潜んでいる――。

私たちは日々の糧が与えられることだったり、
苦楽をともにする家族がいてくれることだったり、
一見、当たり前と思えるような現実の中に多くの宝を見つけ出すことができます。

言葉を変えれば、
それは私たちが“生かされている”という厳然とした事実に気づくことです。


私は東日本大震災以降、 被災地にたびたび足を運び、
現地の人たちと直接ふれあってお話ししてきました。


大切な家族も家も財産も津波に流され、
残ったのは自分の命だけという状況の中で、多くの人たちから

「命があるのがこれほどありがたいとは思っていませんでした」

「支え合う隣人がいることが、どんなに嬉しいことか……」

という声を聞いてきました。

皆様の姿をとおして、
生きるか死ぬかという切羽詰まったような状態の中から、
本当の人間の姿が立ち現れてくることを私は改めて確信しました。


震災のような極限状態にまで追い込まれないにしても、私たちは辛い試練に遭遇した時に
周囲の人のさりげない優しさや温かい言葉に触れて、命を吹き返すことがあります。

「試練と支援の間で人は成長する」 という言葉がありますが、
試練と支援はどちらがいい、どちらが悪い、ということはありません。


東洋には陰陽の思想があります。
陰と陽が調和しながら物事が生成発展していくという考え方ですが、
両者のバランスが保たれた時に命は輝きを増すものなのでしょう。

試練と支援もまた同じなのです。

            <感謝合掌 平成26年10月26日 頓首再拝>

艱難の生み出す力 (1509)
日時:2014年11月06日 (木) 06時05分
名前:伝統

           *「青年の書」(P123)より

誰でも一生涯のうちにはとても耐えることが出来ないと
思われるような困難に面することがあるのが普通である。

しかし、それは決して吾々をやっつけるために来たるところの困難ではないのであって、
それに感謝し、その困難が自分に与えるところの善き効果を礼讃し、

自分に耐えられないような困難は神が決して与え給わないのであるという事を、
信じてそれを克服して行くならば、これは自分を破壊するものだと思っていたような
ものが却って自分を良くしてくれるところのものに変化するのである。

吾々のなすべきことは、人生のあらゆる課題は自分にとって総(すべ)てよいものであり、
それを解決することによって自己内在の「真実の自分」のちからがいっそうはっきり
実現させてくれるものであると信じてその問題を自ら解決するように努力することである。

            <感謝合掌 平成26年11月6日 頓首再拝>

生きていることのたったひとつの証は変わること (1681)
日時:2014年11月14日 (金) 04時15分
名前:伝統

       *「本気で生きよう!なにかが変わる」丸山浩路・著(P187〜191)より


  ダイナマイトも燃えなければ、ただの甘い泥。
  石炭も火がつかなければ、ただの黒い石。
  ダイヤモンドも磨かなければ、ただの原石。


ダイナマイトも石炭もダイヤモンドも、変わるからこそ価値が出ます。
変わることができるからこそ、素晴らしいのです。

これは私たち人間にもいえることではないでしょうか。
変わるからこそ、人間としての深みが増す。
変わることができるからこそ、人生が豊かになるのだ、と。

人間死んでしまったら、故人であり、遺体です。
こうなってしまえば、もはや変わりようもありません。
生きているからこそ変わることができるのです。

人間としての原石を磨くことができるのです。

生きているたったひとつの証。それは変わることだと、私は信じています。

(中略)


弱音を吐きたいときは、弱音を吐こう。
くよくよしたいときは、くよくよしよう。
泣き言を言いたいときは、泣き言を言おう。
後ろを向きたいときは、後ろを向こう。

(中略)

しかし、同時にこうも思いました。
思い切り弱音を吐いたら、その後は変わっていこう。
思い切りくよくよしたら、その後は変わっていこう。
思い切り泣き言を言ったら、その後は変わっていこう。
思い切り後ろを向いたら、その後は変わっていこう。

弱音を吐いてはいけないと思うから、ますますつらくなります。
くよくよしてはいけないと思うから、いっそう苦しくなります。
どうして落ち込むのだろう、そう思うからどんどん落ち込んでしまうのです。

が、人間、悩んで落ち込んでつらくなるのは当たり前のこと。
自分がそうしたいときは、思い切り弱音を吐いて落ち込めばいいじゃありませんか。
くよくよして悩みぬけばいいじゃありませんか。

そう考えると気持ちがスーッと楽になります。
今の自分をそのまま受け入れられるようになります。

しかし、大切なのはそれからです。
とことん弱音を吐いて落ち込んだら、あとは「絶対に変わってやるぞ」と
自分に言い聞かせるのです。

弱い自分を受け止めて、そこから変わろうと心で念じるのです。
落ち込みきったら、悩みきったら、泣ききったら・・・・・・その次は、
これまでの自分とは違う自分に変わっていけるはずです。落ち込みきる、悩みきる。
泣ききる・・・「〜しきる」からこそ、次のステップにも進んでいけるのです。

(中略)

つらいことも、悩みも、悲しいことも、そのときの自分に与えられた“波の形”。
それをそのまま受け入れたら、次はそこから変わっていきましょう。

以前とは違う自分になりましょう。
それが生きていくことの素晴らしさ、醍醐味ではないでしょうか。

どんな人も、どんな状況にいても、人間は必ず変わることができます。
今の自分とは違った自分になれます。
私も変わっていけます。あなたも変わっていけます。
みんな、変わっていけるはずです。そう、生きている限り・・・・・・。

            <感謝合掌 平成26年11月14日 頓首再拝>

【理不尽な体験が人を育てる】 (1931)
日時:2014年11月24日 (月) 03時32分
名前:伝統

         *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年11月14日)」より

   (精神科医、松崎一葉氏の心に響く言葉より…)

   『情けの力』とは「情緒性」のことである。
   私はこの情緒性の持つ力を『情けの力』と名付けた。

   情緒性とは、人間の心に働きかけ、様々な感情や感覚を与えるもので、
   美しいものを心で美しいと感じる、理屈ではない感情の部分である。

   日本には古来、豊かな情緒性があった。
   その情緒性があうんの呼吸や下町情緒など、
   理屈では説明できない日本人特有の感性を作ってきた。

   しかし、最近の日本社会からは、その情緒性が失われているように感じる。
   それが今の日本社会の歪(ひず)みとなり、
   心を病む人が多くなっている原因である気がしてならない。  


   私たちが社会生活を送る上で、ストレスは避けて通れない。
   私は、自分の精神医学の根本のテーマとして「ストレス社会を生き抜く」
   ということをずっと考えてきた。

   ストレス社会で、心を病まないようにするためには
   『情けの力』を持ち、対抗していくしかない。


   しかし、最近は『情けの力』を養うことができず、欠如している人たちが増えている。
   それに加えて、成果主義や合理主義がよしとされ、
   日本社会から『情けの力』が忘れられているように感じる。


   以前の日本の社会はものすごく情緒的だった。
   これまでの日本社会では、自然に『情けの力』が養われ、実践されてきたのだ。

   「男はつらいよ」の寅さんのような「わかっちゃいるけど黙っていられない」という、
   日々の糧より人助けをする大人がたくさんいた。

   坂田三吉のような破天荒だけど人情味溢れるオヤジが存在できた。

   これからの時代は、論理の部分をキチンと持っていながら、
   なおかつ理不尽さを享受できる情緒的な共感性を持つ人が求められるのではないかと思う。  

                   <『情けの力』幻冬舎>

              ・・・

松崎氏は、「理不尽(りふじん)な体験が人を育てる」と言う。

本書の中でも述べているが、学校の運動部を経験した人は分かるが、
「先輩からの理不尽な練習の強要」や「絶対服従の上下関係」「先輩への挨拶」等々、
理不尽なことに満ちている。

だから、打たれ強いとされ、運動部は就職に比較的有利だったりする。

同じような体験は、「子どもの頃貧乏だった」「病気がちだった」、
「兄弟が多くてかまってもらえなかった」等々のことを乗り越えてきた人たちの中にもある。


現代社会は、理屈や知識といった理性の部分が多く求められる。

しかし、本当はそれよりもっと必要なのが情緒性という感性的な心だ。

「情けの力」という『感性』のキーワードは
「笑い」、「涙」、「感動」、「驚き」、「明るさ」、「発奮」、「行動」、「感謝」等々。


道理や理屈に合わないものを、「理不尽」という。

だからこそ、「理不尽」を乗り切るには、「理屈」の真逆にある、「情けの力」が必要なのだ。


ストレス社会を生き抜くため…

「情けの力」を身につけたい。

            <感謝合掌 平成26年11月24日 頓首再拝>

予想しない出来事が起こった場合 (2131)
日時:2014年12月04日 (木) 03時23分
名前:伝統

          *「女の浄土」(P11〜12)より

予想しないような出来事が人の生涯には時々やってくるものである。
しかしそれはあなたにとっては“予想しない”ことであるけれども、
神のほうからは予定されたカリキュラム(学習過程)なのである。

学生が教室へ入って、教授がその日何を話しだすかは、学生のほうからは”予想しない”
課題について話すかもしれないけれども、教授の方から言えば、”予定されたる”
教授課目を講義しているのであり、

その科目は学生の方から見れば難しいかも知れないけれども、教授の方から見れば、

「これだけの科目は是非とも通過しなければ、学生としての実力がつかない。
また勉強さえすれば、必ずこの問題が学生の現時点の能力で理解し、通過し、次の
一層高き問題に進み得る基礎知識を得ることになるのだ」

という考えで、その時点に於ける教授科目を選んでいる訳である。

あなたの今の時点に於いて与えられている問題は、あなたの魂にとって是非必要な
教授科目なのであるから、そして熱心に取り組めば、あなたは必ずそれを通過し得る
能力があるのであるから、勇気と自信をもって人生を前向きに明るく進んで行かれるがよい。

何事を為すにも、自分の脳髄智のみで行なわないで、自分の”心”を神の方へ振り向けて、
その指導によって行なう方が、正しい行動がとれて結果がよいのである。

それは写真を撮る場合、距離や明るさを、常に自分の目測のみ頼らず、精確な距離計や、
露出計によって正しき判断を得てからシャッターを切る方がピントのよい、
明暗のハッキリした良い写真がとれるようなものである。

神の智慧は最もよい距離計であり、露出計である訳である。

            <感謝合掌 平成26年12月4日 頓首再拝>

【空元気でも元気は元気】 (2344)
日時:2014年12月15日 (月) 03時41分
名前:伝統

         *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年11月18日)」より

   (石川真理子氏の心に響く言葉より… )

   維新後間もなく武家は廃刀令によって武士の命である刀を奪われ、
   「武士」という身分さえも失いました。

   しかも東北諸藩は幕府側についたために逆賊の立場です。

   その日の糧さえ得るのが難しい暮らし向きだというのに、
   そのうえもってこの扱いでは、どれほど誇りを傷つけられたか知れません。

   維新後のことを父親から聞いた祖母は、
   じじさまはいっそ自害するとは言い出さなかったのか、
   父はどうして耐えることができたのか、と訊ねたことがありました。

   「すると父は笑い飛ばすような勢いで陽気に言ったのですよ。
   そのようなことにへこたれてしまっては面白くないからのう。
   誇りを傷つけられたなどと自害しては相手の思うつぼじゃ。

   陰で奥歯を噛(か)んでいたとても平気の平左で生きてやるのよ。
   お前のじじさまは誇りをもって帰農したのだ。
   自らの食い扶持を自らの手でつくるのだ、誇りをもたぬわけがない。

   ばばさまにしたって、お前も憶えておろう、
   得意のお縫いやお仕立てで一所懸命一家を支えたではないか。

   どんな目に遭おうとも、どっこいそれがどうしたと、
   知恵と心意気で相対してやるのだ。

   士族が無くなろうと西洋張りの日本国が生まれようと、
   武士の心意気が生きていることを見せてやるのよ。

   とまあ、想像もしなかったお返事だから、私は驚いての。
   けれど、これが天晴れということかと、私の気持ちまで晴れ晴れしたものです」


   苦境に追い込まれて陰々滅々としてしまっては、再起を図る力など湧いてはきません。
   落ち込んでしまう自分に打ち勝って、自ら陽気にしてみることは、
   乗り越える力を得る第一歩になるにちがいありません。


   明治の日本人の姿を活写した小泉八雲は『日本人の微笑』の中で、
   「日本人は心臓が張り裂けそうな時でさえも微笑んでみせる」と綴っています。

   東日本大震災の直後、多くを失ったにもかかわらず、
   微笑を浮かべながらインタビューに答える被災者が少なからずいました。

   私たち日本人は困難な時でも明るく立ち向かおうとする意識を
   潜在的に持って生まれてきているのかも知れません。


   私が沈んでいる時、

   「空元気(からげんき)でも元気は元気。そのうち本物の元気が湧いてくるよ」

   と祖母が声をかけてくれたことがありました。

   苦労の多い人生を歩むことになった祖母は、折々、曾祖父の力強い言葉と、
   その陽気さ元気さがいかに自分の心をどれほど晴れやかにしたかを
   思い出したのかもしれません。

   そしてその都度、「武士は食わねど高楊枝」とばかりに胸を張ったのでしょう。

   見栄を張るためではない、誇りを守るための「やせ我慢」とは、
   なんと恰好いいやせ我慢でしょう。

             <『女子の武士道』致知出版社>

             ・・・

武士道とは主には、「卑怯なことをしない」、「嘘をつかない」、
「弱いものいじめはしない」、「惻隠の情を持つ」、「恥を知る」、
「私より公を重んじる」、「理屈を言わす黙々と実践する」等々の生き方をいう。

そして、せんじつめれば、それは「やせ我慢」の精神でもあるとも言われる。


昨今、「やせ我慢」という言葉が死語のようになって久しい。

「やせ我慢」とは、損と得の道があれば、莞爾(かんじ)として笑って損の道を行くこと。

そこには他者への配慮を含めた、強烈な自己抑制が必要となる。



「どんなに苦境に追い込まれても、へこたれてしまっては面白くない」

『空元気でも元気は元気』

陽気に「やせ我慢」ができる人は恰好いい。

            <感謝合掌 平成26年12月15日 頓首再拝>

困難な仕事に向った時祈る言葉 (2497)
日時:2014年12月25日 (木) 04時48分
名前:伝統

         *「女は愛の太陽だ」(P59〜60)より

あなたは”神の子”であるから、あなたの前に、如何なる仕事(又は困難)があらわれて
来ようとも、それはとうてい自分のかなう事ではないなどと考えてはならないのである。

仕事の前に暫く眼を瞑(と)じて、神の対して自分の心を集中して

「自分の内には竜宮の神、住吉大神の生命が宿っているのであるから、
私の家は住吉世界であり、竜宮海であり、無限の浄福の充ち満ちている世界である。
正しい智慧がわたし及びわたしの家族の心ぜんたいに充ち満ちているのである。

どんな困難も摩擦もあり得ないのである。必要に応じて神の智慧がインスピレーションと
して私を導いて下さるから、困難も困難ではないのである。
神様ありがとうございます」

と念ずるがよい。

            <感謝合掌 平成26年12月25日 頓首再拝>

「すべてのものに意味がある」 (2542)
日時:2014年12月28日 (日) 03時21分
名前:伝統

        *『致知』2014年2月号 〜猪熊隆之(ヤマテン社長)


2011年10月、八ヶ岳の麓、長野県茅野市に
私は日本初の“山岳気象予報”を専門とした「株式会社ヤマテン」を設立。

以来、80歳でエベレスト登頂を成し遂げた
三浦雄一郎氏を支援するウェック・トレック社、
プロ登山家・竹内洋岳氏をはじめ、

テレビ局、ツアー会社など、様々な方々に山の天気予報を提供させていただいています。

私が現在の道に進むようになった原点は、幼年時代にまで遡ります。

1970年、新潟県に生まれた私は、
小さい頃から気候の変化に異常な執着を見せ、学校の勉強そっちのけで天気研究に没頭。

高校に上がる頃には「将来は気象庁に」との明確な夢を描くようになっていました。
しかし、試験に必須の理系科目が克服できず、やむなく断念。

そこで、代わりに私の心を魅了していったのが、
中央大学入学後、本格的に始めた登山でした。

元来自然に親しむのが好きだった私は、
1年間の3分の1を山で過ごすなど、たちまち登山にのめり込んでいきました。

しかし、技術も身につき、いよいよ登山が楽しくなってきた3年生の冬、事故は起きました。

富士山での雪上訓練の際、
突風で飛ばされ、250メートルもの“氷の滑り台”を滑落したのです。

救助は難航し、助けが来たのは滑落から25時間後。
左足は粉砕骨折、骨は飛び出し、
患部を診た医者には 即座に「これは切断だ」と告げられました。

待っていたのは、呼吸困難を起こしたため、麻酔なしでの10時間に及ぶ大手術。

「首から下をちょん切ってくれ」と
心の中で何度も叫ぶほどの凄まじい苦痛でした。

幸い奇跡的に手術は成功し、
足を切断することなく私は2年ほどで登山に復帰。

しかし、この時の怪我が10余年の時を経て
私の人生を大きく変えていくことになるのです。


大学卒業後は一旦旅行会社に就職しますが、山への思いは抑えきれず1年ほどで退職。

その後の10年は、劇症肝炎で1年の中断はあったものの、
登山ガイドなどをしながら、お金を貯めては山に行く、というように、
登山に人生のすべてを注ぎ込んでいきました。

しかし、2005年9月、最も恐れていた病が私を襲います。

トレーニングを終えて足を見てみると、
富士山の事故で負った傷口から膿や血液が溢れ出ているのです。


慌てて行った病院で宣告された病名は「慢性骨髄炎」。
完治が難しい骨が腐る病気で、滑落時の負傷で骨に細菌が入っていたことが原因でした。

当初は、

「症状が落ち着けばまた山に登ろう」

と考えていた私も、
痛みと痺れで日常生活すらままならなくなるにつれ、事の深刻さを理解しました。

もう、山に登ることはできないのだ……。
私は必死に山から離れようと、登山関係の道具や写真をすべて処分していきました。

しかし、この病気と一生付き合っていく覚悟を決めた時、
ふとあることを思いつくのです。

「頭を使う気象予報士になれば生きていけるかもしれない」

(中略)

(その後、)山岳気象予報士として道が開けていったのでした。

そして、慢性骨髄炎も名医に出会うことができ5年ぶりに杖を手放せるなど、
明るい兆しが現れています。

いま思うのは、滑落事故や慢性骨髄炎の発症などの困難一つひとつには、
意味があったということです。

「なぜ自分だけが」と運命を呪ったこともありました。
しかし、結果として苦しみは山岳気象という新しい世界へ導いてくれました。

どんな辛いことも、それは自分だから与えられた試練なのです。

まずは勇気を出して一歩踏み出してみてください。
閉ざされたように見える道からすべてが開かれるのです。

・・・

<参考Web:不死身の登山家、不屈の人生〜猪熊 隆之さん/山岳気象予報士
       → http://www.yomiuri.co.jp/adv/chuo/people/20110915.html  >

            <感謝合掌 平成26年12月28日 頓首再拝>

困難や逆境を不幸と思ってはならぬ (2600)
日時:2014年12月31日 (水) 06時11分
名前:伝統

           *「女は愛の太陽だ」(P76〜77)より

困難や逆境を不幸が見舞って来たと想って悲観したり、
恐怖したり、不平に思ったりしてはならないのである。

そのような消極的な暗い気持ちを起こしたならば、折角、困難を克服し、逆境を
乗り越える”内在の力”をもちながらその”内在の力”が萎縮してしまって充分
発揮することができないで、困難に敗(ま)け、逆境に征服されてしまって、
困難と逆境を本当の不幸にしてしまって、その不幸から脱することができないのである。

困難や逆境を不幸だと思わないで、それは自分の魂を研くための砥石(といし)であり、
自分を練成する訓練であると考え、”ありがとうございます”という感謝の気持で、
逆境に処するとき、自分の人格は一層立派になり、魂は向上し、ついには現象的にも
幸福が実現するのである。

困難を克服して後に実現せる幸福こそは、コンクリートの杭をたくさん打ち込み、
充分搗(つ)き固めたる地盤の上に建てられたる建物のように、
常盤(ときわ)に揺らぐことなき幸福となるのである。

            <感謝合掌 平成26年12月31日 頓首再拝>

「苦労と思った瞬間に苦労になる」  (2743)
日時:2015年01月09日 (金) 03時10分
名前:伝統

         *『致知』2014年2月号
          〜山本征治(日本料理・龍吟代表) より


僕は子供の頃、ふとしたことから、母親の料理の手伝いをするようになったんですね。

学校から帰ってその日の出来事を話す時、
いつも母親が台所にいて、手伝いをしないと機嫌よく聞いてくれない。

そうやって料理の手伝いをするのが
日課になって段々と手順を覚えていったんです。

小学5年生になると、家庭科の授業で調理実習がありますね。

僕はその実習の数日後、貯めていたお小遣いで
近所のスーパーで同じ食材を買って、1人で家族のお昼を準備したんです。

パートから帰った母親が
「えっどうしたの」と驚いて、
「おいしい、おいしい」と喜んで食べてくれました。


これを見ながら僕は

「料理がおいしいと言ってもらえるのは、こんなに嬉しいことなんだ」

と子供心に感動したんです。

「自分の将来の仕事はこれがいいかな」と。

それ以来、僕は自分の夢について
料理人以外のことを作文に書いたことも言ったこともありません。


調理師学校を出た後、
3年くらい地元・香川県のホテルで働いたんだけど、
僕はやるなら日本料理と決めていました。


フランス料理に対する華やかなイメージももちろんありました。

だけど、フランス料理や中国料理は
向こうに本物があって、それを日本に吸収するだけ。

じゃあ日本が負けないものは何かと考えた時に、日本料理しかないと思ったんです。

それから僕は自分なりに日本料理を研究する中で
やがて門を叩く有名な四国の料亭を知ることになるんです。


(中略)


修業期間中の嫌なこと、辛いことを数え上げたら切りがないけど、
僕には必ず成功して店を持って自分の料理を世の中に認めていただく、
という夢があったから、これも訓練だと思って乗り越えてきました。

どちらかというと、要領がよくない人間だし、
生意気に思われて先輩から殴られたり蹴られたりすることもたびたびありました。

しかし、上手く振る舞っているうちに
自分の大切な人生の時間が奪われていくことを思ったら
耐えられなかったですね。

僕は誰よりも料理に対する思いが強い人、
誰よりも料理が好きな人になりたかった。

唯一、大将だけには勝てないと思っていたから、
大将だけを見て必死についていったんです。


僕は苦労したと自分では認めない主義なんです。
苦労を苦労と思った瞬間に、本当に苦労になる。


だからいまも社員たちに

「風邪をひいたと認めた瞬間に
 風邪をひくんだぞ」

と言っています。

            <感謝合掌 平成27年1月9日 頓首再拝>



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