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谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐

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[339] 幸福になるための31か条
伝統 - 2015年01月01日 (木) 18時01分

第1か条 〜 「まず自分の心を幸福にすること」

             *「女は愛の太陽だ」(P215)より

   あなたが幸福になるためには、
   あなた自身の心がまず幸福にならなければなりません。

   境遇が面白くないから、私は幸福になれないとか、
   周囲の人にたちが冷たいから幸福になれないとか、
   姑が意地悪をするから幸福になれないと考えるのは本末転倒であります。

   釈尊が仰せられたように三界は唯心の所現ですから、
   境遇も環境も周囲の人たちの状態も、ことごとく、
   あなた自身の心が反映しているのです。

   あなたの心が幸福になることが根本なのです。

             <感謝合掌 平成27年1月1日 頓首再拝>

[342] 第2か条 〜 現象の不完全さに心を引っかからせてはいけない
伝統 - 2015年01月02日 (金) 06時06分



             *「女は愛の太陽だ」(P215〜216)より

   自分の心を幸福にしたいと思うけれども、
   こんな環境では、心に幸福にしようと思ってもとてもできない。

   こんなに貧しくては、とても幸福な心になれない ―― という人が時折あります。
   それは現象を見ておえればまことに御尤(ごもっと)もなことであります
   けれども、現象の不完全さに心を縛られている限りは「救い」は来ないのです。

   「救い」を得るということはあらゆる方面に”縛り”がほどかれて
   自由になることであります。

   そのためには現象面にどんな不完全な有様があらわれても、
   それに心を引っかからせないようにすることが肝腎です。

             <感謝合掌 平成27年1月2日 頓首再拝>

[345] 第3か条 〜 まず現象を飛び越えて
伝統 - 2015年01月03日 (土) 03時50分



             *「女は愛の太陽だ」(P216)より

   何にでも「引っかかる」とあなたは自由を失うのです。
   有刺鉄線に足を引っかけると足に怪我をするでしょう。
   躓いて倒れることもあるでしょう。

   蛇に睨(にら)まれたと思った蛙は、蛇に心を引っかからせ、
   蛇に心が捉えられるために、蛇から逃れたいとバタバタしながら
   催眠術をかけられたように蛇の口に近づいて行って遂に呑まれてしまうのです。

   この蛙と同じように、多くの人たちは、相手を蛇のように恐れるために、
   自分で自由を失って、自分でつくった苦しみの牢獄の中でバタバタ
   踠(もが)いているのです。

   あなたが幸福になるためには、先ず現象を跳び越える工夫をしなければなりません。

             <感謝合掌 平成27年1月3日 頓首再拝>

[348] 第4か条 〜 本当はこの世界は善一元である。
伝統 - 2015年01月04日 (日) 06時09分


             *「女は愛の太陽だ」(P216〜217)より

   あなたの心がまず幸福になるためには、この世界は神の創造(つく)り給うた
   世界であるから、すべてのものは完全であり、円満であり、調和おのずから
   備わり、一切の悪・不調和・不完全なものは決して本当には存在しない
   ということを信じなければなりません。

   否、《信ずる》だけでは足りないので、
   本当にその真理を知らなければならないのです。

   この世界は本当は神の創造になる世界ですから、神の愛と智慧とによって
   計画され、調和と平和と、美と悦びとが充ち満ちている世界なのです。

   この本当の相を「実相」というのです。
   あらわれて見える姿は仮相に過ぎません。

             <感謝合掌 平成27年1月4日 頓首再拝>

[351] 第5か条 〜 実際は「善」ばかりの世界だけれども
伝統 - 2015年01月05日 (月) 04時03分

             *「女は愛の太陽だ」(P217〜216)より

   善一元の、悪も不完全もないこの世界に、悪があらわれ、不完全があらわれて
   見えるのは、そのような悪も不完全も無いのだけれども、私たちが、
   「人類の心」の習慣性を受け嗣(つ)いで、罪や不完全を「存在する」と思う
   心の反映として、そのような事件や状態があらわれて来るのです。

   私たちは悪や不完全が存在すると考えている「人類意識」を跳び越えて、
   一切の悪も、罪人も、不完全もない実相浄土を観じなければならないのです。

   あなたの良人が、あなたの子供が、実相の浄土に於いて、既に完全である状態を
   ジッと心に念じて、その完全な姿を、心の眼をもって観じなさい。

   そのためには暫く、現象的にあらわれている不完全な有様を「無し」として
   心をそれから放たねばなりません。

             <感謝合掌 平成27年1月5日 頓首再拝>

[353] 第6か条 〜 まず自分の欲するものを心に描いて「既にあり」と念じましょう
伝統 - 2015年01月06日 (火) 03時29分


             *「女は愛の太陽だ」(P218)より

   肉眼に見えないところの「実相世界」の完全なすがたを心でみつめるには、
   あなたの想像力を活用するほかはありません。想像力は創造力であり、
   想像によって心に描いたものが形となってあらわれて来るのであります。

   色々のすぐれた発明も、空中飛行も、人工衛星も、金星ロケットも、距離を
   へだてて通話のできる無線電話もことごとく、人間が想像力を駆使して、まだ
   現実界には「ない」ものを想像した結果の産物なのであります。

   肉眼で見たのでは、現在《ない》からとて、それが「存在しない」と思っては
   なりません。あなたの周囲にまだ幸福が肉眼には見えなくとも、その幸福が
   「既にある」として想像するのです。

   それを心に描いて「既に受けたり」として毎日感謝しつつ生活するのです。
   すると心に想像した通りのところのものが眼に視(み)える世界に
   実現して来るのであります。

   まず周囲の人びととはみんな深切な善い人だと想像して、すべての人に感謝の
   念を起し、感謝の言葉を使うことから始めなさい。

             <感謝合掌 平成27年1月6日 頓首再拝>

[355] 第7か条 〜 想像力で「島の家」を現実化した話
伝統 - 2015年01月07日 (水) 03時54分

             *「女は愛の太陽だ」(P218〜219)より

   ロイ・デーヴィスさんの書『心の力の秘密』という本の86ページにこんな話が
   書いてある。

   カリフォルニアに一人の男があったが、彼は海岸の向こうにある一つの島に都会の
   喧騒から暫くのがれて、都会人が静謐(せいひつ)を楽しむ”安息の家”を
   造りたいと考えて、いまその”安息の家”が「既にある」として、
   それを想像に始終描いていたのであった。

   彼は島の土地を買う資金もなければ建築費も《現実に》持っていなかった。
   しかし彼は対岸の離れ島にある”安息の家”を既にあると想像して、
   それを毎日心に描くことを続けていた。

   すると、彼は或る日のこと一人の富豪と知り合いになったのである。
   その富豪は惜しみなく金を出して其の島を買収し、そこに家や施設を備えて、
   最後に、それを彼に「君にやってもらいたい」といって、
   それを譲り渡したのであった。

   その建設費は約(およ)そ25万ドルであったが、あなたかも一杯のコーヒーを
   「君飲みたまえ」と饗応すると同じような安易さで彼に無償で譲り渡したので
   あった。

   想像力が如何に、心に描くものを具体化する力があるかは
   この実例でもわかるのである。

             <感謝合掌 平成27年1月7日 頓首再拝>

[357] 第8か条 〜 たった1万円で自動車を得た話
伝統 - 2015年01月08日 (木) 05時05分


             *「女は愛の太陽だ」(P219〜220)より

   今ハワイにいる仙頭泰君は、調布市飛田給の練成道場の公舎から
   新築の自分の住居に引っ越した時、その新居は飛田給から通勤するよりも、
   なお一層、原宿の生長の家本部へ距離が遠くなったのである。

   それでどうしても自動車がなければ不便である。

   その頃徳久先生がスバルに乗って出勤しているので、後輩としては、それより
   遥かに立派な自動車にのったのでは先輩に対する礼儀を失するので、
   ダットサン級の中古車が欲しいと思ったのである。

   そこで彼はダットサンの写真を室に貼り付けて置き、それが目についた時には
   「既にその車が自分のものになった」と想像して感謝することにしたのだった。

   すると生長の家の或る信徒が「自分が愛用していたダットサンが不要になった
   ので、たった1万円で貴方(あなた)に譲りましょう」と申し出た。

   こうして仙頭君は世界で最も安価な、たった1万円の自動車を手に入れて
   快適に乗り廻すことができたのである。

   吾々が何事にても欲するとき、それを得るための「金」そのものを心に想像
   しないでもよいのである。

   その最後の目的物を強く心に描いて「既に、それを受けたり」として想像し、
   感謝の生活を送っていると、その目的物が、予想もしない経路を通じて、しかし
   宇宙の法則を破るのではなく、自然の秩序を通して、それが実現して来るのである。


             <感謝合掌 平成27年1月8日 頓首再拝>

[360] 第9か条 〜 あなたは自分自身の心を解放しなければならない
伝統 - 2015年01月09日 (金) 03時43分



             *「女は愛の太陽だ」(P220〜221)より

   人間は”神の子”であり、神より生命を受けて生まれて来たのであるから、常に、
   神の大生命が降り濺(そそ)ぎ人体を還流しているのである。

   この大生命の流れを停滞せしめることをしなければ、
   人間は幸福で健康であるのである。

   精神的に、躁鬱になたtり、悲しんだり、考え込んだり、嫉妬したり、心配したり
   していると生命の流れがその問題一ヵ所に停滞して、身体が妙に苦しく重々しく
   感じられて来、それが度重なると肉体的にも病気になったりするのである。

   いわゆるノイローゼなどはこのように起るのである。ノイローゼのような神経症
   だけではなく、癌のような実質的病気さえ起すことがあるのである。

   あなたは自分の心を解放して、そのような問題や暗い感情から、
   自由にならしめることが大切なのである。

             <感謝合掌 平成27年1月9日 頓首再拝>

[361] 第10か条 〜 抑圧された感情を解放するには
伝統 - 2015年01月10日 (土) 05時06分


             *「女は愛の太陽だ」(P221〜222)より

   心の緊張を解放するには、緊張の原因であるところの異常感情を動作や言葉によって
   形に表現することによって、その抑圧と停滞とがときほぐされて、心が楽になり、
   台風一過後のような晴れ晴れとした気持ちになれることがあります。

   大声で歌をうたったり、自由ダンスのような感情のままに身体を動かす
   激しいリズミカルな運動をするのもその一つの方法であります。

   良人が腹が立ったときに、物を投げつけたりするのも、抑圧感情の解放を
   「自然の動作」を通して行なっているのであって、

   「何じゃ、癇癪持のおやじ奴(め)が! その取り乱しようは何だ! 」と
   妻が心の中で批難してはならないのです。

   そのような妻の心が良人に反映してますます夫の憤激の感情が興奮する、
   もしあなたの夫がそれを毎日抑圧していて、表面は非常に穏やかな夫のように
   見えるならば、解放し発散し得ないで停滞している感情の塊が、
   やがて肉体に具象化して胃癌や高血圧や脳溢血となることがしばしばあります。

   夫の病気の多くは妻の心情に影響されることが多いのである。


             <感謝合掌 平成27年1月10日 頓首再拝>

[364] 第11か条 〜 文章に書いて抑圧感情を解放するには
伝統 - 2015年01月11日 (日) 04時15分



             *「女は愛の太陽だ」(P222)より

   抑圧感情を、肉体の動作や行動によって解放するためには、大声でも合唱や
   激しいダンスのほかに、自分の感情を、日記や手記や作文に、少しも偽ることなく
   感情まる出しに書き綴ることも大いに効果ある方法となるのであります。

   しかし手紙に書いた場合には、決してそれを宛名の人に送ってはならないのです。
   感情が興奮したときに書いた手紙は、その感情が《まる出し》に具象化されている
   ので、書いた本人にとっては、

   抑圧感情の解放になって精神衛生上非常に好結果をもたらすのであるけれども、
   その手紙を受けた側からいえば、その文章は、興奮まる出し、反感まる出しに
   なっているから、手紙の受取人をまた興奮させて相手を自分の敵に廻すことになる
   かも知れないのです。

   すべて文章は、書いた時の感情が乗っている媒体であるから、平静な、
   愛情深い気持ちになって書いた手紙のみを相手に送るべきである。

             <感謝合掌 平成27年1月11日 頓首再拝>

[365] 第12か条 〜 練成道場でやっている浄心行について
伝統 - 2015年01月12日 (月) 06時32分



             *「女は愛の太陽だ」(P222〜223)より

   抑圧感情の解放を得るために書いた手紙や文章は、
   それは人にみられても恥ずかしいものが多いのであります。

   そのまま保存しておいては、誰かが見つけて、「あの人はこんな激しい感情を
   もっていた」とか、「あの人はこんな汚い感情に悩んでいた」とかいって
   噂にのぼったり、有名人なら歴史に載(の)るかも知れないのであります。

   しかも、その文章を保存することは、どこかに自分の感情の記録が
   永遠に残っていることになるのですから、それが反転して、
   また自分に感応して不安感を生ずる可能性もあるのです。

   ですから、そのような文章は焼き棄てるのが最もよいのです。

   それは神(又は仏)の祭壇に供えて、自分がこんな感情をもっていたことをお詫びし、
   「再びこのような感情は起しませぬように、そして過去のこのような感情を残りなく
   焼却して下さいますように」とお願いして焼き棄てるがよいのです。

   その焼却の際に聖経『甘露の法雨』を読誦しながら、その燃ゆる焔を見ながら、
   「私の過去一切の業因が神力によって焼却されつつある」と念ずるならば、
   一層効果が多いのである。

   それが最も効果的に集団的に行なわれているのが、
   生長の家各練成道場で行なわれている「浄心行」である。
   これによって癌のような悪性腫瘍が突如として消滅した実例もあります。 

   (「浄心行」のくわしい説明は、『人間苦の解放宣言』という近著を読んで下さい)

             <感謝合掌 平成27年1月12日 頓首再拝>

[368] 第13か条 〜 不浄物の清掃による潜在意識の浄化
伝統 - 2015年01月13日 (火) 03時57分


             *「女は愛の太陽だ」(P223〜224)より

   激しい感情の興奮を解放し、心が平安にもどる方法には、薪割りのような、
   何かを叩き割る仕事を懸命にやって汗を流すのも一つの方法であります。

   庭の雑草除(くさと)り作業や、窓ガラス拭き、便所掃除、廊下拭き、すべて汚い
   ものを除り去る作業を熱心にやることは、自分の「汚い感情」を除去清掃するための
   象徴的行為にして、抑圧感情を清掃という形で具象化して、潜在意識を浄めることに
   なるのであります。

   森田正馬博士の創始した神経症の療法に除草作業が取り入れられてあり効果を挙げ
   得るのも、一燈園の便所掃除作業や除草作業の奉仕によっても色々の神経症が治る
   実例があるのも、

   結局、不浄物除去清掃の象徴行為によって、潜在意識の中にある停滞を取り除く
   ことにあるのであります。

             <感謝合掌 平成27年1月13日 頓首再拝>

[369] 第14か条 〜 想念は創造の力である
伝統 - 2015年01月14日 (水) 03時28分


             *「女は愛の太陽だ」(P221〜222)より

   想念は動力であり、「想う」ことは「創造(つく)ることになるとはたびたび、
   生長の家で聴かされる箴言です。人間は想像力をもっているということは、
   実に人間は創造者であるということをあらわしているのである。

   人間以外の生物にも、環境の現状を知覚して認識する力をもっているけれども、
   「まだ現実には無いもの」を想像して、それを心に描いて実現する力には乏しい
   のである。

   あなた達は、今までにも、知らず識(し)らず創造力を利用して幾多のものを
   実現したり、製造したりしながら、それを「想像力を利用して造った」と
   意識的に気がつかなかったのです。

   人間は神の最高の自己実現として、神と同じく「想う」ということによって、
   自然に其処に運動又は行動が開始され、自然の秩序を通して自己の欲するものを
   実現する事ができるのであります。

   善き事のみを想いなさい。
   美しき事のみを想いなさい。
   健やかなる事のみを想いなさい。

   裕かなる事のみを想いなさい。

   必ずそれらは実現します。

             <感謝合掌 平成27年1月14日 頓首再拝>

[374] 第15か条 〜 不満足なものが出たとき感謝すること
伝統 - 2015年01月15日 (木) 05時05分


             *「女は愛の太陽だ」(P225)より

   自分の満足しないものが自分の前にあらわれた時にも感謝しなさい。
   満足し得ないということは、あなたが一層よきものを求めているからなのです。

   あなたが一層よきものを求めるのは、
   あなたは、もっと高き理想をもっているからなのです。

   その不満足が自分の努力で解消できるものでしたら、
   あなたは努力をつくして状態を改善するようにつとめなさい。

   その不満足なものは、あなたの内に宿る力を引出すために出て来たのですぁら、
   謂わば「内にやどる神」の栄えを顕わさんがためのものですから、
   その不満足な状態にも感謝するがよいのです。

             <感謝合掌 平成27年1月15日 頓首再拝>

[376] 第16か条 〜 不満足なものを人から出された時
伝統 - 2015年01月16日 (金) 04時51分


             *「女は愛の太陽だ」(P225〜226)より

   不満足なものを、他の人から出された時には、
   相手に対して不平や腹立ちの感情を起してなりません。
   それは相手の人が何か行届かない事をするには色々の原因があるのです。

   それはその人が貧しい、得が足らなぬか、色々の悩みや悲しみに心を
   捉えられていて、其処まで考えを及ぼすほどの余裕がないか、
   その他、言うに言われぬ事情があるに違いありません。

   そのような待遇を人から受けた時には、それは神が、そのような人が一層幸福に
   なり、裕かになり、色々な悩みや悲しみが解消するように、貴方をして”祈り”の
   徳を積ませるために、そんな出来事をあなたの前にあらわされているのです。

   それですから、その人が本当にすべての富に行き届くほど
   裕かに幸福になるように祈ってあげなさい。
   そのような人たちも矢張り神の栄えをあらわさんが為に現れていらっしゃるのです。


             <感謝合掌 平成27年1月16日 頓首再拝>

[378] 第17か条 〜 宇宙における人間の位置
伝統 - 2015年01月17日 (土) 08時42分



             *「女は愛の太陽だ」(P226)より

   「神に口無し、人をして言わしむ」「神に手無し人をして為さしむ」であります。

   大自然の動きのような大きな創造と破壊の如きものや、動植物にあらわれている
   生理作用のような微妙微細の生化学的現象以外に、有意識的に想像し、設計し、
   計画しなければならないようなすべてのものは、神は《人間を通して》
   それを為し給うのである。

   一層精密に謂えば「人間を通して」というよりも、
   神が《人間と顕現し》それを為し給うのである。
   だから、人間は神の最高の自己顕現だといい得るのであります。

             <感謝合掌 平成27年1月17日 頓首再拝>

[383] 第18か条 〜 あなたは神と人間の関係を知らねばならぬ
伝統 - 2015年01月18日 (日) 06時19分


             *「女は愛の太陽だ」(P227)より

   人間の生活が幸福になるために根本的に必要なことは、
   神と人間との関係を正しく知り、神と人間との関係を調和あるものにすることが
   喫緊の重要事であります。

   第一に人間は神の最高の自己実現であって、現実世界の一切は人間が言葉(想念)
   によって名づけたる通りのところのものになるという事であります。

   「創世記」第二章、「アダムが生物に名づけた所は皆其の名となりぬ」
   とあるのがそれであります。

   モーゼがエジプトの捕囚たる運命からのがれて、イスラエルの郷国へと、一族を
   率いて旅をつづけた時、柴の燃ゆる炎の中に神があらわれたのでした。モーゼは、
   その神に向って神の名を訊いたとき、神は「私は”I am ”というものだ」と
   いって答えているのであります。
    (T・トロワード原著、田中忠雄氏訳『聖書の神秘を開く』参照)

   誰でも”I am(わたしは) ”という主人公を自己の内にもっているのである。
   それは全ての人に宿る神である。”I am(アイ アム) ”が”内在の神”で
   あり、仏教的に謂えば内在の仏性なのである。

   此の「内在の神」は何でも造ることができるのであります。

   ”I am Healthy ”(私は健康である)といえば「健康」になりますが
   ”I am a lazy man ”(私はなまけ者です)といえば、本当に「怠け者」に
   なるのであります。

   言葉又は想念で言いあらわす通りの者に人間はなるのであります。

             <感謝合掌 平成27年1月18日 頓首再拝>

[387] 第19か条 〜 「現象の処理」と「実相を拝むこと」と
伝統 - 2015年01月19日 (月) 06時00分


             *「女は愛の太陽だ」(P227〜228)より

   あなたは、科学的研究や、現象面の処理をするに方(あた)っては、
   肉眼や顕微鏡や望遠鏡をもってみなければならないが、
   人間を観るときには”神の眼”をもって観なければならないのです。

   どんなに相手が悪辣に見えようとも(それに騙されよというのではない
   ―― 現象面の処理は現象的に処理すべきである)
   しかし、その相手の内部には神が宿っているのであって、《本質的には》
   彼は「悪い人ではない」と観よというのである。

   そして彼の「本質」即ち「実相」があらわれるように神に祈らなければならない。
   たとえば次のように祈るのです。

   「神よ、彼を赦したまえ、彼は魂が寂しいのです。そのために彼は為す事を
   知らないのです。彼にあなたの無限の愛をそそぎ給うて魂の傷をいやし給え」
   
   と祈って、一転してその「彼」に神の愛が実際にふりそそがれ、その愛に温かく
   包まれている本来の善なる”神の子”たる姿があらわれていることを心に描いて
   心の眼で凝視するがよいのである。

             <感謝合掌 平成27年1月19日 頓首再拝>

[389] 第20か条 〜 神の見給う如く、あなたの子達を尊敬なさい
伝統 - 2015年01月20日 (火) 03時25分


             *「女は愛の太陽だ」(P228〜229)より

   あなたの子達を愛しなさい。愛といえばすぐ性愛を連想する人がありますが、
   子供を愛するというのは、性愛的に肉体を舐(な)め擦(さす)りたい欲望
   のことではありません。

   「愛する」という語は近代では「好き」と混同され、触れたり見たりして感覚に
   快いことを「愛する」などと表現されるようになりましたが、
   「子供を愛する」場合には「神は愛なり」と言う場合の愛をもって愛するのです。

   あなたの子供の「内に宿る神」を観るのです。
   あなたの子供はすべて個性が異なります。
   神は無限の内容をもっておられますから、同一の人間として重複に自己実現を
   なし給わないのです。

   したがってあなたの、どの子も唯一絶対の価値がある存在であり、甲が乙より
   すぐれているように見えていても、それは或る実用価値の立場から評価する
   からで、神から見たらどの子供も唯一絶対のかけがえのない貴い”神の子”
   なのであります。

   神の見給う如く平等の貴さであなたの子供たちの実相を観じ、愛し、尊敬しなさい。


             <感謝合掌 平成27年1月20日 頓首再拝>

[392] 第21か条 〜 子供を知らず識らず不平等に愛している事がある
伝統 - 2015年01月21日 (水) 02時43分


             *「女は愛の太陽だ」(P229〜230)より

   あなたの子たちのうち、他の子供は皆従順で快活でよく勉強するのに、ひとりだけ
   反抗的であったり、機嫌が悪かったり、勉強しなかったりするならば、それは、
   お母さん、あなたが知らず識らずのうちに、その子供だけを「よくない子供だ」と
   思っていて、その子に対する愛情が足りないのです。

   子供はよく親の心を見抜いているものです。母親自身が自覚しない母親の不平不満
   の愛を、子供はちゃんと感じて、母親の関心を自分の方に引きつけて、認められ
   ようとして、却って反抗したり、勉強をしなかったりするのです。

   もっと他の子供よりもその子をいだきしめるようにして愛してあげなさい。
   きっとその子は従順で勉強ずきの素直やよい子になります。

   子供というものは、親に愛されたいのです。
   認められたいのです。
   ほめられたいのです。

   愛してあげなさい。
   認めてあげなさい。
   ほめてあげなさい。

             <感謝合掌 平成27年1月21日 頓首再拝>

[394] 第22か条 〜 神に生かされているのだと自覚なさい
伝統 - 2015年01月22日 (木) 03時27分


             *「女は愛の太陽だ」(P230)より

   1分間でも1時間でも、自分が生きているのは、自分の力で生きているのではなく、
   神の力で生かされているのだということを忘れてはならないのです。

   「自分が生きている」ということと、「生かされている」ということとは、
   ほんの紙一重ほどの表現の相異のようでありますが、
   この二つには根本的な自覚の相異があるのです。

   前者は、常に「有限の力」に頼っているのですから、常に不安で、
   落ち着きがなく、何事をなすにも危険をはらんでいて、自信がもてないのです。

   これに反して、後者は、神の無限の力にバックされ、協力され、そこから
   ”導きと力と”を授かっている自覚がありますから、
   常に心が安祥として落ち着きがあり、不安がないのです。

             <感謝合掌 平成27年1月22日 頓首再拝>

[396] 第23か条 〜 朝、目がさめた時感謝すること
伝統 - 2015年01月23日 (金) 03時03分



             *「女は愛の太陽だ」(P230〜231)より

   さて、朝目が覚めたとき、夜中何の心配もせず生理的に故障がなく、何の災難も
   災害も危害も加えられずに、健康に、平和に護られていたことを神に感謝なさい。

   金光教祖は

   「大急ぎで頼みに来る人は多いけれども大急ぎでお礼に来る人は少ない」

   と仰せられました。

   もし自分の「我の意識」で、夜中も「この心臓を1分間に72回鼓動せしめなければ
   死ぬぞ」とか、消化作用はどうしなければならぬとか、色々、自分で気を配って
   いたら、安らかに眠ることも出来なかったでしょう。

   昨夜やすらかに眠ることが出来たのは、
   自分以外の「不思議な力」に護られていたお蔭なのです。
   その「不思議な力」は「大自然の力」とも「神」とも言い得る力です。

   現在受けている恩恵に感謝するところから、
   次なる幸福が来る道を開くことになるのです。

             <感謝合掌 平成27年1月23日 頓首再拝>

[398] 第24か条 〜 幸福になるための朝の暗示
伝統 - 2015年01月24日 (土) 04時39分


             *「女は愛の太陽だ」(P231)より

   次には、その日ごとによい事が出て来ることを
   毎朝自己暗示する言葉を唱えるがよいのです。

   「私は神の子毎日一層よい事が来る」
   「私は神の子、毎日、一層幸福が殖えるばかりである」

   などの言葉を自分の耳だけに聞えるほどの低声(こごえ)でよろしいから、
   自分の心に聞かせて潜在意識に印象させるために20回ほど繰り返し
   連続的に唱えるがよいのです。

   家族が全部同意をすれば、自分だけが内証で、それを唱えるだけでなく、
   家族全部は一緒に声をそろえて唱えるようにしますと、一層効果的であります。

   まず目が覚めると、一同、同じように坐って、指導にあたる人(主人又は主婦、
   長兄等)がその言葉を最初に唱えて、家族一同声を揃えて数分間、復唱する
   ようにすればよいのです。

             <感謝合掌 平成27年1月24日 頓首再拝>

[400] 第25か条 〜 神想観によって今日一日を幸福に過す方法
伝統 - 2015年01月25日 (日) 06時02分


             *「女は愛の太陽だ」(P232)より

   朝の自己暗示が済むと、なるべく家族一同そろって神想観をしたいものです。
   そして神想観中最後の頃「神の智慧に導かれて今日一日幸福に健康に繁栄の道を
   進むことができます事を感謝いたします」と数分間念ずるようにするがよい。

   神想観の実修方法を詳しく知りたい方は、最寄の生長の家の”誌友相愛会”又は
   ”道場”又は”教化部”へお越しになれば、一緒に実修に加わることができます。

   本で読みたい人は『詳説神想観』及び『私はこうして祈る』という本がありますから、
   それを熟読してその通りやって下さい。

   まず感謝してその日を始めれば、感謝した通りのよい事が出て来るのです。
   イエスは「汝ら祈りて何事にても求むる時既にそれを受けたりと信ぜよ。
   乃(すなわち)汝はそれを得ん」と訓(おし)えています。

             <感謝合掌 平成27年1月25日 頓首再拝>

[402] 第26か条 〜 人類意識の暗い想念から超出しましょう
伝統 - 2015年01月26日 (月) 03時28分


             *「女は愛の太陽だ」(P232〜233)より

   地上に漂うている人類全体の想念は、大体暗い、悲観的な破壊的なものが多いので
   あります。人類全体の想念が恰も合唱しているかの如く漂うているのを人類意識
   (race conciousness)と呼ぶのです。

   人類全体とは、現在地上に生きている人類だけの事ではなく、過去幾10万年も
   以前から地上に住んで来て、大自然の脅威と闘い、困難と苦痛との中に、悲しみ
   ながら、失敗しながら、暗黒な想いで死んで往った人たちの想念の録画が、

   あたかもテープ録音の如く、目には見えないが、宇宙には残存しており、
   その想念が「類をもって集る」法則で相寄り合唱する如く宇宙に意識の波となって
   漂うているのです。

   それですから、人類意識の中には悲しみや、苦痛や、病気や、失敗の番組放送が
   充ち満ちているのです。

   私たちがこの人類識の放送を何の選択もなく受信している限り、私たちの想念は
   暗いものとなり、悲観的なものとなり、病気や失敗を予想し、「想像」することに
   なり、そしてその「想像力」の「創造する力」によって私たちは失敗や病気や困難
   や苦痛や不幸を、自分自身の人生に具体化することになるのです。

   一般の人々に不幸が多いのはそのためであります。
   だから私たちは、いわゆる「常識」と称して人類一般が信じている信念の中の暗い
   ものを否定し、その暗いものから、敢然と超出しなければならないのです。

             <感謝合掌 平成27年1月26日 頓首再拝>

[408] 第27か条 〜 あなたは暗黒の雲を吹き払う天使群の一人です
伝統 - 2015年01月27日 (火) 04時18分


             *「女は愛の太陽だ」(P233〜234)より

   「人間には不幸が付きものだ」とか、「人間は四百四病の病いの容れ物だ」とか
   いうのは皆、人類意識の中に漂うている想念のうちの暗い部分であります。

   吾々”光明思想家群”はそれらの暗い想念の雲を追い払い、駆逐して光明を人類に
   もちきたすための天使群だということができるのです。あなたも、この書をお読み
   になった限りは、その暗黒の雲を吹き払う天使群の一員となった訳であります。

   常に自己暗示と、神想観と、光明語を繰り返し唱える誦行(しょうぎょう)(聖経
   読誦や、自己暗示や、実相円満誦行等)を実践することによって、暗黒の雲を吹き
   払い、人類を幸福にしてあげると共に自分自身も幸福になろうではありませんか。


             <感謝合掌 平成27年1月27日 頓首再拝>

[409] 第28か条 〜 光明の天使群は何を為すべきか
伝統 - 2015年01月28日 (水) 03時08分


             *「女は愛の太陽だ」(P234〜235)より

   あなたが、宇宙を浄化し、人類を光明化する天使群の一人だと自覚されたとき、
   あなたは天使群の導きを受け、光明への道を歩み始めることになるのです。

   あなたは人類を光明化する天使の一人ですから、その光栄ある聖使命を遂行
   しなけれなりません。

   それは神想観を実修して宇宙に光明の想念を放送し、世界平和の祈りをして、
   世界及び人類に平和の想念を放送し、愛行によって光明思想を宣べつたえ、
   病人があれば訪問して「本来人間・神の子にして病なき道理」を教え、

   患者の元気を鼓舞して病床から立ち上がらせ、人工流産の非を説いて毎年三百万
   の胎児が殺されて闇から闇へ葬り去られているのを救うために、
   人工流産を許している優生保護法改正の大衆運動をすることです。

   日本人の大人の生活が、毎年胎児三百万人を殺すことによって、
   辛うじて営まれているなどの現状は、まったく文化国家とはいえないで
   世界に対しても誠に恥ずかしい事であります。

   そして「殺すものは殺される」という因縁循環の理(ことわり)によって、
   不幸が、やがて循環してやって来るということに彼らは気がつかないのです。
   
             <感謝合掌 平成27年1月28日 頓首再拝>

[415] 第29か条 〜 暗黒の人類意識の外に立ちて
伝統 - 2015年01月29日 (木) 04時01分


             *「女は愛の太陽だ」(P235)より

   あなたが神想観して、人類意識の波長から超出して、神なる大愛の大生命と一体に
   融合するとき、あなたは人類意識の暗黒の想念とは波長の異なる世界に出て、
   神の大いなる愛と智慧との大海に航して出でることになるのである。

   もはやあなたの心の中には一切の不幸も災難も失敗も病気も貧乏も損失もなくなる
   のであります。なぜなら、神の創造(つく)り給える「実相の世界」にはそのような
   ものは本来存在しないからであります。

   そのような”現象悪”(仮相)はただ人類意識の中にあるだけであり、神想観を
   修するとき、あなたは、神想観によって、そのような”現象悪”から超出する
   ことになるのです。

   そしてあなた及びあなたの家族は決して不幸にはならないし、
   病気も貧乏も失敗も訪れることにはならないのであります。


             <感謝合掌 平成27年1月29日 頓首再拝>

[418] 第30か条 〜 常住嬉しさの微笑を湛えて
伝統 - 2015年01月30日 (金) 04時12分


             *「女は愛の太陽だ」(P235〜236)より

   あなたが神想観によって、自己が宇宙大生命なる大愛の神と融合するとき、
   その神想観は、たとい朝の出発の30分間というわずかな時間であったとしても、

   そのあとの時間を、心配や、取越し苦労や「”悪”来たる」の予想などで自分の心
   を汚さない限り、神のつくりたまえる霊的至醇(しじゅん)至美大調和の実相世界
   の展開となるのです。

   あなたはそれを信じなければならない。もしあなたが反対の事を信じ、反対の想念
   を起すならば、至醇至美の実相世界があらわれて来ようとしている其の通路に、
   波長の異なるものを置いて、その通路を塞いでしまったことになるのです。

   だからひとたび神想観を修して、至醇至美の実相世界を心に描いた以上は、
   その後は、それに反対する暗い悲観的な考えを少しでも心に描いてはならないので
   あります。

   常に暇あるごとに、仕事の合間に、休憩時間に、乗物に乗っている時間に、眼を
   つぶって神想観の気持になり、顔に嬉しさの微笑(ほほえみ)を湛(たた)え
   ながら、「私は神の子、必ず毎日一層よいことが来る。嬉しい楽しい」と
   繰返し念ずるがよい。

   「女の念力、岩をも通す」という諺がありますが、女ばかりではない、
   誰でも念ずる通りになるのであります。

   嬉しさの微笑を湛えることは、嬉しきものを引き寄せることになるのであります。

   そしてあなたの表情は常に美しく、若さと美貌を永くもち続ける方法にもなる
   のであります。(谷口雅春著『詳説神想観』参照)

             <感謝合掌 平成27年1月30日 頓首再拝>

[424] 第31か条 〜 女性がその天分を発揮するとき幸福来る
伝統 - 2015年01月31日 (土) 04時33分



             *「女は愛の太陽だ」(P236〜237)より

   人間が幸福になるためには、宇宙の法則に従わなければならない。
   宇宙の法則とは、神が宇宙創造に際しての根本設計に属するものであります。
   宇宙創造の根本設計とは、すべてのものには中心があるということである。

   原子原子核という中心があり、太陽系には太陽という中心があり、樹木には幹という
   一本通った中心があり、人体には脊柱という一本通った中心があり、

   その中心たる原子核を破壊すると原子は崩壊して存在し得なくなり、
   その中心である太陽を破壊すると太陽系は破壊してしまうのです。

   樹の幹を破壊すると、その樹木は枯れてしまい、
   人体の脊柱を破壊すれば、人体は死滅するのです。  

   さて、家庭には家長という中心があり、原子の中心が陽電気を帯びている原子核で
   あるのと同じように、また太陽系の中心が太《陽》という「陽」であるように、
   一家の中心は「陽」即ち男性なる”父”又は”夫”であるのであります。

   女性の人権の目覚めと共に、父や夫を無いがしろにする家庭が日本では殖えつつある
   が、そのような家庭は早晩破壊する運命になっているのであります。

   有名な女優と結婚して出来た家庭に随分”破局の嘆き”を見たものが多いのは
   女性が職業婦人として剛位(ごうい)を保っていることの不幸を物語っているので
   あります。

   女性が家庭で剛直になれば、天分を失って運命が逆転するのです。
   女性は柔らかく温く優美であり、しなやかであるべきなのです。
   かくて妻は夫にやさしく従順であるべきなのです。

   それは女性が男性よりも弱いとか下等とかいう意味ではないのです。
   柔は、よく剛を制するのであります。
   
   それは天分の相違であって、品質の高下の問題ではないのであります。

   (完了)

             <感謝合掌 平成27年1月31日 頓首再拝>



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