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萬坊さま、さとうたまごさま
文字一つだけ間違えただけでも、その句の雰囲気が全く変わり気をつけなくてはなりませんね。。。
季重なりの所感ですが、季語そのものに意味、習わしがあるので、重ねてしまうと、その句の主体(言いたいこと)がぼやけてしまうのではないかと思います。 読み手のイメージに損なうものでなければ、季重ねでも無季でも宜しいかと思います。 季重ねを気にし始めたのは、昭和以降だと思います。 季語を定めたのは「ホトトギス」であり、その「ホトトギス」でも高濱虚子編集の「ホトトギス雑詠選集」を見れば季重ねが多く出てきます。 明治末は無季自由vs有季定型があり、大正時代は「ホトトギス」全盛を迎えます。昭和になると有季定型にマンネリが出て来てしまい、山口誓子の<取り合わせ>、大須賀乙字の<二句一章>、そして藤田湘子<二物衝撃>があります。 (「鷹」は、湘子が提案したことになっておりますが、昔からありましたので、念のため) 他にも切れ字の併用、空想句は作らない、子供の句は駄目、感動を表に出さないとか、いろいろ縛りがありますが、 今は結構崩れて来ているかと思います。 季重ねはちょうど団塊世代(六十歳以上)の人たちが、俳句を習ったときに上記の縛りがあったので、それが今でも生きているかと思います。 その次の世代になると、その縛りも薄れて来ているので、今後も俳句の見方も変わっていくかと思います。 俳句にしても、今(旬)を読んでいかねば、すぐに過去の遺物になってしまいますので、私たちが良き読み手となって、選評をしていかねばならないかと思います。
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ぐみ |
2011/11/29 05:40 |
Re:楚良さま、お忙しいのに、ご丁寧なコメント有難うございました。子供の句は駄目なんて、今は余りいわれないと思いますが、空想句は作らないというタブーを守って居られる向きにひと言。絵画でも、アカデミックを遵守はそれで いいですが、ピカソも写実の時代を経てあの抽象に至っています。前衛俳句というジャンルもありますが、絵と同じで、目だけで作るのではなく、頭脳先行の作句、おおいに良しではないでしょうか。個性的、ユニークさが第一と考えるものです。人と同じぢゃつまらない。
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楚良 |
2011/11/29 10:18 |
Re:ぐみさま
俳句談義は良いですね。。。 前衛俳句でひと言。<ひるがほに電流かよひはせぬか><この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉>などの三橋鷹女。また金子兜太もそうですね。彼ら自身は前衛と思って作句していないのに、その周りの読み手が自分たちの知る俳句とは違うだけで「前衛」とひと纏めにされたような気がします。 それから<水の地球すこし離れて春の水><ヒヤシンススイスステルススケルトン>の正木ゆう子。僕にとっては、鷹女の作句と変わらないと思いますが、前衛とは言われず、現代俳句と認められているのは不思議です。 前述にも書きましたが、絵画にしても、その絵(句)を見る(読む)人がどう感じ、どのように評価するかです。 なので、読み手はしっかりとした目を持たねばなりません。
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