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谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の壱

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[722] 『 生長の家 』昭和26年5月号法語(1)〜(31)【完】
明鏡 - 2013年12月01日 (日) 23時05分



『 生長の家 』 昭和26年5月号 法 語 谷口雅春 大聖師



一日の法語 祈りは父子相互の霊交である

二日の法語 祈りには心境が変ることを先ず願え

三日の法語 先ず 「 内 」 なる宝を発見せよ

四日の法語 真に神のパイプとなるには

五日の法語 実相は金剛不壊完全である

六日の法語 真の正しき祈りとは

七日の法語 困難な時ほど 「 神の子 」 を自覚せよ

八日の法語 困難を克服する言葉

九日の法語 勝利者としての確信

十日の法語 先ず人生観を変えよ


十一日の法語 神に対して心を調節せよ

十二日の法語 神の愛を 「 自己 」 を通して表現せよ

十三日の法語 如何なる時にも相手の内に 「 愛 」 の心を見よ

十四日の法語 如何なる場合にも相手の仏性を見よ

十五日の法語 人を審判(さば)く心なかれ

十六日の法語 先ず神の智慧に導きを願えよ

十七日の法語 心を明るく持てよ

十八日の法語 何が神の導きかの判断について

十九日の法語 祈りは内在の神を展開する

二十日の法語 周囲の人々を完全にするには


二十一日の法語 みずから神を拒むな

二十二日の法語 想念の波動で世界を平和に

二十三日の法語 人類互に拝み合え

二十四日の法語 相手と調和するには

二十五日の法語 心の幸福が本当の幸福

二十六日の法語 外界の事物は素材に過ぎぬ

二十七日の法語 与えられたる仕事を拒むな

二十八日の法語 人を赦すには斯う考えよ

二十九日の法語 自然療能力を呼び出すには

  三十日の法語 現象は結果に過ぎない

三十一日の法語 光のみの世界を観るには





[723] 一日の法語 祈りは父子相互の霊交である
明鏡 - 2013年12月01日 (日) 23時24分



祈りは、吾が内在の神が、宇宙の大神に近づくところの道である。

即ち「神の子」が「親様」へ霊交するところの方法であるのである。


祈りによって、神の感情を和(やわ)らげ、神から御利益(ごりやく)を

懇請し得るのだと思ってはならないのである。


祈りによって吾々の魂が神に振向けられ、

自分の魂の波長が神に志向することによって神の波長に同化されて来、

神を変化するのではなく、自分の心境が変化せしめられ、

それによって心の法則に随(したが)って、現象的御利益もあらわれて来るのである。


神を説き服(ふ)せ、甘言(かんげん)によって誘惑して、

神を動かし神から御利益を得ようと思ってはならない。




[724] 二日の法語 祈りには心境が変ることを先(ま)ず願え
明鏡 - 2013年12月02日 (月) 17時38分



自分の心境だけの御蔭を頂くのである。神を拝みたおしても駄目である。

と云っても神に祈るなと云うことではないのである。


神に祈ればその間だけでも、神の方へ心が振向けられ、

自分の心が感化せられる、それこそが真の御利益である。


心境さえ変われば、心の法則によって物質的御利益は自然にあらわれるのであるから、

寧(むし)ろ、物質的なものを心に描いてそれに心を集注するよりは、

「 神よ、みこころの如くならしめ給え 」 と神の方へ心を振向けることを

専(もっぱ)らにする方が、心境の変化のためには一層よいのである。


神想観の実相・無限智・無限愛・無限生命の世界を心に描く祈りは

この意味で最もよいのである。




[725] 三日の法語 先ず 「 内 」 なる宝を発見せよ
明鏡 - 2013年12月03日 (火) 16時38分



吾々は自己が神の子として、自己の内に与えられている力を自覚することを

先ず目標としなければならない。


外の宝を求めるよりも、先ず自分の内にある 「 宝 」 を発見することを

先にしなければならない。


外の力に頼るな。先ず自分を発見せよ。

自分の内の力を発見したら 先ずその力を働かせることが必要である。


祈っただけで何もしないでいることは、電気の存在を知っただけで、

発電装置も作らず、スイッチを入れないのと同じことである。


それでは、電気は存在すれども何の効果もあらわさないのと同じように、

神は存在すれども何の効果もあらわれないのである。




[726] 四日の法語 真に神のパイプとなるには
明鏡 - 2013年12月04日 (水) 13時19分



自然現象のほかは、神は人間を通してその働きをあらわし給うのである。

人間が神のよきパイプとなり、よき道具となることが必要なのである。


自己を空(むな)しくしての祈りは人間をして神のよきパイプとなることを可能ならしめ、

神の完全なる表現としての人間を完成することになるのである。


人間を通して神は自己実現したまうのであるから、人間が働かないで

行動しないでただ祈るばかりでは役に立たないのは明らかである。


祈りによって神の御心(みこころ)と同調し、行動の方向が決定せられ、

その決定せられた方向に行動をとることによって、その人は本当に神のパイプとなり、

神の自己実現となるのである。




[727] 五日の法語 実相は金剛不壊完全である
明鏡 - 2013年12月05日 (木) 16時02分



現象は遷(うつ)り変るが、実相は金剛不壊(ふえ)の存在である。

実相は神によって造られ、神によってその存在が保たれているのであるから、

それが決して肉眼に見えなくとも滅するものではないのである。


遷り変る現象の不完全さに心を奪われて、

その奥にある真実在( 実相 )の完全さを見失ってはならない。


吾々は真実在の完全さを時々見つめるために神想観をするのである。

即ち 現象の不完全さ(五官の世界)に眼(め)を瞑(と)じて、

神の無限の智慧、無限の愛、無限の生命、無限の供給、無限の歓喜(よろこび)、

無限の調和の満つる世界を心の眼で凝視するのである。

凝視が完全であれば 現象にも その完全さが現われる。





[728] 六日の法語 真の正しき祈りとは
明鏡 - 2013年12月06日 (金) 16時15分



神想観は、実相観であり、実相において全てのものが既に与えられていることを

確認し肯定するため強き祈りであり、不足するものを認めて懇願するような祈りでは

ないのである。


既にこの世界は完全であり、この人間は完全であることを確認し、

ほめ讃(たた)え、感謝する祈りである。


現在、不完全な世界が与えられていることを認め、神に懇請することによって、

神がこれを修正し給うなどと考えるのは神を侮辱するものである。


現象の不完全さは、実相を受信する「人間、ラジオセット」の心の波の不完全さで、

色々のものを混信しているからで、吾が心を調べれば不完全さは消えるのである。




[729] 七日の法語 困難な時ほど 「 神の子 」 を自覚せよ
明鏡 - 2013年12月07日 (土) 17時27分



困難が来たときに其の人の信仰がテストされるのである。

困難が来ぬときに 「 人間、神の子 」 と豪語するのは容易(たやす)いことで

あるけれども、実際、解決し難き困難、普通では癒えがたき病気に直面したとき

其の人の信仰がどの程度のものであるかがわかるのである。


かかる場合、信仰うすきものは平素の 「 神の子 」 の自覚は何処(どこ)へやら、

現象の困難の前に屈従してしまうのである。


そんなときに言葉の力によって自己が神の子であることを強調し、

「 吾れは神の子であり、神の愛に強く支えられているから 如何(いか)なる困難をも

克服し得るのである。神よあなたの愛に感謝いたします 」 と

繰返し念ずることは信仰を更に強め困難を乗り切る力を与えるのである。




[730] 八日の法語  困難を克服する言葉
明鏡 - 2013年12月08日 (日) 16時25分



困難に面したときは 次の如(ごと)く念ずるが好い。


「 吾は一切のものの創造主(つくりぬし)にましまし、吾が父にまします神が

常に吾れを護(まも)り給(たま)うことを知るのである。


神の愛は われを取巻き、わが内にも外にも行きわたりて我を護りたまうがゆえに

われは常に健康であり、われは常に幸福であり、わが事は必ず成就するのである。


困難と見え、病気と見えるのは仮想であって本当の相(すがた)ではないのである。


吾れは神の創造(つく)りたまいし 此(こ)の世界が常に善に、永遠に善であり、

常に調和していることを知るのである。


されば吾れに敵対する者は 何一つあり得ないのである。 」





[731] 九日の法語 勝利者としての確信
明鏡 - 2013年12月09日 (月) 17時29分




「 われ常に人生に於いて勝利す 」 と云うのが我らの標語でなければならないのである。

一切の困難と見ゆるものは、真に困難なのではなく、

我々の力を鍛錬して高め上げるための運動競技の道具である。


吾々はその運動競技の道具を跳び超えることによって内在する 「 神の子 」 の力を

より一層多く発揮することが出来るのである。


具体的な勝利は、勝利の確信の具象化であるのである。

勝利の確信なくして勝利したるものはないのである。


神はわが生命(いのち)であり、わが内に神いまして、わが事業を導きたまい、

わが肉体の健康を維持したまうのである。

これを信ずるとき 如何なる病いも如何なる不幸も我を害することは出来ない。






[732] 十日の法語 先ず人生観を変えよ
明鏡 - 2013年12月10日 (火) 17時55分



人生が思うようにならないとか、健康が思うようにならないとか云うものは、

自己の想念を変化し、自己の人生観を変化し、

生活感情全体が変化しなければならないのである。


先ず自己が神の子であることを信じ、神の全能の力がわが内に宿っていることを信じ、

神の創造り給える環境が常に自分に対して微笑(ほほえ)みかけていて下さることを信じ、

楽観的な気持をもって、自己内在の力を出来るだけ出すようにするならば、

事業に於いては新しき機会が、健康に於いては新しき活力が、おのずから目覚めて来って、

輝かしい成功と健康とを実現することが出来るのである。





[733] 十一日の法語 神に対して心を調節せよ
明鏡 - 2013年12月11日 (水) 16時33分




何事が起って来ても恐怖の旋風の中に巻き込まれる必要はないのである。

神は吾らの父であり給い、神は愛であり給うから、

どんな時にも、神を呼べば神は必ず護っていたまうのである。


神は、どんな不調和の中にも調和を、争いの中にも平和を、病気と見ゆるものの中にも

健康を打ち立て給うことが出来るのである。


併(しか)しそれが現実にあらわれるには、ラジオのように心の波長を合わすことが

必要である。常に、自分の心を神に向って調節せよ。


暇ある毎に五分間でも三分間でも利用して、眼をつぶり、

「 自分は神と一体である。神は愛であるから、自分は常に神の愛に護られている 」 と

暫時(ざんじ)思念することは、心の調律に大変よい。






[734] 十二日の法語 神の愛を 「 自己 」 を通して表現せよ
明鏡 - 2013年12月12日 (木) 18時38分



周囲の人々が自分に対して悪意を抱いているように見えるときには、

自分の方が周囲の人々に好意をもっていないか、冷淡であるか、敵意をもっているか、

恐怖心をもっているかが、相手に映って、そう現れるのである。


あなた自身が、  「 自己の内に神の愛が流れ入りて、私と云うパイプを通して

神が彼等を愛し給うのである  」   と念じて、


自由に神の愛の言葉を、そして行為をあなたを通して周囲に注ぎかけるならば、

そのような敵意も恐怖も消えて周囲全体が調和ある状態に変化するのである。


どんな困難な事態でも、真に神の愛が貴方(あなた)を通して実現するならば、

調和が現れるほかはないのである。




[737] 十三日の法語 如何なる時にも相手の内に 「 愛 」 の心を見よ
明鏡 - 2013年12月13日 (金) 17時45分



真に幸福なる生活を送ろうと思うならば、周囲の人々に対して絶対調和した心持で

いなければならないのである。


周囲の人々に怒りや憎みや恐怖の感情をもっている限りは、

物質的に幾ら豊かな生活を送っていても其人(そのひと)は幸福だと云うことは

出来ないのである。


誰でも愛されたいのに、その相手がこちらを憎んでいるのは、

こちらが相手を愛してあげようが足りないからである。


憎みの言葉を相手がこちらに投げかけても、実はその人は

「 私はあなたに愛されたいのに、愛してくれないから、私は止むを得ず、

やけくそに貴方に意地悪をするのよ 」 と心の中では言っているのである。






[741] 十四日の法語 如何なる場合にも相手の仏性を見よ
明鏡 - 2013年12月14日 (土) 11時09分




人の表面の言葉や、行いで、其の人の愛を疑ってはならない。

現象を見て人を審判(さば)いてはならないのである。

どんな人にも仏性が宿っており、キリストが宿っているのである。


たとい誰かがあなたの感情を害することを云おうとも、また行おうとも、

相手に対して憤りの感情を起すよりも、

「 あの人が幸福になりますように 」 とか、

「 あの人の“ 神の子 ”さんがあらわれますように 」 とか祈ってやる気持になる方が、

自分の心に平和と幸福とが訪れて来るのである。


そして終(つい)には相手を感化して、真に相手を深切な人に化することが

出来るのである。特に自分に病気のある場合は人を憎んではならないのである。






[747] 十五日の法語 人を審判(さば)く心なかれ
明鏡 - 2013年12月15日 (日) 21時27分



外見にあらわれている悪(病気、悪意、不調和等)を

存在すると思ってはならないのである。


それは実在するのではなく、「あらわれ」ているに過ぎないのである。

「あらわれ」と云うものは相対的関係で、そう見えるに過ぎないのである。

こちらの心が変われば「あらわれ」は変化して見えるのである。


あらゆる病気、不調和、悪意などは、神が創造らないのであるから、

真に存在するものではないのである。


現象(あらわれ)を見て心がひっかかってはならない。


人を審判く心は、痛みや、狭窄(きょうさく)や、胃潰瘍や、出血性の病気や、

高血圧病の原因である。






[754] 十六日の法語 先ず神の智慧に導きを願えよ
明鏡 - 2013年12月16日 (月) 17時57分



一日の仕事を始むる前に、神に導きを求めてその仕事を行うようにすることは、

よき仕事を行う上に是非とも必要なことであるのである。


「 神の智慧 流れ入りて わが仕事を運ぶ道を導き給う 」 と時々瞑目して心に念じ、

神の智慧に常に接触しながら仕事を運ぶようにすると失敗はないのである。


神の智慧に接触するには、決して複雑、多言の祈りの言葉を要するものではないのである。

神の智慧に振り向いて、「神よ」又は「父よ」と称えて心が平和に本当に落着いて、

神の心と波長が合えばよいのである。

又、時々「日々読誦三十章経」をひらいて、その思念の言葉を念ずるも好い。




[755] 十七日の法語 心を明るく持てよ
明鏡 - 2013年12月17日 (火) 18時06分



心の明るさと云うことが第一に必要である。

神に祈って効果がない場合、概(おおむ)ねその人に心の明るさが欠乏している場合が

多いのである。


神は光であるから、神の波長に合うためには先(ま)ず明るい心が必要である。

すべての恐怖や心配や取越苦労などを“かなぐり”捨てて、

神に全的にまか切ることが必要である。


「 私は朗らかである。私は神の子であるから、親様なる神が 私のすべての事を

見戍(みまも)り給うから、私は神にすべてをまかせて、心平和である。

すべての事は必ずよく成就するのである。」と時々、眼を瞑(つぶ)って念ずるようにし、

心の平和と朗らかさとを回復するがよいのである。





[756] 十八日の法語 何が神の導きかの判断について
明鏡 - 2013年12月18日 (水) 18時21分



心に催して来ることが神の導きか、我の導きかどちらかであるかと云うことを

決定する標準と云うものがあろうかと問われることがある。


何でも自分の心に催して来ることが神の導きだと

思えば大変な間違いを演ずるかも知れない。


神の導きは、神の利己主義ではないから、

自他一体の幸福になるような願いは神の導きなのである。


自分の願いは

利己主義でないか、

愛にかなうか、

他に迷惑を及ぼさないか、

自己欺瞞(ぎまん)ではないか、

向上の道にかなうか、

反動的感情にかられていないか、

冷静な判断に因(もとづ)くものか ― 


若(も)しこれらの反省によって正しいと考えられるものは神の導きと考えて好(よ)い。





[758] 十九日の法語 祈りは内在の神を展開する
明鏡 - 2013年12月19日 (木) 21時34分



祈りの効果と云うものは、神を説得によって感動せしめるのではなく、

祈りの深まることによって、神われと共にあり、神われに来りたまいて、

われを通して働き給うていると言う自覚が深まると云うことである。


この自覚の深まるに従って、内在無限の神性が展開し出(い)で何事も順調に行われるよう

になり、身体に於いては内在無限の自然療能力が発現して、病気も速やかに癒(い)えるの

である。


自分を圧倒するような困難、迚(とて)も助からぬと云うような病気 ― こんな時には、

暫(しばら)く人間的思慮を止(や)め、神の前に跪(ひざまづ)いて神のはからいの前に

全自己を投げ出すべきだ。其(そ)の時、「我(が)」の障礙(しょうげ)が消え、

神の力が発現するのである。




[759] 二十日の法語 周囲の人々を完全にするには
明鏡 - 2013年12月20日 (金) 08時27分



あなたの家族や周囲の者が不愉快な習慣や癖(くせ)をもっているからと言って、

それを直せと云って忠告することが却って反抗心を唆(そそ)って直すのに邪魔になる場合

がある。そう云う場合には神にそれを委ねる方が好いのである。


神は全能であり、神の支配下に全然それが委(ゆだ)ねられる時、

人間の我が偏りによってあらわれていた一切の悪習慣が消えるのである。


相手を、審判(さば)く心や、批難(ひなん)する心で眺めることを止め、

相手が如何(いか)に肉眼に見えようとも、悪しき姿は自分の妄想の描いた虚像であると

して否定し、


「 既に彼は神の子で、神の支配下にあるのであるから、神の像(すがた)そのままに完全

円満である 」


として心の底深く礼拝するのである。





[761] 二十一日の法語 みずから神を拒むな
明鏡 - 2013年12月20日 (金) 16時58分




神は幸福の源泉であり、人間に幸福を与うることを悦び給うのであって、

決して人間に不幸や貧乏や病気を与え給うのではないのである。


不幸や貧乏や病気は、吾々が勝手に神を拒んだ結果に過ぎないのである。

神は幸福の源泉であるけれども、人間に完全なる自由を与え給うていられるのであるから、

それを拒む場合には幸福を強制し給うことはないから、

自己選択によって不幸や病気や貧乏があらわれて来るのである。


それは写真師が焼付の時間を選択することによって、呆(ぼ)けた調子の写真でも、ドギツ

イ調子の写真でも、完全な写真でも造り出し得るようなものである。




[762] 二十二日の法語 想念の波動で世界を平和に
明鏡 - 2013年12月22日 (日) 12時42分



世界の現状は、個人的肉体人間の姿を現していて、雑誌や講演で説教しているだけでは

どうにもならないような行き詰りの状態をあらわしている。


肉の殻を脱してもっと自由自在の状態になり、霊界から強力な精神波動を送ることによっ

て、全人類の想念感情を正しき方向に向けかえない限り、全人類は、平和と幸福とを希望し

ながら、却(かえ)って不幸と擾乱(じょうらん)の方へ巻き込まれそうである。


「 生命の實相 」 第五巻霊界篇には、欧州大戦に於いて白色高級霊(ホワイトスピリッ

ト)が強力な平和の霊波を送って、人類の不幸を押し返したと云うことが書かれている。


押し返すときに押し返さなければ人類の不幸は益々(ますます)加わるばかりである。





[763] 二十三日の法語 人類互に拝み合え
明鏡 - 2013年12月23日 (月) 09時13分




何故(なぜ)、人類が幸福と平和とを望みながら、不幸と擾乱とに巻き込まれて行くかと云

うと、互いに人間が神の子であることを本当に信じないからである。


互いが相手を悪意に満ちているのであり、こちらを害するに違いないと疑うがゆえに、

その疑う想念の具象化として相手は益々悪しき状態にあらわれ、ついに重大なる結果を来す

のである。


現象を見て分析し、此処(ここ)に相手の悪があるとみとめて対応策を考えているような事

では駄目である。彼を悪であるとしてこちらが憎めば、相手もこちらを悪であるとして対抗

して来るのである。


人類全体が人間を神の子として互いに拝むようにならなければならぬ。






[764] 二十四日の法語 相手と調和するには
明鏡 - 2013年12月24日 (火) 18時51分



人間は根本的に「愛されたい」「認められたい」「理解されたい」のである。

愛されたいのに愛して貰(もら)えず、認められたいのに認めて貰えず、理解されたいのに

理解されない。そのもどかしさから、その反動から憎みが生ずるのである。


相手と調和したいと思うならば、相手をみとめてあげ、理解してあげ、而(しか)して愛し

てあげることによって相手と調和することが出来るのである。


愛されたい、認められたいのは、人間は決して「個人」ではなく、全体一つの生命であるか

らである。理解されたいのはすべての人には「善」なる神性が宿っておることを自覚してい

るのでそれを理解してほしいのである。




[765] 二十五日の法語 心の幸福が本当の幸福
明鏡 - 2013年12月25日 (水) 18時05分



この事さえ成就すれば私は屹度(きっと)幸福になれると思っている人が、

それが成就した後で幸福になれない実例は沢山ある。


胃病の人は胃が治れば幸福になれると思うが、

胃が治ったあとは又別なことを悩み出すのである。


あの女と結婚すれば幸福になれると思っていた人が結婚した後(のち)に毎日夫婦喧嘩(げ

んか)をして決して幸福でない実例もある。


これだけ富が出来たら屹度幸福だと思っていた人が、

それだけ富が出来たときに、社会的な色々複雑な問題が紛糾して幸福になれない人もある。


考えて見れば、幸福とは個々の事物にあるのではなく、其の人の心の状態にあるのである。

心の幸福な人は常に幸福な人である。




[782] 二十六日の法語 外界の事物は素材に過ぎぬ
明鏡 - 2013年12月26日 (木) 22時04分



外界の事物は吾々の幸福の素材になるに過ぎないので、その素材に対する心構えが間違って

おれば却(かえ)って不幸を来すのである。


素材を如何(いか)に取扱うかの心構えが大切である。

富めること必ずしも幸福ならず、富めるために却って悩み多き人もある。


然りと雖(いえど)も生長の家は「貧しさ」をまた礼讃するものでもないのである。

「貧しさ」が生じて来たのも、自己の心の反映であるから心を変化すれば、

富が生ずると云うのである。


ただ富の求めようが、「富が得られたら幸福になる」と「富」そのものを求めては幸福は

得られないのであって、先(ま)ず幸福な心持になり、富める心になって他に奉仕するとき

幸福も富も得らると説くのである。






[784] 二十七日の法語 与えられたる仕事を拒(こば)むな
明鏡 - 2013年12月27日 (金) 18時06分




何事でも自己に与えられたる仕事が、誰かにとって益を与うるものであるならば決して拒む

な。それが自己に不適当なる仕事であると思っても決して拒むな。


神は決して貴方(あなた)に不適当なる仕事を強制し給うことはないのである。

与えられたる仕事を神が自分に課せられたる人類の奉仕の仕事であると信じて感謝して

それを為(な)すならば、自分に不適当なる仕事にもそれを完成し得る力が湧(わ)き出て

くるのである。


容易なる仕事ばかりをしているのでは内在無限の力は湧き出ては来ないのである。

困難なる仕事に努力することによって力は増強せられる。

努力は魂を向上せしむる道である。




[786] 二十八日の法語 人を赦すには斯(こ)う考えよ
明鏡 - 2013年12月28日 (土) 18時50分




人を赦すことが出来ない人は、神を信じていると云っても実は信じていないのである。


何故(なぜ)なら、神の造りたまえる世界に何か悪があると信じているからである。

そして神の造りたまえる人間に悪があり、また神の与えたまうた幸福をその人が自分から

奪い得ると信じているからである。


神の造りたまえる人間に悪人はないと云うこと、そして神の自己に与え給うた幸福は何人も

自己から奪い去ることが出来ないと云うことを本当にその人が信じ得るならば、自分に害を

与えるかの如(ごと)く見える人達をも容易に赦すことが出来るのである。

人を赦したとき自分に幸福の門が開かれる。




[787] 二十九日の法語 自然療能力を呼び出すには
明鏡 - 2013年12月29日 (日) 22時28分



吾々の肉体の内には無限の自然療能力が宿っているのである。

その自然療能力こそ、心臓も肺臓も胃袋もなき一個の卵細胞からこの無限に複雑なる内蔵

諸機関を作り出したところの不可思議力なのである。


この不可思議力の活動を喚(よ)び覚ますことに成功するならば、如何なる病いも癒(い)

えないと云うことはないのである。


想念は不可思議力を自分の欲する形にまで誘導するところの力である。


この不可思議力を「療能力」として想念し、その方へ想念を集中するならば、その不可思議

力は癒やす力として直(ただ)ちに働き来(きた)るのである。


病気の時には、却って病気を思わず、「 神の生命流れ入りて今、癒やし給(たま)いつつ

ある 」と思念すべきである。




[788] 三十日の法語 現象は結果に過ぎない
明鏡 - 2013年12月30日 (月) 17時50分




人は想念する(考える)ところのものとなるのである。

神は想念することによって宇宙を創造した。


創造されたる宇宙は結果であって原因ではない。

しかし結果を目的として想念したのではないのであって、想念されたるものを「 観(み)

る心 」が「 認識の形式 」を通して「 物質宇宙 」として観るのである。


人もまた想念するところのものを肉体にあらわすが、それは肉体にあらわそうと故意(こと

さら)に想念しないでも、ただ、何の気なしに想念していたことが肉体にあらわれて病気と

なったりするのである。


病気を治すのはその逆を行けばよいのである。

病気を治そうと思わないでも善き想念を描いておれば病気は消える。





[802] 三十一日の法語 光のみの世界を観るには
明鏡 - 2013年12月31日 (火) 12時46分



神の愛は吾等を取り巻いてい給うのである。


何事が起って来ようとも、それは現象であり、心のスクリーン上に映った映画の一断面に過

ぎないのである。


映画の一断片にどんな不幸なことが顕れていようとも、そんな事に心とらわれてはならない

のである。


吾々は常に光源に振り向くことによって、光ばかりの世界を見ることが出来るのである。


若(も)し吾々が光ばかりの世界を見ることが出来ないならば、それは途中の妄念のフィル

ムに下らないことが描かれていて、その光の照り渡ることを妨(さまた)げているのであ

る。


汝(なんじ)の妄念を取り去れ。憤りを去れ。憎みを去れ、不平を去れ、悲しみを去れ、

唯、感謝せよ、唯、光のみの世界を見るであろう。







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