生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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自然と生きると言う雅宣氏の未熟さ・・・ (6184)
日時:2015年02月02日 (月) 00時58分
名前:不動明王

自然と生きる、と言うなら、物語のターザンのように生きることです。

一般に自然に帰って田舎暮らしと言うのは、山の自然を一切破壊せずに、自分の暮らしは最小限の風雨を避ける生活をし、森林の世話をして太陽の光が全ての木々に届く環境を作る事が最大の仕事であります。

その結果森林が育ち素晴らしい自然環境が出来あがるのです。
そのような地に着いた活動を一切せずに何が自然と共になんですか。

自然を破壊して薪ストーブで暖まってCO2を排出しているのが雅宣著名人なんです。

また京都には広大な山林を破壊して太陽光パネルを大金を掛け消費目標の無い発電をしようとしています。

逆潮流を受け入れる送電線があのような山の中にあるのでしょうか。

電力会社が受け入れるには又無駄な設備投資が掛かるのです。しかしその設備の償却は出来ないのです。 販売路線じやなくて買取路線になるのですから。

送電線の解説

発電所から都市や住宅地に送電するには高圧送電線で町まで送電し、変電所で数百ボルトにトランスで降圧します、そして町々の電柱の上にあるトランスで200/100ボルトに落として各家庭に送電するのです。

太陽光発電はその末端の200/100ボルトの処へ逆に送電します、(その電柱には逆潮流ありの表示があります)すると柱上トランスに太陽光発電の200/100ボルトが加わりそのトランスで660ボルトに昇圧されます。その結果送電線を通じて太陽光発電の電力が消費されるわけですが、計算上はそのように行くのです。

しかし柱上トランスはそもそも660ボルトを200/100に降圧するのが目的で作られていますので、大量の逆潮流が流れるとトランスの容量オーバーとなって焼損してしまいます。送電線も送電容量をオーバーすることになり、そのままの設備では大容量の太陽光発電の電力を送電する事は出来ないのです。

本来メガソーラー発電は変電所まで独自の送電線で送り専用のトランスにより電圧を調整し電線路に混合する事が必要です。
その送電設備はソーラー発電者が設備する事にしなければ既設の電力会社は大迷惑です。

送電線共有化の話で、電話回線と同一視されますがそれは全く違います。電話回線は特にデジタル回線ではパルス信号が伝われば良いので回線の電線の太さは大きな問題にはなりません。
又同一電線上を多くの信号が重複されてもデジタル処理により信号が確実に分離されます。その性質上一つの回線を共有する事が可能なのです。

しかし電力回線はそうは行きません。電力ですから電圧と電流が大量に流れますので、電線の太さが大きく関わります。
又同一回路に流れる二つの電力を識別は出来ませんので電線路の他社との共有は大変難しい話なのです。

このような事がある上で各地の電力会社はソーラー発電を買い上げ電力会社の費用で送電線の設備改修を行っているのです。

ですから太陽光発電で大きな貢献をしていると思っても、従来の電力会社の手のひらの中で自己満足なさっているのが実情です。
そしてその電力会社の手のひらは原子力発電と火力発電により保たれているのです。

その上、雨の日、曇りの日、雪の日、夜間、は全て原子力発電と火力発電のお世話にならなければ電力供給は出来ないのです。

電灯は夜必要なんてす、冬の、雨の日、曇りの日、こそ暖房用エアコンが必要なんです。

まだまだ有りますがこの辺で・・・・



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