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谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐

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[53] 『生長の家』 昭和25年8月号 法語 (1)〜(19)『生長の家』 昭和23年3月号 法語(20)〜(31)谷口雅春先生
明鏡 - 2014年07月31日 (木) 21時20分



【 目次 】


一日の法語  人体は神の宮である

二日の法語  過去は過ぎ去る 未来はわがもの

三日の法語  想念の実現力を応用せよ

四日の法語  現在の不幸より脱する智慧

五日の法語  貧しきを征服するには


六日の法語  責任を自己にもとめよ

七日の法語  成功する人は皆明るい人である

八日の法語  難問題も祝福すれば解決する

九日の法語  人間には大宇宙の生命が宿る

十日の法語  わが生命の神なることを直視する


十一日の法語  神は決して心配しない

十二日の法語  人をみだりに同情してはならない

十三日の法語  真に人を助ける道は?

十四日の法語  神罰の観念を捨てよ

十五日の法語  人間の不幸の原因は真理を知らぬこと


十六日の法語  恐怖心を除く道

十七日の法語  常に好機会がある

十八日の法語  人間は無限に伸びる素質がある

十九日の法語  進歩の目標を定めて努力せよ



( 二十日以降の法語が見つからず、申し訳ありません。 m(_ _)m )



『生長の家』誌 昭和23年3月号 法語 谷口雅春先生


 二十日の法語  天地一切のものに感謝せよ


二十一日の法語  仕事中には斯く祈れ


二十二日の法語  感謝は周囲を光明化す


二十三日の法語  人を呪わば穴二つ


二十四日の法語  感謝は休息の本質である


二十五日の法語  先ず神の国を求めよ


二十六日の法語  富とは一切の豊富さである


二十七日の法語  金を愛するな


二十八日の法語  金を儲ける秘訣


二十九日の法語  富の本源は愛と智慧とサービス


 三十日の法語  致富の秘訣は二つの真理にある


三十一日の法語  人類の日常生活に奉仕せよ




[54] 一日の法語 ・ 二日の法語
明鏡 - 2014年07月31日 (木) 21時27分



【 一日の法語  人体は神の宮である 】


「 神が宮の中にいては氏子を守護することが出来ぬから

神を拝みたければ外へ出て拝め 」 と金光教祖は云ったが、

神を外にばかり求めていても本当ではないのである。


神は神を象徴として礼拝するもよいし、

神は外にも内にも到(いた)る処(ところ)にましますのである。


何よりも必要なのは

自己の内に神がましますと云う自覚である。


人間の身体は神の鎮座(ちんざ)まします 「 肉の宮 」 であるから、

自分の内に神をみとめ


「 わが魂の底の底なる神よ 無限の力 湧(わ)き出(い)でよ 」 と、


時々瞑目して黙念する事は良き祈りである。




【 二日の法語  過去は過ぎ去る 未来はわがもの 】


現在の如何なる自分の状態も

悉く自己の過去の想念の結果でないものはないのである。


自分自身を 如何にみとめたか、

他人を 如何にみとめたか、

此(こ)の世界を 如何にみとめたか。


その想念が種子となって生長し咲き出(い)でた花が

現在の状態であるのである。


現在を歎(なげ)いてはならないのである。

現在は過去の想念の投影であり、

過ぎ行きつつあるものなのである。


未来は現在の想念の投影であり、

これから造りつつあるものなのである。


過去と現在とを歎かず、

未来の幸福のために今善き念を蒔(ま)け。




[57] 三日の法語  ・  四日の法語 
明鏡 - 2014年08月02日 (土) 21時40分



【 三日の法語  想念の実現力を応用せよ 】


散乱した想念は 実現力が少ないのである。


不幸なことには、普通の人間は 何でも悪い事の方へは

想念を集中して 繰り返し想うものである。


「 悪いことは、起りはしないか 」 と繰り返し繰り返し一方的に

その方に想念を集中する。


恐ろしいものほど想い出すのである。


だから悪いもの、恐ろしいものほど一所懸命に想われて

それが実現するのである。


「 善いことは起りはしないか 」 と心を集めて心配する人は少ない。


恐ろしいものを想い出すのと同じほどに

「 善い事 」 を始終 想い出すならば

其の人は 屹度(きっと)善くなるばかりである。




【 四日の法語  現在の不幸より脱する智慧 】


現在の状態を、過去の自分の想念の結果だと

正直に勇敢に承認することは 智慧の始めである。


その時はじめて原因を改める事が出来るのである。


若(も)し吾々が現在の困難の状態を

自分以外の他(ほか)のものであると考えているならば、

原因と違うところを探しているのであるから、

原因を是正することは出来ず 其の人の不幸は去らないのである。


一切万事 我が心より出(い)でて 我が運命となるのである。


他を恨むような心は、人に害を与える心であるから、

自分が害を与えられることになるのである。





[58] 五日の法語 ・ 六日の法語 
明鏡 - 2014年08月05日 (火) 00時25分



【 五日の法語  貧しきを征服するには 】


神をもっと豊かな寛大な父であると考えることが必要である。


神は神の子なる人間を

豊かに 幸福に 愉快に 楽しく 生活せしめたいのが

その願いであるのである。


人間を貧乏にしたり病気にしたりするのが神の願いではないのである。


人間を貧乏にしたのは 人間自身の想念である。


与えることを惜しむ心は、

その心の通りに与えられなくなる。


他に対して惜しみなく労力を与え、深切を与え、笑顔を与え、

仕事に対して丁寧を与え、友人に対して好感を与え、

何事にも充分 熟慮と努力を与えることが 貧しさを征服する道である。




【 六日の法語  責任を自己にもとめよ 】


神の子とは 責任を最も多く自覚する者のことである。


神が一切万事を造りたまう如(ごと)く、

人間も一切万事を自分の身辺につくるのであるから、

自分の運命も環境も 結局 自分の責任なのである。


その責任の所在を明らかにしないで、人が悪いと思っている間は、

原因を誤った点に求めているのであるから原因を正しくする事が出来ないで、

いつまでも不幸や災難や病気が伴って来るのである。


人生は 類は類を招(よ)ぶ法則によって支配されているのであるから、

不幸を心に描いて呟(つぶや)いている様では、不幸は次から次へと出て来るのである。





[61] 七日の法語 ・ 八日の法語
明鏡 - 2014年08月07日 (木) 03時22分



【 七日の法語  成功する人は皆明るい人である 】


成功する人は 皆明るい人なのである。


事物の暗い面を見ず、

人の性格の悪い面を見ず、

事物が暗転して来たように見える時にも、それに悲観せず、

悲観しないが故にどんな不幸に遭っても失望落胆せず、

新しき活路をひらいて進むことが出来るのである。


人の性格の悪い面を見ないが故に、

人に対しても失望せず、

万人が其の人を非難する時にもその人をかばってやるがゆえに、

その人もその信頼にそむくことが出来ず、

ついに本来の善良なる面を出して協力するようになるのである。




【 八日の法語  難問題も祝福すれば解決する 】


すべての難問題を解決しようと思う時に、

「 我 」 の考えを出してはならないのである。


我の心が難問題を解決しようと思う時には、

事物は却って もつれた糸のように紛糾してしまうのである。


すべての難問題を解決する道は、

その問題に引っかからず、その問題を悪と見ず、

それに感謝し、それを祝福し、

その問題に関係しているすべての人々に感謝の念を送ることなのである。


そして神に祈って 神が無限の智慧を以て

此の問題を解決し給うと念ずる事である。




[64] 九日の法語 ・ 十日の法語
明鏡 - 2014年08月09日 (土) 00時42分



【 九日の法語  人間には大宇宙の生命が宿る 】


人間は宇宙大生命の一部である。

宇宙大生命が人間に宿っているのである。


単にその一滴が宿っているばかりでなく、

宇宙大生命が貫流しているのである。


それが三十ワットの光を放とうと百燭光、千燭光の光を放とうとは、

自分自身のうちに流れる無限の力を

どれだけ顕わし得るかの問題なのである。


流れる力は無限であるが、

顕わし得る力は 自分がそれを見出した程度によるのである。


憎みや、争いや、暗い心や、悲観などによって、

折角(せっかく)宇宙大生命から流入る生命の流れに

堰(せき)をしてはならないのである。




【 十日の法語  わが生命の神なることを直視する 】


今日、自分は自分の生命が神の生命流れ入って

吾が生命と成っている事実を直視するのである。


われはわが生命が神の生命であって完全に調和しており、

何処にも不完全なきことを見るのである。


自分の肉体の現状がどうあろうとも、

私はそんな事に自分の心をまどわさないのである。


何故なら 「 肉体 」 は自分自身ではなく、自分の産物であり、

自分の過去の心がそれをつくったのであるからである。


これから先の肉体は、これから毎日自分が何を思うかによって定まるのである。


今後私は常に善念を抱き、人を憎まず、

病いを思わないから必ず健康になるのである。





[67] 十一日の法語 ・ 十二日の法語
明鏡 - 2014年08月11日 (月) 01時11分



【 十一日の法語  神は決して心配しない 】


何が失敗しようとも、

私は決して神が失敗しないことを知っているのである。


若し悪い事が起るならば、

それは神が悪いのではない。


それは神から流入する力を

自分が‘せばめ’縮めたに過ぎないのである。


神から流れ入る力を自分の恐怖心や疑い心で、

縮小してはならないのである。


自分は今あらゆる恐怖心から超越することが出来たのである。


なぜなら自分は現象にあらわれている不完全な相(すがた)を見ず、

ただ神のつくり給うた完全な世界と、完全なすべての人と、

完全な自分とのみを見るからである。





【 十二日の法語  人をみだりに同情してはならない 】


真に人を助ける道は、

みだりに相手に対して憐(あわ)れみの涙を

かき垂れることではないのである。


適当な時を得ない同情は

相手に依頼心を起さしめ、

却(かえ)って彼のみずから立つ力を失わしめるようになるものである。


それは形の助力を与えて、内在自立の力を奪うようになるから、

形は与えているようで、実際は奪うことになるのである。


だから真に彼を助ける道は、

彼みずからが彼みずからを助け得るように真理を与えることなのである。


仏教では物施よりも法施(真理の施し)を尊いとしているのはこのためである。





[69] 十三日の法語 ・ 十四日の法語
明鏡 - 2014年08月12日 (火) 22時01分



【 十三日の法語  真に人を助ける道は? 】


人は他より助けられるとき一時有り難く感ずるが、

人から助けられねばならぬような自分に自己軽蔑(けいべつ)を感ずるのである。


そして自己軽蔑しなければならぬような状態になったことを、

恵みを垂れた人に転嫁して、助けてくれた人を逆に恨んだりすることもある。


多くの人が人を憎むのは、

自己自身を憎むみじめさを相手に映し出して憎むのである。


だから自己が本当に幸福感で一ぱいになっている者は

決して人を憎んだりはしないのである。


だから、人を助けるには彼自身が自信力がもてて幸福になるよう導かねばならぬ。




【 十四日の法語  神罰の観念を捨てよ 】


人間が健康や幸福を欲するのは、

健康や幸福が人間の本来の相(すがた)であるからである。


本来の相が病気であるならば、病気に対して何の矛盾をも感ぜず、

病気から免れようとは思わないであろう。


本来の相とは、神がつくった其の儘の相を指すのである。


本来の相が健康だと云うことは、神の造った本当の相が健康なのであって、

神の意志は人間が健康であると云うことなのである。


然(しか)らば、神が人の罪に対して罰を与えて

病気にしたり不幸にしたりするなどと云うことも

あり得ない筈(はず)なのである。


神罰の観念を捨てよ。

汝(なんじ)が病気であったり不幸であるのは神罰ではないのである。




[71] 十五日の法語 ・ 十六日の法語
明鏡 - 2014年08月14日 (木) 23時07分



【 十五日の法語  人間の不幸の原因は真理を知らぬこと 】


何が人間を不幸にし不健康にするかと云うと、

無智がするのである。


それは真理を知らぬからである。


神が与えたところの幸福である権利、健康である権利に目覚めず

人間は肉体であるから病気になるほかはないと思い、

人間は罪が深いから不幸になるほか仕方がないと思っているからである。


本来人間には罪がないのである。

神様は罪をつくらないからである。


本当の罪とは、ツツミが語源であって

本来 健康であり幸福である真理を包み隠しているからである。





【 十六日の法語  恐怖心を除く道 】


神を自己の内に、今、自覚するならば、

今人間は幸福になれるのである。


神を自己の内に、今、自覚するならば、

人間は健康になるのである。


神が汝に与えた実相であるところの 「 幸福 」 と 「 健康 」 とを

自分の迷い心で覆い隠すな。

迷いの帳(とばり)を去れ。


神は汝に罰を与えるどころか、

常に汝を護りていたまうのである。


「 神はわが護り、われ何をか恐れんや 」 と、

一日のうち数回、眼をとじて十分間位ずつ思念するようにするならば、

恐怖心はのぞかれ、人間は おのずから心が落ち着いて健康になり、

良い考えが湧(わ)き出て来て 幸福になり何事にも成功するのである。






[73] 十七日の法語 ・ 十八日の法語
明鏡 - 2014年08月16日 (土) 23時07分



【 十七日の法語  常に好機会がある 】


自信力のない者は、幸運が目の前にやって来ても

その幸運をつかむ事は出来ないのである。


自信力は自己の内に宿る神を自覚することによって得られるのであって、

そのためには 「 生命の実相 」 を自覚することが必要なのである。


自己の生命の実相は 「 神の生命 」 そのものであり完全であるけれども、

自覚する程度に従ってあらわれて来るのである。


自信力のある者にとっては、好機会は常にあるのである。

日に日に伸びる機会が与えられているのである。


どんな環境でも、それが困難であればあるほど

内在の力を発揮させるのである。





【 十八日の法語  人間は無限に伸びる素質がある 】


日に日に伸びると云う自覚は

人に幸福感を与えるのである。


伸びないでいて幸福感を味わうことは出来ない。


何故なら人間内在の善さは無限であり、

その新しき善さが日に日に発揮されねば

人間は幸福を感ずることは出来ないからである。


人間は富においても、能力においても、位置においても、

あらゆる点において伸びたがっているのである。


その伸びんとする欲求を満たすことが出来ない人間は

生き甲斐を感ずることは出来ないのである。


然(しか)らば如何にして伸びるか、自己の内に宿る無限力(神)を悟り、

それを今日 実践に移すことである。





[75] 十九日の法語 
明鏡 - 2014年08月19日 (火) 02時09分



【 十九日の法語   進歩の目標を定めて努力せよ 】



今日、唯今、神の力を実践することである。


自分は如何に自分の余裕の時間を使っているであろうか。

それを反省せよ。


自分の生活には何か理想をもっているか。

如何なる点に自分の進歩の目標をもっているか、反省せよ。


自分の欠点は何であるか、その欠点を自分は克服すべく努力しつつあるか。


努力することは、価いを払うことにあたる。

価いを払わずして価値あるものを受けようと思ってはならないのである。


「 進歩 」 は日に日に努力の価いを払う者のみに与えられる賜(たまもの)である。





[77] 二十日の法語 ・ 二十一日の法語
明鏡 - 2014年08月21日 (木) 01時00分



【 二十日の法語  天地一切のものに感謝せよ 】


神に乞食の様に頼みこまねばならぬことはない。

卑屈や賄賂で動かれ給う神ではないからである。


金光教祖も云われた様に

「 頼まないでもお蔭はやってある 」 と

神様は仰せられる。


吾々は皆神の子であるからである。


吾々が祈るのは 「 既に与えられている実相の恩寵 」 に

如何にして波長を合わすかの問題である。


乞食の様に卑屈に頼み込むよりも、

既に与えられている恩寵(めぐみ)に感謝する事が

最も完全な波長を合わす道である。


神と、神の被造物(周囲の一切のもの)に感謝せよ。





【 二十一日の法語  仕事中には斯く祈れ 】


仕事をしている時には

机に、机の上の帳簿に、ペンに、カードに、インキに感謝せよ。


インキやメモや雑用紙をもって来てくれる給仕や下役に感謝せよ。

勿論上役にも感謝せよ。


仕事の合い間、合い間に

「 この仕事は、私と私の家族とを祝福する為の祈りである。

この仕事を与え給いし事を感謝致します 」 と念ぜよ。


感謝と幸福感との中で行われる仕事は

能率も上り、品質も精巧であり、疲労も少ない。


上役に感謝すれば、念は通ずるから

其の人は間もなく上役から認められる。




[78] 二十二日の法語 ・ 二十三日の法語
明鏡 - 2014年08月22日 (金) 08時21分



【 二十二日の法語  感謝は周囲を光明化す 】


斯くして一切のものに対する感謝が実践せられるとき、

周囲が、環境が、仕事が、断然今までとは別様の姿を呈するのである。


今までは不快の念が、一切の周囲の事物と人とを塗りつぶしていたから、

一切が暗黒に自分に好意を有(も)たぬものに見えたが、

今度は、一切の周囲の事物と人とを感謝の念で塗りつぶすのであるから、

一切の周囲の事物と人々とは光明に輝いて見えるのである。


感謝の波長が実相の完全な姿と波長をあわす祈りとなったために、

そこに実現するのは 実相の光明 輝く姿のみとなるのである。





【 二十三日の法語  人を呪わば穴二つ 】


すべての正直な仕事、人類のためになる仕事は、

それが感謝の念をもって行われるとき

それは尊き祈りであり、

その祈りによって彼自身の運命も祝福せられるのである。


自己のみに利益が得られ、

それによって他の者が損害を受けるような仕事は、

一時その人の運命がよくなるように見えても、

結局はその人自身の運命を

目に見えぬ世界から毀して行きつつあるようなものである。





[80] 二十四日の法語 ・ 二十五日の法語
明鏡 - 2014年08月24日 (日) 04時21分



【 二十四日の法語  感謝は休息の本質である 】


感謝のない休息は

本当の休息とはならない。


感謝のない安眠は

本当の安眠とはならないものである。


時々刻々の感謝は、

時々刻々の休息となる。


休憩したら 「 ありがとうございます 」 と

感謝すること。


安眠の直前に神に感謝し、

会社、官庁又は家族の各員に感謝し、


「 有りがとうございます 」 と心の中で念じつつ、

その 「 有りがとうございます 」 の言葉が

呼吸と共に全身に爪先まで満つる様な気持で就寝すれば、

その眠りは安らかであり、

病気があっても速やかに癒えるのである。




【 二十五日の法語  先ず神の国を求めよ 】


「 神と富とに兼ねつかうること能わず 」 と云う聖書の言葉を誤解して、

富めば神様にきらわれるように思い、

「 富める者の神の国に入ることの難きこと駱駝の針の孔を通るが如し 」 と云う言葉を

貧乏にならねば神の国に入れぬと解釈して、

いつも貧乏の生活を青年時代にしていたのは私であった。



今は神の国に入れば無限の豊富さが

自然に備わっていることを知るようになったのである。


「 富 」 を神の国の外に求めるから、

「 神と富とに兼ね仕えること 」 になるのだが、

先ず「 神の国を求めよ、富は自ずから汝に随い来るのである。」





[82] 二十六日の法語 ・ 二十七日の法語
明鏡 - 2014年08月26日 (火) 08時10分



【 二十六日の法語  富とは一切の豊富さである 】


人間が貧しいのは

何処か心の持ち方が間違っているからだ。


富が決して悪いのではない。

富が若し悪いものならば、

無限の富者である神は

無限の悪の所有者だと云わなければならない。


然るに本当は、全ての豊富と云うことは美徳であり、

素寒貧である事は 悪徳又は劣徳であるのである。


富とは必ずしも金の事ではない。

金があっても富んでいない人が沢山ある。


富とは、よき考え、よき家族、よき師、よき弟子、よき雑誌、

よき性質、よき能力、それを表現する機関・・・等々。





【 二十七日の法語  金を愛するな 】


富を愛することが悪いのではなく、

金‘のみ’を愛することが悪いのである。


金で‘もの’云わそうと云う根性が悪いのである。

金はある程度まで人間の欲する物を与える。


そのために人は、人間の欲するものの代表として

「 金 」 そのものを愛する様になり勝ちである。


併し金で買えないものがある。

人間の愛であり誠である。


人間の愛と誠とは、

こちらが愛と誠とをもってしなければ購うことは出来ない。


貨幣でツラをはろうと思っても

本当の愛と誠のある人は 金では自由にはならない。





[84] 二十八日の法語 ・ 二十九日の法語
明鏡 - 2014年08月28日 (木) 08時48分



【 二十八日の法語  金を儲ける秘訣 】


金を儲けるのも、

金は本来物質ではなく、

神の生命と愛との表現が、

人間の経済制度を通して

かくの如き姿に現れたものであるから、


「 金々々 」 とそれを求めても、

大いに得る事は出来ない。



グレン・クラーク教授は、

ある人が神様に「 金を与え 」と祈ったら、


愛深き神様は 直に天の使いに命じて、

神様の世界に在りと凡ゆる倉庫を調べさせて


若し金があれば其の人に与える様に命じたけれども、

結局そのような金と云うものは神様の世界にはなかったと

譬喩を以って書いている。





[85] 二十八日の法語 ・  二十九日の法語
明鏡 - 2014年08月28日 (木) 08時52分



【 二十八日の法語  金を儲ける秘訣 】


金を儲けるのも、

金は本来物質ではなく、

神の生命と愛との表現が、

人間の経済制度を通して

かくの如き姿に現れたものであるから、


「 金々々 」 とそれを求めても、

大いに得る事は出来ない。



グレン・クラーク教授は、

ある人が神様に「 金を与え 」 と祈ったら、


愛深き神様は 直に天の使いに命じて、

神様の世界に在りと凡ゆる倉庫を調べさせて


若し金があれば其の人に与える様に命じたけれども、

結局そのような金と云うものは神様の世界にはなかったと

譬喩を以って書いている。





【 二十九日の法語  富の本源は愛と智慧とサービス 】


金と云うものは

神様の世界にはないのであるから、

金を与えたまえと

神様に祈っても与えられない。


吾々は 愛を 智慧を サービスを 与えたまえと祈って、

自分が又愛を 智慧を 奉仕を 世間に対して与えるとき、


それが神の世界のそれと波長が合うから、

神の 愛が 智慧が サービスが

吾々の 愛と 奉仕に 触れて富として実現する。


恰も太陽からの放射線が

地球の圏内に入って

光となり熱となって現れるようにである。


地球の雰囲気がなかったら

太陽の放射線も光熱とはならぬ。


神の愛も

人間の愛がなかったら

富とはならぬ。





[86]  三十日の法語 ・  三十一日の法語
明鏡 - 2014年08月30日 (土) 04時26分



【 三十日の法語  致富の秘訣は二つの真理にある 】


ラッセル・H・コンウェルの「 致富講演 」 によると

致富の原理は 大体次の二つである。


第一は 最大多数の人類に広く要求せられるものを与える事。


第二は、資本や門閥やそのほかどんな力をも借りずして、

自分で新しく其の仕事を出発せしむることである。


先ず 新しい考案が必要である。


その新しい考案が

人類的要求に応ずる事が必要なのである。


日本でも 「 亀の子たわし 」 一つ考案して

数百万円を贏(か)ち得た人もあるし、


ビール糟(かす)をビタミン剤として

数千万円を贏ち得た人もある。




【 三十一日の法語  人類の日常生活に奉仕せよ 】


「 諸君の富は 諸君の頭の中にあるのであって何処かの銀行にはないのである 」 と

テリル・マン氏は云っている。


先ず頭によって人類に今あるよりも一層役に立つ考案を考えることである。


戦争中でもアメリカ人は一個の万年筆や時計の竜頭(りゅうず)にさえも

「 尚一層便利 」 と 「 美 」 と云うことを発明し考案して、

人類の日常生活になお一層奉仕しようとしていたのである。


パーカー51号の万年筆や、

ネジを廻さないでも竜頭がスポンと脱けるようになっている懐中時計の如きは其の例である。







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