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光明掲示板・第三

 

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傳記 二宮尊徳 あとがき (完) (2826)
日時:2015年01月15日 (木) 11時42分
名前:平賀玄米


<二宮尊徳に就いて>

「それ人、生れ出でたる以上は死する事のあるは必定なり、長生きといえども百年を越ゆるは
稀なり、限りの知れたる事なり、夭(わかじに)と云うも実は毛しつの諭なり、例えば蝋燭に
大中小あるに同じ。大蝋といえども火の付たる以上は四時間か五時間なるべし。

然れば人と生まれ出でたるうえは必ず死するものと覚悟する時は、一日活れば即ち一日の儲け、
一年活れば一年の益なり。故に本来我が身も無き物、我が家も無き物と覚悟すれば、あとは百事
百般皆儲けなり。

予が歌に「仮の身を元のあるじに貸し渡し民安かれと願う此の身ぞ」

それこの世は我人ともに僅かの間の仮の世なれば、この身ばかりの身なる事明らかなり、
元のあるじとは天を云う、この仮の身を我が身と思わず、生涯一途に世の為人の為のみを思い
国の為天下の為、益ある事のみを勤め、一人たりとも、一家たりとも、一村たりとも、困難を
免れ富裕になり、土地開け道橋整い安穏に渡世の出来るよう、それのみを日々の勤めとし、朝夕
願い祈りて怠らざる我が此の身であるという心を詠める也。
これ我が畢生の覚悟なり、我道を行わんと思う者は知らずんばあるべからず

実際この覚悟を以って一生を貫き通したのが尊徳である。
この点で世界的に云っても無比の人である。

つづく。

       <平成27年1月15日 謹写> ありがとうございます 合掌。

傳記 二宮尊徳 あとがき (2866)
日時:2015年01月16日 (金) 17時03分
名前:平賀玄米


いちいち彼の言葉を挙げてはきりがないが、彼の片鱗を示すにはやはり彼の言葉によるのが
一番いいと思うから、その内のごく一部を書いて彼の精神をはっきり示したいと思う。

青柳又左衛門という人が彼に「越後の国に弘法大師の法力に依り、水油、地中より湧き出でて
今に至って絶えない」と言った。

尊徳はそれを聞くと直ぐこう言った。
「それは奇は奇なりだが、只その一所だけだから尊ぶに足りない」
続いて云う。
「私の道はそれと違い最も奇である。何国にても荒地を興して菜種を蒔き、その実る法を得てこれ
を油屋に送れば、種一斗にて油二升はきっと出て永代絶えない。

是皇国固有天祖伝来の大道にして、肉食妻帯暖衣飽食し智愚賢不肖を分たず、天下の人をして、
皆行わす事が出来る、是開闢以来相伝の大道で日月照明ある限りこの世界あらん限り間違いなく
行われる道である。だから大師の法に優る万々である」

彼は続けて又云う。
「且つ我が道又大奇特あり、一銭の財無くして四海の困窮を救い、普く施し海内を富饒にして
猶余りあるの法なり、その方法は只分度を定むるの一のみ、予(よ)是を相馬、細川、烏山、
下館等の諸藩に伝う、然りといえども、是は諸侯大家にあらざれば、行うべからざるの術なり、
此の外にまた術あり、野原を変じて田畑となし、貧村を変じて福村となすの術なり、また愚夫
愚婦をして、皆為さしむベき術あり山家に居て海魚を釣り、海浜に居て深山の薪を取り、草原
より米麦を出し、争わずして必ず勝つの術なり、只一人をして能(よく)せしむるのみにあらず
智愚を分たず、天下の人をして皆能せしむ、如何にも妙術にあらずや、能学んで帰り能勤めよ」

この言葉は尊徳だから言え、又この言葉は生きるのである。

つづく。

      <平成27年1月16日 謹写> ありがとうございます 合掌。

傳記 二宮尊徳 あとがき (2881)
日時:2015年01月17日 (土) 10時25分
名前:平賀玄米


「我が教えは徳を以って徳に報うの道なり、天地の徳より、君の徳、親の徳、先祖の徳、その
蒙(こうむ)れる処の人々皆広大なり、これに報うに我が徳行を以ってするをいう」

「汝輩(なんじら)能々(よくよく)思考せよ、恩を受けて報いざる事多かるべし、徳を受けて
報ぜざる事、少なからざるべし、徳を報う事を知らざる者は、後来の栄のみを願いて本を捨てる
が故に自然に幸福を失う。
能(よく)徳を報う者は、後来の栄を後にして前の丹精を思うが故に、自然幸福を受けて富貴それ身を離れず・・・・・」

これらの言葉の精神は今も昔も変らない。
友人や仲間に愛敬される者は徳に報いる誠意が何処かにある人である。

つづく。

<平成27年1月17日 謹写> ありがとうございます 合掌。

傳記 二宮尊徳 あとがき 完 (2905)
日時:2015年01月18日 (日) 09時53分
名前:平賀玄米

彼はまたこう言っている。
「論語に曰く『信なれば、則(すなわち)民任ず』と、児の母に於ける、己れ何程大切と思う
者にても、疑わずして母には預くるものなり、これ母の信、児に通ずればなり、予(よ)が先
君に於ける又同じ、予が桜町仕法の委任は、心組の次第一一申立てるに及ばず、年々の出納計算
するに及ばず、十ヵ年の間任せ置き者也とあり、

これ予が身を委ねて桜町に来たりし所以なり、さて此の地に来り、如何にせんと熟考するに
皇国開闢の昔、外国より資本を借りて開きしにあらず、皇国は皇国の徳沢にて開きたるに相違な
き事を発明したれば、本藩の下附金を謝絶し、近郷富家に借用を頼まず、此の四千石の地の外を
ば、海外と見做し、吾れ神代の古(いにしえ)に、豊葦原へ天降りしと決心し、皇国は皇国の徳
沢にて開く道こそ天照大御神の足跡なれと思い定めて、一途に開闢元始の大道に拠りて、勉強せ
しなり、

それ開闢の昔、葦原に一人天降りしと覚悟する時は、流れにみそぎせし如く、潔(いさぎ)
よき事限りなし、何事をなすにもこの覚悟を極むれば、依頼心なく、卑怯卑劣の心なく、何を
見ても羨ましき事なく、心中清浄なるが故に、願いとして成就せずと言う事無きの場に至るなり。
この覚悟、事を成すの大本なり、我が悟道の極意なり。
此の覚悟定まれば、衰村を興すも廃家を興すもいと易し、ただ此の覚悟一つのみ」

尊徳の言葉を挙げては切りがないからこのくらいにしておきます。

聲もなく香もなく常に天地は
             書かざる経をくりかえしつつ

と尊徳は詠んでいるが、
この書かざる経を彼流に徹底して読みそれを実行した。一生それを貫いた生涯であった。

(おわり)

<平成27年1月18日 謹写> ありがとうございます。今回にて終了です。 合掌。




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