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皇紀2673年 (6361)
日時:2013年02月09日 (土) 06時01分
名前:伝統

明後日(2月11日)は、わが日本国の誕生日(紀元節)。

この機会に、悠久の時の流れの中で、天照大御神が神勅でお示しになった国家の
この地上への誕生をお祝いいたしましょう。


   ・・・・・・

天照大御神の「三大神勅」

一、天壌無窮の神勅
  『豊かな葦原の水(瑞)穂の國は皇孫のしらしめす國です。
  天つ神の日嗣(ひつぎ)である皇孫と御國は天壌無窮に榮ます。』

二、宝鏡奉斎(ほうきょうほうさい)の神勅
  鏡をお授けになり、『この鏡を私とおもって、常に側において斎祭(いつきまつり)なさい』

三、斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅
  皇孫に稲穂をお授けになり、『大切に育て継承しなさい』

  と、三大神勅を下されました。  

  天皇陛下所知めす皇國は、水穂の瑞々しい穂の國であり、稲穂を神鏡と同じく、
  天照大御神からの授かりとして大切にし、稲作を継承していけば、いつまでも
  豊かな稲穂の実りのある國なのです。 と示されております。

   ・・・・・・

《紀元節の歌》

紀元節の歌
http://www.d1.dion.ne.jp/~j_kihira/band/midi/kigensetsu.html


紀元節唱歌
1893(明治26)年−官報3037号付録
作詞 高崎正風     作曲 伊沢修二


第一章

雲に聳(そび)ゆる 高千穂の
高根おろしに草も木も
なびきふしけん 大御世(おおみよ)を
仰ぐ今日こそ たのしけれ

第二章

海原なせる 埴安(はにやす)の
池のおもより 猶ひろき
めぐみの波に 浴(あ)みし世を
仰ぐ今日こそ たのしけれ

第三章

天(あま)のひつぎの 高みくら
千代よろずよに 動きなき
もとい定めし そのかみを
仰ぐ今日こそ たのしけれ

第四章

空にかがやく 日のもとの
よろずの国に たぐいなき
国のみはしら たてし世を
仰ぐ今日こそ たのしけれ


(作詞者と作曲者)

(1)作詞者の高崎正風

   天保7年7月28日(1836年9月8日) 薩摩藩の武士の家庭に生まれました。
   維新後は侍従番長として歌道御用掛の任に就き、その後、枢密顧問官になり、
   明治天皇の側近としてお仕えしたことでも知られております。

(2)作曲者の伊澤修二

   唱歌の成立に欠かすことのできない教育者として知られております。
   幕末に洋楽を学び、明治5年に文部省へ入省。

   明治8年から11年までは師範学科を学ぶためにアメリカへ留学、明治12(1879)年、
   唱歌の作成・編さんと教師の養成機関である「音楽取調掛(おんがくとりしらべかかり)」
   が文部省に設置され、初代所長となります。

   明治14年に日本初の官製唱歌集『小学唱歌集』を完成させました。
   明治23年には東京音楽学校長,東京盲唖学校長を兼ね,「国家教育社」を設立して、
   教育勅語の普及につとめた。

   また、日清戦争で得た台湾に渡り民政局学務部長を務める。
   東京音楽学校(現・東京芸大)の初代校長を務めたのち、貴族院議員にもなっております。

   (http://blog.goo.ne.jp/hagukumukai7/e/4f0ab2575d428edf3be487b4bb036e16
   (写真あり http://www.d-score.com/ar/A04112411.html

・・・・・

なお、「紀元節の歌」の関連スレッドとして、
”nagom さま”による「『紀元節の歌』の正式な歌詞を教えてください (5553)」
があります。

→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1044

・・・・・

ダークダックスによる、「紀元節の歌」もあります
http://sacchyan.iza.ne.jp/blog/entry/2593702/

        <感謝合掌 平成25年2月9日 頓首再拝>

【神国日本の実相を顕す祈り】 (6390)
日時:2013年02月10日 (日) 04時59分
名前:伝統


【神国日本の実相を顕す祈り】(谷口雅春)

 大日本帝国は神国なり。神の建てたまえる国家であるのである。

 宇宙を照らし給える天照大御神が「豊芦原の瑞穂の国は世々わが子孫(うみのこ)の王(きみ)
 たるべき地(くに)なり」と詔らせ給うて、瓊々杵尊を天降し給いし時をもって
 わが日本(ひのもと)の国家は肇まるのである。

 その時、瓊々杵尊と倶に天降り給いし五伴緒(いつとものおの)命は
 吾等日本民族の祖先にましますのである。

 伴緒命とは”玉の緒”を共にするという意味であって、瓊々杵尊を中心座に、
 尊と同じき霊統の玉の緒を共にする五(いつ)柱の兄弟たちの命たちの霊、
 その中心座を繞(めぐ)り護りて地上に降誕したまうたのである。

 かくて天皇家とわれわれ国民とは玉の緒を共にする兄弟姉妹同胞なれば、
 大日本帝国は”国”であると共にひとつの家庭であるのである。

 世界に多くの国々あれども、”国家”と称し得る、本当に”国即家庭”なる国家は、
 大日本帝国のほか、どこにも存在しないのである。

 言葉を換えて謂えば、わが国は大日本家族国家なのである。
 天皇家を宗家とし、国民ことごとくその子々孫々の霊の流れ、
 血の流れを汲む同族不可分一体の家族国家が大日本帝国なのである。

 それ故に一国家、一民族、一言語という世界に比類なき神の建て給える神聖国家が
 大日本帝国なのである。

 われわれはこの大日本帝国に生まれ来たったことを誇りとするものである。

 翻って海外の諸国を眺むるに一民族一言語一国家なる国は何処にも存在しないのである。

 彼らの国は、神の詔(みことのり)によってその国の在り方が決定せられたのではなく、
 個々の人間ばらばらで生活すれば、暴力を持って侵入し来る者に対抗する力乏しきをもって、
 集団安全保障の目的をもって、一地域に住む人間ども相集まりて協議会をひらき、団結して
 各々の福祉を守り、相互共存に適するように人智を持って構成したところの生活共同体が
 ”国”なのである。

 それらは大日本帝国の肇国(ちょうこく)とは、
 その発現の趣旨、目的、由来に於いて全然異なるものなのである。

 彼らの国々は、みな人為の構成をもって発展するをもって、その発展の途上に於いて
 一層武力又は智力に於いて強力なる者、前任の首脳者を圧倒して権力を握るのであり、
 その権力の座の争奪のために常に闘争又は悲惨なる戦戮(せんりく)が繰り返されるのである。


 これに反して、わが国は天照大御神より国を授けたまえる国家なるが故に、
 まことに”神国”なりと謂うべく天皇より授けられたる政権が如何に交代すると雖も、
 国家の生命の中枢たる位はすべて皇孫尊(すめみまのみこと)の占め給うこと

 万世不易に変わることなき国体なるが故に、神武天皇建国以来既に皇統連綿として
 2千六百数十年を経るといえどもその中心の位、国家の基礎、磐石にして揺るぐことなく、
 宝祚(ほうそ)栄えまさんこと天壌と共に無窮なること炳焉(へいえん)たるなり。

 ああ、吾らのこの大日本神国に生まれたる光栄を思い、
 皇祖天照大御神の御神霊及び歴代の天皇の御神霊に対し、深き感謝の意を捧げ奉る。

 ありがとうございます。

               (S48.3月 光の泉誌)

        <感謝合掌 平成25年2月10日 頓首再拝>

日本の建国・肇国と東道(みちびき)の神「塩椎神」 (6413)
日時:2013年02月11日 (月) 05時01分
名前:伝統

       *「生命の實相」第37巻幸福篇上(2月11日<P48〜P50>)

今日(2月11日)は神武天皇が大和(やまと)に遷都せられた記念すべき慶ばしい日である。
”みすまる”の魂が高千穂の高御座(たかみくら)に天降りして弥数多(いやあまた)の国を
大和(だいわ)する八紘一宇(Universal brotherhood)の精神が形にまで顕れて、
大和国(やまとのくに)に都(みやこ)することになったのである。

それはおよそ二千六百年前であるという。

日本の国は領土という土塊の容積ではないのである。
「大和(だいわ)」の理念そのものが日本国で、
それが地上に天降って形を整えたときが日本の建国である。

しかし日本の肇国(ちょうこく)はなおそれ以前に遡る。
畏くも明治天皇が教育勅語に「国ヲ肇ムルコト宏遠ナリ」と仰せ給いしことに鑑み奉るも、
わが日本の肇国は数をもって言い現わすことのできない悠久久遠の太初(たいしょ)に
遡ることが明らかである。

神武天皇なお高千穂にましませしとき「天祖の降跡(あまくだり)ましてより以遠(このかた)、
今に一百七十九万二千四百七十余歳」と『日本書紀』に明記してあるから、彦火瓊々杵尊(ひこ
ほのににぎのみこと)より神武天皇に到るまですでにこれだけの皇紀を経ているのである。

これは神話であるから「大和理念」の地上顕現が悠久であることの象徴と見るべきである。

日本の建国の歴史をわざと長くないように考証して喜んでいる人もあるが、
それは結局自己侮辱であり、自己破壊本能の展開に過ぎない。

人間には「生」の本能と「死」(自己破壊)の本能があって、「生」の本能が旺(さか)んなる
ものが栄え、「死」の本能が」「生」の本能に打ち勝つとき衰えかつ滅びるのである。
自己を矮小に言うことに誇りを感ずるような悪い趣味は止めた方がよい。

そのころ塩土老翁(しおつつのおじ)なる老翁(おきな)来たりて神武天皇に「東(ひんがし)
に美地(うましくに)有り」と御奏上申し上げたということが同じく『日本書紀』に書かれて
いる。東方より「大和(だいわ)」の理念が生まれて来るという象徴物語である。

この塩土老翁(しおつつのおじ)は『古事記』では塩椎神(しおつちのかみ)とて目無堅間
(めなしかつま)の小船(おぶね)を作り彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)を乗せ
まつって金銀(こがねしろがね)饒(さわ)なる竜宮海に導き奉ったと出ている。

竜宮海とはウミの底である。「創造(うみ)の根底(こんてい)」にある世界とは現象のよって
もってあらわれる根元の世界である。換言すれば実相の浄土である。

目無堅間(めなしかつま)の小船(おぶね)とは、時間の目盛(めもり)無く空間無く堅く
つまりたる小なる一点である。換言すれば、無時間・無空間の世界、時空を超越し、そこより
時空生まれる一点(久遠の今此処)に乗るとき衆宝(しゅうほう)あまねく充つる竜宮海に入る
ことができるのである。

「無字透関(むじとうかん)」である。「無」を超えてさらに実相地(じっそうじ)に透関する
ときに竜宮海すなわち、無限供給の極楽浄土を実現することができるのである。
この無限供給の極楽世界に入る方法を教えたまう神が塩椎神(しおつちのかみ)である。

そして竜宮海は極楽にして住み吉きがゆえに住吉世界ともいい、
住吉世界の本尊を住吉大神(すみよしのおおかみ)と申し上げるのである。

竜宮海は時間空間を超えた世界であるから、浦島太郎はそこにあるとき永遠(えいえん)に
年(とし)老いず、このことを仏教では無量寿世界に入るとき無量寿仏と同じ悟りに入ると
言うのである。

老病死の三奸(かん)を征伐せられてから住吉大神は茅渟(ちぬ)の海に面して
長湾(ちょうわん)をなせる山峡(やまかい)に鎮め祀られたのである。

今は神戸市東灘区住吉に本住吉神社があり、神功皇后を主神とし、脇神(わきだち)として
筒男(つつのお)の三神をお祭りしてある。
後に泉州堺に御遷座申し上げたるにより、ここを本住吉神社というと承っている。

三韓征伐とは、老病死の三奸(かん)の克服の象徴物語である。
住吉大神(すみよしのおおかみ)が竜宮の大神であり、無量寿仏のあらわれである以上、
老病死の三奸(かん)を克服せられたことは当然のことでなければならない。

・・・・・

関連として、(生長の家“本流宣言”掲示板)内の「皇紀2672年 (6717)」があります。
→ http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=1567

           <感謝合掌 平成25年2月11日 頓首再拝>

【神武天皇・皇都經營の詔】橿原奠都・八紘一宇の詔。 (6430)
日時:2013年02月12日 (火) 04時53分
名前:伝統

【神武天皇・皇都經營の詔・紀・紀元前二年三月】橿原奠都・八紘一宇の詔。

      *Web:美し国「奉祝皇紀二千六百七十三年 浦安国 紀元節 」より

我れ東に征きしより、茲に六年になりぬ。
皇天(あまつかみ)の威を頼(かゝぶ)りて、凶徒(あだども)就戮(ころ)されぬ。
邊りの土、未だ清まらず。

餘(のこ)りの妖ひ、尚ほ梗(あれ)たりと雖も、中洲之地(なかつくに)、
復た風塵(さわぎ)無し。

誠に宜しく皇都を恢(ひろ)め廓(ひら)き、大壯(みあらか)を規り摸(つく)るべし。
而るに今、運(とき)、此の屯(わか)く蒙きに屬ひ、民(おほみたから)の心朴素(すなほ)なり。
巣に棲み穴に住む習俗(しわざ)、惟れ常となれり。

夫れ大人(ひじり)の制(のり)を立つる、義(ことわり)、必ず時に隨ふ。
苟くも民に利(さち)有らば、何にぞ、聖造(ひじりのわざ)に妨(たが)はむ。

且た當に山林を披き拂ひ、宮室を經營(をさめつく)りて、恭みて寶位(たかみくら)に臨み、
以て元元(おほみたから)を鎭め、上は則ち乾靈(あまつかみ)の國を授けたまひし
徳(うつくしび)に答へ、下は則ち皇孫の正(たゞしきみち)を養ひたまひし心を弘むべし。

然て後に六合(くにのうち)を兼ねてを開き、八紘(あめのした)を掩ひて宇(いへ)と爲むこと、
亦た可からずや。

夫の畝傍山の東南(たつみのすみ)橿原の地を觀れば、蓋し國の墺區(もなか)か。
治之(みやこつく)るべし。

       ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

※現代語訳

『東征についてから6年になった。
天津神の威勢のお蔭で凶徒は退治された。しかし周辺の地はまだ治まらない。

残りの災いはなお根強いが、内州の地は騒ぐものもない。

皇都(みやこ)を開き広めて御殿を造営しよう。
今世の中はまだ開けていないが、民の心は素直である。
人々は巣に棲んだり穴に住んだりして、未開の慣わしが変わらずにある。

そもそも大人(聖人)が制(のり)を立てて、道理が正しく行われる。
人々の利益となるならば、どんな事でも聖(ひじり)の行う業(わざ)として間違いはない。

まさに山林を開き払い、宮室を造って謹んで尊い位につき、人々を安ずべきである。
上は天津神の国をお授け下さった御徳に応え、下は皇孫の正義を育てられた心を広めよう。

その後国中を一つにして都を開き、天の下を覆いて一つの家とする事は、また良い事ではないか。

見ればかの畝傍山の東南の橿原の地は、思うに国の真中である。
ここに都を造るべきである。』

     (http://blogs.yahoo.co.jp/meiniacc/archive/2013/2/11

           <感謝合掌 平成25年2月12日 頓首再拝>

「日本」の使命、「生長の家」の役目  (6452)
日時:2013年02月13日 (水) 05時07分
名前:伝統


         *「光明道中記」(P〜31)より

【十六方位の世界を一つの常住性ある永遠滅びぬ世界とするのが日本の使命である。
 (『秘められたる神示ー神示講義<秘の巻>』「久遠天上理想国実現の神示」)】
     

全世界を宇(いえ)と為す神武天皇の八紘為宇の建国の理想は決して侵略戦争ではない。
八方の国々が家族となって人類全体が睦み合う理念である。

此の理念を「生長の家」と言う。
理念は普遍的なものであるから、これは私の家ではない。

何故そう云う名称を附したかと言えば、
生は縦に無限に生(の)びることを現わし、
長は横に長(の)びることを現すからである。

縦の無限連続は時間であり、横の無限連続が空間であり、
縦と横と、時間と空間との交叉する万象発現の枢機を握るものが、
内に一切を蔵する無字であり、一切を統一する天皇(スメラミコト)の御天職である。

此の真理に世界の万民が目覚めないから万国互に相争うのである。

全世界は天皇に於いて一宇(ひとつのいえ)である。

万国の民にそれを告げ知らせる東道(みちしるべ)の役目を以って
出現したのが吾々の団体である。

病気が治り運命がよくなり、万事に成功すると云うが如きはただ副作用にすぎない。

天地の真理、すべてが生長する真理に随順して生きる時、
真理の中には病気不幸は存在しないが故に、
病気不幸が消えるのは当然のことである。

病気不幸が起るには何か真理に離れたことがある。
省みて真理に載るものは幸(さいわい)である。

           <感謝合掌 平成25年2月13日 頓首再拝>

神武天皇の世界連邦構想  (6480)
日時:2013年02月14日 (木) 05時02分
名前:伝統


       *谷口雅春先生・著「私の日本憲法論」(P91〜93)より

神武天皇建都即位の御詔勅の中に「下は即ち皇孫(すめみま)《正しきを養い》たまう心を弘めん」
とあるのは、日本書紀巻第三(神武天皇の巻)の冒頭にちかき所に、瓊々杵尊(ににぎのみこと)
が「正しきを養い、慶びを積み、暉(ひかり)を重ね…:」とあるのに相対するお言葉である。

このお言葉はキリストの「先ず神の国と神の義(ただしき)を求めよ。
その余のものは汝らに加えらるべし」という教訓と全く同じ精神なのである。

神の国の正義を自己の内に養い、修養して、よろこべば喜び来るの原理にしたがって、
慶びを積み、心を明るくして神の暉(ひかり)を自己に受信し得る波長を心に起すのである。
そうすると、自然に「その余のことは汝らに加えらるべし」である。

だから「《然して後に》六合兼ねて以て都を開き、八紘(はっこう)を掩(おお)いて宇(いえ)と
為(なさ)ん」であって、この「然して後に」の語には千鈞(せんきん)の重みがあるのである。

暴力や詭計(きけい)や武力を背景としての強制カによってかくならしめるというのではなく、
神の国の秩序であるところの「正しきを養い、慶びを積み、暉(ひかり)を重ねて」来たならば、
自然に実相が顕現してそのようになるというのが「然して後に」であるのである。

従って「然して後に」来(きた)るところの
「六合(りくごう)を兼ねて以て都を開き、八紘(はっこう)を掩いて宇(いえ)と為(なさ)ん」
ということは決して侵略精神ではないのである。

内在の神の国の実相があらわれて、自然にそのように顕現するというのである。
これはキリストのいわゆる「その余のものは汝らに加えらるべし」に当るのてある。

六合とは天地四方であり、あらゆる方角の国々にもそれぞれ独立国としての都は厳存するけれども、
更にそれを総合する世界連邦政府の都を《兼ねて》開くというのであって、

神武天皇時代にこのような世界連邦の構想を建国の理想に掲げられたことは、
神武天皇の霊感の素晴しさを物語るものである。

そしてそれが世界連邦の構想であるということが解れば、
「八紘為宇(はっこういう)」ということも決して侵略的精神ではないことが理解できるのである。

元来、紘とは冠(かんむり)の紐(ひも)のことである。
「紐」は「緒」ともいうのであるが、「緒」は「玉の緒」すなわち「魂」をあらわすのであり、
お公卿(くげ)さんがかむる冠の緒を顎の下で一つに結び合わすように、
世界各国各民族の魂を仲よく結び合わせて、それを一家庭の如くするというのである。

こういう八紘為宇の本当の神武精神がわかっていたならば、
戦争も起らなかったにちがいないのであるが、それを軍閥が曲解したために、
あの戦争は起ったと言い得るのである。

           <感謝合掌 平成25年2月14日 頓首再拝>

日本国の本質は、天照大御神の神勅にある (6504)
日時:2013年02月15日 (金) 06時31分
名前:伝統


       *谷口雅春先生・著「私の日本憲法論」(P34〜36)より

《日本国の本質は天照大御神(あまてらすおおみかみ)の神勅(みことのり)である》

私がこんな話をいたしますのは、
実は日本国家の本質について皆さんの御理解を得たいからなのであります。

日本国は誰が何を如何にして創造されたかという問題であります。
日本国がどのようにし出来たかと申しますと、日本書紀には、天照大御神の勅(みことのり)
によりまして

「豊葦原(とよあしはら)の干五百秋(ちいほあき)の瑞穂(みじほ)の国は、
是れ吾(あ)が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。
宜(よろ)しく爾皇孫就(いましずめみまゆ)きて治(しら)せ、行矣(ゆきくませ)。
宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか」えまさむこと、まさに天壌(あめつち)と窮(きわま)り
なかるべし」

と録(しる)されているのであります。

天照大御神の「天(あま)」とは天球即ち宇宙でありまして、
天照大御神とは宇宙の大神であらせられます。

大神が出現せられた時の有様を日本書紀には、
「光華明彩六合照徹(ひかりうるわしくりくごうにてりとおらせり)」と書かれており、
宇宙全体にその光明がうるわしく照り徹っている有様が形容されているのであります。


《日本の本当の建国は何時か 》

日本国の建国はいつの時代かという問題は建国記念日制定以前から色々の説があり、
建国記念日制定後にも尾を曳いている問題でありますが、

コトバが神であり、神はコトバと偕(とも)にあり、一切のものはコトバによって生じた
という哲学から申しますと、日本の建国は、宇宙の大神にまします天照大御神が
「豊葦原の瑞穂の国は世々わが子孫の王たるべき地なり」とコトバによって宣言された時に
日本国は、「神のコトバの世界」即ち「理念の世界」に於いて成立したのであります。


《理念とは如何なるものか》

もっとも「理念」というものは、コトバ即ち「神の生命の智的表現としての振動」即ち
神の心の中にに想い浮かべられた“形相”でありますから、それは物質的形相ではありません。

従って縦横厚みの三次元的な空間的大小のひろがりをもっていません。
すなわち物質的な形や大きさを抽(ぬ)きにした超空間的な純粋な形相であります。
だから、その理念が現象面に投映して来る場合には、大にも小にも顕われて来るのであります。

天照大御神が天孫降臨の神勅に於て仰せられた「豊葦原の瑞穂国」というのも
色いろの解釈がありますが、これは大には現象宇宙ぜんたいを表わしており、
国家的には日本国を表現しており、極微の世界に於ては物質原子の構成をあらわしていると
見ることができます。

というのは、瑞穂国というのはこれを哲学的に解釈いたしますと水火国(みずほのくに)
ということになります。“水”は陰の象徴であり、“火“は陽の象徴であります。
陰陽の組合せによる結合によって出現したものはすべて、大小に拘らず水火国であります。

大は太陽系統から小は物質原子に至るまで、すべて水火国であります。
国家も家庭もすべて陰陽結合によって成り立つ水火国であります。

           <感謝合掌 平成25年2月15日 頓首再拝>

天皇政治こそ民利にかなう (6525)
日時:2013年02月16日 (土) 04時37分
名前:伝統


       *谷口雅春先生・著「私の日本憲法論」(P89〜91)より

日本天皇の天皇政治がもし完全に行われるならば、
国民を“大御宝(おおみたから)”としての政治が行われるのである。

すなわち神武天皇建国御即位の詔(みことのり)には、
次の如く君民一致の国是(こくぜ)が示されているのである。

「…夫(そ)れ大人(ひじり)の制(のり)を立て、義(ことわり)必ず時に随う。
苟(いやしく)も民に利有(くぼさあ)らば、何(いか)にぞ聖造(ひじりのわざ)に
妨(たが)わん。

且(ま)た当(まさ)に山林(やまばやし)を披(ひら)き払い宮室(おおみや)を
経営(おさめつく)りて、恭(つつし)みて宝位(たかみくら)に臨み、
以て元元(おおみたから)を鎮むべし。

上(かみ)は即(すなわ)ち乾霊(あまつかみ)の国を授けたまう徳(うつくしび)に答え、
下は皇孫(すめみま)、正しきを養いたまう心(みこころ)を弘めん。

然(しか)して後に六合(りくごう)を兼ねて以て都を開き、
八紘(あめのした)を掩(おお)いて宇(いえ)と為(せ)んこと、亦可(またよ)からずや。」


国民のことを漢字にては”元元”の字をもって当てられていることに注意しなければならない。
元はハジメであり、本であり、国家成立の本元をなすものは国民であるとの
神武天皇建都即位の御理想は、天皇政治そのままに民主政治であることが表現されているのである。

上の詔勅を更によくよく拝読すれぱ、天皇はその国を私有のものと観(み)られないで、
「上は即ち天津神の国に授けたまう徳に答え」(漢字を解読しやすい字におきかえた)と
仰せられた。

すなわち天の大神より国を授けられ、それを治めるように預けられたものであるという
敬虔なお気持があらわれているのであって、武力で先住民族を征服して国土を奪取した
というような考えが微塵もないことに注目しなければならないのである。

そして、「それ大人(ひじり)の制(のり)を立つ」と仰せられたのを解釈すると、
漢字の「大」は”天徳"をあらわすのである、すなわち「大人」とは"天徳を受けた人”
という意味であって、現代語でいえば「神の子」ということである。

神武天皇はみずから「神の子」の自覚をもって、神からこの国を治めるようにと
委託せられてこの国を神からお預り申しているというような、
尊貴の白覚と同時に謙遜の徳をもって、この国を統治せられた。

これが天皇政治の特色であるのである。

「大人」と書いて、日本読みで”ひじり”と読むのは、“ひ“は”光”であり、
”じり”は著(いちじる)しいという意味で、”神の子”すなわち”光の子”であり
”光著し”との御自覚のあらわれであり、世を照らす真(まこと)の光として自分は此の世に
生まれたのであるという尊き自覚である。

しかも、この”聖(ひじり)”の自覚は、自分がひとり尊くして専制君主として立つのではなく、
「制を立て」法制を定めるのに、窮屈に杓子定規の制度を設けず、必ず「時に随う」
すなわち時代に応じて最も民意を反映した政治を行うと仰せられているのであっで、

「苛しくも民に利(くぼさ)有らば、何ぞ聖の造(わざ)に妨(たが)わん」というのは、
民利にかなう政治を行うことは聖徳をもってする天皇政治の妨げには決してならぬ。

民利を行うことこそ天皇政治である、と仰せられているのである。
君民の利益が一致しているのが、天皇政治下の民主主義なのである。

そこで思い出されるのは、仁徳天皇が当時の日本国民が貧しくなっているのをみそなわせられて、
3年間租税を免除し、皇居が朽ちて所々がぼろぼろになって雨漏りしても、
それを補修し給うことさえ遠慮せられて、

3年目に高殿に登り給うて眼下に街(まち)を見渡されると、国民の経済状態は復興して、
炊煙濠々(すいえんもうもう)とたち騰(のぼ)って殷富(いんふう)の有様を示しているので、
皇后さまを顧みて、「朕は富めり」と仰せられた。そして、

【高き屋にのぼりて見れば煙たつ 民の窯(かまど)賑ひにけり】

というお歌をお詠みになったというのである。
天皇は、自已が貧しくとも、国民が裕かであれば、「朕は富めり」であらせられる。
これが天皇政治の中に生きている民主主義なのである。

これを民主政治下の代議士が、汚職をもって自分を富ませながら、
そして自己の貰う歳費の値上げを全員一致で議決しながら、
国民のたべる米の価格や、国民の足である交通料金その他の公共料金の値上げに
賛成するのと比較してみるならば、いわゆる現代の民主政治は一種の特権階級政治であり、
天皇政治こそかえって民主政治であることがわかるのである。

           <感謝合掌 平成25年2月16日 頓首再拝>

日本国家の基本構図 (6544)
日時:2013年02月17日 (日) 04時44分
名前:伝統


       *谷口雅春先生・著「私の日本憲法論」より

日本の国は海外の諸国とは、国の成り立ちが異るのである。

天照大御神(あまてらすおおみかみ)の大御心(おおみこころ)の中に、
「豊葦原(とよあしはら)の瑞穂(みずほ)の国は世々(よよ)わが子孫(うみのこ)の
王(きみ)たるべき地(くに)なり」

という国家設計の基本構図を示し給うたその理念に従って顕現したところの
理想的国家が日本国なのである。

その理想は、人間が創作したところの理想ではなく、
宇宙神なる天照大御神の創作せられた国家の基本構図に基づく理想であるのである。

この理想は宇宙神の御発想にもとづくものであるから、
単に日本国家形態の理想であるばかりでなく、あらゆる宇宙の存在の基本形態と
なっているところのものである。

・・・

《天皇中心理念の顕現としての日本国家 》

外国の国家のうちには、人民が集まって協議して自已防衛のための団体をつくり、
その人民群の福利のための信託組合のような形で国家が形成されたのがずいぶんある
ようであります。

しかしそのような国家形成の原理を日本民族国家の形成にまで当てはめて考えることは
間違いなのであります。この間違いの原理を、国家形成の「普遍の原理」だなどと称して
日本に押しつけたのが現行の占領憲法であります。

日本国家の形成は天照大御神(あまてらすおおみかみ)の天孫降臨の神勅(みことのり)にある
如く、天照大御神がその大御心(おおみごころ)の中に

「豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂国(みずほのくに)は
世々(よよ)わが子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり」

という日本国家形成の個性ある根本原型が設計せられ、その精神的原型(すなわち理念)が
天降って、その理念の具象化として神武天皇の建国となり、

爾来、二干六百三十年にわたって、日本にのみ存在するこの個性ある天皇中心国家が連綿として
継続して来たことは、それが人類普遍の個性なき国家形成の原理に従って機械的に形成された
国家でないからこそであり、

それが天授の国家理念の具体化であればこそ、このように天皇中心制度が二千六百三十年にも
わたって継続し得たのであります。
これは他国に比類なきことであります。

・・・

《日本なるものの本質》

私は「日本」を限りなく愛します。日本の現実の状態ではありません。
「日本」なるものの本質を愛するのです。

私は日本民族の本質又は特殊性と云うものをその「古事記」神話の中に見出だすことが出来る
と思うものなのです。これは具體的歴史よりも尚一層真実なるものであります。

具體的歴史と云うものは、神話の中に現れたる日本の理想が徐々に現実に展開して行く過程
でありまして、時にはそれが退転した如く見え、不完全にあらはれたり、行き過ぎたり、
行き足らなかったり、脱線したりするのでありますが、

結局は大観して観る時、全體としてその民族理想が一層ハッキリと顕現し行きつつある
のであります。

さて日本民族神話の特徴は中心帰一理念であります。
それは、「古事記」の冒頭の「天地(あめつち)の初發(はじめ)の時、高天原(たかあまはら)
に成(な)りませる神の名(みな)は天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)の最初の行に
それが既にハッキリあらはれてゐると云うことであります。

(中略)

「成(な)る」と云うのは「鳴(な)る」と語源が同じであって、
高天原(即ち宇宙)に鳴りわたるコトバであったところの神が天之御中主神であった
と云うのであって、

これは、キリスト教のバイブルのヨハネ傳第一章に「はじめに言(ことば)あり、
言は神と偕(とも)にあり、言は神なりき、万(よろ)づのもの之によりて成り、
成りたるものこれによりて成らざるはなし」と書かれてゐるコトバなるところの
「神」と全く一つなのであります。

・・・

《日本国家形成の理念はいかなるものか》

それでは日本国家形成の理念というものはいかなるものであるかというと、
天皇を中心とする君民同治の国家理念であるのである。

それは『日本書紀』にしるされている天照大御神が降された理念であり、
それがさらに具体化されて神武天皇建国の詔勅となり、これが世界連邦の
「都をつくり、八方の世界各国の魂の緒(お)を、冠の紘(ひも)を一つに結ぶかのごとく
結び合わせて世界中を一家庭のごとくする」という理想となって発展していることは
しばしば私の説くところである。

「上は則ち天津神の国を授け給いし徳に答え」という建国の根元にわれらは注意しなければ
ならないのである。

日本国は「人間立国」の国ではなくて、「神より統治の大権を天照大御神の子々孫々たる
天皇に下し給うた」という「理念」の具体化が現実の日本国としてあらわれているのである。

           <感謝合掌 平成25年2月17日 頓首再拝>



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