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タイトル

■日の丸(真正保守)か赤旗(左翼)か!?■

■光明思想・新教連を応援する光明掲示板■

<(新)愛国本流掲示板>


谷口雅春先生の正しき 教えに基づき人類光明化と天皇信仰に基き

「愛国運動」を前進させ、真正保守運動を目指す愛国掲示板

  (新)管理人の独断で、本流支持でないと思われる投稿。あるいは撹乱の投稿であると感じた時、品位に欠ける投稿、悪口中傷の寄稿には削除、アクセス禁止にさせて戴きます。

 

★人類光明化運動<愛国生長の家>とは?★

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粟野真弘先生のブログを観てください。 (12971)
日時:2016年05月12日 (木) 21時25分
名前:飛田給常連

2016年05月10日

名医は近くに

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/47526012.html


母が頭痛を訴えるようになり、「病院へ行く」と言うので近所(徒歩3分)の総合病院へ
ちょうど来ていた姉が車に乗せて連れて行きました。頭部のMRI撮影などで診断の
結果、「異常なし」。

2週間ほどして痛みが毎日続くので「別の病院へ行く」と言う母を、今度は地元で一番
大きな総合病院へ私が連れて行きました。結果は「異常なし」。

痛みは左耳の後ろあたりで、朝がひどく、時間と共に和らぎ、それが毎日と本人の弁。


医者が見つけられないが何か悪いものがあるのでは?などと「病気本来無し」は何処へやら、頼りない息子になりかけました。
気を取り直し、痛みのあるところに按手して、「実相円満完全」と唱えます。

病念を増幅させないために症状を聞くなどの話題は極力避けていますが、祈ることは別でした。

10日に『生命の實相』勉強会があるので輪読箇所を予習していますと、「痛みはその刺激によって病患部の治癒に必要な血液を集中さすために起こる−−」とあり、ああそうだったと納得です。以下に、「自分自身の生きる力が最上の名医」と題する件の言葉の前後のご文章を紹介致します。

(前略)神に導かれて出る熱ならば、熱が出てもそれが却って病気の救いになる。咳が出ても好いし、下痢をしても好いし、患部が痛んでも好いし、そのほかどんな容体が出て来ても恐れることはないのであります。熱は黴菌という「迷い」を消滅さすために超る。

咳は黴菌の死体や不潔物を吐き出すために出る、下痢は今まで全身の細胞を中毒さし弱らしていた毒素を瀉出するために起る、痛みはその刺激によって病患部の治癒に必要な血液を集中さすために起る−−こういうふうにい今まで、病気の徴候だと思って怖じ恐れていたものが、実は病気の徴候ではなく、隠れていた病気の原因を一旦形にあらわして外に浮び上らせた上で、さらにそれを消滅さすための徴候だということが判って来る。

こうなると、熱は結構、咳は結構、下痢は結構、疹痛は結構−−そのたびごとに自分は一層いままでよりも健康になりつつあるということが判って来るのであります

−−すると熱があっても熱きましは要らないし、咳が出ても咳止めは要らないし、下痢があっても下痢止めは要らないし、そのほかどんな薬も要らない

−−自分自身の「生きる力」こそ、自分にとって一等の名医であることを信じて、その施術に委せ切りますから、自分自身の「生きる力」も自分に信頼して委された以上は責任をもって是非自分自身で治さねばならぬということになり、

たとい熱が高まっても、脳膜炎を起すほどにはならず、脈拍が速くなっても心臓を麻痺さすほどには速くならず、結局薬を用いたときよりも、自然療能という名医が、病気に応じて如何なる他の療法よりも、迅速に適宜の処置をとってくれるのであります。


  (新編『生命の實相』第4巻56〜57頁、
頭注版第2巻87〜88頁) .


名医≠ニ薬の関係 (16393)
日時:2017年02月08日 (水) 08時44分
名前:源流

2016年05月13日
名医≠ニ薬の関係


10日は定例の『生命の實相』勉強会でした。
頭注版第2巻(新編では第4巻にあたる)の輪読。

前回(4月)はこんなことで盛り上がりました。
生長の家は薬の服用を否定しませんし、服むならばこんな心がけでという
言葉として、『生長の家の食事の神示』にある、「若し病人にして医薬を服用
する者あらんにはそれを四口に分けて飲み、この同じ想念をなして飲めば
病必ず速に癒えるのである。」が話題になりました。


ところが今回輪読したところには、薬を服むと人間が持つ自然療能(自然治
癒力)が低下してしまうと詳しく解説されていました。
参加者からは、ちょっと嘆息も。

以下に、その件の一部を紹介致します。


 ところが、内部の「生きる力」すなわち自然療能博士にその処置をまかさな
いで、外から呼んで来た医学博士の投薬を行ないますと、自然療能博士の
内的投薬が、突然の外部的干渉で攪乱されるのであります。自然療能博士
は内部にいるので、その患者が、外部の医学博士に頼る気を起こした瞬間
に、もうそれを直ちに知っています。彼はこの患者に二心ある乙とを知って、
もう自然療能の手を幾分加減し手控えして、外部から何が這入って来るかと
身構えをするのであります。その時次のことが起こります。
(続いて、三点の説明ですが、長文のため省略し、筆者の要約文掲載)

(1) 自然療能は、薬物に随伴する毒作用を消す為に力を注がねばならない。
(2) 自然療能は、外からの薬物に効き目を確認すると頼り始め、習慣になっ
 てしまう。
(3) 熱が必要な時に、薬剤で熱が下げられるので一層熱を上げようとするの
 で高熱が続いてしまう。


 結局、外から来る薬は、たといそれが病気を治す力のあるようなものであっ
ても、自然療能の半分の力を他に割くか、それを怠けさすか、攪き乱すか、
その調子をとれなくするかすることになり、結局最初より「自然の生かす力」に
頼り切った人ほどには速やかに好結果をもたらすことはできないのであります。
     (新編『生命の實相』第4巻58〜60頁、頭注版第2巻88〜90頁)

自分の神性仏性を信じて、薬に頼らず、自分の内なる名医を信頼するのが、
最もよいことがわかりました。
現実は人によって様々な段階を努力中ですが。自分を含めて。感謝合掌。

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/47546920.html
ミナ

先祖供養祭 (17155)
日時:2017年04月10日 (月) 13時57分
名前:源流

2016年06月29日
先祖供養祭に行きました

旭川の先祖供養祭に行きました。祭司を担当し、終了後参列された
14名の信徒の方々と座談会。
発表をメモしましたのでご紹介します(12名分)。


@真理勉強会を月1回開催しています。学ぶ会の活気在る雰囲気が
好きです。『生命の實相』の教えを日々の生活に生かしています。
先祖供養の意味が今までよく分かっていなかったとわかりました。
これから実践して行きます。日常生活での閃き≠ヘ守護霊のお陰
とわかりました。


A参列出来感謝です。父の導きで19歳で入信。結婚後は婚家の先
祖供養を毎日実践し、主人に喜ばれました。4人の子は皆無痛安産。
生長の家のみ教えの素晴らしさ実感しています。
今、『古事記神話入門』(光明思想社)を読んでいます。


Bあまり熱心でない信徒です。「神の子、神の子」と言われ育ちました。
運がよい人生です。今日は孫の運動会のために仕事を休みましたら、
先祖供養祭の日になり、雨で運動会は延期で万事好都合。
自転車での通勤しペダルを踏みながら真理の言葉を唱えています。


C朝晩の祈りは欠かしていないが先祖供養はしていませんでした。


D毎月の真理勉強会が参加する方々の家庭でみ教えを実践に役立っ
ていると思います。他人の家の先祖供養に口を出すことは出来ません
ので、先祖供養祭があるとご本人が実感し納得するので大切と思います。


E先祖供養は3年位前から続けています。フッと幸せを感じて供養が
いかに大切かを思います。


F20歳から生長の家です。谷口雅春先生のみ教えが大切です。


G小さい頃から練成会に参加して生長の家のみ教えを信じてきましたが
家で先祖供養をする習慣はありませんでした。今年の1月に母が亡くなり、
日々先祖供養を欠かさなかった母を想い、今月の17日から毎日『甘露の
法雨』を読誦して先祖供養をしています。
月に一度霊牌を書くことで感謝の気持ちがわきあがります。


H毎朝先祖供養をしています。今日は父の祥月命日です。


Iこの数日間、先祖を調べていました。墓地に行き墓誌を確認し、家にあ
る古い資料も探しました。自分のルーツを探すような気分です。「養子」と
いう記録が何度も見つけました。その結果自分が今ここにいるのだと気づ
きました。


J16歳の時病気で寝たきりになり貧しくて医者にも行けなかったが父が
生長の家の聖経を読み続け治してくれました。自分で実践することなく月日
が流れました。夫は70歳の時にリンパ癌になりました。夫は家にあった『あ
なたは自分で治せる』を、自宅でも入院中でも読み続けました。「練成会に
行きたい」と言い出したので姉夫婦と4人で宇治の練成会に参加。個人指導
で抗がん剤は止めた方がよいとの助言があり、夫は自ら止めました。癌が
消え、以後15年生きて、「人間は生き通し」の真理を自覚し昇天しました。


K夜だけの聖経供養だったので朝も実践します。白鳩会の支部長は今期で
退任します。



『人生は心で支配せよ』に「何故に人は死ぬるか」と題するお言葉があり、
人間は興味と、熱心と、情熱と、創造せんとする本能を有っている限りは、この
世に必要な人間なので、「黄泉へ追いやられる筈がない」と示されています。

ご先祖のお守りをいただき、使命に邁進したいと想います。
逆に、破壊すること、否定することにしかエネルギーを注げない人は、朽ちて行く
という意味でもあるわけです。


 何故に人は死ぬるか

  男女の別(わか)ちなく人間が「黄泉の客(よみじのひと)」となって逝く理由は、
 表現せんとする心的内容が消耗し、創造せんとする欲望がなくなってしまった
 からである。

 吾々が、興味と、熱心と、情熱と、創造せんとする本能を有っている
 限りは、吾々は世界にとって必要なる何物かを備えているのである。世界にとっ
 て吾々が必要なる限り人間は黄泉へ追いやられる筈がないのである。

 年齢は 歳月によるのではない。老いて行くと云う感じによって刻まれるからである。
 常に若くいるためには、創造的に活動せんと欲する欲望を吾々は感じねばならない。
                                (同書147頁)

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2016-06.html

ムナ

占領憲法 (17253)
日時:2017年04月24日 (月) 14時38分
名前:源流

2016年07月23日
米国の目的、占領憲法


アメリカの戦略は、中国大陸における経済的な支配でした。
そのためには、日本が邪魔です。

ロシアの脅威から自らを守る為に日露戦争を戦い、その結果獲得した満州
などの中国大陸に関わる権益を日本に棄てさせたい。
そして代わりにアメリカが同大陸に進出し権益獲得競争で優位に立ちたい。
日本はアメリカ発展の障害でありました。

日本を排除するには海軍力で勝る日本、日英同盟で優位に立つ日本を窮地
に追い込む作戦が必要です。
@九ヶ国条約(1922年ワシントン)とロンドン海軍軍縮条約(1930年)で
 日本の海軍 力を対英米比で弱体化させる。日英同盟を破棄させる。
A日本を開戦におびき出し、軍事力を壊滅させる。

これにより、アメリカのもくろみが計画通りに進んで、日本は占領されます。
アメリカの邪魔にならない国にするために憲法を押し付けました(占領憲法)。
日本弱体化という当初の目的通りです。

しかし、アメリカの戦争目的設定が間違い(迷い)であったことは
共産主義勢力の勃興拡大によりアメリカ自身が思い知ることになります。

あらためて「恐れたる処のものは皆来る」と題する谷口雅春先生をご紹介します。

  ルーズベルトは「此世で恐るべきものは唯恐れると云うことだ」と云う真理を生涯
 のモットーとして終に大統領にまでなることが出来たのでありますが、彼の生涯の
 不覚は、「此の世で恐るべきものは日本の膨張だ」と思ったことでした。

 彼はアメリカが最も深い愛情をもって手をつなぐべき友邦が、日本であることを
 知らず、日本の膨張に嫉妬心を感じ、事毎に日本の膨張を妨げようとしたこと
 でした。

 それが太平洋戦争となって爆発し、多くの日本人と多くのアメリカ人とを
 恐るべき戦禍の中に投じることになったのです。

 心の法則で言うならば、旧約聖書の「ヨブ記」においてヨブの言ったように、
 「吾が恐れたること、すべて我れに襲いかかれり」であります。

 人生を支配するには恐怖心を起してはなりません。

 すべて或る事物を恐れる時は、蛇に睨まれた蛙のように
 その恐怖の対象にみずから近づいて行くものなのです。

                    (『新版 真理』第8巻信仰篇263頁)

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/48074949.html

ハロ

「人生花づくし」 (17412)
日時:2017年05月11日 (木) 01時39分
名前:源流

2017年05月05日
人生花づくし

これ、どちらかでご覧なった方、きっとおられることでしょう。
某居酒屋のコースターです。

紙製で持ち帰り自由という感じだったので、言葉につられて
ポケットを経由し、今私の机上に。

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2017-05-05.html


「人生花づくし」

親の教えは きくのはな   人の悪くち くちなしで

頭は垂れて ふじのはな   笑顔あかるく ひまわりで

愛をはぐくむ ばらのはな  心清らか しらゆりで

世は移ろいて あじさいの  月日は早く たちばなで

散り際さやか さくらばな  先は浄土の はすのはな

       〇   〇   〇

(「人生花づくし」のロングバージョン)


親の教えは きくのはな   悪に染まれば くずのはな

人の悪くち くちなしで   愚痴とまやかし なしのはな

頭は垂れて ふじのはな   笑顔あかるく ひまわりで

愛をはぐくむ ばらのはな  心清らか しらゆりで

香りも高き うめのはな   迷いの綱は きりしまで

罪と障りは けしのはな   失意の胸は なでしこで

世は移ろいて あじさいの  翳り背負いて ゆうすげで

月日は早く たちばなで   年もつもれば こけのはな

恍惚きざせば ぼけのはな  露よりもろき あさがおで

行者の照明 つげのはな   散り際さやか さくらばな

先は浄土の はすのはな


(クミ)

講習会はマルキシズム (17454)
日時:2017年05月17日 (水) 12時54分
名前:源流

2017年04月14日
講習会はマルキシズム


昨年までの10年間、秋田教区におりました時に自教区で
3回、隣接教区で4回、河口湖道場時代に4回、講習会を
受講しました。

午後の講話は肉食を減らそう、肉食を減らすと人間が食す
る穀物が増える、穀物が増えると平和になる。
一貫してこの論理です。
物が増えると平和になると。

生長の家のみ教えは、奪う心が与える心に変わると調和
が訪れる、生かし合いの世界が実現する≠ニいうもの。
生長の家のみ教えとは異なる論理が講習会のコア(核心)
になってしまいました。

さきほど、調べものの為、『新版 真理』第7巻を拝読していま
したら、物を作り出すことが基になって学問、政治、芸術、
宗教が出て来る、その考え方がマルキシズム≠ニ。
講習会の講話はまったくコレです。


以下、本文をご紹介します。


  マルクスの考え方は私達の考え方とは逆であります。外
 に何があるかということによって人間は幸福になったり、不
 幸になるとこう言うのでありますから、これは人間が主人公
 ではなく人間が境遇の奴隷ですからこう云う人生の考え方
 を奴隷的人生観と言うのであります。 

  マルクスの考え方によると全て人間の精神というものは、
 生産の分量というものによって変化するところの経済組織
 によって変化を受けてくると云うのであります。

 つまりその
 生産した物を、如何に分配するか誰にどのように所有され
 るかという所有関係によって人間の精神が影響を受けて、
 そこにいろいろの形の政治とか、経済とか、宗教というもの
 がでてくるのであると云うのであります。

 一国の文化と云う
 ものがどんな姿をするかと云うことは、生産というものが、
 如何なる状態におかれているかということによってきまると
 云うのです。

 生産とは物を作りだすことですが、物を作り出
 すことが基になっておって、その作り出される制度が基盤と
 なって、そのうえに、学問も、政治も、芸術も、宗教も出来て
 くるのであるという、そういう物の考え方がマルキシズムで
 あります        (『新版 真理』第7巻236〜237頁)

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/49864103.html

(イオナ)

桃の実三つ (17517)
日時:2017年05月27日 (土) 12時28分
名前:源流

2015年10月03日

桃の実


自宅書斎は西側に面し、椅子に座りますと窓から隣家の庭が見えます。
隣家の住人(70代のご夫妻)より自分の方が眺めている時間が長いかも
しれません。
その庭に桃の木があり、9月の中旬、雨の日でしたがパチリ。


見ているうちに、『古事記』にある桃の実三つ≠フ話しを想い出し、書棚から
『古事記と現代の預言』を取り出して開いてみました。

(前略)

『桃子(もものみ)三箇(みつ)取りて、待ち撃ちたまいしかば、悉に逃げ帰りき』と
いうのであります。どんなにイザナミの軍隊(死神の軍隊)が来ておっても、桃の
實を三つ取って、それを死神に對して投げられたら、死の国の軍隊は、悉く逃げ
てしまったというのであります。

 その桃の實≠ニいうのは一体何であるかといいますと、これは『生命の實相
(せいめいのじつのすがた)』であります。桃の果實は生命の象徴であります。
                                        (同書103頁)

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/45588331.html

(イニゴ)

科学の進歩と原子力について (17572)
日時:2017年06月03日 (土) 08時01分
名前:源流

2015年10月09日
物理学


『新版 真理』にある二つのご文章を紹介致します。


誰が原子の中にこのような強力なエネルギー(原子力)を秘めて置いたのか
其の「本源者」を具体的には誰も知らない。

ただ原子の中には驚くべきエネルギーが貯蔵されていることを知り、
それを人類は引き出す方法の一部を知ったにすぎないのである。

(『新版 真理』10巻40頁)



知識は愛によって導かれなかったら破壊する力となります。
知識は分析してバラバラにしてしまう力であります。

科学的知識の極点は原子力を発見して、原爆水爆、大陸間弾道兵器等の貯蔵となって、
一触即発の世界破壊の危機を孕みだしているのであります。

原子力を平和的に利用し人類の利用厚生の道に使用するのは人類の知識が
愛によって導かれ、愛は自他一体の自覚であるから、自他ともに綜合的に
生かされることに知識が志向せられるとき、知識は単なる分解や分析で
バラバラに破壊することを止め、すべてを生かす智慧となるのです。
                                      (『新版 真理』9巻218〜219頁)

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2015-10-09.html

(イミゴ)

「心と服装との相関作用」 (17650)
日時:2017年06月16日 (金) 07時55分
名前:源流

2015年10月24日
服装と心


「心と服装との相関作用」と題するご文章が、『生命の實相』頭注版第2巻にあり
ますので、抜粋してご紹介します(174〜178頁)。

○「生長の家」は生命の生長にふさわしい服装であれば、どんな服装でもよいの
 であります。

○服装の価値と不価値とはそれが自己の生長または向上に役立つかどうかによ
 ってきまるのであります。

○わたしがここにいおうとするのは服装の持つ印象力を利用して、自己の性格を
 改善し、自信力を増進し、接する人ごとに尊敬の念を起こさしめ、結局、自身の
 境遇と運命とを良化するところの「生長の家」式生活法であります。

○自己の職業または生活に応じて勝利者としての自覚を強める服装でありさえす
 ればよいのであります。

○われらは常に「われ勝利者なり」という自覚を得るの助けとなるような服装をしな
 ければならぬと教えるのであります。なぜなら「われ勝利者なり」という自覚が心
 にあってのみ、はじめてわれらの生長はのびのびと行なわれるからであります。


http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2015-10-24.html

(イシム)

天下無敵となる祈り (17717)
日時:2017年06月29日 (木) 06時06分
名前:源流

2015年10月26日
アメリカの立場


『真理の吟唱』にある「天下無敵となる祈り」(93〜97頁)を想い出し、開いてみました。

宇宙全体が神の自己実現であるのである。
それ故に、宇宙全体に神の生命と愛と智慧とが行き亙っているのである。
それゆえに宇宙にある一切の存在にはすべて神の生命と愛と智慧とが宿っており、
その不思議なる力が脈々として一切のものの内に搏動しているのである。

(中略)

わが内に宿る神の生命と、一切の他者にやどる神の生命とは、
全く同じき神の生命であるのである。

わが内に宿る神の愛と、一切の他者にやどる神の愛とは、
全く同じき神の愛であるのである。

わが内に宿る神の智慧と、一切の他者にやどる神の智慧とは、
全く同じき神の智慧であるのである。

されば仮りに一切の他者≠ニいう語をもってしたけれども、
決して実相において「他者」なるものは存在しないのである。

(中略)

私は、今この自他一体の真理を自覚するがゆえに、
天下にひとりの敵も存在しないことを知るのである。

それゆえに私は天下無敵であるのである。

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2015-10-26.html

(イゴク)

粟野真弘先生もいいけれど、もっと多くの講師を紹介下さい。 (17720)
日時:2017年06月29日 (木) 17時45分
名前:長崎の空

粟野真弘先生もいいけれど、もっと多くの講師を紹介下さい。

生長の家は、雅宣氏の「愚行」で人気も教勢も下がる一方。

しかし、多くの人気講師を輩出してきた。

服部仁郎師。吉田国太郎氏。徳久克己氏。楠本加美野師。

安東師や森田師、藤原敏之師や田中忠雄師。

末井勉師。どうか、もっと多くの先生を紹介して下さい。


服部仁郎師 (17723)
日時:2017年06月30日 (金) 08時21分
名前:源流

「昭和初期に社会を驚嘆させた<悟り療法>」
https://blogs.yahoo.co.jp/bunbun19651116/10877895.html

徳島県立近代美術館
宗教者 服部仁郎
期間2007年7月21日(土)〜2007年10月8日(月)
展覧会名称美術の国徳島 1昭和の文展、帝展作家
http://www.art.tokushima-ec.ed.jp/srch/srch_art_detail.php?pno=5&no=5&no2=599


出展作品一覧
http://www.art.tokushima-ec.ed.jp/srch/srch_art_result2.php?pno=5&f1=599&f2=5





服部仁郎氏(はっとりにろうし)の肺炎三日で治る
https://blogs.yahoo.co.jp/kagayaki2365/37128093.html?__ysp=5pyN6YOo5LuB6YOO


服部仁郎氏は、なぜ奇蹟と見えることを起こせたのか?
http://ameblo.jp/medakanotamagochan/entry-10685969497.html


『神経の新医学』服部仁郎著・
P.218−226、昭和14年版
http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=415415&mode=res&log=202


服部氏に霊感が来たる
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=23


(イロニ)

「平和を祈るための言葉」と「世界平和の祈り」 (17813)
日時:2017年07月13日 (木) 09時46分
名前:源流

2015年10月28日
中国とアメリカ

「心の法則≠ニ平和への道≠フ神示」には次のように示されてい
ます。(一部抜粋)

 『治にいて乱を忘れず』と云うのが古き人類の道徳であったが、『生長
の家』の生き方は乱にいて治を忘れざる生活である。

 汝ら心して乱を思うこと勿れ、心して病いを思うこと勿れ、乱の真っただ
中にいてすらも、実相の世界の常住平和を思え。汝ら真に実在世界の平
和を思えば、汝の世界にも平和は来るのである。

 ※『神示集』『新版 聖光録』『秘められたる神示』をご参照ください。


<平和を祈るための言葉>


「われは神と一体である。われのみならず全人類は神と一体である。
それゆえに全人類は神に於て完全に平和であり、争いの心はないの
である。
神は全人類の父でありたまい、すべての民族を平和に護りたまうので
ある。或る民族が他の民族の領土を侵さなければ、その民族が幸福
になれないなどと云うことはないのである。この真理をさとるとき、世界
に平和は来るのである。われは全人類にこの真理を放送するのである。
全人類はこの真理の念送を今受信しつつあるのである。
ウラジミール・プーチン氏も習近平氏も馬英九氏もキム・ジョンウン氏も
パク・クネ氏もバラク・オバマ氏も安倍晋三氏も、すべての人類がこの
真理をさとりつつあるのである。神の愛がすべての人類に降りそそがれ、
神の平和が地上にあまねく臨む。すでにみこころは天になるが如く地に
も実現したのである。
今より後、人類に戦いがあることなく、悲しみあることなく、地の万民は天
の父を仰ぎみて讃歎するのである。」
(『新版 生活の智慧365章』205〜206頁参照:各国首脳の名前を現在に
合わせて原文から変更しています)

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2015-10-28.html

・・・

2015年11月02日
日中韓

生長の家創始者・谷口雅春先生が「世界平和の祈り」の継続を強く信徒に呼びかけら
れたのは、この言葉の力が形に現れるという法則に従っていたからです。
先生はこのように述べられています。


『生長の家』『白鳩』『理想世界』等の誌友が極々近所の人同志で小グループを造って
同じ思想と信仰の下に、先ず「世界平和を祈る会」というのを造って、日本全国同じ時
間に祈り合う会を催すのがよいと思う。私の祈る時間は、五時十分から五時四十分ま
で三十分間及び午後八時半より九時までであるから、それに精神の波長を合わすた
めに、そのどちらかの同時刻に、一分間か二分間のうちに集れる距離の生長の家
及び白鳩∞理想世界≠フ誌友が集るようにして、一緒に、一切私事を祈らずに、
世界の平和だけを人類の幸福だけを祈るのがよいのである。(『日本を築くもの』94頁)

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2015-11-02.html



「平和を祈る言葉」を、「世界平和の祈り」と共に実践して
下さる人を増やして行きたい。

(イナク)

軍備は国家の威厳である (17906)
日時:2017年07月24日 (月) 08時14分
名前:源流

2015年11月04日
安保法制は「愛」の実践



日本の周辺には邪な考え(奪う心)を国の政策として持つ国が、残念ながら
あります。
困難に面している時には助けることが「愛」ですが、奪われました。

日本が敗戦で武装解除した後に、北方領土が奪われました。
占領下で武備が無い時に、竹島が占拠されました。
(尖閣はギリギリのところで持ちこたえています)

何の罪もない日本人が大勢拉致(誘拐)され、強制労働はじめ残酷な状態に
おかれています。

現実は、平和を愛する諸国民≠ホかりではありません。

日常生活に警察や消防が必要なように、国家には防衛力としての軍備が必要
です。軍備を有効に運用する為の法律は、正しく整備されなければなりません。


『新版 真理』に次のご文章があります。

<軍備は国家の威厳である>


 「予想する」と云うことは一種の「祈り」である。不幸や災厄や戦争や
 病気を予想することは、それらの不祥事を起るように祈っているのと
 同じことである。「軍備は戦争を予想するから却って戦争を招く」と主
 張する者もあるけれども、「国家の威厳」として軍備をととのえるとき
 「その威厳によって、決っして他国は自国に侵略などしてくるもので
 はない」と云う信念が湧いて来るならば、軍備は決して戦争を予想す
 ることにはならないのである。
 軍備と云うものを、ただ戦うためのものだと考えることは間違いである。
 軍備は女郎蜘蛛や毛虫が毒々しい色をしているために鳥類からの捕
 獲をまぬがれるのと似ている。鳥類が昆虫をとろうと思えば、毒々しい
 色彩などは何ら防禦の実力はないのであるが、それがあるために一種
 の威厳を備えていて、小鳥は此らの蜘蛛や毛虫には近寄ることを敢え
 てしないのである。(『新版 真理』第9巻108〜109頁)


防備を怠らずに整備しておくことは、他国の悪業を未然に防ぐことにもな
ります。
国家が「奪う」ことに手を染めると、悪業を積むことになり、国の運命が傾
きます。
ですから、国家の威厳としての武備・軍備(法律を含む)を整えることは、
他国に対する「愛」ともなります。

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2015-11-04.html

(ニオミ)

朝の時間 (18062)
日時:2017年08月14日 (月) 08時01分
名前:源流

2015年11月07日
あさ≠ェ来た


『生命の實相』頭注版37巻のこのお言葉を想い出しました。

 精神的に進歩したい人は、朝食を廃して、出勤前の二時間を善き読書に費
 やすがよい。
 毎朝二時間の読書の習慣は、その人をかなり向上もさせれば、博学多識に
 もする。
 時間がないという者は、時間を造らない人のことである。時間は、他の多くの
 道具などと同じく、人間によって製造せられるものである。
(同書8頁)



朝の時間は黄金、昼の時間は銀、夜の時間は銅」という諺がありますが、この
 黄金の時間である朝の時間に新聞を読まないでわたしは纏まった本を読んだ
 のであります。そして三十年間読み漁った幾十万の本の中からそのエッセンス
 をわたしは『生命の實相』に凝縮したのです。わたしの『生命の實相』全巻をお
 読みになることは、三十年間かからないと読めない本の精髄をわずか一年くら
 いで知ってしまうことであって、非常に時間の経済であります。

(『生命の實相』第16巻 198頁)

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2015-11-07.html

(フミミ)

食物を霊化するための祈り (18251)
日時:2017年09月08日 (金) 07時58分
名前:源流

2015年11月10日
発泡酒からビールへ

食物を霊化するための祈り


 「神様、毎日美味しいお食事を頂きまして感謝いたします。
あなたの生命と 愛と智慧とのあらわれである此のお食事を頂きまして、
それによって力を得、 あなたの生命と愛と智慧とを毎日一層ゆたかに
発揮することを誓います」と
食前に祈るがよい。
 
 この祈りは、食物を単に物質的な存在だと思わないで、
神の生命と愛と智慧 とのあらわれであるということを自覚せしめるのに
役立つのであって、その自 覚が徹底する程度に従って、
食物が単に肉体の栄養となるだけではなく、魂 の糧となるようになるのである。
 
      (『神と偕に生きる真理365章』262〜263頁)

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2015-11-10.html

(ニゴク)

《悪の存在を否定する祈り》《人類意識の妄念を断ち切る祈り》 (18565)
日時:2017年10月04日 (水) 14時13分
名前:源流

2015年11月15日
テロ対策


《悪の存在を否定する祈り》『真理の吟唱』132頁〜

私は今、”神の子”であるという自分の実相を悟ったのである。
また私はこの世界は”神の国”であるというこの世界の実相を悟ったのである。

もし不完全なありさまが見えるならば、それは単に幻に過ぎないのである。
”不完全”はなく”悪”は本来存在しないのである。

想念は動力であり、善き事を想えば善き事があらわれて来、
悪しき事を想えば悪しき事が現われてくるというのは一応、
心の法則として真理である。

しかし悪しきことがあらわれるのは幻のあらわれる法則に過ぎないのであって、
悪しき事を想えばとて、悪しきことが”真実の存在”としてあらわれてくる
のではないのである。

悪しき事物は本来存在しないのであるから、どこどこまでも、
それは非存在であってあるかの如く見えているに過ぎないのである。

それは映画の画面に、人間が病み且つ死んだようにあらわれて見えようとも、
実際の映画俳優は元気溌剌として生きているのと同じように、

あなたが如何に不健康に見えようとも、
この世界が如何に不完全に見えようとも、
その不健康も、その不完全も、実は存在しないのであって、
元気溌剌たる人間が完全円満な世界に生活しているのである。

悪しき想念は悪しき事を造る力があるなどと考えてはならないのである。
悪しき想念はただ悪しきものを幻にして見せるだけの事である。

その事を「法華経」の如来寿量品の自我偈には、

「衆生劫尽きて、大火に焼かるると見る時も、我が此土は安穏にして
天人常に充満せり・・・・・
我が浄土に毀(やぶ)れざるに、而(しか)も衆は焼け尽きて、
憂怖諸々の苦悩是(か)くの如く悉く充満せりと見る」

というふうに説いているのである。

大火(たいか)に焼かれる悲惨な状態は見えているといえども、
それは「無い」のであり、単なる幻であって、
実相の浄土の安穏な相(すがた)のみが真に実在するのである。

善き想念は実在の世界に根を張っているから積極的な力であるが、
悪しき想念には悪しき事物をつくるような積極的な力は無いのである。
悪しき想念そのものが「無」であり、実在ではないのである。

実在でないところの”悪しき想念”が”実在する悪”をつくることが
できないのは当然のことである。

夢の中に悪しき事を見るといえども、覚めて見れば、その「夢の中の事物」も
なければ、その「夢見ていた心」も存在しないのと同じように、
「悪しき想念」も、「悪しき想念があらわした悪しき事物」も覚めて見れば
存在しないのである。

私は今、すべて「悪しき想念」も、「悪しき事物」もただ、
夢中の夢幻的現象に過ぎないと知るがゆえに、
心、平和であり、調和であり、大安心のもとに生活するのである。

この深き真理を知らしめ給いし神に甚深の感謝をささげ奉る。

ありがとうございます。



・・・



《人類意識の妄念を断ち切る祈り》『続 真理の吟唱』208頁〜

私は神の子である。
神の子であるというのは神によって創造(つく)られたる”被造物”
という意味ではないのである。

神の生命(せいめい)の”自己延長”ということであり、
神の全徳の継承者であるということである。

それゆえに私は、神の全智を身に体(たい)し、
必要なときに必要な善き智慧がわき出て来て、
どんな困難な問題でも快刀乱麻を截つがごとき爽快さで処置して
解決することが出来るのである。

また私は神の全徳の継承者として神の無限愛を自己の内に包蔵し、
すべての人間、すべての生類に大して無限の愛と無限の慈悲とを
実践するのである。

自己に触れるところのすべての人々は、
感電するがように私の無限の慈愛の想念の波を
感受し、たちまち無限の愛深き人となるものである。


また私は神の全徳の継承者として、
神の生命(せいめい)の延長として、
神の最高の自己実現として、
完全健康の生命(せいめい)を有するのである。

それゆえに私は如何なる時にも
病気になることも老衰することもないのである。

若し病気とか老衰とかの現象がわが身にあらわれるならば、
それは自分の生命(せいめい)が病気になっているのでもなく、
自分の生命(せいめい)が老衰しているのでもなく、
人類意識の中にある”病気”の想念又は”老衰”の想念が、
私の脳髄アンテナに感受されて、それがわが身という受像装置に
姿をあらわしているに過ぎないのである。


もし病気や、老衰がわが身という受像装置に姿をあらわして来たとき、
その有様を消し去ろうと想うならば、
自分の心の波長を変化すればよいのである。

即ち「人間は病むべきもの、老いるべきもの」という人類意識に、
今まで波長を合わしていた自分の心の波長を一転して、
神の延長であるところの自分の実相に波長を合わすようにすればよいのである。


妄想を吐き出して自分の心を浄(きよ)めることを懺悔というのである。
病気あり、老衰あり、不幸あり、災厄ありなどということは人間の実相ではなく、
人類意識の妄想であるから、それを浄めるには懺悔すればよいのである。

如何にして懺悔すべきか。
これに対して「観普賢菩薩行法経」は答えていうのである。

「懺悔せんと欲せば端坐して実相を念(おも)え、衆罪(しゅ**)は
霜露(そうろ)の如し、慧日(えにち)能(よ)く消除(しょうじょ)す」と。

それゆえに私は常に怠らず一定時間、端坐して神想観を実修し、
実相世界の普遍なる神の全徳を光明遍照の中に礼拝し想望(そうぼう)し、
神の無限の智慧と愛と生命(せいめい)と供給と歓喜と調和が自己のうちに
常に流れ入りて充ち満てる有様を観ずるのである。

その時、人類意識の中に存する老病死その他一切の悪しき妄想に
同調していた私の想念は消え、人類意識中の妄想はわが存在から
完全に遮断され、完全円満なる実相にのみわが心は同調し、
ここにこの身に新しき天国浄土が実現するのである。

ありがとうございます。

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2015-11-15.html


(フロオ)

<日本民族が直観した世界は一つ= (18881)
日時:2017年10月31日 (火) 09時23分
名前:源流

2016年02月29日
世界は一つ≠ノ


 真理は、すべての神は一≠ナあると同時に多≠ナあり、
多≠フ姿に化身または方便身としてあらわれるけれども本来一≠ナある。

また三十四億(昭和43年当時:筆者註)の人類は、三十四億であると共に
同時に 一つ≠フ神のいのちである。

それが判らなければ、世界の平和をいくら叫んでも、
バラバラに別れて平和は来らない。

それが解るのが日本民族で ある。
今さら解ったのじゃなくて、『古事記』が書かれたその前から、
ずっと悠遠な歴史以前から、日本民族が言い伝えて来たところの
其の天地開闢の物 語を其のまま稗田阿礼が憶えていて、
それを太安万侶が書いたということに なっているのが『古事記』であります。

 その『古事記』に、既に一即多・多即一≠フ真理が
象徴的に書かれているのです。

まことに『古事記』は古代の日本民族が自覚した処の天地創造の原理と
結びの哲学≠ェ書かれているので尊いのであります。

この一即多・多即一≠フ日本的な原理に依らなければどうしても、
世界は一つ≠ノならない。

そこに日本民族がこの地上に生まれた使命がある。

  この実に素晴らしい使命をもった民族の中に生まれた自分を
諸君は祝福し なければなりません。    

       (『古事記と現代の預言』37〜38頁)

         ※『古事記と現代の預言』は絶版図書です。

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2016-02.html

(フロミ)

寿命と霊魂への法供養 (18995)
日時:2017年11月08日 (水) 13時51分
名前:源流

2016年04月04日
寿命と霊魂への法供養

●地上の寿命は予定されているけれども
 私たちの地上の寿命は、だいたい予定されているのである。謂わば地球生活
への出張期間が受胎のときに既に任期何年何ヵ月という風にきめられているの
である。しかし、大抵その任期一ぱいに地上に生活し得る人は少いのである。
大抵の人は、正しい生活法を守らず、正しい健康の法則を守らず、更に地上に
任命された役割を果さず他の人の迷惑になることをかまわず、勝手気儘な不規
則な生活を送っているために、恰も折角、優秀な社員として海外出張を命じてあ
るのに、その任務をつくさないで放埒な生活を送っているために、任期満了にな
らない先に本社へ帰還命令が出て、他へ転出せしめられる社員のように、地球
生活へのあらかじめ定められた出張期間が満了しないうちに霊魂が霊界に召喚
される(肉体の死)人もあるのである。

●短命の者は必ずしも不良霊魂ではない
 それでは長寿しない人間は、みな予定の地上生活出張期間を満了しないうちに
帰還命令の出た不良霊魂かというと、必ずしもそうではないのである。霊界通信
の伝えるところに拠れば、「幼くして死する人間の霊は高級霊である」ということで
ある。幼いどころか、産れると直ぐ死ぬような死産の嬰児の霊は非常に高級霊で
あるというのである。その理由は何故であろうか。地上生活に生まれて来るのは
魂の修練学校に入学して来るようなものであって、幾度も或る生活を卒業しては
生まれ変って上級学校又は特殊の専門学校にも比すべき環境に生まれて来るの
である。そして過去の世代の生まれ変りに於いては学ぶことの出来なかった色々
の、また別なる体験を積んでその魂が修練され進化する。そして凡ゆる方面の専
門学校にも比すべき、諸種の地上生活を営んで、もう凡ゆる科目は卒業して、も
う唯三年間今度生まれた環境で地上生活を送れば地上生活の全科目卒業という
ようなベテランの霊魂になっていると、地上生活三年で−−即ち三歳の幼児にし
て死ぬというようなことになるのである。十歳で死ぬ少年は、今度の地上生活十年
間で全科目卒業というような訳であるから、幼くして死する人の霊魂は高級霊で
あると謂われる所以である。
      (『新版 人生を支配する先祖供養』117〜119頁)


●あなたの「愛する人」はなく亡くなっていない
 あなたの愛する誰か≠ェこの世から去って逝ったからとて神の愛を疑っては
なりません。決してあなたの「愛する人」はなくなったのではありません。人聞の生
命は、神の生命≠ェ宿っているのですから、永遠の存在であり、久遠滅びざる
存在なのです。常に永遠にその人の霊 は生き通してあなたがその人≠
思うときその人の霊≠ヘすでにあなたの側にいるのです。無論、霊界も現実界
と同じく、唯心所現の世界でありますから、その人の心境に従って霊界で、その心
境相応の世界に住んでいることは現世と一向異なりません。それゆえ、霊界の祖
先霊、縁者の霊などの心境の向上のために、真理の言葉(聖経)を読んであ
げることは非常な功徳があることなのであります。だから常に、仏壇または祖霊祭
祀の宝壇の前で聖経『甘露の法雨』を読んであげることは、霊界の諸霊を救済す
るところの非常な功徳ある法施(真理の供養)となるのであります。
                            (『如意自在の生活365章』174頁)


http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2016-04-04.html

(フナイ)

「満中陰と五十日祭について」 (19374)
日時:2017年12月13日 (水) 08時14分
名前:源流

2016年04月18日
ご冥福をお祈りする

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2016-04-18.html


『人生を支配する先祖供養』(谷口雅春著)(11〜12頁)

霊界の待合室は薄暗い世界である。
それは冥界≠ニいう語(ことば)がふさわしいかも知 れない。

そこに肉体を脱出した霊魂は、肉体の病臭や屍臭の移り香≠フ不快臭を
浄化す るために、ある期間滞在せしめられるのである。

それを仏教では「中陰」と称して、まだ霊界のどの位置に
往くべきかが定まらない期間である。

それは大体七週間であり、仏教では四十九日間とせられ、
神道では死の直後より数えて五十日目とせられているのは、
仏教も神道も根本的に一致していることを示しているのである。

四十九日間の中陰の期間を満了すると満中陰≠フ法事があって生前の
懇親者にお供養(満中陰の志)が配られる習慣(しきたり)になっている。

神道では五十日祭≠ニいう祭典が行われて、冥界の薄暗い前室から
解放されて、受持の高級霊の案内によってその霊魂が割当てられた
幽界の位置に伴われて行き、其処で修行することになっているのである。

現実世界も、幽界及び霊界も、いずれも霊魂がその本来の神の子
の実相を研き出すための修行の場≠ナあることに変わりはない。

(272)

粟野真弘先生躍素晴らしいです。 (19390)
日時:2017年12月14日 (木) 23時56分
名前:水仙

粟野真弘先生素晴らしいです。

谷口雅春先生のお弟子といえるのは

全国で、今、何人おられるでしょうか。

応援しています。

こどもの教育 (19636)
日時:2017年12月31日 (日) 20時08分
名前:源流

2016年04月27日

こどもの教育
http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2016-04-27.html

幼少年の教育の目的と方法について、次の様にお説き下さっています。


  されば諸君よ、まず子供に教えよ。彼自身の生命の尊さを。−−人間の生命
 の尊さを−−そこには無限力の神が宿っていることを。展けば無限の力を発し、
 無限の天才をあらわし、彼自身のためのみならず、人類全体の輝きとなるもの
 が彼自身の内にあることを教えよ。彼をして彼が地上に生命を受けて来たのは、
 自分自身のためのみでないこと、人類全体の輝きを増し、人類全体の幸福を増
 すために神が偉大な使命を彼に与えてきたのであることを教えよ。この自覚こそ、
 最初の最も根本的な自覚であって、この自覚が幼児に植えつけられたものは必
 ず横道に外れないで、真に人類の公けな歓びのため何事かを奉仕しようと喜び
 励む人になるのである。

  常に子供を鞭撻して、彼の善さを力説せよ。彼の美点を強調せよ、自分自身の
 もつ長所を自覚せしめよ。ここに子供を教養する極意があるのである。美点を強
 調し、弱点を忘却せしめ、失意に 枉屈する時間を希望に躍進する時間に変化せ
 しめよ。

  彼もし希望に輝き、美点にのみ躍進を続けるならば、弱点に執着し、弱点を考え、
 失敗を悲しんでいる暇はないのである。心を弱点に置かないとき、行いに弱点を
 繰り返す暇がないとき、その弱点を再び繰り返す傾向はうすれてくるのである。
 ここに彼の美点のみが発揮され、長所のみが生長する。最初は彼に接する両親
 や教養係がそれを賞める−−やがては人類全体が、彼の長所を賞揚し、美点を
 讃嘆し、その貢献に拝謝する時が来るであろう。ここにおいて父母たる者の子供を
 教養する最後の目的が達せられたのである。
                       
(『生命の實相』頭注版14巻198〜199頁)

真理に基づく憲法に (19768)
日時:2018年01月09日 (火) 08時53分
名前:源流

2016年05月03日
真理に基づく憲法に

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2016-05-03.html


『続 真理の吟唱』
★神の子≠フ偉大さを自覚する祈り

 神はまことに巨大な宇宙創造の構図をもち給うのである。

単に銀河系宇宙だけを考えて見ても、世界最大の反射望遠鏡をもって
観察するとき、われわれの知っているお日様なる太陽の二十万倍も
巨大なる太陽が、その距離があまりにも遠く遙かなるため、
それが単に一個の星の如く観測されるのだということである。

かくの如き巨大なる太陽が無限数ともいうべき数をもって
展開しているのがこの宇宙である。

しかも此の宇宙は常に膨張して
限りなく尚一層大きくなりつつあるということである。

 神の創造の構図はこのように限りなく巨大でありながら、
しかもその内部の構成は微に入り細を穿ちて到底人智の窺い知ることの
できない複雑精緻をきわめたものなのである。

例せばわれわれ人体の細胞の構造の神秘にして繊細精緻をきわめたる、
その極微なる染色体の中に、人類の過去の歴史数十億年間の記憶を
漏らすことなく記録する装置があって、
その記録を遺伝として子々孫々に伝えているのである。

わたしたちが此処に生きているということは人類の歴史数十億年が
此処に生きているということである。

偉大なるかな人類よ、神の子よ。

 かくの如く極大にして極微なる構想をもちたまいて無限の美しき
アイディアを、宇宙に層一層大きく而も精密に具体化し給いつつある
神が、われわれ人間の父であり、母であり、親様であらせ給うのである。

祝福されたる人類よ、神の子よ。

(中略)

 地球を人間の住む限られたる面積の狭隘なる土地などと考え、
人類が生きるためには人口を調節しなければならぬなどと、弱い、
共食い人種≠ェ人間だなどと考えてはならないのである。

地球は単に拠点であって、この拠点に立って人類が今後益々発展して
神授の無限のアイディアを如何に完全に成就し得るかをわたし達は
興味をもって見詰めているのである。人

類の将来は祝福されたるものであって、
人類は、如何に人口が増加しようとも、その発展と繁栄とが
停止するような微力弱小なる生物ではないのである。

(以下略)
                
  (『続 真理の吟唱』169〜170頁)



『神と偕に生きる真理365章』には、
この憲法の特徴を次のように教えてくださっています。


★利己主義を以て民主主義と詭弁

 だいたい日本国を弱体化するつもりで起草せられた憲法に
本当の民主主義が書かれてある筈はないのである。

民主主義とは相手を弱体化する主義ではないのであって、
相手の生命を尊重し(相手の中には国家の生命をも含む)、
相手を一層完全に生かし相互の向上をはかる主義である。                               
  (同書35頁)


★国民をバラバラに不統一にした占領憲法

 占領によって制定せられた日本国憲法≠ヘ、本来、日本国家が
内部的に分裂して弱体化し、自然的に無力となり、衰弱して連合国に
太刀討ちできない状態に追い込むという目的で起草せられた英文の
原案憲法を日本語に訳してつくられたものであるから、

信仰及び思想の自由≠ニいう美名の下に、国民ひとりひとりが
勝手気儘に反国家的思想をもち、雑然として統一なきバラバラ精神の
寄合い所帯になるように書かれているのである。
                                           
 (同書75頁)

(フナロ)

無限の叡智者 (20017)
日時:2018年01月19日 (金) 17時49分
名前:源流

2016年05月05日
無限の叡智者

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2016-05-05.html



神の愛と叡智の神秘について、
今朝拝読した『続 真理の吟唱』の一節に、感動しました。


(前略)

 すべての生物に共通なる栄養ともいうべき空気を、地球上に普遍的に
創造り給うて、すべての生き物、動物も植物も、空飛ぶ鳥も、水の中に
棲む魚族も一様共通に生かしていられる神の愛と叡智の神秘を考える
とき、

神がどんなに全包容的であり、普遍的叡智であらせられ、
無限の偏らない愛でいらせられるかがわかるのである。

この空気≠ニいう唯一つの存在≠セけを観てすらも、
神の神聖なる、不偏なる妙智力に感嘆し、
わたし達は神を礼拝せずにはいられないのである。

 人聞の呼き出した炭酸瓦斯を吸収して、
人間に必要な酸素にして供給してくれる植物、

その植物が太陽の光熱を受け、光合成化学の作用を起こして、
人間に必要な食物となる含水炭素として米麦その他の穀類を
はじめ、甘味無量、美味無限の野菜として、果実として、

われら人間その他の動物に供給し給う、
その宏大無辺の全包容的な循環経路を考えて見るとき、

地上のあらゆる生物が別々の存在ではなく、広大無辺の構図をもって
設計された一つの無限叡智者≠フ存在をわれわれは認めず
にはいられないのである。

この万物の本源にまします「無限の叡智者」を
わたし達は神≠ニ呼ぶのである。

(同書178〜179頁)
(以下略)

「自分自身の生きる力が最上の名医」 (20279)
日時:2018年02月06日 (火) 17時29分
名前:源流

2016年05月10日
名医は近くに

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2016-05-10.html


神に導かれて出る熱ならば、熱が出てもそれが却って病気の救いになる。

咳が出ても好いし、下痢をしても好いし、患部が痛んでも好いし、
そのほかどんな容体が出て来ても恐れることはないのであります。

熱は黴菌という「迷い」を消滅さすために超る。
咳は黴菌の死体や不潔物を吐き出すために出る、
下痢は今まで全身の細胞を中毒さし弱らしていた毒素を瀉出するために起る、

痛みはその刺激によって病患部の治癒に必要な血液を集中さすために起る−−

こういうふうに今まで、病気の徴候だと思って怖じ恐れていたものが、
実は病気の徴候ではなく、隠れていた病気の原因を一旦形にあらわして
外に浮び上らせた上で、さらにそれを消滅さすための徴候だということが
判って来る。

こうなると、熱は結構、咳は結構、下痢は結構、疹痛は結構−−
そのたびごとに自分は一層いままでよりも健康になりつつあるということが
判って来るのであります−−

すると熱があっても熱きましは要らないし、咳が出ても咳止めは要らないし、
下痢があっても下痢止めは要らないし、そのほかどんな薬も要らない−−

自分自身の「生きる力」こそ、自分にとって一等の名医であることを信じて、
その施術に委せ切りますから、自分自身の「生きる力」も自分に信頼して
委された以上は責任をもって是非自分自身で治さねばならぬということになり、

たとい熱が高まっても、脳膜炎を起すほどにはならず、
脈拍が速くなっても心臓を麻痺さすほどには速くならず、

結局薬を用いたときよりも、自然療能という名医が、病気に応じて
如何なる他の療法よりも、迅速に適宜の処置をとってくれるのであります。

 (新編『生命の實相』第4巻56〜57頁、頭注版第2巻87〜88頁)

名医≠ニ薬の関係 (20285)
日時:2018年02月07日 (水) 08時09分
名前:源流

2016年05月13日
名医≠ニ薬の関係

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2016-05-13.html


 ところが、内部の「生きる力」すなわち自然療能博士にその処置をまかさないで、
外から呼んで来た医学博士の投薬を行ないますと、自然療能博士の
内的投薬が、
突然の外部的干渉で攪乱されるのであります。

自然療能博士は内部にいるので、その患者が、外部の医学博士に頼る
気を起こした瞬間に、もうそれを直ちに知っています。

彼はこの患者に二心あることを知って、もう自然療能の手を幾分加減し
手控えして、外部から何が這入って来るかと身構えをするのであります。

その時次のことが起こります。
(続いて、三点の説明ですが、長文のため省略し、筆者の要約文掲載)

(1) 自然療能は、薬物に随伴する毒作用を消す為に力を注がねばならない。
(2) 自然療能は、外からの薬物に効き目を確認すると頼り始め、習慣になっ
 てしまう。
(3) 熱が必要な時に、薬剤で熱が下げられるので一層熱を上げようとするの
 で高熱が続いてしまう。


 結局、外から来る薬は、たといそれが病気を治す力のあるような
ものであっても、自然療能の半分の力を他に割くか、それを怠けさすか、
攪き乱すか、その調子をとれなくするかすることになり、

結局最初より「自然の生かす力」に頼り切った人ほどには
速やかに好結果をもたらすことはできないのであります。

 (新編『生命の實相』第4巻58〜60頁、頭注版第2巻88〜90頁)

艱難から逃げない (20366)
日時:2018年02月12日 (月) 13時25分
名前:源流

2016年05月31日
艱難から逃げない

「魂が地上に生を受けて高きに達する祈り」の後半部分です。

 色々の艱難を敵≠セと思い、障害≠セと思って、それを
憎んだり、それから逃げ出そうと思ってはならないのである。

艱難を敵だと思えば、艱難は害する敵≠フ如くあらわれ自
己を時としては傷つけるが、艱難は自分の魂を研ぎ鍛えるた
めの学習であると考え、それを素直に受けて、その艱難が自
分に神が何を教えようとしあらわしていられるかを知ろうとして
努力するとき、

その時、その艱難の体験は光を放って、自分
自身の魂を祝福する神の愛のあらわれであることを証明する
に至るのである。

人生に於ける色々の障害と見える事物も、
事件も、本来障害≠ナあるものは何一つ神は創造し給うて
はいないのである。すべては祝福と教養の世界である。


 高き魂をもつ高級霊はみずから進んで心身障害児となって
生まれ、普通よりは一層嶮しき苛烈なる体験を経つつ、普通の
安楽生活者よりも急速にその魂を進歩させるのである。

ゆるやかに進む者は遅足の乗り物に乗るように少ない振動しか受け
ないが、急速に走る乗り物は地上の乗り物でも、空中を飛ぶ
飛行機でもその騒音も震動もはげしいのである。

されども、それだけ速やかに魂は目的の高度に達し、
約束の天国浄土に到着することができるのである。

神の子≠ノは何事も何者も本当にあなたを害するものとてはないのである。

この真理を知らしめ給いし神に感謝いたします。

(『続 真理の吟唱』258〜259頁)

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2016-05-31.html


大和(やまと) (20453)
日時:2018年02月21日 (水) 12時59分
名前:源流

2016年06月03日
大和くん


大和(やまと)は人類互に相和する精神

  日本民族は、人類互に相和そうと云う理想をもって、国をはじめた
 のでありまして、「大和(やまと)」の国号がそれを示しているのであ
 ります。これが日本建国の精神なのであります。「形は心をあらわす」
 と云う諺がありますが、日本人の発明した風呂敷を見ればわかります。
 風呂敷はどんな形のものでも、その形を毀さずに一緒に包んでしまう
 ことが出来るのであります。他の国を毀して併呑するのは覇道であっ
 て、日本の皇道ではありません。日本の精神は風呂敷精神であります。
 総ての物を毀すことなく一つに包んで「人類」と兄弟となり一家族となる
 のを建国の理想としているのが日本民族であります。人類が「一つ」で
 あると云うことは感覚で見るだけではわかりません。そのいのちが一つ
 であると云うことを実相を観る心の眼で見ねばわかりません。
 
                   『新版 真理』第3巻232頁)




日本民族の精神を象徴するもの


  日本民族は総てバラバラに分かれているのを一つに綜合するところ
 の天分を持っているのでありまして、日本の国の名前を「大和(やまと)」
 と名づけられたということも、「や」というのは「彌々」と云う字が当てはま
 るので、いよいよ多いという意味であります。「まと」というのは「纏める」
 という意味であります。弓で射る「的」を「まと」というのも、同じことであり
 まして、中心に「纏まって」いる姿を現わしています。いろいろに分かれ
 ていても、その悉くが一つに纏まるべきものであって、決してバラバラの
 ものは存在しない、宇宙は一つである、世界は一つであるというところの
 その人生観が、古代の日本民族を通して現在の日本民族に至るまでず
 っと貫き通しているところの民族的信念とでもいうべきものなのであります。

                  (『新版 真理』第3巻241頁)




日本国家の生命体的把握


  日本人の民族精神の表現である「古事記』には、人間の生れるまでに
 先ず「国」があるのであります。「国わかく浮き油の如くして暗気(くらげ)な
 すただよえるときに生れましし神の御名は……」と書かれております。
  先ず国家の「理念」があって、其の理念が具象化して瓊々杵命(ににぎ
 のみこと)なる姿になって天降ってきて、その理念が沢山人間という細胞を
 うみ出した。それが日本民族であって、その民族が、それを生みだした
 「大和(やまと)」の理念に従って一大団結して建国したところの国が日本
 国(やまとのくに)として実現したのであります。
 (中略)
 それは外から物質的にみますと、「国」という形のものはただの人民の集
 合した組合国家のようでありますけれども、それを内面的に見ますと、バ
 ラバラの単位が勝手に集ったものなら二千六百年も分裂せずにつづく筈
 がない、それは必ずや日本民族なるところの血の流れが天降ってきて、
 ――物質的ならざるところの血の流れと云えば、それは「理念」であります
 が、――その理念が天降ってきて、それが物質的なる血となって、それが
 子孫を生んで、その子孫が繁栄してそこに日本民族ができ、やがて日本
 国家なるものがそこに形成せられたのであります。

               (『新版 真理』第7巻269〜170頁)

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2016-06-03.html

皇室および一家の祖先を礼拝 (20903)
日時:2018年03月25日 (日) 07時33分
名前:源流

2016年06月06日
皇室および一家の祖先を礼拝


以下は『生命の實相』頭注版28巻からの抜粋です。

 皇室および一家の祖先を礼拝せよ

   われらは生命は永遠なるを信じ、毎朝、皇霊を遙拝し奉り、次いで一家の
  祖先の霊魂を祀れる祭壇または仏壇の前に坐してその冥福と守護を祈願し、
  かつ自己の生命も永遠なれば常に若く愉快に青年のごとく生きんことを期す。


  このわれわれの生命が永遠なる存在であるということは、生長の家の真理の
 根本を貫くところのものであります。これがハッキリわからなければ「皇霊を遙
 拝し」ということの意義もわかりません。皇霊を礼拝するということも虚礼ではあ
 りません。いろいろの批判はあるにしても、われわれ日本人は日本国の歴史を
 通して「今」の一点に生きているのです。そしていろいろの日本国の興隆浮沈は
 あったにしても、どんなときにも日本国が動揺せずに、ここまで日本民族が発展
 してきました不倒翁(おきあがりこぼし)の重心のごとくドッシリとして、その中心
 からどんな時にも日本国が立ち直ることができた重心は天皇がましましたから
 であります。われわれは歴代の天皇のこの御恩沢を忘れてはならない。恩を知
 るというととが実践道徳と実践宗教との中心になるのであります。だからわれわ
 れは歴代の皇霊に対して崇敬の誠を捧げるのであります。
      
(頭注版『生命の實相』第28巻65〜66頁)

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2016-06-06.html

日本国の実相と日本国憲法第1条 (21448)
日時:2018年05月11日 (金) 13時34分
名前:源流

2016年06月13日
「第1条」に、根本的な間違い

『私の日本憲法論』16〜17頁)


ところでこの日本国の実相に反するところの条項が現行の日本国憲法の
第一条に書かれているのであります。

  それは「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この
 地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と書かれている箇条でありま
 す。

  天照大神の神勅には「是れ吾が子孫の王たる可き地なり」と書かれており
 まして、主権が天皇に在ると云うことは、はっきり日本国の根本的在り方―
 即ち「日本国の理念」(霊的原型)として其処に定められているのであります。

 ところが現行の日本国憲法に於ては主権は国民に在ると云うことになってい
 るのであります。此処に非常に重大な摺り替えが行われているのであります。

 それは「部分が先か、全体が先か」と云う問題に繋がって来るのでありますが、
 国民と云うのは国家を構成する部分であります。それなのに「主権の存する
 国民」というのは部分に主権が在り、部分が相談をして国家と云う全体を其処
 に造ったのであると云う唯物論的立場に立って日本国憲法は書かれているの
 であります。

  そこに根本的な関連いがあるのであります。

 日本のどんな歴史を見ても、或 いは戦後興って来た新しい歴史家、
 即ち神話を抹殺する歴史家の歴史の本を 読んでみても、日本の建国が、
 国民が相談をして「吾々国民がバラバラにいたら外国から攻めて来た時に
 防ぐのに都合が悪いから、一つ団結して国家を造 りましょう」と、
 国民と云う部分が相談をして日本国を造ったと云う記録は何処
 にも無いのであります。


  日本国なるものは、天照大神の御心の中にその国の原型即ち日本国の理念
 が造られて、その理念の日本国が天降って来て、その理念の投影として具体的
 な部分が集り、其処に理念日本国の影なる現象日本国と云うものが顕れて来て
 いるのであります。

 ですから全体が先でありまして、部分は後から全体の設計に従って集められた
 のであり、これが日本国の存在の根本的在り方なのであります。


http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2016-06-13.html

観世音菩薩を称うる祈り (21645)
日時:2018年05月23日 (水) 08時45分
名前:源流


2016年06月17日
予言者は遠くにあらず


『真理の吟唱』は、「観世音菩薩を称うる祈り」でした。

  この世界は観世音菩薩の妙智力を示現せる世界であるのである。
 観世音菩薩とは単なる一人の菩薩の固有名詞ではないのである。

 それは宇宙に満つる大慈悲であり妙智力であり心の法則≠ナあ
 るのである。観世音とは世の中の一切衆生の心の音を観じ給いて、
 それを得度せんがために、衆生の心相応の姿を顕じたまう「観自在
 の原理」であり、「大慈悲」である。

 三十三身を変じてわれわれを救いたまうとはこの事である。
 心の法則≠ニして、衆生の心に従って、
 その姿をあらわしたまう事その事が大慈悲なのである。

 (中略)

  さらに観世音菩薩は、私たちの周囲の人々の姿となって私たちに
 真理の説法を常になし給うのである。意地悪と見える人の姿も、彼が
 意地悪なのではないのであって、私たち自身の心の何処かに意地
 悪≠ネものがあるのを、観世音菩薩が観じたまうて、それをあらわし
 ていられるのである。だから他を憎んではならないのである。

 (中略)

  観世音菩薩は或いは父となり母となり、或いは良人となり妻となり、
 或いは兄弟姉妹となり小姑ともなり、或いは、社長とも重役ともなり、
 同僚ともなり下役ともなりて、常に何かを語り給う。

 心に耳ある者は聴くべし、心に眼ある者は見るべし。
  予言者は遠くにあらず、山にあらず、街頭にあらず、今ここにあるの
 である。私自身の内にあるのである。自己の想念するところのものが
 外にあらわれ、自己の信ずるところのものが外界にあらわれ、自己の
 語るとところのものが他者にあらわれるのである。想うこと、信ずること、
 語ることが予言となって、やがて実現する時期がくるのである。
 (以下略)
http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2016-06-17.html

 (21646)
日時:2018年05月23日 (水) 10時55分
名前:taiyou

粟野真弘先生

粟野真弘先生が源流さんですか? (21648)
日時:2018年05月23日 (水) 11時05分
名前:太陽



粟野真弘先生が源流さんですか?

太陽 様へ、有難うございます。 (21650)
日時:2018年05月23日 (水) 13時52分
名前:源流

太陽 様へ

ご関心を持っていただき、有難うございます。

私は、粟野真弘先生のファンのひとりです。

粟野真弘先生のご活動と、谷口雅春先生のお言葉を
紹介したいという気持ちで、粟野真弘先生のブログから
その内容を転載いたしております。

合掌

お薦めの聖典 (21973)
日時:2018年06月13日 (水) 08時13分
名前:源流

粟野真弘のblog
2016年06月20日
お薦めの聖典


『生命の實相』全集を繰り返し読むこと、『真理』全11巻を読
むこと、神示講義3冊を読むこと。これをお知らせしようと思
います。(1冊は絶版)

神示講義について、最初の『神ひとに語り給ふ』の「はしがき」
には次のように示されています。

  生長の家の教えは一宗一派の宗教ではなく、萬教共通の
 根本真理を説いているので、「七つの燈臺」すなわち全て世
 を照らす光となるべき宗教共通の根本真理に触れて、神示
 も出ているので、その講義にも佛教教典の解説もあればキ
 リスト教聖書の聖句の解説もあり、色々の宗教が一つの真
 理に貫かれながら、前後左右交互に各宗の教えが入り混っ
 て一つの渾然たる真理の織り模様を成しているのである―
 (以下略)


『生命の實相』と『真理』については、お言葉を3点、紹介いたします。

@『生命の實相』の反復熟読

 それでわたしは、「何よりもまず『生命の實相』をお読みなさい。
再読また再読飽くまで真理に徹してください」こう申すのでありま
す。

八回であれ十回であれ、反復熟読くださいましたならばおのずから
悟るところがあり、その心境に従って病気その他いっさい
の現象的不幸も自然自消することになるのであります。

要するに現象界は遷り変わる波の相(すがた)でありますから、
悟りによって善き波を起こすことが必要なのであります。
             (『生命の實相』頭注版第39巻24頁)

A真理の書物を精読する

 人には時に、自分で好きこのんで憂鬱の感情の中に浸っていた
いような衝動が起ることがある。しかし憂鬱の感情の中へ浸れば
浸るほどその人の生活は不幸となるものである。

そんな時には極力憂鬱の感情から脱却するために
『生命の實相』や『眞理』のような光明思想の本を読んで、
自分の心を光明面に転回するがよい。

心に「光明」を描けば、やがて“実際人生”にも光明が具体化する
のである。

 真理の書物は、多読するよりも精読することが肝腎である。文字
の表面を越えてその奥にある深い意味を充分味わって、それを生
活に実践するところに霊(たましい)の向上があるのである。
               (『新版 女性の幸福365章』83頁)

B聖賢の書物を読む

 肉体の健康は、食物の摂生や、煙草や酒の節制からも得られる
が、精神の健康は聖賢の書物を暇ある毎に読むことによって得ら
れるのである。そのために私は好んで、聖書を読み、仏典を読んで、
基督の心、釈迦の心により多く触れることにつとめているのである。

 しかし、これ等の聖典はいずれも意義深遠にして、普通の人には
その真義に到達し得ないために、私は、現代人に一層よく分り易く
書きたいと思って、それをよくよく噛みくだきダイジェストし、
現代人に解りやすくして読者に送っているのである。
 それが此の全集『真理』である。
              (『新版 真理』第2巻基礎篇106頁)

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2016-06-20.html

心と服装との相関作用 (22276)
日時:2018年07月06日 (金) 07時19分
名前:源流

2016年06月21日

谷口雅春先生の「心と服装との相関作用」とのご文章です。


ここでわたしは、「心」と「形」との相関的作用を述べたいと 思います。
ほかの宗教では極端に服装の質素を強要するよう な戒律もありますけれども、
「生長の家」は生命の生長にふさ わしい服装であれば、
どんな服装でも好いのであります。

かならずしも豊かな美しい服装を排斥しないのでありまして、
服装 の価値と不価値とはそれが自己の生長または向上に
役立つかどうかによってきまるのであります。

  (中略)

『生命の實相』全集生活篇にわたしは「鏡をみて幸福の表情をして笑う方法」
を説明してこれによって病気がなおり、運命が開けて来るということを
書いていますが、

それは表情の印象力を応用して自身の心を生き生きとさし、
気分を晴れやかにし、血行をよくし、接する人々を愉快ならしめる
心理学応用の生活法でありますが、

わたしがここにいおうとするのは服装の有つ印象力を利用して、
自己の性格を改善し、自信力を増進し、接する人ごとに尊敬の念を
起さしめ、結局、自身の境遇と運命とを良化するところの
「生長の家」式生活法であります。

  (以下略)

           (新編『生命の實相』第4巻181〜184頁、
               頭注版第2巻174〜176頁)

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2016-06-21.html

感謝の実践〜「神護と神智を受ける祈り」 (22578)
日時:2018年07月19日 (木) 07時09分
名前:源流

2016年06月23日
感謝の実践

「神護と神智を受ける祈り」

(前略)
  ああ神は讃むべきかな、神は感謝すべきかな、
 わが行く道を常に照したまい、わが生活を常に護りたまう。

 神は常に与えたまう。私は常にそれを受けているのである。
 しかし、ただ受け、貯えるだけではせっかくの神の恵みも、
 その完全なる祝福の相をあらわすことはできないのである。

 与えよ、さらば与えられん≠ヘ幸福生活の第一カ条であるのである。
 受けるのみにて与えなければ、パイフの中が閉塞してしまうのと同
 じように、
 神の供給も途中でその流入が停止してしまうのである。

 それゆえに私は常に与えられたる神の恵みを次に渡す。

 第一に神に還元して、私の如く救われる人々の殖えるための献資と
 し、

 第二に災害に遭いたる気の毒な人の少しでも多く救われんがための
 寄付金とするのである。

 神は必ずしも献資の額の多寡をもってわが真心を秤りたまうのでは
 ないのである。貧者の一燈は長者の万燈よりも、その真心において
 すぐれたる献資であることもある。

 しかし私は自分を欺くことはしないのである。
 私は素直に受けるべき祝福は受け、与うべき祝福は吝みなく
 与えるのである。

 私は吝みなく与えるがゆえに、神からの無限供給のパイプは
 閉塞せられず、滔々として新しき供給がゆたかに流れ入ってくる
 のである。

 神様、これらの真理を知らしめ給いましたことを深く感謝いたします。

 (『真理の吟唱』65〜67頁)

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2016-06-23.html

何故に人は死ぬるか (22706)
日時:2018年07月26日 (木) 09時26分
名前:源流

粟野真弘のblog
2016年06月29日
先祖供養祭に行きました


何故に人は死ぬるか


  男女の別(わか)ちなく人間が「黄泉の客(よみじのひと)」となって
逝く理由は、表現せんとする心的内容が消耗し、
創造せんとする欲望がなくなってしまった からである。

吾々が、興味と、熱心と、情熱と、創造せんとする本能を有っている
限りは、吾々は世界にとって必要なる何物かを備えているのである。

世界にとって吾々が必要なる限り人間は黄泉へ追いやられる筈がないのである。

年齢は歳月によるのではない。
老いて行くと云う感じによって刻まれるからである。

常に若くいるためには、創造的に活動せんと欲する欲望を
吾々は感じねばならない。
                                        (『人生は心で支配せよ』147頁)

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2016-06-29.html

神の世嗣を完うする祈り (23038)
日時:2018年08月17日 (金) 09時17分
名前:源流

粟野真弘のblog
2016年07月15日
神の世嗣

「神の世嗣を完うする祈り」

  私は今、ゆるされて神の世嗣となったのであるから、
神の明らかなる智慧は常に神の御蔵より私に流れ入って、

何時、如何になすことが、繁栄の道に叶い、健康の道に叶い、
人類の福祉の道となり、地上天国建設に役立つ道であるかを
明らかに知ることができるのである。

わたしの努力することは必ず実を結び、わたしの計画することは
必ず善き協力者を得て、成就することは明らかなのである。
                           
(『真理の吟唱』119頁)

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2016-07-15.html



新しき天地に生まれる祈り (23351)
日時:2018年09月05日 (水) 20時06分
名前:源流

粟野真弘のblog
2016年07月19日
神の世嗣


「新しき天地に生まれる祈り」


 生れ変りの時が来たのである。
われわれは自分自身が先ず生れ変ることが必要なのである。
自分自身の心が生れ変ることが必要なのである。

 釈尊の説かれたごとく、この世界はことごとく自分の心の展開であるから、
自分の心が生れ変ることは自分の環境が一変し、自分の生活が一変し、
自分の肉体の健康が一変することを意味するのである。

  (中略)

 だから私たちは、人を見るのに、人を悪人だと見て、
それを善導しようなどと思っては、決して相手の人々を教化して
善ならしめることはできないのである。

悪人≠ニ見れば、そしてその人の悪≠心で見つめれば、
悪は一層ハッキりと現象化しきたって収拾がつかなくなるのである。
  
 だから私たちは決して人の悪≠ば、肉眼が見ることがあっても、
心では見ないのである。

そして彼は実相においては善であり、彼の内には釈尊同様に仏性が宿っており、
キリスト同様に神性が宿っているのだと見て、心で合掌し礼拝するのである。

私たちは自分自身が自分の心で善のみを見ることができるようになったとき、
環境も運命もただ善≠フみの展開としてよくなるよりほかはないと知るのである。
  (以下略)
                                      (『真理の吟唱』138〜139頁)


大道無門・自在無磯の祈り (23692)
日時:2018年10月02日 (火) 07時10分
名前:源流

粟野真弘のblog
2016年07月21日


大道無門・自在無磯の祈り

   私は神の子≠ナあるのである。神はわが父であり母であり給う。
  神は我れを愛し給い、われは神を愛するのである。われは神を愛す
  るがゆえに、神の示し給うところの道≠素直に愛するのである。
  道を愛するとは道に順うことである。

   神は宇宙に満ちたまえる遍満の霊である。神は宇宙にミチてい給う
  ので、神を道≠ニもいうのである。大道ともいい、惟神の道ともいう。

   宇宙に満ちていますところの道は、決して褊狭な道ではないのである。
  窮屈に人間を縛ってしまうような道ではないのである。四通八達自由自
  在の道である。それゆえにこれを大道ともいうのである。

   神は大道であって私たちを縛るところの窮屈なる道ではないのである。
  人に応じ、時に応じ、場所に応じて、最も適切なるところに通ずる道
  である。この道≠ノ載るとき、私たちは、如何なる場合にも行き詰まる
  ということはないのである。行き詰まるような道は大道≠ナはないので
  ある。人間の“我”の心で造った道であるから途中で行き詰まることになる
  のである。
  (中略)

    自我を放棄し、自我を超越し、迷いの積乱雲上に超出する道は如何に
   すべきであろうか。
    祈るがよいのである。自我の観念を棄て去り、ひたすら神と一体ならん
   ことを期し、神想観し、
   「われ今、わが好悪を棄て、私心を去り、我≠フ判断を棄て、心を空し
   うして神の導きたまう叡智と一体ならんことを期す。神の叡智われに流れ
   入り給いて、いま御意の如く導きたまうのである」と念じて、
   しばらく無我無心のまま神と融合する心境でいるのがよいのである。

    そのとき自然にわが心のうちに思い浮ぶことがあれば、素直にそれに
   従って実行するがよいのである。毎朝、神想観をするとき、膝の前に手帳
   と鉛筆とをおいて、心に閃き来ることがあらば、直ぐ書き留め置き、直ちに
   実行に移し得るものは直ちに実行に移すがよい。無我従順のところに神が
   あらわれるのである。

    また就寝前、神想観して、「神は自分が眠っているうちに我れに必要なこ
   とを教え給いそれが目覚めた時にあらわれる。」と念じて、神に全托して眠
   るがよい。その時枕頭に手帳と鉛筆とを用意して置き、夜間または朝の目
   覚めの直後思い浮んだことを書き留めて置いて実行するがよい。神よ、こ
   の道を示し給うた事に感謝いたします。わたしはそれを実行いたします。
                      (『真理の吟唱』141〜145頁)

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2016-07-21.html

「恐れたる処のものは皆来る」 (24577)
日時:2018年11月30日 (金) 08時21分
名前:源流

粟野真弘のblog
2016年07月23日


「恐れたる処のものは皆来る」と題する谷口雅春先生をご紹介します。

  ルーズベルトは「此世で恐るべきものは唯恐れると云うことだ」
と云う真理を生涯 のモットーとして終に大統領にまでなることが
出来たのでありますが、

彼の生涯の 不覚は、「此の世で恐るべきものは日本の膨張だ」
と思ったことでした。

彼はアメリカが最も深い愛情をもって手をつなぐべき友邦が、
日本であることを知らず、日本 の膨張に嫉妬心を感じ、
事毎に日本の膨張を妨げようとしたことでした。

それが太平洋戦争となって爆発し、多くの日本人と多くのアメリカ人とを
恐るべき戦禍の中に投じることになったのです。

心の法則で言うならば、旧約聖書の「ヨブ記」においてヨブの言ったように、
「吾が恐れたること、すべて我れに襲いかかれり」であります。

 人生を支配するには恐怖心を起してはなりません。
すべて或る事物を恐れる時は、蛇に睨まれた蛙のように
その恐怖の対象にみずから近づいて行くものなのです。
                           
(『新版 真理』第8巻信仰篇263頁)

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/48074949.html


愛の絶対価値を高揚する祈り (24971)
日時:2018年12月31日 (月) 11時40分
名前:源流

粟野真弘のblog
2016年08月01日



愛の絶対価値を高揚する祈り

  (前略)

  日本国民が国家を愛して国家を護るために戦った。
その戦い≠ニいう 行為は、対手があり相対的なものであるから、
立場立場の異なる人々によってその価値・不価値を色々に評価されるけれども、
そのその戦い≠ニいう相対的行為の奥にあるところの
日本国民が天皇を愛し大日本帝国を愛したというその純忠なる
愛≠フ価値は相対的比較を絶した絶対なるものであるから、
肉体という相対的存在が滅びても、永遠にその愛≠フ価値が滅びる
ことはないのである。

純粋の愛は、絶対者に属し、絶対界より出でたるものであるが故に、
それは永遠の価値をもっていて滅びることはないのである。             (『続真理の吟唱』109〜110頁)


http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2016-08-01.html


日本(日本人)が大東亜戦争で果たした役割は菩薩の衆生救済≠ナある (25169)
日時:2019年01月21日 (月) 08時49分
名前:源流

粟野真弘のblog
2016年08月02日


「我心憍慢の者には、爲に大カ士と現じ、
諸々の貢高を消伏して、無上道に住せしむ。」


  菩薩は必ずしも柔和なだけではないのであります。
「右の頬を打つ者あらば左の頬をもめぐらせて之に打たせよ」といふ
無抵抗主義が效を奏することもありますけれども、必ずしもさうは行かない。

戰爭放棄、無抵抗主義が好いとともありますけれども、それも時と場合、
相手の人や國に應じて施策をめぐらして行くのが「實相」把握の
菩薩の勝方便なのであります。

「観普賢菩薩行法経」には、「無量の勝方便は實相を思ふより得られる」
と示されてゐるのでありまして、實相を把握したときには、
人・時・處に三相應して自由自在の働きが出来るのであります。

だから無抵抗ばかりが菩薩の勝れたる方便ではないのであります。
時として、大力士の姿を現じて、ガチンとその高慢の鼻をくぢいてやる事も
必要なのであります。

これが「心憍慢の者には、爲に大力士と現じ、諸々の貢高を消伏して、
無上道に住せしむ」であります。
無上道といふのは此の上ないサトリの道であります。

嘗て、白色人種が有色人種を馬鹿にして、東亞の諸國は殆ど悉く
その植民地化か屬領化してゐた頃、日本が蹶起してガチンと
白色人種の厖大な軍備の國に對して一擊をくらはしたのであります。

 その爲に日本は軍國主義者だと言はれ、戰場には附隨し勝ちな
暴虐事件などもあって、日本は世界から色々の批難を受け、
自國もまた一時占領されるなどの「劍をとるものは劍にて滅びる」の
心の法則を實演するに到ったのであります。

 しかしながら、かくの如き「菩薩日本」の十字架によって、
東亞の有色人種はどうなったかといひますと、

「人類は皮膚の色彩によって、その天賦の本質に高下があるのではない。
みんな『~の子』」叉は『佛子』として平等の權をもってゐるのだ」
 といふ無上のサトリ(無上道〉を得るに近づいて來、
東亞の民族獨立の機運を醸成されたのであります。

東亞民族が殆どすべて獨立して自主性を恢復しつつあるのは日本の
おかげなのであります。

だから菩薩道は無抵抗主議ばかりではいけないし、
また軍國主義ばかりでもいけません。

なぐる時にはなぐらなければならないし、
お辭儀する時には正直にお辭儀をしなければならない。
さうかと言って、いつまでもお辭儀をつづけてゐる必要もない。

菩薩は自由自在に千變萬化して衆生を救濟するのであります。

              (『維摩経解釈』400〜401頁)

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2016-08-02.html

聖愛を実現する祈り (25460)
日時:2019年02月13日 (水) 09時13分
名前:源流

粟野真弘のblog
2016年08月05日


『真理の吟唱』の一節です。

  聖愛を実現する祈り

 すべての人間は、ことごとく神の子≠ネのである。
それゆえに、全ての人間は私は、私たちにとってみんな兄弟姉妹なのである。

私たちがすべての人間に対して愛情を感じることは、~から与えられた
最大の精神的資産であると言わなければならないのである。

 この最大の精神的資産を行使しないで、ただ眠らせているということは、
まことに愚かなことだと言わなければならないのである。
 
 それゆえに私たちは、この愛≠ニいう精神的資産をゆたかに行使するのである。
単に自分の家族に行使するだけではなく、
また単に人類のうちの親しい人たちだけに行使するのではなく、
すべての人に、そしてすべての処で、またすべての時に、
この愛 の資産を行使するのである。


 愛≠ヘ美しき花びらのごとく人生を飾るのである。私はすべての人に、
すべての時に、あらゆる所において愛≠フ資産を行使する。
それゆえに、私の行くところ常に天国浄土とならざるを得ないのである。
  (以下略)
                                   (『真理の吟唱』169〜170頁)

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2016-08-05.html


天皇の「絶對無」への還歸(げんき) (25617)
日時:2019年02月22日 (金) 07時39分
名前:源流

粟野真弘のblog
2016年08月08日


 (前略)

  『古事記』に『无間勝間之小船(まなしかつまのおぶね)』とあるのは
『日本書紀』には『無目堅間(めなしかつま)』と書かれてあります。

この、彦火火出見尊が無目堅間の小船にお乗りになって龍宮海に
お渡りになったというところに、日本天皇の御天職であるととろの
絶對無への還歸≠ニいうことが象徴されているのであります。

天皇といえども、現象界に肉體をもってお生まれあそばした限り、
肉體的な生理作用もおありになれば、肉體的な五官の欲求もおありになる
のは當然のことであります。

  しかし國家の重要な問題に關して「海邊に立ちて泣き患い給う」ような
問題に面せられますと、絶對無≠フ小船にのって「龍宮海」卽ち
一切を「ウミ出す本源・實相の世界」に渡られまして、
そこから其の問題解決の「無限智」を導き出されるのであります。

 (中略)

  この絶對無≠フ小船に乗るということを、
ここでは「無目堅間の小船に乗せまつりて」というふうに象徴的に
表現されておりますが、具體的にかみくだいて解り易く申しますと、
全然「我」というものも「我慾」というものも「我の所有」というものも
なくなって「無」になり切ってしまう、あの大東亞戦争の終戦の時に
「わたしの體はどうなってもよい、國民を救けたい、できるだけ多勢
國民に生きておって貫いたい」と

 今上陛下(筆者註:昭和天皇)が仰せられたその「天皇の生き方」
そのものの中に示されているのであります。
(『日本を築くもの』〈新選谷口雅春選集14〉参照)

     (『古事記と現代の預言』225〜226頁)

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2016-08-08.html

節約≠ニは、与えること、使うこと (26020)
日時:2019年03月21日 (木) 09時15分
名前:源流

粟野真弘のblog
2016年08月12日


節約することの意味について、谷口雅春先生は次のように説かれています。

 節約≠フ意味

  節約が美徳だというのはものがたらぬ場合に、
それを自分ばかりがあまり使っては、ほかの人がそれを使いたくとも
使えなくなる場合に、自分は使いたいのを我慢して兄弟にその品物を譲る
という意味において尊い愛のあらわれと見ることができたからであります。

つまり節約とは物を使い惜しみをするのが貴いのではなく、
兄弟に譲るという愛の行為として貴いの であります。
          
(新編『生命の實相』第4巻198〜199頁、頭注版第2巻 186頁)



もったいない≠フ意味

  わたくしどもでは、つかわないではもったいないから
できるだけ生かして使えというのであり ます。

与えられていないものまでを無理をして使うのはいけませんが、
与えられているものを生かさない節約は人類の敵であります。

われわれが生命力を出して仕事をした。
その仕事をだれも使ってくれなくてはその努力が生きて来ません。

物を生かして使うということは、
人がそれをつくるために注いでくれた生命を生かすというととになります。

この世は持ちつ持たれつの世のなかでありまずから、
人の注いだ生命を生かすことは自分の生命を生長向上発展さすこと
になるのであります。
           
(新編『生命の實相』第4巻203〜204頁、頭注版第2巻 189頁)

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2016-08-12.html

「金剛不壊の真身を自覚する祈り」 (26474)
日時:2019年04月12日 (金) 06時24分
名前:源流

粟野真弘のblog
2016年09月14日


 (前略)

  われ今、存在の実相を観ずるに、いかなる微生物といえども、存在する一切の
 生物の生命は神よりいでたるものであるから、すべての微生物も生命を有する
 限り神の子であり、いかなるヴィールスも、細菌も、真菌も、原虫も、人間を侵害
 して病気を起さしめることはあり得ないのである。

 それゆえに、人間が微生物に侵されて病気に罹るなどということは
 これまた夢であり、幻であるに過ぎないのである。

 夢よ覚めよ、幻よ覚めよ。覚めて汝が神の子≠ニして永遠に病まざる
 老いざる金剛不壊の真身を有することを自覚せよ

  人間は神の子≠ノして物質にあらず、肉体にあらず、老いて朽ち果つるごと
 き脆弱なる存在ではないのである。人間は仏身であり、金剛身であり、不可壊身
 であり、霊身であり、不老身であり、不死身である。

 (以下略)
         
(『真理の吟唱』285〜286頁)

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2016-09-14.html


世界を一つの家にする使命〜原子力の平和利用〜 (26640)
日時:2019年04月26日 (金) 07時44分
名前:源流

粟野真弘のblog
2016年09月15日


谷口雅春先生の示された原子力の利用に関するご文章が
『限りなく日本を愛す』に掲載されていますのでご紹介します。


 世界を一つの家にする使命〜原子力の平和利用〜


  (前略)これらの占領政策の数々を見るとき、概そ西欧文明の傾向が
「分割して支配する」方向に動いていることを知るのことが出来るのである。

  私はそれを必ずしも悪いと言うのではない。
それは分子、原子、電子と物質を分割して行くことによって
色々の利益を人類にもたらしている――併し、かくて成就されたところの
物質的成果は、若しそれに「大和の精神」が注ぎ込まれることがなけ
れば、
それは争闘のための道具となるに過ぎない。
それは武器や原子爆弾の製造に利用せられ、
人類は破滅の一途をたどるほかはないのである。

  (中略)

  人類も、今や物質文明の頂点近きところまで発達して
原子力を開発したのである。
 この原子力が平和のために使われるか、破壊のために使われるかは、
西欧の陰の文明、物質文明が、東洋の霊の文化によって、
「死」の方向へではなく、「生」の方向へ、
崩壊の方向へではなく、建設の方向へと導かれると否とにかかっているのである。

  釈迦を生み出した印度は、この西欧の分割と破壊に導きつつある文明を
東洋の慈悲の精神をもって和合と建設に導くための有力なる使命を
有するのであるが、

 日本もまた東洋と西欧とのいづれの文明をも等しく吸収して、
これを和合統一して世界 を「一つの家」たらしむべき使命を有するのである。

               (『限りなく日本を愛す』98〜99頁)

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2016-09-15.html


三種の神器 (27449)
日時:2019年07月23日 (火) 07時44分
名前:源流

(1)

「鏡」の意味

(粟野真弘のblog 2019年06月30日)

生長の家創始者、谷口雅春先生は『古事
記』『日本書紀』に示されている三種の神
器の意味する内容をご著書の中でお説き
下さっています。


一つ目は「八咫鏡(やたのかがみ)」です。

一言で云えば
鏡に映る天皇の御姿は「天照大御神」で
ある
ということです。

次のように説かれています。


  天照大御神は宇宙の大神であられま
 すけれども、仮に女神としてあらわれて
 おられますから、鏡をもって御自分の魂
 の象徴として、この鏡を見れば自分の姿
 がわかると仰せられたのであります。

 つまり天皇が鏡に向って御顔をお映しに
 なると天皇御自身のお顔が映るのです
 けれども、天皇御自身の御姿は
 「我(すなわち天照大御神)を見るが如く
 すべし」と仰せられた。

 即ちその鏡を見て映る天皇の御姿は天
 照大御神の御姿即ち「天皇即天照大御神」
 であることを自覚せよという意味が鏡に映
 った姿を見る事「我を見るが如くせよ」と仰
 せられたという事になっているのであります。
 これは非常に重大な事であります。

(『理想世界』昭和39年2月号)

日々、毎朝のお祈りで、天照御大神の御心と
御自らの御心を「まつりあわせる」ということ
が天皇陛下のお務めということです。


※八咫鏡は、御神体として伊勢神宮の内宮
 に奉安(お祀り)されていますが、形代(同
 じお役目の分身=jは皇居の賢所(かし
 こどころ)に奉安されています。


http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/53537590.html



(2)

草薙剣

(粟野真弘のblog 2019年07月04日)

「草薙剣}(くさなぎのつるぎ)は、迷いを祓
い、世界の動揺をおさめる真理の一剣
であると、谷口雅春先生は説かれています。

 「神代の巻」の天地創造の個処(ところ)に、
 天御中主神様が「是(こ)のただよえる国を
 修理(つくり)個成(かためな)せと詔(のりご)
 ちて、天沼矛(あまのぬぼこ)を賜いて」とい
 うことが書かれていますが、このただよえ
 る国≠ニいうのはこれは物質世界であります。

 伊邪那岐の神様、天沼矛――草薙剣を
 もって象徴される、この宇宙の真理はです
 ね、これは曲っている刀ではないのであり
 まして真直(まっすぐ)です。真直で両方に
 刃がついている。それが剣でありまして、
 どちらでも、間違っている方は、敵、味方を
 問わず、迷いの雑草を切り祓って、そして
 本当の天地を貫く真理ならしめる――その
 働きが、この草薙剣であります。


引用は何れも『實相研鑽 2』からです。


http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/53550712.html




(3)

八尺瓊勾玉

(粟野真弘のblog 2019年07月14日)


八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)は、
数多くの国々を一つにまとめるの
 が日本国の使命
であることを示しています。


 天照大御~がその御髪(みかみ)
 にも御鬘(みかずら)にも、おのおの
 八尺勾璁(やさかのまがたま)の五
 百津(いほつ)のみすまるの珠を纏
 (まと)っておられたというのは、
 天照大御~の御天職が表現されて
 いるのであります。

珠(たま)≠ニいうのは靈(たま)
 の象徴であり天照大御~の~靈の
 天職は八尺勾璁のようだというので
 あります。

 八坂と謂うのは、彌榮(いやさか)
 であります。いよいよ榮える≠ニい
 う意味、マガタマと謂うのは眞輝魂
 (まがたま)であり眞に光輝燦然たる
 魂だと謂う意味。

 五百津というのは五百(いほ)つづ
 き卽ち「數多く」ということであります。
 數多くの國々の魂を一つに連珠(れん
 じゅ)のようにつなぎ合わせて
 統(す)める丸める魂≠もっていら
 れるというのが
 『みすまるの珠を纏(ま)き持たして』で
 あります。

 (中略)
 天照大御~の御天職は、世界の國々
 をつぶしてしまって一つの團子のよう
 にまとめるのではなく、それぞれの國
 々の特徴を生かしながら、互いに夫々
 が敵對することなく、各々の美が顯揚
 (けんよう)されるように世界連邦的な
 統一をせられるのが御天職であり、
 それはとりも直さず、日本國の使命な
 のであります。
(『古事記と現代の預言』)

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/53550739.html




古代日本人の直観、『古事記』 (27748)
日時:2019年09月04日 (水) 08時45分
名前:源流

粟野真弘のblog
2016年09月18日


『古事記』は1300年前に完成した書物(歴史書)であることは
知識としては知っています。

しかし、内容については学校で習わないし、そもそも原文が漢文ですので、
大半の現代人には理解不能です。

谷口雅春先生は、古代の日本人が直観で認識した宇宙の実相、存在の根本を
記憶によって(記録ではない)伝承してきて、西暦712年に書物にしたもの
であると
以下のように解説されています。


 『古事記』とはどんなもの


  前章で『古事記』のことについて多少言及したのでありますが
本章では『古事記』の解釋を或る青年會で話した講話の速記に基いて
説いてゆきたいと思ふのであります。

  『古事記』といふりは大體 天武天皇の時に、稗田阿禮といはれる
一人の非常に記憶のいい御婦人が、日本古代から傳承して来たととろの
色々の傳説、物語、歴史といふやうなものをよく憶え居りまして、
それを系統立てて、日本の歴史として纏める様に詔せられましたのを、
その詔に従って編纂されたとろのものであります。

 その稗田阿禮の口述をば、漢字をカナ代りに使って太安萬侶によって、
文章に書かれたのであります。

尤も此處に使ふテキストは假名交りに書かれてをりますけれども、
當時の原文は漢字ばかりで書いてあるのであります。

未だ平假名も片假名も發明されてゐないのでありまして、
漢字ばかりを漢字の讀み方とそれから漢字を發音の代りに使って
混ぜて書いてあったのであります。
             (『限りなく日本を愛す』153〜154頁)

引用の『限りなく日本を愛す』は絶版ではありませんが、
熟読玩味している人は多くないかもしれません。
私も退職を機会に、『古事記と現代の預言』『私の日本憲法論』
と共に現在も勉強中です。

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2016-09-18.html

赦されている (28237)
日時:2019年12月17日 (火) 10時27分
名前:源流

粟野真弘のblog
2019年12月13日

赦されている

「神よ、あなたが私のすべての罪を
赦したもう如く、わたしもあの人の罪
を赦すことを得せしめ給え」

このように祈ることが、他(ひと)を憎
まなく方法の一つであると、『真理』
(第9巻、谷口雅春著)に説かれてい
ます。

自分の過去を振り返り、若気の至り
とは云え、他人に迷惑をかけたり、悲
しい思いをさせたり、傷つけたりと、
最近は頻繁に思い出します。
「赦されて今日まで…」という思いは
強くなります。

一つでも多く赦せるように努力しようと
思うこの頃です。

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/54124143.html

病菌が益菌に変化する (28664)
日時:2020年03月13日 (金) 08時03分
名前:源流

粟野真弘のblog
2020年03月08日


ヴィールスや菌は元々悪くない。

人間の心が調和を欠くところに問題があると
「大調和の神示」に説かれています。

曰く、

  汝が何物かに傷けられたり、
 黴菌や悪靈に冒されたりするのは 
 汝が天地一切のものと和解していない證據であるから
 省みて和解せよ。


み教えの根本が示されたこの神示に明確に説かれています。
※黴菌:ヴィールス、細菌、菌類全般を意味する。


聖典を種々開いて、
ヴィールスや菌について説かれている箇所を拝読していましたら、
お酒の品質が変化した実話が二つ紹介されていました。


一つは岡山の「花房」、
もう一つは、西の宮(灘)の「大関」。


「花房」の例を以下に掲げます。

 特級酒が自然に出来た

  黴菌と云うものが自分の心持ちひとつで変化する
 ということは、酒造り屋さんなら誰でもよく知っていること
 であります。

 岡山に「花房」と云う屋号で醸り酒屋さんがあるのです。
 その醸り酒屋さんは、何んとかして特級酒の資格のある
 美味しい酒を作りたいと思って、

 一所懸命、毎年毎年、人間的に努力しますけれども
 どうしても自分の醸造酒が特級酒にならなかったのです。

 ところが、その人が生長の家の信仰に入ったのです。

 それでもうお酒を特級酒にしょうと云うような人間的野心を
 やめまして、生長の家の教は素晴しいからひとつ人を
 救うために出来るだけ生長の家を普及しよう、

 この真理によって人を救おうと決心して、一所懸命生長の家
 を宣伝して、多くの人たちを真理に導いて救いました。

 するとその年始めて花房吟醸の酒が特級酒になったのであります。
 特級酒になり得たと云うのは、結局このお酒の醸造元たる
 花房さんの心境が「人を救いたい」愛念に満たされて、
 快い心になった。その快い心がうつって、黴菌の性質がかわったのです。

 お酒には、チョッと辛いお酒、甘いお酒、コクのあるお酒、
 コクのないお酒と色々風味の異るお酒がありますけれども、
 どうしてああ云う風味が出て来るかと云うことは、
 まだ科学では分らんのであります。(『真理』別冊186頁〜)

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/54396230.html



怖い情報に浸かっている? (28809)
日時:2020年04月11日 (土) 06時43分
名前:源流

粟野真弘のblog
2020年04月10日


怖い情報に浸かっている?


昨年の札幌における大真理講演会で講演された安東巌先生は、
いくら読んでも聴いてもすぐ真理を
忘れてしまうという悩みの方(ザル
で水をすくうような状態)へ、
真理をすくい取ろうとするから漏れる
(こぼれる)のであって、
真理そのものに浸かってしまうと、
忘れようがない(こぼれない)のです
とユーモアを交えてお話しされました。


今、テレビ、ネット何れも、
コワーイ感染症の情報であふれてい
て、意識(心)の中ではウィルスに浸か
って(感染して)いるようなアブナイ状
態ではないかと、感じます。


浸かるのなら、真理です!!


私は益々、『真理の吟唱』にある
有害なヴィールス・菌は本来無し
を宣言している三つの祈りを、一人
でも多くの方へお伝えします。

お伝えした方からの電話やメール、
手紙で喜びや安堵の声が届いています。

「信徒の友人、生長の家教団に所属
している友人にもお知らせして、共に
実践しています」(札幌市)


「これこそ、生長の家のみ教えだと気
付きました。教化部からはウィルスに
ついて全ての行事を中止するという
だけで祈りなど何の指示もないんで
す」(旭川市)


「先生、私は元気に毎日過ごしていま
す。」(札幌市)


「谷口先生のCDを拝聴しながらお祈
りの言葉を拝読させていただいてい
ます。県外の知人にも知らせます。」
(秋田県)


「金剛不壊眞身観も覚えて一緒に実
修しています。不安な時にお知らせい
ただき有難うございます。」(札幌市)


http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/54510113.html



2020年04月06日

谷口雅春先生の『真理の吟唱』所載
の三つの祈りを称える度に気持ちを
持ち直す日々でした。

@天下無敵となる祈り

A金剛不壊身の祈り

B金剛不壊の眞身を自覚する祈り

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2020-04-06.html



神想観の効き目=H (29085)
日時:2020年05月21日 (木) 08時21分
名前:源流

粟野真弘のblog
2020年05月20日 より


神想観は実相を祈ります。

完全円満、永遠不滅、中心帰一、万物調和こそ
実在(ほんとにアル)するとの祈りです。

しかし日常生活の中では、これは不足あれは嫌い、
この人は悪い人、等々と、現象に現れた種々相に対して、
不足と不満足の思いが飛び交う。

これでは、神想観(プラス)と現象世界の思い(マイナス)とが
足されて(相殺されて)、効果は無くなるのであると、説かれています。

曰く、



  神想観は仮相を超越して「実相」を観る修行であり、
  不平不満足は「実相」を隠して仮相にとらわれる
  業行でありまずから、

  両者はまったく正反対であり、互いに一方の効果を打ち消す
  働きをしていますので、神想観の功徳を完全に得ようとするには、

  日常生活において不平不満足の反対――感謝行を忘れぬように
  することが肝心であります。
            (『生命の實相』頭注版8巻178頁)



という訳で、この観行篇にも別の聖典『詳説 神想観』にも、
「神想観の助業としての感謝行」が説かれています。


その感謝行、「ありがたい」という観念には、二つあり、
その峻別、つまりどちらが大切かをきびしく区別することの
大切さが説かれています。


   道で金を拾うのも病気が治るのも、極楽浄土とやらいう
   しごく結構な場所へ伴れていってもらうのも、
   下座になれば、経済的に救われるというのも、

   それはありがたいには相違ないが、これは宗教的な
   ありがたさではなく、功利的なありがたさ、

   言い換えると外から何物かを与えられるありがたさで
   あって本当に宗教的なありがたさではないのであります。

   そういうありがたさでは
   まだ本当に因縁を超越することにならないのであります。

   なぜなら、それでは外から物が与えられなければ
   ありがたくなくなるからであります。

   宗教的なありがたさというものは、そういうように外から
   何物かを与えられるありがたさというものではないのです。

   外から何物かを与えられてのありがたさを説くのは、
   本当の宗教的ありがたさに導くための方便であって、
   皆さんはいつまでもこの程度に止まっていてはならないのです。

   自分自身が神である、自分自身が仏である――という自覚が
   あるので、自分自身のうちからひとりでに湧いてくる
   ありがたさが宗教的ありがたさなのです。

   「生長の家」の信仰に入ってありがたいというのも、
   ここまで来なければ本当ではないのです。
             (『生命の實相』頭注版8巻182頁)


日々精進です。

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/54641304.html


何物をも掴んではならない (29205)
日時:2020年06月14日 (日) 08時38分
名前:源流

粟野真弘のblog
2020年06月10日 より


『真理』第8巻の一節をご紹介します。


 何物をも掴んではならない

 何物でも自分がつかんだならば、
その掴んだものに自分は縛られることになるのである。

 金を心につかんだならば、金に自分は縛られて自由を失う。
そして金を失うことが恐しいのである。

 名誉を心につかんだならば、名誉に自分は縛られて自由を失う。
そして名誉を失うことが恐しいのである。

 肉体を心につかんだならば、肉体に自分は縛られて自由を失う。
肉体を失うことが恐しくなる。

 すべて恐怖は何物かを掴んでいる時に起るものである。

 大臣が王様を恐れるのは、地位を掴んでいるからである。
地位も名誉も財産も掴んでいなければ、何物をも恐れないで、
王様にでも自由に苦言を呈することが出来るのである。

 自由を得る道は掴まないことにある


 現象界は夢幻のようなものです

  何物をもつかまなくなるためには、「物」と云うものは本来ないこと、
現象界は夢幻のようなものであって本来ないことを心の奥底から
知らなければならないのである。

 それを本当に知れば、無いものを掴むバカバカしさを実行する
必要はないので、何物をも掴まなくなる。
従ってまた恐怖する必要がなくなるのである。

 般若心経に、「色即是空・空即是色」と書いてあって、
「色」(即ち物質)は是れ「空」である。
「空」即に、是が「色」(物質界)とあらわれているのである。

 こう云う意味の真理が書いであって、その次には、
その「空」である「物質」をあると思っている
顚倒夢想(逆まの夢のような儚い想い)を捨ててしまえば
恐怖なしと書いてあるのである。
(同書154〜155頁)

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2020-06-10.html

神想観をお勧めする理由 (29297)
日時:2020年07月13日 (月) 08時19分
名前:源流

粟野真弘のblog
2020年07月08日 より

神想観をお勧めする理由

  本当の人間は『甘露の法雨』に「肉体の
 奥に霊妙きわまりなき存在あり」と書かれ
 ている肉体ならざる人間であります。

 これが「本当の人間」なのであります。
 人間を肉体ではないと観ること、これが
 メタフィ ジカル・ヒーリングの最初の
 根元的基礎自覚になるのであります。

 或る病院の入院患者が『生命の實相』を読
 んでも治らないとて『生命の實相』の真理
 を疑って来た人がありますが、

 其人がその病院を退院せずに自己を肉体人間
 として観、取扱っている限り、その人は
 「生命の實相」たる「無肉体の人間」を自覚
 していないのでありますから、「生命の實相」
 を自覚しても治らぬということは言えないので、

 読むには読んでも自覚が出来ない。真理が
 頭の中で空転しているに過ぎないのであり
 ます。

 真理が単に頭の中で空転しないで生命の自
 覚となるためには、この肉体をば「自分自
 身」と見誤るところの五官の目を瞑じて、

 自分の「生命の實相」の霊妙きわまりなき
 姿を内観した時に、初めて自分が時間空間
 を超えたところの霊的實在であるというこ
 とが分るのであります。

 皆さんに神想観をお勧めするのもそのため
 であります。

(『神癒への道』152〜153頁)

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2020-07-08.html



谷口雅春先生に捧げる六つの誓い (29376)
日時:2020年08月24日 (月) 08時40分
名前:源流

粟野真弘のblog
2020年08月14日 より


谷口雅春先生に捧げる六つの誓い


帯広は30度を超える日が3日続きましたが、
今朝は、早朝行事後の気温が18度。
本州、四国、九州は猛暑真っ只中ですが、北
海道は秋への気配です。

今日拝読の『真理の吟唱』「善き家庭を実現
する祈り」の中ほど、「善のみを語り…」と
のお言葉の時、栗原得二著『谷口雅春先生の
ご日常』の一節を思いました。


まず、『真理の吟唱』の一節です。


  神の国の人々はただ善のみを語り合う。
 他の人の善行をたたえ、他の人の美点を称
 め、善き言葉、賞讃の言葉、励ましの言葉
 などを魂の食物とし、お菜(かず)として
 食するのである。それゆえに、わが家庭の
 人々はつねに魂の栄養を得て魂がすこやか
 に肥え太っているのである。魂がすこやか
 に肥え太っているがゆえに、その映像とし
 ての肉体もすこやかに健全であるのである。
 (同書35頁)


次に、『谷口雅春先生のご日常』より抜粋。

  日時計主義者

  善きことのみを記憶する標本の如きが先
 生の頭脳であるのであります。先生くらい、
 善いことも、悪いことも、見聞なさる人は
 いないと思うのでありますが、その善悪を
 よく選択して、善のみを記憶されていると
 いうことは誠に驚嘆いたすのであります。

  この世は善の世界であります。それは、
 この世を創造し給うたもの――神――が、
 善のみで造られたからであります。神を信
 ずるものよく善を知らなければならないの
 であります。

  このことで次の六つの誓いを常に記憶し、
 それを進んで実行せねばならない義務が吾
 吾にあるのであります。


  六つの誓い

 一、今後必ず自分の眼に封印して他の悪を見まい。

 二、今後必ず自分の耳に封印して他の悪を聴くまい。

 三、今後必ず自分の唇に封印して他の悪を語るまい。

 四、今後必ず自分の眼を開いて他の行の中から善き所のみを見よう。

 五、今後必ず自分の耳を傾けて他の言葉の奥にある善き意味のみを聴こう。

 六、今後自分の唇を開けば必ず人の善を褒めよう。

 (同書165〜166頁)


谷口雅春先生のお側に仕え、先生のご生活に
おけるご実践を目の当たりにされた栗原得二
さんだからこそ書ける先生の「ご日常」なの
だと、思いました。

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2020-08-14.html



霊魂の高さを量る (29474)
日時:2020年09月23日 (水) 08時15分
名前:源流

粟野真弘のblog
2020年09月14日

霊魂の高さを量る?

『生命の實相』霊界篇には、霊魂が進歩向上
したかどうかをどのように判断(判定)出来
るのかについて、画家のコルニリエ氏が霊媒
のレイヌを通じて高級霊のヴェテリニに問答
する場面があります。

今朝拝読して、ナルホドと感心しました。


 地上において霊魂の進化の程度を測定
 する標準はあるのであろうか?
 この世に出生した霊魂の高さを示す徴
 候というものはあるのであろうか――と
 自分はいった。



 ヴェッテリニは答える――「直覚的認識
 ――霊魂による霊魂の認識のほかに、外
 より見える徴証もたくさんある。そのう
 ちの一、二をここにいってみよう――

 第一、雅量である。しかしここにいうと
 ころの雅量は人間霊魂の深き認識より出
 発したる他に対する赦しである。それは
 聴明なる雅量であって寛大と峻厳との必
 要を知るところの雅量である。Bonte-
 severite(寛大なる峻厳)こそ向上せる霊
 魂の特徴として記憶すべき一つである。

 第二、卑しき者、世に出でざる者、弱き
 ものに対する愛――社会的成功、名誉、
 地位等に対する無関心によってともなわ
 るる愛である。

 第三、哲学的思索の傾向、霊界の神秘を
 知らんとする熱望、その神秘に貫き入ろ
 うとする努力――これらは霊魂の進化そ
 のものである。」
(『生命の實相』霊界篇 頭注版第9巻120頁 新編176〜177頁)


第一が雅量(寛大なる峻厳)、

第二が愛、

第三は、霊界の神秘を知らんとする熱望と貫き入らんとする努力。


これら三つの、大きさ深さ強さで量ることが出来ると。

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/55012827.html

「白鳩会」は何のために? (29567)
日時:2020年10月24日 (土) 08時24分
名前:源流

粟野真弘のblog
2020年10月23日

谷口雅春選集の第5巻『をんな生ける意義あり』

同書「はしがき」には、月刊『白鳩』に連載された
「新女性讀本」という原稿2年分をまとめ、新たに
加筆されて出版の運びとなった事が記されています。

また、月刊『白鳩』は、生長の家の婦人組織である
白鳩会の機関誌であることも。

その「白鳩会」の活動の内容は次のように紹介されています。


 『白鳩』誌というのは、女性の正しき生き方の運動である
 白鳩会≠フ運動の機関誌であって、
 既に数十万の会員を擁し日本全国に三千九百の支部を有し、
 雑誌の発行部数だけでも二十万を超え、

 実際運動としては、

 @夫婦を正しき生活に導いて結婚生活の破局を実際に救い、

 A不良児童を優良児に改造し、

 B病弱児を健康児と化し、

 C経済的に逼迫した家庭に立ち直る契機を与え、

 D或はふさわしき両人(ふたり)を幸福な結婚生活に媒介し、

 E或は離婚寸前において家庭を調和に導き、

 F或は無痛分娩を得せしめ、

 G或は十数年子なき婦人に子宝を得せしむるなど
 無数の無数の効果を、その指導によって成し遂げつ
 つあるのである。

 このやうな切実な諸種の問題に悩んでいる婦人は是非とも
 白鳩会の各地支部相談せられんことを希望するのである。

(同書「はしがき」より  昭和36年1月1日初版)



『白鳩』誌による伝道でたくさんの人々の魂が救われ
病気が癒やされ、家庭が光明化したのでしたが、
その活動を担ったのが、「白鳩会」「白鳩会員」でした。

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/55140200.html

日嗣の御子(天皇をお嗣ぎになられる御方) (29685)
日時:2020年11月11日 (水) 10時17分
名前:源流

粟野真弘のblog
2020年11月10日

11月8日に執り行われた皇居における「立皇嗣の礼」。
新型コロナウィルスの感染防止のために参列者を絞っての開催
ということでした。

しかし、その厳かな儀式の意味するものはとても重いなと感銘を受けました。

@午前は三つの“儀式”。

 先ず、宮中三殿にご報告。

 天照大御神(賢所)、
 歴代天皇の御霊(皇霊殿)、
 八神並びに天神地祇(神殿)へ、

 「立皇嗣の礼」を行うことの報告をなされました。

A次に宮殿において、「立皇嗣宣明の儀」。

 天皇陛下のお言葉「皇室典範の定めるところにより文仁親王が
 皇嗣であることを広く内外に宣明します」

 秋篠宮さまのお言葉「皇嗣としての責務に深く思いを致し
 務めを果してまいりたく存じます」

  ※最後の国民の代表たる菅総理のお祝いのことば
  「寿詞」(よごと)は割愛します。

B上記宣明の儀終了後、

 「壺切御剣」(つぼきりぎょけん)が
 皇嗣たる秋篠宮さまに授けられます。

C午後は「朝見の儀」。

 陛下にお会いするお目通りいただく儀式ですが、
 お礼と感謝が目的と思われます。

 秋篠宮さまからお礼のおことばがあり、
 応えて天皇陛下より励ましのおことば。

上記四つの儀式(所作)は、時間にすれば合わせても
1時間に満たないものと拝察されます。

しかし、神々へのお誓い、おことばの重み、
日嗣の御子(皇太子、皇嗣)としての重責を噛み締める時間と空間。
想像を超えた世界です。

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/55192925.html


本当の明智は個人のみから生れて来る (29766)
日時:2020年12月18日 (金) 08時37分
名前:源流

粟野真弘のblog
2020年12月17日

先の見えない時代(状況)の中で、夢や希望を見出し、高く掲げて、
道無き道を先頭に立って進んでくれるリーダーの登場を、

谷口雅春先生は期待されています。



 読者諸君に期待する

最も偉大なる仕事は、群衆によって成就せられるのではない。
群衆を動かす偉大なる一人又は数人によって行われる。

本当の明智は個人のみから生れて来るのであって群衆からは生れない。
 
釈迦も基督もマホメットも老子も孔子も、その素晴しい叡智は
群衆から生れたのではないのであって、
而も最も広範囲に人類に影響を与えたのである。
 
その善悪はいずれにせよ、
ナポレオンもスターリンも毛沢東も独裁者であった。

歴史は群衆が作るかの知く見えているけれども、
群衆はただ天才に動かされて協力するだけである。
 
偉大なる一人は時代を動かし、時代を創造する。
 
この本の読者のうちに一人でも本当に神の叡智を受けて、
新しき天国を地上に創造する先覚者が生れれば幸いである。

 (新装新版『真理』第8巻215〜216頁)



「この本の読者」の「この本」とは、
勿論、谷口雅春先生著『真理』全11巻のことです。

『生命の實相』と並ぶ、
生長の家のバイブル的存在≠ニ、私は思っています。

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/55289221.html


「愛蔵版第一巻に序す」 (29834)
日時:2021年01月06日 (水) 08時47分
名前:源流

粟野真弘のblog
2021年01月05日

愛蔵版『生命の實相』
「愛蔵版第一巻に序す」より、
心に沁みたお言葉を列記致します。


 ながく求められていた本書の愛蔵版が出たことは嬉しい。


 すべての癒す力は自己に宿る「生命」から来るのであり、
 他から来るのではない。


 絶対無条件に従順に神の前にひれ伏してしまうとき病気は治る。


 神の智慧、神の「生命力」神の「癒やす力」以外のものに
 頼ろうとする心は、それは宗教的ではないのである。


 物質的方法や、いかがわしい呪術的施法によって病気が治る
 などの事は、人間の尊厳の自覚を、物質と暗示のまえに
 降伏せしめてしまったことになるのである。


 宗教の目的とするところは、
 やがて死ぬ肉体を一時的のみに癒すということではない。
 「永遠不死の自己」を再発見せしめることであらねばならない。

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/55367602.html

・・・

則天去私(2014年07月26日)『生命の實相』一覧-10
愛蔵版『生命の實相』
http://tecnopla1011.blog.jp/archives/10316366.html


「まつる」と「慰霊」の違いについて (29848)
日時:2021年01月12日 (火) 08時56分
名前:源流

粟野真弘のblog
2021年01月10日


谷口雅春先生は、
本源の神様に祈る(自己が内に宿る神様に祈る)
「祭る(真釣る)」という祈りと、
「慰霊」とを区別して次のようにお説きくださっています。


 「まつる」と「慰霊」の違いについて

 本当の神はその人が実相世界の造り主なる「本当の神」を知り、
 つくられたるままの実相の「本当の自分」を知り、
 「本当の神」と「本当の自分」との間が完全な愛と智慧とによって
 結ばれていることを悟り得た時にのみ、
 「内から」して来る叡智となり、「内から」催して来る慈愛深き
 保護となってあらわれ給うのであります。

 それは実に、的と鉄砲とを正しく覘(ねら)い合わす如く、
 本当の神と、自分の心とを正しく照準するときに自然に
 「内から」差し込んで来る神の叡智であります。

 この光が正しく差し込めばそれが神の導きでありまして現象世界は
 「映し世」であり「影の世界」でありますから、自然に現象世界の
 吾々の一挙手一投足に調和ある状態が現ずる、これを一挙手一投足
 日常生活ことごとくが神に導かれるというのであります。

 この「本当の神」と「自分の心」とを正しく照準する
 ――この事を本当の神を祭る(真釣る)というのでありまして、

 個々の霊界の霊魂たちを慰めるために供え物をしたり、
 またその悟りのために経典を読むのはこれは慰霊でありまし
 て
 また別のことであります。

 慰霊ということは別に意義があるので、生長の家の信徒は
 毎朝の皇室の祖先を遙拝し、また各自の祖霊等の供養も
 怠らないのでありますが、

 本当の唯一真神と自分の心との釣り合いを真直にして、
 神の「叡智」と「生命」と「愛の光」を真直に受ける
 ――この真釣りとは別の事なのであります。
 (新編『生命の實相』第1巻 158〜159頁)


神想観と供養とは別の事であると説かれています。

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/55380782.html

毎日一時間真理の光で心を照らせ (29872)
日時:2021年01月27日 (水) 08時39分
名前:源流

粟野真弘のblog
2021年01月26日


病念を消すには一時間!

五官(眼耳鼻舌身)は、現象世界の様々な情報を捕らえてきます。
その中には病気に関するもの、薬に関するものが少なくありません。

特に今は、新型コロナウィルス感染のニュースが巨大な力で発信発表されていて、
人類全体が病念の中にいるようです。

そこで、自分を(自分の子供を)病念から護る為には、
病念を破摧する真理の言葉(光)を一定時間唱え、読み、書くことが
極めて重要です。


『生命の實相』の一節です。


 毎日一時間真理の光で心を照らせ

 毎日一時間ずつ「真理の光」で自分の心を照らすことにしていれば、
たといその日にふとした機会に、どんな悪性の病気の「心的種子」を
自分の心の底に蒔かれていようとも、病気の種子は枯れてしまって、
現実に芽を吹くことは出来なくなるのであります。

 毎日一時間ずつ「真理の光」で自分の心を照らす
 ーーそれにはどうしたら好いかというと

 『生命の實相』のように生命の真理を書いた本を読むのが
一等よいのであります

(新編『生命の實相』第4巻30頁)


1月3日から新編『生命の實相』全巻拝読を開始しましたが、
わが心から「病念を消す」ことにおいて最高の書です。
毎日30頁くらいずつ拝読しています。

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2021-01-26.html


光明思念の一大霊波を (29886)
日時:2021年02月05日 (金) 08時42分
名前:源流

粟野真弘のblog
2021年02月30日


生長の家が立教されてまだ間もない頃、昭和7年の8月より、
谷口雅春先生は世界の悪想念(戦争、敵対等)を打ち消すためには、
仕事をしながら片手間の執筆や祈りでは間に合わぬと、
会社へのお勤めを辞し、生長の家ひと筋の生活へ入られました。

その時のご覚悟が、次のお言葉です。


 思念の力

 今、世界にみなぎる戦争の想念の波動、相敵対する想念の波動の数は
実に多数に達しているのでありますから、それを打ち消し、
世界の禍乱を出来るだけ少ない惨害にて平和にする為には、
全世界の精神主義者が一致して光明精神の一大霊波を全世界に
放送するために、団結すべき時であると思うのであります。

 昭和七年には私は自分の機関雑誌にこう書いております。

 「私も、在来は会社の片手間で、雑誌を執筆し、神想観を遠隔指導し、
誌友家族の病気治癒等のために祈念し、質問者に親しく返事を書き、
面会者に出来る限り会って来たのでありますが、

聖典『生命の實相』が完成し真理の光が世に出るようになってから、
世界(迷いの)はまさに滅せんとする燈光の一時一層パッと輝くように、
一時『迷い』のケミカライゼーションとして『迷い』の力は一層烈しき
外観を呈し、支那問題を序幕として現実世界は各方面において
異常現象を起して来るのでありますから、

在来のように会社の片手間で執筆し、祈り思念しているようなことでは、
その祈りもおろそかになりますので、

いよいよ私は昭和七年八月から背水の陣を布いて、神示のままに
『生長の家』の仕事ひと筋に生き抜き生き貫くことにしたのであります。

爾来益々時期は迫り、世界は異常の展開を見せんとしつつあります。
 
団結は力ありますから、全世界光明化のこの精神的援軍に何卒一人でも多く
加盟せられんことを希望する次第であります。

この光明思念連盟に御加盟下さる方は連絡を保つために
『生長の家』誌友におなり下さい。」

現在はその当時よりも尚一層、大いな範囲に光明思念の同志を
必要と'する重大時機になっているのであります。
(新編『生命の實相』第6巻 20〜22頁)

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/55455118.html

最初に浮んでくる考えが、大抵正しい判断 (29949)
日時:2021年03月24日 (水) 09時03分
名前:源流

粟野真弘のblog
2021年03月23日


自信を持つということは、実行に移す時にとても大切です。

自信があれば決断でき、気持ちも明るくスタート出来ます。

新編『生命の實相』生活篇には、
「自分の判断に信頼せよ」と、
次のように説かれています。


  自分が決定したることは、神が決定し給うた
 ことであると思え。自分が神の子であることを
 本当に自覚するとき、自分が決定したことは、
 神が必ず実現し給うのだ。かく信ぜよ、かく信
 ずるとき神は無限力をもって吾らのうちに働き
 給う。「吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫
 きて生くる祖神の権能(ちから)」と神想観の
 招神歌にあるとおりだ。

(中略)

  諸君よ、自分の判断に信頼せよ、諸君がもし
 毎日「神想観」の実修を怠らず心が常に神に一
 致しているならば、その時その場合に最初に頭
 に浮んでくる考え――これが大抵最も正しい判
 断なのである。これをわれらは直覚という。

 何事も直覚によって決し得るものは幸いなるか
 な。直覚は、天界からの啓示であって、人間知
 でいろいろに思慮分別するよりも正しき判断が
 湧いて来るのである。あまり利害観念にとらわ
 れてとつおいつの思案に心を奪われているとき
 には、心が地上に向きすぎるから、天界からの
 指導の言葉を受信することが出来ないのだ。
 (同書52〜53頁)

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/55588125.html

一切の良きもの、わが掌中にあり (30066)
日時:2021年05月23日 (日) 07時19分
名前:源流

粟野真弘のblog
2021年05月22日

マスメディアや世間話によって、感染症に対する
恐怖心を雨降らされている今こそ、真理の言葉の
力は日々有り難いです。


朝の『真理の吟唱』です。


  今私は神の子≠スることを徹底的に自覚し
 たのである。神の無限の智慧、無限の愛、無限
 の力わがうちにあり、われ何をか恐れんやであ
 る。

 神のもちたまえる一切の良きものは、同時にわ
 が掌中にあるのであって、受用尽きずである。
 われは神の国にある一切のものを、想念を媒介
 として現実界にもち来すことができるのである。

 神の無限の力はわれを噴出口としてたぎり出い
 で、わが疲れを癒し、新しきエネルギーを補給
 したまい、毎朝ごとに清新の気持をもって仕事
 に立向かうことを得せしめ給うのである。

 (『真理の吟唱』116〜117頁)

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/55766439.html

至福無限を喚(よ)び出(いだ)す祈り (30192)
日時:2021年06月24日 (木) 09時06分
名前:源流

粟野真弘のblog
2021年06月24日


今朝の『真理の吟唱』。
「至福無限を喚(よ)び出(いだ)す祈り」の前半部分をご
紹介します。


  宇宙は神の宇宙である。神は無限の叡智をもって、
 日に日に新しきものを産み出し給いつつあるのである。
 それゆえに宇宙は永遠の進歩であり、新生であり、若
 返りであるのである。

  進歩と発展と新しき創造とは神の支配し給う実相宇
 宙の状態である。その宇宙の中に生き、その宇宙の生
 命に生かされている私たちもまた、常に新しき進歩と
 発展と創造とを遂げつつあるのである。

 今日より後、私たちは決して消極的な退嬰的なことを
 考えないのである。私たちは常に新生の歌を唱い、新
 しく進歩し、新しき創造を営むのである。私たちが科
 学者であれば、常に新しき法則を発見し、新しき発明
 のヒントを神の叡智によって授かるのである。私たち
 が実業家ならば、常に商品に店飾りに新機軸を出し、
 新しきデザインを産み出し、神の愛を自己に体現して
 顧客に満足を与えるがゆえに、その店は必ず繁栄する
 ほかはないのである。

 宇宙は神の宇宙であり、わたしたちは神の子≠ナあ
 る。神においては、悲しみはなく、衰えはなく、退歩
 はなく、ただ積極的な前進あるのみである。

 神の宇宙は、新しき生命と新しき愛と新しき智慧とで
 充満しているのである。

  わたしたちは毎朝夕、神想観を行じて、心を神に振
 り向けてひたすらとなり、神より新しき生命を受け、
 愛を受け、智慧を受け、それに培われ、養われ、護ら
 れ、導かれているのである。(以下略)

(同書226〜228頁)

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/55858675.html

宮内庁長官の軽率な発言 (30197)
日時:2021年06月28日 (月) 09時09分
名前:源流


【東京五輪】宮内庁長官の「陛下が懸念と拝察」発言が大波紋! 
音喜多駿氏「あまりにも軽率」東スポ(2021.06.24)

宮内庁の西村泰彦長官が24日、
天皇陛下の東京五輪・パラリンピックの受け止めについて、

「陛下は現下の新型コロナウイルス感染症の感染状況を大変心配されている。
 国民に不安の声がある中で、開催が感染拡大につながらないか、
 懸念されていると拝察している」

と述べたことが波紋を広げている。


・・・

私の心配

粟野真弘のblog
2021年06月25日

昨日は宮内庁長官の発言(陛下のお気持ちを拝察?)が
話題になりました。

天皇陛下のお気持ち・お心は、
常に国民一人一人の安寧幸福をお祈りされておられる
ということに尽きると思います。

ですから、台風、猛暑、大雨や大雪などの自然災害をはじめ、
国民が困難に直面している時には
常に「ご心配」くださっていると思っています。

新型コロナウィルス感染下で開催される東京オリンピックについても、
やはり同じようにご心配くださっていると思います。


陛下の大御心をご推察申し上げるのに、
常に民安かれ国安かれの祈りの日々であることの“大前提”を述べずに、

“御心配”御懸念≠フ部分だけを取り立てて発言することは、

宮内庁長官という重職にある者としては軽率だなと思いました。


このような次元の発言をしてしまう方が

宮内庁長官というお役を担って

陛下のお近くにおられる現実に、

私は“心配”というか、とても残念です。

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/55863044.html

真理を全人類に対して放送 (30252)
日時:2021年08月10日 (火) 08時37分
名前:源流

粟野真弘のblog
2021年08月08日


人間に害を与える(及ぼす)ウィルスや菌、微生物
は本来無いのでありますが、仮に現れて人類の恐怖
心を増長し、日常生活を翻弄している状は、
百鬼夜行≠ニも云うべき状況です。

住吉大神はこのような時にお働きなる神様です。
『続真理の吟唱』に次のように説かれています。

  かくてひとたびは浄まりたる此の世の秩序みだれ、
 生命の大海濁りて泥海のごとくなりて、生命の中心
 原理の姿を没し去る時来りぬ。これを称して天照大
 御神の天之岩戸隠れというのである。

  ここに於いて、世界混沌とし、中心は失われ、上
 下の秩序なく、百鬼夜行のみだれたる姿を顕じ、再
 び宇宙浄化のため、住吉大神出御し給う時が来たの
 である。

  されば、住吉大神われに宇宙浄化の使命を授けた
 まいて、われを全人類に住吉大神所伝の真理を放送
 するための聖なる放送アンテナとならしめ給うたの
 である。われ今、住吉大神に導かれて龍宮海を渡り、
 龍宮城に入り、神癒の社に坐して神想観を厳修し、
 心身浄まりて、住吉大神より龍宮無量寿のいのちを
 授かり、神は善にして、神は渾てにましますが故に
 悪なる存在はひとつとして存在せざる真理を授かり、
 すべての人間は神の子≠ノして互いにみな親子兄
 弟姉妹なるが故に争いも憎しみも本来なく互いに扶
 け慈しみ合い、愛し合う真理を授かり、それをわが
 身に於いていま増幅せしめられ、強化せしめられて、
 人間本来無量寿のいのちの真理と、天地の一切皆善
 の知≠フ真理と、人間をはじめ一切の生物ことご
 とく親子兄弟姉妹なる愛≠フ真理とを全人類に対
 して放送するのである。


各地で行われている生長の家の真理の講演会や勉強会、
誌友会は、住吉大神の浄化のお働きそのものだと思い
ます。全人類への真理の放送だと思います。


http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/55987152.html

「ノアの方舟(はこぶね)」とは生長の家 (30319)
日時:2021年09月30日 (木) 09時16分
名前:源流

粟野真弘のblog
2021年09月28日

  益々唯物論的経済社会の末期に入って来まして、
 人間の心がたがいに闘い、人間の心の迷い、心の
 争いが益々盛んになって来ますと、吾々の周囲の
 世界は吾々の念の投影でありますから、階級と階
 級と相闘い天変地変相ついで起り、ついに「迷い」
 の一掃的自壊を起して来るのであります。

 この時に、神の指図(さしず)によって造られたノア
 の方舟(はこぶね)に乗っていた者だけが助かるとい
 うことがここに予言されているのであります。

 ノア方舟というのは何であるかといいますと、方舟
 というのは神の教えの船ということである。

 仏教でも、これを船にたとえて如来(にょらい)の
 願船(がんせん)とか大乗とか小乗とかいいます。

 ノアというのはNO・Aであります。
 「NO」は空(くう)であり
 「A」は阿字(あじ)であり大日如来の本体であります。

 諸法は空である。「空」であるといっても、何もな
 いということではない。諸法は空(NO)であって、
 同時にその空の背後に無量光、無量寿の大日如来
 (Aー阿字)が在(い)まして、この大日如来のみが実在
 である。

 吾々の生命は大日如来より出で、大日如来
 の内にあり、大日如来と一体である。この真理の真
 教(まことのおしえ)が「ノアの方舟」であります。

 すなわち「生長の家」の教はちょうどこの「ノアの
 方舟」に当るのであります。

 『旧約聖書』の唯物論的経済社会発展とその自壊作
 用たるノアの洪水は過去に一度あったことでありま
 すが、同時にそれは現在に再現している状態の予言
 であり、従ってまた、今後に起る状態の予言でもあ
 るのであります。

 『創世記』の価値は、宇宙創造の実際と、「無明」
 の偽創造と、「無明」の発展集積と、その発展集積
 の後自然に土崩自壊するところのいわゆる「ノアの
 洪水」と、その救いの願船「ノアの方舟」(生長の家)
 の出現が予言せられている点であります。

(新編『生命の實相』第19巻万教帰一篇上172〜174頁)

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/56118891.html

「転身のための祈り」 (30400)
日時:2021年12月21日 (火) 09時50分
名前:源流

粟野真弘のblog
2021年12月15日


「転身のための祈り」

 私は今新生したのである。 自分が神の子≠ナある
 ことを如実に知ったのである。自分を縛る一切の自縄
 自縛は解け去り、自分は完全に自由になったのである。

 自分は完全に自由であり、どんな困難をも克服する力
 を神から与えられていることを知ったのであるから、
 もう躊躇逡巡する悪習慣は消え去ったのである。

 私は神の子≠ニして神より無限の叡智≠さずけ
 られているのであるから、機を見ること敏くして、時
 の宜しきに従い、事の宜しきに従い、もっとも適当な
 行動を断行の勇気をもって、躊躇逡巡することなく遂
 行するのである。それゆえ、私の為すことは必ず成就
 し、必ず良き果を結ぶのである。
          (『真理の吟唱』74〜75頁)

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/56322862.html

「生長の家の教育法」 (30411)
日時:2022年01月08日 (土) 08時54分
名前:源流

粟野真弘のblog
2022年01月06日


  生長の家に言わせると、一切のものはみんな神
 に依って造られたものであるから、皆な仲好しで
 あるのが本来の相であって、決して吾々を害する
 ことはないのである。

(中略)
 肺病の黴菌の中には前科者のように人相の悪いの
 や、仏様のように人相の好いのもあり、それから
 放散する毒素も強いのも弱いのもあるに違いない
 のであります。ですから結核菌も、必ずしもみな
 一定の反応を呈して人間を侵すのではないのであ
 ります。同じ一定の力で総ての人間を侵すのであ
 りましたならば、総ての人間が皆結核になってた
 おれてしまわなければならない。

(中略)
 皆さんのお知合の中に肺病の人がありましたなら
 ば、その人の性格を考えて御覧なさい。それは、
 どういう性格の人であるかというと、きっと、生
 一本な、心の狭い、何となしに鋭い心の、人を斬
 り裁くような批評的精神の鋭い人がこの肺病に罹
 るのであります。これは何故かというと、そうい
 うふうな心の作用が結核菌の毒性を増大せしめて、
 自分がその害を受けるということになるのであり
 ます。

 心がまんまるく、一切のものと手をつないで、一
 緒に生きるというふうな心になりましたならば、
 肺病の黴菌といえども、決して吾々を害するとい
 うことはないのであります。現に肺病の人で生長
 の家にお入りになり、『生命の實相』をお読みに
 なって、その肺病が治った実例がたくさんありま
 す。これは別に肺病の黴菌を消毒して肺病の黴菌
 が死んだというわけではない。『生命の實相』を
 続む事によって、その人の心が円満になり、今迄
 の非常に狭い、批評的精神の鋭い、我の強い、人
 に対し、ものに対して、反抗的な攻撃的な精神が
 クラリと変わって、まんまるい心になってきた時
 に、肺病の黴菌といえども吾々を害することが出
 来なくなったのであります。

(中略)
 『生命の實相』を続んでも治らぬという人は、ま
 だ読み方、考え方、心の訓練の仕方や、実行の仕
 方に欠陥があって、まだどこかに一切のものと仲
 好しになっていない点があるのであります。

 この「一切のものと仲好しになる」ということを
 教育に応用したのが「生長の家の教育法」であり
 ます。
  一切のものと仲好しになる、先生と生徒と仲好
 しになる、勉強する人と学科とが仲好しになる、
 仲好しになって興味が起れば決して吾々は忘れる
 ということはないのであります。
(新編『生命の實相』第47巻33〜37頁)


http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/56370628.html

「問題解決のための祈り」 (30478)
日時:2022年02月05日 (土) 08時54分
名前:源流

粟野真弘のblog
2022年02月04日

  私は神の子≠ナある。私の生命は、神の大生命
 の大地にしっかりと根をおろしてているのである。
 神の大地と私の生命の根とは完全に結合していて、
 その結合は決して破れるということはないのである。
 神と神の子≠ナある私との結合は金剛不壊の結合
 であるのである。

  神は一切のものの創造主(つくりぬし)にましまして
 一切のものの上に立ち、一切のものを支配したまう。
 しかしてその絶対的な支配権を神の子≠スる人間
 に譲り給うたのである。

(中略)

  およそ問題はすべて神の子≠ノ内在する無限の
 力を喚び出し発揮せしめるための誘い水≠ナある
 のである。問題は私たちを苦しめるために顕われる
 のではなく、問題を機会として、内在の愛と智慧と
 力とが発顕するように仕組まれているのである。

  問題は智慧ばかりでは解決しないこともあるし、
 力ばかりでも解決しないこともあるが、愛が本当に
 発顕するとき、如何なる問題も解決するのである。

(中略)

  愛は光である。すべての憎しみや争いは暗である。
 私たちは自己の内にやどる神の愛の光を常に外に輝
 かし出してすべての紛争を解決しなければならない
 のである。光の輝くところ必ず暗は消えるのである。
 すべての反感・敵意・抵抗・紛争・憎悪等は、神の
 無我の愛を、人を通して輝き出すとき必ず消滅し去
 って大調和が実現するのである。

(以下略)

 (『真理の吟唱』190〜193頁)

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2022-02-04.html

プーチン大統領のこと、どうやって祈りますか? (30610)
日時:2022年03月27日 (日) 09時46分
名前:源流

粟野真弘のblog
2022年03月22日

心に認めたものが形(運命、境遇)に現れる。
繰り返し言葉に出した(表現した)ものが心
に蓄積される。

今最も世界中で称えられ、語られている言葉は
おそらく、「プーチン大統領は悪い人」。

先日の『生命の實相』勉強会の席上でしたか、
「プーチンは悪い」と皆で思い続け言い続けて
いたら、益々悪くなりますか?
と質問されました。
谷口雅春先生は我々の運命(現界も霊界も)を
支配するのは「同類親和の法則」であると説か
れています。

私は、「念波(心)の世界は法則通り働きます
から、益々悪くなるでしょうね」とお答えしました。

谷口雅春先生は昭和35年の『理想世界』8月号
で、「八月の祈り」と題して次のお祈りの実践
を呼びかけられました。

敵も味方も神の子であるという祈りです。
アリアリと仲のよい光景を描いて祈るというこ
とをお奨めくださっています。



 「八月の祈り」

 (次の如く祈る。誠実に熱心に数回繰り返して)
 神よ、あなたの無限の愛をわれに流れ入らしめ
 給いて、其の光愈々輝きを増して全地上を蔽い
 てすべての人類に愛と平和の思いを起さしめ給え。

 神よ、フルシチョフ以下ソ連の政治局員すべて
 を、あなたの愛の霊波をもって包みたまい、自
 由国家群が共産国家に対して決して敵意をもつ
 ものでないことを知らしめ、東西の緊張を緩和
 して世界全体をして完全平和を得せしめ給え。

 (ソ連首相及びその政治局員を心に描く。更に劉
 少奇、毛沢東、周恩来等中共の指導者を心に描く。
 そして精神統一状態においてこれらに呼びかけ
 呼び出す気持になり次の如く念ずる)
 吾々自由国家群に属する者は決して共産圏国家
 に対して侵略の意図はもっていないのである。
 あなたがたの国々が神の愛に満たされ、神に導
 かれて愈々平和と愛の内に隆昌することを祈り
 ます。

 (このように心で繰り返しとなえて彼ら共産圏
 の首脳者たちをめぐって、神の愛がとり巻き、
 平和の雰囲気に包まれて、彼らがアイゼンハワ
 ー米大統領と仲好く握手している光景を心に描
 いて、心の眼で凝視する。約十分間)

 (最後に、次の如く世界全体の平和を祈ること約
 十分間)
 神の無限の愛われに流れ入り給いて愛の霊光燦
 然と輝きたまい、その光いよいよ輝きを増して
 全地上を覆い、すべての人類に愛と平和の思い
 を起さしめ給うのである。 


個人の実相(神の子本来のすがた)を祈る時も、
世界人類の平和、調和を祈る時も、何れの時も、
心にアリアリと描いて実相円満完全なるすがた
を言葉で唱えることが、私たちの祈りであると
あらためて思いました。

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/56542302.html

讃春歌 (30639)
日時:2022年04月18日 (月) 20時14分
名前:源流

粟野真弘のblog
2022年4月15日

讃春歌
ご近所の庭にクロッカスが目立つように
なっています。

西日本では桜が終わってきているのに、
北海道はこれこらが芽吹きの季節。

だから、真理講演会では「讃春歌」を歌
いたいなと思い、先日(13日)の札幌でお
願いして歌いました。17日の旭川でもお
願いしています。


讃春歌    谷口雅春作詞

一、外に花咲く 春が来た、
  内にも花咲く 春が来た、
  外にも内にも 春が来た、
  心の中(うち)に 眠ってた
  神が目覚めて 春うたう
  心ほのぼの 春が来た。
  心ほがらか 春が来た。

二、うれしいうれしい 春が来た、
  すべての人に にこにこと
  瞳の中に 神の愛、
  ことばの中に 神の智慧、
  かみの生命(いのち)を 今いきて
  こころ明るく 笑いましょう。
  こころ青空 笑いましょう。

三、わが魂の神めざめ
  すべての人に神を見る、
  過去のなげきの 夢さめて
  あらたに生れた この生命(いのち)、
  ここが天国 極楽と
  ひかりの世界に 歌いましょう。
  いのちの春を 歌いましょう。

生長の家の聖歌はいいですね。
谷口雅春先生に天降った真理の御言葉を
噛みしめて歌っています。

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/56586828.html

朝の時間 (30781)
日時:2022年05月28日 (土) 09時36分
名前:源流

粟野真弘のblog
2022年05月09日
〜2022年05月12日

 朝の時間を生かせ

 この『生命の實相』の大部分はおおかた朝
の一、二時間に書かれた。この時間は吾々が
眠りより意識の世界に誕生した時の最初の産
ぶ声をあげる時なのである。吾々は無意識の
世界――一層大きな啓示の大本源の世界――か
ら徐々に意識の世界へと移動しはじめるので
ある。まだ無意識の世界から意識の世界への
架け橋は落ちていない――この時間は特に印
象深く、一層大きな啓示の世界から豊かな啓
示が流れ込んで来るのである。諸君よ、この
『生命の實相』の原稿はかくの如くして書か
れたのである。
 わたしが実に多忙な私生活を有ちながら、
別に「生長の家」の公な仕事が、それほどの
負担とならずに出来るのは、こうした朝の啓
示多き時間を利用するからである。
 朝の時間を利用するものは一日を生かすの
である。毎日朝の時間を利用するものは生涯
を生かすのである。
 朝の時間の不思議な特色はしばらく物質世
界との関係が絶えているということである。
心が非常に自由な、自然な、有形の世界に捉
われない伸び伸びとした状態にあるというこ
とである。この時間は吾々の心のカメラが一
層無形の世界の方へ向いていて、吾々自身以
上の叡智者からの指導を受けやすいというこ
とである。
 愛する誌友諸君よ、諸君自身が「生長の人」
であることを欲し、諸君の家庭が「生長の家」
であるとを欲するならば、この朝の時間を大
切にせよ。多くの世界的の偉大なる仕事がこ
の朝々に芽生えたものであることを知るもの
は幸いである。 


特に夏期は朝の時間ほどすがすがしいのである。
 繋明起き出ずれば顔を洗い口を嗽げ、嗽ぎ了れ
 ば仰いで東雲に輝く若々しき碧空の光を見よ。
 その冴えた光は生命に満ちあふれている。無限
 の生命的な感じが無限の世界から吾々に降りそ
 そいで来る。
 この生命的な感じを筆にあらわせ。それは直ち
 に詩となるであろう。この生命的な感じを色彩
 にあらわせ。それは直ちに絵となるであろう。
 この生命的な感じをもって人々に相対せよ。
 それは直ちに無我の愛となるであろう。
 この「無我の愛」を文につづる時『生長の家』誌
 となるのである。かくの如く黎明の碧空の光は
 実に吾々の生命の父であるのだ。

 この尊き朝の時闘を浮世の争いのために費すな。
 この尊き朝の時間に肉体をあまりに疲労さすな。
 朝の短い散歩は必ずしも悪くはないが、散歩に
 長時間を費してこの尊き時間が失われることは
 惜しみても余りあるのである。この時間に激烈
 な疲労をまねくようなことをするな。黎明の海
 水浴は一浴爽快味を感じると同時にあがる位で
 ありたいものである。肉体は体操や、運動や、
 スポーツでなければ強健にならないと思うのは
 一つの迷信である。心に「私」なき聖者は常に
 長命である。隆々たる筋肉の持ち主に却って夭
 折するもの多きを見て、健康とは必ずしも筋肉
 の発達ではないことを知らねばならぬ。

(中略)

  朝起きるとすぐ朝飯を腹一ぱいに詰め込む人
 があるが、それは生長する人の生き方ではない
 のである。朝は霊界からの啓示を受け、善き考
 えを吹き込まれるための時間である。物質的栄
 養の摂取をさきにするとき、折角のスガスガし
 い朝の気分は失われ、精神的栄養なる霊感は逃
 げ去り、夜中折角養ってきた精力は食物の消化
 のために、その大半を浪費してしまうようなこ
 とになるのである。あまつさえ朝食後の一ぷく、
 休憩、雑談――そんなことをしていると生涯の
 うちの最も大切な時間はいつの間にか浪費され
 てしまって、またしても昨日のように生計のた
 めに必要な雑事に怱忙と追われねばならぬ時間
 がやって来る――会社員は出勤しなければなら
 ぬ。商売人は店をひらかねばならぬ。農夫は田
 畑へ出かけねばならぬ。生計にばかり追われて
 いて、一こう人間らしい「生活」をする一分間
 も吾々にはないとの歎きは、こうした朝の生活
 を支配し得ぬ人々の自業自得の歎きでしかない
 のである。
(新編『生命の實相』第12巻生活篇上6〜10頁)


http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/56647775.html
http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/56647772.html

幼少期の人間形成 (31037)
日時:2022年07月19日 (火) 08時49分
名前:源流

粟野真弘のblog
2022年07月14日
容疑者の幼少期に何があったのか?


  人間の念は幼ければ幼い程、まだ一定の習慣
 性を備えていませんから、善い方へでも悪い方
 へでも環境に感化せられやすいのであります。

 これを悪い環境のうちに放っておけば不良少年
 少女となるべき者も、幼いときから生長の家式
 に、愛と信と讃嘆との環境に於て感化を受け、
 事物の明るい方面に心が向くようになっていれ
 ば、彼等のたましいは健やかに伸び伸びと発達
 しまして、ひねくれた厭味な性格や、人を苦し
 めることで自分の快感や利益を得ようとするよ
 うな卑劣な性格は影を潜め、これらの少年少女
 が成長して社会の中堅となって行く頃には、
 人類がこの世界でつくる悪業も余程減ってゆき、
 地上に天国建設の理想実現に段々近づいて来る
 に相違ないのであります。
 (新編『生命の實相』第1巻52〜53頁)

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/56814685.html

縛りを解く(解放)とは? (31098)
日時:2022年08月16日 (火) 08時40分
名前:源流

粟野真弘のblog
2022年08月09日


『叡智の断片』に縛りを解
く(解放)譬え話が二つ紹介されています。


  ギリシアのお伽噺にこんなのがある。蜜蜂を
 愛していた王子は、蜜蜂が終日遠いところまで
 蜜を集めに行くのは可哀そうだと考えて家来に
 命じて蜜蜂の羽を切り、遠くから花を集めさせ、
 毎日毎日巣の中に花を満たせてやったのである。

 王子の考えでは遠くまで行って花蜜を集めるよ
 りはその方が沢山花蜜が集められると考えたの
 である。然るに蜜蜂は一向花蜜を集めないで巣
 の中には一滴も蜂蜜はたまらなかった。


  愛することによってその子供を縛っている親
 達は丁度、この王子のようなものである。親か
 ら見て幸福だと強いる事柄が子供にとって、一
 向幸福でない事が度々あるのである。

王子から
 見て幸福だと思える事柄が、蜜蜂から見て一向
 幸福ではないのである。

 蜜蜂にとって幸福は、
 遠くまで行く労苦がなくなることではなくて、
 自由に遠くまで飛べる羽を有っていて、いつで
 も好きなところへ自由に飛べるということである。


  イプセンの劇『海の夫人』の女主人公エリー
 ダは良人に心で縛られている間は、本当に良人
 を愛することが出来ないで、解放の象徴である
 海から来る男にあこがれていたのであった。

 愈々「海から来る男」が彼女を迎えにやって来
 る。良人ワンゲルははじめて今まで彼女の自由
 意志を縛っていたことに気がついて、「自由意
 志で、自分の責任で、どちらでも選ぶのだ」と
 彼女に一 言う。

 自由を与えられた彼女は、最も
 反動的でなしに、そのまま自然の心に復ると、
 却って「海から迎えに来た男」には心を曳かれ
 なくなるのである。

  此処に深い真理の暗示がある。統制と放任と
 の問題も此処に解決の道があるのではあるまい
 か。

 愛して縛るのは統制である。子供をどの程度、
 親が統制するか、どの程度放任するかが問
 題である。しかし統制すればするほど反動的に
 子供は両親の意向とは反対の方向に動いて行く。

 「そのまま」が一等好いのである。半分「統制」
 の半分「自由」などは、羽を切って花を与えた
 蜜蜂のようなものである。

 子供は「神の子」であるから、
 そのまま自由に放任すれば、却って
 神の子の実相があらわれて完全になる。

 併し信じて放任することが必要である。
 「信」がなければ駄目である。

(新版『叡智の断片』47〜49頁)

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/56875728.html

単純明瞭な健康法〜「日の寄進」 (31154)
日時:2022年09月29日 (木) 10時31分
名前:源流

粟野真弘のblog
2022年09月22日


『真理』第10巻に、
「健康」と「幸福」の心得が7つ、説かれています。

@人の悪を見ぬこと

A取越苦労、持越苦労をせぬこと

B現在を感謝すること

Cすべての人が善き人と信じること

D一切の事物の光明面を見ること

E事物を建設的にのみ考えること

Fすべてが魂の向上の機会であると感謝すること
(同書148頁参照)


この御文章が『谷口雅春先生を学ぶ』9月号に掲載
されていて、真理勉強会でお話させていただいてい
ます。

すると、先日音読した『叡智の断片』には、健康の
秘訣を単純明瞭に次のように説かれていました。


  健康を得る最良なる方法は、凡ての人のために
 つくすという事である。
 わが身わすれて「日の寄進」である。
 日の寄進とは、毎日、自分の労力を他のために持
 ち寄るということだ。
 (『新版 叡智の断片』168頁)

http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/2022-09.html




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