Re:川柳は、今を詠むため口語が主体であり、俳句の季語や切れの約束はない。 「うがち・おかしみ・かるみ」の三要素を特徴として、風刺で人間を詠むところを 主としている。時事性が強いため忘れられるニュースとともに新鮮さが失われる点は 否めないのではないでしょうか。 以上 辞書風に書きました。 時実新子さんの川柳と無季俳句との差はあまり感じられません。 俳句・川柳は自己申請でいいのではないでしょうか。
以下は新都市新聞に上野朝夫さんが書き込みをしたものを引用しました。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 『川柳、もの申す!』(大伴閑人・岩波書店)から <対談> 川柳は怒る、川柳は笑う! 山藤章二/大伴閑人
俳句と川柳、どう違う?
大伴 俳句っていうのはある意味で、自分だけの世界に遊んでいればいい、 というところがあると思う。他人にわかろうとわかるまいと、ね。 だからいけないというわけではないけれど。ところが川柳っていうのは、 なによりもまず、みんなにわかってもらわなきゃいけない。 ここがもう、最大の違いじゃないかな。
山藤 その説は全く賛成ですね。ぼくの持論では、川柳のほうが上だと 思ってますよ、あえて言えば(笑)
大伴 下座に座らされることはない。
山藤 周りの人の共感とか笑いとかをね、刺激できないと川柳にならないでしょう。 受ける必要がる。それに対して、俳句はナントカ鳥が来て木の枝にとまりけり、 なんて一人で感じていればいい(笑) (以下略) ●「自分だけの世界で遊んでいればいい」そんなところだろうと感じていた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー いや、ぐさっときました。この書き込みを探すのに半日かかりましたが。 ←萬坊
萬坊 [8] 2007/04/28 02:46
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