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谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐

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[901] 日々読誦三十章経(経言)
伝統 - 2015年10月25日 (日) 19時52分

           *「日々読誦三十章経」より 

【招神歌(かみよびうた)】

  生きとし生けるものを生かし給える御祖神(みおやがみ)
   元津霊(もとつみたま)ゆ幸(さきは)え給え。

  吾が生くるは吾が力ならず天地(あめつち)を
   貫きて生くる祖神(みおや)の生命(いのち)。

  わが業(わざ)はわが為すにあらず天地(あめつち)を
   貫きて生くる祖神(みおや)の権能(ちから)。

  天地(あめつち)の祖神(みおや)の道を伝えんと顕(あ)れましし
   生長の家大神(せいちょうのいえのおおかみ)守(まも)りませ。


【新天新地の神示】

見よ、われ既に天地を新たならしめたのである。
人々よ、眼の蔽ひをとれ、われは新しき智慧である。
新しき生命である。新しき宇宙である。新しき光明である。

われ臨(きた)つて此の世界は既に変貌したのである。
既に信ずる者の暗黒は消え、醜汚(しゅうお)は滅し、病ひは癒え、
悲しみは慰められ、苦しみは柔らげられた。

神秘を見て人々よ、目覚めよ、覚めてわが新しき光に照らして存在の真実を見よ。
われは存在の実相を照らし出す完成(ななつ)の燈台に燈(ひ)を点ずるものである。

悲しみに泣き濡れた人々よ。いま眼を上げて吾が光を受けよ。
汝の悲しみは喜びに変るであろう。

病める者よ、いま病の床より起ちて、わが生命を受けよ。われを拒むな。

われを信ぜざる者は已(や)むを得ぬ。
われを信ずる者は黙坐してわれを念じ、われに依り頼れ。
われ汝等に「神想観」 と言ふ観行を教へたれば、それを為せ。

われに汲むものは常に新しき力に涸(か)れないであろう。
吾を呼ぶ者のもとに吾は常にありて、汝らのいために汝らの重きくびきを軽からしめる。

なんぢ一人なれば吾を念じて吾を念じて吾とともに二人なりと思へ。
なんぢら二人ならば、われを念じて吾と倶(とも)に三人なりと思へ。

悩める者よ、わが言葉を読めば苦しめる魂も軽くなり、悲しめる魂も慰めを得ん。

そはわれは限りなき大愛であるからである。
汝ら事にのぞんでわれを呼べば、自己の知らざる智慧の湧き出づるに驚くであろう。

信ぜぬ者、呼ばぬ者は、不憫(ふびん)であるが助けやうがないのである。
汝の心の疑(うたがい)がわが救ひの波長に合わないからである。

遠くにゐて救われてゐる者もあるが、近くにゐても救はれぬ人もある。
仕方のないことであるが不憫である。

もつと兄弟たちに「生長の家」 を伝へよ。
神の愛は貰ひ切りではならぬ。
頂いたお蔭を「私」 しないで、神の人類光明化運動に協力せよ。

「生長の家の神」 と仮りに呼ばしてあるが、「七つの燈台の点燈者」 と呼んでもよい。

七つの教へとイスラエルの十二の分派(わかれ)がわが教へで新しき生命を得るのだ。
わが教へはどんな宗派をも排斥するような狭い宗教ではない。
教への太宗(もと)であるから宗教と云ふのである。

(昭和六年五月六日神示)

[902] (上旬)<一日〜十日>
伝統 - 2015年10月25日 (日) 19時55分

一日の経言(のりごと)〜【新たに生れる言葉】


天地のはじめは今を始めとする理(ことわり)あり。
今吾等は新生したのである。

今より自分は自己の生活を自分自身で支配する。
自分は自分の生活の主人公なのである。

吾れはいま力と勇気をもつて新生し新しき日の仕事と生活とに向うのである。
吾れは今わが仕事に溢るる熱誠をもつて赴(おもむ)く。
吾れは歓びに満たされて進み行く。

そは吾れいま吾が求むるものは凡て神より与え給うと信ずるからである。
吾れは今吾がうちに神が宿り給うことを知る。
吾れは決して此の感じを失わないのである。

吾れは今日(きょう)も終日(ひねもす)吾れを支えたまえる無限全能の力を
わがうちに感ずるのである。何が吾れに起つて来ようとも、其れに対する準備が
与えられていないと云う事はあり得ない。

吾れに智慧が必要ならば其の智慧は既に与えられているのである。
吾れに愛が必要ならば其の愛は既に与えられているのである。
吾れに勇気が必要ならば其の勇気は既に与えられているのである。
吾れに力が必要ならば其の力は既に与えられているのである。

吾が内なる生命(せいめい)は、神と融け合つて一つとなつているのである。
吾が内より生命(せいめい)の清水は無限に泉(いず)み出るのである。

真理なる神は吾れに凡てを教えたまい、真理の道にわれを導き給うのである。
吾れは全能の力によって守護されているのである。

吾れは無限の力の泉を自己のうちに有する。
不思議なる力と平和とがその泉から湧き出て来るのである。
今日(こんにち)われに接する人々は、
わが雰囲気に大いなる魔力の如き力のあることを感ずるであろう。

吾れは此の魔力の如き力が、吾が内に宿れる『無限なる者』の力で
あることを知るのである。

吾れ此の『無限なる者』に感謝し奉る。


・・・      


二日の経言(のりごと)〜【心の独立を得る言葉】


自分は神の子であるから、今自己の生活を、意識的に自分自身で支配するのである。

自分は今より自分の考えようと思う事物をのみ考える。
自分は自分の生活に何事が湧いて来ようとも
自己の心を支配することによってそれを支配することが出来るのである。


吾等は自己の思想を日に日に一層よきものたらしめ、
創造を司る宇宙霊が、吾等に一層幸福なる状態に此の世界を創造して呉れることを
信ずる。

吾等は至上の智慧に導かれんがために、真理についてのみ考えるのである。
吾等は、あらゆる智能に優った神的平和を獲(う)るために
信仰の事についてのみ考えるのである。


吾れは今愛の霊に充たされている。
吾れは今聖なる宇宙の心と調和している。
吾れは今心を開いて至上なるものの感情を胸に受けているのである。

吾れは今意識的に愛とそして智慧なる宇宙の心に接触している。
吾れは今神の御側(みそば)にはべって、
神が吾が力を新たならしめたまうのを待っている。


吾が心は今神の上にのみ注がれている。
それ故に、吾れはすべての人々に対して、又自分自身に対しても平和なのである。

如何なる禍も自分の上には降り濺(そそ)がない。
愛の天使が自分の周囲をとり巻いている。

吾れはいま吾がいのちが神の子であることを知るが故に、
無限なる者の力をうけて歩むのである。


吾らは神の子として生きて決して奴隷の如くには屈従しない。

われは法則を守り、法則は吾れを護るのである。
われは法則に従い、法則はに吾れに従うのである。

吾れは無我の聖悦に充たされながら、神に吾が胸を打ちまかすのである。
今此の時、吾れは神の援助の慈手(やさしきみて)が吾が上に来ている事を感ずる。
吾れは歓喜(よろこび)に充たされている。

吾れは強し。吾れは今生命(せいめい)と愛とを吾が裡に感ずる。


・・・


三日の経言(のりごと)〜【観音妙智観】


吾れはいま吾が住む世界を観音妙智力の表現であると観ずる。

み空の星は観世音菩薩がわれを看(み)まもりたまう瞳である。
梢に鳴る風の音(ね)、小川の潺々(せんせん)たる囁(ささや)き、
これら全ては観世音の吾れに告げ給う御言葉である。

自然界の凡ゆる力は吾れを生かそう生かそうとしている力の顕れである。
吾(わ)が住む世界は最早未知の世界ではないのである。
吾れは此の世界を理解し、此(この)世界は吾れを理解している。

されば吾れは今より恐るるところはないのである。
吾れはいま宇宙に偏在し給う隠れたる力の泉を汲む。
吾れはいま宇宙の凡ての力と調和している。

吾れはいま真(しん)に『愛』そのもの『智慧』そのものに導かれて
平和の道を歩んでいるのである。

観音経には、

『或(あるい)は怨賊(おんぞく)の繞(かこ)みて、各々刀を執(と)りて
害を加うるに値(あ)わんにも彼(か)の観世音の力を念ずれば、ことごとく即ち慈心を
起さん。呪詛(じゅそ)諸(もろもろ)の毒薬もて身を害せんと欲する者あらんにも、
彼(か)の観世音の力を念ずれば、還(かえ)りて本人に著(つ)きなん。

若(もし)くは悪獣に囲繞(いにょう)せられ、利(と)き牙爪(げそう)の怖るべき
あらんにも彼(か)の観世音の力を念ずれば、疾(すみや)かに無辺の彼方に走り去らん。』

と書かれているのである。

観世音菩薩は宇宙浄化の智慧であり、宇宙を育みたまう大慈悲である。

吾れ観世音菩薩と倶(とも)なるが故に、
吾れに抗(さから)う力は何処にもないのである。

観世音の大慈悲はいま吾れを愛したまい、吾れを導きたまい、
吾れに新しき生命を与えたまう。

観世音の妙智力は全てのものに宿り給う。
それ故に吾が世界の一切は調和しているのである。

吾れ観世音菩薩に感謝し奉る。


・・・


四日の経言(のりごと)〜【無限力を発揮するための言葉】 


吾れは今心の眼を開いて、わが魂の神的なる性質を意識する。
吾れはいま神にして吾等凡てのものの父なる者とのまつたき結合を意識するのである。

神は総ての上に、また凡てに行(ゆき)亙(わた)りて、
そして自分の中の凡(あら)ゆるところに内在して坐(ま)しますのである。

此の高き自覚を得たのであるから、吾れは敢(あえ)て一切のもののうちの
最も善き物を要求することが出来るのである。

吾れはいま徒(いたづ)らに他(た)に力を求めない。
何となれば神こそ渾(すべ)ての渾てなる力であることを知るからである。

吾れは吾がうちに絶大なる力が宿っていることを敢て確認する。
現在吾が中(うち)に蔵(かく)されたる力が悉くは発(ひら)かれてはいないとは云え、
吾れは其の力を所有することを自覚する。

吾れは吾れに内在する神の力の全部を次第に発揮しつつあるのである。

吾れは無限の生命と一体である。
吾れは無限の智慧と一体である。
吾れは無限の愛と一体である。

『祖神(みおやがみ)』の所有し給う一切を吾れも亦所有するのである。
吾れは何者にも吾が魂の束縛せられないことを誇りとする。

しかも吾れは『祖神(みおやがみ)』と
吾れとが完き結合に於いて一体であることを知るが故に平和である。

『祖神(みおやがみ)』と吾れとの結合を破るような感情が若しあらば、
吾れは今それを永遠に放下(ほうか)するのである。

吾れは善その物と一体である。
吾れは吾が御親(みおや)、吾が神と一体である。

吾れ今わが魂にこの感じを得せしめ給いしことを感謝し奉る。


・・・


五日の経言(のりごと)〜【善と融合する言葉】


吾れは今、『善』そのものと融合して一体であることを感ずる。
吾れは最早、『善』そのものと疎隔の感じをいだかない。

吾れは『神』の家に住む神の子としての権利を自覚して悦びに満たされているのである。
吾れは悪夢より目覚めて『神』の御許に往くのである。
いま吾れは吾れに内在する神の生命(いのち)と愛と智慧とを明らかに知るのである。

吾れは吾が境遇と運命とが自己自身の想念の反映に過ぎないことをさとったのである。
それ故に吾れは最も善きものを、最も潔(きよ)きものを、
最も眞なるものをのみ思うのである。

吾れは凡てのもののうちに、吾が求むる善きものを見出すことが出来るのである。

吾れは今、神の智慧と力とで満ち溢れている。
吾れは、今宇宙生命(せいめい)と一体なることを感じて歓びに満たされているのである。
それ故に吾が求むる一切は必ず成就するのである。

吾れ此のことを感謝し奉る。


・・・


六日の経言(のりごと)〜【人生に主となる言葉】


吾れは今、吾が本性が神とまったく同体であることを覚(さと)ったのである。
吾れは神が渾(すべ)てであり、従って神以外に何者も此の世に存在しないことを
知ったのである。

神は渾ての渾てである。
だから吾れが苟(いやしく)も存在する限り神と吾れとは一体なのである。
吾れは存在する、それ故に吾れは神と一体なのである。

神と一体なるが故に、吾れは神の本性(ほんせい)より
その善きもの一切を賦(わか)ち与えられているのである。
神の有(も)ち給う総ての物を吾れも亦有つのである。

此の深き悦びに吾が心はわなないているのである。
吾が心は深き聖悦に満たされているのである。

神は全能である。
それ故に吾れも亦全能なのである。

吾れは凡てを知る智慧によって導かれているが故に、吾れも亦全智なのである。
神は疲れたまうことなく、倦み給うことなきが故に、
吾れは決して失敗も疲労もないのである。

吾れは神が必ず吾が力を新たならしめ給う事を信ずる。
吾れは神に吾自身をうちまかす。
それ故に金剛圍山(こんごういさん)の動かざるが如く、吾が心も不動である。

吾れはいま他(た)の人たちの偏見や非難や時代の伝統から全然自由である。
吾れはいま自分自身の判断と自分自身の標準とを持つのである。

吾れは人間である。
人間は神の子である。
されば吾れは人生の主である。

吾れは他の人々に人間は斯くあるべきとは言葉では語らない。
吾れは吾が生活を以って人間は斯くあると行じ示すのである。

吾れはいま、自分の全意識の解放を得て歓喜勇躍の感に堪えない。
自己が神の属性を賦(わか)ちもつと云うことが歓びでなくて何であろうぞ!

吾れは永遠である。
吾れは本性に於て神とは分ちがたきものである。

吾れは真理である。
吾れは生命(せいめい)である。
吾れは智慧である。

吾が実相は完全であり、神は完全である。

それ故に吾れは此の完全さを日毎々々に発揮するのである。
吾れは生ける神の子である。

吾れ今此の真理に目覚めしめ給いしことを感謝し奉るのである。


・・・


七日の経言(のりごと)〜【感情を正しくする言葉】


吾れは今神 ―― 常に吾が求めを聴いて応え給う親様 ―― に感謝します。
吾が求むるに先だちて吾が語らざる言葉をききて応え給う親様に感謝します。

私は今わが住む世界が吾が気分と想念との反映である事を知らして頂きました。
此れを自覚するが故に、私は今よりつとめて美しきもの、善なるもの、
真理なるもののみを考え、語り、そして聞く事に致します。

私は神なる貴方に、『吾と神とは一体(たい)なり』と云う真理の理由(ことわり)を
知らしめ給うことを感謝します。
そして此の真理を常に心に把持してあなたに愈々近づかせて頂きます。

・・・神との一体感によって、私の想念が正しくなり、私の感情が正しくなり、
従って私の想念と感情との反映なる吾が住む世界が正しくなりつつあることを
私は信じます。

私はいま、此上(このうえ)なき歓びと平和とに満たされています。
天に於ても地に於ても、私は総ての力を与えられていますが故に、
私はいま創造の歓びを感じています。

―― 神の国の永遠の構図に於て神と偕(とも)に創造するの喜びを感じています。

私はいまあなたに、生命(せいめい)と永遠の愛とを与え給いしことを感謝致します。


・・・


八日の経言(のりごと)〜【境遇と運命とを支配する言葉】


吾れはいま吾が境遇と運命とを自己の思考によって支配し得ることを知ったのである。

吾が心情が善きものであるならば吾が想う所は善であり、
吾が想いが善であれば吾が言葉は善であり、
吾が言葉が善であれば、吾が住む世界も善なる理想世界なることを知ったのである。

其れ故、吾れは今後吾が唇に封印して敢て悪をば語らない。
吾れは吾が思想と言葉とにいちいち気をつけるのである。
吾れは今より悪のことを考えない。

吾れは禍のことを語らない。
吾れはまた禍のことを決して耳にしないと決意したのである。

人を審判(さば)こうとする吾が性癖は今まったく自分から離れたのである。
悪を見出す吾が習慣はもう消滅して無くなったのである。

吾れは最早自分を、そして自分の友達を、それから自分の職業を、
悲観的な言葉をもっては評さない。

吾れは楽観そのものである。
希望そのものである。
吾れは深き歓びに満ち溢れている。

吾れは万人に幸福を与え、万物を祝福する。
吾れは凡ての者に勇気を与える。

吾が言葉は肉となりて形相(かたち)の世界に姿をあらわすのである。

吾れは今実現せんとする事物に対して『此の事は実現する』と
確信に充ちた言葉を発するのである。

此の言葉は創造作用ある言葉である。
従って欲する事物はやがて必ず自己の周囲に集まり来たらざるを得ないのである。

吾れは此の確信を与えたまいしことを神に感謝致します。


・・・


九日の経言(のりごと)〜【自己を偉大にする言葉】


吾れは吾が心のうちに広大無辺なる宇宙を蔵する。

星をみつめて佇む吾れは見詰めらるる星よりもなお広大なのである。
吾れは吾れのうちに星を理解する類いなき能力(ちから)のある事を見出すのである。
吾れは空の星以上のものである。

何故なら吾れは彼等を理解すると同時に、自分をも理解するからである。
吾れは天に在(ましま)す神々の如くに造られたのである。
吾れは星の軌道を闊歩する偉大なるものなのだ。

吾れは主の如く永遠の道を歩む者なのだ。
吾れ心を有するが故に、吾れは世界の王者である。
いま吾れは吾が仕事の上に王者としての第一歩を踏むのである。

吾れは星よりも大なるが故に此の宇宙を造れる力と同じものなのである。
然り、吾れは宇宙を造れる力と一体なのである。
いま吾れは凡ゆる種類の恐怖と弱小と卑陋(ひろう)とを超越して生活する。

吾れは空の星に比肩せらるべきものである。

吾れは、大地をつくり、天空を支えたまう神が、吾れを安固(あんこ)に
保護したまうことを信ずるのである。
それ故に吾はこころ安らかである。

地の造り主、天の造り主と吾れは眞(まこと)に一体である。
御親神様に感謝いたします


・・・


十日の経言(のりごと)〜【完全健康の言葉】


吾が生きている生命(せいめい)は無限の生命(せいめい)である。
それ故に吾は完全に健康である。

吾がいだいている愛は無限の愛である、
それ故に吾れは完全に幸福である。

吾が心に宿る智慧は無限の智慧である、
それ故に吾れは平和であり調和である。

今われは平和と、安心と、及び漲る力の感じとに満たされているのである。

吾れは神の無限の生命(せいめい)の内に生きているのである。
無限の愛の内に生きているのである。
無限の智慧の内に生きているのである。

無限の智慧、無限の愛、無限の生命(せいめい)なる
吾が親(みおや)なる神に感謝いたします。


・・・

[903] (中旬)<十一日〜二十日>
伝統 - 2015年10月25日 (日) 20時01分



十一日の経言(のりごと)〜【善と健康とを実現する言葉】


吾れは善事を求める。善事をのみ求めるのである。
吾れは万物のうちに、そして万人のうちに神の『善』の宿るのを見る。

神は『善』である。
そして吾が求むるもの、吾が思うものを、何よりも先ず与え給う。

吾れは神を吾が『愛深き父』『優しき救い主』だと認める。
吾れは凡てのうちに宿る神の調和と、宇宙にみなぎる愛と心とを感ずる。
神は凡ての者の父であり給う。

それ故に吾れは万人を吾が友、吾が兄弟であると観ずる。
誰も此の世界に吾れに敵対する者もなければ、
吾れも亦此の世界の誰に対しても敵対しないのである。

全人類は吾が親戚であり、吾れは全人類の友である。

吾れはいま万物、万人および宇宙を司どる法則が
吾が心を反映するものであることを知るのである。
―― それ故に、吾れは高き善き想念のみを心に描きつつあるのである。

吾れはいま最も輝かしき信仰と、朗らかな情緒とで満ちあふれているのである。

吾れは 『悪』に本来力なきことを知る。
『悪』の有(も)てる力は吾れがそれに賦(あた)えた力のほかには
何物もないのである。

吾れはいま『悪』に与えた力を取り返すのである。
即ち『悪』が実在すると云う思想を撤回する。
それ故に『悪』はいま本来の『無』に帰したのである。

吾れはいま円満完全なる神の子である。

吾れは完全なるものと調和せるもののみを思考する。
吾れはいま健全と調和とのみを宇宙より受けるのである。
宇宙の心は吾が想念に全く相応ずる事物を造って呉れつつあるのである。

吾が想念は完全円満である。
吾が信仰は確固不壊である。

吾れは自己が完全に健康であることを思考する。
いま、吾れは既に癒されたのである。

つねに吾が求めを聴き給う神に感謝致します。

いまより吾れは神と偕(とも)に語り、神と偕に歩む。
それ故に吾れは吾れを信じ、総てのものを信ずるのである。


・・・

十ニ日の経言(のりごと)〜【愛と繁栄とを実現する言葉】


いま吾が生活を支配する法則は、愛と信仰と繁栄と、そして真理とである。

吾れは何の間違もなく吾が未来を透見し得る
 ―― 何故(なぜ)なら吾れは今日(こんにち)
未来の刈入れのために善き種子(たね)を蒔きつつあるからである。

われは善き収穫を預期する。
それ故、吾れは平和と信仰とのうちに晏然(あんぜん)としているのである。
吾れは神の御手に吾れを委(ゆだ)ねる。

神の法則は愛である。
愛なる神に感謝致します。


・・・


十三日の経言(のりごと)〜【信仰と愛を昂(たか)める言葉】


吾れは、神は生命(せいめい)であり、愛であり、そして智慧であることを知る。
吾れと神とは一体であるが故に、
吾れは神の生命と愛と智慧とが吾がうちに宿っていることを知る。

吾が裡(うち)には広大なる信仰が植えつけられているのである。
吾れは無限愛の持主なる神より流れ出(いで)たところの新しい信念を
感ずるのである。

吾れのうちに、吾れの上に、吾れの周囲に、
吾が隅々に行き亙(わた)って神の愛は宿っているのである。
神のすべての力すべての愛は吾れに与えられているのである。

吾が心は完全に浄まっているのである。
吾れは今神の与え給う最高のものを受けつつあるのである。
吾れは今深き歓喜と感謝とに充たされながらそれを受けつつあるのである。

吾が求めに常に応えたまう吾(わが)父なるあなたに感謝致します。


・・・


十四日の経言(のりごと)〜【新しき計画を生む言葉】


吾れは創造者なる宇宙霊と一体である。

宇宙の心は、吾れに依って完全に自己を表現しようとしているのである。
吾れは神と偕(とも)に創造する使命を与えられたのである。
今、吾れは創造せんとする理念と構図でみたされている。

吾れは一切のものを造りたまいし智慧そのものと一体である。
吾れは何を思考し何を造るべきかを宇宙の心に教えられるのである。
吾れはいまより神の霊に導かれて巧みにそして完全に創作することが出来るのである。

吾れは新しき力と能力とを感ずる。
吾れは心も肉体も新生したのである。
吾れは歓びと希望とに雀躍(こおどり)している。

吾れは智慧そのもの真理そのものが自分に宿っている事を感ずる。
それ故に吾が創造力は完全である。

創造者たる宇宙霊に感謝し奉る。


・・・


十五日の経言(のりごと)〜【自信力を増大する言葉】


吾れはいま見えざる力に結ばれている。
吾れは神と一体である。

神のもち給える一切のものを吾れも亦有(も)つのである。
天地をつくり給いし神より吾が援(たす)けは来(きた)るのである。
神の力は同時に吾が力である。

吾れは神の子である。
吾れは神の有(も)ちたまえる一切の物の継承者(よつぎ)である。

神は力そのものである。
それ故吾(われ)も亦力そのものである。

神は智慧そのものである。
それ故、吾れはあらゆる場合に神の智慧に導かれる。

神は貧しさをしらない。
其れ故、吾れも亦貧しさを知らない。

神は愛そのものである。
其れ故、われは慈悲と愛とにみたされているのである。

神が満たしたまわない欲望は吾れに一つだにないのである。
神の目は雀をすら見まもり給う。
それ故神が吾れを見まもり給わない筈はないのである。

吾れは吾がうちに宿れる神性を自覚して歓喜勇躍している。
吾れは神と偕(とも)なるが故に、如何なる禍(わざわい)をも恐れない。
常に永久に吾れは与えられて不足すると云うことはないのである。

今、吾が求めはなされたのである。
吾が求めは今なされたのである。

吾が求めを常にききたまう吾が御祖(みおや)の神に感謝します。


・・・


十六日の経言(のりごと)〜【災厄除けの言葉】


神は吾が光であり給い、吾が救いでありたまう。
されば吾れ誰をか恐れんや。

神は吾が護りであり給う。
されば吾れ誰をか恐れんや。

吾れは吾が経験する一切の事物のうちに吾れを導き給う神を感ずる。
神が吾れを護り給うとき、吾れに何等の災厄もないのである。
神がわれを慰めたまう時、吾れに何等の悲しみもないのである。

吾れは神の曇りなき愛、完たき心にいだかれているのである。
吾れは神の保護を漏れる恐れを知らない
――神の在(い)まさざる所はないからである。

吾れは『善』そのものに取り巻かれているのである。
吾れは『善』そのものの懐にいるのである。

神の愛は吾れを取巻きて、吾がうちに、そして吾が外に、周(あま)ねく、
在(まし)まして、吾れを見捨て給わないのである。

吾れ闇を歩むとも、神は吾が光であり給う。
吾れ海を航するとも、神は吾が羅針盤にてあり給う。

吾れ孤(ひと)りいるときも、神は吾が伴侶(ともにてあり給う。

されば吾れ誰をか恐れんや。
吾れには恐るる所のものも人もないのである。

吾れに死は来たらない。
生命(せいめい)のみが凡てであることを知るからである。
吾れは暗黒に見ゆる谷を歩むとも光明はつねに吾れに附き随う。

吾れに禍は来たらない。禍と見ゆるものは進一歩の過程である。

吾れは生命(いのち)、神は生命(いのち)、
凡ては生命(せいめい)であるのである。
吾れはいまより信仰と、自信力とをもって進み行くのである。

神の恵み深き護りに感謝いたします。

・・・


十七日の経言(のりごと)〜【恐怖を消滅する言葉】


吾れは恐れない。
神はすべてであり給う。

神以外のものは何も存在しないのである。
神は善なるが故に悪は決して存在しないのである。

神は護り給う。
神は養いたまう。
神は吾れを抱きたまう。
神は吾れを愛したまう。

如何なる禍(わざわい)も吾れに来らず、
如何なる疫病(やまい)も吾が家には見舞わない。

神は吾が行くところに常にその天使をつかわしたまいて
吾れを看(み)まもり給うのである。

吾れは真理を自覚したるがゆえに自由である。
吾れは神と偕(とも)に人生の行路を歩む。

吾れは『善』と『真理』とのみを見る。
吾れはそのほかの何物をも見ないのである。

神は渾(すべ)てでありたまう。
吾れは終日(ひねもす)吾がたましいの内にかく叫ぶのを聞くのである―― 

吾れは心のうちに病いも貧しさも恐怖も考えない。
吾れはただ真理と愛と生命とのみを考える。

一切のものは神のものである。
吾れは神の子である。
それ故に一切のものは吾がものである。

神の力のみが実在する力である。
神のもち給う一切のものは吾がものである。

吾れ一切のものを神より承(う)けたるが故に、吾れは全てである。

吾が父なる神に感謝いたします。


・・・

十八日の経言(のりごと)〜【萬成就の言葉】


神は霊の世界にまします。霊の世界に『悪』は無い。
吾れはもう悪を恐れない。
何故(なぜ)なら神は吾れと偕(とも)にいますからである。

如何なる禍も吾身(わがみ)に振りかかっては来ないし、
如何なる疫病(やまい)も吾が住家(すみか)には来たらない。

神は吾が往くところに常にその使者(つかい)を遣わして
吾れをまもり給うているのである。
神の使者(みつかい)の手は吾が身を支えてい給うが故に、
吾れを躓かしめる一箇の石だもないのである。

吾れはまったき愛に懐かれて恐怖心一切は消滅したのである。
吾れは最高のもの至美(しいび)のもののみを心に思うが故に、
恐怖心は吾れに近寄らない。

失望よ、恐怖よ、吾れは今汝を正視して汝を拒絶する。
吾れは汝以上のものである。
汝は自分に何の関係もないのである。

吾は自分を憐れまない。
何故(なぜ)なら自己憐憫は恐怖心を一層増大するものであるからである。

吾れは天に於いても、地に於いても神の全ての力を与えられているのである。
吾れは此の吾が内に宿れる神の力を駆使して、
一切の欲する事を成就し得て神に感謝し奉る。

自己憐憫及び恐怖の情(じょう)は最早われに対して何の力もないのである。
吾れは何人(なんぴと)も自分を憐憫することを許さない。
何故(なぜ)なら他(た)から憐れまれるのは自分の弱さを肯定する事である。

自分は神の子であるが故に決して弱さをもっていないのである。
自分は完全に神と結ばれているが故に、吾は決して恐れはしないのである。

吾が事業は神に導かれて必ず成就するのである。
吾が事業に必要なる一切は、必要な時必要な場所に於て与えられるのである。
否既に実相の世界に於て与えられているのである。

野の百合をすら装わせ給うた神が吾がことを看まもっていたまうのである。
それ故何事かがすらすら進まなかったならば
それは一層善きことが来たらんがためである。
吾れはそれを安心して確信することが出来るのである。

信念を持て。此れが最も必要なことである。
自己を信頼せよ。他(ひと)を信頼せよ。未来を信頼せよ。神を信頼せよ。
勇気と信念とだにあれば其の戦(たたかい)は既に半ばは勝ったのである。

決断、意志の強さ、勤勉は残りの半分であることを知るのである。
吾れは勝利する力があると知るが故に吾れは勝利するのである。

吾れは吾が志すことを必ず勝利する。
吾れは信念そのものである。
吾れは勝利そのものである。

信仰は世界を支配する勝利者である。
吾が信仰は宇宙にひろがる大きさを有(も)っているのである。

神よ、あなたは何よりも先(ま)づ吾が求むるものを与え給います。

吾れの関係せる事物はすべて都合よく行くことを御親の神に感謝致します。


・・・


十九日の経言(のりごと)〜【神と融合するための言葉】


吾れは今(いま)最(い)と高き御親の神の奥殿に這入(はい)ったのである。
吾れは神の御前(みまえ)にいて平和である。

此の世のものは今わが眼界にない。
吾れは今五官の世界を去って霊の奥殿にとじこもるっている。

われは渾(すべ)ての渾(すべ)てなる者 ―― 神に触れている。
吾れはそこから生命(せいめい)と平和と豊富との泉を汲むのである。
吾れは神の御前(みまえ)に侍る ―― 神は吾が力を新生したまいつつある。

吾が心は開かれ、吾がたましいは啓示を待つ。
吾が体は神の無限の治癒力(なおすちから)に触れている。

此の霊の静かなる奥殿に吾れは恐れなく、いとやすらかにいるのである。
如何なる禍も、吾れには降りかかることが出来ない。
如何なる悪も吾を悩ますことは出来ない。

何故(なぜ)なら吾れは悪を恐れない。
悪は実在の力ではないからである。

吾れは唯善のみを見、善のみを聞くのである。
吾が前にはすべてのものは美(うる)わしく、すべてのものは善である。

吾れは神の有(も)ちたまう新生力と創造力にうちまかせる。
吾れは神を信じて法悦に満たされているのである。

御祖(みおや)の神に感謝をささげます。


・・・


二十日の経言(のりごと)〜【萬能の自信を強むる言葉】


『神と偕なるが故に一切のこと能(あた)わざるなしである。
われは如何なる禍をも恐れない。神われと偕にいますからである。
われは神を信ずる。神を愛する人に対しては、一切萬事都合よく行くのである。
吾れは今新しき世界を発見しつつあるのである。』

1日3回、きまった間隔をおいて、
3、4分間まったく静かな休養の時間を見出して
諸君は自己自身に対し以上の如く繰返されよ。

―― こう断乎として決然とした態度で自己自身に云うのである。
諸君はこれによって、法則をして諸君の都合よきように
めぐらしめる事が出来るであろう。


・・・

[906] (下旬)<二十一日〜三十日>
伝統 - 2015年10月26日 (月) 18時33分

二十一日の経言(のりごと)〜【言葉の実現力を昂むる言葉】


吾れは吾がうちに内在する神性を信ずる。
吾が内に希望の光なる神性が宿っていたまうことを信ずるのである。
吾れは吾れにやどる高き霊性を信ずるのである。

吾れは吾が内に生命(せいめい)と、愛と
通自在の力が宿ってい給うことを信ずるのである。

吾れは天に於ても地に於ても凡ての権(ちから)を与えられているのである。
それゆえに吾れは吾が信じて云える言葉のままに
吾が求むるものが実現することを信ずる。

今日(きょう)より吾が言う言葉は神の威力をもつのである。
吾が求むる如く、神はこれを実現したまうのである。
否、既に神は吾が求むる如く吾れに為したまうたのである。

吾れは歓びと感謝とに満たされているのである。
神は導き給う。神は栄えしめ給う。神は祝福したまう。
神は吾れをして全人類に対する光明とならしめ給うのである。

何故(なぜ)なら吾れは神と、そして神の約束とを信ずるからである。

生命と信仰とを与え給いし神に感謝致します。


・・・


二十ニ日の経言(のりごと)〜【消極的暗示を排撃する言葉】


吾れはいま吾が生命(せいめい)にどんな欠陥も感じられない。
吾れはいま自分の認めたところのもののみ実在であることを知ったのである。

吾れは最早禍と生命の弛緩とに本来なき所の力を賦与しない。

吾れは悪と不幸とを見ないのである。
吾れは悪と不幸とを聞かないのである。
吾れは悪と不幸とを語らない。

誰も自分に対しては不正と不完全とに就いて
話を持ち出すことは出来ないのである。
何故なら自分は不正と不完全とを聴かないからである。

吾れは消極的な思想や暗示に感じない。
そのようなものは自分を動かすことは出来ないのである。
何故なら自分は其れら以上のものであるからだ。

吾れは、あらゆる弱さと小ささとを踏み超えてしまっているのである。
いま、吾が心は積極的である。
自分は果断と、勇気と、
そして神、人間、及び自己に対する信頼の念で満たされている。

吾れは吾が為す所のものを権威をもってなすのである。
吾れは吾が云うところの言葉を断固たる態度で云うのである。
自分は強く、力に充ち、沈着で、平静である。

吾が背後には神の無限の生命(せいめい)、
無限の愛、無限の智慧がひかえているのである。
吾れは強き自信力にみたされて揺るがないのである。
吾れは天に於ても地に於ても、一切の権(ちから)を与えられているのである。

吾が御親の神に感謝いたします。


・・・


二十三日の経言(のりごと)〜【一念不動の言葉】


吾れはいま信仰によって不安なき平和のなかに静坐している。
吾れは恐れない。
吾がうちには無限の愛と信仰とが宿っているからである。

此のやすらかさ! 此のやすらかさ! 此のやすらかさ!
今、今、今、此のやすらかさ! 吾れはやすらかなり!
吾れは肉体的にもやすらかなり! 吾れは精神的にもやすらかなり。

吾れと神とは一体なるが故に、無限の霊的平和のうちに坐するのである。
如何なる時にも神の子には一つの安き所が残されているのである。

吾れは意識の無限伸展を感ずる。
われはいま無限の生命と融会している―― それ故に、吾れは何事についても
常に神に導かれるのである。

吾れはいま小さき自我ではないのである。
より大(おおい)なる真の自我である。
何故なら吾れは無限の生命及び無限の智慧と一体であるからである。

吾れは此の静かなる心境に於て、吾れを導き吾れを鼓舞したまう無限の智慧と
信仰との光をたづさえて、現実の仕事に帰り行くのである。

無限の智慧と信仰とを与えたまえる御親の神に感謝致します。


・・・


二十四日の経言(のりごと)〜【心の平和を保つ言葉】


吾れは霊である。
吾れは生命(せいめい)である。

吾れは神のうちに住む。
神のほかに何物も存在するものはない。

如何なる禍も霊なるものの上に降りかかって来ないのである。
吾れは常に心のうちより神を放ちはしないのである。

神に、その心を注げる者を、神は必ずまったき平和にまもり給うのである。
吾れは此のことを確信するが故に吾が心は平和である。

常に吾れを護り給う御親の神に感謝いたします。


・・・


二十五日の経言(のりごと)〜【最善の選択をなす言葉】


吾れは今、至上の叡智に対して鋭敏な感受性を持っているのである。
それ故に自分及び他にとって最上のものを選ぶことが出来るのである。

吾れは此れを選ぶ。(その内容を思念せよ。)
吾れは此(これ)を成就するために断乎として猛進する。

吾れは今日(こんにち)、人及び境遇を恐れない。
吾れは環境をつくるのである。
吾れは吾が運命の主人である。

われは何を意志するも為すも自由である。
吾れは吾がうちにはたらく神の力を感ずる。
霊妙な力が吾がうちに流れ入(い)る。

吾が鞏固(きょうこ)なる意志は一種の磁石である。
此の磁石は吾れに必要なる一切を引きつける。
此の磁石は吾れに必要なる物を惹き着けてはなさない。

吾れは勇気ある霊魂(たましい)をもつ。
吾れは最高真理の啓示を受ける。
吾れは自己の仕事のうちにすぐれたる智慧のみを示す。

吾れは今日(こんにち)、無限の力を自覚し、神の愛と智慧とに
みたされたる者のもつ力をもって自分の役割を演ずるのである。

吾れは勝たんとする意志を有する。
神は能(あた)う。
それ故に吾れは能(あた)うのである。

吾れに断行の勇気を与え給いし神に感謝いたします。


・・・


二十六日の経言(のりごと)〜【今日(こんにち)一日を祝福する言葉】


吾れは今神の子の権威によって自己自身の天国をつくりつつあるのである。
今日いちにちは吾れの所造であり、吾が環境は、吾が所造である。

今日(こんにち)いちにち、吾れは此の日を祝福する。
それ故、今日(こんにち)いちにち吾れは祝福されたる日をもつのである。

吾れは栄えると信ずるが故に、吾れは栄えざるを得ないのである。
吾れは善き知友を有(も)つと信ずるが故に善き人物は集まり来るのである。
吾れは全ての人を愛するが故に全ての人は吾れを愛するのである。

此の環境は吾が創れる場所である。
それは吾が想念の反映である。

誰も自分以外の者は、それに失敗と衰微との観念を与える事は出来ない。
此処には失敗と衰微との想念は決して漂っていることは出来ない。
此の場所は勝利と弥栄との雰囲気に充ち満ちているのである。

此処に来(きた)るところの全ての人々は皆、心ゆたかな栄ゆる者ばかりである。
吾れは勝利と栄えのみを引きつけつつあるのである。
吾れは人々に信頼の念を吹き込む。

吾れは吾れに関する一切は完全円満なりと云う
微妙(いとたえ)なる雰囲気を放射する。
此処に入(い)り来(きた)る者はその雰囲気を感ずるのである。

吾れは吾が成さんと欲する事が必ず成就すると云う信仰を常にいだいて離さない。
吾れは失敗と衰微との事は考えないのである。
唯(た)だ勝利と成就とのことのみを考えるのである。

吾れに昨日(きのう)及び以前に起ったことが、躓きであったならば、
それを忘れて了(しま)うのである。

吾れは此の場所に新しい光を点じたのである。
此の家は吾がたましいの棲家(すみか)であり、吾が心の家庭である。

吾れは調和であり、愛であり、平和と愛のみを此処に引寄せるが故に、
此の家に不調和はあり得ない。
此の家に住む全ての人は思慮深く、深切で、思い遣りがあるのである。

吾れは此処に住む全ての人々を信頼する。
この信頼の念は裏切られはしないのである。

吾れは今新しい心的態度に目覚めたのである。
此の家に来たる何人も、吾が愛に目覚めたる此の心持を見のがしはしないのである。
全ては調和しており、一切のものは歓びに満ちているのである。

吾れに調和と必勝の信念を与えたまいし神に感謝いたします。


・・・


二十七日の経言(のりごと)〜【自己浄化の言葉】


吾れはいま幽(かく)れたる霊的実在の世界に入(い)ったのである。
吾れは今、『一切の根元なるもの』と接触しつつあるのである。
眼に見ゆる世界のものは今扉の外に遂(お)い出したのである。

吾れはいま吾が存在の奥殿にとじこもっているのである。
生命(せいめい)と愛と平和なる神は吾れを囲繞しているのである。
神のうちに吾れは生き、呼吸し、存在しているのである。

吾が吸う息はことごとく神の霊である。
吾れは生命(せいめい)の水を思う儘飲みつつあるのである。
純な聖(きよ)き愛の流は、吾が身体(からだ)の隅々まで貫いて流れているのである。

此の愛の流は吾れより一切の不純、利己的思考、一切の弱点、一切の悪、一切の卑しさ、
一切の罪を洗いきよめてくれつつあるのである。
それは吾が肉体、吾が心の隅々からことごとくの吾が罪を流し去ったのである。

いま吾がうちには清浄と愛との他に何ものもないのである。
神の生命(せいめい)の水が吾を充たしているのである。
神の生命は、吾がうちに充ち溢れている。

神の愛は吾がうちに満ち溢れている。
神の平和は吾れを捉えてはなさない。

恐怖、不安、及び神らしからぬ一切は
吾が心身から逃れ去ってしまったのである。
吾れは神の愛にみたされている。
神は此処に坐(まし)ますのである。

神に感謝し奉る。


・・・


二十八日の経言(のりごと)〜【神の導きを得る言葉】


吾れはいま吾れを通じてはたらき給う内なる神の力に信頼する。

吾れは内なる叡智に信頼する。
此の叡智は吾がものではない。
しかし又吾れを離れたる智慧でもない。

吾れに宿り給う神である。
吾が霊魂(たましい)は神と一体となって照り輝いている。
吾れは光り輝く自分である。

吾れはなお現在意識に於いて知らないが、
既に全智なる者は吾が内に宿っているのである。

吾れ、此の問題に関して切に導かれんことを希(こいなが)う。
吾れは導かれる。
吾れは如何なる方法をとるが最善であるかを教えられるのである。

吾れはいま宇宙の叡智の創造的活動が、
此の問題に対して活動しつつあることを自覚する。

吾が求むる如くならしめ給うたことを感謝いたします。
神は適当な時期を選んで、吾れが何を為すべきか最も善きかを
必ず知らして下さるのである。

吾れは吾が内に宿りて常に吾れを導きたまう神に対して感謝いたします。 


・・・


二十九日の経言(のりごと)〜【神と一体となる言葉】


無限の生命(せいめい)よ、
吾れはあなたの中に生活し、あなたのうちに息している。
吾れはあなたである。
吾れはあなたの生命(せいめい)が顕現したものである。

吾れはあなたの自己実現の中心である。
吾れはあなたの愛が姿をあらわしたものなのである。
吾れはあなたの智慧の個体化したものなのである。

吾れは生命(せいめい)である。
吾れは愛である。智慧である。平和である。
吾れはまた名づけ難き実体である。

吾れはまた霊である。
吾れは久遠の生命(せいめい)である。
吾れは実在である。

吾れは一切のもとに横たわる本質である。

吾れは死ぬと云うことはない ―― 吾れは生命(せいめい)であるからだ。
吾れは病むと云うことはない ―― 吾れは健康であるからだ。
吾れは不快になると云うことはない ―― 吾れは歓喜であるからだ。

吾れは大なる肯定をなすために、
すべての否定的なものを意識の外に遂(お)い出して了(しま)ったのである。

吾れは実在だ。実有だ。実相だ。
吾れは恐るるものはないのである。

吾れは実在だ。
如何なる危険も、吾れに近寄る事は出来ない。
吾れは実有だ。吾れは霊だ。生命(せいめい)だ。

吾れは空しくならない ―― 吾れは神のうちにあるからだ。
吾れは迷わない ―― 神よ、あなたは到る処にいらっしゃいます。

神よ、吾れをして今日(こんにち)静穏と平和とのうちにあらしめ給え。

若し事物がこぐらかったり、順調に行かなかったりしましたならば、
どうぞ吾れをして至高者(いとたかきもの)の奥殿に入(い)らしめて下さい。
全能なる者の庇護の下(もと)にあらしめて下さい。

吾れは実在である。
吾れは実有である。
吾がたましいの奥殿では、凡ては平和で安穏である。

御親の神に感謝します。


・・・


三十日の経言(のりごと)〜【今・此処・天国を実現する言葉】


絶対者と一体になる最高の神想観はただ一つ ――
―― しずかに坐して次の如く念ぜよ。

『吾が中(うち)に、神が今此処に、そして天国が今此処にある』

・・・・・

THE HOLY SUTRA: Daily Words for Life Truth

昭和二十五年七月二十五日 初版発行


(以上で、「日々読誦三十章経」の紹介を完了致しました)

        <感謝合掌 平成27年10月26日 頓首再拝>



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