[341] 『 生長の家 』 昭和26年1月号法語 谷口雅春先生(1)〜(31) |
- 明鏡 - 2015年01月02日 (金) 00時12分
【 一日の法語 神はカクリミである 】
神は 隠身(カクリミ)の略である。
姿形が見えないで 或る‘はたらき’を持ったものを、
すべて‘カ’クリ‘ミ’即ち カミ と日本では称して来たのである。
随(したが)って日本人の カミ と称するものの中には
宇宙一切の本源にまします創造主(つくりぬし)の神もあれば、
人間の霊魂もあるし、なかには狐(きつね)狸(たぬき)蛇 がま等の霊魂もおまつりして
カミと称してあがめているものもあるのである。
狐 狸 と云えども、その生命の本質は「 神 」 であるから、
カミと崇(あが)めて祭祀すれば 観(み)る通りにあらわれて来るのであるから
神通力を発揮するものもあるが、すべて個別霊の神通力には限りがあるので、
何でも叶(かな)えてくれると云う訳には行かないのである。
【 二日の法語 創造の神には偏頗(へんぱ)な不公平はない 】
限りなき全能の力を有(も)ちたまう神は、創造主の神である。
しかし創造主の神は、個別霊のように愛憎の念をもって、
吾々に或る時は利益を与え、或る時には復讐をなしたまうようなことはないのである。
それは全人類の親様であるから、一視同仁(いっしどうじん)に
すべての人々に平等の愛をそそぎたまうのであって、
太陽が 善人にも悪人にも平等にその光を与え、
雨が 善人にも悪人にも平等にその潤いを与えるごとく、
如何なる人間をも ゆるしたまいて 平等に恵みを与えたまうのである。
ただ吾々が光を受けることが出来ないのは、
光に対して背を向けるか、眼を瞑(と)じるかしているからである。
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