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谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐

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[545] 昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演
伝統 - 2015年03月25日 (水) 05時07分

生長の家は、昭和14年に成立した「宗教団体法」によって、宗教であると認められて
文部省の管轄に入ることになり、文部省に届け出をしなければならなくなりました。

それで当時生長の家本部の副理事長だった秋田重季氏・中神学氏らが
文部省の稲田宗務課長らと色々交渉して、昭和15年、文部省に届け出られた
<『教義の大綱』について>という文章が作られました。

・・・

教義の大綱

「国体を明徴にして皇室の尊厳を明にし、各宗の真髄を天皇信仰に帰一せしめ、
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を昂揚し、悪平等を排して一切のものに
人、時、処、相応の大調和を得せしめ、兼て天地一切のものに総感謝の実を挙げ、
中心帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す」
 

奉斎主神、安置仏等の称号

道場又は集会室に特に顕斎せる主神又は安置仏なし。
心に幽斎する主神としては宇宙大生命(みおやのかみ)(その幽之幽なる神として
天之御中主神、幽なる神として天照皇大神、現人神として天皇)を礼拝す。

宇宙大生命は宏大無辺にしてその仁徳一切に及び一切を包容するが故に、
各自は祖先伝来の宗教を信じ又は自宅にて如何なる斎神又は安置仏を奉ずるも差支えなし。

宇宙大生命の道を顕楊し、日本国威を発揚し、皇威を顕楊する東道(みちびき)の神
として心の幽斎する副神として生長の家大神(『古事記』『日本書紀』に顕れたる
住吉大神即ち後に塩椎神、仏典に顕れたる釈迦、観世音菩薩及びその応化仏、
基督教の『黙示録』第一章に現れたる七つの燈台の点燈者)を礼拝す。

宇宙大生命(みおやのかみ)は宇宙生命の根本実相にして、
宗派に偏らざる哲学的表現を用うれば「生命の實相」なり。

この意味にて道場又は集会室に「生命の實相」又は単に「實相」の掛軸を掲出することあり。
 

・・・

そして、昭和15年4月1日、生長の家は、宗教団体として登録されました。

昭和15年4月9日、谷口雅春先生は、名古屋市公会堂において、宗教団体としての
「生長の家」と「生長の家大神について」詳しく指導されました。
(愛知教化部の資料によると、6500名の受講者への指導となっております)

その速記禄が、『神の真義とその理解』に収録されております。


以下は、別の掲示板にて、”復興G さま”により謹写されておりましたものを、
この掲示板においても紹介してまいります。

(”復興G さま”のお許しをお願いいたします)

(掲示板上で、読みやすくするため、改行や行間に空き行を設けております)


・・・

第一章 生長の家の本尊

                   昭和十五年四月九日午後二時より
                   名古屋公会堂に於ける講演の速記

宗教団体としての出発

昨年議会を通過しました宗教団体法がこの四月一日から実施されることになりまして、
生長の家はこの宗教団体法によって、宗教であると認められて文部省の管轄に入ることに
なったのであります。

実は、生長の家は「教化団体生長の家」と云う名前によりまして、
もう1年半ばかり前から届書を拵えて当局の方へ出してあったのであります。

東京府を通過いたしまして、文部省へ参りましてから、文部省の見解では、
生長の家は教化団体と云うよりも宗教の団体である、

左様に見る、と云うような見解がございまして、
そこで暫くその届書が文部省で滞っておったのであります。

生長の家本部の副理事長の秋田子爵、それから係の中神学と云う人達が
文部省へ参りまして、稲田宗務課長その他の係の人たちと色々交渉したのであります。

宗教団体法によりますと、宗教と云うものには一定の「教義」がなければならない、
それから「儀礼」を行うものでなければならない、それから「本尊」がなければならない、
本尊として奉斎する神様、又は安置するところの仏がなければならない、

そう云うものがなければ宗教でないと云うようになっておりまして、
宗教団体法によるところの届書には、教義と、儀礼と、奉斎神又は安置仏と云うものを
書くべき各欄が設けてあるのであります。

ところが生長の家は、教義と云っても生長の家独特の教義がないのであります。
ないと言うとおかしいけれども、生長の家は仏教の話もする、お釈迦様は斯う云うように
被仰ったと言って、仏教は斯う云うものであると言って話もする。

またキリスト教は斯う云うものである、耶蘇はこう被仰ったと言って話もする。

また金光教の教祖は斯う言われた、天理教祖は斯う言われた、
日本の『古事記』には斯う書いてある、老子には斯う云う事が書いてある、
孔子は斯う被仰ったと云う風に、

色々の教を一つにして説いて、相手に随って自由無礙に方便自在の説教をしているので
ありますから、一定の生長の家の教と云い教義と云うたらどんなものだと言われると
困るのでありまして、生長の家独特の教義と云うようなものがないのであります。


それから儀礼と云っても、宗教的儀礼と云うような、葬式の時には斯う云うお経を唱えて
斯う云う儀式をする、そんなものはないのです。

今までの所謂る「宗教」でやっておったところの、宗教とは葬式をすることだとさえ
思われていたような、そう云う形式的なものが一つもないのであります。


このように生長の家は儀礼もない、
それから本尊と云っても、どこにもそんなものは祀ってない。

――生長の家道場へお出になると、そこには何もお祀りしてない、賽銭箱も置いてない、
礼拝の像も置いてない、神様もお祀りしてない、だから奉斎神もなければ、安置仏もない、
本尊もない、何にもない、斯う云うのが生長の家であります。

<つづく>

           <感謝合掌 平成27年3月25日 頓首再拝>

[547] 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演〜その2
伝統 - 2015年03月26日 (木) 02時29分

教化団体との相違


だから生長の家は宗教団体の中へ入らない、宗教ではないのだ、
一定の教義を持たず、儀礼を行わず、本尊がない、そうしてみんなの心を教化し
修養せしむるのが生長の家だから教化団体である、

斯う云う風に申上げたのでありますが、稲田宗務課長は秋田子爵に向って
「いや谷口先生は一定の終始一貫した教を説いておられる」斯う云う風に
言われたそうであります。

文部省の係の人は『生命の實相』を、大分確かりと読んでおられるらしいのであります。
『生命の實相』を読んでみると、色々の教祖の教を引用してあるけれども、
併し乍ら終始一貫したところの教義を説いているのであって、
人を信仰的に引摺って行く力が強い。

その人を信仰的に引摺って行く力は教化団体とか修養団体とか
云うような力の弱いものではない。

今迄修養団体などと云うと、どうもバラバラのものであって、表面、親孝行せよ、
兄弟仲好くせよ、仕事を勉強をせよ位の事を説くのであって、それが信念的信仰的に肚に
入らないで所謂る修養の程度に止まっていて、
生長の家みたいに信念で引摺って行く力がなかった。

だからあの種のものは教化団体だけれども、生長の家は信念に迄人を強く引摺って行く。
文章の力によって人の信念を強く一つに信仰的に人心を集中する力があるから
宗教的運動とみとめる、そう云う訳で兎も角、この教化団体としての届は
東京府の方へ返しておくから、やがて四月一日になったならば宗教団体法が実施されるから、
それに間に合うように宗教団体としての届をするようにと云うような話であったのであります。


ナイナイづくしの生長の家

 
こちらは教化団体だと主張するのですけれども、信念を喚起する力が強いから
宗教と認めると言われては仕方がないものですから、今迄教化団体として出して
おりましたところの、その届を東京府庁から返していただきまして、

それを書直すことにしたのでありますが、それに就いては、文部省の係の人に色々照会
いたしまして、届けるところの書き方をずっと教えていただきまして、そうしてそれに
適(はま)るように書くことになったのであります。

ところが教義、儀礼及び行事、奉斎主神又は安置仏本尊
――と云う項目へ書き入れなければならぬことになりましたけれども、

やはり生長の家は万教を説いて、一宗一派に偏らないのが事実でありますから、
生長の家の教義と云って特に摘記することは出来ない、キリストは斯う言った、
釈迦は斯う言った、何々教祖は斯う言った……それらを比較宗教学的に説くので、
生長の家独特と云う教義はありはしない、と云うわけで「教義、無し」と書いたのであります。

それから儀礼と云っても葬式もしないし、行事もない。
こんなに演説は致しますが、演説は行事かも知れませぬが、演説することが
宗教の行事だと言ったら、政治の演説も、学校の講義も宗教になってしまいまして、
学校の先生は宗教の教師になって了うと云うことになるのであります。

修養団などには、生長の家には無い厳めしい祝詞があり、儀式なども行いますし、
体操のような身禊のような行事もある。

ところが生長の家にはそんな行事も儀礼もないと云うので、
儀式及び行事の項も「無し」と書いたのであります。

それから奉斎神又は安置仏と云うところも、実際ないのであるから「無し」と書いたのです。
ところがその届書を文部省の係の人に持って行って「これで宜しいか」と
言って相談すると「どうも『無し』じゃ困る」と言われたそうであります。

<つづく>

           <感謝合掌 平成27年3月26日 頓首再拝>

[555] 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演〜その3
伝統 - 2015年03月27日 (金) 04時52分

 
実は御存知の通り生長の家は何も無しであります。
一宗一派の教義がないから、皆さんでもこんなに沢山公会堂に
六千人七千人とお集りになるのであります。

若しこれが一宗一派の教義を説くのだったら、他宗の人は集って参りませぬ。

老子には「天地の間は、其れ猶お?籥(たくやく)のごとき乎。
虚にして屈せず、動きて愈々出ず」と言ってあります。

私は只今『生長の家』東亜同和版で、毎号「老子の研究」を載せておりますが、
これも生長の家が、一宗一派を説かない、本来教義なしで、空っぽである
証拠でありますが、

老子に「?籥(たくやく)の如き乎」と書いてある、?籥とは鞴(ふいご)の事であります。

鞴は申が空っぽであるから、幾らハンドルで衝いても中が折れないし、
動く度に空気が出て赫々(かっかく)と他を燃やすのであります。
この事が「虚にして屈せず、動いて愈々出ず」であります。

生長の家は鞴のように中が空っぽであって「自分のもの」と云うものがない。
だから押しても引いても動くたびに風が出る、風が出て皆さんを赫々と
宗教的信念に燃やすのであります。

斯うして喋っているのは「風が出ている」のであります。
すると皆さんが宗教的信念に満たされる。

だから「教義、無し」と宗教団体法に依る届に書いたのは正しいのでありますが、
それでは宗教団体法の中にある「宗教」という定義に当て嵌(はま)らない。

当て嵌らなかったら「宗教」として取扱わなくとも好さそうなものですが、
強烈な宗教的信念にまで大衆を引摺って行く力があるので、
宗教団体法で取締るほかに管轄すべき官省がない。


 
教義の発生

そこで「教義」と云う欄には谷口雅春著『生命の實相』と書いて置いても宜しい、
それから「七つの光明宣言」と云うのがあるが、あれを「教義」の項に書いて置いたら
いいじゃないか、と云うことを文部省で指示されたのであります。

その七つの光明宣言の第一条には、御存知の通り、

一.、吾等は宗派を超越し、生命を礼拝し、生命の法則に随順して生活せんことを期す。

  
こう書いてありますが、宗派を超越していると云うのですから、
一宗一派ではないのであります。

皆さんの中には宗教と認定せられたことを、宗教臭くなったと思って残念に思われる人が
あるかもしれませんが、「生長の家は一宗一派に非ず」と云うことが生長の家の
教義の第一条に明記されて、宗教として認められたのであります。

而もその教典としての『生命の實相』は「尚続々執筆せられつつあり」と
附言されているのでありますから、固定した教義を有(も)っていないままで、
信仰に人を導く力が強すぎるとして、単なる文化運動以上にあるものとして、
宗教として認定せられたのであります。

<つづく>

           <感謝合掌 平成27年3月27日 頓首再拝>

[559] 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演〜その4
伝統 - 2015年03月28日 (土) 04時10分

 
儀式の発生


その次に儀式であるとか行事であるとか云うのも、
最初の届書には「無し」と書いたのであります

が、「無し」と云うのでは宗教団体法の中に入る宗教と認められないので、
「やっぱりあると云うことに書いて貰いたい。

神想観と云うのがあるじゃないか、あれを書いて置いたら好い。引導文と云う
のもあったじゃないか」と斯う云うように言われるのであります。
中々詳しく調べていられるのであ
ります。

嘗て『行』誌の前身『生命の藝術』と云う雑誌に、若し今迄祖先から信じている宗教が
無いところの孤児の生長したような人が誌友になって、自分の宗教としては、
「生長の家」のほかに何もないから生長の家式に葬送の行事をやってほしいと云う場合に、

斯う云う風にやれば好いと言って、その行事の次第を書いて発表したことがある
のでありますが、そんな古いものまで文部省の係の人はよく眼を通していられるのに
感心したのであります。

それから神想観は宗教的行事と認めれば認められぬこともないかも知れませんけども、
修養団なんかでも合掌して其の合掌を上下に振動せしむる精神統一の行事などがある
のに、あれは修養団体と認められ、生長の家は宗教結社と認められたのは、

宗教的信念に導いて行く強さによって区別されたのでありまして、
これは生長の家の人類教化力の強烈さから来たためであって、
これは止むを得ないのであります。

元来、生長の家には、冠婚葬祭その他、色々の人生に於ける儀式には
生長の家式と云う型がないのであります。

それは生長の家が空っぽであり、能くものを容るる所以であり、各人の祖先を崇拝、
祖先の宗教遺風を顕彰するのが生長の家の教でありますから、祖先の遺風を捨てせしめず、
生長の家独特のものを主張しないところに特色があるのであります。

祖先崇拝の遺風を顕彰せんが為に、生長の家誌友たるものは、祖先の信じておった
宗教の儀礼に随って、冠婚葬祭等は行うべしとしたのであります。

これは「教義なき教義」と等しく、「儀式なき儀式」に当るのでありますが、
併し、祖先と云うものがない人が中にはある。

先刻申しました様に、孤児とか捨子とかで自分の親が何の宗派であったか知らぬ、
自分には在来の宗教がないし、自分は生長の家に入って救われたのだから、死んだ時に
も生長の家で葬式して欲しいと云う人もなきにしもあらずですから、

そういう人の為には嘗て『生命の藝術』と云う雑誌に発表された事もあり、
霊を悟りに導く「久遠いのちの歌」と云うのもあり、
聖経『甘露の法雨』『天使の言葉』等と云う詩もありますから、
文部省の係官の希望によって、それを書いたのです。

「今届書に『儀式及び行事』の項にそれを書いて置いたら、お経の読誦や葬祭等の
宗教的行事をやっても構わぬと云うことになるが、教化団体や修養団体で頑張って
いたら、若し宗教的行事をやった場合に当局から文句を言われる惧れがある、

そう云う点からも儀式及び行事と云うのは、今やっている実際と、是から時に応じて
やるかも知れないものも書いて置いたら、それはその儘既得のものとして認められる
ことになるから都合が好いではないか」と、中々深切に言って下さいますので、

特に生長の家で儀礼を行いたいと云う希望者のためには、
生長の家式に『甘露の法雨』とか「久遠いのちの歌」と云うものを誦(よ)むことが
あること、而も生長の家では、霊魂は生き通しであって、

肉体は生きていても死んでいても、人間は永遠存続であるから、死後の霊魂を悟らせる
ために『甘露の法雨』を誦み聞かせることもあれば生きている人を悟らせるために
誦んで聞かせることもあると、その行事の処へ書くことにしたのであります。


病人に対して誦んで聞かせる場合は、生きている人の心が悟りを開くように誦んで
聞かせるのであって、その病人が開悟の結果、心境頓(とみ)に明朗となり病気が治る
事実が続々あるのは、これは療術行為ではなく「悟り」が肉体に及ぼす力であります。

<つづく>

           <感謝合掌 平成27年3月28日 頓首再拝>

[562] 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演〜その5
伝統 - 2015年03月29日 (日) 04時30分

 
本尊の規定

それから礼拝の本尊たるべき「奉斎主神又は安置仏の称号」と云う項には御覧の通り、
実際何も祭っていないのであります。

けれどもそれは形の方でありまして、
心の中に奉斎している主神と云うことになるとまた相異して来るのであります。

併し心の中に祭る――即ち信仰――と云うことは宗団法の取締の範囲ではなく、
信仰の自由は憲法に保証されているのでありますが、団体の動きとして取締の参考に
どんな本尊を心に描いているかを知りたいのが、宗団法で取締らるる係の方の関心で
あると思いますので、心に祭る神を仮に本尊として書かせて頂いたのであります。


奉斎には、顕斎と幽斎とがあります。

顕斎と云うのは、形に顕われた斎(まつ)りで、お宮を祭ったりするとか、
仏像を安置して拝むとかするのであります。
又幽斎と云うのは形を顕わさないで心でお斎りするのであります。

生長の家では別に道場又は集会室に顕斎せる主斎神又は安置仏がないのであります。
従って賽銭箱もないのであります。

自宅で如何なる斎神又は仏像をお祭りになりましても差支ありませぬが、
道場又は集会所にお祭りになり、それを大衆に拝ませると云うことにしますと、
必ず賽銭を供える人が出来る。

即ち賽銭を強要しないまでも、何か出さぬと可(い)かぬような気がする。
今までの宗教団体はそれで生活しておったのであります。

宗教団体法に於ても、宗教団体ではそれを認めておりまして、檀徒の寄進に俟(ま)つ
ような会計のやり方も公認され、檀徒又は信徒総代は誰それがなるとか色々面倒な事が
あるのですが、

こう云う寄附合力で立っている組織の整然と備(そなわ)ったものを、宗団法では
「宗教団体」と認めるのでありまして、仏教、基督教、神道諸派でもそう云う組織の
備っていない末寺、分教会等は皆「宗教結社」であります。

遺憾ながら吾々の団体にはそう云う賽銭組織の整然たるものがないので、「宗教団体」の
中には入らず、「宗教結社」の中に入ったのであります。

文部当局の被仰るところでは「宗教団体」には色々の取締法規があって自由活動に
不便であるが、「宗教結社」には安寧秩序を紊(みだ)さない限り、
どんな自由活動でも許されているのであります。

<つづく>

           <感謝合掌 平成27年3月29日 頓首再拝>

[564] 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演〜その6
伝統 - 2015年03月30日 (月) 05時03分

 
生長の家の主斎神

 
さて吾々生長の家の団体では、心に宇宙大生命(みおやのかみ)を祭るのであります。
その宇宙大生命と云う文字の下に括弧して、「(ソノ幽之幽ナル神トシテ天之御中主神、
幽ナル神トシテ天照皇(アマテラススメラ)大神、現人神(アラヒトガミ)トシテ天皇)ヲ礼拝ス」
と書いてありますが、「幽」とは「幽玄」の意味であって、現象の幽(おく)の幽にまします
ところの大実在として、日本の称名を以てすれば天之御中主神と申上げる大神であります。

 
『古事記』に、「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は、天之御中主神」と
こう書かれてあるところの宇宙の大神であらせられます。

天之御中主大神は斯くの如く、幽の幽の大実在であられますが、この宇宙の大神が、
依然として幽玄にましまして、吾等の思慮の及ぶところではございませんが、

幽之幽なる天之御中主大神よりも一段ハッキリと、『日本書紀』に録されたる通りの
「光華明彩(ひかりうるわしく)六合(りくごう)に照徹(てりとお)れる」神として
顕現あそばされたのが天照大御神であらせられ、

更にその天照大御神様が御肉体を以て現人神として現われていらせられる神様として
天皇を礼拝する――これが生長の家誌友が心に主斎する神様でございまして、御宮のような
眼に見える形で御祭りするのではありませんから幽斎すると申すのであります。

即ち吾々は天皇様を宇宙大生命の全徳の御顕現として
そのまま現人神として拝し奉るのであります。

歴代の皇霊に対して尊崇を捧げるのも同じ意味であります。

 
さて此の宇宙大生命(みおやのかみ)は宏大無辺にしてその仁徳一切に及び一切を
包容していらっしゃいますから、あれは嫌い、これは嫌いと云う様に、
心が偏狭であらせられる事はないのであります。

そして又祖先を尊ぶのが日本の国風でありますから、
各自祖先伝来の宗教を信じておって好いのであります。

此処にも生長の家は一宗一派の宗教ではないと云うことがハッキリしているのであります。

ただ文部省が生長の家を宗教と認めたのは、その教化力が魂の奥底の救済にまで及んで、
非常に人心を引摺って行く力が強いから、その教化活動が修養の境地を越えて宗教的境地に
まで及んでいると云う意味であって、決して一宗一派であると認めたのではありません。

だから教義の中に「宗派を超越し」と云う無教義の教義を標榜した
届書を出して可(よ)しと云うことになったのであります。

<つづく>

           <感謝合掌 平成27年3月30日 頓首再拝>

[566] 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演〜その7
伝統 - 2015年03月31日 (火) 03時32分

 
生長の家の副斎神


次に宇宙大生命(みおやのかみ)即ち宇宙大生命の道を現わし、日本国威を発揚し、
国体を明徴にするところの導きの神様として心に幽斎する副斎神として生長の家大神を
礼拝すると云うことをハッキリ本尊の項目にあらわして置きました。

この生長の家大神とは誰方(どなた)であるか、
生長の家大神と云う文字の下に括弧をしまして、

(『古事記』、『日本書紀』に現われたる住吉(すみのえの)大神)と申しました。
これは阪神間の本住吉神社にお祭りしてあるところの神様でありまして、
『古事記』に天照大御神様がお生れになるに先立って、此の大宇宙浄めの神として、

水と塩とを以て浄めるところの海の神様として現われられたところの
上筒之男(うわつつのおの)神、中筒之男(なかつつのおの)神、底筒之男(そこつつのおの)神
と云われる三柱の神様で住吉大神(俗称すみよしの大神)

と申しているのであります。

 
生長の家が発祥致しましたのは今から満十年と三ヵ月程前でありますが、その前後に
私が住吉村に住んでおりまして、毎日その本住吉神社へお参りしたものでありまして、
その当時に霊感に啓示されて此の生長の家の教と云うものが現われて来たのであります。

爾来一切の宗教は一つである、真理は一つであるとの啓示に導かれて、
古今東西の宗教を比較宗教学的に研究し、いずれも唯一つの真理を説くのが宗教である
から何の宗教も互いに分立せずに手を繋(つな)げと云うことを説いて来ているのであります。

<つづく>

           <感謝合掌 平成27年3月31日 頓首再拝>

[574] 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演〜その8
伝統 - 2015年04月01日 (水) 04時22分


神話における生長の家大神

 
『古事記』にあらわれたる住吉大神は
其の後同書に塩椎(しおつちの)神と現われていらっしゃるのであります。

塩椎神は潮筒之男(しおつつのおの)神であらせられまして、
その潮を上潮、中潮、底潮と分けまして、上筒之男神、中筒之男神、底筒之男神の三柱に
顕われていられるのでありますが、総じて塩筒之男神様であります。

此の神様は東道(みちびき)の神様であらせられます。

先ず住吉大神は伊邪那岐(いざなぎの)神の宇宙浄化の御禊祓の最後の浄化作用として
ウミの神としてお生れになり、やがて伊邪那岐大神の左の御眼より天照大御神のお生れに
なる下準備を完成して、天照大御神の御降誕を導き出して来たのであります。

此の住吉大神即ち潮筒之男神――塩椎神様――は、既に講習をお受けになった方は
御存知でありますし、又『驀進日本の心と力』(編集部註・本旨は、
現在『限りなく日本を愛す』『古事記と現代の預言』に収録)と云う

私の著書にも精(くわ)しく書いておきましだが、日子穂々手見命(ひこほほでみのみこと)と
仰せられます日本御皇室の御先祖の大神が、その兄君の火照命(ほでりのみこと)さまと
猟と漁とを換えられた――すなわち火照命様は海で漁をしていらっしゃいましたが、
日子穂々手見命は山で猟をしていらせられましたが、

或る日のこと、その幸(さち)を代えよう、獲物を代えようと云うので、
日子穂々手見命は鉤(つりばり)を兄命(あにみこと)からお貰いして浜辺へ釣にお出になり、
兄命は山の猟の道具を借りてそうして山へお出でになったのであります。

ところが、どうしたことか日子穂々手見命様は海へお出になって鉤をお垂れになりましたが
魚は一匹も釣れずに剰(あまつさ)え鉤を失ってしまわれた。
そうして鉤を如何にして探しても魚が食って逃げたのですから捕える訳に行かない。

そこでその償いに自分の太刀を打代えて五百本の鉤を拵えお返しになりましたが、
兄命は御承知下さらない。

そこで更に千本の鉤を造って償われましたけれども、『古事記』によりますと、
火照命は受けたまわずて猶「正本(もと)の鉤を得ん」と仰せられたと云うことに
なっております。

日子穂々手見命は正本の鉤を得ようと思われましても、鉤を持去ったのは魚のことであり、
海の広さは広く、深さは深いのでありますから困ったことだと思われまして、
「海辺に泣き患いています時に塩椎神来て問いけらく」と『古事記』に書かれております。

この神は『日本書紀』には塩椎翁(しおつちのおきな)とありますから、
恐らく白髪の老翁の神様であられましたでしょう。

此の白髪の老翁の神様が現われて来られまして、
「天津日嗣(あまつひつぎ)の命(みこと)様には如何なるお悩みで泣いていらせられる
のでございますか」とお尋ね申上げられましたところ、

これこれしかじかの理由で泣いているのである、とお答えになりますと、
爾(ここ)に塩椎神「我汝が命の為に善き議(ことはかり)せん」と仰せられて、

此の船に乗ってお出でなきいませとして、無間勝間之小船(めなしかつまのおぶね)という
漏れる孔が一寸(ちょっと)も空いていないで、ぴったりと密に目がつまって堅い
金剛不壊(ふえ)の船をお差上げになって、それに載せ奉って龍宮界即ち
「綿津見(わだつみの)神の宮へと道案内をせられた」と書いてあります。

この道案内の神様、即ち大君を御案内申上げて歎(なげ)き憂いなき世界へ
お導き申上げた道案内の神様として現われていられるのが塩椎神であらせられます。

<つづく>

           <感謝合掌 平成27年4月1日 頓首再拝>

[576] 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演〜その9
伝統 - 2015年04月02日 (木) 07時08分


それから邇々芸能命(ににぎのみこと)様が天降りましまして日向の笠沙(かささ)の
御前(みさき)にお出であそばした時に、事勝国勝(ことかつくにかつの)神
と現われて道案内を遊ばしておられるのが塩椎神であります。

『日本書紀』には「時に彼処(そこ)に一(ひとりの)神あり、
名を事勝国勝長狭(ことかつくにかつながさ)と曰(い)う。

故(か)れ天孫(すめみま)其の神に問いて曰(のたまわ)く、国在りや。
対(こた)えて曰く。在り。因(よ)りて曰く、勅(みことのり)のまにまに奉らん。

故れ天孫彼処(そこ)に留住(とどま)り給う。
其の事勝国勝神は是れ伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の子(みこ)なり。
亦の名は塩土翁(しおつちのおじ)」となっております。

邇々芸能命様、即ち日本皇室の御祖先の御案内を申上げ「此処に国あり」とお導き
申し上げた神様がこれが事勝国勝神であってすべての事に打勝ち、国が打勝つところの
働きをなさる神様これが塩椎翁であります。

 
それから後に神武天皇様が日向の高千穂の国にいまして、
これより何処に都を作れば八紘一宇の世界を建設するに都合がよいかと
考えていらせられた時に、白髪の塩土翁と云うところの老翁の神が現われて、

「東(ひんがし)の方(かた)に美(うま)し国あり、かしこへ行きて都を造りたまうた
ならば必ず世界を統一することが出来まする」こう申し上げ奉って道案内申上げた。

此の東道(みちびき)の神様が塩椎神であります。

 
更に後には仲哀天皇の御崩御あそばされた後、神功皇后様に神懸りになって、
三韓征伐をせよとお示しになった神様、天照大御神様の荒魂であらせられる
撞賢木厳之御魂(つきさかきいずのみたま)天疎向津媛命(あまさかるむかつひめのみこと)
と仰せられる神様がお懸りになり、

つづいて上筒之男(うわつつのおの)神、中筒之男神、底筒之男神なる住吉大神がお懸りに
なりまして、神功皇后様の三韓征伐の道案内をしておられるのであります。

此等の筒之男神は海の神様でありますから、海の魚に命じて、神功皇后様の率い給う
軍艦を艦(ふね)の両側から抱き上げるようにして、魚自身の鰭で泳いで、
「櫨揖(かいかじ)を労(わずらわ)さず新羅(しらぎ)に到る」と『日本書紀』に書いて
あります。

その時に住吉大神は潮満珠(しおみつのたま)の力によって海の水の水平をずっと
満潮以上に高め上げられました。すると、海水は津波のようにふくらみあがって、
滔々乎として新羅の都は水浸しになりました。

すると新羅の王は懼(お)じ恐れて、最早我が天運はこれで尽きたのであるか、
新羅国が始って以来、未だ曾(かつ)てこんな不思議な天変地変は起ったことはない、
これでこの新羅国も滅びるのかと恐れています時に、

神功皇后様の海軍がずっとそのまま新羅の都へ横づけになり、
軍の意気を鼓舞する陣大鼓や笛の音が轟き渡った。
これは歴史にあらわれている敵前上陸の最初の記録であると思うのであります。

 
新羅王は益々恐れて「吾れ聞く東に神国有り、日本(やまと)と謂う。
亦聖王あり天皇(すめらみこと)と謂う。必ず其の国の神兵(みいくさ)ならん」
こう云って白旗を掲げて降参したとあります。

『日本書紀』にあるこの一節は「日本(やまと)」と云う国号が「日本」と云う漢字を
当て嵌めて書いてある最初の記録でもあり、戦争に降服するときに白旗を掲げると云う
習慣があったと云う最初の記録でもあると思います。

それは兎に角、この住吉大神は海の神であらせられ、潮の満干を司っていられ、
或は三韓征伐と云うような、或は神武天皇の御東征と云うような、
或は日子穂々手見命の龍宮海御進出と云うような、

或は邇々芸能命の天孫降臨の時と云うような、
更に遡れば天照大御神が愈々六合に照徹する光を全宇宙にお顕わしになると云うような
国威発揚の前提として出現あそばされて、その導きをなし給う神であって、
別名を塩椎神と申上げることが明かになったと思うのであります。

<つづく>

           <感謝合掌 平成27年4月2日 頓首再拝>

[582] 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演〜その10
伝統 - 2015年04月03日 (金) 05時08分

 
本住吉神社と住吉大社

本来お祭りしてあるところは阪神間の本住吉神社でありまして、
これは神功皇后様が三韓征伐の途上、霊感に由り、瀬戸内海北岸の墨江(すみのえ)の地に
御上陸、仮斎殿をお造りあそばされ、住吉神社として上筒之男神、中筒之男神、底筒之男神
の三神を祭祀せられ戦勝の祈願をなし給うた。

その時、住吉大神より潮満珠及び潮乾珠(しおひるのたま)を授けられ、以上の如き
奇蹟的勝利を得られたので、凱旋後、三神の御功蹟をお讃えになり、
住吉大神として御親斎遊ばされたのだと承っております。

今は住吉神社には神功皇后様を最も上座にしてこれら三柱の海の神をお祭りせられております。
此れが本住吉神社、本すみのえ神社であります。

私が申学時代に参拝した大阪の茨(いばら)住吉神社と云うのは後世そこから
お遷宮申上げお祭り申上げたのだと云うことであります。



御祖神と生長の家大神

招神歌の第一首の歌には「生きとし生けるものを生かし給える御祖神(みおやがみ)
元津霊ゆ幸え給え」とありますが、あの「生きとし生けるものを生かし給える御祖神」
と申上げるのは、これは宇宙大生命であります。

『古事記』に書かれているところでは天之御中主神であり、光華明彩(ひかりうるわしく)、
六合(りくごう)の内に照り徹らせる大神として顕現ましましたのが天照大御神であらせられ、
人体を備え給いて現人神としてお現われ遊ばした神様は天皇様であらせられます。

この天之御中主神、天照大御神のお二方は一体であって、
吾々の否生きとし生ける者の御祖神であらせられる。

万教帰一的にこれを解けば、仏教では毘盧遮那(びるしゃな)如来であり、大日如来であり、
旧約聖書の「創世記」にある創造の神エロヒムの神であり、イスラム教で謂えばアラーの神
であります。


「招神歌」の第四首に「天地の祖神の道を伝えんと顕れましし生長の家の大神守りませ」
と云う歌があるのでありますが、天地の御祖神の道、宇宙大生命の道を伝え導いて
東道(みちびき)の役目を果す神が生長の家の大神であると云うことが、
この第四首目の歌に現われているのであります。

そういう風に生長の家の神様は御祖神様のお道を明かにし、道案内をし、
日本国の使命を明徴ならしめ、人類全体を光明化して住吉世界(極楽浄土)となすために
出現せられた神様であらせられ、

その神様が第二次世界大戦に先立って現われいでたと云うことは、
日本国が丁度、神武天皇様の御東征時代とか、神功皇后様の三韓征伐時代とか云うのに
匹敵する国際的大事変に際会していたからだと思われるのであります。

<つづく>

           <感謝合掌 平成27年4月3日 頓首再拝>

[585] 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演〜その11
伝統 - 2015年04月04日 (土) 04時58分

 
生長の家大神様のお姿

嘗て私の『法悦の力』と云う本が出ました時、あの第三篇のところに「法悦の実証」と
題して、法の悦び即ち真理を悟った悦びで、飲酒癖が廃(や)んだとか、喫煙癖が無くなった
とかいう実例が無数に載っておりますが、あの最初の体験談に載っている
海野(うんの)こうじさんという人の体験をお読みになっただろうと存じます。

――或る時尾谷さんと云われる和歌山の或る小学校の先生の家では何時(いつ)も子供の病気が
絶えないので、栄養剤や強壮剤を沢山買って並べておられた。

それも1本や2本買ったのでは高価につくからと云うので、ビタミンAを1ダース買ったり、
或はポリタミンを1ダース買ったり、わかもとを1ダース買ったりして
まるで家を薬局の様な状態にしておられた。併し始終病気しておって健康にならない。

その時にこの海野こうじさんという人が尾谷先生にこの『生命の實相』を読みなさいと
云ってお貸ししたのでありますが、まだその本を貸して貰った事を少しも知らない
尾谷先生の奥様が、朝御飯をお櫃(ひつ)に移しておられた、御飯をお櫃に移して、

見るともなしに其のお櫃から立ち騰(のぼ)る湯気を見ておられると、その湯気の中に、
一尺位の大きさでもありましょうか、白髪白髯(はくはつはくぜん)のお爺さんで、
裾まで垂れたる白い衣を着た方の立姿があらわれて、威厳と慈愛とに満ちた眼をして
じっと尾谷さんの奥さんの顔を見詰めている。

変なことがあるものだな、こう思って見ていると、すっと消えてしまった。
それからその晩に夫の尾谷先生が小学校から帰って来られて「お前にいいものを借りて
きてやった」こう言って見せられた。

「何ですか」と言ってハトロン紙を開いてみると、『生命の實相』と云う本である。
それからその本をパラパラと披(ひら)いて、まぐれ当りに開けたところを一頁読んで見ると、
そこに、生長の家の神様はこういう風なお姿に現われられるということがある。

こう書いてあるのです。白髪白髯のお姿で裾まで白い衣を垂れたところの姿で現われられる、
と云うことが書いてある。

「ああこれである、私が今朝あの御飯を移した際、御飯から立騰る湯気の中から現われて
ぐっと私を慈愛深い眼で見詰めていらっしゃった神様が、あの方が生長の家の神様だったのか」
こういう風にわかったと云うことが書いてあるのです。

この尾谷先生の奥様は現に誌友で生きていられるのでウソはないのであります。

生長の家の神様のお姿は斯う云うお姿だと先に読んで置いて、それから後に湯気の中で
神様の幻を見たのだったら、読んだ印象が頭に残っておって、湯気のことだから、
ぼんやりとしてどんな形にも見えるからいい加減にそういう風な姿を勝手に幻覚として
見ることになったかも知れませんけれども、

その『生命の實相』を読まない前に、御飯から立騰る湯気の中に立っていられる
白髪白髯の神様をごらんになって、あとから「生長の家の神様は、こういう風な姿である」
と云う説明が出て来たのですから、まことに神秘的であります。

このように生長の家の神様は、お姿の上から云っても
塩椎神様の白髪白髯のお姿で現われ給うのであります。

<つづく>

           <感謝合掌 平成27年4月4日 頓首再拝>

[588] 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演〜その12
伝統 - 2015年04月05日 (日) 04時57分

 
此の白髪白髯の神様のお姿は、一番最初に私の家内が見たのであります。
『生命の實相』の中の一篇に「生長の家の歌」と題する部分があります。
『甘露の法雨』も其の一篇でありますが、その中に「光明の国」と云う題の詩があります。

此の「光明の国」の詩の校正刷が来た時に、それを校正をしておりました時に、
空中にそういう白髪の裾まで神々(こうごう)しい衣を垂れたところの神様が出て来られた
のであります。

この時私はこの神様と問答したのでありますが、この神様は「橘の小門(おど)の
盡十方無礙光、光明遍照の実相世界にいる神」と仰せられました。

橘の小門の実相世界で伊邪那岐命が禊(みそぎ)せられたときに
お生れになったのが住吉大神であります。

一人だけで見たのでは、幻覚だか、白日夢だか判りませぬから、
これだけでは価値がありませぬ。

ところがその次に、その同じ白髪白髯の神様のお姿を私の家内の同窓で高岡高等女学校出身
ですが、家内よりはずっと後に卒業した人で、当時、尼崎にいらっしゃいました
長尾初枝さんと云われる人が、昭和五年『生長の家』の発刊当時非常に熱心な誌友で
ありまして、頻々と私の宅へいらっしゃいましたのであります。

ある日、私と対坐して神想観をいたしましょうと言って、対坐して瞑目合掌、
招神歌を歌ったのであります。

ところが、その長尾初枝さんと云われる御婦人は、霊視の出来る人で、
肉眼には見えないところの霊魂の姿とか神様のお姿とかを見ることが出来るのでありましたが、

その時一緒に合掌対坐して神想観いたしますと、神想観を終ってから、
長尾初枝さんが「先生の後のところにこんなお姿の神様がいらっしゃいました」と
言われるのであります。

その時家内は丁度階下におりましたが、二階へ上ってきて、その話を聞いて、
「その神様はこんなお姿の神様と違いますか。私の拝したのは斯う斯う云うお姿でした」
こう家内が言うと、

「ああそれです。此処の顔の恰好はこうで、着物の素地(きじ)、恰好はこうで、
こういう風な年齢で、髯(ひげ)はこうでした」と両方から互いに言い合って見ると、
別のところで、別の時間に、別の人が見たのですけれども、それが両人(ふたり)の見た姿が
同じにピタリと符合するのであります。

若しもそれが、あちらで見たお姿とこちらで見たお姿とが別のお姿だったら
それは別の神様かも知れませんし、或は出鱈目(でたらめ)かも知れませんけれども、

併し別の時に別別の人が見たのを互いに言い合って見ると同じ相(すがた)だと云うのですから、
それはやはり同じ神様だったと云う事に断定して好いと思うのであります。


<つづく>

           <感謝合掌 平成27年4月5日 頓首再拝>

[590] 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演〜その13
伝統 - 2015年04月06日 (月) 05時04分

 
《幻覚でない神姿》

心理学では斯う云うのを「事実に符合する幻覚」と言っております。

併し事実に符合したら既に幻覚ではありません。それから、昭和五年八月、
或る誌友が大阪の寺町に大善寺という寺があるのですが、
その寺に集まって心霊学の実験をやっていたのです。

此のグループの人は心霊研究にいずれも熱心で、精神統一を熱心に修行した人で、
霊視能力が発達して、霊魂とか神様の姿が見える人たちが多かったのでありますが、

その時に、そのうちの生長の家誌友が
「今日は生長の家で神想観を習って来たから、皆と一緒にやってみよう」と言って、
教えられたホヤホヤの神想観を此のグループで実修なさったのであります。

そうすると、その時、空中に白髪白髯で裾まで白い衣を垂れたところのその神様が
現われられまして、その時五、六人の霊視能力ある人が同時に
同じお姿の白髪の老翁の神姿を拝したのであります。

「今日は、荘厳な今まで此の会に来られたことのない神様の相(すがた)が見えた」と
言ってその五、六人の方が互いに話し合ったのであります。
これは、当時その席に列した誌友から聞いたのであります。

これは「多人数同時に見る幻視」と云って確実なものとされているのであります。

その他たびたび別の時に生長の家の講演会とか、神想観中にそう云う風な
白髪の老翁の姿を見たと云う人はあるのでありまして、それは当時携帯版で出ました
『弁道聴き書』の中にもその事実が沢山載っております。

こうなるとこの神姿は単なる幻ではないのであって、あちらにも見た、こちらにも見た、
別の処でも見た、別の人が見た、併しそれは同じお姿であったと云うことになると
神様のお姿に一定の客観性を認めねばならないのであります。

こんな訳で生長の家を機縁として各人各人に顕われられた生長の家の神様は
架空の神様ではなく実在性のある神様であり、お働きお役目の上から『古事記』にある
塩椎神、『日本書紀』に書いてある塩椎翁(しおつちのおじ)であるということがわかる
のでありますが、

此の生長の家の教に入ると、大抵の誌友が無痛分娩であると云う点からも、
この生長の家の神様が塩椎神であることが判るのであります。



《塩釜神社の御神徳と生長の家》 
 
住吉大神は泉州堺にもお祀りされており、塩椎神は塩釜神社として和歌山にも
お祀りしてありますが、有名なのは陸前の塩釜神社であります。

塩釜神社には塩椎神、経津主神(ふつぬしのかみ)、建御雷神(たけみかづちのかみ)、
三柱が一緒にお祀りしてあるのであります。

いずれも軍神であられますが、塩椎神も、宇宙浄化の神であると共に東道(みちびき)の神
であり、同時に神功皇后様の三韓征伐の時には軍神として軍の先頭に立ってお出でに
なりましたことは既に申上げた通りであります。

ところが普通塩釜様と云うとお産の神様とせられております。

一つには住吉大神は天照大御神様のお生れたまう前に宇宙を浄めてその準備を
なさいましたからでもあり、神功皇后様の三韓征伐の際には皇子を御懐妊遊ばされて
い給うたのを住吉大神が御守護せられましたからでもありますが、

海の神と云うことは産(うみ)の神と語源を同じゅうし、潮の満干にお産は関係して
おりますので、海の神は潮の満干を司るからお産をも司る訳で、
塩釜様と云うとお産の神様と云うことになったのであります。

<つづく>

           <感謝合掌 平成27年4月6日 頓首再拝>

[593] 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演〜その14
伝統 - 2015年04月07日 (火) 04時13分

 
皆様の中にも沢山体験があると思いますが、生長の家の神様を信じると
実に素晴しい無痛分娩が所所方々で行われておるのです。

このあいだも生長の家本部で、こんな体験談を被仰(おっしゃ)った人がありました。
――双生児(ふたご)の無痛分娩の話であります。

双生児が一方の胎児はまともに、もう一方の胎児は逆様を向いて足を骨盤に突っこんでいる。
こんなのはどうも医学上からは自然分娩は頗る難しいとせられています。
一方の胎児はまともで他方はあべこべであります。

グルリと一回転させると逆児の方はまともになる代りに、まともの方が逆児になる。
どうも不便であります。普通は帝王切開をして腹部から子宮を切って出さなければならない。

医学上からはそう診断されておったのですが、その良人は誌友であり
「神様のなさることに間違いはない」と云う固い信念を有(も)っていられて、
「人間には出来なくとも、神様ならどうしてでも出せるのだ」と信じて神想観をなさいましたら、その生れる前に、逆児の方だけがくるりと一回転したのであります。

全体が一緒に回転したら、一方の胎児はまともになる代りに、
他方の胎児が又逆さになって了うのだったのですけれども、その逆児の方だけが
回転してまともを向いてしまったそうであります。

しかも最初の胎児が生れてから、何でも十分間以内の中(うち)に
その次の胎児が出てしまったのであります。

まことに素晴しい安産で、「国策の線に副(そ)うて一遍に二人も産んだ」と喜ばれましたが、
而も、これが無痛分娩だったそうです。

このような顕著な例からも、
生長の家の神様は塩釜大神でお産の神様だと云う傍証が得られるのであります。


《龍宮の大神の御威徳》 

併し、お産と云えば誰でも子供を産むだけのことをお考えになり易いのでありますけれども、
「新しき生命」を産み出し、導き出すのが塩椎大神のお役目で、国運を賭して
国家の新しき運命を生み出す時に塩椎大神が出現しているのは前述の通り『古事記』、
『日本書紀』の示すところであります。

ウミの神は龍宮の大神であり、すべての資生産業(たから)を産出す働きであります。
ですから、生長の家の神の啓示通り人生を生きて行けば産業も盛んになる、
生長の家の人は商売繁昌して何をやってもよく栄えるという実例も時々聞くことがありますが、

それもやはり塩釜大神の御威徳であると考える事も出来るのでありまして、
塩椎の「シ」と云うのは「水」であります。「ホ」と云うのは「火」であります。

「シ」が水であると云うのはおしっこさせる時に「シー」と云う、
そうするとおしっこがシーと出る。

「シー」の言霊(ことだま)は「水滴(したた)る」作用であります。
搾(しぼ)る、したたる、汁、湿る、時化(しけ)などみな水に連関している言葉に
「シ」が附いておりますのは、「シ」の言霊は「水」であるからであります。

「ホ」と云う言霊は上へ燃え上る相(すがた)です。
焔(ほのお)、或は蒲(がま)の「穂」、稲の「穂」なども上へ萌え上る相、
焔と云うのも火(ほ)の火(ほ)であって火の縦に燃え上る相であります。

火は縦であります。水は横に水平になるのであります。
横と縦と、水と火とが結び合されているのが水火津霊(しほつち)
又は水火土(しほつち)であります。

「土」と云うのはその水と火とが結び合って固成したものであります。

<つづく>

           <感謝合掌 平成27年4月7日 頓首再拝>

[597] 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演〜その15
伝統 - 2015年04月08日 (水) 03時23分

 
宇宙一切のものは、水の御恩と火の御恩、土の御恩、
即ち水火土(シホツチ)で出来ているのであります。

皆さん御飯をお喫(あが)りになる事が出来るのも太陽(おひさま)の温めて下さる働き、
お水の潤おして下きる働き、そしてお土の固成(かた)めて下さる働きと云うものが働いて
お米が醸成したからであります。

そうしてその水火土と云うものは隠れているのです。

「私がこんなに功徳を現わしたぞ」と言って別に太陽も水も土も威張っては
被仰らないのであって、黙々として皆なを生かして下さっているのであります。

皆さんを生かしているのは、皆な水火土の御恩であります。
水火土は縁の下の力持をして、そうして皆を生かしていらっしゃる――この神様が
塩椎神様であって、塩釜大神、住吉大神なのであります。

生長の家の近畿綜轄教化部の棟上(むねあげ)式には
態々(わざわざ)本住吉神社の宮司に来て戴き、式を挙行して頂いたのであります。

生長の家は空っぽであって
他を顕わそうとしていると云うのは此の縁の下の力持の働きであります。


《キリスト教における生長の家大神》 

次にキリスト教の方では、生長の家の神様はどう顕われているかと云いますと、
「黙示録」と云うのが、『新約聖書』の一番終のところに附いておりますが、

その第一章に、「七つの燈台の間を歩む人の子の如きもの」と云う
白髪白髯の神様があらわれていられますが、それであります。

『生命の實相』全集の第一巻をお開きになると一番最初に何が書いてあるかと云うと、
「黙示録」の第一章のうちの「白い衣を裾まで垂れたところの白い髯の神様が
この七つの燈台の間を歩いている」と云うところが、引用して載せてある
章(ところ)であります。

併してその直後に「七つの燈台の点燈者の神示」と題して、

「汝ら天地一切のものと和解せよ。……皇恩に感謝せよ。汝の父母に感謝せよ、
汝の夫又は妻に感謝せよ。汝の子に感謝せよ。汝の召使に感謝せよ。一切の人々に感謝せよ。
天地の万物(すべてのもの)に感謝せよ」

と云う神示が載っております。

あの神示は誰方(どなた)から啓示されたかと申しますと
「七つの燈台の点燈者」であります。
「七つの燈台の点燈者」と云うのみで神名は示されておりませぬ。

この神様はみずから顕われるのではなくて隠れたる働きであります。
自分が光るのではなく、凡ての者に燈(ひかり)を点ずる役目をすると
仰せられているのであります。

而(しか)してこの白髪老翁の神が、「黙示録」の第十九章十一節から二十一節迄「王の王」
が世界を統一遊ばされると云うことをお示しになっているのであります。

「黙示録」というのはキリストの弟子のヨハネと云う人が、
その当時キリストが死んでから迫害されてそうして小アジアのパトモスというところへ
流されていらっしゃいました時に、霊能力が開いて、白髪の老翁の神姿を見た。

白髪の老翁が仰せられるのに、これから後速(すみや)かに起るべきことを汝に黙示し、
汝の霊眼に見せるからそれを書き誌(しる)して置け、このことは必ず起るのである、
もう既に起り済みである、「事既に畢(おわ)れり」

とこう仰せられまして、見せられた黙示の中に斯(こ)う書かれているのであります。

<つづく>

          <感謝合掌 平成27年4月8日 頓首再拝>

[600] 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演〜その16
伝統 - 2015年04月09日 (木) 02時40分


「われまた天の開けたるを見しに、視(み)よ白き馬あり、之に乗りたまう者は
『王の王、主の主』であって、その方がこの地上をさばき給う。
その時血なまぐさい戦いが起って、そうして到頭(とうとう)世界は一君に統一せられる。

その時旧(ふる)き天と地は過ぎ去って、新しき天と地とが現われて来る。
新しき神都(かみのみやこ)が、夫のために飾りたる新婦(はなよめ)の如き準備(そなえ)して
地上に、この地上に天降って来る。

即ち地上に天国浄土が実現しまして、神人と偕(とも)に住み、人、神の民となり、
神みずから人と偕に在(いま)して、かれらの目の涙をことごとく拭い去りたまう。
そうして今より後は一切の悲しみも、苦しみも、歎きもなくなって了う」


と云うように書かれておりますが、これこそ、生長の家の善一元の人類光明化運動が
全世界に滲透する最後の段階であるのであります。

この事実を指し示し給うた神様が白髪の老翁であります。

是(これ)こそ日子穂々手見命(ひこほほでみのみこと)様に龍宮界を指し示し、
神武天皇様に大和の国に都つくるべきことを指し示したまうたと同じお働きでありまして、
お働きの上から云いましても、聖書にあらわれたる「七つの燈台の点燈者」なる
老翁の神様と、『古事記』及び『日本書紀』にあらわれたる塩椎神又は塩土翁とは
その御役目に於て一致するのであります。


《天皇信仰に帰一せしめる生長の家》 

更に生長の家の神様とは「仏典に顕われたる釈迦観世音菩薩及びその応化仏」として
届書に書いてあるのですが、何故そう書いたのであるか、
その根拠は何処にあるかと申しますと、

先ず釈迦牟尼仏が生長の家大神と同体の神であると云うことは、
一仏一切仏の原理の方からも判るのでありますが、
ここには現に生きている人の体験談を根拠にして申し上げたいと思うのであります。

どうも仏教の方は「神」という語をお嫌いになります。

普通仏教学者に言わせますと、「仏」と云うのは「衆生」という迷っている凡夫が
修養向上して悟を開いたものであって神とは違う、神というのは、天地を御創造になった
のであるが、仏は未だ嘗(かつ)て天地を創造(つく)ったことはないという風に
被仰るのであります。

斯う云っている限りは、どうしても仏教を信じている人と日本の神道を信じている人と、
或はキリスト教を信じている人とは、日本人同士でありながらその宗派的異教的立場に於て
なかなか仲が好(よ)くなれないのであります。

 
今や日本は本来の実相を顕現して世界連邦の柱とならねばなりません。
世界連邦は神武建国の「八紘一宇」の理念に他ならないのです。

先ず手近のところで全亜細亜(アジア)民族と心の世界に於て和解しなければならない。
それには宗教的異教の立場を捨てて、仏教も、キリスト教も、その他の宗教も、
本来日本神道と一つのものであると云う真理を知らせて、信仰的に東亜民族が手を
つながなければならないのであります。

それだのに仏教の仏と、日本の神とは別々じゃと日本人同士の中でも、
互いに異教徒扱いして争っているようでは、どうして異宗教の他民族を包容して、
神武建国の理想に合致せしめることが出来ましょう。

吾々は他宗教の神仏と雖も、真理は一つであるから宇宙の真理の具体的顕現である
全人類一家族となる世界連邦の理想・八紘一宇の理念の成就をこそ庶幾(こいねが)うべき
ものだと説いているのである。

この「八紘一宇」の真理を成就し給うべく出御せられたのが
塩椎大神即ち住吉大神であります。

<つづく>

          <感謝合掌 平成27年4月9日 頓首再拝>

[602] 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演〜その17
伝統 - 2015年04月10日 (金) 06時11分

 
日本主義は結構でありますが、本当の日本主義は「八紘一宇」主義ですから、
一切を包容する精神でなければなりません。

狭く凝り固まった日本主義の人達の中には、天照大御神様を日本特有の神様であって
外国の宗教の神仏と一緒にしてはならない、それは天照大御神の尊厳の冒涜になると
お考えになっている方もあるらしいのであります。

特有とか特別とか申しますと何だか豪(えら)そうですけれども普遍性がないと云う事であり、
地方的だと云う事であり、どの民族からも共通的に礼拝せられる宇宙的本尊とはなれないと
云う事になり、神武天皇様の八紘一宇の理想から遠いと云う事になるのであります。

八紘が「一宇」となったら、「日本特有」などと云うものはありませぬ。
だから「日本特有」等と云う言葉を私は取除きたいのであります。

天照大御神様はそんな小さい神でなしに、宇宙の大神であられる。
他の宗教の神はことごとく、宇宙の大神の垂迹(すいじゃく)あそばされたものであるから、
一切宗教の本当の本尊を拝むには天照大御神を礼拝すべきであると私たちは信じている
のであります。

そうすると、仏というもの、キリストと云うものも日本の神と同体の神で
あらせられるということになるのであります。

 
名古屋、北陸、広島地方は真宗の盛んなところでありますが真宗の人の中には、
日本国に生れながら日本の神様をお嫌いな人が多いようであります。

そうして「私は阿弥陀仏一仏を信ずるのである、阿弥陀仏さえ拝んだら好い、
他の神様を拝んだら罰が当る」斯う云って、中には天照大御神様の御璽(みしるし)さえも
お祭りにならない方もあります。

日本神国に生れながら、お釈迦さんが印度で説いた阿弥陀仏だけが本当であって、
日本の神は特別のものであるから信ぜられないと云っているようでは誠に寒心すべきであって、
日本一国でさえも、信仰的に一つにまとまらないことになると思うのであります。

茲(ここ)に宗教的にも他民族の神様さえも一つに包容して八紘一宇即ち
“人類皆同胞”の理想に帰一せしめなければならないのであります。

その働きを以て出現あそばされた神が塩椎神であり、
「生長の家」なる教化運動出現の使命も其処にあるのであります。

ですから日本の神様も特別扱いしないで、普遍性、八紘一宇性を以て大きく解釈しなければ
ならないのでありまして、日本主義の方も、仏教の方々も、仏様と神様とは異るなどと云う
宗教的批判に捉われないで、神の実相、仏の実相を見て、「神々はみんな御一体」と
八紘一宇的度量を以て解釈して頂きたいのであります。


《釈迦牟尼仏と生長の家》 

『生命の實相』の何処かに説いてあるから皆さんは知っていらっしゃるかも知れませんが、
富山県の砺波(となみ)郡と云うところに梶喜一郎という人があった。

その人は元来真宗の熱心な信者であります。
三十年程前、安吉先生といって真宗の偉い坊さんが富山県にあったそうであります。
非常な傑僧で「念仏一道」を説いていられた。

附近の町村民は甚だしくこの安吉先生を随喜渇仰して
その先生のお寺へ行ったものだそうであります。

特に御婦人の方々のうちには随喜渇仰して家を空けて夫のことさえ忘れて寺へ籠って
法悦に浸っていると云うような狂信状態さえ惹起し、
家庭争議が到る処に起ったと云う程に魅力のある坊さんだったそうであります。

ところがそのお坊さんがお亡くなりになる時に、自分が死んでから長きのちに、
自分の教と同じ教をする人が出て来ると被仰ったそうであります。

その「自分が死んでから長き後」と云えば何年後のことか知りませんけれども、
梶喜一郎さんはその安吉先生の信者だったそうです。

<つづく>

          <感謝合掌 平成27年4月10日 頓首再拝>

[604] 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演〜その18
伝統 - 2015年04月11日 (土) 03時04分

 
それで安吉先生の亡くなったことを歎いて、後にそういう人が出て来て
教を説くのを心待ちにしておられたのでありますが、
或る時、『生命の實相』を求めてお読みになったのであります。すると

『生命の實相』の教が真宗の安吉先生の言われた教と同じように書いてあるのであります。
而もそれが一層詳しく『生命の實相』に理論的に書いてあります。

ああこれで真宗の教が本当によくわかった、こう思ってその梶喜一郎さんは
大変お悦びになりましたが、ただ一つ気にかかるのは何であるかと云うと、
それは『生命の實相』には「神」と云う語が諸方に使ってあると云うことであります。

どうも自分は阿弥陀さんを信じている、それだのに『生命の實相』を読んだら、
神という字が到る処に書いてあって、自然に天照大御神を信仰する様になる様に書いてある。

併し自分は今迄神様と仏さんと別のものだと思っていた。
「此の生長の家の教に随(したが)ったら阿弥陀さんに叱られやしないか」こう考えて
何となしに恐しいような矛盾を感ずるのであったそうです。

そこで一度上京の機会があったら「生長の家本部」へ行って親しく私に会って、
話を聴いて見たい――こう思っていられたそうであります。

そして或る日、富山県からやって来られて
東京渋谷穏田の「お山」と云われているところへ来られた。

此処は少々小高い山の坂道を上って行くので、宮崎さんの祖父(おじい)さんの代から
「山の家」と云われていたので、「お山」と云い出したのであります。
この「お山」の私の家に梶さんは午後六時頃にやって来られたのであります。

 
その日丁度午後六時から講演会が九段の軍人会館で始まっておったので
私は留守であったのであります。

留守居の人が梶喜一郎さんに「先生はいま軍人会館へお出でになって御講演中であるから
あそこへ行って聴きなきい」と言われましたので、梶さんは追っかけて行って九段の
軍人会館へ行ったら、もう軍人会館内は聴衆で一杯に充満しているのです。

やっと後ろの方に一つ席があったので、そこへ掛けて聴いておられたのであります。
その時は何事もなかったのであります。

翌日、梶さんは私の宅へ訪問して来られました。
その時分は私の宅は三間ぶっ通しにして二十一畳位敷ける、そこに廊下が二方に附いている
ので廊下共で三十畳位になりますが、そこに五、六十人の誌友が並んで私の話
を聴いておられた。

そうすると私の坐るところがないのです。
私は座敷の縁側の方へ押し出されていましたが、縁側に坐り込んでは後ろの人に
顔が見えないから、私は縁側の上に椅子を置いて腰掛けて
そうして皆さんの顔の見える位の高さになって話しておったのであります。

その時、私の座から三番目位のところに梶喜一郎さんがいらっしゃいました。
私は縁側で腰掛けていたのですが、縁になっている板の間と畳との間に敷居がある、
その敷居の上には鴨居がある、その鴨居の上に釈迦の石仏の写真が掛っていました。

これは何でも支那事変のとき「大同の石仏」と云って日本軍が占領して石仏を保護して
いるとか新聞に出ていましたあの「大同の石仏」の中で一番相(すがた)の良い釈迦牟尼仏像を、
当時、青山五丁目、その後吉祥寺に開業していらした写真師山本明さんが写真に撮って
来られて其の原版を持っていられた。

この山本明さんが生長の家の誌友で、或る日「お山」にやって来られましたら、
私は家にはその頃壁間に、ラファエルのマドンナ像――キリストを抱いている絵とか、
「黙示録」に現われている太陽を頭に戴いて三日月を足で踏んでいる女神の像など
西洋の基督教関係の名画の複製が掲げてあったのであります。

山本明さんが思われるのに「生長の家は万教帰一だのに、こんなにキリスト教関係の絵
ばかり壁間に掲げて置いたら、生長の家はキリスト教の一派だと思って来訪者が誤解すると
可(い)かんから私が仏教関係の写真を持って来て調和させて上げましょう」と言って、

先刻(さっき)言い出しました大同の石仏の中で一番端麗(たんれい)な顔の釈迦牟尼仏像を
引伸して持って来て下さった。

――尤もその現物の釈迦牟尼仏像は今はもう砕けてないのだそうですが――それを引伸して
来られまして、額にまで入れて、丁度私が腰掛ける椅子の前に当る鴨居の上に掛けて
下さったのであります。

<つづく>

          <感謝合掌 平成27年4月11日 頓首再拝>

[607] 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演〜その19
伝統 - 2015年04月12日 (日) 02時16分

 
梶喜一郎さんは、その鴨居に掛っている釈迦牟尼仏像の写真を見ては私の顔を見、
左見右見(とみこうみ)しておられますので、私は「この人は一体何をしているのだろう」と
思っていますと、梶喜一郎さんは、鴨居の額を指して「これは何方(どなた)の写真ですか?」
と言われたのです。

そこで私は「これはこうこういう訳で、山本明さんと云う写真屋さんが、
大同から石仏を写して来た釈迦牟尼仏の像ですよ」こう言ったら、
それを又見詰めていた梶さんは「ああわかりました」と言われるのです。

何がわかったのかと思っていますと、「実は今まで私は『生命の實相』を読んで
真宗の教が本当によくわかったと思って悦んでいたのですけれども、唯一つ心に
閊(つか)えることがある。それは惜しい哉『生命の實相』に神という字が書いてあるので、
どうしてもその神と仏とは別である。やっぱり真宗と生長の家とは此の点で異(ちが)うから
生長の家を信じたら阿弥陀さんに叱られるような気がしておりましたが、

昨日軍人会館へ行って先生の御講演を聴きましたら、その演壇には此処に掲げてある
この写真の人が講演しておりました。今の肉体の谷口先生の顔とはすっかり異うのです。
ですから昨日講演していたこの写真の人は誰か知らと思って訊きましたのです。

ところが、いま、これはお釈迦様の像であると言われたので、
生長の家の説教をせられるのはお釈迦様が説いておられるのだ、
決して肉体の谷口と云う方が説いているのじゃない。

お釈迦様が説いておられるのが、これが生長の家であるから生長の家は仏教だと知って
私も安心致しまして、生長の家と真宗とを一緒に信ずることが出来ます。有難うございます」
と言われました。

あとで承りますと、梶喜一郎さんはその講演を聴くまでは、左の耳が難聴で電話を
左の耳で聴いて、右の手で数字などを書きとめる時、左耳に受話器を当てても聴えないので
弱っていたのですが、講演を聴いて心境とみに開けた結果左の耳がよく聞えるようになった
そうであります。

生長の家で説教しておられたのが、仏典に現われた釈迦牟尼仏だと云うことになりますと、
生長の家の大神とは釈迦牟尼仏だと云う事にもなるわけであります。

併し私が釈迦牟尼仏ではないのであります。
私の説くところが釈迦の説かれる真理でありますから、
波長が合うところにテレビジョンのように釈迦の姿が現われたのであります。

 
さて奈良の東大寺には大仏像が安置せられておりますが、大仏さんと云うのは、
この千葉(せんよう)の蓮華(れんげ)(千の花弁の附いている蓮華)の真中に
毘盧遮那(びるしゃな)と云うところの仏さんがいらっしゃる姿を像にしたものであります。

毘盧遮那というのは、訳すると「光明遍照」という意味であります。
「毘盧遮那仏」と語尾に「仏」と云う字を附けたのは、人格化して「ビルシャナ」を
取扱ったので「ビルシャナ」の本来の意昧は光明遍照と云うことで

「光華明彩(ひかりうるわ)しく六合(りくごう)に照り徹(とお)り」と云う意味でありまして、
『日本書紀』にある天照大御神のお姿その儘(まま)であります。

それを古代印度の人は古代印度語で言うより仕方がないから「ビルシャナ」と言ったのです。
それを更に重訳する場合には、訳者の心持や時代の宗教に従って、仏教的な用語を使って、
大日如来とか毘盧遮那仏とか言ったのでありまして、

「ビルシャナ」そのものには「仏」と云う意味はなく、
唯「光明遍照」の中心体という意味があるだけであります。

兎も角この「光明遍照」の中心体が宇宙の真中に坐(ましま)すことを、
蓮華蔵世界の中心座たる蓮華王座に「ビルシャナ」坐すと云うのであります。

<つづく>

          <感謝合掌 平成27年4月12日 頓首再拝>

[608] 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演〜その20
伝統 - 2015年04月13日 (月) 03時46分

 
この宇宙を蓮華蔵世界だと云いますことは、
蓮華の中心には「皇(ス)」があるからであります。

そして奈良の大仏像の台座の近くへ寄って御覧になれば判りますが、
その蓮華の千葉の花弁一つ一つにみんな仏の国土があって、そこに釈迦がおられる。

千葉の花弁の一枚一枚に釈迦がおられて、その千釈迦が中心座のビルシャナ
(即ち「光明遍照」の中心法体)の御徳を顕揚しているのでありまして、
『梵網(ぼんもう)経』や『華厳(けごん)経』にこの事が書いてあります。

即ち釈迦は大宇宙の光明遍照の真理の御顕現にまします天照大御神の御徳を
顕揚するために出現せられました生長の家大神の化身化仏でありますから、
生長の家では、心に幽斎安置する仏様として釈迦を尊んでいるのであります。


《観世音菩薩と生長の家》

それから又生長の家の神様は仏教では観世音菩薩とも現われていらっしゃるのであります。

これは大阪の生長の家誌友連合会の会長をしていらっしゃいまして、
今は既に故人となられましたが、門脇(かどわき)観次郎と云う人がありました。

この人は神戸高等商船学校の教授をしていらっしゃいましたが、
停年でお辞(や)めになり、函館市長の選挙に候補者になったりしていらっしゃいましたが、
その時分に生長の家にお触れになったのであります。

そうして「貴方はそんな政界へ出て活躍しようなどと考えないで自分の今持っている能力を
活かして社会に献げるのが、生長の家の生き方ではないか」と私が申しましたら
政界に活躍する事を断念せられまして、自分は高等商船学校の教授であったのだから、
海事には精通しているからというので、海事審判の弁護士を開業せられたのであります。

そうして生長の家にお入りになってから、慢性中耳炎、慢性胃病、神経痛がお治りになり、
大変喜んでいらっしゃいましたが、この門脇さんは前々から田中智学氏に就いて
日蓮主義を学び、熱烈な『法華経』の信仰を持っていらっしゃったのでありますが、
その『法華経』の意味が『生命の實相』で一層精(くわ)しく判ったと云ってお悦びになった
のであります。

『法華経』の中に、皆さん御存知の普門品(ふもんぼん)第二十五と云う処に、
観世音菩薩の功徳が詳しく書いてあります。
従ってまた観音信仰であって、自宅に観世音菩薩を祀っていられたのであります。

 
生長の家に入ると共に『法華経』の意味愈々明らかになり不退転の堅信を得られましたので
或る日合掌神想観して「生長の家の神様の相(すがた)を拝まして下さい」と言って
熱心に精神統一をしていらっしゃったのであります。

すると空中に観世音菩薩像がポッカリと現われました。

「ほう生長の家の神様と云うたら観世音菩薩か知ら? 」と思われましたけれども、
自分の妄想が描いた幻かも知れない。或は自分は日蓮主義で、そうして『法華経』を
信仰した観世音菩薩を邸内に祀っているのであるから、今祀ってある観世音が
出て来られたのかも知れぬ。それとも或は本当の生長の家の神様かも知れぬ。

この三つの解釈の仕方があるので、その頃阪神間の住吉村におりました私を訪ねて、
「一体これは本当に生長の家の神様でしょうか。この三つの解釈の何れが正しいのでしょう」
と被仰いまして、私の意見を求められたのでありますが、

私は「生長の家の神様の神示にはどう書いてあるかと云うと、神は姿形なきものである、
とこう書いてありますから、本来は姿形なきものであるけれども、相手を済度する為に
相手に随って色々に現われられるのであります。

だから貴方は妙法蓮華経を信じてそうして観世音菩薩を祀っていられるから、
此の人には観世音菩薩の相を以て現われれば信仰が深まって救われるであろうと
観音様の姿を現わされたのでしょう。

観世音菩薩と云っても本来姿はなく、世の中の音を観じてその音の姿に応じて
三十三身に身を変じて救われるのですから、生長の家の神様が姿形がないと
云われるのと同じでしょう」とそんな御返事をしておいたのであります。

<つづく>

          <感謝合掌 平成27年4月13日 頓首再拝>

[611] 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演〜その21
伝統 - 2015年04月14日 (火) 03時33分

 
それから私が東京へ移転しまして、門脇さんがその観世音菩薩のお姿を見てから
3年程後に現行の生長の家の徽章(きしょう)が出来上ったのであります。

日本“神ながらの道”を現わす太陽が一番外側にあり、次に仏教の卍(まんじ)があり、
その真中に緑の星形の十字がある。

これはキリスト教と、仏教と、日本神道と一つに結び合って融け合っている象徴と
なるようなマークを作りたいと云って、当時帝展の審査員でいらっしゃいました
山根八春(やつはる)先生にお願い申上げて図案して貰ったのであります。

七種類の図案を拵(こしら)えて下さいましたが、「ここは、もう少しこうして下さい」
と言って私からも助言して、少し直して出来上つたのが、今の生長の家の徽章でありますが、

銀製七宝琺瑯(ほうろう)焼付けのその徽章のメダルが出来上りまして、それが大阪に
到着しましたとき、生長の家大阪誌友連合会長の門脇さんがそれを御覧になりまして、

「はあ不思議だ。このマークは見たことがある、何処かで見たことがある。ああ思い出した、
これは三年程前に、生長の家の神様のお姿を拝まして下さいと言って念じた時に、
瞑(つむ)っている目の前にすっと現われられたところの観音様の宝冠の真中に
このマークが附いておった」と申されたのであります。

「ああこれでわかった、わかった、観音様は生長の家の神様であった」と
門脇観次郎さんは大変お喜びになったのです。

 
若しこの生長の家の徽章が前に拵えてあって、
それからそんな観音様を見たのでありましたら値打はないのです。

何故かと云うと最初から徽章の形を知っているのなら、その知っている形が幻に混入されて
観音様の冠へそれが織込まれて、そんな幻を見たとも解釈できるのでありますけれども、

3年前に観音様の冠に生長の家のマークがちゃんと附いておったのを見て、それを忘れた頃に、
人間界で工夫して拵えた徽章が、3年前に見たのとソックリであり、それが観音様の宝冠に
附いていたと云うところに価値があるのであります。

 
生長の家の現象学の学説によりますと、現象界へ現われるよりも前に何事でも先ず現象以前の
世界で創造(つく)られる、それがやがて或る時間的空間的展開をなして現われて来るのだ
と云うのですが、この現象はこの理論を実証しているのであります。

このように3年前に観世音菩薩が示された通りに3年後に生長の家の徽章が出来、しかも
「生長の家の神様を拝まして下さい」と念ずると観世音菩薩が現われられたと云うのですから、
生長の家の神様は、仏教では観世音菩薩として現われられると云っても間違はないと思う
のであります。

『般若心経』には観世音菩薩の行ぜられた深般若波羅蜜多行(じんはんにゃはらみたぎょう)と
云うのがありますが、これが神想観でありまして、後に発行された『詳説・神想観』に
詳しく説明されている通りであります。

尚、生長の家の神様が観世音菩薩と現われて示し給うた幾多の霊験功徳は余りに多くて、
唯今皆きまにお話し申上げることは出来ませんので、「観音霊験記」と云う一章を設けて
七月十日頃出版されます『おはなし読本』(編集部註・現在谷口雅春童話集5『幸福ものはだれ』)
の中に輯録(しゅうろく)することになりました。

「おはなし」と云っても、その奇蹟が余り奇々怪々であるので一纒(まと)めにすると
面白いので『おはなし読本』としたのでありますが、すべて実際にあった物語なのであります
から信仰を高むる上にお読みになると必ず得るところがあります。

<つづく>

・・・

(参考)

「おはなし読本〜いのちの巻」 は、国会図書館デジタルコレクションにて公開されております。

Webアドレス→ http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1717201

その中で、「観音霊験記」は、一番最後のお話として収録されております。

上のWebアドレスにおいては、著書のタイトル名のすぐ下の部分の「コマ番号」で
”149”を選択していただくと、「観音霊験記」の最初の部分が示されますので、
順次、読むことができますので、この機会に是非拝読されますようお勧めいたします。

なお、もし字の大きさが小さくて読みづらい場合は、「コマ番号」の右下の+ボタンで
ズームアップすることができます。

(伝統、補足書き)

          <感謝合掌 平成27年4月14日 頓首再拝>

[612] 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演〜その22
伝統 - 2015年04月15日 (水) 03時26分

 
『法華経』の普門品を調えて功徳があるのも観世音の霊験に対する信が高まるからであります。

兎(と)も角(かく)今は釈迦如来の預言されたところの末法の世で、仏説の論議のみあって
実際なき時代でありますが、その末法の世に教・行・信・証の四つながら揃ったところの、
而も一宗一派に偏らず、他宗の冠婚葬祭の儀式へ進出せず、

内面的自覚によって功徳を得る教化運動として出現して末法の世を終末せしめ、
新天新地を招来せしめ、地上に天国浄土を建設するための教化運動として出現したのが
生長の家であります。

既に生長の家の教による功徳は、各自の祖先の宗教をそのまま信じながら起っているので
あって、これは、皆さん自分自身の生活に実現していられて夙(つと)に御承知のことである
と存じます。

まだ実現していられないとしましたら、
それは皆さんが信仰を血となり肉となるように行じておられないからであります。
「行ずる」と云うことは御飯を食べるのと同じことであります。

皆さんがお米の説明書を読んでも、いくらお米について知っても決して腹がふくれない
のであります。これは行じないからであります。お米の説明を聞いても、ビタミンBが
いくらあると聞いても腹はふくれない。
これは食べるという行事によって初めて吾々の血となり肉となるのであります。

皆さんもこの生長の家の教を血となし肉となして、家庭生活の中に大調和を、
隣人に対する愛を、深切を、行じて行かれる時に、理窟は知らなくとも、
一文不知の俗人でありましょうとも、皆さんの生活に功徳と云うものが現われて来ることは、
御飯をお喫(あが)りになって腹がふくれるほどに至極当り前のことなのであります。

本日の昼の講演はこれだけに致しておきます。

<了>

          <感謝合掌 平成27年4月15日 頓首再拝>



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