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谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐

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[543] 希望實現のための十六箇条
伝統 - 2015年03月24日 (火) 18時59分

(第一箇条は「みとめるものがあらはれる」)

        *谷口雅春先生、昭和43年講演記録 より

法華経の如来壽量品には

 『天人が天の太鼓を撃ち、諸々の技芸を競うて、天から萬陀羅華の花びらふりそそぎ、
 衆生及び佛を飾って今現にこの美しき實相の浄国があるのに、衆生たちの眼には
 〃焼け尽きて憂怖諸々の苦悩が充満している〃ように見えているのだ』という真理が
 書かれている。

 天国実現も、地獄実現も、ただ自分の心の波長を合わすか否かにあるのである。


◆認めるものが顕れる

 希望実現のための”心の法則”の第一は『みとめるものがあらはれる』ということだ。

 諸君は、今現れている現象の有様を、究極的に真実そのままの姿だと思ってはならない。

 現象には真象と偽象とがあり、真偽混交して二重写しの写真のように、
 本来の実相が曇らされ、歪められて現れているのである。

 真象とは『甘露の法雨』の冒頭ちかく示されいるところの

 「神の心動き出でて言葉となれば、一切の現象展開して萬物成る」

 とあるところの「神の想念」の展開としての現象である。

 この「神の想念」の展開としての現象は即ち”真象”であって、
 実相世界に神のコトバが展開して成就せる世界である。

 そしてこの真象の世界においては

 「神があらわれば乃ち善となり、義となり、慈悲となり、調和おのずから備わり
 一切の生物ところを得て争う者なく、相食む者なく、病むものなく、
 苦しむものなく、乏しきものなし」

 と『甘露の法雨』に示されているが如き萬徳円萬の世界なのである。

 しかし、このような萬徳圓萬の世界が真実の象(真象)として実在しているに拘らず、
 それは「認めなければあらわれない」のである。

 不完全な偽象の世界を越えて、この真実の象(かたち)の世界をみとめるために、
 皆さんは、肉眼を閉じ、心の眼を開いて
 實相を観ずる修行『神想観』を毎日怠らず実修するがよい。

 (”童子 さま”のブログより拝借いたしました)

           <感謝合掌 平成27年3月24日 頓首再拝>

[546] 第2か条〜『想うものが現れる』
伝統 - 2015年03月25日 (水) 18時39分

◆希望の成就を妨げるものは何か

 希望実現の”法則第二”は『想うものが現れる』ということである。

 その「想うもの」が真象であろうが、偽象であろうが、
 常にそれを怠らず想うことにするならば、
 その「想うもの」の現実化し、具体化してあらわれるのである。

 それゆえに、私たちは常に「斯くありたい」と希望し念願するものを絶えず心に想う
 ようにつとめるがよい。

 「斯くありたい」という願いを、絶えず心に持続するのであるけれど、それと同時に
 しかし「とてもそんな良いことは私のような者には現れて来てくれないであろう」と
 いう不安や恐怖を伴いながら、「希望するもの」を心に描いているのでは、

 結局は「わが希望は実現しないであろう」ということを
 絶えず心に描いていることになるのであるから、
 その自分の心に描く通りには実現しないことになるのである。

 「希望は必ず実現する」と必ず信じて、恐怖や不安を一掃することが必要である。

(つづく)

           <感謝合掌 平成27年3月25日 頓首再拝>

[553] 第3か条〜『希望はすでに実現せり』と信ずること
伝統 - 2015年03月26日 (木) 18時21分

 
◆希望の実現に”困難”を予想してはならぬ

 希望実現のための”法則の第三”は、『希望はすでに実現せり』と信ずることである。

 『これから希望を実現させるのであって、その実現の途上には色々の困難が伴うであろう』
 などと困難を予想してはならないのである。

 困難を予想すれば予想する事物が『想うものがあらわれる』という
 『第二の法則』によってあらわれるのであるから、
 困難を予想するならば、予想した通りに困難があらわれて来ることになるのである。

 それゆえに『困難が来る』などという考えをあなたの心から一掃するがよい。

 あなたが『希望する事物』を心に描いたとき、既にそれは『心の世界』において
 『既に在る』のであるから、『既にわが希望は成就せり』と信じても、
 それはウソでも方便でもなく、真実なのである。

 そして『心の世界』に既に成就せる事物を現実界に移行せしめるのは『法則に依る』の
 であって、あなたの自力でそれを移行せしめるのではないのであるから
 『この希望を実現するには困難を伴う』などと考えない方がよいのである。

(つづく)

           <感謝合掌 平成27年3月26日 頓首再拝>

[557] 第4か条〜内からの『催し』を行動化すること
伝統 - 2015年03月27日 (金) 18時31分

    
◆希望の実現には行動が必要である

 『希望する事物』を掌を開いて大空に放下するだけで、
 その希望は『法則』が成就するのであるから困難は伴はない ― というと、

 何の行動をも起こさないで、
 『希望する事物』を想念して大空に放下するだけでよい、
 ただ念じ祈っているだけでよいのだなどと誤解してはならないのである。


 希望実現のための”第四の法則”は、内からの『催し』を行動化することである。

 ビルの7階から『握っている希望』を掌を開いて落としたときに何が起るかを見よ。
 掌から放たれた事物は、下へ向かって落下の運動を起こしているのである。

 運動または行動のないところに、現象界への実現はないのである。

 そこで、『努力して強いて押すこと』は要らないが、『自然に起る落下の運動』を
 止めてはならないという二つの、ちょっと矛盾すると見えるような『希望実現の行
 動過程』があることに注意しなければならないのである。

 皆さんは、希望を心に描いて『既にそれは成就せり』とハッキリとひの実現を心に
 描いて確信するときには、あなたの心の中に、そして、あなた以外の人の心にも
 その実現に関係ある行動を起こしたくなるような”こうしたらよい””ああしたらよい”
 というような『催し』が起ってくるのである。

 これは『自力の努力』ではなく、その実現のための『自然の催し』(落下の法則にも
 譬うべきものの催し)が起っているのであるから、希望の実現を心に描いて確信した後、
 自然に自分の心のうちに浮かんで来る”催し”は、それを打ち消してしまわないで、
 素直に直ぐその”催し”の通りに行動するがよいのである。

 落下しないで、屋上のものは階下の地上に姿をあらはさないと同じように、
 運動または行動なくして、ただ祈るだけで、希望は現実化することはないのである。

(つづく)

           <感謝合掌 平成27年3月27日 頓首再拝>

[560] 第5か条〜断行の勇気をもつということ
伝統 - 2015年03月28日 (土) 20時52分

      
◆断行の勇気をもつこと

  あなたの内には”天与の希望”が宿っているのである。

  それは最初は漠然とした憧れであり、模糊とした感情であるけれども、次第にそれが
  明確になって来たとき、それを実現するために敢えて断行する勇気を持たなければな
  らない。

  希望実現の第五の法則は、断行の勇気をもつということであるのである。

  断行の勇気を欠くところに、如何なる希望も実現することはないのである。

(つづく)

           <感謝合掌 平成27年3月28日 頓首再拝>

[563] 第6か条〜奪う者は奪われ、与える者は与えられる
伝統 - 2015年03月29日 (日) 18時08分

      
◆与える者はまた与えられる

 希望実現の第6の法則は
 『奪う者は奪われ、与える者は与えられる』という法則である。

 私たちは、時々他から奪って、自分の勢力や、富を殖やせば
 自分の希望を実現し易い と考えて、他を突き落として、
 自分だけ上へ掻き上がろうとするような人を見かけるけれども、

 そのような利己的な人は、一時は自分が高くあがるかも知れないけれども、
 「他を突き落とした者は、また自分も突き落とされる」という法則によって、
 やがて必ず自分が墜落する時が来るものなのである。

 常に他の人たちのために尽くし、他の人たちのためにはかり、他の祝福し、
 他の人の幸福のために「自己を与える」ならば、自分もまた、他から祝福され、
 他から持ち上げられ、自然に自分が幸福になるのである。

(つづく)

           <感謝合掌 平成27年3月29日 頓首再拝>

[565] 第7か条〜今ある幸福に感謝すること
伝統 - 2015年03月30日 (月) 18時05分

  
◆今ある幸福に感謝の念を起すこと

 希望実現の第7の法則は、
 既に与えられているところの「今ある幸福」が、それがどんなに小さいものであろうとも
 感謝するということである。

 「感謝の念のうちにこそ汝はわが姿を見、わが救いを受けるであろう」

 と神は示し給うているのである。

 感謝の念は神の国に波長が合い、
 神の国にある一切の善きものを現象世界に再生することができるのである。

(つづく)

           <感謝合掌 平成27年3月30日 頓首再拝>

[570] 第8か条〜祖先に感謝すること
伝統 - 2015年03月31日 (火) 17時31分

  
◆祖先に感謝すること


 希望実現の第8の法則は、
 神に感謝すると共に祖先に感謝することである。

 あなたという「生命体」の存在は、第1原因を神より発し、祖先の生命及び霊魂を通して
 茲に「あなた」という独自の「個性ある人格」として顕現して来たのである。

 神がなければ「あなた」は無いし、祖先がなければ「あなた」は存在しないのである。

 「恩を知る」ということは「恩」という字が「原因」の”因”という字と”心”との合字である
 ことによって象徴されているように、あなたの生命が何処より来たかの原因を知り、

 今日「自分」が存在するのは、神と因として先祖を第二原因とし、父母を縁として因縁
 相合して自分が今此処に存在するのだということを知り、その”原因”と”縁”とに
 対して感謝することである。

 祖先に感謝するとき、祖先の霊波のつながりが出来、祖先の霊の護りが増加し、
 あなたの希望が成就し易くなるのである。
      
           <感謝合掌 平成27年3月31日 頓首再拝>

[575] 第9か条〜父母に感謝すること
伝統 - 2015年04月01日 (水) 22時17分


◆希望實現の第9則 『父母に感謝』

  希望を実現するための第9の法則は『父母に感謝する』ことである。

  父母なくして我々の存在はないのである。

  昔から「子を持って知る親の恩」という諺があるように、親というものが、
  どんなに自分の子を愛しているかということは、子供にとっては到底
  思いも及ばない深さである。

  親は子供を叱ることがあるかもしれない。
  愛するからこそ、「そんな状態で放置してはいかん」と思って叱らずに
  いられないのである。

  隣の子供が同じことをしても叱らないのは、隣の子供は、自分の子供ほどには
  愛していないからであり、また隣の子供は、自分が注意してやらなくても、
  それぞれの両親が責任をもって愛しており、
  こちらから余計な注意や助言を与えないでも大丈夫だと思うからである。

  「叱る子供」ほど、その両親は彼を愛していて、
  ほっておけない気がしているのである。

  その親の深い深い愛情を思い起して、毎日神想観のときに両親の顔を思い浮かべて
  『お父さん、お母さん、ありがとうございます』と繰り返し唱えて感謝するがよい。

  そんなことが希望実現や事業の繁栄に何の関係ないじゃないかと、
  思う人があるかも知れないが、大いに影響があるのである。

           <感謝合掌 平成27年4月1日 頓首再拝>

[580] 第10か条〜”夫唱婦和”の天地の法則に従うこと
伝統 - 2015年04月02日 (木) 20時07分


◆希望實現の第10則 『夫唱婦和』

  子供が夫婦の間に生まれない場合には、
  夫唱婦和の原則がその家庭に行なわれていないのが原因であることがある。

  希望実現の第10則”夫唱婦和”の天地の法則に従うことである。

  夫は”天”の位置にあり、妻は”地”の位に座す。
  天は高くして地を覆い、地は低くして天を受け、

  天は陽徳を備え地は陰徳を備え、
  地は天の気を受けて排斥せずそれを内に孕むのである。

  陽は火徳を備えて烈々として激しけれども、陰は水徳を備えて柔らかく
  しなやかに柔順の徳を備えているのが天地の道理なのである。

  妻が柔順の徳を失うとき、河の流れが旱魃にて水を失いたるが如く、
  水田が乾いてヒビ割れたるが如く、そこに生命が棲むことが出来ないのである。

  男女同権が民主主義の現代の風潮のようであるが、
  男も女も、神の子であるから基本人権としての人間の本質又は人格の尊厳さ
  は平等であるから、

  夫婦は互に、夫は妻に内在する實相(神性)を尊敬し礼拝し
  妻は夫に内在する實相(神性)を尊敬し礼拝する相互礼拝の精神を
  持つことが大切である。

  『愛する』と称して愛獣(ペット)のように馴れ親しむばかりで
  尊敬の念を失うときには、夫婦は”神の子”の神性をあらわさず、

  男女同権にひとしく互に愛獣(ペット)となるだけであるから、
  夫婦平等は平等であっても、互いに平等に軽蔑し合うことになってしまうのである。

  そのような家庭が真の幸福が得られる筈がないのである。
  夫婦というものは親しき間にも尊敬と礼儀がなければならぬのである。
  

                        (つづく)

           <感謝合掌 平成27年4月2日 頓首再拝>

[584] 第11か条〜潜在意識にある自己限定を撤去すること
伝統 - 2015年04月03日 (金) 18時00分

  
◆牝鹿の脚

  自分の希望が成就しないのは、現在意識がその希望の成就を願いながらも、
  潜在意識の奥底に、その成就を妨げ又は拒むところの反対観念がある
  からなのである。

  それゆえに、希望実現の法則の第11は、
  潜在意識にある自己限定を撤去することである。

  これをグレン・クラーク教授は『牝鹿の脚』にたとえたのである。

  牝鹿の前脚は、峨々たる山径を滑り落ちないように、
  肉眼を持って見ながら適当な位置を踏む。

  すると後脚は、肉眼ではどこを踏むか見えないが、正確に前脚の踏んだ位置を踏む。
  それで前脚と後脚とが一致協力してどんな突骨たる山径でも滑り落ちずに
  上下することが出来るのである。

  これは希望を定めて進む現在意識を『前脚』にたとえ、
  それに協力して前進する潜在意識を『後脚』にたとえたのである。

  ところが常に平地を歩むのに慣れている乗馬は、前脚の踏んだその足跡を精確に
  後脚が踏まないので、峨々たる峻峰を登るときに、乗馬の後脚は思わず
  『滑り易い傾斜面』を踏んで墜落することがあるので危険なのである。

  それと同じように、希望の山嶺を向かって登り行く現在意識(前脚)が意気洋々と
  進んで往っても、潜在意識(後脚に当たる)が失脚するような位置を踏むと、
  成功しかけている事業が突然失敗するようなことが起るのである。

  これをフロイドは『生活心理の錯誤』の中で、多くの失錯が潜在意識中にある
  『反対観念』によって起ることを無数の実例を挙げて分析しているのである。

・・・

<参考Web:当掲示板内「「 牝鹿の脚 」 の話」
       → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=41 >

                        (つづく)

           <感謝合掌 平成27年4月3日 頓首再拝>

[587] 第12か条〜『他から同情や”いたわり”を求める念』を棄てること
伝統 - 2015年04月04日 (土) 19時35分


◆他から同情や憐憫を求めてはならない

   
   多くの慢性病患者のうちには、現在意識の中には「治りたい希望」で一杯で
   あるけれども、潜在意識の中に「病気でありたい願い」を持っているために
   治らない人が随分あるのである。

   「病気である方が働かなくて、ノンビリ寝ていられる」とか
   「病気である方が人から同情される。人からいたわれる」などという潜在観念が
   随分、治癒の日数を長引かせるのである。

   それゆえに、希望実現の心の法則第12条は
   『他から同情や”いたわり”を求める念』を棄てることである。

           <感謝合掌 平成27年4月4日 頓首再拝>

[589] 第13か条〜自己処罰を伴う観念を消去すること
伝統 - 2015年04月05日 (日) 19時49分


◆罪の意識を払拭せよ

   潜在意識の中に頑張っているところの『希望の実現を阻害する念』の中には
   人類に共通している『罪悪観念』というのがある。

   「自分は罪人であるから、あまり幸福であっては勿体無い」とか
   「自分は罪人であるから、苦しみによってその罪を贖いたい」という
   自己の幸福否定によって過去の罪障を消滅したいという観念である。

   真に人間が、幸福に、裕に、健康に生活しようと思うならば、自己の潜在意識
   の中にひそんでいる”罪悪観念”と、罪の消去のために苦しみを必要とすると
   いう”自己処罰”の観念とを取り去らなければならないのである。

   生長の家では『人間は本来神の子で、罪の子でない』という真理を
   『生命の實相』等の書物に繰り返し説いて、自己処罰による病気其の他
   禍の原因を消滅せしめているので、『生命の實相』を唯読むだけで
   病気が治る実例が出るのもこの理由によるのである。

   それ故に希望実現の第13か条は
   「罪の子」とか「罪悪深重の凡夫」とかいう自己処罰を伴う観念を消去することである。

           <感謝合掌 平成27年4月5日 頓首再拝>

[591] 第14か条〜『清貧礼賛』の心を棄て去ること
伝統 - 2015年04月06日 (月) 18時30分


◆清貧礼賛の心を棄てよ

  清廉潔白で実に潔らかな生活を送っている善人が
  貧乏で苦しんでいるような実例が随分ある。
  所謂、清貧礼賛型の人である。

  キリスト教の聖書に「富める者の天国に入る事の難き事、駱駝の針の穴を通るが如く」
  とイエスが教えられていることをその言葉通りに信じて、富む事を罪悪だと思って
  いるのである。

  そのような考えが、現在意識にでも一寸でもあるならば、
  想念は磁石的な力であるから、磁石の陰極と陽極とが互に反発するように
  富を反発して自分に来させないようにするのである。

  希望実現の第14箇条は『清貧礼賛』の心を棄て去ることである。

  「富」というものは、それ自体”中性”のものであって、
  ”善”もなければ”悪”でもないし、
  ”浄”でもなければ”不浄”でもないのである。

  善人が益々富んで、その富を大いなる善行のために、人類福祉のためにそれを使えば、
  それは貧乏な善人が、ただ山に篭って何事もなし得ないよりも、幾千倍の善業を積む
  ことになり、このような「富」は”善”であり、また”浄”である。

  汚職を重ねて自分の私腹を肥やし、下劣な享楽や自己の虚栄のために、
  その「富」を蓄えかつ使うならば、そのような「富」は”悪”であり、”不浄”である。

  それ故、善人こそ益々富んで、その富を人類の自覚と福祉のために使って頂きたい。

           <感謝合掌 平成27年4月6日 頓首再拝>

[594] 第15か条〜他の人の幸福や成功や健康を、我が事の如く喜ぶこと
伝統 - 2015年04月07日 (火) 17時58分

◆他の人の幸福を喜んであげること

  希望実現の第15箇条は、
  他の人の幸福や成功や健康を、我が事の如く喜ぶことである。

  世の中には随分、他の人の幸福を羨んで、他の人が大いに儲けたら
  「あいつはきっと不正なことをしたにちがいなり」と思ったり、
  「も少しあいつが失敗したら俺の方が、もっと儲かったであろう」などと考える人
  があるものだ。
 
  これは他の人の幸福や成功を否定する心であるから、
  同時に自分自身の幸福や成功を否定することになるのである。

  仏教では人の喜ぶ心を”四無量心”の慈・悲・喜・捨のうちの第三にそれを数えている。

  
           <感謝合掌 平成27年4月7日 頓首再拝>

[599] 第16か条〜『明るい心』をもつこと
伝統 - 2015年04月08日 (水) 18時55分


◆『明るい心』は希望実現の総括的条件である


  ある時、弟子が釈尊に向かって尋ねた。

  「人が誰かを憎んだり、呪ったりした場合、その憎しみや呪いの念を相手が
  受けなかった場合には、その憎しみや呪いの念は何処へ往って、どうなりますか?」

  「お前は人が誰かの所へ贈り物を持っていった場合、
  相手がその贈り物を受けとらなかったら、その贈り物は何処へ行くと思うか?」

  「その贈り物を相手が受け取らなかったら、
  その贈り物は、贈り主のところへ返ってきます」

  と答えた。 その時釈尊は

  「その通り、人が憎しみや呪いの念を送った場合、相手がそれを受け取らなかったら、
  その憎しみや呪いの念は自分に返ってきて、自分自身を害することになるのじゃ」

  他を憎しみ、他を呪えば、その憎しみ、その呪いが自分に返ってきて、
  自分を傷つけるのであるが、

  その反対に他を祝福し、他の人の幸福を祈り、他の人の成功を祈り、
  他の人の健康を祈れば、

  その祈りは自分に返ってきて、自分自身が祝福され、自分が幸福になり、
  自分の事業が成功し、自分自身の健康は増大するのである。

  そしてその祈りをなすとき、必ず明るい心をもって
  必ずそれが成就すると確信して祈るがよい。

  希望実現のすべての条件が整うとも、この『明るい心』を失ったら、
  その希望は実現しないかもしれない。


  あなたの希望を実現する第16箇条は『明るい心』をもつことである。



  毎朝、鏡に向かって、にこやかな笑顔をし
  『私はこのように幸福で楽しいのだ』 と思って明るい心になって、
  ”今日”をお迎えなさい。 ”毎日”をお迎えなさい。
  

  あなたが恋人に会いに行くような嬉しい明るい心をもって”今日”を迎えるならば 
  ”今日”もまたあなたを恋人のような明るい嬉しい顔をして迎えるである。

  なぜなら、あなたの迎える世界はあなたの”心の展開”であるからである。
  
      (http://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/17778758.html)

(以上で、希望實現のための十六箇条の紹介を終了いたします。
 なお、上記の講演録は、「人生の秘訣365章」4.希望実現のための法則〜十六條へと
 反映されております)

           <感謝合掌 平成27年4月8日 頓首再拝>

[616] 希望を実現するための「7つの教え」
伝統 - 2015年04月17日 (金) 18時30分

・・・

以下に、希望実現に関連し、「生活読本」より、
希望を実現するための「7つの教え」を紹介してまいります。

・・・

《希望を実現「7つの教え」〜その1》

           *「生活読本」第八章より

(1)物事は建設的に明るく考えよ

   何でも物を建設して行くことの出来る思想は明るい思想でなければならないのです。
   建設と云うのは、毀(こわ)して行く反対です。
   次へ次へと物をつくって伸びていくことです。

   伸びて行くためには明るい心でなければならないのです。
   暗い思想は破壊的(こわすこと)で、明るい思想は建設的であります。

   破壊的な言葉を使い、破壊的な考え方をしている人には、
   美しい生活も、幸福な生活も逃げてしまうのであります。
   そして深切な協力者は無くなってしまいます。

   何故なら破壊的な言葉や、考え方は、
   「類は類を呼ぶ」「類は友を呼ぶ」法則に従って、
   破壊的なもののみを引き寄せるからであります。

   伸びる力は、荒々しく怒鳴る言葉や、暗く沈んで行く考えの中にはありません。
   だからそういう言葉を使ったり、考えたりしていては事業は失敗し、
   仕事はうまく行かず、常に社会の落後者(おちぶれもの)となるのであります。

          <感謝合掌 平成27年4月17日 頓首再拝>

[618] 《希望を実現「7つの教え」〜その2》
伝統 - 2015年04月18日 (土) 20時15分


(2)何事をするにも真に「出来る」と思うまで手をだすな

   物事を悲観的に考えてはなりません。
   悲観的な考え方は人生に希望をなくし、夢を抹殺し、
   美しいものを萎(しお)れさせてしまいます。

   美しいものを生かすには、どうしても物事を楽観的に考えることが必要であります。

   何事をするにしても、その力の大部分は自己が成し得ると云う信念にあるのです。
   自己が成し得ると考えないでいて何事をなしても真に成功するものではありません。

   何事をするにも真に「出来る」と思うまで手を出さぬことです。
   自分は「上手に出来る」と思うまでは真に出来るようになるものではありません。

   形の世界は心の影であります。
   形の世界にそれがあらわれてくるまでには、
   形の世界にそれを押しだす力が必要なのです。
   心の世界に強くハッキリ出来上ったものが形の世界にあらわれてくるのであります。

          <感謝合掌 平成27年4月18日 頓首再拝>

[620] 《希望を実現「7つの教え」〜その3》
伝統 - 2015年04月19日 (日) 19時01分


(3)「必ず出来る」と信ぜよ

   ものを破壊する感情を心に持ちながら物を完全に建設することは出来ません。
   イライラしながら円満に事物(ものごと)を成就することなどは出来ないのです。

   自分で自分の心を攪(か)きまわしながら、
   心をしずかに物事を考えることなどは出来ない相談です。

   物事を円満完全に育て上げるには、心の中にどんなイライラしさも、
   どんな不完全な考えも、どんな心配もなくする事が必要なのです。

   「われこれを成就せんと欲すは、神がこれを成就せんと欲し給うのである」
   と信じて物事にとりかかってこそ真にそれを成就することが出来るのです。

   私は歩くことが出来ないと考えながら歩き得た人は一人もいないのです。
   誰でも歩き得ると考えたときのみ歩くことが出来るのです。

   吾々が歩くことが出来るのは、「私は歩くことが出来る」と云う
   「永遠肯定」(つねにできるとおもうこと)によってのみ歩くことが出来るのです。

   一歩一歩が「歩くことが出来る」と云う肯定によって支えられてのみ
   歩くことが出来るのであります。

   単に「歩く」ことですら此の通りでございますから、
   もっと大きな仕事が「吾れ是を成さんとすれば必ず出来る」と云う
   「永遠の肯定」に支えられないで、成就することはあり得ないのであります。

          <感謝合掌 平成27年4月19日 頓首再拝>

[624] 《希望を実現「7つの教え」〜その4》
伝統 - 2015年04月20日 (月) 17時51分


(4)一念集中が成功の要件です

   成功に一念集中と云うことが必要であります。
   電気の技術者で成功しようと思う者は、
   常に電気のことを考えていなければなりません。

   常に植物の事を考えていれば、植物学者として成功するかもしれなせんが、
   電気の技術者として成功するものではありません。

   あまりに懸けはなれて反対であるものを考えていては、決して事物は成就しません。
   失敗を考えていて成功するものではありません。
   成功は成功を心に描くことによってのみ得られるのです。

   どんな多くの青少年が、「自分は身体が弱い」と考えたり、
   「自分は天分(天からもらったちから)がない」と思って尻込みしたりすることに
   よって、折角の人生(ひとのよ)に落後者(おちぶれもの)となったことでしょう。

   これらの人達は、しっかりした自信力を与えさえしたら立派に社会(よのなか)に
   成功した筈の人たちなのです。

   「自分が弱い」と云う馬鹿々々しい迷信をお捨てなさい。
   「自分には力がない」と云う迷信をお捨てなさい。
   そんな迷信に誤魔化されてはなりません。

   そんな無力な迷信をかなぐり捨てて立ち上がりなさい。
   「そして自分は神の子だ。すべての力は与えられているのだ」と
   思いなおして立ち上がりなさい。

          <感謝合掌 平成27年4月20日 頓首再拝>

[626] 《希望を実現「7つの教え」〜その5》
伝統 - 2015年04月21日 (火) 17時49分


(5)困難と戦ってもニコニコと

   アメリカ人のあの偉大な「開拓者精神」と云うものは素晴らしいものです。
   開拓者精神と云うのはあの広い、殆ど手をつけようもないような地面を、
   どこまでも撓(たゆ)まず屈せず、開き耕して往った精神です。

   猛獣も多いし、草や木の根も深い、砂漠もある、
   大きな岩もある、山もある、滝もある、
   アメリカは土地がひろいだけに、いろいろな障害物も非常に大きいものです。

   それに負けずに、一歩一歩その困難を笑いながら楽しく征服していったのが
   アメリカ精神の素晴らしいところです。

   ドイツ民族なども困難と戦ってきた民族ですが、
   どこか眉の間に、ニガイ表情(かおつき)があります。
   いつもわしは苦難(くるしみ)と戦っているのだと云うような表情をしております。

   ところがアメリカ人にはあれだけ広い地面と戦って来ながら
   どこにも困難と戦って来たと云うようなニガイ眉をひそめた表情はありません。

   みんなニコニコしているのは日本にきていたアメリカの兵隊さんの
   表情(かおつき)でわかります。
   そこにアメリカ人の強味があります。

   日本は戦争中に誰も彼もニガ虫をかみつぶしたような顔をしていないと
   非国民だと行って叱られたものです。そうして泣き面をしていると、
   「泣き面に蜂」ならぬB29が来て、次へ次へと日本の都市をやいて行きました。

   すべて「われより出ずるものはわれに帰る」であります。
   「泣き面」をしていると泣くことが群(むらが)り起ってくるのです。

          <感謝合掌 平成27年4月21日 頓首再拝>

[629] 《希望を実現「7つの教え」〜その6》
伝統 - 2015年04月22日 (水) 19時53分


(6)人間自身が運命の彫刻家

   吾々は「自分の心」と云う鑿(のみ)で
   自分の運命を彫刻している彫刻家のようなものです。
   自分の心の動かし方の一つ一つが未来の自分の運命を、
   良くも悪くも彫(きざ)んでゆきつつあるのです。

   心の一つ一つの動きをゆるがせにしてはならないのです。
   一寸(ちょっと)した腹立ちの心、一寸した憎しみの心、一寸したイライラした心、
   ブツブツの心、それなども必ず肉体の或る形をきざみつつあり、
   境遇(まわりあわせ)にある形にきざみつつあると云うのは事実です。

   あなたが中年や老人になって額や眉間に皺が出来たり、目尻に皺が出来たりするのは、
   心の動きで目に見えぬほどずつ積りつもった皺が何十年もするうちにそんな形に
   あらわれたのです。

   あなたの皮膚にニキビやオデキやジンマシンのブツブツが出来るのも
   あなたの心のうちにブツブツとふくれる心があるからです。

   ゲーテも「吾らの心が吾らの肉体の上に及ぼす力は驚くべきものがある。
   されば心をして常に自分の肉体の主人公たらしめよ」と云っています。

   心は肉体をそのように彫むだけではありません。
   境遇をも運命をもきざむのです。

   自分が常に明るい心を持っておれば明るい楽しい運命がつくられます。
   自分が常に悲しい心を持っておれば、悲しい運命がつくられます。

          <感謝合掌 平成27年4月22日 頓首再拝>

[631] 《希望を実現「7つの教え」〜その7》
伝統 - 2015年04月23日 (木) 17時46分


(7)どんな心の働きでも脳髄に印象せられます

   心が肉体から去ったら、肉体は動かなくなります。
   肉体を動かしているのは心の力であります。
   その心がなまけていては肉体は完全に動きません。

   その心が「病気になる方が学校を休めて好い」とか
   「あまり忙しいから、病気にでもなって一週間も休んで見たいな」などと
   考えているようでは肉体は達者になりません。

   大体、どんな心の作用でも、脳髄に印象せられるのであります。
   すべて吾々の霊魂(たましい)は自分の思いを「脳髄」と云うラジオ・セットに
   送って、そこから身体(からだ)の各部に命令をつたえます。

   だから身体各部を密接(ぴったり)に脳髄に連絡しているのであって、
   脳髄で考えられたことは「運動する」と「しない」とに拘わらず、
   必ず肉体各部に伝わって何らかの印象なくとも
   「憂鬱な考え」(おもくるしいきぶん)を心に起しますと、直(ただち)に
   脳髄からそれが筋肉につたわり、顔の筋肉が憂鬱な形にふさぎ込みます。

   それはただに顔の筋肉に伝わるばかりではなく、全身の神経につたわりますから、
   胃腸の働きも憂鬱にして、便秘を起こしたり、
   消化不良のために下痢を起こしたりします。

   血液の中にも毒素が出来ます。
   呼吸器や循環器にも影響を与えまして、血のめぐりが悪くなり、したがって、
   血液の色も悪くなり、青ざめた顔になったり静脈がゆるんで、
   皮膚に青すじが太く出来たり致します。

   健康になり容貌(かおかたち)が美しくなるためには、
   心が晴れやかに、明るい気持にして、生活することであります。

   (第八章終り〜以上で《希望を実現「7つの教え」》を終了いたします)

          <感謝合掌 平成27年4月23日 頓首再拝>



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