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谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐

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[338] 『正月の餅飾りの意義を語る』
伝統 - 2015年01月01日 (木) 04時57分


     _〆
     (∴)
    ( ̄ ̄ ̄)
  <( ̄ ̄ ̄ ̄)>
  [二◆二二◆二]    『 瑞 祥 新 春 』    
   |◇ ● ◇|
   |◆  ◆|
   |____|

  【 元 旦 】

『正月の餅飾りの意義を語る』

          *『光の泉』誌(昭和38年新年号)より


皆さん、新年おめでとうございます。

今、私の目の前に三方が置かれているのであります。 

それはお正月の飾りであるお鏡餅が盛られて、その下に昆布が敷かれ、
「裏白」という羊歯類の植物の葉が飾られ、その上に串柿があり、
伊勢海老と橙の果実が頂上に置かれてあります。

正月の儀式だけではありませんが、
古えからある祭礼等に行われる‘しきたり’の多くは、一種の象徴的行為であります。 
象徴とは見えざる心の姿を、視える象(かたち)又は徴にあらわしたものをいうのであります。

では、この正月の鏡餅のお供えは、
私達の心の象徴として如何なる希望をあらわしているものであるかを
考えてみることに致しましょう。

私は皆さんが今年一年365日に毎日一章づつ読んで頂くように書いた本を
『幸福を招く365章』と題して出しましたが、
その元旦の章にこんな事が書かれております。

『吾々が眠りより覚めて意識の世界に再び帰って来たとき、
其処に吾々は新らしく生まれた自分を発見するのである。

過去との一切のつながりは、除夜の鐘を境として、完全に断切られたように見える。 
過去の一切のものは完全に過ぎ去ってしまったものに感じられ、「新らしく生きるのだ」
という希望と決意とが湧き起って来るのである。

まことに正月元旦は新生の時であるのである。 
元旦の曙こそ、吾々の心が浄らかな白紙のように浄められている時である。

あなたの未来は、今あなたの掌中に握られているのである。 
今、この時、善き事を考えましょう。 
今善き事を計画しましょう。 まことに一年の計は元旦にあるのである。』

この元旦の計画の一節にあります 「新らしく生きるのだ」 
という希望と決意の象徴がこのお鏡餅のお供えであります。


(1)橙

   先ず、一番頂上にある橙の果実は何を象徴するかと言いますと、
   我々の上に一番頂上にあるのは 「代々」 の祖先であるという事であります。

   我々が今こうして生かされているのは、代々の祖先があるお蔭であり、
   代々の祖先がなければ我々は此処にこうして存在を保っていることは
   出来なかったのであります。

   我々は代々の祖先の果実であります。 
   その事を象徴して一番頂上に橙の果実を飾ってあるのであります。

   先ず、吾々は祖先に感謝しなければなりません。

   その橙はどうして出来たかと言うと、地から一切の必要なる養分を吸い上げ、
   天からは太陽その他の放射光線を吸収したのであり、天地の不思議な生命、
   即ち神に生かされ、大自然に生かされて

   代々〈即ち「橙」〉 の祖先が出来、
   そこからその果実たる我々子孫が生まれて来たのであります。 

   そこから我々が 「神の子」 だということがわかります。

   その事をはっきりと知るのが、元旦からの新生活の基礎になるのであります。


(2)伊勢海老

   その次にある伊勢海老は何を象徴するかと言いますと、
   海老は 「海老(かいろう)」 と書いて
   「偕老同穴」 の 「偕老」 と発音が同じであります。 

   すなわち 「偕老同穴」 を象徴したのであります。

   偕老同穴というのは、夫婦が仲良く偕に老いて、死に到る迄一体である
   ということでありまして、

   新年の決意としましては先ず自己の生命の本源が神から来たり、
   代々の祖先を通じて神の子として誕生し、そこに夫婦の因縁を結んだならば、
   共白髪に到る迄、仲良く生活しようとの決意を為す事であります。


(3)串柿

   次に串柿は何を象徴するかと言いますと、串柿に作られている柿の果実は、
   その剥ぎたては渋柿であります。 
   生のままでは渋くて食べられないのであります。 

   それを外皮をむいて、渋いのを空気に晒して置くと、
   渋柿がえもいわれぬ美味しい甘い味に変ってしまうのであります。

   人間も世の中に出て、周囲の空気に晒されることが必要であります。 

   人間は 「神の子」 だと言いましても周囲の空気に触れて、
   色々に鍛えられ淘(よな)げられる迄は、
   その内在の神性仏性は表面にあらわれて来ないのであります。

   そして各人の内在の神性、即ち仏性というものは利己主義ではあらわれない。 
   串柿のように個人個人、一個一個が手をつないで仲良く一体にならなければ
   ならないのであります。 

   そして 「自分」 という皮をむいてしまって 「横のつながり」 を
   完全にしなければならないのであります。

   人間の生命は神より来たり、我々は 「神の子」 として、
   神に於いて一体であり互に兄弟なんであります。 
   これが 「実相」 であります。

   この互に一体なる 「実相」 即ち 実の相 (ほんとうのすがた) を自覚して、
   すべての人間、すべての国民と和解して仲良く横につながって生きてゆくのが、
   私達の新年の決意でなければならないと思うのであります。


(4)裏白

   「裏白」 というのは、葉の裏側が白いから名づけられたのであります。  
   心が清くけがれない事を象徴いたします。

   「うら悲し」 などの語(ことば)もありますように、
   「裏」 というのは 「心」 の事であります。 

   「占う」 というのは 「心の裏」 を返して見ることであります。 
   心の裏を返して見れば、どんな‘けがれ’もないのが 「裏白」 であります。


(5)昆布

   次には 「昆布」 でありますが、これは 「よろこんぶ」 という言葉と
   発音が似ているので、これは 「喜ぶ」 ことの象徴だと言われております。

   昔から 「笑う門に福来る」 という諺がありますが、常に喜んでおれば、 
   「類を以て集る」 という心の法則に従いまして、
   喜ぶべき事が集って来るのであります。 

   そして、その味は周囲にしみ出して、周囲のものに美味しい味をつけます。 

   自分は噛み砕かれたり、だしがらとなって捨てられても、
   周囲のものに味をつける事を使命としている。  
   こういう心掛けでおりましたら人間も本当に幸福になれるのであります。


(6)鏡餅

   その昆布の下に一重ねの鏡餅があります。 
   鏡餅とは、心の鏡とする餅と云うことであります。 
   これは上も下もまん丸くなっているのであります。 

   上も下もまん丸くなるには、お米のままや御飯粒のままでは
   まん丸くならないのでありまして、自分という個々別々の粒を潰して、
   自我を主張する事なしに全体につながらなければなりません。 

   バラバラの御飯粒のままでおりますと、それは腐りが早いのでありますが、
   一粒一粒という自分というものが無くなって、餅という形に団結致しますと、
   中々腐らない、‘もち’〈保存〉が良いのであります。 

   それで 「餅」 というのであります。

   我々善人はもっと団結して、善を進め、
   愛行をつくして行こうと決意しなければなりません。


   鏡餅 = 陰陽の法則

   又、この餅はどうして出来るかと考えてみますと、
   陰陽の調和に依って出来るのであります。

   先ずお米を洗って一昼夜程水に漬けて置きます。 
   あまり長時間水に漬けても、あまり短時間でもいけないのであります。 
   水は陰陽で謂えば 「陰」 で、女性であります。 

   その水に漬けて置いたのを蒸篭に入れて水平にならし、
   それをお釜の上に置いて下から火を燃やすのでありますが、 
   「火」 は陰陽で謂えば 「陽」 で、男性であります。

   女性は水平に横たわって男性なる火がそれを縦に貫くのであります。 
   その陰陽の結合を 「結び」 と申します。 

   その 「むすび」 の結果、美味しい 「うまし」 という味が
   出て来るのであります。

   日本の古典の『古事記』に於いては高御産巣日神、神産巣日神の次に 
   宇麻志阿斯訶備比古遲神(うましあしかびひこじのかみ) と称する
   神が生れて来ております。

   すべて陰陽の 「むすび」 によって 
   「うまし」 という味が出て来るのであります。 
   これが 宇麻志阿斯訶備比古遲神 であります。 

   陰陽によってむすぶという事が大切であります。

   独身主義ではいけないのであります。 
   天地万物は悉く陰陽の結合によって出来ているのであります。 

   原子も原子核という陽の固まりがあり、
   その周囲に陰電気の電子が回転しているのであります。 

   太陽系統にも太陽という中心があり、その周囲をみずから光を発しない、
   即ち受身である処の、受身である陰性の地球がその周囲を旋回している
   のであります。

   発動的なのが男性であって、受動的なのが女性であります。 
   この発動的な 「陽」 と、受動的な 「陰」 との交わりによって
   一切万物が生ずるのであります。 

   細胞にも細胞核があり、核に生命があって発動的であります。 
   核を破壊したら細胞は死んでしまいますし、
   原子も核を破壊したら崩壊してしまいます。 

   太陽系統も太陽が崩壊したら存在し得なくなります。 
   核が中心であり発動的であり陽性であり、いわば男性であります。 

   一家において夫婦がある限り男性が中心であり、
   女性がその中心の周囲をめぐるのであります。

   近頃男女同権論がアメリカあたりから輸入されて、女性が中心だと主張する人もあり、
   男性化した女性が大分多くなって来ましたけれども、

   男女同権と云う事は、すべての人間は大生命なる神の生命(いのち)を頂いている
   という点に於いて、その貴さが同一であるという事でありまして、
   その位置や、姿や、働きが同一だと云う意味ではないのであります。

   子供を産む事が、即ち 「生命の創造」 の生理的行事が、
   原子核と同じ様に陽物が中心になって、その周囲に陰物即ち**が旋回する事に
   よって、子供を産む生命の創造が行われるという、

   「神聖行事」 の形態が変らない限り、家庭に於いてその中心が 「男性」 である
   という根本は変らないのであります。

   と言っても中心が偉くて周囲が下等であるという訳ではありません。 
   周囲がなければ中心は存在し得ないのであり、
   中心がなければ周囲も存在し得ないのであります。

   夫婦、陰陽、天と地、周囲と中心とは本来一体であり、
   本来一体であるものが陰陽にわかれて各々のわけ前を受持つ事によって
   生命が産み出され、家庭が調和し、子供が生長するのであります。 

   どちらも持ちつ持たれつであります。 

   だから家長たる良人も決して家族に横柄に暴君振りを発揮することが
   中心たる役目を果すことではないのでありまして、周辺を拝み、
   周辺は中心を拝むことによって天地自然の法則に叶い、
   家庭は調和し、国家は興隆するのであります。

   鏡餅に私達の新しき年の希望の象徴を見て、鏡餅の如き円満な家庭を築き、
   健全な国家の基礎たらんことを期待しつつ、皆さんに対して祝福の祝いの言葉を
   送らして頂きました。

   皆さん 有難うございました。

            <感謝合掌 平成27年1月1日 頓首再拝>  

[371] 鏡餅の意味は・・・
伝統 - 2015年01月14日 (水) 03時39分

鏡餅の意味は・・・

       *『古事記と現代の預言』(P33〜34)より

鏡餅というものを、お正月に何のために床の間に飾ったりするかというと、
あれは“心の鏡”として反省するためで、こういう円満な心まん円い心になって、
夫婦一体に、仲良く重なっていないといかんぞよと、示されているのであります。

まことに家族は皆ばらばらではいけないのであって、みんな一体になって、
まんまるく、円満で、一つ心になって了わなければならんのであるということを、
お正月即ち年の始めに、新たに生まれる積りで、

今年はこの鏡餅の如く家族がバラバラでなく一体となり、
円満完全に夫婦仲良く致しましょうという象徴行事が
この正月の餅飾りである訳であります。
 
         ・・・

       *『をんな生ける意義あり』(P134)より

さて望月の形につくられたお餅は、三寶の上に二つ仲よく重ねられて
「夫婦まるく一體である」といふ今年の覺悟の象徴として、
それを元旦にながめるのであります。

            <感謝合掌 平成27年1月14日 頓首再拝> 



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