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[169]即天武后  郭沫若   東洋文庫 投稿者:鹿角

投稿日:2007年09月25日 (火) 15時05分

初めは反武后だった上官宛児が
徐々に心を武后に寄せるのが印象的
それにしては筋書きが何かゆるいような・・・

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[172]大量処分・出血大奉仕!!投稿者:方壺島主
投稿日:2007年09月27日 (木) 00時57分
気賀沢保規『則天武后』白帝社を読んだばかり。
ちょっと小説っぽかった。
その前に新旧唐書の武后紀を読んでたからかな。
関隴系貴族から科挙官僚へ。「時代を先取り」ってところが
評価の対象なのでしょうか。でも自分はどうしても正史の中
の「殺○○」という条の多さに、「評価」が向いてしまうの
ですが…。

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[175]怖くて凄い武則天投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2007年09月28日 (金) 00時49分
>鹿角さま
郭沫若『則天武后』は未読です。
郭沫若氏も多芸な学者さんですが、今からみると、ちと微妙なところが目立つ人でもありますね。

>方壺島主さま
お久しぶりです。そういえば気賀沢『則天武后』は、郭沫若氏の武后利州出生説を批判してましたね。
正史や通鑑の武后のあたりは、ずいぶんと殺伐としてますし、史書のその部分だけみると評価できないってのは、同感です。
ただ武后が登用した官僚たちが活躍してのちの開元の治を作り上げた…という近年の再評価論は基本的なところで与したいとは思ってます。まあ後づけの結果論ですけどね。
門閥はかつて主流だった関隴系を捨てて、山東系を引き上げた。科挙官僚の優秀なものを登用した。太鼓持ちや酷吏は自分の権力強化のために徹底的に利用して、価値がなくなると容赦なく切った。怖くて凄い女性だと思いますし、いろいろ議論のネタがあって面白い歴史人物だと思いますよ。現代政治家に喩えるならプーチン型といいますか、問題は多いんですが妙に惹かれるところがあります。

[168]鋼鉄三国志 投稿者:鹿角

投稿日:2007年09月25日 (火) 14時42分

来週あたりで終わりですが
孔明がラスボスだったり
劉備が自分だって人の事いえないのに
孫権に「女子みたい」発言かますし・・・(^^;)
 
二人きりになった陸遜と孫権はどうなるのか
少し怖いです

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[174]Re: 鋼鉄三国志投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2007年09月28日 (金) 00時12分
『鋼鉄三国志』ですか。テレビ東京系は松山に地上波が届いてないので、リアルタイムでは見れないんですけど。いや見ようと思えば、ニコニコ動画とかで少し遅れで見られるんですけど、耽美な香りがするので、敬遠してるとこがありまして…。
言い訳ばかりですね、すみません。そのうち見ます。

[166]謎の人物「孫懿」 投稿者:殷景仁

投稿日:2007年09月23日 (日) 21時33分

先程フレッシュアイウキペディアを見ていたところ、孫覇の項目に「孫懿」という息子がいるという記述があるので覗いてみたら、「孫壱」のことを「実名は孫懿だが晋宣帝・司馬懿の名を避けて壱としている。これは陳寿の独断であり、孫壱の生前は懿と名乗っていた。」とありました。

ところがその出典については、管見する限り全く見あたりません。恐らく「呉懿」の類推から誰かが勝手に書いたのでしょう。現在、中国からでは本家のウィキにまたアクセスできなくなっているので、「要出典」をお願いできませんか? ご面倒をおかけします。

そういえば、呉懿の「諱」に関する記述も削られているようですね……

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[170]疑うらくは此の傳の壹の字は誤れるなり。投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2007年09月26日 (水) 01時33分
PDFの『三国志集解』を引いてみました。
巻五十九に「陳景雲曰此傳霸次子名壹而孫奐庶子亦名壹疑此傳壹字誤錢大マ陳浩説同」という注がありました。
「陳景雲曰く:此の傳の霸の次子は名を壹という。而るに孫奐の庶子も亦た名を壹という。疑うらくは此の傳の壹の字は誤れるなり。錢大マ・陳浩の説も同じ」ってとこでしょうか。
沙羨侯の孫壱(のちに魏に亡命)と宛陵侯の孫壱(孫覇の次子)の区別だけでなくて、孫覇の次子のほうの孫壱は字が間違ってるよと言ってるみたいです。
陳景雲・銭大マ・陳浩は、うちでは引けないんですけど、どんなこと言ってるのか、気になります。自分としては、手元に資料が足りないので今のとこ判断保留です。すみません。
どなたか判断材料をいただければ、助かります。

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[171]投稿者:殷景仁
投稿日:2007年09月26日 (水) 09時02分
情報ありがとうございます。そのような理由でしたか。
ただ陳景雲も誤りとは言っていますが、この文を見る限りでは「懿」が正しいとも、避諱であるとも言っていないようですね。

>陳景雲・銭大マ・陳浩
確かに彼らの言っていることを改めて確認する必要があるようですね。ご面倒をおかけしてすみません。

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[173]「要出典」貼っておきました。投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2007年09月28日 (金) 00時02分
「孫懿」の出典が不明なのには変わらないので、Wikipedia日本語版の「孫覇」と「孫壱」のページの該当箇所に「要出典」を貼っておきました。何か分かればいいですけどね。

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[176]投稿者:殷景仁
投稿日:2007年09月28日 (金) 00時49分
>要出典」貼っておきました。

ありがとうございました。

[163]ピース君 投稿者:鹿角

投稿日:2007年09月11日 (火) 14時30分

ところで管理人様は
しろくまのピース君を
見たことがありますか?
TVで見たのがかなり前なんで
大きくなってるだろうな・・・

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[165]投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2007年09月11日 (火) 20時51分
いやあ、砥部動物園ももう十数年以上行ってないもので、実際に見たことはありません。…ご期待にそえず、すみません。
いま7歳ですかね?

[162]内藤 湖南  中公新書版 投稿者:鹿角

投稿日:2007年09月11日 (火) 14時24分

著者の三田村さんは京大の方なので
湖南の教えを受けた人だと思います
新聞社出身の教授は今でこそ沢山いますが
この時代には大変なことだったと思います

出身地が秋田県の鹿角市!なので
その名が出る度に何か面映い気分になりました

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[164]投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2007年09月11日 (火) 20時42分
三田村泰助『内藤湖南』(中公新書)は未読なもので。たしかに京大で湖南に学んでるみたいですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%94%B0%E6%9D%91%E6%B3%B0%E5%8A%A9
三田村氏というと、僕にとっては『宦官』の人なんですけど。
新聞社出身の教授…ですけど、明治・大正のころも学界と俗界の人材交流はそこそこあった…ような印象があるんですけどね。湖南のばあい問題になったのは、師範学校卒という最終学歴ではないですか?

[159]ところで 投稿者:鹿角

投稿日:2007年08月21日 (火) 16時09分

管理人さま  来年の五輪
本当に北京でいいんですかね
大気汚染は解決されるんでしょうか

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[161]投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2007年08月25日 (土) 20時11分
僕は北京のスポークスマンじゃないので、分かりませんけど、大気汚染は一朝一夕で解決するようなこととは思えませんが。五輪も一年を切って、よほどのことがない限り、別の地でってことにはならないと思います。問題はいろいろ山積みな気がしますが、中国の「国家的面子」にささやかな期待でもしておきますかね。

[158]大変 投稿者:鹿角

投稿日:2007年08月21日 (火) 16時05分

今北宋がえらいことになってます
月華は襄陽王に毒を盛られるし
展昭は謀反に協力させられるし・・・

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[160]投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2007年08月25日 (土) 20時03分
お久しぶりです。
『北宋風雲伝』そんなことになってますか…。
14巻まだですかね。

[156]松山市、愛媛県 投稿者:巫俊(ふしゅん)

投稿日:2007年08月06日 (月) 10時47分

松山市の北久米町、南久米町、
愛媛県の久万高原町に縁があったら何か教えてください。

松山市は律令官制の成立以前に久未国造が統治していたところで、久米郡久米郷など、久米に関する地名が散在し、
(久未=久米)

久米は九州の球磨、肥と同じ語源を有しているといわれています。(谷川道雄の兄、谷川健一の説)
古墳時代の西日本には、久米部という部族に所属する構成員が各地方に住み、倭の政権の政治や税収(=資源)の調達に関わっていたとされ、久米部の中で大きいものは国造(郡クラスの長官)だったようです。

この久米という人たちが具体的にどんな生業に就いていたかを知りたいんですよね。
どうも柳田國男の山人の「古代、西日本版」らしいです。
つまり中国で言う山住の少数民族です。

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[157]「久米」と「久万」投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2007年08月07日 (火) 08時50分
一見したとき、ちょっとドキッとしてしまいましたよ。
地域史はそれほどくわしくないんですけど、答えられる範囲で。
さて、まず久万高原町ですけど、久万高原は平成の大合併で旧久万町・面河村・美川村・柳谷村が合併して誕生した町です。僕の念頭には旧上浮穴郡地域としてあるので、久万高原というくくりかたは非常に歴史が浅いと思うんですけどね。
「久万」という地名も、室町時代からみたいで、藩政時代には久万山六千石といわれていたみたいです。「久米」との関連は、知らないですが、たぶんないんじゃないかなあ。

で、「久米」ですけど、おっしゃるとおりこれは相当古い地名です。律令のころの官衙のあったところですし、1988年の久米高畑遺跡の7次調査では「久米評」と書かれた線刻須恵器が出ています。「評」は「郡」の前段階にあたる地方行政単位らしいですから。

久米部の話ははじめて聞きました。どんな生業に就いていたか…と言われましてもねえ。官衙にいた人は官吏でしょうし(笑)、それより古い話はそういや聞かないですねえ。

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[167]久万投稿者:巫俊(ふしゅん)
投稿日:2007年09月24日 (月) 18時20分
平凡社の出してる地名事典の愛媛県の巻によれば、『吾妻鏡』に久万太郎と称される伊予の武者が登場し、鎌倉時代の前半には久万という地名があったのではないか、ということのようです。

久米については何か自分の意見がある訳ではないのですが、伊賀にも久米町、久米山、久米川という地名があり、平安時代の中期には久米の付いた地名を確認できるものですから、山民という点で気になっています。

伊賀の久米山は伊賀上野の城下町の南のはしにある、もっこりしたさほど大きくもない山なのですが、久米山古墳という古墳があり、伊賀では随分立派な副葬品が入っていたということで注目されています。

[154]アドレス変更のお願い 投稿者:西園寺

投稿日:2007年07月20日 (金) 09時40分

大変ご無沙汰しております。謎の世界史の西園寺です。
この度、サイト移転に伴い、アドレスが変更になりました。
新しいアドレスはhttp://nazow.matrix.jp/ です。
お暇なときでかまいませんので、リンクの変更をお願いいたします。
連絡が遅れてしまい、大変申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願いいたします。

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[155]お久しぶりです投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2007年07月20日 (金) 20時11分
こちらこそごぶさたしております。アドレス変更、諒解しました。
こちらのリンクを変更させていただきました。
リンクの紹介文も、今やあまり適切とはいえないような…、ぼちぼち直します。
今後ともよしなにお願いします。

[151]質問 投稿者:上野裕介

投稿日:2007年07月18日 (水) 17時59分

初めてこちらにお邪魔させて頂きます。人物人名事典など、非常に普段からちょこちょこと拝見させて頂き、その充実振りには驚かされる次第であります。
私は特に東洋史を専門にしていたわけではありませんが、やはり三国志などからその面白さに引き込まれ、現在に至ります。
さて、もし既出であるならば申し訳ないのですが、南北朝の梁に仕えた 陳慶之(字:子雲)については記載がないようですが、どちらかに記載があるのでしょうか? 
小説家田中芳樹の影響で多少有名になっているかとは思われますが、外して欲しくはない人物ですので、彼の事跡についてもご掲載頂けたらと存じます。質問といいつつ、不躾なお願いとなってしまいましたが、是非とも宜しくお願い致します。

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[153]投稿者:NAGAICHI Naoto
投稿日:2007年07月20日 (金) 01時09分
はじめまして。過分のお褒めにあずかり恐縮です。
そういえば、うちの人物事典のほうには陳慶之いなかったですかねえ。
こちらの拙文↓がありますので、そのへんは許してください。
http://ww1.enjoy.ne.jp/~nagaichi/column04.html
「陳慶之」でググると、Wikipediaを抑えて、うちのコラムはトップに来るんですよね。
ではまた宜しくお願いします。




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