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お久しぶりです。the logic of collective actionを輪読中なのでしょうか。
以前実証研究のネタ探しにちらっと読んだことがありますが、あのあたりの実証、例えばグループサイズとactionの関係、は論文によって結果が一様でなくて結局良く分らん、という印象がありますが・・・。
それと、ゲーム理論との関係が良く分らない印象がありました。言いかえれば、あの本は非協力ゲーム理論の一応用です、で済む話なのかどうなのか。だったらわざわざ読まなくてもいいかも、ってなってしまいます(笑)
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どうも。お久しぶりです。
>例えばグループサイズとactionの関係、は論文によって結果が一様でなくて結局良く分らん、という印象がありますが・・・。
確かにどこまでが小規模集団でどこからが大規模集団か、という明確な線引きはされていないので、論文によっては恣意性が出てくると思います。規模が曖昧な中規模集団の研究があれば、それは読んでみたいところです。
>言いかえれば、あの本は非協力ゲーム理論の一応用です、で済む話なのかどうなのか
この辺りは僕もあまり納得できていないのだけど、小集団のときは協力ゲーム、大集団のときは非協力ゲームと考えて、非協力ゲームだからこそ参加を強制するような制度的枠組みが必要、という話なのだと思います。結局は最初の、グループサイズの曖昧な線引きにも関わってくる問題になりますが。
個人的な関心は、大規模集団における公共財の供給なんて実は副産物的なものに過ぎないという点が、今流行のコモンズ研究なんかにどのような影響を与えているのかというところにあったりするのですが、手羽先君のように近代経済学の観点から見るとまた違って見えると思うので、いろいろと教えて欲しいところです。
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いや、確か小規模大規模の定義は恐らくはっきりしていて、ちゃんとモデルを書いてパラメータを入れれば、分岐点となるグループサイズが存在することを示せる、という話だと思います。なので、枠組みとしては非協力で一貫しているかと。間違っていたらすいませんが。
僕が言っている「一様でない」は、actionの成否を左辺、グループサイズその他諸々を右辺にして、実証分析をしたら、論文によってグループサイズの係数がバラバラだった気がする、という意味です。
あとそもそも論として、外生的に与えられているグループサイズがどうやって決まるのかも問題だったかと思います。
・・・読んだのがかなり前でうろ覚えなので、ぼろが出ないうちにこのあたりでやめておきます(笑)
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>いや、確か小規模大規模の定義は恐らくはっきりしていて、ちゃんとモデルを書いてパラメータを入れれば、分岐点となるグループサイズが存在することを示せる、という話だと思います。
そのレベルでの定義の話があったのはわかるのだけど、その後に、「本書のような抽象化レベルの議論だと、複雑な要因が様々絡み合っているので決定的な解を出すのは不可能じゃないか」みたいな記述があったような気がするのですが・・・。つまり「不確定性がある範囲がある」というような。そこでまた、いろいろと重要なパラメータが検討されていたような気がします。別個で累積的な要因が重要なのだ、とか何とか。(もしかしたら間違って理解しているかもしれません。もう一度読み直してみます。ごめんなさい。)
協力/非協力に関しても、おっしゃる通りで、グループ形成に関しては一貫して非協力だと思います。ごめんなさい。「小集団が協力」というのはグループが形成された後の話で、小集団だとコモンズ管理のようなグループになるに従って方向転換を行うのではないか、という意味での協力ということで、言葉足らずかつ説明下手ですみません。。
>僕が言っている「一様でない」は、actionの成否を左辺、グループサイズその他諸々を右辺にして、実証分析をしたら、論文によってグループサイズの係数がバラバラだった気がする、という意味です。
なるほど。その辺は興味があるところなので読んでみたいところですが。オルソンの分析を使った実証分析に関しては全く知らないので、今度教えてください。
僕もこれ以上やるとボロが出そうなので、この辺でやめておきます(笑
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>つまり「不確定性がある範囲がある」というような。 あ、その話忘れていました(笑)
でもそうすると、理論としては不完全ですよね。与えられたパラメータから結論が一意に出ないと、データから元のパラメータを推計するのも無理ですし。
Banerjee et al. (2008) Public action for public goods が理論と実証を含めた包括的なサーベイです。開発経済学ハンドブックの中の一章ですが、先進国でも議論としては似たようなものだと思います。
上にも引用されていますが、グループサイズの話はEsteban and Ray (2001) Collective Action and the Group Size Paradoxが分りやすかった気がします。
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>でもそうすると、理論としては不完全ですよね。与えられたパラメータから結論が一意に出ないと、データから元のパラメータを推計するのも無理ですし。
一意性という意味ではオルソンの理論は不完全かもしれませんね。最近の僕みたいに政治と経済の狭間を彷徨っている人間だと、不確定性なことが明らかになったという意味で評価してしまうところだけど、経済プロパーの人から見ると理論的ではないのかもしれないね。
>Banerjee et al. (2008) Public action for public goodsが理論と実証を含めた包括的なサーベイです。
どうもありがとう。早速プリントアウトしましたので、時間があるときに読んでみます。やっぱり開発経済学だとこういう話が出てくるんですね。この分野に関しては全くの専門外なので、やるなら腰を据えて勉強しないといけないですが。
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>一意性 正確に言うと、実証に載せられる理論ではなさそうだ、という意味で理論としていまいち、ということです。別に経済理論でもたくさん一意ではない理論はあります。
僕はあまり詳しくないですが、開発の世界だと、結構こういうのありますよ。それこそコモンズ(灌漑etc)とか。参考になれば幸いです・・・。
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>別に経済理論でもたくさん一意ではない理論はあります。
ええ、それはもちろんそうだよね。
農学部でやっているようなコモンズ研究と、開発経済におけるコモンズ研究の差異がよく分からんので、この辺もきちんと見ておかないとなあというところです。自分の研究をほったらかして何をやっているのだか、という感じでもありますが。
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