生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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検証: 雅宣総裁・新刊「生長の家(雅宣教)ってどんな教え?」<第4回> (120) |
- 日時:2013年02月22日 (金) 09時53分
名前:信徒連合
検証:
雅宣総裁・新刊「生長の家(雅宣教)ってどんな教え?」
<第4回>
第二部 人々の質問に答えて ――その1――(P.71〜216)
雅宣総裁は、<ここ数年の間の各地講習会で提出された様々な質問に対する回答を内容別に分類収録したもの>をこの『生長の家ってどんな教え?』に掲載している。ただし、質問の範囲は、「午前中の総裁講話に関するものに限定する」と説明した上で質問用紙に書いて提出せしめているのである。
この質疑応答に関しては、見逃してはならない重要なポイントがあるのである。
@ まず、提出された質問に対する回答の時間帯が、午後1時から1時半(大抵は延長される)である事に注目しなければならない。
開祖・谷口雅春先生及び清超先生の講習会では、この時間帯は「神想観」の解説及び実修であった。「神想観」は生長の家の信仰に於いては「聖典・聖経読誦」と並んでの基本的重要事項である。
この「神想観」の時間帯を講習会の最終部分へ廻し、しかもその解説・実修をわずか10分程度に短縮し、やめれば信徒の反撥が大きいため、已むを得ず付けたし程度にやっているに過ぎないような印象の下に雅宣総裁は変更してしまった。
「神想観」よりも質門への回答を優先している。この事は何を意味しているのであろうか? 雅宣総裁は「神想観」の重要性を認めず、「神想観」がキライなのである。できれば講習会から外したいのである。
A 質問内容を“午前中の講話”に限定した理由は、霊と霊界に関することと日本國實相顕現に関する質問をシャットアウトするためである。
雅宣総裁は、開祖・谷口雅春先生の生命的国家論・愛国論・憲法論に関する重要御著書を絶版として信徒の目に触れない処置を行った。
雅宣総裁は開祖・谷口雅春先生の生命的国家論・愛国論・憲法論とは全く逆の左翼主義者であるからなのだ。
また、霊と霊界のことについては科学的に証明できる事柄でもないし、宗教界の“合意”も出来ていないことであると言い、彼自身が関心が薄く、基本的には信じていないのである。かつて講習生の質問に対して「霊と霊界のことについては分かりません」と宗教家ならざる発言をなした事実があります。(これを聞いて憤然と席を立って帰った人もあるくらいである。)
では、どのような質疑応答がこの「生長の家ってどんな教え?」という新刊書に書かれているのか、その項目のタイトルを引用する事にする。そして、雅宣総裁の回答が開祖・谷口雅春先生の説かれた本来の『御教え』から見て妥当な回答か否かを失礼ながら評価をさせて頂いた。 ○・△・× と ○&△ と ○&× の五種類の評価を試みた次第である。
<唯神実相に関する質問と回答>
@ なぜ神は完全だと言えるか ( 評価 ○ ) A 「実相」と「現象」の関係を知りたい ( 評価 △ ) B 動植物は「神の子」ではないのか ( 評価 △ ) C なぜ「神示」を受けることができるのか ( 評価 × ) D 正しい希望かどうかを確かめるには ( 評価 ○ ) E 絶望している人に希望を与えるには ( 評価 △ ) F 人はなぜ祈るのか ( 評価 ○&× ) G 現象の「悪」にどう対処するか ( 評価 ○&× ) H 実相を観るための方法 ( 評価 ○ )
<唯心所現に関する質問と回答>
@ 神はなぜ有限の世界に人間をつくったか ( 評価 ○ ) A なぜ人は老いて死ぬのか ( 評価 ○ ) B 怒りを表現するのは正しいことか ( 評価 ○&× ) C 良い思いを潜在意識に浸透させるには ( 評価 ○&× ) D 亡くなった人を見るためには ( 評価 △ ) E 「世界平和の祈り」は役立っているか ( 評価 ○&△ ) F 人間は何のために生まれてきたか ( 評価 ○ ) G 現象世界の人生は苦しみか ( 評価 ○ ) H “悪い現象”は人間にとって必要か ( 評価 ○ )
<万教帰一に関する質問と回答>
@ 仏壇の前で聖経を唱えてもよいか ( 評価 ○ ) A 「万教帰一」のことを詳しく教えて ( 評価 ○ ) B 「神」と「仏」に区別はあるか ( 評価 ○ ) C 霊的な話の宗教的な位置付けは ( 評価 ○&△ ) D 宗教はすべて正しいのか ( 評価 ○&× ) E 生長の家では多神を礼拝するのか ( 評価 ○ )
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上記24個の質疑応答項目の評価の集計数字は、○が19個(ただし、○&△2個、○&×5個を含む)、△が3個、×が1個である。この集計結果の意味するところは、――
[ T ] “評価○”が圧倒的に多いのは当然である。たとえ、自称にしろ雅宣総裁は「法燈継承者」であるからであって、幼少時からの生長の家思想に関する“耳学問”も豊富であり、平成2年の副総裁就任以来、開祖・谷口雅春先生の御著書の内容を総点検して絶版図書を決定するに当り、一般信徒の質問に答える知識は獲得できたわけである。
「聖使命新聞」や各教区新聞において、「雅宣先生のお話は大変分かり易かった」との初参加者の声が掲載されるのは頷く事が出来るのである。
しかし、たとえ、個々の質疑に<評価○>の回答が出来、その点だけで「雅宣先生はちゃんと開祖・谷口雅春先生の教えを受け継いでおられる」と云う評価は成り立たないのである。
わたしたちの忘れてならない事は、「生長の家」の進む方向が開祖・谷口雅春先生の目指された方向とは逆転していることを見逃してはならないのである。
このことに気がついた人は「大自然讃歌」と「観世音菩薩讃歌」が聖経化を目指して発表されるまでは、あまり多くはなかったのである。しかし、本来の生長の家が雅宣副総裁(当時)の独裁権限で、総裁の清超先生を飛び越えて強引に進路変更の舵を切って行っていることを、今から3年前に<本格的インターネット道場>としてスタートした「生長の家・今昔物語」において、夙に指摘されていたのである。次のような物語(比較篇・第43話)として――
★★★ 航路変更された現代の<生長の家>―――ある古参の信徒は、しみじみと斯く語りき――
現在の生長の家教団は、譬えて言えば次のようなお話になると思いますね!
<< 紺碧の青い大海原の太平洋を南海の楽園の島々を目指して進んでゆく、一隻の豪華クルージングの船があります。老若男女の沢山の人々が長い船旅を楽しんでおります。船内にはプール、レストラン、居酒屋、カラオケボックス、ゲームセンター、映画館、漫才・落語の寄席、図書館、トレーニングジム、色々な文化教室、教養講座・・至れり尽くせり、甲板へ出る人はありません。人々はみな明るく親切で本当に楽しい船内です。
ある日、毎日の船内の雰囲気に飽きた数人の客が久し振りに甲板へ出て見ました。雨が降っており風も少し寒かったので大海原を少し眺めただけで直ぐ又もとの暖かい快適な船内に戻りました。数日たって別の数人の客が船内の遊びにも飽いたので甲板に出ると、非常に空気が冷たくて寒く船の周囲には氷の塊も浮いており向こうの陸地も雪と氷で覆われ白い動物らしき姿も見えます。
南海の楽園・常夏の島々を目指している筈なのに何かおかしいと思って船員や添乗員に尋ねても何も答えてくれず、仕方なく船内へ戻ると暖かく快適です。そこで他の高級船員に船は間違いなく南海の島を目指しているのですかと尋ねると小さい声で「実は南へではなく北へ方向転換して北極点を目指しているんですよ。これは今度の若い船長が独断で決められた事で怖くて誰も逆らえないのです。北朝鮮の将軍様そっくりなんです。船員の中には逆らって途中の港で降ろされて追っ払われた有能な高級船員も多く、ただこの船会社の唯一のよい点は給料が非常にいいんですよ。今の若い船長の為に大勢のお客様に大変な御迷惑をお掛けし誠に申し訳ございません。」と俯いて言うのです。
その後でその若い船長は船内放送で船客に知らせました。「皆様、この船は今、北極点を目指して進んでいます。暖かい南の島々はまた次にして今回は地球温暖化のため北極海の氷が溶けて白熊の生活も怯やかされて来ています。この実態を是非みなさま御自身の目で確認して頂き視野を広げて頂くために急遽独断にて進路変更した訳であります」
この船長の船内放送を聞いて「何という素晴らしい船長さんだこと!滅多に行けない北極の海へ行けるし環境問題の実態まで見れるんですもの!」と大多数の船客は大きな拍手を送ったのです。そして船内の図書館でそれまで読んでいた南海の島々に関する予備知識の勉強から北極の事や環境問題のことの勉強へと極めて素直に変身してしまったのですね。いやはや誠に情けない事でございますわい・・北極の海がどんなに危険かも忘れて・・・★★★
その後、本流復活を熱烈に望む同志が「本流復活掲示板」を起ち上げ、「本流宣言掲示板」へ引継ぎ、更に「光明掲示板」へと引き継ぎがなされ、2年3ヶ月にして、累計アクセス数が400万件を突破し、原宿本部の役員達も驚異を感じるようになって来たのである。
それに比例して雅宣総裁の<非・生長の家>の実態に目覚める信徒も多くなり、今年8月17日の宇治の盂蘭盆大祭の時、雅宣総裁の肉体頭脳から搾り出した「大自然讃歌」が実際は「大自然惨禍」であったことが如実に証明されたのであった。
このようにして現在、急速に信徒の目覚めが広まり高まり、雅宣総裁の「今の教え」が<非・生長の家>であったことが白日の下に曝され、10年前より幾多の困難と障害に耐えながら本当の開祖・谷口雅春先生の『御教え』を伝え残すことに努力してこられた『谷口雅春先生を学ぶ会』及び『ときみつる會』の存在が大きくなって来ているのである。
これは事実として間違いないことである。開祖・谷口雅春先生の目指された方向と三代目・雅宣総裁の目指す方向とは全く正反対ということなのである。
開祖・谷口雅春先生の「生長の家」立教の目的は、<人類光明化>と<天皇国日本の實相顕現>である。
三代目・雅宣総裁の目指す方向は、<地球環境の保護改善>と<国家を超え、民族を超えた世界平和>である。
開祖・谷口雅春先生は、<人類の病悩苦からの現実的救い>と<天皇中心の真理国家の建設・日本精神の全面復活>である。
雅宣総裁は<地球環境の保護改善は、人類の病悩苦からの救済よりも優先する>と<国家意識・民族意識は戦争につながるから、世界市民思想の普及が優先、天皇制の維持よりも共和制を!>という全く逆の方向であって、左翼唯物論者の目指す方向と同じである事を忘れてはならないのである。
彼はこのことをカモフラージュするために「日時計主義」と「理性的宗教」を強調して、徐々に徐々に、己が左翼思想の方向に信徒を洗脳して行きつつあることを特に心に明記しておかねばならないのである。
更に明確に述べると、雅宣総裁は開祖・谷口雅春先生の「生長の家」を潰して、天皇国家否定の左翼唯物論の「雅宣・生長の家」に完全に衣替えしてしまう。そして、そこで個人的人生目標を達成して行くために「生長の家」の看板だけは“金の成る樹・打出の小槌”として活用しようとしているのである。
そして、少年時代から青年時代にかけての夢であった「独裁者」の醍醐味を思う存分味わう人生を送ることを念願として、その道を形(なり)振り構わず歩みつつあるのである。
[ U ] 次に注目すべきことは、<○&×>との評価が、評価○19個中5個もあると云う事である。
“○&×”の評価とはどういうことかと言えば、質問に対する雅宣総裁の回答は間違ってはいない。しかし、自分が解答したことを自分がその通り実行はしていない、説教と実際行動とは別であっても良いと自認しているのである。
しかし、宗教家と称している限り、「言行一致」は必須条件でなければならないのではないのか? 雅宣総裁の「言行不一致」、言い換えれば、彼の持つ“ジキルとハイド”とも言うべき二面性(表の顔と裏の顔)について説明することにする。
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■ 上記質疑項目 F 人はなぜ祈るのか ( 評価 ○&× )の中で、雅宣総裁は、次の如く信徒に説教している。曰く――
<< 生長の家では「我(が)のある祈りはよくない」とよく言います。「自分だけが得する祈り」というのは、實相世界の大調和と基本的に矛盾するわけです。・・・自分の繁栄のみを他の犠牲において実現したい祈り、これは“本来は無い”ものをもとめていることになる。・・・實相でないものを求めても、それは出てこない、実現しないということになります。・・・「この希望が神様の御心に適うならば」という、自我に執着しない「放下(ほうげ)の心」を表明するのが正しい祈りですね。・・・「すべてのものの調和が実現する」方向へ、「實相が顕現する」方向へと自分の心を調律することが、祈りの効果を大きくする大切な要素になります。>>(新刊P.103〜107)
然らば雅宣総裁に問う!
貴殿は、自分のかねてからの独裁欲を満足させ、個人的人生目標(「森のオフィス」構想)を達成せんがために、諫言して来る者に「原理主義者」の烙印を押し、左遷人事による依願退職に追い込むことよって義兄・実弟及び幾多の有能な本部講師を教団から追放した事実を、信徒に対して如何に申し開きをなすや? また、その結果、教勢が急落しつつある現況の責任を神様の前に宗教家として如何に申し開きをなすや? 貴殿の行動はすべて「自分だけが得する方向」へ動いているのではないのか?
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■ 上記質疑項目 G 現象の「悪」にどう対処するか ( 評価 ○&× )の中で雅宣総裁は、次の如く信徒に説教する。曰く――
<< 攻撃を仕掛けた方が「悪」なんですよ。・・・悪とは「闇」みたいなものです。・・・「悪い、悪い」といってそれを攻撃しても、何かがなくなるのではなく、別の悪い状態が現われるだけだ。そうでなくて、そこにある善を引き出し、別のところにある善も拡大していったら、そのうちに悪はなくなっていってしまうというのが生長の家の考え方なんです。・・・「日時計主義」の生活です。>>(新刊P.111〜112)
然らば雅宣総裁に問う!
貴殿は、上記のように信徒に説教するけれども、貴殿は自分自身具体的な問題に面した時には、日頃主張して説教している「日時計主義」はどこへ行ったのか? 開祖・谷口雅春先生の大東亜戦争観に真っ向から攻撃を仕掛けて「侵略戦争観」を主張、戦前の日本は「悪」であった。開祖・谷口雅春先生の説かれた真理は現代には通用しないと「日時計主義」以外は否定、虚説である「今の教え」を時代即応と主張、自分に諫言してくれる義兄・実弟・本部講師・信徒を時代に即応出来ない「悪」と見て教団外へ除外、現在の本部の雰囲気は陰鬱な雰囲気に包まれて、役員職員は独裁者を怖れてイエスマンばかりとなっている・・・自分の行動は、説教の中身と全く逆ではないか?
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■ 上記質疑項目 B 怒りを表現するのは正しいことか ( 評価 ○&× )の中で雅宣総裁は、次の如く信徒に説教する。曰く――
<< 「表現」とは「實相の表現」であって「したい放題の表現」ではない。・・・自分の表現が、常に「神性・仏性」の表現になっているかどうかを意識して表現活動をするところに、意味があるということです。あくまでも「神性・仏性の表現」が大切です。そのことを常に念頭に置いていただきたい。何が神性・仏性の表現であって何がそうでないかということは、ご自分で分かるはず。・・・間違った表現だと気づいた場合は、相手に謝ることが必要かも知れません。>>(新刊P.133〜136)
然らば雅宣総裁に問う!
生長の家の第二代総裁・谷口清超先生が平成二十年十月二十八日に御逝去された。それにつけても、翌二十九日のお山のご自宅での親族による通夜祭は名状しがたい惨状を呈したそうである。 清超先生の実家である荒地家を継いだ荒地浩靖氏は、その通夜祭への参列を許されなかったのである。雅宣総裁は、手伝いに動員された本部職員に、あらかじめ荒地氏が来訪した場合は追い返すよう厳命していた。そして門前で警護を受け持った本部職員に、荒地氏は文字通りの門前払いを食らわせられたのあった。 あまりにひどい雅宣総裁の所業に、荒地氏とお子様方は門前で聖経を読誦されてからその場を去られた。事はそれだけでなく、邸内でも雅宣氏は母親の恵美子先生や実弟の貴康氏やその他の人に暴言を吐き続けた。 親の死にも立ち合わせず、厳粛であるべき通夜のお祭りをも台無しにする雅宣総裁の非道さは、常軌を逸し、もはや狂気の沙汰と言ってもいいのである。 “人としての常識”の欠如を問題としなければならないほどの悲しい自分の所業を信徒の前に、雅宣総裁は謝罪すべきではないのか!
このお通夜の言語を絶する雅宣総裁の所業をその場にいた人が録音されていたそうで、間違いないことである。また、以前の「本流宣言掲示版」に下記のような詳しい様子が投稿されていたので、それを以下に転載させていただく。
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重大発表「清超先生葬式の席で雅宣総裁が貴康先生を小突いた!!」NEW (1193) 日時:2011年05月11日 (水) 21時38分 名前:衝撃です。
葬儀の話に少し触れられていたので私の取材した話を書きます。複数のご親族の方とお手伝いの方から聞きました。清超先生のご葬儀は密葬として原則家族のみで行われました。祭司と祭員は参議長と講師部長と宗務課職員。理事長と雑用の総務部長もいたようです。門の外には警備の秘書課の職員が名簿を手にして親族の方の名前をチェックしていたようです。どうやらその名簿には家族でも全員の名簿ではなく「谷口家」のみを中心としたものであり、その配偶者すらも排除されていたようです。つまり、この時点で宮澤潔氏は×荒地浩靖氏は×になっていたようです。宮澤壽美さまはお子様なので○谷口佳世子さまは○という事でさらにそのお子様も○となっていたようです。谷口貴康氏もお子様も○配偶者は×ということだったようです。この名簿は明らかに誰を排除するかという意図が明らかだったようで事前に事実上の主催者(喪主とは別の)が作ったようです。ここで、問題が起こったのはこのような名簿があることは親族の方は何も知らずにいたため、配偶者の方も当然のこととして何人か見えられていて、長崎からは谷口貴康氏そして貴康氏にぜひ参加してくださいと声をかけられた荒地浩靖氏が札幌から駆けつけておられたわけです。いうまでもなく荒地氏は清超先生のご実家を正式にお継ぎになつた嫡子であり、家族の中でも最も故人の家系と最もゆかりのあるかたです。その方が直前になって名簿に無いことが判明して、佳世子さんの実のお子さんである荒地光泰氏とみえこさまが貴康氏とともに喪主である谷口恵美子先生に出席出来るように嘆願して、さらにその場にいた佳世子さまと壽美さまも賛同して、「それでは荒地さんも参列してもらいましょう」と喪主である谷口恵美子先生はその場ですぐに門の外に待機している係りの人に「荒地さんがこられたら入ってもらうように」と指示を電話でされたそうです。すると・・・しばらくして雅宣氏が家族おそろいの和やかな部屋に入ってきて激高しながら「一度決めたことを何で変えるのですか!だいたいアンタはいつもそうなんですよ」と大声で言ったその後、荒地光泰氏にたいして「だいたいアンタわかってるんだろーな!本当はアンタがここにいることもおかしいんだ、社会事業団がどれだけ迷惑なのか解ってるだろーアンタが委員長をやっていることも講師でいることもこちらでどうにでも出来るんだぞ」 と脅し文句を数分にわたって怒鳴り続けそのせいで他の子供たちも廊下に集まり唖然として事の成り行きを見守っていたそうです。−(その中のお一人が携帯の録音機能を使い途中から録音した物があります)そこで一言、言葉を発せられたのは壽美先生。「あなたはこんなときに一体何ですか。そのモノの言い方は、おかあさまが喪主として決められたからいいじゃないですか」すると、雅宣氏の口から驚愕の言葉が・・・「だいたいこの家の人達はみんな異常なんですよ!わかってるでしょそんなことは!アンタもアンタもおいオマエもだ」と言って後ろを向いて座っている貴康氏の頭を小突いたようです。ゆっくりと振り立ち上がろうとする貴康氏。危険を察知したかのようにその時恵美子先生は「わかりました、決めたようにします」「どっちに決めるのですか」「前に決めたようにします」ここで荒地光泰氏が「父が参加できないのならば子供たちは参加できません失礼します」と決然と席を立ち、ほかの家族を連れて門へと向かって行ったそうです。女の子はあまりの酷さに涙を流して外に出て行き、佳世子さんも涙を流して・・・あなたたちまで出て行かないでと・・そしてすでに門の前には荒地氏が職員に止められて待機しておられ、みなが出てきたことで事情を察知した荒地氏は、「この場で聖経をあげさせていただいてよろしいか」とお聞きになり警備員は何も言えずに門の外から皆さんとともに聖経をあげられてお子さんとともに帰ってゆかれました。「おとうさまやお母様が淋しがられるから私たちは戻りましょう、お願いです」と佳世子様の言葉により、荒地家以外の方たちはなんとも重苦しい雰囲気でその他の親族の方は式場へと行かれたそうです。
さてそして、式場には家族だけの葬儀であったはずが理事長や総務部長が参列。式で必要な霊位(ミタマシロ)はなぜか見当たらないという前代未聞の雅宣氏プロデュースによる葬儀が行われたと言うのです。そして嫁であるはずの純子氏はお姉さまたちよりもはるか上座の席に平然と座り、一言も挨拶をしなかったそうです。
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以上が複数の当事者の方から取材した内容です。 どこか事実と違うところがあれば訂正しますのでおっしゃってください。特に警備に当たった楠本さん、Kくん、Iくん、間違っていたら訂正してください。それから宗務課のみなさん、「霊位」がなかったということは信じられないので、ちゃんとあったなら訂正してください。
「あの日、本当にあったことを証言して下さい。」NEW (1194) 日時:2011年05月11日 (水) 21時43分 名前:入信63年
どうか、谷口雅春先生の御霊・清超先生の御霊は観られています。聴かれています。《特に警備に当たった楠本さん、Kくん、Iくん、間違っていたら訂正してください。それから宗務課のみなさん、「霊位」がなかったということは信じられないので、ちゃんとあったなら訂正してください。》・・・・・当人の皆さま。ごまかさず、本当のことを言って下さい。お願いいたします。中傷ではなく、真実を知りたいのです。
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■ 上記質疑項目 D 宗教はすべて正しいのか( 評価 ○&× )の中で雅宣総裁は、次の如く信徒に説教する。曰く――
<< 「カルト的信仰」に陥らないということです。・・・基本的には“個人崇拝”なんです。・・・「理性」が与えられているのだから、これを使って「考えなさい」というのが神の意思である・・・カルトは反社会的な信仰になりやすいという問題があるのです。・・・>>(新刊P.206〜208)
然らば雅宣総裁に問う!
「今の教え」の雅宣教団の雅宣総裁自体の教団運営こそ「カルト」化して行っているのではないのか? 貴殿は、平成20年2月29日の生長の家代表者会議で、「わたしの立場は、臨席を乞われ“仰ぎ見られる”立場である!」旨の発言をなし、妹尾大阪教化部長の<<壇上に生長の家総裁谷口雅宣先生・生長の家白鳩会総裁谷口純子先生お立ち遊ばされ、全身より黄金色燦然たる霊光を放ち給い、住吉の大神の御出御となり、その金口より真理の大獅子吼はじまる!>>(講習会推進の祈り)をそのまま黙認しているではないか? また、講習会参加人数を倍近くに水増し報告をしているではないか! まさに「カルト・雅宣教」そのものではないのか?
次に、大阪教区の総裁講習会推進のために、妹尾教化部長が作成して配布した次の文章を転載する。まさに、雅宣総裁に対する個人崇拝で、これに基いて白鳩幹部は必至のパッチで狂気奮闘したのである。
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「世界大阪」・眞理の祭典・大講習会大成功の祈り 平成二十二年三月七日(日)・大阪城ホール
来る三月七日、全国の同志が注目する中で、堂々と大阪教区の大講習の幕は切って落とされる!まさに大いなる聖霊に満たされ、祝福されるその日! 吾ら「世界大阪・大伝道黄金時代」にふさわしく全信徒総決起態勢となり、神を讃える吾らの大伝道とともに天降り来たれる神の智慧と愛の射照らしのまにまに神縁深き人々、未曾有の大結集、大雲集せり!まるで大軍の押し寄せるが如く、受講者の波、受講者の流れ! 受講者はみな眼輝きて流れ入るが如く「大阪城ホール」に30,000人以上雲集して超満員となれり。 あゝ何たる壮観! 何たる歓喜!吾らの日々の祈りが、歓喜に満ちた無我献身、不惜身命の大伝道が見事に成就せり。壇上に生長の家総裁谷口雅宣先生・生長の家白鳩会総裁谷口純子先生お立ち遊ばされ、全身より黄金色燦然たる霊光を放ち給い、住吉大神の御出御となり、その金口より眞理の大獅子吼始まる!会場に充満する菩薩たち、眞理の御言葉のとどろきに心は浄まり、魂は法悦に満ち、時に歓喜の哄笑を生じ、時に懺悔の清涙を流し、時に感動の拍手止まざるなり。かくて大講習会は歓喜と救いの坩堝と化し、大阪教区の眞理の祭典・大講習会は受講者充満の大盛会となり、大阪教区の人類光明化運動・国際平和信仰 運動は大いなる躍進を遂げたり。ありがとうございます、ありがとうございます。
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雅宣総裁! 新刊書『生長の家ってどんな教え?』は即刻、『雅宣教ってどんな教え?』にタイトル変更をしなけばならない理由が明確に分かったであろうと思う。書名変更を「唐松模様」と生長の家プレジデントの「フェースブック」で発表して、独立して頂きたい!!
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重要投稿再読を・・・ (530) |
- 日時:2013年03月19日 (火) 10時03分
名前:信徒連合
特に、ニュー信徒のみなさま・ニュー講師のみなさまは再読されんことを・・・
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重要記事に付き、今月も再掲示いたします。 (848) |
- 日時:2013年04月19日 (金) 09時09分
名前:信徒連合
<非・生長の家>である雅宣教団では、最近の講習会のテキストとして『生長の家ってどんな教え?』を必死になって信徒さんに売っているようであります。<雅宣著>のこの本は『生長の家ってどんな教え?』ではなくて、『雅宣教ってどんな教え?』が正しい書名であります。「聖使命新聞」の講習会場での販売実績数は、開祖・谷口雅春先生の御著書以上に“中売り”で強制?購入が促進されているものと見えます。「聖使命新聞」発表の数字(講習会場での販売数)は、――
* 1月20日、長崎北部教区 「生長の家(雅宣教)ってどんな教え?」 43冊、 「新版 光明法語」 41冊
* 1月27日、東京第一教区 「生長の家(雅宣教)ってどんな教え?」 207冊、 「新版 光明法語」 169冊
* 2月3日、静岡教区 「生長の家(雅宣教)ってどんな教え?」 496冊、 「新版 光明法語」 122冊
* 2月17日、大分教区 「生長の家(雅宣教)ってどんな教え?」 95冊、 「新版 光明法語」 63冊
* 3月10日、山口教区 「生長の家(雅宣教)ってどんな教え?」 244冊、 「新版 光明法語」 125冊
なお、中村晃生氏が、この「生長の家(雅宣教)ってどんな教え?」の独断と偏見について懸賞されておられますので、ぜひともお読み下さい。 http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=snihonryuu&mode=res&log=370
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我々は決して騙されない! (1141) |
- 日時:2013年05月21日 (火) 08時17分
名前:信徒連合
< 我々は決して騙されない!>
雅宣(自称)総裁著のこの新刊「生長の家ってどんな教え?」は、開祖・谷口雅春先生の本当の『御教え』の全相を語るものではありません。
ハッキリ言えば、宗教本来の使命である人間の病悩苦の救済を放棄し、国家の存在の重要性を取り上げてはいないからであります。また、開祖・谷口雅春先生はずしを目的とする本であります。
よって、正確には「雅宣教ってどんな教え?」であります。「雅宣教」への誘導洗脳本であります。
不適切・不合格本です。信徒の皆様、反日思想家である雅宣(自称)総裁にウッカリだまされないように致しましょう。
以上の理由により再掲示を致します。
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