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タイトル

■日の丸(真正保守)か赤旗(左翼)か!?■

■光明思想・新教連を応援する光明掲示板■

<(新)愛国本流掲示板>


谷口雅春先生の正しき 教えに基づき人類光明化と天皇信仰に基き

「愛国運動」を前進させ、真正保守運動を目指す愛国掲示板

  (新)管理人の独断で、本流支持でないと思われる投稿。あるいは撹乱の投稿であると感じた時、品位に欠ける投稿、悪口中傷の寄稿には削除、アクセス禁止にさせて戴きます。

 

★人類光明化運動<愛国生長の家>とは?★

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霊魂進化の一周期と肉體的欲望の離脱について〜谷口雅春先生 (31115)
日時:2022年08月20日 (土) 09時39分
名前:源流

道産子
2022/08/07 (Sun) 08:29:30
〜2022/08/11 (Thu) 08:10:16


     昭和四十八年「生長乃家」誌六月號

昭和48年「生長乃家」6月1日〜5日


  一日の法語 なぜ、少年は生命を輕率に扱ふか


 ちかごろ少年クラスの若い人が自殺するやうな實例

がたびたび新聞などで報道せられてゐるので私は驚くのであります。

戰後の日本少年の死亡の原因の第一が病死でなくて事

故死(自殺を含む)といふことは何をあらはしてゐる

のでせうか。それは『生命の尊重』といふことが叫ば

れてゐ乍ら、生命の尊重の根本が忘れられてゐる――

即ち、生命は何故尊重せられねばならないかの根據を教へることが
忘れられてゐるからである。

                  (つづく)

・・・

   二日の法語 戰後の日本の少年教育


 生命の尊重が戰後の教育に於て忘れられてゐるとい

ふのは戰後の日本の教育はおおむね、日教組の支配下

にあつて、唯物論教育が行なはれてゐる事であります。

ここでいふ唯物論教育といふのはマルクスの辨證法的

唯物論を根據とする教育であつて、世界革命を目標又

は使命とするものでありまして、「精~といふものは

物質のはたらきの最高の産物である」「世界の歴史は

物質が運動する――その物質の法則に從つて必然的に

その運動方向が規定せられて、結局は資本主義經濟組

織の國家は崩壊して社會主義國家になる」このやうな

所謂る「唯物史觀」と稱するものを、一種の信仰とす

る信徒(教育の使命は革命の為の有能なる働き手とな

るやうな少年を育成する事にある――日教組の”教

師の倫理綱領”)によつて日本の少年は教育されて、

もう二十數年にならうとしてゐるのである。
 
                  (つづく)

・・・

   三日の法語 現代日本の教育に生命尊重の根據はあるか


 このやうな唯物論教育がどうして少年の事故死や自

殺につながるかといふと、『生命』が、物質の所産で

あり、意識とか精~とか心とかいふものは腦髄といふ

物質の所産であるといふことを、その幼い子供の頭に

植ゑ付けるものであるから、物質といふものには~聖

性もなければ尊嚴性もない一種の瓦落多に過ぎないのであります。

 そのガラクタでも、その物質で出來た肉體といふも

のが、感覚的刺戟によつて一種の刺戟や恍惚感を味は

へてゐる間は、無我夢中に生きてゐて、自分の生命の

本源のことなど考へないのですけれども、何か問題に

面して躓く。たとへば入學試験に滑つて失望落膽した

とか、親に小つ酷く叱られたとかいふ時には、感覚的

刺戟で、自分の「存在の根源」を胡魔化している譯に

は行かない――その時に彼は人間とは何であるか、

何のために生きているのかと考えだす。

そして日頃、學校で教へられてゐる「兩親といふ物質

體」のセックス的反應の結果生れたる何ら生き甲斐も

なく、~聖性もない物質で出來た「一個の複合體」に

過ぎないのが”自分自身”だと憶ひ出す。

そして”意識”とか”心”とかいふものは、その物質

が複雑精緻に複合した結果生じるところの一種の化學

作用であり、その”心”が斯うして惱むことから逃れ

るためには、腦髄を中心とするこの物質の複合體なる

肉體を破壞さへすればよいのであるといふので自己破壊が行なはれる。

それが自殺につながり、ヤケクソに疾走する速力の快

感や冬山の氷壁と戰ふスリルを味はうことによつて感

覺的に自分を胡麻化さうとする

――それが事故死につながることになるのである。

唯物論的人間を學校で生徒に教へている限りは

『生命の尊重』の根據はないのである。

                  (つづく)


  四日の法語 物質とレジャーの豊富の中の貧困 


 明治~宮崇敬會で發行されてゐる雑誌に『代々木』といふのがある。

それは明治~宮の祭祀されてゐる聖地が”代々木の

杜”であるからであらうが、薄葉の雑誌であるが、良

い事が書かれてゐる。この三月號の巻頭に明治天皇の

御製と昭憲皇太后の御歌とが一首づつ竝られてゐて、

その下に全日本弓道連盟の會長樋口實氏の隨想が載つてゐる。

樋口氏は次のやうに言つてゐられる。――

「終戰後やがて三十年になろうとしています。戰前戰

後の困難であった頃に比べますと、物資は豊かに表面

は華やかになり、日本人は今平和ムードに浸っていま

す。そしてスピードとレジャーが現代人の重要な生活

条件であるかのように考えられてはいないでしょう

か。もしそうだとすれば、それは人間の基本的生活から考えて、

誤った錯覚に陥っているのではないかと思います」

 このスピードとレジャーで肉體の感覺を樂しませる

ことによつて、人間とは何ぞやの根本的問題から逃避

させて人間を盲的衝動的に走らせようとするのが、

唯物論的教育の結果なのである。

恰度いま机上に來た新聞を見ると、「政府はレジャー

産業を推進する」といふ記事や「總評、中立勞連など

でつくつてゐる春闘共闘委員會では三月二十九日、四

月五日に續き、十日全國一齊に第三波統一ストに入

る」そして「全電通勞組が、初めて”電波作戰”も含

む春闘スト準備指令を出してテレビ傳送部門もストに

入るので、テレビ放映が流れたり、NHK番組に民放の

CMが飛び出すハプニングもある」といふやうな記事が出てゐる。

                  (つづく)


  五日の法語 唯物論の横行する末法無法の世界


 以上の有様が唯物論の世界である。 


唯物論の世界には肉體の快樂追及慾と物質的所有慾の

他に何もない。”思ひやり”とか”愛”とかいふものは

物質の世界にはないのである。

利欲と自分の肉體快樂の欲望を滿たすためには人の迷

惑など考へる余地はない。それが到る所に公害を撒き

散らす産業ともなり、國民の交通を妨害するストライ

キともなるのであり、そのやうな國民の煩惱に媚びる

のが所謂る民主政治であつて、レジャー産業をもつと

もつとさかんにして國家の富の無駄遣いを奬勵してゐるのである。

樋口實氏はこれについて、

「本質的なものを忘れて、それだけを偏重することは

危険この上もない事と信じます。若しこれに由って人

間の心が上ずったり、苛だったりする習慣が生れるな

らば、それはあたかも水面に漂う浮草のようなもの

で、たとえ根があってもそのまま押し流されて、いつ

の日にか安住の場を見出す事が出来るでしょうか」

 といつてゐられる。誠にレジャーと富裕の中で人間

は人間でなくなつて、餓鬼の如く、あるが上に饑渇の

感じを斷つことができず、阿修羅のやうに常に闘爭を

續けるほかなく、畜生のやうに肉體の快樂のためには

性の亂行をほしいままにし、地獄の鬼のやうに相手

を”惡い”といつて責めさいなむことばかりを續けてゐるのである。

まことに釋尊の豫言の如き末法の世となりにけるかな。

                  (つづく)

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昭和48年「生長乃家」6月6日〜10日 (31124)
日時:2022年08月22日 (月) 14時27分
名前:源流

     昭和四十八年「生長乃家」誌六月號

昭和48年「生長乃家」6月6日〜10日


道産子
2022/08/12 (Fri) 08:15:15
〜2022/08/16 (Tue) 08:42:05


 六日の法語 天皇の御歌(みうた)にあらはれたる實相の澄み切り世界を觀る


 しかし『代々木』誌の第一頁を飾る明治天皇の御製

のCらかさは私の胸を打ち魂を淨めて下さるのである。――


   澄めるもの昇りてなりし大空にむかふ心も

   Cくぞありける


 何といふCらかな世界であり、Cらかな人心であら

うぞ。これは澄み切つた實相の大空をもうたはれた御

歌である。心淨らかであられる人でないと、このやう

な清淨な實相を詠みあげた御歌をつくることはできないのである。

作品にはその人の魂があらはれる。

維摩経には「菩薩心淨ければ佛土淨し」とある。

明治陛下の多くの御製のうちで、この歌一首を選ん

で、第一頁を飾つた『代々木』の編集者も屹度、

C淨な實相を見る心を持つ人にちがひない。

                  (つづく)


   七日の法語 内に宿る實相を觀給ふ御歌


 『代々木』誌の編集者が選んだもう一つの御歌は

昭憲皇太后の次のやうな御歌である。


   みがかれてひかりいでたる玉みれば人のここ

   ろにひとしかりけり


 これも人間の心の清淨な實相をじつと見つめてゐられる人でないと

詠むことのできない御歌である。

全ての人間は”~の子”として玲瓏玉の如き澄み切つ

た清淨な魂が宿つてゐるのである。しかしそれは宿つ

てゐるけれども實相を觀る心の内には見えないで、表

面のアラ探しをして憎しみ合ひ、爭ひ合い、互に惡口

雑言して苦しめ合ふのである。しかし實相圓滿清淨の

「人間・~の子」の魂はすべての人に宿つてゐるのである。

 今皇太后陛下の眼の前に光輝燦然と輝く”玉”が置

かれてゐるが、これを見るにつけても、此の寶石もそ

れが原石である間は、その光が埋もれてゐて見えなか

つたが、磨くに從つてこのやうな光輝を發するのである。

それと同じく人間の魂に宿つてゐる”~の子”の實相

も磨くに從つて輝きを發するのであるからわれわれも

常に反省して自己の魂を磨くやうにしなければならな

いといふ深い脚下照顧の御心があらはれてゐるお歌である。

                 (つづく)


  八日の法語 萬物は皆、~の生命の兄弟姉妹である


 人間のうちには”~”が宿つてゐるのである。

”~”は普遍的な大生命として一切萬物のうちに宿つてをり、

それを生かしてゐられるのである。

一切萬物の生命は、それゆゑに、個々別々に孤立して
ゐる存在ではなく互ひに連關をもつてゐるのである。

 人間の排泄物を植物は栄養素として呼吸を通し同化

作用を營みて吸収したり、土壌中の肥料成分として


吸収したりして、それを再び空気中の酸素や穀物や果

實や食用の葉菜として人間に還元してくれ、それらの

還元物質を人間は再び、呼吸を通して攝取して

植物に適する成分として送り返すのである。

かくして完全循環が行なはれる時公害などは起らないのである。

現在、叫ばれてゐる公害といふのは、人間が植物から

攝取したものを、植物に適する自然の形に還元して返

してやらず「愚かなる人智」をもつて加工して使つた後は、

唯”使ひ捨て”にしてしまふからである。

                  (つづく)


 九日の法語 勞使の關係が調和しないのは


 ”愛”とは”使ひ棄てにしない心”である。勞使の

間が常に滿足な愛情の關係にあらずして互ひに闘爭の

構へを持つて對峙してゐるのは、企業側が雇傭者を

” 使ひ棄て”にする心をもつてゐるからである。

本當に愛があつたら、互ひに相手の爲になるやうに盡し合ふ事に

生き甲斐が感じられるはずである。

                  (つづく)


  十日の法語 なぜ勞働者は企業側に敵對するか


「何のために會社の廊下を私が拭かなければならない

のか」と、ある會社の社員は歎いたといふのである。

また「何のためにわたしは會社のお客様にお茶を搬ばねばならないのか」

と女事務員は歎いたといふ。

かういふ社員や女事務員は會社に対しても、

お客様に対しても愛がないのである。

 資本主義の世界は金で人の勞働を買ふ制度の世界で

あるから、この制度の中に組み込まれると、全ての勞

働が”愛による奉仕”ではなく、金で自分の生命エネ

ルギーを買はれるのであるから、一種の奴隷である

――これは、意識してゐると、ゐないとに拘はらず、

潜在意識の奥底には奴隷として『買はれたる生命』に

自己侮蔑を感じ、その反動として企業者側に反感を感

ずるのである。そこに勞動運動の本質があるのである。

                  (つづく)

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昭和48年「生長乃家」6月11日〜15日 (31134)
日時:2022年08月29日 (月) 08時04分
名前:源流

道産子
2022/08/17 (Wed) 08:30:25
〜2022/08/21 (Sun) 08:21:00

     昭和四十八年「生長乃家」誌六月號

6月11日〜15日

 十一日の法語 奴隷としての屈辱感から來る闘爭


 賃上げ闘爭が永久的に停止する事が出來ずに年々エ

スカレートしていくのは、賃金即ち「自分の生命が買

ひ上げられる値段」を幾らつり上げて貰つても、奴隷

として買はれているといふ潜在意識内に埋没している

屈辱感は減るものではないから、その屈辱意識から起

こるところの抵抗から、企業側に対して更に戰ひを挑

むのが彼らの定期闘爭の本質である。だから、いくら

賃上げしても毎年その闘爭はエスカレートして停止する

ところを知らないことが當然であるのである。

                  (つづく)


 十二日の法語 奴隷精~の抵抗運動としての定期闘爭


『日中評論』四月號に、拓殖大學教授の竪山利忠氏が

『日本の勞働運動の新段階』と題して、ここ十年間く

らゐの日本の勞働運動を要約して次の如く書いてゐる、――

『労働運動を戦後史的に見ると、三六〜九年は

技術革新や経済条件に反映した。

安定した、そして労働組合主義が総評大会にまで強調される

大幅賃金値上げの時期であった。

 四〇年代に入るとベトナム戰争反対や学生運動の暴

力化など政治化の傾向がみられ、大衆貧困化のそれで

はなく「豊かな社会」における人間的不満や公害など

が問題になり、新しい激動の兆候が表面化して来た。

 そして三六年から十年の周期というかのように、

四六年が新たな段階を劃しはじめた。

ニクソン訪中声明、ドルの金兌換停止と一〇パーセン

トの課徴金のドラスチックな措置、などの周知の一連

の事実、それにひきつづく国際的国内的急変は、理論

的にも実際的にもそれへの対応をひどく立ち遅らせる

激しさ、深刻さである。

工業国では、景気上昇の中で労働争議はここ数年活発

である。日本の来るべき春闘も激化が予想される・・・・・(中略)

ローマ・クラブの警告「成長の限界」ではないが、公

害、資源枯渇、人口増加、食糧不足、エネルギーの危

機等が作用して来る現代の地球の中で、当面している

ものは、複雑で多様な経済不安定、矛盾する政策であ

り、それが日本だけでなく国際経済に深く結びついて急変して行く。

その限り問題は山積しており、一面では左翼労働運動

を促進する事にもなろう。経済ばかりでなく無数に存

在する社会の現代の病理的現象は、貧困な社会や大衆

の窮乏化による革命理論では説明されるものではない。』

 引用文の末尾の一節にわたしは故意に圏點を付した

のであるが現段階のややもすれば暴動化さうとする勞

働運動は、大衆が貧困で窮乏化したために暴動を起し

てそこに革命が起るといふやうな經濟的原因を主とし

た革命理論では説明できない病理的現象であるといふ意味だと思ふ。

そのやうな病理的現象が起るのは、「金で買はれた自

分の生命」といふ潜在的劣等感から起るところの抵抗

運動であり、奴隷的劣等感がその勞働又は勤務に對し

て拂拭されない限り永久につづくものと觀測せられる。

                  (つづく)


 十三日の法語 ”働く”といふことが~聖だといふ理由


 しかしながら働くといふ事が果して奴隷になること

だらうか。それは”労働”を商品として、賣り、その

代價を賃金又は給料として受け取る形式をとるところ

の資本主義經濟組織が、働く人の心に與へる暗示によつて

醸されたる錯覺なのである。

働きの實質といふものは、「側(はた)を樂にしてあ

げるところの布施行である」と語呂をもじつて誰かが

説明したやうに、人類ぜんたいは、それぞれの人々

が、それぞれの個性を發揮しながら、それぞれの場所

に於て働いて創造したところの成果が、互ひに生かし

合ひ扶け合ひながら、何らかの関連を持つて人類全體

の生活に、ひとつの全體として生き、且つ向上し、進

歩しつつあるのであつて自分だけが”奴隷”になつ

て、誰か狡い奴の下積みになつて、鎖につながれたや

うに抜け出す事も出來ないで苦しんでゐるのではないのである。

そしてその”一つの全體者”といふのが”~”であ

り、その”~”の顕現としての”~の子”の集團がす

なわち人類であり、それは~聖なるものであり、その

~聖なもののために事(つか)へる事が”働く”とい

ふ事であり、それ故に”働く”といふことは~聖なる

”~の子”の營みであるのである。

                  (つづく)



  十四日の法語 一燈園の天香先生の徳を偲ぶ


 ちやうど私の机上に一燈園の機關紙『光』の三月號

が載つてゐたので、披ひてみると、第一頁に天香先生

の”日記的隨想”であるところの「天華香洞錄」の大

正七年五月十九日のことばが「路頭の生活」と題して載せられてゐる。――


 受 一握りの米をいただかせて下さい。

 洗 下の清潔をさせて下さい。

 禮 一番下の坐、一畳をかしてもらひ、
   そこで少時 御禮の祈りをさせて下さい。

 報 何かにお用ひ下さい。

 動 生産の事に働かせて下さい。

 靜 大寂中に落ちつかせて下さい。


 この願ひを唯讀むだけで、心が落ちついてくるのである。

天香先生の靜かなる平和の心、不諍の心が傳はつてくるからである。

                  (つづく)


 十五日の法語 團體脅喝の集團強盗を是認する現行憲法


 できるだけ多額の給料を貰ひたい、そのためには何

百万人の交通の足を奪ひ、乗客に非常な迷惑をかけ、

中には乗客中に重輕傷者迄出すやうな暴行を伴ふ脅喝

をしながら、「これでもか、これでもか、これでも、

まだもつと金を出さぬか。出さねばもつと國民を苦し

めるぞ」と、何の罪もない、責任もない國民を恰も人

質にして苦しめ、金を出させようとするのは脅喝であ

ると同時に強盗的犯罪ではないか。けれどもこの集團

脅喝、集團強盗が、占領憲法に定められたる團體爭議

権といふ名のもとに行はれると、”順法闘爭”になる

のだから、占領憲法といふものが、どんなに日本人の

精~を堕落させる本質を持つてゐるかといふことが判るのである。

 この勞働運動家に比べれば、一燈園の天香先生の

「一握りの米をいただかせて下さい」「下の清潔をさ

せて下さい」といふのは何といふ謙虚な心であらうと

感動させられるのである。

                  (つづく)

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昭和48年「生長乃家」6月16日〜20日  (31153)
日時:2022年09月29日 (木) 10時17分
名前:源流

道産子
2022/08/22 (Mon) 08:16:43
〜2022/08/26 (Fri) 07:49:09


  十六日の法語 ”生かされてゐる”といふこと


 天香先生の「一握りの米をいただかせて下さい」と

いふのは決して卑屈に乞食の精~になることではない

のである。またそれは自分をコキ使ふ雇主に對して

あはれみを乞ひ願ふ言葉でもないのである。

それは自分の生命が何處より來つたものであるかの深

い自覺と反省とから來るものだと

私は解(さと)らせていただくのである。

 つまり、それは、自分が此處に生きてゐるのは自分

の力で生きてゐるのではない、權利で生きてゐるのではない。

~の許しなくしては一羽の雀といへども生きることは

できない。況んや人間をや。~に許されて私たちは生

きてゐるのである――といふ深い自覺から出て来たと

ころの「一握りの米をいただかせて下さい」といふ願ひである。

それは資本家に頼んでゐるのでもなく、

金持に頼んでゐるのでもないのである。

”~の子”が”~の樣樣”に対する對話である。

ここに生きてゐる生命は「自分が生きてゐる」のでは

ない。”~の生命”が今「自分」から引き去られたら

もう自分は生きてゐないのである。

自分の力で生きてゐるのではない。生かされてゐるのである。

そのことが判ると、權利々々と傲慢な言葉は使へなくなる。

~に許されて生かされてゐるのである。

                  (つづく)


 十七日の法語 ”生かされてゐる”といふ人の生き方


 ”生きてゐる”といふ自覺と ”生かされてゐ

る”といふ自覺をくらべてみるならば、”生きてゐ

る”といふのは”自分の力”で肩をいからして小さい

癖に虚勢を張つて傲慢な體裁で歩いてゐるやうな恰好

である。こんな人間が主として”權利””權利”と騒ぐのである。

  ”生かされてゐる”といふ自覚の人たちは、そん

なに肩をいからして風を切つて傲慢に歩いてゐるやう
な恰好では生きないのである。

謙遜にへりくだつて「私の力で生きてゐるのではあり

ません。こんな私であるのに生きてゐるのは、~さま

のお蔭でございます。ありがとうございます。報恩の

ために何でもさせて下さいませ」といふ風に

感謝の心に滿たされて生きるのである。

                  (つづく)

  十八日の法語 「我の置き換へ」について

 
「生かされてゐる」「お蔭さまでございます」「あり

がとうございます」といふ生き方は“我“といふもの

がないのである。“我“といふものがなくなつて、そ

こが眞空になつてしまつてゐるから、その眞空の中
に”~”が入つて來て生きてゐたまふのである。

それを「我の置き換へ」と生長の家では言つてゐる。

「如来今ここに生き給ふ」である。

パウロの「最早やわれ生くる非ず、キリスト我にあつ

て生き給ふ」のである。我がゼロになり、極小になり

切つてしまつた時に、如來である眞我が”我”が絶滅

して、そこが眞空になるのを機會に、そこに顕現したまふのである。

                  (つづく)


  十九日の法語 黒住宗忠師の悟りと治病


 黒住宗忠が重症の結核を患つて命旦夕に迫ると醫師

が宣言した時に、「身體髪膚これを父母に享く、これ

を毀傷せざるは孝のはじめなり」との『孝経』の言葉

を思ひ出し、身體髪膚よりも、尚一層貴い『心』とい

ふ遺産を父母から享けながら、それを今迄悲しみによ
つて毎日きり苛んで苦しめてゐたのは不幸であつた。

せめて數日でもまだ壽命のある間に、その父母から頂

いた”心”を明るい歡びに滿たしてあげようと決心

し、翌日齋戒沐浴して岡山縣の海岸に立ち、將に差し

昇らうとしてゐる太陽を、天照大御~の天體的顕現と

して禮拜し、胸をひらいて日の大~の明光燦然たる靈

氣を吸ふ氣持になつたときに、宗忠は『最早やわれ生

くるに非ず、天照大御~の生命我にあつて生くるな

り」との自覺を得て、歡喜すること限りなく、一週間

ほどの間余りの歡喜に夜も眠らず、笑い続けたといふ。

 しかる後その歡びが静かな法悦にかはり”心”次第

に落ち着きて、自身を顧みた時に病氣は跡型もなく消

えてゐたのだ。

病氣は唯妄念迷想の描く夢でしかなかつたのであつた。

宗忠がその悟りと、病氣消滅の體験を人に語ると、そ

の人が病氣であれば病氣が治るやうになり、

自然に人が集まつて教團的なものが發生した。

それが岡山縣玉島に本部を持つ黒住教の發であつたのである。

                  (つづく)



  二十日の法語 運命の法則についての問答


 佐賀縣多久市北多久町筋原の曲淵寛人氏といふお方

から次のやうな質問のお手紙を頂いた。他の誌友たち

にも參考になるかと思ふので、質問の要旨を書き、

次に囘答を書かせて頂く。

 問 現今、土地成金、大企業の幹部、社長、この地

上のですべて上層部に生活せる者、各大臣、各議員、

會社重役、銀行家、醫師、裁判官、かぞへ上げれば數

限りないですが、とにかく社會の上層に起居生活して

ゐる人間は全て、前世に善根を蓄へていた人たちでせ

うか。また大學教授等すべて現象界に於て下層階級が

憧れる職籍にある人たちです。よろしくお教へください。

 答 「生命の實相」第九巻”靈界篇”(携帯版)の104頁には

次の如く示されてをります。

「或る『生命』が受ける諸種の境遇の凡そ一半は

業運の法則によつて決定せられてゐるのである。

殘餘のうち半分は個体の自由になし得るところで他の

半分は高級なるスピリットの修正の手に在るのである・・・・・

ライフの半分は業運によつて決定せられる。四分の一

は各人の自由意思に属する。

他の四分の一は高級靈の手に委ねられてゐる。・・・・・」

 業運といふ語の”業”は自分が過去に身・意・口に

よつて爲し來つたワザの蓄電池式な蓄積又は、テレビ

のビデオテープ式保存でありまして、ある機會(機運

又は單に“緣”ともいふ)に触れると、過去の業が運

轉してめぐり來つて運命として現れて來るものであ

る。それ故に私は” 業運”といふ語を使つたのであ

つた。これは大體、自己が他に対して與へた業が自分

に運(めぐ)り來つて自分に與へられて

自分の現世の運命としてあらはれて來るのである。

その點に關しては、「すべて社會の上層に起居してゐ

る人間は前世に善根を蓄へてゐた人達」といふ

あなたの言葉がある見方からすれば眞實なのである。

「即ち與へよ、さらば與へられん、審くものは審か

れ、奪ふものは奪はれる」といふ「平衡の法則」が

宇宙を支配してゐるからそのやうになるのである。


                  (つづく)

https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8267324

昭和48年「生長乃家」6月21日〜25日  (31163)
日時:2022年10月04日 (火) 08時16分
名前:源流


道産子
2022/08/27 (Sat) 08:45:05
〜2022/09/16 (Fri) 08:33:00

 二十一日の法語 經濟的成功は百%は前世の善根の結果ではない


 しかしながら、土地成金や、大企業の幹

部・・・・・等々が必ずしも、最高完全な善行を過去

世に於て積んでおいた靈魂だとも、最高完全に發達し

た高級靈クラスだとも言ふことはできないのである。


前世の業によつて引き継がれて來る運命は、その人の

ライフの半分を支配する傾向となつてあらはれる。し

かし人は自分の抱く想念と努力とによつて現世の運命

を自己の欲する姿に作り上げることが出來るのである。

殘餘の運命のうちその半分は個体の自由に属し、自由

意思によつて想念を選び、努力の方法を選んで想念と

努力によつて、心に描いた運命を

現象世界に顕現することが出來るのである。

 田中角榮氏が貧家に生れたといふことは、「前世に

於て豊かに人に与へてゐなかつた」その決算表とし

て、今世(こんぜ)の出發の最初にその數字が表れた

と解釋するならば、それは當らずとも、遠からずでありませう。

しかし、田中角榮氏は前世に於ても經濟的に大いに活

躍し勉強を重ねて來たベテランの靈魂であつたから、

如何にすれば經濟的に成功するかといふことを氏の靈

魂は前世の體験で知つてゐたから、想念に經濟的成功

を描き、前世で鍛錬し來つた經濟的智能をはたらかせ

て大いに努力せられたので、つひに經濟宰相として日

本列島改造などの經濟的智能を考へ出されるに至つた

のであると解釋できるのである。

 この場合、曲淵氏が言つてゐられるやうに「土地成

金や、大企業の幹部・・・・・等は前世に善根を蓄へ

ていた人たちでせうか」といふのには必ずしも當て嵌

らない。むしろ前世に善根と稱すべき徳行はなかつた

が、前世に於ても經濟的智能を研いて蓄財についての

豊かなる経験を積んで來られてその方面のベテランの

靈魂の再生だから、あのやうに成功された

――つまり業運はやはり循環續行するのである。

                  (つづく)



 二十二日の法語 現世の顯榮的地位は必ずしも前世の善根の結果ではない


  田中角榮氏が「前世に於て豊かに人に与へてゐな

かつたので、その決算表として、今世の出發に貧家に

生まれた」と私が推斷したのは、靈魂といふものは、

生まれ変つても、その個性又は性向が大部分繼續する

ものであるからである。

即ち田中角榮氏は總理になつてから、日本が戰後、將

介石政権の中華民國(今は臺灣)に天皇制繼續、戰爭

賠償不問、ソ連の北海道駐屯の拒否、日本兵を捕虜と

せず優遇して日本へ帰國せしめた・・・・・等の寛大

なる恩義を受けながら、中共と國交を結んで臺灣を切

り棄てる方が經濟的利益と感ずると、中華民國から享

けた恩義など平然ととして投げ棄て、中華人民共和國

の指令通りの聲明をして、中華民國の國際的存在も洒

洒裡に抹殺してしまつたその速やかなる「決斷と斷

行」は、前世に餘程、このやうな魂の經濟的鍛錬を

積んで來たものでないと出來難い事なのである。

これは恩を受けた相手に「豊かに與へる」どころか臺

灣からその國の國際的利益を自分の利益のために

「豊かに奪つた」行爲なのである。

このやうな實例は田中角榮先生には氣の毒であるが、

曲淵氏の「社會的上位にある者はすべて過去世に於て

善根を積んだ人か?」といふ問に「否」と答へる

好資料だと考へたので書いたのである。

                  (つづく)


 二十三日の法語 人間の魂の修行の眼目は何であるか


 『生命の實相』靈界篇(携帯版、第九巻)104頁に

は、「靈界における進化は一層速やかなれども一層困

難なのである。それで多くの靈魂は進化が遅くとも

苦痛少なき現世の修行を選んでゐる。

地上の人間に取つては、此の靈界における進化が何より

成立つてゐるかを知ることはできない。

吾ら人間の摑むことのできる唯一つの點は、先ず自己

自身をあらゆる現世的な繋縛、あらゆる知的な興味から

截ち切つてしまふ事である」

 と書かれてゐる。人間の魂の修行は、靈界と現實界

との兩方でいとなまれてゐるのである。併し上記の靈

界からの啓示によつて、おほよそ推察できることは、

現世及び霊界を通じて人間の魂の修行の眼目は

「まず自己自身をあらゆる現世的な繋縛、あらゆ

る”知的な興味”から截ち切つてしまふことにある」

即ち、現世的な物欲、名誉欲、肉體の希望する快樂欲

求に關する執著を截ち切つて自己が眞空となり、その

眞空の中に~の御心を置き換へて、~の御心のまにまに

生活する事であるのである。

                  (つづく)


二十四日の法語 無我眞空になる時生命の大樹は伸びる


 人間の我の欲求を全的に放棄し了つて眞空になり切

つた時、”~の心”が自分の中に入れ換はるのである。

その時、その人は最も”謙虛な心”になるのである。

傲慢にも「わしが、此のわしが・・・・・」と力む人

間的な心の姿勢がなくなるのである。その人はイエス

と共に「われみずからにては何事も爲し得ず、天の父

我に在して御業を成さしめ給ふのである」と言ひ切る

ことが出來るのである。

イエスと雖も、肉體我の執著を棄てる事には非常に惱

まれたのである。それだからイエスが十字架上にて磔

殺された後、魂が天に上るといふ運命が豫見されたと

き、彼はゲッセマネの園に於て「願はくば此の苦き杯

を我より除り去り給へ」と切々と祈つてゐるのである。

その惱みの後、~への無絛件降伏が行なはれてゐるの

である。曰く「されど、わが意(こころ)を成さんと

するには非ず。~意(みこころ)の如く爲さしめ給

へ」であつた。即ち現世的な執著、知的な欲望の一切
を放棄せられて、~に歸一せられたのである。

そこからキリスト教の偉大なる人類救濟の生命の大樹
が伸びて全人類を覆ふことになつたのである。

                  
                  (つづく)


  二十五日の法語 靈魂の進歩の要素としての苦痛の意義


 現世的な宰相になつたり、土地成金に成つたもの

が、必ずしも前世の善根功徳によらないことは既に述

べた通りで明らかになつたと思ふが、有徳の聖者の靈

魂が、今世に於て殊更に社會の上層部よりも、惱み多

き下層部に生れて來て、而もサリドマイド児のやうに

畸形になつて生れて來て、その肉體的苦痛と精~的苦

痛とを耐へ忍びながら生活してゐる如き場合があることを

靈界通信は明らかにしてゐるのである。

 苦痛はそれを耐へ忍ぶことによつてその靈魂が鍛錬

され、内部に宿る力が顕在となつて、その靈魂の進化

が早まるのである。それはよく鍛へられることによつて

立派な日本刀がつくられるのにも似てゐる。

                  
                  (つづく)

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昭和48年「生長乃家」6月25日〜30日  (31171)
日時:2022年10月08日 (土) 10時47分
名前:源流

道産子
2022/09/17 (Sat) 08:29:03
〜2022/09/21 (Wed) 08:27:00



 二十六日の法語 白痴や不具の運命を自ら選ぶ高級靈


 『生命の實相』靈界篇(携帯版、第九巻)135頁に

は次のやうな提題と解答が掲げられてゐる――


 例えばある慈恵院の例を擧げて、そこには「四、五

百人もの幼児がそこに収容されてゐるのであるが、皆

白癡か、片輪者で、三歳乃至十二歳までで死ぬやうな

運命を有つてゐるのである。では、吾等はこれ等の憐

れな幼児を高き進化を遂げた靈魂であると信ずべきであらうか」

これが提題である。

 答へはまさに然りという――「彼らは全て、ほぼ同

じ階級のーー可成り高き階級の靈魂であるのだ。


この世に出生せんとする瞬間、彼らは自分に前途に如

何なる運命が横たはつてゐるかを察知する、が、

彼らは此の苦痛多き運命を甘受する。

時としては自ら進んで此の苦痛な運命を進んで受ける

――それは一層高き進化に尚一層速やかに到達せんと

欲するからなのだ」

 このやうな事が明らかになつて來ると、現在社會で

顯榮な位置に坐してゐる上級階級の人達と、養護施設

などに収容されてゐる片輪や白痴の児童とを、その靈

魂の高下や、前世の善根功徳の大小に關して比較して

みる時、肉體の快樂をほしいままに滿足させてゐる社

會の顯榮階級の人々の靈魂の方が、氣の毒なサリドマ

イド児の靈魂よりも餘程低い未發達の靈魂であり、一

層善根功徳の蓄へやうが足らぬ靈魂のやうであるのである。

                  (つづく)


  二十七日の法語 苦行を通して進化する高級靈


 かうして肢體不自由児として生まれて來てこの世に

數年間しか生きないやうなものの霊魂は、受苦によつ

て一層速かに霊魂の進化を遂げたい高邁な理想を持つ

て、わざと苦痛の生涯を選んで此世に生れて來るもの

だと判るのである。靈的に低級な靈魂が「肉體の快

樂」こそが生き甲斐だと考へて、快樂々々と考へて追

求してゐる如き靈魂とは魂の品等を異にしてゐるのである。

 靈魂の進化を急速に行はうとするときにはそれだけ

苦痛を經験しなければならないのは、現象の事物に

喩へてみると理解しやすいのである。

新幹線でも飛行機でも速度を速めて目的地に一層速や

かに到達することができるやうにするならば、必ず振

動が激しくなり、騒音が甚だしくなり、そのために

住民の苦痛が多くなるのである。

靈魂も進化の速度を早めようとすると、靈魂自身がの

んびりしてゐるよりも、より急速に修行をして内在の

靈光を顕在にしなければならない――そのために高級

靈はみずから進んで苦痛の生涯に突進して行こうとするのである。

                  (つづく)



 二十八日の法語 國を護る激烈なる修行を了へて地上生活を卒業せる高級靈魂達


 靈魂の高度の進化は、物質的な肉體的な現世的なも

のへの執著から離脱して、そのやうな欲望の繋縛――
即ち煩惱から解脱する事によつて得られるのである。

「人その友のために生命を捐つる是より大なる愛はな

し」とイエスは言つたが、その「友のため」というと

ころを「國を護るため」と書き換へることが出來るの
である。

国難来つて海外から攻めて來る時、國を護る兵士は、

敵軍の侵略に曝されれば、非常な苦難に面する國民

(吾らの最も近き友である)を護るために、と同時に

國家理想を護るために「肉體の生への執著心」から解

脱する行爲であるから、「一旦緩急ありて公に奉ず

る」ところの實踐は、靈魂進化が一層急速に行はれる

魂の”霊的修行”なのである。

幾百万の日本兵は大東亞戰爭に於てそのやうな理想の

ために、自分の肉體への執著を離脱して生命を捐てたのであつた。

それは實に彼らの靈魂の急速なる淨化の過程となつた

のであつて特に「特攻隊」の如きは一層激しい靈魂の

修行であつた。彼らはこれらの修行を經て、地球とい

ふ天國の天體に生を享けて爲すべき最高の修行を完了

して、その靈魂は一層高き天體に昇天移行轉生したのである。

尊きかな、稱むべきかな。

                   (つづく)

 二十九日の法語 高度に進化した靈魂の高級天體への移行


 「高度に發達した靈魂は地上から去つて行かなければならない。」


第一次世界戰爭を豫言した高級靈のヴェッテルニは斯

う云つて、フランス民族の大多數が既に高級に發達し

た靈魂であるが故に、この戰爭中の苦痛の修行によつ

て、地上生活を卒業して、地球から去つて行かなければ

ならないと悲しんでゐる場面がある。

併しフランス民族だけに高度に發達した靈魂が多いの

ではない。肉體的執著を斷ち切る修行に於ては、三島

由紀夫氏の自決を見ても、自ら進んで囘天魚雷等に乗

つて愛國の理想のために、從容として死地に赴いた特

攻隊の兵士を見ても、日本民族中には随分、高級に進
化してゐた靈魂群が生れて來てゐたのである。

それが大東亞戰爭中の勇壮なる「煩惱捨離」の荒修行を通して、

地球生活を卒業して昇天したのであつた。

 その後を襲つて他の天體から移動して地球天體に

新入學して來た一團の靈魂群があるのである。

全ての戰後生まれの日本人の靈魂がそのやうな新入學

者とはきまつていないが、可成り多くの戰後出生の靈魂には

この種のものが多いのである。

彼らは地球に移動し來つた以前に住んでゐた他の天體

の風俗、習慣、趣味、ものの考へ方が、地球に幾度も

住み、幾度も生まれて來た種族の魂とは餘程異なるのである。

この新來の靈魂たちは衣服の好みでも、化粧の仕方で

も、嗜好する音樂の種類でも美術の種類でも途方もなく

異なつてゐるのである。

最も異なつてゐる點は、彼らは新入生であるが故に自

分の肉體の、欲望滿足を最高の人間理想の如く考へて

ゐて、「肉體の生命以上に尊い生活のあることを知ら

してやる」といつた如き三島由紀夫氏の靈的自覚にま

で訓練し育て上げるには、尚地球生活に三十囘くらいは

生れ更つて來なければならないのだ。

 吾々(注。諸君の如き)過去、地球生活の先住者とし

て幾世代にわたつて肉體よりも尊い靈的生命の訓練を

受けて來た人間は、これらの新入生靈魂を單なる肉體

的自我の自覺から靈的實相の自覺に迄指導してあげるべき

使命をもつのである。

                  (つづく)




 三十日の法語 人間進化の地上生活一サイクルを完了するには


 最後に高級靈ヴエッテリニの靈示による人間の靈魂

の完全進化卒業までの期間を書いて置く。――


「人間の靈魂が地上の進化の一段階を完了するには普

通四千年乃至六千年を要するのであつて、その期間に

は、四十囘の地上への生更(うまれかはり)とそれに

伴ふ更生前の休養期とが含まれてゐるのである。他の

星の生活から地上へ轉生せる靈魂群の間には互に相關

關係があるのである。白色人種として進化すべく、他

の星より轉生せる人間靈魂群が悉く皆、地上の試煉生

活の一サイクルを修了するには二萬五千六百年を

經過しなければならないことになつてゐる。

現代地上に生を享けてゐる靈魂たちは、一度に全部地

上に生を享けて來たのではない。それは連續の周期波

によつて、幾囘も分かれて地上に移住し來つたのであ

つて、各自はかくして自己の受持つ地上生活の舞臺を

完了しつつあるのである。

フランス民族中には此の最初の頃の地上轉生の周期波

に乗せられて地上に移住せる人間靈魂群が可成り多い

のであつて、これらの靈魂たちは、更に重ねて地上生

活に閲(けみ)する必要が無いのであつて、これらの

古き移住靈魂は今より三百年程の間に完全に霊界人と

しての生活に入り、新しく地上に生れ更り來る靈魂達

を指導する役目をとる事になる。・・・・・」

(詳しくは『生命の實相』靈界篇[愛蔵版第五巻、携帯版九・十巻]參照)

                  (おわり)

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