[142] 神想観中に黙念する言葉〜「人生は心で支配せよ」より |
- 伝統 - 2014年10月02日 (木) 01時27分
《神想観中に黙念する言葉〜その1》
*『人生は心で支配せよ』(P33〜35)より
自分は今自己の生活を意識的に自分自身で支配する。
吾等は今より自分の考えようと思う事物をのみ考える。 自分は自分の生活に何事が湧いて来ようとも、 自己の心を支配することによってそれを支配するのだ。
吾等は自己の思想を日に日に一層よきものたらしめ、 創造を司る宇宙霊が、吾等に一層幸福なる状態にこの世界を創造してくれることを 信ずる。
吾等は至上の智慧に導かれんがために、真理についてのみ考えるのである。 吾等はあらゆる智能に優(まさ)った神的平和を獲(う)るために 信仰のことに就(つ)いてのみ考えるのである。
吾れは今愛の霊に充たされている。 吾れは今聖なる宇宙の心と調和している。 吾れは今心を開いて至上なる者の感情を胸に受けているのである。
吾れは今意識的に愛とそして智慧なる宇宙の心に接触している。 吾れは今神のみ側(そば)にはべって、 神が吾が力を新たならしめたまうのを待っている。
吾が心は今神の上にのみ注がれている。 それ故に、吾れはすべての人々に対して、又自分自身に対しても平和なのである。
如何なる禍(わざわい)も自分の上には降り注(そそ)がない。 愛の天使が自分の周囲をとり巻いている。
吾れはいま吾がいのちが神の子であることを知るが故に、 無限なる者の力をうけて歩むのである。 吾らは神の子として生きて決して奴隷の如くには屈従しない。
われは法則を守り、法則は吾れを護るのである。 われは法則に従い、法則はに吾れに従うのである。
吾れは無我の聖悦に充たされながら、神に吾が胸を打ちまかす。 今此の時、吾れは神の援助の慈手(やさしきみて)が吾が上に来ていることを感ずる。 吾れは歓喜(よろこび)に充たされている。
吾れは強し。吾れは今生命と愛とを吾が裡(うち)に感ずる。
神想観の坐法、態度、静観時の呼吸法等に就いては、『生命の實相』観行篇、『静思集』 『詳説神想観』『新聖光録』に詳記してあるから参照せられたい。
<感謝合掌 平成26年10月2日 頓首再拝>
|
|