[303] 富を得るための5つの法則 |
- 伝統 - 2014年12月06日 (土) 03時23分
*『希望を叶える365章』(P64〜69)より
【富を得るための第一則】 〜 「人を幸福にするアイディア」に波長を合わせる
「富」というものは「物質」の塊でも集積でもないのである。 それは、人を幸福にするアイディア(想念)の実現である。 そして「人を幸福にするアイディア」は何処から来るかといえば神から来るのである。
宇宙には神の無限の智慧が充ち満ちており、 その智慧は「人を幸福にする無限のアイディア」で満たされているのである。
偉大なる発明家や、大事業家のような人達は、 此の「人を幸福にするアイディア」に波長を合わせて、 そのアイディアを具体化した人なのである。
繁栄を欲する人は此の宇宙に満ちている「人を幸福にするアイディア」に 波長を合わすようにしなければならないのである。「人を幸福にするアイディア」に 波長を合わすには、自分がやはり「人を幸福にする心」を起こさなければならない。
人を損させてでも自分が儲けたらよいというような利己的な心は 「人を幸福にするアイディア」とは決して波長が合わないから、 そのような心の人は「富」とは波長が合わないのであるから、
その人が「富」への執念の深さから、一時的に富む事があっても、 富の永続性は乏しいのである。
・・・
【富を得るための第二則】 〜 神の無限の富の後継者としての「神の子」の自覚を持つ
神の国には、人を幸福にしたい願いをもった“神の子”(人間)のみが 住んでいるのである。イエスが「先ず神の国と神の義とを求めよ、その余のものは 汝らに加えられるべし」と教えたのは、
自分の心を「神の国」と「神の義しき心」とに波長を合わすために、 「人を幸福にしてあげたい心」を起せよ、ということなのである。
そのようにすれば、神の国の「富」と波長が合い、現象界にも神の国の無限の富が 自然に投影されて富んで来ることになるのである。
吾々は物的所有を得ようと思うより先に、「神の心」に波長を合わす心を起すことを 第一にしなければならないのである。「神の心」に波長が合うとき、 「神」は無限供給の源であるから、自然に物質的にも豊かな富が与えられて来るのである。
内部の心の持方が大切であって、それさえ整えば自然に無限の富がやって来るのである。
「神」に波長を合わすには、先ず自分が「神の子」だと知らなければならない。 「神の余所者」だとか「貰い子」だとか思ってはならないし、 自分を貧乏だと思ってはならないのである。
「自分は神の後嗣者として神の無限の富を継承する資格があるのだ」と信じて、 「貧乏」の想念を自分の潜在意識から追放するがよい。
・・・
【富を得るための第三則】 〜 “神の世嗣者”として富んでいることを念じる
「アダムが生き物に名づけたる所は皆其の名となりぬ」と「創世記」第二章に 書かれているが、人間(アダム)が“生き物”(自分の生命)に名づけた通りのものに その人は成るのである。
だから「自分は生れつき虚弱な体質だ」と自分で名づけたら自分は虚弱になるし、 「自分は生れつき健康な体質だ」と自分に名づけたら自分は健康になるのである。
コトバは造る力をもっているのであるから、みだりに消極的な不幸な状態を 言葉で言い表わさないようにすることが大切である。
「自分は貧乏だ」というような呟きの言葉を表現すれば表現するほど貧乏になるのである。 自己が貧乏であることを人に訴え、不景気が来たことをいつもつぶやいているような人は 大いに成功することはできないものである。
言葉はそれを語る人の心を動かし、それを聴く人の心を動かし、 “心”は宇宙全体に満つる“普遍の心”に働きかけて、心の中に描かれたアイディアの 通りのものを形にまで表現するのである。
だから今現に富んでいない人でも、「既に自分の実相は“神の世嗣者(よつぎ)”として 富んでおり、それがわが計画及び行動を通して実現するのである。 神よ、わが計画と行動とを導き給え」と神想観中に念じて、
その後、自然に想い浮ぶ計画を良識をもって審神者(さにわ)しつつ、 それを敢然実行に移して行くならば、必ずその計画図にあたり、 富を実現することができるのである。
・・・
【富を得るための第四則】 〜 「与えよ、さらば与えられん」は繁栄の黄金律である。
富を得る根本法則として第4に挙げなければならないのは「与えよ、さらば与えられん の法則である。これは人体に於いても常に行われている法則である。
空気を吸うのでも吸うばかりで呼き出すことをわすれていたらその人の生長も健康も 得られないのである。栄養も食べることのみを目的として、排泄することを怠れば 食欲はなくなり、排泄物の停滞による自己中毒で生命を失うほかはないのである。
すべての物的所有を自己の所有物だと思ってはならないのである。 この肉体も、住居も、衣服もすべて神様からの供給を預らして頂いているものである。 吾々はその管理者であるのである。
それはただ出し惜しみするために管理させられているのではなく、 適当に使うように管理せしめられているのである。
神からの供給はすべて神の目的に使うように人間が管理させられているのであるから、 その用途の軽重を考えて、無駄に浪費することなく、最も価値多き用途に使うのが、 それを管理せしめられている者の役目であるのである。
・・・
【富を得るための第五則】 〜 今まで与えられていた物に対して感謝をする
富を得るための第5則は、今まで与えられている物に対して感謝をするということである。
「今までお世話になったもの」に感謝をすることによって、 次なる豊かな供給が与えられるのである。
「今までお世話になったもの」を敵として闘うことは、 凡そ富を得る法則の逆をいくものである。
経営者は労働者に感謝し、労働者は経営者に感謝する産業は栄える。
<感謝合掌 平成26年12月6日 頓首再拝>
|
|