生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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「シャーマン・マサノブ教」の思想と教義 ( その一 ・ そのニ ・ その三 ・ 追記 ) (1995) |
- 日時:2013年09月13日 (金) 18時45分
名前:画龍点睛
合掌、ありがとうございます。 現在・生長の家教団は霊的観点から見れば、重大な危機に差し掛かっているのであります。開祖・谷口雅春先生が『古事記と日本国の世界的使命』に於いていみじくも指摘されておられます如く、霊の世界での「正神界」(日本民族守護神)と邪神界(ユダヤ民族守護神)との戦いが雛形経綸として生長の家に反映した状態になっているのであります。
マサノブ君は、昨年から今年にかけて、直轄掲示板を使って「初心者」という名前で開祖・谷口雅春先生の本来の『御教え』批判を展開しました。その投稿文はきわめて膨大な数に上るのであります。そしてその頃から「吾は“シャーマン”(降霊者・交霊者)なり」をちらつかせていたのでありますが、今年の「森のオフィス」落慶式を機に「吾はシャーマンなり!」の自覚を強烈に際立たせてきたのであります。「森のオフィス」落慶式は、“シャーマン・マサノブ教”ともいえる「大自然崇拝教」のスタート宣言式でもあったのであります。
「志恩」さんがこのようにまとめられています。
<< 雅宣総裁が、推進されるのは、「シャーマニズム」(自然環境問題)のみということになります。雅宣総裁は、雅春先生が達しておられなかったと雅宣総裁が確信し判断している「真理の部分」その「真理の部分」を 精霊(🐺?)からのコーリングより得ながら、生長の家の教えをご自分なりに補強し、より「高い真理」を表現していこうと決めていて、どんなに、彼が愚かだと思っている人間どもが、自分(雅宣総裁)を悪く言おうが、そのような人間の声には、いっさい耳を傾けず、彼が どっぷり のめり込んでいる精霊のみの言葉を聞きながら、自分が達しようとしている大きな目的(自然環境問題)に向かって、一路邁進されるご覚悟とお見受けします。しかし、生長の家の本来の教えであり、生長の家の元々の使命である「個人の救済」「国家の救済」「天皇崇拝」は、雅宣総裁の教えからは 削除してしまってあり、「無い」のです。それですと、「生長の家」 じゃなくて、「シャーマンの家」 と言えるのでは ないでしょうか......。>>
「マリーゴールド」さんも、
<< 「ヒーラーやチャネリングを行なったり、シャーマンと言われる方々が、富士山や八ヶ岳南麓周辺に移住したり、集ったりしてきている」ということを聞いた事がございます。人間の脳波に一番良いのは、標高1000m前後であり、子宮の中にいる時と同じ気圧ともいわれていますが、八ヶ岳南麓は、まさに標高は1000m前後です。森の中のオフィスがある所は、標高1200メートル位であったと記憶しています。標高1000メートルあたりでは、人間の脳はα波になり、シャーマンにはとっておきの環境であるそうです。以上の事から、雅宣さんが森の中のオフィスの北側の建造物を、「North Building」は“聖なる建物”といわれる所以ではないかと、密かに感じつつ思いを巡らしていたのです。>>
あの八ヶ岳南麓の 標高1200mの場所は、「シャーマンとして生きるため」に、あるものからのコーリングを受けるため瞑想するには日本では、ピンポイント的に最適な 位置であり、場所だった、「初心者」をして「自分はシャーマンとして生きて行く」と言わしめた彼・マサノブ君にとってはまさに、全て、計算され尽くした行動であったといえるのであります。
また、「コスモス」さんも、
<< もしもシャーマンなる者に指導されて言われるがままに動いているのが現在の総裁であるのならば、 我々は方針を根本的に変えなければならないと思います。シャーマン=総栽 であるとすれば、総栽を諫めても聞かれないはずですし、あまりに酷い、正気と思えぬ所業も納得がいきます。徹底的に今までの生長の家の全てを消して、シャーマンとの交流を通じて全てを運ぼうとしておられるとすれば.....言葉もありません。>>
そして、最後に「志恩」さんは、再び
<< 私の投稿文、「雅宣総裁の代弁者・初心者様が語っていたことと連動する 「大自然崇拝」とシャーマンとしての生き方 について]は、個人に呼びかけているようで、そうではないのです。これは、実は、生長の家の全国の幹部の皆様に対する大事な呼びかけであり、警鐘なのです。今、生長の家が「自然を大事にする、環境問題のみにしぼった運動をしている」その根底にあるものは、なんなのかという、とても重要な内容を含んだ投稿文なのです。>>
このように生長の家の『御教え』を長年に亘って深く極められている3人の女性信徒さんの鋭い分析力によって、現在の「生長の家」が直面している最大問題点が浮き彫りにされたのであります。
この最大問題点とは、<素人が霊の問題に深入りし過ぎてはいけない>と言う鉄則を「私は霊とか霊界のことについてはわかりません」と講習会で自白していたマサノブ君が、逆に“交霊者”としてのシャーマンとして、自己を位置づけ「森のオフィス」の非公開の「聖なる館(建物)」で彼と波長の合う霊界の低級霊軍団との霊的交流を通じてこれからの「生長の家教団」の全てを運ぼうとしている、もう既にそれを実践して行きつつある(新経本読誦の普及、鎮護国家はずし、『生命の實相』の排除、御神像の美術品化、・・・)。
『生命の實相』にも登場されていた霊能力高き審神者(サニワ)の今井梅軒先生なら、マサノブ君の交霊相手のレベルをたちどころに見破られたでしょう。現に霊能力のあった元本部講師の先生ですら、「マサノブ君には巨大な悪霊は憑依している」と言われていました。
このまま行くと、マサノブ君の「生長の家」教団は“第二のオーム”になり兼ねません。「森のオフィス」上棟式のマサノブ・ジュンコさんの拡大顔写真を御覧下さい。悪霊憑依の顔である事がハッキリ出ております。
“シャーマン”という横文字のハイカラ語の響きに騙されてかなりません。どのような霊(霊魂群)と霊的交信をしているかが重要であります。この意味では「生長の家」の霊的最大危機であります。
「志恩」さんの呼び掛けにもありますように、本部幹部役員をはじめ教区の幹部の皆さんもシッカリと目を見開いて「シャーマン・雅宣君」の言動に注目し、生長の家改革つまり「総裁更迭」・「大政奉還」・「マサノブ君の教団退去」を成し遂げていかなければならないと思うものであります。繰り返します。第二の「オーム」になりかねません。
では、今までの「初心者」の投稿発言を整理して、「シャーマン・雅宣教」の思想および教義について、まとめていきたいと思います。(つづく)
<補足>
「初心者=マサノブ君」と断定しては“名誉毀損”で訴えられる危険性がある、と仰る方もおられますが、私は「初心者=マサノブ君(影武者を含む)」と考えておるものであります。その理由は、――
@ 「初心者」の投稿内容は、開祖・谷口雅春先生の『御教え』否定が多く、「トキ掲示板」の投稿規定に違反しているが、投稿禁止にはならず、結果的には膨大な投稿量として残された。
A 「初心者」は自らは「マサノブ総裁ではない」と否定はしているが、肝心のマサノブ君は否定も肯定もしていない。“間違われて迷惑だから、初心者氏を投稿禁止にして欲しい”と「トキ管理人」氏に申し出もしない。
B 「初心者」の思想が、マサノブ君のそれと完全に似通っていることが明白である。また、「初心者」はときどき乱暴な言葉を使って投稿している部分もあるが、マサノブ君のお通夜の罵詈雑言と重なって聞える。
“名誉毀損”でマサノブ君やイソベ君が訴えたとしても、無名の末端信徒のものとしては、対社会的にはなにも失うものはなく恐れるものなし。逆に、現教団側としては触れられたくはない部分が公の場で暴露される危険性の方が大である。
特に、教団内部の資金の流れ、株の利ザヤ稼ぎ、ひいては宗教法人課税のことにまで飛び火するかも知れない。第一、「初心者=マサノブ君(影武者を含む)」ぐらいのことで裁判所が名誉毀損として受け付けてくれるかどうかもわからないのである。門前払いかもしれない。
根本的には、宗門宗派の嗣法者は、開祖の『御教え』(教義)をそのまま継承して当たり前、開祖の教えに異議を唱えた嗣法者は、いつの時代でも自ら独立して別宗・別派を起てて来たのであり、これが宗教界の常識であり、世間常識であります。
ひとり、マサノブ君だけが「生長の家」の看板はそのまま抱かえながら中身を開祖の『御教え』とは異なる雅宣君の個人思想に入れ替えてしまったのであります。
こんなことは「生長の家」教団内では許されても世間では許されない。この様なことも公の場で問題提起されます。なにもマサノブ君の個人的立場でのスキャンダル的なことを問題視してはいないのであります。
問題視しているのは、「生長の家・三代目・雅宣総裁」と言う公人の教義継承内容であります。だから、マサノブ君やイソベ君を恐れる必要は少しもないのであります。 < 来るなら来てみろ、やったるで!! > ぐらいの覚悟を持って当らねばならぬときであります。 再合掌
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「シャーマン・マサノブ教」の思想と教義 (そのニ) (2009) |
- 日時:2013年09月15日 (日) 11時33分
名前:画龍点睛
「シャーマン・雅宣教」の教義とは、・・・
マサノブ君がこれまでに、自身の専用ブログ「小閑雑感」・「唐松模様」や「聖使命新聞」掲載の諸種行事の挨拶文(これを“お言葉”というらしい)、教修会での講話等、そして「トキ掲示板」上で「初心者」のハンドルネームを使って書き込んだ膨大な量の、“総裁”という肩書きでは言えない彼の本音の思想から、<「シャーマン・雅宣教」の教義>を推量させていただきました。
これは、あくまでも私の“推量教義”であり、これはマサノブ君自身が公表したものではありません。この点をくれぐれも誤界のないようにお願い申し上げます。しかし、この推量教義は、三代目のマサノブ君が独裁権力をもって運営している現教団の実質的“ウラ教義”と言ってもいいものであります。
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< 宗教教義の内容は、時代と共に変革しなければならない。この宗教存在原則に従い、次の如き「シャーマン・マサノブ教」の教義を定める>
@ 神が創造された宇宙最高の価値――「大自然そのもの」を礼拝する。「大自然礼拝教」と称す。
A 人間という生物は「大自然」の一部である。「人間至上主義」の傲慢を排す。
B 大自然の一部をなす人間の地上生活の目的は、「自然との共生」を通じて「神・自然・人間の大調和社会」の構築にあり。
C 現代を生きる宗教の最大の救済対象は、生命の母なる地球の自然環境の保護と維持にあり。
D 本教の信徒は、都会生活を捨て「自然との共生」環境の中で、聖経「大自然讃歌」・「観世音菩薩讃歌」を毎日読誦し、瞑想による大自然界の精霊との霊的交流を通じて「至高体験」の境地に達すべく修行を続ける。
E 最高の真理は「ホンモノ(本物)」と言う言葉で表わされる。この本当の実在=真理を科学的知識によって探究・求道する。
F 教主の位置にある総裁「シャーマン」に中心帰一する。中心帰一原理は幸福追求と繁栄のための宇宙の中心法則である。
G かくして、現代先端科学文明を最高度に活用した<新文明>の構築を目指す。
//////////////////////////////////////////////////
<以上の「シャーマン・マサノブ教」(「大自然礼拝教」)の教義の論拠を「初心者=マサノブ君(影武者を含む)」の掲示板発言を引用して、以下に示します。>
[ T ]
<< @ 神が創造された宇宙最高の価値――「大自然そのもの」を礼拝する。「大自然礼拝教」と称す。>>
この論拠は、「森のオフィス」落慶式典において、「實相」額が途中で引き込められて、舞台正面の大きなガラス窓の向こうにある山の雑木林に向かって、「招待歌」を終わったイソベ理事長が丁寧に合唱礼拝をなし、この後は大自然の象徴として見立てたその窓外の「雑木林」に向かって祈りを捧げる形で進行したのであります。→ 「有情非情悉く兄弟姉妹と悟る祈り」(純子・白鳩会総裁) → 「大自然讃歌」一斉読誦(先導:大塚参議長)という順序で式典は進行されたのであります。
ここにおいて、シャーマン・マサノブ君は「生長の家」の看板はそのままで、内容を「大自然礼拝教」に切り替えたと解釈しても決して不自然ではないのであります。
[ U ]
<< A 人間という生物は「大自然」の一部である。「人間至上主義」の傲慢を排す。 B 大自然の一部をなす人間の地上生活の目的は、「自然との共生」を通じて「神・自然・人間の大調和社会」の構築にあり。 C 現代を生きる宗教の最大の救済対象は、生命の母なる地球の自然環境の保護と維持にあり。>>
このABCの論拠に関しては、マサノブ君がこれまで「生長の家・総裁」の名前で、自身のブログや行事挨拶や講話で述べたことでありますので、信徒の皆さんもよくご存知のところであります。
此処で特に付け加えるべき大切な論拠があるのであります。それは、開祖・谷口雅春先生の『御教え』の根幹部分を、「初心者=マサノブ君」が完全否定し、更に、これまでの開祖・谷口雅春先生ご創始の「生長の家」が、世の中のためになる貢献は何もなかったと否定した発言をなしていることであります。以下の通りであります。
1716 :初心者:2012/06/30(土) 11:46:57 ID:TfQ0e6RA << 人間は神の子である。これは永遠に変わらぬ真理でしょうか。ちがいますね。これは救済です。人間を神の子だと考えれば救済されることがある。「人間神の子」は、真理ではなく救済です。人々の意識は時代とともに変化します。救済にたいする考え方も、時代とともに変化する可能性があります。ひたすら「超越項」のみで真理を語ろうとする雅春先生の言葉は、もはやほとんど役に立つことはない、「真理は永遠に変わらない」。この言葉にあぐらをかいているあいだに、時代はさらに先へと進んでゆくことでしょう。>>
384 :初心者:2013/02/02(土) 12:36:54 <<「わたし」が神の子であるにしても、その神の子はイミテーションです。>>
1853 :初心者:2012/07/02(月) 16:38:48 ID:TfQ0e6RA << わたしは『生命の実相』では真理を知ることはできないと考え、教えを手放したのであります。>>
407 :初心者:2013/02/05(火) 19:54:33 << 生長の家の教えのなかの、神が完全な人間を創ったとされる部分にかぎって、わたしはこれを批判し、異論をとなえているのはあきらかでありましょうに。わたしは「神が完全な人間を創った」とは考えておりません。>>
1740 :初心者 投稿日: 2012/06/30(土) 23:13:38 ID:TfQ0e6RA <<「無の関門」とは言語の二項対立の問題ですよ。それを超えたところで、さてなにを得られるというのでしょう。>>
1722 :初心者:2012/06/30(土) 17:53:20 ID:TfQ0e6RA << 雅春先生の教えは、実際に救済につながっているといえるのでしょうか。私が見るところでは、みなさま方は、雅春先生が書かれた文字に執着し、いつまでたっても、その書かれた文字に救いを見いだそうとしておられるように感じられます。>>
157 :初心者:2012/07/12(木) 20:56:12 ID:TfQ0e6RA << 万教帰一、人類光明化、日本国実相顕現とさまざまなことが言われてきながら、何が実現できたのか。救済とは、個人的な経験でいえば、真理を味わい尽くすってことですね。真理の味わいは救済に勝るとわかれば、真理に救済を求めようとはおもわなくなる。>>
128 :初心者:2012/07/10(火) 12:54:55 ID:TfQ0e6RA << 雅春先生の教えによって実現された救済は、奴隷状態を居心地のよいものへと変えただけ、いかに快適な奴隷生活を実現するか。生長の家では、このことだけが考えられてきたとおもわざるを得ない。>>
323 :初心者:2012/07/21(土) 12:37:18 ID:TfQ0e6RA << 今もわたしは、雅春先生の教えにはまったくもとづかないと考えられる救済理論を研究しております。>>
21 :初心者:2012/07/27(金) 17:36:53 << 最勝最尊といわれる雅春先生の教えが出現して80年が経過したにもかかわらず、いじめの問題ひとつとってみても、問題の解決にいたっていないのはもちろんのこと、解決への道筋さえ示されていない。>>
397 :初心者:2012/08/18(土) 11:30:52 ID:TfQ0e6R << 20年たった今でも、なにも実現されていません。>>
477 :初心者:2012/08/19(日) 13:01:41 ID:TfQ0e6RA a hope様 << わたしは、20年前に組織を見限り、それからしばらくして生長の家の会員であることも辞し、現在はその教えの影響下から脱すべく新境地を開拓中であります。やめた理由は、生長の家とかかわっていたのでは悟りを得られないことがわかったから。>> (注・“20年前”という表現は副総裁に就任して信徒の一員から管理者(教団の運営者)になったことを言っていると思われます。丁度、労働組合員であった一般社員が取締役に昇格して、労働組合員の位置から抜けたことと同じだと考えればいいと思います。)
[ V ]
<< D 本教の信徒は、都会生活を捨て「自然との共生」環境の中で、聖経「大自然讃歌」・「観世音菩薩讃歌」を毎日読誦し、瞑想による大自然界の精霊との霊的交流を通じて「至高体験」の境地に達すべく修行を続ける。>>
マサノブ君が聖経『甘露の法雨』を最高裁・上告棄却判決によって「生長の家」教団から排除したことは、彼の「シャーマン・雅宣教」の確立のための戦略成功と判断せざるを得ないのであります。IQ指数抜群の彼・マサノブ君は常人ではとても考えつかない緻密な戦略を立てる能力に秀でているからであります。
そして、低級霊魂群との霊的交流を通じて、一種の「至高体験」まがいの境地を味わい、それを悟道の新境地に達したと錯覚して、「神想観」を捨てたのであり、講習会のプログラムからは除外し「世界平和の祈り」に変更、信徒の疑惑をたぶらかすために、その中で約5分間の神想観の時の唱える言葉と、簡単な通りいっぺんの説明を言うだけであります。以下の「初心者=マサノブ君」の投稿文で読み取れるのであります。
1853 :初心者:2012/07/02(月) 16:38:48 ID:TfQ0e6RA << わたしは『生命の実相』では真理を知ることはできないと考え、教えを手放したのであります。>>
477 :初心者:2012/08/19(日) 13:01:41 ID:TfQ0e6RA a hope様 << わたしは、20年前に組織を見限り、それからしばらくして生長の家の会員であることも辞し、現在はその教えの影響下から脱すべく新境地を開拓中であります。やめた理由は、生長の家とかかわっていたのでは悟りを得られないことがわかったから。>>
385 :初心者:2013/02/02(土) 19:31:06 << 神想観は、一時的にせよ、悲劇が演じられる劇場からでていくための、ひとつの方法と考えよいのでしょうか。生長の家の方々は、せっかく入った劇場から、一時的にではなく、できれば永遠に消え去ろうとしておられると考えてよいというとこなのでしょうか。「悟り」や「直観把握」といった言葉が大仰に語られる背景には、いったいどのような意図があるというのでしょう。けっきょくみなさま方は、悟りをえることで、いったいなにを実現しようとしておられるのですか。>>
386 :初心者:2013/02/02(土) 19:43:40 << 神想観はいったい誰がこれをおこなっているといえるのでしょうか。俳優である自分でしょうか、それとも、悲劇をみることに疲れ果てた宇宙意識でしょうか、それとも、劇場の外からなにものかが侵入しているということなのでしょうか。>>
37 :初心者:2013/02/05(火) 13:16:30 ID:PnnRTxNs << 自分の実相を拝むということじたいが、すでに二元論なのです。たとえそれが自分の実相であったとしても、それを拝んでいる何者かがかならず存在します。実相といっても、その実相にはつねにその何者かが欠けているのです。>>
699 :初心者:2011/11/09(水) 08:52:28 ID:hogyfr1M <<神想観でありますが、わたくしは、人類が宗教を必要としたことも含めて、神想観をなさなければならなくなった事態も、人類の失敗であると考えます。失敗の結果が宗教であり、神想観なのですよ。左脳意識の発達により、あるがままの宇宙との一体感が崩壊し、それをおぎなう手段として、宗教や神想観という手段が編み出されたのではありませんか。もしそうであれば、宗教も、そして神想観も、人類の失敗をおぎなう手段であるということになるような気がいたします。>>
???:初心者: << わたくしは、神想観につきましては徹底的に挫折しております。いまさらやれといわれても、無理でございます。その代りに、瞑想というほどではございませぬが、真理の奥深さというものを実感して、いつもいつもハッピーな心境で暮らすことはできております。ここでひとつうかがいたいのは、このあたりの心境と、神想観によって得られる心境は、じっさいどのように異なるのかということであります。わたくしはたしかに、真理を思えば、たちまちにしてハッピーになることができます。これはもう20年近くも続いております。しかしおそらく、このハッピーな気分と、実相世界における喜びとは、またかなり違ったものであるかとも考えます。>>
699 :初心者:2011/11/09(水) 08:52:28 ID:hogyfr1M << 「悟り」について言語化せよ、それをひと言でいえば、神へとつづく無限次元の空間が見えたということであります。それによって生じた特別な感覚があり、それが永続的に持続しているということのほうが、よほどわたくしにとりましては重要なことであります。これがあれば、ほかはなにもいらない。これはそんな感覚でもありますよね。それと、完全ともいえる宇宙との一体感。これが右脳意識であります。必要とあらば、神との一体感と置き換えることも可能でありましょう。この一体感は、圧倒的な感情として体験されます。ことさらに神想観という方法によらずとも、宇宙との一体感が当たり前のごとく感じられる。あるがままの宇宙との一体感。それがあれば、宗教も神想観も、人類は必要とすることがなかったでありましょう。>>
[ W ]
<< E 最高の真理は「ホンモノ(本物)」と言う言葉で表わされる。この本当の実在=真理を科学的知識によって探究・求道する。>>
マサノブ君は開祖・谷口雅春先生のお悟り(絶対実在の絶対認識)に疑問符をつけて、「實相世界」とは別の「本物の世界」があると主張する。以下の「初心者=マサノブ君」の発言であります。
1784 :初心者:2012/07/01(日) 14:00:36 ID:TfQ0e6RA << 雅春先生の教えが正しいにしても、つけ加えることはまだまだいくらでもある、雅春先生の教えにとどまっているかぎりは、これ以上さきへは進めない、雅春先生の教えだけでは限界があるということを感じます。ひとつの考え方にしばられずに、物事を自由に考えることの必要性も感じます。>>
124 :初心者:2012/07/10(火) 10:11:31 ID:TfQ0e6RA << 雅春先生が説かれる「実相世界」は、わたしが予想する本物の宇宙とは、その性質があまりにも異なっています。現状では、本物の宇宙を実相世界とみなすことはできません。>>
1738 :初心者:2012/06/30(土) 22:54:14 ID:TfQ0e6RA << 第一あたしは、本物の宇宙の信者です。本物の宇宙は実在する、よって実相独在は間違いである、ということを主張したいのでありますけどね。>>
247 :初心者:2012/07/17(火) 12:05:41 ID:TfQ0e6RA << 実相世界の存在はどのようにして確認されたのでしょう。それは映像によってではなかったのでしょうか。もしも映像であったとすれば、それがつくり出される仕組みを知る必要があります。・・・現状を超えるには、対立を呑み込むほどのより大きな「知の体系」をつくりあげるよりほかはないでしょう。>>
1747 :初心者:2012/07/01(日) 07:21:31 ID:TfQ0e6RA << 本物の宇宙は存在します。雅春先生は、見せかけの宇宙のみをご覧になられて、「現象なし」と宣言せられました。本物の宇宙の存在を雅春先生は見落としてしまわれました。したがって、本物の宇宙にかんしての言及はいっさいなされていないというのが現状のようにおもわれます。>>
1754 :初心者:2012/07/01(日) 08:10:50 ID:TfQ0e6RA 訊け様 << 本物の宇宙と、雅春先生が説かれる「実相世界」はまったく別物なのですよ。「実相世界」は、本物の宇宙にくらべて不完全すぎるような気がいたします。本物の宇宙には光は存在しません。光が存在するということは、実相世界がそれだけ不完全であるということを示している。>> (注・もうこの辺になると、如何にマサノブ君が本来の『御教え』の継承者としての資格無きかを暴露しております。)
124 :初心者:2012/07/10(火) 10:11:31 ID:TfQ0e6RA << 雅春先生が説かれる「実相世界」は、わたしが予想する本物の宇宙とは、その性質があまりにも異なっています。現状では、本物の宇宙を実相世界とみなすことはできません。>>
292 :初心者:2012/07/19(木) 14:40:58 ID:TfQ0e6RA << 宇宙は偶発的につくられたものです。神が神ご自身の姿をご存じでなかったからです。雅春先生の思想で現代の宇宙論を説明できるのでしょうか。雅春先生の思想は、おそらくは、宇宙論を全面的に否定することでしか成り立たないものと考えます。>>
274 :初心者:2012/07/18(水) 08:03:20 ID:TfQ0e6RA << 生長の家と真理の追究は無関係です。>>
268 :初心者:2012/07/17(火) 23:42:18 ID:TfQ0e6RA << たとえ雅春先生であろうとも科学的知識の欠如には勝てないということ、これは正しい認識です。>>
2113 :初心者:2013/01/27(日) 12:10:53 << あたしの本物の宇宙は、ごく大雑把ではあっても、世界の成り立ちを理論的に説明できるんだけど、弱点は、具体的なことは説明できないということなのですね。>> (注:この発言は「本物の宇宙」理論の弱点を自ら認め、かつ「本物の宇宙」の実在を彼自身がみずから事実上否定していることになるのであります。何と情けないマサノブ君であることよ!)
[ X ]
<< F 教主の位置にある総裁「シャーマン」に中心帰一する。中心帰一原理は幸福追求と繁栄のための宇宙の中心法則である。>>
この7番目の「シャーマン雅宣教」の(推量)教義、つまり“中心帰一”に関する「初心者=マサノブ君」の投稿文は見つかりませんが、彼は無言の圧力の下に中心帰一体制を築き上げて、彼自身への“中心帰一”を無言で強制しているのであります。次の二点がその論拠であります。
イ 人類光明化指針13ヵ条の第9条 < 生長の家大神――総裁・副総裁――『御教え』>、これを作られたのは、当時の大幹部の本部講師先生達でありました。「総裁・副総裁」とは、当時は「雅春先生と清超先生でした。
しかし、開祖・谷口雅春先生が帰幽された後は、< 生長の家大神=開祖・谷口雅春先生=『御教え』――第二代目以降の総裁・副総裁 > と書き直されるべきでありました。清超先生は、そのように書き換えされませんでした(今から思うと、マサノブ君が書き替えに反対したのかも知れません)が、ご自身の気持はそのよう(上記書き換え内容)であられたのでした。
清超先生が帰幽され、自称・第三代目を引き継いだマサノブ君は、左翼政党の憲法9条死守(悪用)と同じく、この「人類光明化指針第九条」を独裁体制維持に大いに活用しだしたのであります。< 生長の家大神――マサノブ(自称)総裁――今の教え(シャーマン・雅宣教の教義) > 、これを、有給の本部講師・教化部長・幹部役員に対しては恐怖型人事政策で、無給の教区役員・信徒に対しては教化部長をしてマサノブ総裁中心帰一を第一とする事を浸透せしめ、ピラミッド型の強力・完璧な独裁専制体制を構築して行ったのであります。
その目的で「マサノブ先生は生長の家大神様から直接に啓示を受けていらっしゃる」というように言わしめて行ったのであります。
ロ 「わたしの立場は“仰ぎ見られる”立場である!」(生長の家代表者会議・平成20年2月29日)
<<代表者会議というのは以前は運動方針を「決定する」場でしたけれど、今は「すでに決まった運動方針を理解していただく」・・・内規の一つである「生長の家代表者会議開催要領」によりますと・・・私の立場は・・・規則の第四条・・・代表者会議は総裁・副総裁の出席を仰ぎ助言を受ける・・・私の助言を採用するかどうかは別のところで決める・・・>>
このように述べて、マサノブ君は“仰ぎ見られる立場にある故、中心帰一する事は当たり前と認識していたのであります。「森のオフィス」の「聖なる館(建物)」完成を機に、シャーマン・雅宣教の教祖の自覚を新たにした彼は、従来にも増して“シャーマン・雅宣”への中心帰一の無言の圧力を示したいのであります。
[ Y ]
<< G かくして、現代先端科学文明を最高度に活用した<新文明>の構築を目指す。>>
「自然との共生」・「欲望の巷(都会生活)から求道の森の生活へ」と、全く庶民的生活の苦労なく育った左翼思想かぶれのお山の大将・マサノブ君は、大きな内部矛盾を含む机上プランを暗黒霊界層との霊的交流のうちに完成させ、信徒の浄財を使い「新文明」の構築という白昼夢の実現にいそしんでいるのであります。
「新文明」の構築といえば恰好はよいが、その実は――
イ 一部の有閑資産階級にして始めて実行できる“セレブ型“の文明である
ロ 「他人には手を汚させ、自分は手を汚さない」卑怯型の虚飾文明である
ハ 開祖・谷口雅春先生のお名前を完全に忘れさせるところの忘恩型の冷酷文明である。
そして、マサノブ君は、“谷口雅春原理主義”思想からの脱却と独善的自己中心の自由を「初心者=マサノブ君」をして主張せしめているのであります。以下のとおりであります。
「生長の家=開祖・谷口雅春先生ではない」(『小閑雑感』平成16年8月12日)
<<谷口雅春先生の著作を深く研究すればするほど見えてくるものは、<谷口雅春>という歴史上稀有(けう)な人物の人となりが分かるのであって、<生長の家>が見えてくるのではありません。生長の家=谷口雅春という安易な方程式は、雅春先生ご自身が否定しておられるのを忘れないでください。>>
357 :初心者:2012/08/17(金) 15:20:51 ID:TfQ0e6RA << いまだ新興宗教は「病気治し」を第一に取り組むべき時期にあるとお考えなのでしょうか。「雅春先生は教えの問題点と限界をご存じであったのか」との問いであります。教えの限界をまったく問題にすることなく、その完全無欠性や万能性を信じ込んでいる、これが教えの絶対化やイデオロギー化の温床となる。>>
83 :初心者:2012/07/09(月) 11:24:25 ID:TfQ0e6RA << 科学は宗教よりもさらに先へと進んでいる。>>
103 :初心者:2012/07/09(月) 15:38:07 ID:TfQ0e6RA << 異端とみなされるのは、つねに真の信者です。>>
1777 名前:初心者 投稿日: 2012/07/09(月) 15:14:06 ID:TfQ0e6RA << わたしは、人間嫌いであると同時に医者嫌いでもあります。自分の流儀は通します。>>
1784 :初心者:2012/07/01(日) 14:00:36 ID:TfQ0e6RA << 雅春先生の教えが正しいにしても、つけ加えることはまだまだいくらでもある、雅春先生の教えにとどまっているかぎりは、これ以上さきへは進めないとする壁につねにさえぎられていた、正直もうしますと、雅春先生の教えだけでは限界があるということを感じます。>>
333 :初心者:2012/08/17(金) 09:13:42 ID:TfQ0e6RA << 神はどのようにして自由を実現されたのでしょうか。この「自由実現の仕組み」を雅春先生はどのように説明しておられるのでしょう。>>
152 :初心者:2012/07/12(木) 10:18:44 ID:TfQ0e6RA << バサラ的な生き方とは、財産であれ、才能であれ、持てるものはすべて散じ尽し、使いきろうとする生き方だ。バサラを生きる人とは、破壊のなかにあっても、思うがままに、生きたいように生きようとする人たちをいう。バサラは、バカバカしいこと、それをやって何になるというようなことを好んでなそうとする。生きる目的は、持てるものをすべて使いきることなのだから、たとえどんなにバカバカしいことで、世間から「物狂い」と後ろ指をさされるようなことでも、それが「蕩尽」につながるのであれば、平気でそれをやりとげようとする。マネーであれ、ロマンであれ、理想であれ、持てるものを徹底的に散じ尽し味わい尽くす。>> (注:まさにマサノブ君の現状の描写でありますね)
167 :初心者:2012/07/13(金) 09:37:17 ID:TfQ0e6RA << バサラとは、思いっきりばかげたことをなすことだな。奴隷根性ではできないことをなすことだな。後世に残るほどのばかげたことをなすことだな。森にオフィスをつくる。これはバサラだな。後世に残るバサラだな。生長の家はこれまで、後世に残るようなものは何も残していない。奴隷根性では何も残せないってことだ。>>( 注:この152と167とはシャーマン雅宣君の受け取った暗黒低級霊界の悪霊からの囁きそのものであります)
2225 :初心者:2013/01/30(水) 10:43:06 << やがて、常識のほうが「真理」を超えていくでしょう。「真理」は不変ですが、常識は進化します。いちぶの常識は、これから「真理」を超えていくだろうと考えています。>>
以上が、「シャーマン雅宣教」(大自然礼拝教)教義の背景をなす「初心者=マサノブ君」の「総裁」と言う立場では言いたくても言えない本音の思想であります。これが現教団の独裁者「ニコライ・チャウシェスク雅宣」の“ウラ教義”と言えるもの、そして、これからは「シャーマン雅宣教」の表の教義となる「シャーマン雅宣」の本音の背景思想であります。 (つづく)
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「シャーマン・マサノブ教」の思想と教義 (その三) (2016) |
- 日時:2013年09月16日 (月) 10時22分
名前:画龍点睛
< 自己の霊的未熟を棚に上げ、開祖・谷口雅春先生の『御教え』を生命体験に基づかない閑人の理屈だけで批判する「初心者=マサノブ君」を追及する! >
「初心者」の膨大な投稿文を読んで感じることは、釈迦やキリストや開祖・谷口雅春先生のように、人間とは何か?、人生とは何か?という地上にうまれてきた人間にとっての究極的根本問題について、自己を極限にまで追いつめてその壁を突き破った生命体験を持たないところの、“閑人の理屈”にしか過ぎぬと云う事であります。
この“閑人の理屈好き”な学者的評論家的タイプの人間である「初心者」なる人物は、その“閑人の理屈好き”な学者的評論家的な点に於いて「マサノブ君」と全く瓜二つである、と考えられ、この様な人物がわざわざ掲示板に出て来て、自己の未熟さを棚に上げて、釈迦・キリストの教えを完成された稀有の宗教的天才にして天上界から人類救済の為に特別派遣せられてこられた開祖・谷口雅春先生を徹底批判するのは「マサノブ君」以外には考えれないのであります。
さらに、これほどまでに徹底した開祖・谷口雅春先生批判を投稿し続けた「初心者」なる人物を、「トキ掲示板」規約 < 生長の家と谷口雅春先生へのご批判をされる内容の投稿はご遠慮下さい。> に抵触するにかかわらず、「トキ管理人」氏が長期に亘って特別に投稿を許し、その後も次々と名前を変えて本来の『御教え』批判を展開し続けているほどの人物、それはどのように考えても「初心者=マサノブ君(影武者を含む)」と断定せざるを得ないのであります。
一般信徒は言うに及ばず、信徒でない『生命の實相』の一般読者でここまで開祖・谷口雅春先生批判をする人はないと言っても過言ではないのであります。
「生長の家」信徒の皆さんは、多かれ少なかれ人生の病・悩・苦すなわち現代医学では治癒されない病気、極端な経済的苦境、仕事上の究極的な苦悩の淵から、開祖・谷口雅春先生の説かれる真理によって救われた人たちばかりであります。私もそのひとりであります。そして、「生長の家」の真理を自己人生のバックボーンとして生きてきた人たちでありました。
そして、この「生長の家」の『御教え』は史上最高の教えであると自己の生命的体験を通して信じ、未来永劫に存続するものだと信じて、子孫に伝えることに誇りと喜びを感じてきたのでした。
そこへ現れて来たのが、ぬくぬくと苦労なく育った左翼思想にかぶれた三代目の「雅宣」という驚愕の異端児でありました。そしてご存知の如く、誰が見ても解るように、「生長の家」の『御教え』をこの地上から抹殺せんとする行動に出て来たのであります。その結果、信徒は大混乱を来たし、教勢は急低下をしているのであります。
「初心者=マサノブ君」は、自己の霊的未熟さを完全に棚に上げて、「初心者」の名前で、コレデモカ、コレデモカと言わんばかりに徹底したほどの開祖・谷口雅春先生の『御教え』批判を展開しております。
上記以外のも『御教え』批判および『御教え』否定がありますので、以下に転載して置くことに致します。これ以外にも実に膨大な投稿文があり、この様な投稿文を書く経済的時間的余裕ある人物は滅多に居るものではありません。
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< 「初心者=マサノブ君」の許しがたき、開祖・谷口雅春先生『御教え』批判の数々 >
275 :初心者:2012/08/16(木) 11:11:17 ID:TfQ0e6RA << 雅春先生は、生長の家の教えをほんとうの意味で理解しておられたということが、はたしていえるのでありましょうか。>>
359 :初心者:2012/08/17(金) 15:52:54 ID:TfQ0e6RA << 解脱の手段は知識である >>
114 :初心者:2012/08/01(水) 10:57:16 << 信を確立した人は、自分が理解できる範囲を「実相覚」と呼び、それ以外の理解できない部分を「人間知」と呼んでカテゴリー化することで、理解できる範囲のせまさを正当化している。>>
129 :初心者:2012/07/10(火) 13:01:45 ID:TfQ0e6RA << 二元論を採用すれば、スムーズな説明が可能となります。ただ、「超越項」をもちいるということと、想像的な部分がどうしても出てまいります。>>
1853 :初心者:2012/07/02(月) 16:38:48 ID:TfQ0e6RA << わたしは、『生命の実相』では真理を知ることはできないと考え、教えを手放したのであります。 「現象は本当にないのか」ということです。雅春先生はいったいなにをご覧になられて「現象はない」と言われたのでしょうか。雅春先生が言われる「現象」とは、どこまでの範囲をさした言葉なのでしょう。>>
284 :初心者:2012/07/19(木) 08:06:44 ID:TfQ0e6RA << 実相をどのように説明したとしても、その説明のなかには現象の影がかならず入り込んでいるということがわかります。「実相直視だ」といってみたところで、こうした表現のなかにも現象の影が入り込んでいます。>>
310 :初心者:2012/07/20(金) 09:39:45 ID:TfQ0e6RA << 言葉に意味はありません。言葉と真理のあいだに関係はまったくありません。言葉は真理を語っていません。ただ「あれを見よ」と、真理のある方向を指し示そうとしているだけです。「実相円満完全」といってみたところで、この言葉に意味はありません。この言葉は「べつの何か」を指し示そうとしています。その「べつの何か」がわからなければ、言葉を絶対化し、暴走させるよりほかはありません。>>
313 :初心者:2012/07/20(金) 13:37:20 ID:TfQ0e6RA << 「行間を読む」を現代では「文章の構造にアクセスする」といいます。「作者の死」ともいいます。人類光明化といったところで、この言葉に具体的な意味はありません。情緒的反応が主であったと考えます。>>
315 :初心者:2012/07/20(金) 15:55:15 ID:TfQ0e6RA << なんにしても、それが自分にとって心地よいかどうか、心に響くがどうかで言葉の価値を判断するのが、生長の家の伝統的な言葉への接し方である、生長の家の方々が言葉に麻薬的効果を期待しておられるのも、またたしかなことだという気がいたします。>>
54 :初心者:2012/07/08(日) 07:31:42 ID:TfQ0e6RA << 信仰が、個人的立場を超えて集団的になることで問題が生じます。「絶対的真理」という言葉が登場します。「絶対的真理」とは、誰もがそれに服従しなければならないとされる真理です。これにより、信仰は争いの場となります。>>
134 :初心者:2012/07/10(火) 19:39:27 ID:TfQ0e6RA << 生長の家からは、現象世界がなぜ今あるように見えているのかという、その仕組みにかんしてさえ、具体的な声明はなにも発表されていません。>>
314 :初心者:2012/07/20(金) 13:44:21 ID:TfQ0e6RA << 「不変の真理」とか「絶対的真理」とかの話になってくると、厳密な批判なり分析なりが必要になってきますね。>>
356 :初心者:2012/08/17(金) 14:56:56 ID:TfQ0e6RA << それと、わたしが雅春先生の教えを批判いたいします理由とは、雅春先生の教えが絶対化されイデオロギー化されていることが不快であるから、ということになります。具体的なヴィジョンを示せないのであれば、雅春先生の教えを批判という形で相対化することでしか、教えの絶対化やイデオロギー化の動きに対抗することはできないでありましょう。教えの相対化がこんにちほど必要とされた時期はなかったものと考えます。>>
392 :初心者:2012/08/18(土) 09:51:11 ID:TfQ0e6RA << こんにちの事態に雅春先生の責任はある。雅春先生が扇情的な表現を多用されたのは事実であります。扇情的な表現にあおられて、みずからの立場を絶対化させてしまった信徒がいるとすれば、これを雅春先生の責任であるとすることに異論をさしはさむ余地はない、というのがわたしの考えであります。この意味では、仏教(といってもいろいろあるようですが)は、教義が絶対化されるでもなく、信徒がその立場を絶対化することもないようにおもえますので、「いい教え」といってよいのではないか、という気はいたします。>>
243 :初心者:2012/07/17(火) 11:36:03 ID:TfQ0e6RA << 理屈で語れる部分での真理。いかにして真理を理屈で語るか。自分は語らずして、語る相手を心のなかで批判することなど、誰にでもできることであります。>>
272 :初心者:2012/07/18(水) 07:35:33 ID:TfQ0e6RA << ふつう問題にされるのは、雅春先生の霊的直観力ということになりますね。なぜ霊的直観力にすぐれた雅春先生が本物の宇宙の存在に気づかれなかったのかということが問題。>>
236 名前:初心者 投稿日: 2012/07/15(日)12:44:21 ID:TfQ0e6RA << わたしが雅春先生に抵抗するのはなぜかといえば、愛の行動によって実相が完全にあらわれきり、それによって非自己が自己へと回帰すれば、それでゲームセットだからです。現象世界をこよなく愛するわたしとしては、ゲームはおわらせたくない。よって、「愛の行動」にも「実相顕現」にも徹底抗戦する。生長の家というゲームセット画策集団に反旗をひるがえしておるのです。>>
266 :初心者:2012/07/17(火) 23:32:11 ID:TfQ0e6RA << 救いを欲する人々を、いつまでも救いを欲する状況にとどめおくために、宗教は文字というパルマコンを供給しつづけます。>>
285 :初心者:2012/07/19(木) 10:02:52 ID:TfQ0e6RA << 医者が病人を必要とするように、宗教は迷える人々を必要とする。いつまでも迷い続けてくれる人をこそ宗教は欲しているのだ。迷える人々に、心に響く言葉をあたえ、それで束の間の平安をあたえたところで、効果が薄まれば、人々はかならず戻ってくることを宗教は知っている。迷える人々に心に響く文字を供給しつづけるのは宗教の仕事だ。それは麻薬に依存し欲する人々に麻薬を供給し続けることに似ている。心に響く文字をあたえられた人々は、狂喜乱舞し、文字に群がりはじめる。やがて効果は薄れるが、文字の供給が途絶えることはない。>>
331 :初心者:2012/08/17(金) 08:40:18 ID:TfQ0e6RA << 一元論という決定論的世界にありながら、なぜ自由意思というものが存在しうるのでしょうか。この問題を、「生長の家の教えの問題点と限界」に焦点をあてながら考えてみたいとおもいます。それはひとえに、「雅春先生は生長の家の教えを真に理解しておられたのか」の問いに答えを出したいからであります。>>
2025 :初心者:2013/01/25(金) 15:18:49 << 織活動のなかにいたずらに宗教の理念を持ち込もうとすることの弊害その弊害とは、いうまでもなく「狂信的」ということであります。 >>
2153 :初心者:2013/01/28(月) 11:01:19 << わたしは、生長の家は大衆宗教であるととらえています。大衆宗教とは「知を否定する宗教」と定義することができるとおもいます。大衆宗教は知を否定することで発展する。雅春先生が和解せよといっておられるのだから和解しかない、これはできぬ相談なのではないでしょう。知を否定することで成り立っている大衆宗教が知と和解する。これは大衆宗教にしてみれば自己否定以外のなにものでもない、ということになりはしないでしょうか。 >>
2161 :初心者:2013/01/28(月) 15:11:03 << 本流の反論は「雅春先生は虚説とは和解してはならないといっておられる」というものですが、これはウソの理由ですね。「虚説とは何か」と尋ねられてもまともに答えられないのは、それがウソの理由づけであるためです。ほんとうの理由は、なんらかの心理的メカニズムによってそうさせられているということです。このメカニズムを解消しないかぎり、和解派がのぞむ形での事態の進展はありえないのではないか、「雅春先生はこういっておられる」といくらくり返し訴えても、相手を苛立たせるだけの効果しかない。このことを了解していただくしかないと考えます。>>
363 :初心者:2013/01/31(木) 11:20:24 << わたしは、ほんらいの世界というのは形のない世界だと考えています。それは波動の世界であり、形のない流体的世界であると考えています。>>
372 :初心者:2013/02/01(金) 11:19:38 << 「感謝の思いが病を癒す」。これを真理としてよいのでしょうか。わたしにとっての真理とは、そこで起きていることではなく、それを起こしている仕組みをいいます。真理とは仕組みです。感謝の思いを起こすことで病気が治るとすれば、治ることが真理ではなく、治している仕組みこそが、わたしにとっての真理なのです。「神の理念が天下る」といっても、これはわたしにとっての真理ではありません。神の理念が天下るその仕組みこそが真理なのです。「実相があらわれる」といったところで、これもわたしにとっての真理ではありません。実相があらわれる仕組み。これこそがわたしにとっての真理なのです。>>
374 :初心者:2013/02/01(金) 12:35:32 << 天下る仕組みについてはどうかといえば、霊的把握や直観把握はほとんど役だっていないというのが現状ではないかという気がいたします。仕組みについては、明確にはなにも語られていないというのが、役だっていないことの証拠であると考えます。仕組みは解明するものであって、けっして信じるものではありません。誰にたいしても「信が第一」といっている人は、内容と仕組みを混同して区別できていない人、という気がいたします。こうしたことが区別できずに混同されるとき、自分とちがう相手を「人間知」と罵倒し、「虚説」として排除しようとする欲求が生じるものと理解いたします。>>
2246 :初心者:2013/02/01(金) 13:13:31 << 実相哲学の本質とは、神がいったんは完全な人間を創っておきながら、なぜ迷う方向に人間を仕向けたか、ということにあるとわたしは考えますが、いかがお考えですか? 完全なる実相世界を創っておきながら、神はなぜそれで終わりにされなかったのか、この謎を解くのが実相哲学の本質であるとわたしは考えます。 >>
2247 :初心者:2013/02/01(金) 13:29:37 << 神が人間を迷うようにと仕向けられたことには必然性があるとおもわれるので、このことがわたしにとってのただひとつの問題となっています。 >>
383 :初心者:2013/02/02(土) 12:32:19 << 言葉が現象をつくりだすという意味では、言葉が真理という現象をつくりだしているともいえます。>>
387 :初心者:2013/02/02(土) 20:20:28 << 生長の家は、いったいなにをなそうとしているのですか。まずはこれをはっきりさせましょう。俳優としての自分に、悲劇ではなく、気楽な演劇を演じさせたいということなのですか。それとも劇そのものをやめさせたいのですか。「すべては劇にすぎない」と悟りをひらいて、観客であることじたいをやめようとしている、ということなのですか。実相をあらわすということは、もとのひとつの世界にもどるということ以外に考えられませんから、そうすることで、せっかくこしらえた劇場を取り壊そうというのですか。世界を割ったのではなく、世界はたんに割れてしまっただけなのだから、もとにもどすのがよいことだと考えておられるということなのですか。いったいなにをなさろうとしておられるのですか。とにかくこれをはっきりさせてください。>>
399 :初心者:2013/02/03(日) 09:44:09 << 物質は単独では存在しえないということです。物質が存在するには、観測者が必要なのですね。観測者がいないところに物質は存在しないと考えます。つまり物質とは、観測者との差異なのですね。物質はない、というのであれば、意味もない、ということになります。>>
400 :初心者:2013/02/03(日) 10:40:43 << 差異がないということは、意味も物質もないということです。見るものと見られるものとの関係もないということです。もちろん自分もない、ということになります。自分とは他者との差異にほかならないからです。差異がすべてだとおもいます。差異こそがロゴスだとおもいます。しかし人間はこの差異に苦しみます。善と悪との差異、健康と病気との差異、平穏と不穏との差異、そしていうまでもなく、自分と他者との差異に苦しみます。苦しみを取り除くには、差異を取り除くしかありません。これを生長の家では、「差をとる」すなわち「悟ること」だと説いていますね。しかし差をとってしまえば、そこには意味も物質も体験も、なにもかもない世界があらわれるだけです。人々がのぞむ、光のみ、善のみ、幸福のみの世界とは、差異のない世界、すなわち意味も物質も体験もない世界以外にはありえないと考えます。つまり、光のみ、善のみ、幸福のみの世界の体験は、ほんらい的に不可能なのではないかということです。もしかりに、善のみの世界を体験できるとすれば、そもそも世界をふたつに割って差異をつくりだす必要はなかったと考えます。>>
21 :初心者:2013/02/04(月) 12:31:42 ID:JAEExi8g << 「相手の実相」、「自分の実相」との表現がありますが、実相にはそんなにいくつもの種類があるのですか?また、「実相を拝む」との表現がありますが、これでは「拝むもの」と「拝まれるもの」との相対の見におちいることになりはしないのでしょうか。主観と客観の区別を説くのが二元論である、というのがわたしの考えです。「自分の実相」と「相手の実相」があるとおもってしまうことじたいが、すでに迷いであり虚説ということになりはしないのでしょうか。>>
29 :初心者:2013/02/04(月) 23:39:32 ID:JAEExi8g << Aさんの実相、Bさんの実相、日本国の実相、アメリカ国の実相というように、いくつもの実相があるのかということです。>>
31 :初心者:2013/02/05(火) 11:12:30 ID:PnnRTxNs << Aさんの実相、Bさんの実相、Cさんの実相というものがあるとすれば、実相世界の地球にはいったいどれだけの実相人間が住んでいることになるのでしょう。70億ですか。100億ですか。1000億ですか。日本国の実相、アメリカの実相、ケニアの実相があるとすれば、実相世界には、いったい何カ国の実相があるのでしょう。200ですか、300ですか。実相世界の地球には、海もあれば大陸もあり、島だってあるはずです。実相の地球は、いったいどのような地形なのですか。現象の地球の地形とはちがったものであるはずですよね。実相の地球では、日本はどのあたりに位置しているのですか。やがては水没する運命にあるはずですの日本列島が、実相の日本の位置する場所とはおもえません。実相の日本は、実相の地球のどのあたりに位置しているのですか。実相の地球ではどのような政治がおこなわれているのですか。実相の貨幣は、どのように流通し、経済はどのように循環しているのですか。いずれにしても、以上のような世界は誰にでも想像できるものであり、その想像はあまりにも常識的なものでありすぎませんか。誰にでも簡単に想像できてしまえる世界、それが実相世界であるとするなら、いったいなにを悟ればよいということになるのでしょう。 >>
2371 :初心者:2013/02/13(水) 10:40:08 << あちらの掲示板はアホのあつまりか。「生長の家は無力だ」というのは、「これまでの生長の家は、貧・病・争の問題解決をのぞけば、ほかはあまりにも無力だった」ということだろうが。現状認識をしっかりせえといっとるんや。80年たって振り返ってみれば、生長の家はなんにも実現できとらんというのはたしかな話やろう。じっさい無力なんや。おのれの無力さ加減をしっかりと自覚したうえで、どうすれば再建できるかを考えろといっとるんや。おのれの全能感に立脚した運動は、当然のごとく失敗したっちゅうことや。>>
150 :初心者:2013/02/14(木) 23:25:52 ID:4YcI.wfQ << 生長の家の唯神実相論は、ガチのプラトン主義と新プラトン主義がともどもに取り入れられているとしかおもえないので、わたしには理解できない哲学思想です。>>
709 :初心者:2011/11/09(水) 11:02:41 ID:hogyfr1M << みなさま方は、真理と救済のちがいがわかりますか。信じたいものだけを受け入れて、信じたくないものは排除する。これが救済です。信じたくないものも受け入れる。これが真理です。人類史的観点から、宗教は失敗である、と主張しつづけております。>>
642 :初心者:2011/11/07(月) 18:20:33 << この掲示板にもたしかにいますね。何をいっても言葉がつうじない人。自分のいいたいことだけをいいづける人。いましたよ、青年会にも。まるで 社会病質者のような人でした。こういう人を、宗教はつくりだしてしまうんですね。『生命の實相』を読んで、こういう人間ができてしまうんですよ。救済を必要とした、人類の失敗の象徴ですよ。わかっている人は、たぶん大勢いる。言葉のつうじない人には、永久にわからない。 >>
2024 :初心者:2013/01/25(金) 14:21:19 << 「世界に冠たる天皇国日本」を、他民族にではなく自国民に知らしめようというのが、この国の民族主義のおもなポジショニングであるはずです。これはいってみれば、日本版中華思想とでも呼ぶべき思想であるはずですが、こうした思想が出てきた背景には、「日本は悪い国だ」と言いつのるのが日本の戦後社会の一種の流行となったことへの対抗意識があると考えられますね。この国の民族主義が戦後の流行にたいする対抗措置の域を出ていないとすれば、戦後の流行が消え去ったあかつきには、その存在意義までもが問われることとなるでありましょうね。>>
2051 :初心者:2013/01/26(土) 15:27:34 << 国家とはなにか、ということですね。生長の家では、まず理念があって、その結果として現象としての国家があらわれているとみなしているということでしょう。生長の家は、「国家はない」と考えているのではなく、ある理念が国家として結実しているのだと考えているということですね。すると、その理念とはなんなのかということが問題になります。はたして国家の理念とはなんなのでしょう。現象的にみれば、国家は分かつ働きをしていますね。雅春先生は、「実相世界にも国境がある」といわれたということですが、国境という線を引いてこちらとあちらとを分ける働きをしているのが国家ということになるはずです。>>
2114 :初心者:2013/01/27(日) 12:32:35 << 国家の理念にかんして、ひとつの問題点をいいましょう。現象的にあらわれた国家は、はたして本当に理念のあらわれといえるのか、ということですね。>>
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<総括>
繰り返すようではありますが、このような実に沢山の「初心者」なる人物の投稿文から考えて見ますと、「初心者」は、――
@ 開祖・谷口雅春先生の『御教え』を徹底的に批判すると共に、その『御教え』を凌駕する理論を科学的見地から完成させて、開祖・谷口雅春先生を凌駕したいという心が読み取れるのであります。
A この人物の深層意識には、バサラ的感覚(破壊と蕩尽)が渦巻いていることがわかるのであります。
B とにかく、この人物は、「生長の家」の教えがキライでキライでたまらないのです。だから、この様な膨大な書き込みをして憂さ晴らしをしているわけであります。
C この人物は、ギリギリの深刻な人生問題に遭遇し、それを「生長の家」の『御教え』で解決した自らの生命体験を持ってはいないのであります。
D そのくせ、自己主張が強く、議論と理屈好きの学者的知識をひけらかす人物、かつ、引き籠もり型の評論好きな人物であります。
この様な性格の人物が、何故わざわざ掲示板に出てきてまで、大量の書き込みをする必要が在りましょうか? 「生長の家」の教えがイヤなら、「生長の家」と関ることをしなかったらよいだけのことなのです。
しかしこの人物は執拗に『御教え』批判を続ける異常性格者であります。何か、開祖・谷口雅春先生に対する悪感情(怨念的な感情)を懐いて居ると考えざるを得ないのであります。
このように考えて抽出される具体的人物は「マサノブ君」という事になります。客観的に観察すれば、「マサノブ君」はこの「初心者」の言っていることを過去から現在に亘ってその通りに実践してきていることが解るのであります。
そして遂に「シャーマン雅宣教」として「森の中のオフィス」として、さらに非公開の「聖なる館」での“偉大なるシャーマン”(注:自認だけ!)として君臨して“地球環境保護”という一見綺麗に見える傘をさしながら、その実、開祖・谷口雅春先生御創始の「生長の家」を抹殺する“破壊と蕩尽”の霊波を常に受け、その方向へ生長の家教団を運転して言っているのであります。
それが上記一連の「初心者」の投稿文に表わされているのであります。今や、暗黒霊界との霊的交通により導かれ行く教団は、第二のオームへの道を歩んで行きつつあります。全信徒の皆さんは、信じがたいようではありますが、此処のところをシッカリと把握する必要があるのであります。
われわれ「正統・生長の家」復活促進側の主張、「総裁更迭」・「大政奉還」・「マサノブ君の教団外退去」が正当性をもつ考え方である事が御理解いただけたと思うしだいであります。
マサノブ君個人がどのような思想や考え方を持とうが自由であります。われわれがクレームをつけているのは、「生長の家」という看板を離さないで、開祖・谷口雅春先生の『御教え』に反逆する個人的思想を、「総裁」と言う肩書きの下で、臆面もなく「・・・生長の家ではこのように考えているのです、教えているのです。」と言う点にクレームをつけているのであります。
そしてその理由を“時代即応”という言葉で「時代の変化と共に宗教も自己変革を遂げなければ時代から取残されれて行くのである」と純朴な信徒の皆さんを洗脳して行っている点にクレームをつけているのであります。
このようなことでありますから、マサノブ君が現下の自身をめぐる情勢を静かに眺め、教団の最高責任者として引責自認し、独立して貰えればわれわれは以後に於いては何のクレ−ムもつけないのであります。
今回の“シャーマン雅宣”に関する一連の考察によって、
@ 何故、マサノブ君が周囲の意見・諌言を全く聞かずに暴走を続け、更に益々スピードアップを図って行くのか?
A マサノブ君は「地球環境の保護改善」という立派な目標を掲げ「森のオフィス」なるものを完成させたにもかかわらず、その表情は暗く青ざめ、足許すらも時にはおぼつかない状態を呈することもあるのは何故なのか?
B 客観的に見るならば、マサノブ君は、明らかなる「開祖反逆」を続けながら、一片の反省心もなく、堂々と自己主張を貫き通す尋常ならざるパワーの湧き出てくる源泉は一体どこに有るのであろうか?
この様な、常識では解決できない大きな疑問の根因に迫ることができ、「本流」復活運動を大きく前進させることができたことはありがたいことであります。最後に、この問題の解明に勇気をもって取り組んで頂いた「志恩」さま、「コスモス」さま、「マリーゴールド」さまに深く感謝申し上げる次第でございます。本当にありがとうございました。 再合掌
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追加:「初心者=マサノブ君」による開祖・谷口雅春先生『御教え』批判の投稿文 (2027) |
- 日時:2013年09月17日 (火) 08時31分
名前:画龍点睛
「初心者=マサノブ君」による開祖・谷口雅春先生『御教え』批判の投稿文を追加させて頂きます。
これを読むと、「初心者=マサノブ君」が、如何に『生命の實相』を真剣な気持で読んでいないかが証明できるものばかりであります。この様な人物が「私は生長の家の信者(総裁)であります」とは決して言えないのであります。
その理由は、「初心者=マサノブ君」が、自分自身の深刻な切羽詰った人生問題に遭遇し、『御教え』(真理)によってそれを解決し、乗り越えた生命的経験がないためであり、そのために『生命の實相』を、その切羽つまった深刻な問題を“背水の陣”をしいて解決しようとして、海綿が水を吸うが如く真剣に読んではいないからであります。
「初心者=マサノブ君」は、『生命の實相』を“いのち”で読もうとせず、肉体頭脳で、一つの哲学書を読んで新しい知識を得ようとしたか、どこかに間違っている個所は無いか?と言う目で読んだのである事だけは確かであります。だから、以下のような本来の『御教え』批判投稿をなしているのであります。
「この人は『生命の實相』を“生命(いのち)を掛けて読んでいないなあ」、「よくもこんな的ハズレのことが書けたものだ!」、「難解な言葉だけは知っているが、全くの理屈こねに過ぎぬ人物!」というのが「初心者=マサノブ君」の人物評価であります。
全くマサノブ君には、『御教え』の後継者(嗣法者)の資格など微塵も無いのであります。本当に、哀れにさえ思うものであります。
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18 :初心者:2012/07/27(金) 12:46:27 けっきょく生長の家は何を実現したのだ?言ってみな。 24 :初心者:2012/07/27(金) 20:19:29 本物の宇宙は宇宙の歴史そのものでありますので、はるかに偉大といえますね。
27 :初心者:2012/07/27(金) 20:49:29 トップが呼びかけて生長の家の会員が愛他の行に出ればいじめは減る? 歴代のトップは何を呼びかけて何を実現してきたのでしょうか。 32 :初心者:2012/07/27(金) 21:08:46 宇宙の全歴史が記録されているといわれるアカシックレコードは、それが実在するとすれば本物の宇宙の機能のひとつといえるでしょうね。本物の宇宙にいくつかの機能があるとすれば、「実相独在」が本物の宇宙によってつくり出されたヴィジョンである可能性が出てきます。「実相独在」のヴィジョンは人類の願望が投影されたものである可能性も考えなくてはならないでしょう。
35 :初心者:2012/07/27(金) 21:29:26 雅春先生の教えは当時としては斬新なものがあったといえるでありましょう。現在はどうでしょう。似たような発想はニューエイジやスピリチュアルや科学の分野ですでに十分に語りつくされ陳腐化したものと考えております。雅春先生の教えが通用したのは一時的な現象であり、現代においては、呼びかけの効果はほとんど期待できないものと考えます。
58 :初心者:2012/07/28(土) 20:58:08 >>56 あれが、日頃わたくしどもの発想を「人間知」とさげすんでおられる方々の発想の限界なのでしょうか。ああいう人たちは、日頃は具体的なことは何も発言なさらずに、「実相覚」の持ち主であることをそれとなくにおわせておられますが、何かを語ればかならず馬脚をあらわす人々でもあるようです。
117 :初心者:2012/07/29(日) 16:19:16 「人間知」と人をさげすまれるのであれば、人間知よりもすぐれたものを何かひとつでも見せてごらん、といっておるのでありますよ。ツベコベいっとらんと、「実相覚」とやらを見せてごらん。得意になって、無意味なほどに低レベルな文言を連発しておられる「あなた様」にいっております。 72 :初心者:2012/07/30(月) 16:55:35 これからの人類が求められるのは、各個人が、悟りにいたるルートを何本も持つことではないかと考えます。悟りの方法を誰もが自在にコントロールできる。これが人類にとってのひとつの理想と考えます。生長の家では、残念なことに1本のルートしか示されていないように感じます。生長の家によって示されたルートを織り込んだ上で別のルートを開拓しようとすると、「人間知」とかならず揶揄されるのが、生長の家では1本のルートしか用意されていないことの証拠になるかと存じます。それがたとえ人間知に見えようとも、いやそうやって否定されるからこそ、その先には未開拓のルートがあるものと確信いたします。
78 :初心者:2012/07/30(月) 21:00:59 ふつう悟りを開いた人は、自分のは実相覚でお前のは人間知だとかは言わんでしょう。それとも、雅春先生は、悟ってない人を相手に、自分のは実相覚であなたのは人間知だと言っておられたのでしょうか。実相覚だ、人間知だといっているあいだは、ロゴス中心主義の二項対立のワナにおちいっているのはあきらかであり、悟りとはほど遠いことを知るべしですな。
81 :初心者:2012/07/31(火) 00:31:02 雅春先生は悟りの大安売りをしてしまわれたようです。悟りの大バーゲンセールで、凡庸な人物をして覚者と思い込ませるがごとき結果を招き寄せてしまわれたようです。
114 :初心者:2012/08/01(水) 10:57:16 絶対的信を確立するとは、世界にたいする見方や解釈の仕方を、ただひとつの見方や解釈に固定するってことのようですね。固定された見方や解釈だけで世界を理解しようとするってことのようです。はたしてこれで、ほんとうにうまく行くのでしょうか。絶対的信を確立した人が理解できる範囲は格段にせばまるはずです。とうぜんのことに、理解できない部分の比重は大きくなります。信を確立した人は、自分が理解できる範囲を「実相覚」と呼び、それ以外の理解できない部分を「人間知」と呼んでカテゴリー化することで、理解できる範囲のせまさを正当化しているようにもおもえます。
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最後に、『生命の實相』から開祖・谷口雅春先生の次の御文章を転載させて頂きます。
<< ・・・生長の家は実に『久遠を流るるいのち』の所有(もの)である。私はそれを本当に信じているのであるし、そうであってこそ生長の家には、ただ書を読むだけによって病気が治るというが如き奇蹟すらも生じて来るのである。なぜなら、斯くてこそ生長の家の発行書を読むことによって、『谷口』と言う私の<いのち>に触れるのではなく『久遠を流るるいのち』に触れることになるからである。・・・
・・・『生命の実相』の著者は本当は『久遠を流るるいのち』なのである。釈迦も『久遠を流るるいのち』を把握したし、キリストも『久遠を流るるいのち』を把握したのである。そのほか空海、最澄、親鸞、日蓮もすべて『久遠を流るるいのち』を把握したのであろう。
・・・結局、語学や経典によって釈迦の教えを研究しようなどと言う企ては、暗中模索の靴を隔てて痒きを掻くに類する努力であって、それはいつまでも語学の世界と考証の世界に堂々巡りしていて、その教えの堂奥に飛び込むことは出来ないのである。本当に<さとり>の世界へ飛び込もうと思うものは、語学や考証の世界を一躍して『久遠を流るる<いのち>としての釈迦』そのものの中に飛び込まなければならないのである。
伊藤道海禅師が『生命の実相』を読んで見て、『言々すべて仏の教えである』と雑誌『宇宙』で評したのは当然のことなのである。『仏とは久遠を流るるいのち』の表現なのである。私は始めから『私は生長の家の教組ではない。私は諸君と共に「生長の家」の教えを聴聞してひたすら、其の如くい生きんと努力せる一人の求道者に過ぎない・・』・・・・
私は釈迦・キリストがそうであったろうところの『久遠を流るるいのち』に触れん事をつとめ、斯くつとめつつ、『久遠を流るるいにち』の啓示を『生命の実相』に書き止めたのであるだから『生命の実相』の本当の著者は谷口と言う、何時にか生まれて何時かは死滅し了まうような儚い人間が書いたのではない。その著者は『久遠を流るるいのち』である。私はただ『久遠を流るるいのち』の流出口となったに過ぎないのである。
真理は霊的に理会することが必要です。頭で真理を理会するということは、真理の周囲を堂々巡りして真理の外的な姿を知るに過ぎません。霊的に真理を理会するということは、「生命の実相」そのものに全身全霊をもって貫き入り力の本源をつかむ事、黙読する・朗読する・目で読み・声で読み・声のリズムの中に自分を溶かし込んで読む、そして静かに端坐して「神想観」を行じ、行じ終わって動き出すとき神(愛)の生活を活きる。かくする時、知恵と愛との揃った生活が実現する。>> 再合掌
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納得できました (2034) |
- 日時:2013年09月18日 (水) 14時09分
名前:薔薇の花
今回の連載を読ませていただきまして、雅宣さんが一切他の人からの意見や諫言を受け入れない人であって、この鉄のような意思がどこからきているかが納得できました。また、多くの信徒さんが見られている雅宣さんの体調不良、にもかかわらず益々強い意志で暴走することもこの“シャーマン”現象にある事も納得しました。これ以上の原因は見当たらないと思います。しかし、オームのようなカルト宗教へ向かっているとは恐ろしいことです。掲示板でドンドン追求いたしましょう! 私たち末端信徒としてはこれぐらいのことしか出来ませんが・・・
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