生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
トップページへ戻る
↓↓↓ 訪問者数 ↓↓↓
あまむし庵さま、御教示くださいませ・・・ (4552) |
- 日時:2014年07月15日 (火) 15時16分
名前:元・白鳩地方講師
合掌、ありがとうございます。 いつも感銘深く素晴らしい御解説の御文章を拝読させていただいている者でございます。この度は、「あまむし庵」の先生にお教えいただきたいことがありますのでどうか御教示いただけますように御願い申し上げます。(「あまむし庵」さまのブログにはコメント・連絡欄が見つかりませんでしたので、この掲示板をお借りしてお尋ねさせていただきました。)
7月11日、NO.12に、「あまむし庵」様は次のようにお書きになっておられます。
『 現在問題となっている生長の家の三代目総裁に、如何に対処すべきなのか。もはや、賢明なる生長の家の皆様はお判りいただけた筈であります。この問題は、吾々生長の家人が、どこまで「実相」と「仮相(迷い)」を峻別し得ていたか?という、一人一人が通らねばならない「公案」であったのです。悪なる姿として現れている相手に対して、その本来なきところの「仮相」はあくまで否定することが第一であります。次にその「悪の仮面」を被った相手の奥に隠されている「実相」を、どれだけ観ることができるか、言葉を変えれば、その「実相」なる観世音菩薩が吾々にもたらさんとするメッセージ(教訓)を、どれほど正しく受け止め感謝できるか、というところに、問題解決の鍵があると云えるでしょう。・・・現在生長の家人の目前に現れているところの危機は、天皇国日本の危機であり、同時に全地球的危機であることを、私達に教えてくれているものだ、と解すべきなのであります。目前の問題を国家、地球全体の問題として、しっかりと捉えることによって、改めて生長の家立教の使命の確認と、神から生長の家人に課せられた偉大な使命を、正しく受け止めることができるのではないでしょうか。以上の意味において、この問題に対して絶対感謝をすべきであると考えております。 ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。感謝唱行を繰返すことによって、自分自身の心の中で、「あぁ、ありがたい」「なんて有難いんだろう!」と、問題に対する感謝の念が生じてきます。さらに時間が経てばたつ程、その感謝の念は、「ただありがたい」底に終るものではなく、谷口雅春先生の教えを受けた私自身に対する、「神様から与えられた使命の躊躇なき断行の決意」に昇華して行くのであります。赤痢菌に感謝し得た楠本講師の感謝は、「誰彼の差別なく触れる人ことごとくに菌を伝える赤痢のようでなければならない」との、断固たる伝道の決意として結実した時、然(さ)しもの赤痢菌事件も見事に解決し得たではありませんか。今回、生長の家本部中枢で発生した、謂わば「生長の家本部赤痢菌事件」に対する私自身の感謝は、「神から与えられた使命の躊躇なき断行の決意」という、教訓を与えて下さったことに対する感謝となって行くのでした。それは取りも直さず、「天皇国日本実相顕現」と「人類光明化運動」の断固たる決意であります。・・・ 今回の「生長の家本部赤痢菌事件」は、私にとって、現在進行形で進んでいる日本と世界を蝕むユダヤ問題(赤色思想・唯物思想による全世界への侵蝕問題)が、生長の家自体をも侵蝕している事実に目覚めさせたと同時に、この地球規模の問題は、自分自身としても極めて身近な大問題であったという「事実」を、深く理会し得たというところに、最大の「教訓」を読み取る事ができたのであります。「自分自身の問題」として受け止め始めていたのです。これが、「生長の家本部赤痢菌事件」に対する、小生の受け止め方なのであります。』
御質問:――
@ 三代目の雅宣総裁に対してどのように対処すればよいのか、につきましては、實相・神の子の雅宣総裁が、観世音菩薩となり給うて、私たち信徒に発して頂いているメッセージをどれほど正しく受け止め感謝できるか、というところに、問題解決の鍵がある、とあまむし庵先生はおっしゃられていて、感謝唱行の徹底にあると仰られています。これが徹底する時、<谷口雅春先生の教えを受けた私自身に対する、「神様から与えられた使命の躊躇なき断行の決意」に昇華して行く>、それはあまむし庵先生にとりましては<「天皇国日本実相顕現」と「人類光明化運動」の断固たる決意であった>と、書かれておられます。まことにそのとおりのことでございまして、まことにありがたいお言葉として頂かせていただきました。この御文章の内容は、『生命の實相』の和解の倫理にありますごとく、<人に対してはいまだかつて迷わざる神の子たる實相を直視して赦す>の実践であって、雅宣総裁に対しては私もその通りに祈って参りました。しかし、實相に透徹された御祈りを続けられていたあの素晴らしい求道者の福島正俊先生(兵庫県)のご努力でも、あまりにも厚く神性隠蔽されてしまっている雅宣総裁の「生長の家」解体への道を止めることは出来ませんでした。「あまむし庵」先生の實相に透徹された御祈りで必ず現総裁の「生長の家」を地上から消滅させようとしている状態の解決が出来るとお考えでしょうか? 私たち、谷口雅春先生の『御教え』復活を一日でも早く達成されることを希望している信徒にとりましては、ここが大きな疑問点でありますので、御教示の程を御願い申し上げます。
A 雅宣総裁の「生長の家」破壊者としての現象(仮の姿)を観ず、雅宣観世音菩薩のお役目を認めてそれに答えて私たち真の生長の家信徒は、徹底感謝行をなして、立教の使命である「人類光明化」と「日本國實相顕現」を再自覚する、そこまではよく判るのでございますが、雅宣総裁の虚説「今の教え」に対してはどのように対処するのがよろしいのでしょうか? 谷口雅春先生は「虚説に対しては妥協して放置せず、撃滅すべし」と書かれておられます。雅宣総裁の虚説(迷言)に対してはその誤りを徹底糾弾していかなければならないと考えるのでございます。現状ではまだまだ本流復活を目指す皆様方であっても、「虚説の摧破」を「批判」として見ている人たちが実に多く、虚説である雅宣総裁の「今の教え」を撃滅する人が数えるほどしかいないことが意外にも少ないので雅宣総裁は生きながらえているのではないでしょうか? このように私は、雅宣総裁の「虚説」はそのまま“本来無き考え”として放置せずに(“放置”すれば“認め”たことになります)、その都度撃破していかなければますます雅宣総裁は“虚”の存在として現象的には生き延び、その結果ますます「生長の家」は解体が進んで行くと思いますが、どうか御教示くださいませ。
B かつての河口湖練成道場での赤痢菌事件につきましても、「あまむし庵」先生は、御自分と言う絶対存在の立ち位置を中心としてのすばらしい受けとめかたをされていらっしゃいます。まことにその通りでございます。しかし、赤痢菌事件をそのまま現教団に移し替えて見るのは、少し妥当性を欠いているように思えるのです。なぜならば、練成の責任者であり、中心指導者の楠本先生は谷口雅春先生の『御教え』に準じて対処なされたわけでございます。まず、中心者が深く『御教え』の真理を掘り下げて本当にいのちを賭して対処されたのでございます。連成員の側からそのような対処法が出されたわけではございません。練成員の方々も素直に楠本先生の御指導に従われたわけでありまして、楠本先生の御指導が真理に正しく従った御指導であると判ったからだと思います。しかし、現教団の中心者である雅宣総裁は、谷口雅春先生の『御教え』の逆を行っております。雅宣総裁が『御教え』とは逆の間違ったことを指導しているわけですから、信徒側からその非をたしなめ正しい本来の道に戻そうという動きが出るのは当然だと思うのです。マサノブ総裁も「今の教え」を主張して20年以上の月日が流れ、新しい信徒さんの中には、絶賛雅宣総裁にまで洗脳せられた人たちも相当数おられるのです。古参信徒さんの中にも、絶対的お孫さま信仰信徒の方も相当おられるのでございます。「生長の家」信徒の内部想念は順念逆念が相錯綜しているわけですからひとにぎりの純粋信仰の信徒が、あまむし庵先生や福島正俊先生のごとく、雅宣総裁を徹底して観世音菩薩と観じられ続けられても、大勢の逆念で祈りの念の力が打ち消されてしまうのではないかと思います。従って、赤痢菌事件の事例をそのまま現教団の現況に当てはめるには無理があると思えるのです。中心指導者の自覚が全く逆であります。この問題は、現教団の方の中に、雅宣総裁の現在の姿は信徒の想念の映しであり、信徒の方こそが雅宣総裁が間違っていると思うことの想念を転換すべきと主張されている方々もおられますが、私は雅宣総裁の姿は信徒の想念の映しという考え方にはどうしても納得できないのです。この点もぜひとも御教示くださいませ。悟り浅き身を顧みもせず、甚だ失礼な質問を書かせていただきましたことお許し願いたいと存じます。しかし、私以外にもこの様な疑問点をお持ちの方々もたくさんお在りと思いましたので、思い切って質問させていただきました。谷口雅春先生の『御教え』の一日も早き復活を切にのぞみながら・・・ 合掌
-
|
|