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谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐

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[93] 大日本真理国家
伝統 - 2014年09月01日 (月) 04時00分

(このスレッドでは、「大日本真理国家」に関する情報を紹介してまいります)

【常住戦死の心】

        *「光明道中記」(P272)<九月こころ極まる>はじめの言葉より
          (初出は「生長の家」誌・昭和14年9月巻頭言)

宇宙には唯一(ただひとつ)、大御心のみがある。

天皇の大御心である。

「忠(ちゅう)」とは大御心に無我帰一する心である。
すなわち天之御中主大神の心に「中(ちゅう)」する心である。
「中(ちゅう)」とは的(まと)に中(あた)るであり、御本質に貫き徹するのである。

宇宙の實相に少しもウラハラなることをせず、無我になりて宇宙の心に従うのである。
吾らが大御心を行ずるのは、それによつて幸福になれるからでも、都合がよくなるからでもない。
そう云う第二次第三次の事物よりも、尚々(なおなお)すぐれて無上價値なるものが大御心である。

その大御心を実現することは無上価値であるが故に、そのような第二次、第三次のお蔭などは
心に微塵も止(とど)めないで、大御心を行ずるのが「忠」である。 

そしてそれがまた生長の家家族の心である。

大御心を行ずる爲に、その他の物質的なるもの悉くを戦死せしむるのである。
戦場に於て戦死せしむるだけではなく、常住戦死の心である。

これを「死」と云う不吉な連想を伴い易き言葉を用いず、
「肉体なし、物質なし」と吾らは云う。

その死に切った心だけでは消極的否定の心である。

そこに「大御心《のみ》あり」の大肯定がなければならぬ。
生長の家ではこれを「神一元」と言う。天皇独在とも言う。

             <感謝合掌 平成26年9月1日 頓首再拝>

[97] 天皇絶対論とその影響 〜 謹序
伝統 - 2014年09月02日 (火) 03時21分

天皇絶対論とその影響 〜 謹序

・・・

「“本流宣言”掲示板」内のスレッド「天皇絶対論」で紹介いたしましたが、
消滅しておりますので、再度、省略部分を含め、
谷口雅春先生がお使いになった旧カナ・漢字使いで、紹介いたします。
(但し、パソコンでの入力可能な旧カナ・漢字に限定いたします)

・・・

謹序

天皇は宇宙~にましまして、同時に現人~として個身(こしん)を現じたまふ大君として
宇宙に臨み給ふ。個身と宇宙と相對するが如くなれども、個身は宇宙と相對するに
非(あら)ずして、個身即宇宙なるなり。

宇宙の中に個身があるに非ずして、個身その儘が大宇宙なるなり。
『個』即絶對なるなり。

天皇の個身を仰ぎ瞻(み)て、たゞ五官的有限身にましますとのみ觀じて、絶對實在を
仰ぎ瞻(み)ること能(あた)はざるものは靈感なきなり。誠にも慨かわしきかな。

或は云ふ 『天照大御~(あまてらすおほみかみ)は日本民族の族長なり、これを宇宙~
と云ふ空漠の理念として尊崇するは、民族の具體的族長にまします 天照大御~を抽象的理念
に昇華するものにして、その烈々たる尊崇の心は以て多とすべきも吾等日本人は 天照大御~を
具體的族長として仰ぎ來たれる歴史を尊重せざるべからず』と。

是(これ)、一を知つてニを知らざるものなり。
是、個身即絶對の眞理を知らざるものなり。
個身そのまゝに宇宙に滿ちたまえる大生命そのまゝが 天照大御~にましますなり。

 天照大御~が宇宙~にまします事は同時に大御~(おほみかみ)が
日本民族の具體的族長にあらせられることを何等妨げるものには非ず。

須(すべか)らく知るべし、多即一なり、一即多なり、
一時(じ)即一切時なり、一切時即一時なり、久遠即『今』なり、『今』即久遠なり、
一所(しょ)即一切所なり、一切所即一所なり、
『此處』の一點そのまゝ普遍にてあるなり。

現身(げんしん)そのまゝにして宇宙に滿ちて常に久遠に宇宙を總攬し給ふなり。

空間無、時間無、肉體無、物質無(佛教=色即是空又は五蘊皆空)の哲學は、
現身そのまゝにして宇宙に遍滿したまふ眞理を開くところの鍵としての哲理なり。

肉體ありながらあるがまゝに其の儘無きことを知るとき個身そのまゝに
宇宙に滿つることを知り得るなり。

釋迦は之を説けるなり。華嚴の一時一切時、一所一切所、一佛一切佛の哲學も、
法華の『我常に此處にありて説法す・・・此の世の燒くると見るときにも吾が淨土は安穩
なり、天人常に充滿す』の如來壽量品の『常今(つねいま)』又は『常茲(つねここ)』
の哲學も、

 天皇が單なる時空的滅盡の流れに浮ぶ個身のみにあり給はずして、個身その儘にして
宇宙に滿ち給ひ、吾等日本民族の族長にてあり給ふと同時に宇宙~として、宇宙一切の
内的生命として、生きとし生けるもの、有りとしあらゆるものを總攬し遊ばさるゝ眞理を
開く鍵として説かれたるなり。

一切の宗教は、 天皇即大宇宙大宇宙即 天皇の眞理を闡明(せんめい)するところの
鍵にして、豈(あに)それ個人の靈魂(たましい)の救ひのためのみならんや。

個人自身の靈魂の救ひを欲する者は聲聞、縁覺の徒に過ぎず、
他人の靈魂(たましい)の救ひを欲するものは稍稍(やや)上乗なれども菩薩乗に過ぎず、
佛(ぶつ)の正覺(しょうがく)は宇宙の成佛をそのまゝ此の世界に觀るなり。

釋迦が悟れるときに山川國土悉皆成佛と觀たるは、
山川國土悉く 天皇の御コの顯現にあらざるものなきを觀たるなり。
 天皇が宇宙に滿ちて成りませる實相を觀奉(みたてまつ)りたるなり。

大宇宙(たまあまはら)に天之御中主大~が成りませる法體を觀奉(みたてまつ)りたるなり。
大宇宙(だいうちう)と天之御中主大~とが表裏一体なることを觀奉(みたてまつ)りたるなり。
 天皇即大宇宙(だいうちう)なることを觀奉(みたてまつ)りたるなり。

物質世界の山川國土を見ながら、最早物質なき世界、
 天皇の御コ(おんとく)のみの現成(げんじょう)せる世界を見たるなり。

即ち釋迦の悟りは個人のみを救ふにはあらず、山川國土そのまゝに、
 天皇の御コ現成の世界として大宇宙全體を自覺せしめたるなり。
そは大宇宙の救ひなり。

キリストは『みこゝの天に成るが如く地にも成らせ給へ』と祈りたり。
これ個人の救ひの祈りにあらざるなり。
既に成れる金婆羅華の世界現成を祈りたるなり。

白馬に跨(またが)り給ふミコトが天上(實相界)のみならず、
全地上をも治(しろ)しめし給ふ日の實現を祈りたるなり。

我れ嘗て、 天皇絶対~論を「いのち」誌に掲げたることあり。
今その一文は「驀進日本の心と力」に収録されあり。

その後(のち)、これに対して甲論乙駁(こうろんおつばく)あり。
その反駁者は概ね 天皇を個身としてのみ仰ぎ瞻(み)て、宇宙~として仰信し得ざる徒のみ。
されど又吾が 天皇絶対~論は多くの日本を愛する忠義の志士の共鳴を得たるを喜ぶ。

本書に収録せるはその一部に過ぎざれども、多くの忠君愛國の士、
わが 天皇絶対~論より雲の如く駢(なら)び起れり。

荻原俊三氏の篋鼓(こけふ)集覽(しふらん)は無數のわが著書より博引傍捜(はくいんぼうそう)
して、わが意のあるところの『生命の實相』の祕義を啓(ひら)けり。
本書の第一に収録する所以(ゆえん)なり。

iェ縣思想主事大崎勝澄氏は、わが天皇絶対~論に共鳴し、西田哲學、田邊元博士の哲學、
西晋一郎博士の哲學等にて達し得ざりしあるものを得たりとて、第一書房より、既に
『日本倫理學』の書を公刊されたり。本書に載する大崎氏の稿が同書と重複せざるやう、
その後の執筆のみを撰びたり。


われは如何なる反對あらんも敢然として、
 大日本天皇は宇宙~にましますことを絶叫せんと欲す。
われは昭和維新の北畠親房たらんことを欲するなり。

~戸新聞嘗て~戸の史蹟を書きて烏原村(からすはらむら)の谷口氏の事を書く。
曰く『谷口氏は××を奉じて湊川に苦戦せし大楠公に呼應して立ちし新田義貞の残黨が
再擧せんが為に暫く世を忍びて谷口氏を稱せしなり』と。

眞偽の歴史的考證は操觚(そうこ)者に委ねるも、
吾が血の中には××の忠臣の烈々たる大義の血流れたるを覺ゆ。
これ吾が實感なり。

今や大日本帝國が~國なる事を明らかにせざるべからざる秋(とき)なり。
萬民立つて 大日本天皇が絶対~にまします事を高唱せざるべからず秋なり。
一日このこと早ければ一日早く全世界が大日本國となるなり。

言葉は創造力なるが故なり。
一人(いちにん)多くこの事を傳ふれば全世界の
民草(たみぐさ)一人(いちにん)多く 日本天皇を仰信するなり。

三界唯心なり、世界は仰信の展開なり。
思想は力なり、仰信は更に力なり。
吾を黙せしめば、石叫ばん。

同志よ、同志に語りつたへよ。大日本帝國は~國なり。
 大日本天皇は絶對~にまします。

大日本民族はその赤子なり、天(あめ)が下を救はんがために
天孫と共に天降り來れる諸諸の命(みこと)たちの子孫なり、と。


最後に特に青年たちに呼びかけん、青年は國のたからなり。
諸君の今立つべき秋(とき)なり。

天皇絶対~論を戴(いただ)ける吾等の同志たちは宇山熊太郎少将を理事長とし
『臣道無窮』の筆者矢野酉雄氏を企畫實踐部長として皇運扶翼生長の家青年會を組織して
既に心身鍛錬臣道實踐に邁進しつゝあり。本書の巻末にその規約を掲載せり。

吾等の臣道實踐運動に賛成の同士は皇運扶翼生長の家青年會矢野企畫實踐部長宛
その氏名を通知せられんことを望む。

 皇紀ニ六〇一年三月               著 者 識

   ・・・

 皇紀2601年=昭和16年=西暦1941年

<参考>

谷口雅春先生編著『天皇絶対論とその影響』と双璧をなし、
当時の日本人に精神的基盤をなした書に、杉本五郎中佐遺著『大義』があります。

これについては、
「“本流宣言”掲示板」内スレッド「天皇一元〜『大義』(軍神・杉本五郎中佐遺著)から (980)」
で確認できます。
 → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=227

            <感謝合掌 平成26年9月2日 頓首再拝>

[110] 天皇信仰
伝統 - 2014年09月06日 (土) 08時09分

《天皇信仰  谷口雅春 謹書》


 天皇への歸一の道すなはち忠なり。
忠は 天皇より出でて 天皇に歸(かへ)るなり。

 天皇は一なり。ハジメなり。
一切のもの 天皇より流れ出で 天皇に歸るなり。

わが『忠(ちゅう)』、わたしの『忠』、我輩の『忠』などと云ひて、
『我(が)』を鼻に掛ける『忠』はニセモノなり。
私なきが『忠』なり。



 天皇は 天照大御~(あまてらすおほみかみ)と一體なり。
天照大御~(あまてらすおほみかみ)は 天之御中主~と一體なり。
斯くして天皇はすべての渾(すべ)てにまします。

『忠』の本源は天之御中主~の『御中』の理念より發して
再び天之御中主~に復歸するなり。

 天皇を仰ぎ、 天皇に歸一し、私なきが『忠』なり。
わが『忠』と誇るとき、もうそれは『忠』にあらず、『我(が)』となるなり。



すべての宗教は、 天皇に歸一する為の前提として存在の意義があるなり。
すべての宗教が、『我(が)』を捨つるを説き、『無我』を説き、富を捨つるを説き、
『無所有』を説くは、『この世は何にも無いものだから諦めよ』と云ふ意味に非ず。

すべてのものは 天皇の一元(げん)より發現することを教へたるなり。
すべての森羅萬象 天皇の大御(おほみ)”いのち”の顯現ならざるはなきなり。
 天皇を説かず、仰がず、『無』のみを説く宗教は準備時代の宗教に過ぎず。



わたくしの『生命(せいめい)』を愛護すること勿れ。
『生命』が尊きは 天皇の大御”いのち”の流れであり、岐(わかれ)であるが故に尊きなり。
寸時も、『天皇(てんのう)のみたまのふゆ』なることを忘るべからず。

『天皇のみたまのふゆ』なることを忘れるとき、人は惡逆無道の迷妄の徒とあるなり。


愈々日本も政治新體制の曙は近づけり。一切の政黨は解黨せり。
新たに黨を結ばんがための解黨にては意味を成さず。
この事(こと)胆(きも)に銘ずべきなり。
挙國一黨なりとも、黨のある限りは『無我』に非ざるあり。

大(おほ)みごころあるのみなり。大みごころへの無我随順あるのみなり。

若し新黨を樹(た)つるとも、新政體を建(た)つるとも一点の『我(が)』ありて、
大みごころを蒙(くら)ます時、天皇の御徳を晦(くらま)して、
自分の都合をはかる無道(ぶどう)の徒(と)となり了(をは)るなり。


無道(ぶどう)とは、道の無きことなり。

道は宇宙にミチてあれども、『我(が)』のあるところには、道は遮られてあらはれぬなり。
大海原に海水(かいすゐ)は満ちたれども岩石の固まりたるところには
海水は滿ちをること能はざるが如きなり。

『我(が)』なくなりて、はじめて『道』は生きるなり。
私の『善』、私の『道』、私の『宗教』などと云ふものあるべからざることなり。


すべての宗教は、天皇より發するなり。
大日如来も、釋迦牟尼佛も、イエスキリストも、天皇より發する也。
ただ一つの光源より七色の虹が發する如きなり。

各宗の本尊のみを禮拜して、 天皇を禮拜せざるは、虹のみを禮拜して、
太陽を知らざる徒(と)なり。

すべてのもの太陽にて生くるが如く、
すべてのもの 天皇の大御(おほみ)”いのち”にて生くるなり。


生長の家が、一宗一派を樹(た)てざるは、宗派と云いて黨を樹て、閥に籠(こも)りて、
相爭うことが『忠』に非ざることを知る故なり。

特に『一宗一派に非ず』と云ふことを教義の『七つの光明宣言』に記入して、
宗教であることを許されしは、文部當局の賢明なる處置なり。
文部當局が一宗一派にあらざる宗教をみとめたるなり。

宗教が正しくなりたるなり。
すべての宗教は私のものにあらざるなり。
すべてを 天皇に歸一し、 天皇に奉還し奉る宗教なり。


宗はオホモトなり。 天皇なり。
すべての教(のり)も則(のり)も範(のり)も矩(のり)も規(のり)も法(のり)も、
悉くスメラミコトより發するなり。

宗教が宗派と云ふものに立ち籠(こも)りて、宗祖と云ふ一人の國民に過ぎざる人間を尊崇
するは邪道なり。されば我(われ)は夙(つと)に喇叭に過ぎずと云ひたるなり。

すべての宗祖は喇叭に過ぎざるなり。
宇宙の大教祖は 天皇にあらせられるなり。
ミチとノリとは悉く スメラミコトより出づればなり。



釋迦在世のとき、金婆羅華(こんぱらげ)を拈(ねん)じて衆に示すに、
迦葉(かせう)のみ微笑(みせう)す。

金婆羅華は『空(くう)』の象徴に非ず、
宇宙がコスモスであり、中心歸一である象徴なり。
日本國體の象徴也。

迦葉(かせう)のみ微笑(みせう)す、とは悲しいかな。
ほかの大弟子皆解せざる也。

今の佛教者はいかほど金婆羅華の祕密を解せりや。
佛教を以て『空(くう)』を説くとなす者、百尺竿頭に坐する底(てい)の者なり。
百尺竿頭に達せざる者よりは優(まさ)れり。

されど『空(くう)』の百尺竿頭より進一歩して、中心歸一世界を見ざるものは、
外道の佛教にして、日本佛教にあらざるあり。



東大寺の大佛は、中心歸一の蓮華藏世界を彫刻にあらはせるなり。
中心座にましますは、光明遍照者(ヴェーローシヤナ)にましまして、

それを守護し奉るために、千葉(せんえふ)の蓮華その御足(みあし)の下(もと)に
ありて、各々の蓮華に、悉く釋迦牟尼佛いまして、
光明遍照者(ヴェーローシヤナ)の御コを讃ふるなり。

ヴェーローシヤナと云う梵語をば、大日如来などと、佛教が如来の如く譯したるは
誤謬にはあらざれども、人をして外國(外国)の佛樣(ほとけさま)の如く
誤解せめしたるや久し。


ヴェーローシヤナとは、單に『光明遍照(くわうみやうへんぜう)』の意なり。
宇宙の中心座に在(ましま)す『光明遍照(くわうみやうへんぜう)』なり。
畏(かしこ)くも天照大御~(あまてらすおほみかみ)にましますなり。

 天皇は天照大御~と一身にましますが故に、釋迦は 天皇信仰を教へたるなり。
それを知らずして、迦葉のみ微笑(みせう)す。
善い哉、迦葉微笑(みせう)せり。

今は日本人悉くが微笑せざるべからざる時なり。
 天皇信仰を知らざるべからざる時なり。

今はすべての宗教が 天照大御~(あまてらすおほみかみ)を禮拜すべき時なり。
そのほかに宗教ある筈はなきなり。



承るに、滿州國皇帝陛下は、去る皇紀二千六百年七月十五日早暁(そうげう)、
滿州帝國に建國廟を御創造遊ばされ、天照大御~(あまてらすおほみかみ)を祭祀する
崇嚴なる鎭座祭を御擧行(ごきょかう)遊ばされたる由(よし)なり。

今後、全世界各國にこの御儀が續々擧行せらるべきは、
日本は世界のスメラミクニなる故なり。

天照大御~(あまてらすおほみかみ)を以て
單に日本民族~なりと考ふる如き小乗時代は去れるなり。 

今後は宇宙~として全世界各國に於て、全世界各國民より
仰ぎ祭祀せらるべき大乗時代來(きた)るなり。
こゝに於て全世界に一君萬民、永遠平和の世來(きた)らん。

これ宇宙の約束なり。
萬教を和せしめ此の宇宙的眞理を炳(あきら)かにせんがために誕生せるもの
生長の家なり。

・・・

以上は、谷口雅春先生・著・『天皇絶対論と其の影響』(P3〜7)からの紹介でした。

・・・

<参考:『天皇絶対論と其の影響』の目次>

謹序(谷口雅春)

天皇信仰(谷口雅春)<P3〜P7>

第1篇 荻原俊三氏の『天皇信仰』鼓篋集覧<P11〜P66>

第2篇 尾関貞一氏の『新日本学樹立への努力』<P67〜P175>

第3篇 田中子葉氏の『日本教育学樹立への貢献』<P177〜P274>

第4篇 大崎勝澄氏の『天皇絶対論を根基とする臣民教育』<P275〜P335>

第5編 矢野酉雄氏の『忠一元・臣道無窮論』<P337〜P371>

皇運扶翼生長の家青年会規約<P372〜P374>


昭和十六年三月二十三日 発行   編著者 谷口雅春
                 発行所 光明思想普及会

            <感謝合掌 平成26年9月6日 頓首再拝>

[117] 『天皇信仰(二)』
伝統 - 2014年09月09日 (火) 04時42分

(以前、別の掲示板にて、”童子 さま”が掲載していたものの中で、
『天皇信仰(二)』があります。これは、すでにその掲示板にて消滅しております。
大事な掲載資料ですので、ここに掲載しておきます。

”童子 さま”のおゆるしをお願いいたします)

・・・

『天皇信仰(二)』
  
            ○

 陛下の赤子にて吾等はあるなり。
 この真理を憶ふとき、仰慕の心動きて極りなく、唯感涙に咽ぶのみ。

            ○

 軍神杉本五郎中佐の遺著『大義』に曰く、
『天皇は 天照大御神と同一神にましまし、宇宙最高の唯一神宇宙統治の最高神。
 国憲・国法・道徳・芸術乃至凡百の諸道悉皆天皇に帰一せしむるための方便門なり。』と。


 然り、宇宙最高なるがゆゑに、東洋の日本列島のみの神には在しまさざるなり。
 まことにも、天皇は宇宙の大神であらせられる。

 かくてすべての宗教は、世界すべての人類をして天皇信仰に帰一せしむるための方便門なり。
 天皇は絶対究極の実在にましますが故に、天皇に帰一せしめ得ざるが如き宗教あらば、
 そは必ず邪宗なりと云はざるべからず。

            ○

 日本を狭義に解して『特殊』扱ひすることを止めよ。
 八絋一宇とは、全世界が日本国であることなり。
 全世界が日本国であることが、畏くも神武天皇の大理想にてあらせられるなり。

            ○

 日本を狭義に解して、日本の神は、外国を救はず、
 外国に応現し得ずと云ふが日本的なるか、権威があるか。

 日本の神は、今までも既に、姿を変へ、相を変へ、名称をかくして、
 変幻出没自在の神通力を以て全世界を救ひてゐ給ひしなりと云ふ方が『八絋一宇』的なるか。

 日本の神は外国をも創造りたる親神なりと云ふ方がより大なる包容性と権威とを
 日本の神に有たせるには非ざるか。

 前者の小島国的に観られたる神よりも、後者の大国的、全世界包容的に観られたる神の方が
 権威があり、偉大なるは明かである。

 この睹易き事実を無視して、卿等は日本の神を、小さく小島国のみの神と観ることのみを以て、
 日本的とせられるか。

 斯くの如く日本の神を狭く小さく観るのもその人各々の観方にて巳むを得ずとするは
 個人的な考へ方である。

 斯くの如く日本の神を狭く観る時、今迄、ゴットを拝してゐた欧州人が、
 日本の神を自己の親様として、礼拝し得るか。天皇信仰にまで導き得るか。

 杉本中佐の云ひしが如く、『国憲・国法・宗教・道徳・学問・芸術乃至凡百の諸道悉皆、
 天皇信仰に帰一せしむるための方便門なり』と知らざるか。

            ○

 『ゴットはゴットにして神と云ふべきに非ず』と云ふが如きは、一切の人類をして
 『天皇信仰に帰一せしむるための方便』を亡ひたる愚論なり。

 『お前達のゴットとして今迄礼拝してゐたのは実は日本の神であったのだぞ』と
 理論整然として欧米人に教へ得る時、はじめて満州人も、支那人も、欧米人も
 襟を正して日本の神を礼拝するに到るなり。

 最近、満州国にて建国の大神にましますとして、天照大御神を、その建国神廟に
 皇帝みずから御神祭あらせられたのは神武天皇の御理想たる八絋一宇の理念の実現に
 一歩を進めたるものにして、天照大御神が満州国に於ても建国神たることを満州人が
 漸く知りたがるが故なり。

 やがては日本の神が全世界の建国神であると認められる日の遠からざることを信ず。

 また仏教に於ても『お前達が仏として今迄礼拝していたのは実は日本の神の応化垂迹で
 あったのだぞ』と仏教信者に教へ得てこそ、仏教信者をも導きて、日本の神崇拝に、
 従って又、天皇信仰に到らしめ得るなり。

 天皇信仰に到らしめ得ず、宗教的信仰と国体信仰の問題とをバラバラに乖離せしめる
 宗教を説くが如きは、一見非常に日本的の如く説くも、国民の信念の中心をバラバラに
 分散せしむる不忠極りなき徒なり。

            ○

 余が、日本の神を外国にも応化垂迹自在の神として、どこの如何なる国の民族も悉く
 天皇信仰に立到らしめんとして説ける生長の家の教義をば、日本の神と外国系の神
 又は仏と混淆するものだとして攻撃する論者の如きは、日本の神をば外国の神と
 対立するところの『絶対性なき神』 ― ただ対立抗争を事とする小分立の神 ― 

 と見る妄論であって、斯くの如き『日本の神』に対する観方こそ、
 八絋一宇的全包容的なる偉大なる日本の神を局限する不敬の徒として大いに当局の
 取締らるべき思想なりと信ず。

 由来、仏教徒 ― 特に真宗信徒の中には、神を礼拝する者を厭ふ者多く
 大麻奉斎に反対して過去に問題を起したことも一再ならずあるなり。

 彼等の中には阿弥陀仏一仏のみを礼拝すれば足りると信じ、他の神を拝すれば
 仏罰を受けて、死んでから御浄土に生れ得ずと信じゐる者も多数あり。

 彼等真宗信徒のある者が、仏と神とは相異する、仏は吾らの霊魂の救ひ主にして、
 日本の神は吾らの肉体の祖先なりとして神仏別異論を説くは、彼等が阿弥陀仏のみを
 信じたいから、神の方を敬遠して、吾れ関せず焉としてゐたい底意であって、
 表面『敬神』を装うて、神仏別異論を日本主義めかしくカムフラージして説くに
 過ぎざるなり。

 某真宗信徒がその機関紙、機関誌を利用して、仏と、ゴットと、日本の神とは
 別々なりの論鉾を以て、『凡ての諸教の本源を、天皇にありとして 天皇信仰
 にまで一切宗教信者を導く生長の家』を圧迫せよと論じたが如きは、
 方に此の陋劣なる心事の現れなりと言はざるべからず。

 彼等真宗信徒中の或る者は、崇厳極まりなき真の浄土が、天皇陛下の知ろしめたまふ
 此の日本国土であることを知らざる故に、死んでからも日本国土にとどまって七生報国
 するの信念などはなく、此の世を穢土と称し、日本国土から十萬億土も距ってゐる、
 訳のわからぬところにゐる仏の国とやらへ救ひとって貰ふために逃げて行く(往生と称す)
 ことを願ってゐる者多数なり。

 彼等の霊魂は、天皇信仰をのがれたいがゆゑに、肉体のある間は巳むを得ず現世の
 王法に従ひ『王法為本』などと云ってゐるが、実は首鼠両端、肉体と霊魂との
 奉仕先の使ひ分けをして王法と仏法と区別し、神仏別異論を立てて、肉体が死んで
 しまったら霊魂は天皇信仰にならずに阿弥陀仏信仰になりたがってゐるなり。

 その心事の日本的ならざる、斯くの如きものあるなり。

 彼等真宗の或る一部の教徒が何故、生長の家を圧迫せよと唱へるかと云へば、
 すべての日本人が天皇信仰の唯一真理に帰一してしまったら、天皇の御座所は
 本願寺の中にはましまさないのであるから、本願寺は信者の崇敬を受けることが
 出来ず、従って献金も布施も受けることが出来なくなることを恐れて、

 飽くまで『天皇信仰は現世のこと、死んでからは本願寺を通して阿弥陀様に救はれぬぞ』
 と云ふべきために、神仏別異論を立てて、全ての宗教を天皇信仰に帰一せしむる
 萬教帰一教として説く生長の家に出来るだけ楯を突くに到れるなり。

 彼ら真宗信徒の妄論に迷はされて、日本の神が全世界に八紘一宇的に変化垂迹
 せられてゐる事実を知らず、日本の神以外に外国に別に吾等の霊魂を救ふが如き
 仏ありと思ふものあるは遺憾なり。

            ○

 また彼等は云ふ。『生長の家がすべて人間を神の子なりと云ふは不敬也』と。
 ここまで至ればまた嗤ふべきかな。

 吾等は 天皇を親神の全徳そのままの御顕現、即ち現人神と拝し奉り、
 吾等臣民を天皇の赤子と観る。大日本帝国は皇室を大宗家と観奉る一大家族制国家なり。

 吾等が陛下の赤子であるならば、そして陛下が神にましますならば、陛下の赤子で
 あるところの吾等は『神の子』であるの光栄を生れながらに有するなり。

 『神の子』なる本性をいただいてゐればこそ、戦死に於て天皇に無我帰一して
 護国の神として靖国神社の祭神にまで奉斎せらるるなり。

 若し吾等を『神の子』であると唱へることを否定する者あるならば、
 彼等は大日本国大家族制国家の否定論者であり、靖国神社を当然否定することに
 なり、彼等こそ国体覆滅の大陰謀漢なりと謂はざるばからず。

            ○

 かく云ふも、この一文を何人をも傷けるために書くものには非ず。
 さればこそ彼れ悪逆なる真宗教徒の名は伏せ置きたり。
 全ての真宗教徒が彼れの如く悪逆なるには非ず。

 ただ尽忠報国の念に燃え、一切の宗教を天皇信仰に帰一せしめ、神武天皇の
 八絋一宇の理念の実現せんがために、日夜思想戦を行へる吾等を目して、
 国体の尊厳を冒涜するが如く誣評する一部真宗教徒があるとき、

 それに対して黙して応へざるときは、その誣評を正しいとして甘受したと云はれる
 惧れあれば、巳むを得ず余等が萬教帰一的論鉾を常になす理由の一端を
 述べたるなり。

 軍神杉本五郎中佐曰く

 『天皇は絶対にましまし、自己は無なりの自覚に到らしむるもの諸道諸学の
 最大使命なり。無なるが故に、宇宙悉く、天皇の顕現にして、大にしては
 上三十三天、下奈落の極底を貫き、横に尽十方に亙る姿となり、

 小にしては、森羅萬象 天皇の御姿ならざるはなく、垣根に喞く虫の音も、
 そよと吹く春の小風も皆 天皇の顕現ならざるはなし』と。


 しずかに考ふるに『垣根に喞く虫の音も、そよと吹く春の小風も、
 皆 天皇の顕現』にましますならば、 釈迦の大説法、キリストの大説法も、
 天皇の顕現にましまさざるか。

 釈迦の大説法、キリストの大説法は『垣根に喞く虫の音』や
 『そよと吹く春の小風』よりも劣りたる者なるか。

 これにても、生長の家の説くところの日本の神の全世界への神仏としての
 垂迹説が日本的ならずとして或る生長の家を弾劾せんとする真宗教徒は、
 みずから神仏別異論を立てて、現世は王法に、霊魂は阿弥陀仏に頼らんと
 するなり。

 吾等は 天皇を宇宙真理の顕現、宇宙の大法のものに在しますと直観するなり。

 今 天皇を御肉体としてのみ見、ただ肉体的族長なりと見、
 阿弥陀仏を以て真理大法の顕現なりとして見、
 中心帰一、一億一心の必要なること今日より甚だしきことなき非常の秋、
 肉体は王法に従はするは止むなきも、霊魂は阿弥陀仏に帰命せしめよと説く
 真宗人のあることは最も嘆はしきことにこそ。
                      
・・・・・

『天皇信仰(二)』で、触れられている、
軍神杉本五郎中佐・遺著『大義』については、
「生長の家“本流宣言”掲示板」内スレッド「天皇一元〜『大義』」を参照願います。

  → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=227 

            <感謝合掌 平成26年9月9日 頓首再拝>


[261] 『天皇獨在』 ― 忠より出でて忠へ還る ―
伝統 - 2014年11月05日 (水) 06時37分

          *「信の力」(P10〜15)より

個人はないが民族はある ― これが独逸を勃興せしめた哲学である。
果して然らば、『世界は無いが日本はある』と云ふ哲学は、日本をして
大日本全世界国家にまで顕現せしめるであらう。また現に斯く顕現せしめつつあるのである。

日本の理念は、古事記に昭々として炳(あきら)かである。
その最初に高天原(大宇宙)に法輪を転じたまふ ― 成(鳴)りませる ― 
天之御中主神のみが独在したのである。

大宇宙の中に天之御中主神がお成りになったのではない。
大宇宙が即ち天之御中主神であるのである。

神格として、人格として、大宇宙の内面的本質が天之御中主神であらせられ、
その生ける神格の、人格の、コトバの振動の広がりである外的客観的広袤(こうぼう)が
大宇宙であるのである。

而して、大宇宙全体のほかに何物も存在し得ないが故に、
天之御中主神のほかに何物も存在し得ないのである。

天之御中主神こそ大宇宙最初の天皇であらせられ、すべてであらせられ、
全ての渾てであらせられ、『天』の原理であり、一切包容の原理であり、
『御中』の原理であり、中心帰一の原理であり、一以てすべてを中く原理であり、
かくて 天皇独在であらせられる。

一以てすべてを中き、そのほかに何もない。
国土も 天皇から生れたものであり、臣民も 天皇から生れたのであり、
天皇独在であって、吾等『個』はあるがやうに見えても、
それは単なる股肱的現れ(手身<たみ>)であって、本来無いのである。

これを称して、『肉体本来無し、物質本来無し』と云ふ。
個身無き意味である。

『個』はあるが如く見えても、本来無きが故に、
全一者なる至尊の唯一存在に帰一するとき、即ち一以て中(つらぬ)くとき、
それを中く心を即ち『忠』と云ひ、

吾等は『忠』に於て『個』と見える生命の大飛躍を遂げ、
『個』が全一者と貫中して、有限が無限となり、
吾々は生命の無上の歓喜を味ふことが出来るのである。

宇宙の相(すがた)は一言にして云へば『中』の相(すがた)である。
『中』の象形文字を上より俯瞰するならば◎であり、『天之御中』なる理念である。

一切がそれに包容され、一切が中心に帰一する。
『包容』と『中心帰一』とが宇宙の全相である。
換言すれば『忠』が宇宙の全相である。『忠』のほかに何ものもあり得ない。
 
『忠』がひとり立つとき、一切が立つ。
それ故に『天皇陛下萬歳』のあるところに全てが立つ。

皇軍の将兵が最期に臨んで『天皇陛下萬歳』と叫ぶのは『個』が滅したやうに見えても、
『個』が一層大きく生きて全てが立つたことを表してゐる。

これに反して『忠』が崩れるとき、一切が壊ける。
吾等は『忠』より出でて『忠』へ帰るほかに何物もありやうがないのである。

 
日本の刀は此の『忠』の意識的及び潜在意識的自覚より来るのである。
此の外見は小列島国に過ぎないと見える日本が大陸を蓆(むしろのやうに巻き収める。

英国がどう云はうと、米国がどう云はうと、ソ連がどう出ようと、
ビクともしない此の胆の据りかたと底力は、日本なるものが天之御中主神を本体とする
大宇宙そのものであり、日本の運命が大宇宙力にパックされてゐるとの自覚なくして
能はないことである。

武器の発達もさることながら『忠』の自覚がなかったならば、
これほどまでの底力は出て来なかったであらうと考へられる。

大宇宙が天之御中主神であり、天之御中主神が大宇宙であり給ひ、
その『全一』と『中(みなか)』の相(すがた) ― 中心総撹の全徳が至尊として
顕れましたのが天照大神であらせられるから、
天照大神は宇宙神にして同時に皇祖神であらせられる。

しかして天照大神の現人神が天皇であらせられる。
それは古事記に現れたる宇宙創造の順序を読んで行けば自ら明かなることである。

天之御中主神 ― 天照大神 ― 天皇 ― 全大宇宙 ― かくの如くして、
吾等は天皇を観奉ること、全大宇宙を観ると同じである。

全大宇宙はただ天皇の顕現し給ふおん相(すがた)であるが故に、
全大宇宙は天皇の有にして、そのほかの何物でもない。
天皇のみ実在にまします。天皇独在であるのである。

斯くの如くして、天皇に帰一せしめる国が日本国なるが故に、
全宇宙はその実相に於て日本国である。

いまだ現象界に於て列国対立の相が顕れてゐるが、
それは仮相であつて本来なき相であるが故に消えるほかはない。

驀進日本の力は此の自覚からして無限に押し出されて来るのである。
           
            <感謝合掌 平成26年11月5日 頓首再拝>



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