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日本讃歌 (6521)
日時:2013年02月16日 (土) 04時16分
名前:伝統

(このスレッドでは、国内外から、
 日本と日本人の良さ・素晴らしさに焦点を当てた情報・資料を紹介して参ります)

【最もよい影響を与える国は日本】

      *メルマガ「人の心に灯をともす(2013年02月15日)」より

   永田公彦氏の心に響く言葉より…


   英国放送協会(BBC)が、毎年、英国グローバルスキャン社と米国メリーランド大学と
   共同で行う国際世論調査「カントリー・インフルエンス・ポール」があります。

   この調査は、毎年世界20数カ国に住む2万〜3万人を対象に、
   世界に対し「よい影響を与える国」と、逆に「悪い影響を与える国」を
   複数選んでもらう方式で行なわれています。

   2012年度は、世界22カ国に住む総計2万4090人に対して実施されました。


   結果は、最もよい影響を与える国に日本が選ばれました。
   これにドイツ、カナダ、英国、中国が続きました。


   「日本はよい影響を与える」と答えた人は、すべての調査対象国平均で58%です。
   特に、アメリカ、カナダ、英国、ナイジェリア、インドネシアでは
   70%以上にものぼります。

   日本がよい影響を与えると思う理由については、
   47%が「日本の経済・製品・サービスの素晴らしさ」、
   22%が「日本の伝統文化の素晴らしさ」をあげています。


   一方、「日本は悪い影響を与える」と答えた人は、
   すべての調査対象国平均で21%と低くなっています。

   ただし、中国で63%、韓国で58%と、この2カ国だけは高くなっており、
   両国では、日本は悪影響を与えるとの答えが、好影響を与えるとの答えを上回っています。


   「震災の影響にもかかわらず、東京が3年連続で最も好きな海外都市に選ばれる」
   …英国の有力紙ガーディアンの読者が選ぶ「ガーディアン・トラベル・アワード2012」
   の海外都市部門の結果です。

   2位以下は、サンフランシスコ、セビリア、ベルリン、ケープタウンと続きます。

   この東京の根強い人気の理由として、同紙の記者は次の4点をあげています。

   1つは、共存です。
   高と低、西洋と東洋、古いものと新しいものが混じり合い、
   最先端の国際的アミューズメントパークのようだと評しています。

   2つ目は、強いアイデンティティです。
   新しいものをどんどん取り入れる一方で、日本らしさの根幹を失わないと分析しています。

   3つ目は、豊富な見どころです。
   秋葉原のメイド喫茶、原宿のファッション、銀座のショッピング、築地魚市場、
   日本芸術の最高のコレクション東京国立博物館、明治の香りの残る上野、
   江戸を感じさせる浅草、古都鎌倉、
   開店と同時に従業員が一列に並びお辞儀をするデパートなどをあげています。

   4つ目は、衛生面のよさです。
   飲食店を例に、喧騒に満ちた場所でも非常に衛生的と評しています。

    <『日本人こそ見直したい 世界が恋する日本の美徳』ディスカバー>

   ・・・・・

永田公彦氏は、フランスを拠点に活躍する国際経営コンサルタントだ。

日本は世界でもっとも称賛される国にも関わらず、
当の日本人は、自国に対して自信を持てない人が多い。

それは、戦後の自虐史観によるものと、
近隣の国々の日本非難(過去の歴史観等)による自信喪失だ。


しかし、世界の圧倒的多数の国々は、
日本を称賛し、日本に恋していることを忘れてはいけない、と永田氏は言う。

日本人自らがもう一度、日本の素晴らしい価値に目覚め、自信を取り戻したい。

           <感謝合掌 平成25年2月16日 頓首再拝>

「息子の名前がつく村 〜ナカタアツヒト村〜」 (6588)
日時:2013年02月20日 (水) 04時48分
名前:伝統


     *『致知』2008年9月号 中田武仁(国連ボランティア終身名誉大使)随想

平成4年になって間もなく、大阪大学を卒業し、外資系のコンサルティング会社に
就職が決まった息子の厚仁(あつひと)から、
1年間休職し、国連ボランティアとしてカンボジアに行きたい、という決意を打ち明けられた。

カンボジアは長い内戦をようやく抜け出し、
国連の暫定統治機構のもとで 平成5年5月の総選挙実施が決まった。

人々に選挙の意義を説き、 選挙人登録や投開票の実務を行う選挙監視員。
それが厚仁が志願したボランティアの 任務の内容だったのである。


厚仁の決意は私にとって嬉しいことであった。
商社勤めの私の赴任先であるポーランドで、厚仁は小学校時代を過ごした。

いろいろな国の子どもたちと交わり、
アウシュビッツ収容所を見学したことも契機となって、
世界中の人間が平和に暮らすにはどうすればいいのかを考えるようになった。


世界市民。

その意識を持つことの大切さを
厚仁はつかみ取っていったようである。

1年間のアメリカの大学留学もその確信を深めさせたようだった。
国連ボランティアは、厚仁のそれまでの生き方の結晶なのだ、と感じた。

だが、現地の政情は安定には程遠い。
ポル・ポト派が政府と対立し、選挙に反対していた。
息子を危険な土地に送り出す不安。

私には厚仁より長く生きてきた世間知がある。
そのことを話し、それらを考慮した上の決意かを問うた。
厚仁の首肯(うなず)きにためらいはなかった。
私は厚仁の情熱に素直に感動した。



カンボジアに赴いた厚仁の担当地区は、
政府に反対するポル・ポト派の拠点、コンポントム州だった。
自ら手を挙げたのだという。
私は厚仁の志の強さを頼もしく感じた。

厚仁の任務があと1か月ほどで終わろうとする
平成5年4月8日、私は出張先で信じたくない知らせを受けた。


厚仁は車で移動中、何者かの銃撃を受け、射殺されたのだ。


現地に飛んだ私は、厚仁がどんなに現地の人びとに信頼されていたかを知った。
厚仁の真っ直ぐな情熱は、そのまま人びとの胸に届いていた。

カンボジア佛教の総本山と尊崇されている寺院で、厚仁は荼毘(だび)に付された。
煙がのぼっていく空を見上げた時、厚仁は崇高な存在になったのだと感じた。


私は決意した。

長年勤めた商社を辞め、ボランティアに専心することにしたのだ。
そんな私を国連はボランティア名誉大使に任じた。

そういう私の姿は厚仁の遺志を引き継いだ、と映るようである。

確かに厚仁の死がきっかけにはなった。

だが、それは私がいつかはやろうとしていたことなのだ。
厚仁のように、私もまた自分の思いを貫いて生きようと思ったのだ。

私はボランティアを励まして延べ世界50数か国を飛び回った。
それは岩のような現実を素手で削り剥がすに似た日々だった。

ボランティア活動をする人々に接していると、
そこに厚仁を見ることができた。
それが何よりの悦びだった。


厚仁が射殺された場所は人家もない原野なのだが、
カンボジアの各地から三々五々その地に人が集まり、人口約1000人の村ができた。

その村を人々はアツ村と呼んでいる、と噂に聞いた。
アツはカンボジアでの厚仁の呼び名だった。
人々は厚仁を忘れずにいてくれるのだ、と思った。


ところが、もっと驚いた。


その村の行政上の正式名称が
ナカタアツヒト村ということを知ったのだ。


このアツ村が壊滅の危機に瀕したことがある。
洪水で村が呑み込まれてしまったのだ。

私は「アツヒト村を救おう」と呼びかけ、
集まった四百万円を被災した人びとの食糧や衣服の足しにしてくれるように贈った。

ところが、アツヒト村の人々の答えは私の想像を絶した。
カンボジアの悲劇は人材がなかったことが原因で、これからは何よりも教育が重要だ、
ついてはこの400万円を学校建設に充てたい、 というのである。


こうして学校ができた。

名前はナカタアツヒト小学校。
いまでは中学校、幼稚園も併設され、
近隣9か村から600人余の子どもたちが通学してきている。

やがては時の流れが物事を風化させ、厚仁が忘れられる時もくるだろう。
だが、忘れられようとなんだろうと、
厚仁の信じたもの、追い求めたものは残り続けるのだ。

これは厚仁がその短い生涯をかけて教えてくれたものである。


厚仁の死から15年が過ぎた。

ひと区切りついた思いが私にはある。
楽隠居を決め込むつもりはない。
国連は改めて私を国連ボランティア終身名誉大使に任じた。

この称号にふさわしいボランティア活動を、これからも貫く決意だ。

15年前、あれが最後の別れになったのだが、
一時休暇で帰国しカンボジアに戻る厚仁に、
私はこう言ったのだ。


「父さんもベストを尽くす。厚仁もベストを尽くせ」


ベストを尽くす。

これは息子と私の約束なのだ。

厚仁の短い生涯が、人間は崇高で信じるに足り、
人生はベストを尽くすに足ることを教えてくれるのである。

・・・

昨年、カンボジアに訪れた野田首相(首相の時)が参拝した2人の日本人の慰霊碑。
うち一人は、中田厚仁さんという若者の碑でした。

平成5年に、国連ボランティアとして活動中に銃撃され、25歳で亡くなりました。

           <感謝合掌 平成25年2月20日 頓首再拝>

【日本は農業大国】でもある (6678)
日時:2013年02月24日 (日) 03時47分
名前:伝統


       *メルマガ「人の心に灯をともす(2013年02月21日)」より

   浅川芳裕氏の心に響く言葉より…


   「日本農業は弱い」なんて誰がいった?

   日本はすでに「農業大国」なのである。

   農業の実力を評価する世界標準は、メーカーである農家が作り出すマーケット規模である。
   国内の農業生産額はおよそ8兆円。
   これは世界5位、先進国に限れば米国に次ぐ2位である。

   この数字は農水省が発表しているもので、2001年以降、8兆円台を維持している。

   日本が農業大国である所以(ゆえん)は、日本が経済大国だからという点に尽きる。
   戦後、まず農業以外の産業が発展し、人々の生活が瞬く間に豊かになった。

   そして消費者の購買力が増すにつれて、食に対する嗜好も変化していった。
   それにともない、食品の流通・小売業や加工業も発達した。
   それらの食品産業のもっとも川上に位置するのが、農業である。

   他産業が発展し、人々が豊かになることで農業は継続的に発展できるのだ。
   物資が足りず、食うや食わずの生活を送っている国民が大半を占める時代では、
   主食となるコメや一部の野菜以外は売れない。

   しかし、経済的なゆとりが生まれれば、
   それまで贅沢品だった肉や果物なども売れるようになる。

   農業経営者がそのニーズを創り出し、ニーズに応え続ける経営努力によって、
   農業は産業として成長してきたのである。

   過去40年間で農家の数は激減したが、農業以外の所得の増大と農業の技術革新にともない、
   生産性と付加価値は飛躍的に向上している。
   農業を本業とし、きっちり成果を挙げている優良農家は進歩を遂げているのだ。

   すなわち、今ある少数の農家だけでも日本国民の需要を十分に賄(まかな)いきれるほど、
   農場の経営は進歩を遂げているのである。

   これは何も日本に限った特殊な現象ではなく、
   農業就業人口の流動化、減少、生産性の向上は、すべての先進国が歩んできた道である。


   それではなぜ、こうした事実に反して
   「農業は弱い産業だ」という単純なレッテルが貼られているのか。

   それはすべて、農水省および日本政府が掲げる「食料自給率向上政策」の思想に起因する。

   昨今の世界的な農産物価格の高騰と相まって、
   日本の食糧自給率(41%)が世界で最低レベルの危機的状況にあると取り沙汰されている。

   しかし、この主張の裏づけとなる食料自給率の数字は、実は極めていい加減なものなのだ。

   そもそもスーパーに並ぶ農産物の大半は国産だし、
   棚には1年を通して十分すぎるほどの量が陳列され、
   品質についても大きな不満は聞こえてこない。

   それどころか、現実は生産過剰だ。

   コメの減反政策は40年以上続けられ、畑での野菜廃棄の光景も日常化している。

   自給率が示す数字と一般的な感覚がかけ離れているのは、
   農水省が意図的に自給率を低く見せて、
   国民に食に対する危機感を抱かせようとしているからである。

   では、なぜそんなことをするのか。

   端的にいうと、窮乏(きゅうぼう)する農家、
   飢える国民のイメージを演出し続けなければならないほど、
   農水省の果たすべき仕事がなくなっているからだ。

   それはつまり、民間による農業の経営、マーケットが成熟し、
   政府・官僚主導の指導農政が終わりを迎えているということの証である。

      <『日本は世界5位の農業大国』講談社+α新書>

   ・・・・・

2007年の先進5カ国の農産物輸入額は、1位が米国の747億ドル、2位がドイツの703億ドル、
次いで英国535億ドル、日本460億ドル、フランス445億ドルという順。

人口は、米国3億人、ドイツ8000万人、英国6000万人、日本1億2000万人、フランス6000万人だから、
アメリカと同様、日本がいかに輸入量が少ないかわかる。

日本の自給率は41%と言われるが、それはカロリーベースで計算しているからだ。

生産額ベースでは、66%となり、主要先進国の中では3位。

そして、自給率を発表している国は世界で日本だけ。

「先進国最低レベルの食料自給率」「後継者不足」「耕作放棄地の増加」といった
負のキーワード「日本農業弱者論」は、新たな自虐史観だ、と浅川氏は語る。

もう一度、日本の農業についての認識を新たにしたい。

           <感謝合掌 平成25年2月24日 頓首再拝>

『日本は世界第4位の海洋大国』 (6698)
日時:2013年02月25日 (月) 03時25分
名前:伝統


      *山田吉彦・著『日本は世界第4位の海洋大国』より

(1)なぜ中国はこれほどまでに尖閣諸島の領有権を主張するのだろうか。
   それは、「日本の海」が豊かな海であり、「中国の海」が貧しい海だからだ。

(2)領海とさまざまな経済的な権益を持つ排他的経済水域を足した面積において、
   「日本の海」は世界6位の広さを誇る。

(3)日本の海は、日本海溝など深い海もあるため、海水量、すなわち海水の体積でみると
   世界4位の海洋大国である。

   そこには、化石燃料、レアメタル、ウランなどの鉱物資源、
   食料となる水産資源などが眠っている。

(4)排他的経済水域の境界が重要である。
   その海域には、以下の3つの重要な権益が認められている。

  @海底に眠る資源を調査し、開発する権利。

  A海中を調査し、海水中に浮遊する資源などを利用する権利。

  B漁業管轄権。

(5)「日本の海」には、エネルギー問題を解決し得る物質が眠っている。
   それが石炭、石油に続き、
   人類が次世代のエネルギーとして期待する「メタンハイドレート」。

(6)海底にはレアメタルを含んだ多くの価値ある鉱物がごろごろしている。
   海底はまさに「宝の隠し場所」なのだ。

(7)日本の沿岸は「世界三大漁場」と呼ばれている。

  @北大西洋にあるアメリカ東海岸から、
   カナダ・ニューファンドランド島の東沖に広がる「グランドバンク」とよばれる海域。

  Aイギリスからノルウェーにかけての「北海周辺海域」。

  B日本沿岸。

(8)日本の海は広くて大きい。

   この海を守り、ともに生きていくことこそが、日本の繁栄につながる。

           <感謝合掌 平成25年2月25日 頓首再拝>

「奇跡の国」日本 (6763)
日時:2013年02月28日 (木) 03時33分
名前:伝統


      *メルマガ「RPE Journal(2012/10/24 )」より

▼奇跡の国

外国慣れした私にとって、日本はいまだ「奇跡の国」です。

たとえば、レストランで見た光景。

小さい子供が、プレゼントしてもらったおもちゃに電池を入れようと奮闘していました。

しかし、小さい子供用のおもちゃは、
安全を考え電池を簡単に出し入れできないようになっています。
ドライバーがないと、電池入れを開けられないのです。

それを見ていた店員さんが、なんとドライバーをもってきて親に渡していました。

外国ではまずお目にかかれない光景です。



別のレストランでは、赤ちゃんがコップを倒し、水がテー ブルにこぼれてしまいました。

すると、ウェイトレスの女性が、「どうもすいません」といいながら、水をふき取ります。

一緒にいた日本語のわかるロシア人は驚愕。

「なんで店員さんが謝るんだ! 悪いのは水をこぼしたほうじゃないか!?」

私は、「いわれてみればそうだよな〜〜〜」と思いました。

答えに窮した私は、「まあ、日本だから・・・」と答えます。
すると、そのロシア人も、「・・・・・・そうだよな」と答えました。



新宿のあるデパートでのこと。

ロシア人が、小声で「おいあれを見てみろ!」といいました。

みると、そこには従業員用の出入り口があります。

入ってくる従業員は、周りに誰もいないにもかかわらず、深々とお辞儀をしていました。
また、出て行く従業員は、出る直前にクルッと反転し、深くお辞儀をして出ていきました。


ロシア人はききます。

「あれは、いったい誰にお辞儀しているんだ? 誰もいないぞ?!」

私は、「お客さんかな〜」と答えました。

ロシア人は、「お客さんは誰も見てないぞ!」といい、納得しませんでした。

しかし、日本の最高級のサービスには、
何か「精神性」がかかわっているらしいことは悟ったようです。



しばらく見ていると、スレンダーな美女従業員さんが、入ってきました。

深々とお辞儀し、颯爽と歩いていきます。

彼女の歩いている方向から左30度あたりの床に、
赤い糸くずのようなもの(ごみ)が落ちていました。

今までたくさんの従業員が通り過ぎましたが、気がつかないほど小さいものです。

しかし、彼女はそれを見つけ、進路を変更。
すっと拾い上げると、何もなかったように、進んでいきました。

ロシア人はその姿と見て、「おお!」と驚嘆の声をあげます。

同じデパート内とはいえ、彼女にその糸くずを拾う責任はありません。

それを、ごくごく自然にスッと拾い上げた彼女の動きに、感動したようです。



あまりに刺激が大きかったのか、そのロシア人は、トイレに大切なバックを忘れてしまいました。
小さな物だったので、存在を忘れ、気がついたのは3時間後。

パニくってトイレに戻ると、「忘れ物、落し物コーナー」にいってみてくださいとのこと。

そこにいくと、ちゃんとありました。

そして、コーナーの人たちが、「見つかってよかったですね!」とにっこり微笑みます。

ロシア人は、「日本は奇跡の国だ!」と涙ぐんでいました。


▼奇跡の国を守ろう

人間の成長が「自己中心性(エゴ)を克服すること」だとすれば、
日本人はもっとも成熟した民族です。
国民の誰もが、「他の人に迷惑をかけないよう」「他の人の喜ぶこと」を考えながら生活しています。

世界は、「自分の利益が最優先で最重要」と考える大国群によって、メチャクチャになっています。

そして今、

「1895年から1970年まで一度も文句をいわなかったが、尖閣は自分のもの」

と泥棒的な主張をする中国と、戦争の可能性が高まっています。

RPEが05年から警告していたことが、ついに現実になってきました。

「自己中」の中国 対 「利他の国」日本。

日本は世界の良心的な人々の希望であり、どうしても守らなければなりません。

日本は戦後、アメリカを目指して走りつづけてきました。

それが気づいてみると、世界が目標とする国になっていたのです。

日本では、「最近の若者は内向きでいかん!」という論調が多いです。

「留学しないのはけしからん!」と。

しかし、どんなヘンテコ経済学者でも、「欧米日で一番マシなのは日本だ」といいます。

ボロボロの欧米に留学して何を学べというのでしょうか?

「だったら中国に留学せい!」

といいますが、一党独裁の共産国家で、
日本より30年おくれている中国で何を学ぶというのでしょうか?


「日本がいい」というのは、そのとおりなのです。

日本に少しでも暮らした外国人は、母国にかえりたくなくなります。

そして、「北野さんはなんでロシアにすんでるの?日本が最高!」というのです。

(私がロシアに住んでいるのは、この国が「米英情報ピラミッド外にあり、真実を知りやすいため。)


そんな日本ですが、私たちが守らなければ、自立するどころか、
独立すら維持できなくなる可能性もあります。


「奇跡の国日本を守らねば!」


一時帰国した私は、そう決意を新たにしたのです。

           <感謝合掌 平成25年2月28日 頓首再拝>

【日本は堂々の金メダル】 (6855)
日時:2013年03月03日 (日) 04時52分
名前:伝統

    *メルマガ「人の心に灯をともす(2012年08月16日)」より

   双日総合研究所副所長、吉崎達彦氏の心に響く言葉より…


   「リオ+20」会議で国連環境計画が発表した「包括富レポート2012」は、
   世界20カ国を対象に、それぞれが保有する富を「物的資産」(機械や建物やインフラなど)、
   「人的資産」(人々の教育水準や技術)、「天然資産」(土地、森林、天然資源など)に
   分けて計算したものだ。

   この尺度でいくと、日本は米国に次いで世界第2位の資産国となる。

   「年収」で中国に抜かれたとはいえ、「富」を比較すると日本は中国の2.8倍もある。

   また、人口1人当たりの富は、日本が堂々の世界1位であった。

   日本が保有する富の大部分は「人的資産」にカウントされている。
   教育期間や平均賃金、働ける年数などに基づいて算出したものだ。

   「わが国の資源は勤勉で教育水準の高い人材だけ」という、
   長年の自己認識通りの結果である。

   また、調査された20カ国のうち、1990年から2008年までの間に
   「天然資源」が減少していないのは日本だけであった。

   これまた「環境のきれいな先進国」であるという、
   わが国の密かな自慢を裏づけるデータといえよう。

   事実、この期間中にわが国の森林面積は増えているのである。


   また、失業率と消費者物価を足したミゼラブル指数という概念がある。
   その名の通り「国民の悲惨度」を示す指標であり、米大統領選などの際に、
   「ミゼラブル指数が高いと現職の再選が難しい」ことが知られている。

   直近のデータで試算してみると、日本の失業率は4.4%であり、
   消費者物価上昇率の0.2%と足し合わせた4.6%は、世界の主要国では最も低い水準である。

   先進国はどこでも二桁が当たり前だし、
   ユーロ圏には失業率だけで10%以上という国が少なくない。

   日本の「悲惨度指数」は健闘しているといえるのだ。

   が、得てしてこういういい話は注目されない。
   つくづく悲観論が好きな国民なのである。

   おそらく世界の謙虚度調査というものがあれば、日本は金メダル確定ではないだろうか。

      <『産経新聞 正論』(2012年7月27日)より>

   ・・・

失業率と消費者物価を足した、各国の2011年のミゼラブル指数を調べてみた。

イギリス 12.67

イタリア 12.02

フランス 11.97

ドイツ   8.25

中国   8.10

韓国   7.57

日本   4.6


ヨーロッパ諸国の失業率だけで言うなら、スペインは21.64%、ギリシャは17.31%。

ちなみに、失業率1位のマケドニアは31.23%、2位のボスニア・ヘルツェゴビナは27.60%。

日本のミゼラブル指数の、4.6%がいかに低いか、わかる。

また、日本人の意識調査では、日本の緑が減ってしまったと感じている人は7割以上いるが、
実際は、わずかだが日本の緑は増えているという。

日本は森林率が67%で、これはフインランドやスウェーデンのように、
世界の中でもトップクラスの森林国だ。


日本人はなぜか、悲観論と自虐ネタが好きな国民だ。
自分の国に自信を持ちすぎ、他国をバカにしたり、責めたりするようなことはしてはいけないが、
日本人は、もう少し自国に対して誇りを持った方がいい。

日本は、人的資産においても、ミゼラブル指数でも、堂々の世界一。

オリンピックの金メダルも立派だったが、日本も堂々の金メダルだ。

           <感謝合掌 平成25年3月3日 頓首再拝>

【スタンディングオーベーション】 (6908)
日時:2013年03月05日 (火) 04時52分
名前:伝統


       *メルマガ「人の心に灯をともす(2012年08月19日)」より

   上柳昌彦氏の心に響く言葉より…


   2001年9月11日。

   ニューヨークのマンハッタン島で、世界貿易センターの2棟の高層ビルが
   テロリストの攻撃を受け、多くの人命が奪われました。

   「9・11事件」です。

   事件が起きてから1ヶ月後、日本全国から11人の消防官が集まって、
   まだ混乱の残る被害現場で消防・救助活動を手伝うために海を渡りました。

   この11人の消防官たちは、日本政府や消防庁が派遣したのではありません。

   自らの意思で、休暇をとっての「ボランティア」でした。
   この年の6月に『世界警察・消防競技大会』がアメリカで開催されましたが、
   そこに、日本の代表として選ばれて出場した、世界レベルのトップ技術を持った
   消防官たちです。

   大会で知り合ったニューヨークの消防官から、
   「仲間が行方不明になっている。助けて欲しい」というSOSのメールが入ったのです。

   横浜市の消防局に勤務する志澤公一さんは、それを読むと、
   一緒に競技大会に出場したメンバーに声をかけました。

   そして、11人の消防官が集まったのです。

   現場に急いだのですが、アメリカ政府は「消防」の目的とはいえ、
   事件が起きた中心部への外国人の立ち入りは、厳しく制限していました。

   規制線の張られた外側で、もどかしい思いで情報の収集を行なっていると、
   一人の高齢の牧師さんと出会いました。

   その牧師さんは、志澤さんたちが日本から駆けつけた消防官だと知ると、
   こんな話を始めました。

   「私が第二次世界大戦に参加した兵士だったとき、
   沖縄に上陸して日本人に銃口を向けたことがあります。

   それなのに、その日本から我々を助けにきてくれている。
   心から感謝します。
   ぜひ、あなたたちに手伝っていただきたい」

   その牧師さん、実は、ニューヨークの消防官のOBでもあったのです。
   そして、すぐに異例ともいえる特別な許可が出て、牧師さんが案内するままに、
   立ち入りのきびしく制限された現場の中心部にまで入ることができたのです。

   その日の作業が終わって、11人の消防官たちはホテルへと引き上げることになりました。

   そして道を歩いていると、驚くようなことが起きたのです。

   道ですれ違うアメリカ人たちが、志澤さんたちの姿を認めると、駆け寄ってきて、
   口ぐちに「サンキュー・ベリーマッチ」と声をかけ、
   時には「ありがとう」と日本語で話しかけて、さらに握手を求める輪ができたのです。

   実は11人の活動を、地元のテレビ局が報道していたのです。


   しかし、さらに驚くようなことが起きます。

   夜、地元ニューヨークの消防官が、今回の活動をねぎらうため、
   簡単な夕食会をしてくれたときのことでした。

   大きなレストランの片隅の席につき、注文を決めていると、
   突然、店にいた男性が立ち上がり、店内に向かって大きな声で叫んだのです。

   「みんな聞いてくれ!
   日本から私たちを助けにきた消防官のボランティアが、ここに座ってるんだ!」

   それまでにぎやかだった店内が一瞬、静まりかえると、
   次にはすべてのお客さんが、ナイフやフォークを置いて立ち上がり、拍手をしたのです。

   最大の賛辞(さんじ)を贈るという意味が込められた「スタンディングオーベーション」です。

   そして、数分間も続いた「拍手」も鳴りやみ、ではあらためてとメニューを開いていると、
   注文をしていない、食べきれないほどの料理が次から次へとテーブル上に並んだのです。

     <“上柳昌彦のお早うGood Day!”『母ちゃんダンプ』ニッポン放送>

   ・・・・・

スタンディングオーベーションは、満場総立ちで感動や賛辞を拍手とともに贈ることだ。

アメリカでは、アフガンやイラクなどの戦地から帰還した兵士たちが、空港に現れると、
通りがかりの見知らぬ人たちが、口々に「サンキュー」と言い、拍手もおこるという。


日本においても、東北大震災で活躍し、引き上げる自衛隊員の方々に、
横断幕で「ありがとう」と書き、拍手で送るというシーンがたくさんの場所で見られた。


「拍手」や「ありがとう」の言葉は、
どんな疲れも吹き飛ばしてしまうほどの癒(いや)しの力がある。

感極まったら、スタンディングオーベーションで最大の賛辞を送りたい。

           <感謝合掌 平成25年3月5日 頓首再拝>

がんばるぞ! 日本 (7039)
日時:2013年03月11日 (月) 03時49分
名前:伝統

2年前の今日3月11日は、東日本大震災が起き、忘れることができない日です。
その東日本大震災に関連した情報の紹介です。

       *遠藤功・著「新幹線お掃除の天使たち」より  
 
2011年3月11日。
あの大震災の日を境に、東北新幹線の清掃を手がける私たちにとっても、日常は大きく変わりました。

震源に一番近い小山サービスセンターと那須塩原派出所では、庫や事務所に被害を受けつつも、
スタッフはめげることなく、やっと庫に戻ってきた新幹線を元通りに美しくよみがえらせることに
全力を尽くしました。

震災当日、本線上に残された車両は自家発電の電源がなかったため水が流れず、
お客様は大変な思いをされたようです。

私たちはそのときの車両の悲惨なほどの汚れっぷりを見て、
そのときのお客さまの気持ちに思いを馳せるしかありませんでした。

2週間ぶりに清掃に入ったその日の車両の様子は、私もまだ忘れることができません。
車内の荒れた様子はもちろん、特にトイレはすべてが流されないままの状態で数日間経過している
のですから、汚れと激臭で全個室がひどい状態でした。

「これ、使えるようになるのか…」

主任の私ですら、清掃することに一瞬気力を失いそうになり、そんな言葉が胸をよぎったほどです。

ところが一緒に作業に当たっていたトイレ担当のR子さんとY子さんは、果敢でした。
目の開けていられないような臭いの中で、嫌な顔もせず黙々と作業し、
一つひとつのトイレを隅々まできれいに仕上げていました。

R子さんはトイレ担当になってまだ日が浅かったのですが、主任の私に確認を取りながら
必死に一つひとつに対処しようとしてくれていました。

「そろそろ、詰まりはなんとかなりそうですか? 一度、流してみましょうか? 」
「そうですね。お願いします」

Y子さんは今までの経験を生かし、自らの持ち場をまず手際よく処理すると、
R子さんの持ち場へと応援に向かい、すべてを完了させました。

その後、震災から1ヵ月ぶりの清掃となる列車もやってきました。
車内、トイレ、洗面所、そしてボンネットまで、見事に汚れている車両に、
また作業者全員で取り組みました。

やはり大変だったのはトイレです。
ペーパーと排泄物であふれた便器を、経験ある担当のJ子さんがお手本のように処理していきます。
両手にゴム手袋をはめ、気合を入れて汚れた便器に突っ込んでビニール袋にとりわけていくのです。

その汚物はもちろん車内トイレだけで流し切ることはできず、
検修庫のトイレまで運ぶことになりました。

「誰か、運んでくれますか? 」
額の汗を拭うこともできずにがんばるJ子さんの声を聞いて、
その役を買って出てくれたのはIさんでした。

「私が運びます」
重さも重さですし、臭いも臭いです。こぼしては元も子もありません。
Iさんもあっという間に汗びっしょりになっていました。

留置された車両は室内だけではなく、ボンネットも大変汚れていました。
外装のよごれやこびりつきは時間が経ち、乾いてとれづらかったのですが、
Kさんが根気よく洗い流し、きれいな車両に戻しました。

「新幹線は使い捨てじゃないからね」
「当たり前ですよ。こんなに高価で、素敵なものを使い捨ててたまるもんですか」

すべてがきれいになって、また乗車していただける新幹線に仕上げたとき、
私たちはそんな会話を交わしました。

「がんばれ日本、じゃないよね。がんばるぞ、日本」
「そう、がんばるぞ! 日本」

またきれいになって走っていく新幹線には、「がんばれ」でも「がんばろう」でもない、
私たちの「がんばるぞ! 日本」の思いが詰め込まれているのです。

私たちは「がんばるぞ! 日本」のネームプレートを胸につけるようになりました。

5月のある日、東京駅のホームで、40代くらいの女性のお客様数人がそのプレートをご覧になり
「一緒に写真を撮ってください」とおっしゃいました。

「私たち、これから被災地へ支援に行くんです」
「こうして新幹線のお掃除をしている人たちも皆さんを応援しているんですよ、
って写真を見せたいんです」

私はうれしくて説明しました。
「私たちは現地に支援には行けませんが、いつも被災された方々のことを思い、
ネームプレートや作業中札を通して通じ合っていたいと思うんです。」
そして「がんばるぞ!日本」と書いたポストカードをプレゼントしました。

お客さまはそれをじっと見ておっしゃいました。

「これ、被災地の子どもたちにあげますね」

被災地の子どもたち。それが一人や二人ではないことはみんなわかっていることです。

全員にあげることはできないけれど、私たちにできることは、今できることを、精一杯すること。
私はすぐに無線で仲間たちに連絡しました。
「2分以内に20番線の5号車前にポストカードを持っている人は全員持ってきてください」

一瞬にしてポストカードは30枚ほど集まりました。
それが私たちの思い、です。

がんばれ、でもなく。
がんばろ、でもなく。
がんばるぞ! 日本。

           <感謝合掌 平成25年3月11日 頓首再拝>

南鳥島沖に超高濃度のレアアース (7253)
日時:2013年03月22日 (金) 08時05分
名前:伝統

     *時事通信社(2013年3月21日(木)16:24)より

超高濃度、海底下数メートルに
=南鳥島沖のレアアース―資源化、より有望に


東京大と海洋研究開発機構は21日、2012年に南鳥島(東京都小笠原村)周辺の
排他的経済水域(EEZ)内の海底で発見されたレアアース(希土類)が、
海底面から数メートルの比較的浅い場所に超高濃度で分布していることが分かったと発表した。

濃度は中国の陸上鉱床の10〜30倍、推定埋蔵量は日本の消費量の数百年分に達するといい、
研究チームの加藤泰浩東大教授は「想像を絶する濃度のものが海底面近くにあるのは
日本にとって大きな福音だ」と述べた。

東大と海洋機構は今年1月、南鳥島付近のレアアースの分布を調査。
南鳥島の南方約200〜250キロにある水深約5600メートルの海底から採取した泥を
分析したところ、1地点では海底下約3メートルで約6600ppm、
もう1地点でも同約8メートルで約5000ppmのレアアースが含まれていた。

海底泥のレアアース含有量では、南太平洋のタヒチ島沖で約1500ppmという記録があるが、
今回の濃度はこれを大幅に上回る。海底下10メートル以内の比較的浅い地点に分布していることも、
採掘面では有利だという。 

 (http://news.goo.ne.jp/topstories/business/614/ce28ec9d3e5452fcb0358e01cc9b672c.html

・・・

<参考Web:「生長の家“本流宣言”掲示板」内の
       必要な物や知恵は与へられてゐる。日本にはないレアアースが太平洋海底に。(6267)
      → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=1423

           <感謝合掌 平成25年3月22日 頓首再拝>

「自分はまだまだです」という謙虚な姿勢は、世界に誇る日本人の美点 (7314)
日時:2013年03月26日 (火) 06時59分
名前:伝統


     *メルマガ「人の心に灯をともす(2013年03月04日)」より


   ルース・ジャーマン・白石氏の心に響く言葉より…


   アメリカ人は、特に大きな成果がなくても「給料をもらって当たり前」
   「手厚い待遇を受けて当然」といった権利意識が強いように思います。

   最近のアメリカはその権利意識が行きすぎている印象があります。

   サンフランシスコに住んでいる友人から、由々しきことを聞きました。

   電車の乗り換えがわからず、インフォメーションで駅員さんに尋ねようとしたら、
   足を机に載せたまま、携帯電話で話しながら、「ちょっと待って」と言われたというのです。

   そんな怠惰な勤務態度は、日本では許されません。

   しかし彼のような人は、外国では珍しくありません。
   
   しかも、権利国家のアメリカでは、どんなにいいい加減でも、
   「自分は給料をしっかりもらう権利がある」と堂々と主張します。

   しかし、それはアメリカ人の本来の姿ではありません。
   アメリカ人は、もともとは自分たちの力でフロンティアを開拓し、
   栄光をつかみとろうとするスピリットをもっていたはずです。

   それが、「わたしはこんなに頑張っているのに、なぜあの人は自分より厚い待遇を
   受けているのか?」などと、受け身な要求ばかりするようになっています。

   アメリカにとって、非常に危険なシグナルだと思います。


   一方、日本人を見ていると、権利意識はあまりないように感じます。

   むしろ、日本人の口からよく聞くのは、

   「わたしなんかまだまだです」
   「こんな至らない自分を働かせてもらえるだけで十分」
   「勉強させてもらいながら給料をもらえるなんてありがたい」

   といった、非常に謙虚な言葉です。

   「こんな機会を与えてくださり、ありがとうございます」
   「今の自分があるのは支えてくれるみなさんのおかげです」

   自己アピールが強く、権利もきっちり要求する国で生まれ育ったわたしには、
   こうした日本人の控えめな言葉をたくさん耳にし、最初は驚きでした。

   しかし、本当は日本人は、決して控えめなわけではないことがだんだんとわかってきました。
   
   日本人のこうした発言の奥には、「まだまだ感」があることに気づいたのです。
   何をやっても、いくつになっても、日本の人たちは「自分はまだまだです」
   という意識をもっています。

   そしてこの意識があれば、日本人が日本を出たときに非常に強いと思います。
   「自分はまだまだ」という気持があれば、誰に対しても上から目線にならないので、
   誰からも受け入れられ、仲間に入りやすくなるからです。

   どこへ行ってもコアメンバーになれる。
   頼られる人になりやすい。

   そこから生まれるチャンスは山ほどあるでしょう。

   世界の距離がこれほどまでに近づき、
   中国やインドなど新しい国の成長がめざましい現在だからこそ、
   皆が過剰な権利意識を捨てて、日本人の「まだまだ感」に学び、謙虚になるべきだと思います。

        <『日本人が世界に誇れる33のこと』あさ出版>

   ・・・・・

「知れば知るほど世の中のことを知らないことに気づいてくる。
自分一人では本当に何も出来ないといっていい。この事実に気づけば人は謙虚になる。
謙虚になれば、他人を敬う気持ちが表れ、相手からまだまだ学ばなければいけないことを
思い出させてくれる」  (松下幸之助)

威張ったり、自慢したりする人は、自分よりもっと数段上の人がいることに気づかない。
車とか、お金とか、物質的なことで、人と比較して思い上がるようでは、
あまりに幼稚で恥ずかしい。

自分では何も努力もしないのに権利意識ばかりが強い人は、人が離れていく。

「謙虚さ」の正反対の意識だ。


「自分はまだまだです」という謙虚な姿勢は、世界に誇る日本人の美点。

           <感謝合掌 平成25年3月26日 頓首再拝>

「美しい国、日本」 (8404)
日時:2013年05月15日 (水) 04時26分
名前:伝統

   *「無形の力 インタンジブルが会社を変える」山川和子・著(P187〜190)より

スイスの友人に教えられたこと

日本と日本人に対して誇りと自信を抱かせるようなテレビ番組がありましたのでご紹介しましょう。

英国BBC放送局の『世界に良い影響を与えた国』という番組で、
「堂々の1位に輝いたのは日本」であると発表しました。

「伝統と文化」「国民の態度」などインタンジブルなことだけでなく、製品の完成度、
クリエーションも審査基準に含まれています。「国民の態度」といえば、東日本大震災の
落ち着いた行動、譲り合いの精神は世界の人に感動を与えました。

震災に限らず、いつも何かが起こったときの日本人の伝統的態度は、共通して秩序正しく、
暴動が起きたことなど一度もありません。

騒がず、耐え忍び、最後には受容する心は、他民族にない独特の反応の仕方とマナーです。
外国人が正直に感じていることですから、素直に自信を持ち続けたいと思います。


震災後間もなく、スイスの友人が訪ねてきてくれました。

レストランで食事をしていたとき、隣のテーブルの男性たちが、
「壊滅的な被害に原発か! 復興には相当な時間がかかるだろうな。日本は終わってしまうかも
しれない。俺たちの仕事はどうなるのだろう」と悲観的に話していました。
当時、私も同じ思いで、ともすれば落ち込みそうな日々でした。

その友人に隣の会話を説明していたら、友人がその男性に向かっていきなり、

「どうしてそんなふうに考えるのですか。あれほどの災害に襲われたのに、皆があんなに力を
合わせて前に向いて歩く姿は、私の国ではあり得ません。他の国でもないでしょう。あなた方、
日本人はすばらしい。世界のどの国でも見習うことができません。私たちは日本人から学びたい」

といったのです。

すると、隣の男性たちは「ありがとう、がんばります」といって握手をもとめてきました。


「美しい国、日本」は、絶対に失ってはならない私たちの財産です。
国民一人ひとりの責務として、現実に生かし続けなくてはなりません。


先進国の産業として、すっかり主流となったサービス業、この点でも日本のホスピタリティは
大変きめ細かく、おもてなしの心と作法、気配りに至っては、世界で比較できる国がありません。

たとえば、外国のホテルの位置づけは、ファシリティとして宿泊するところです。
他のホテルとは、豪華さや広さといったハード面で競い合います。

ところが、日本では「気持ちよく過ごしていただく空間創り」に神経を遣い、どちらかというと
ソフト面で差をつけようと努力します。

そういえば、アメリカ人の友だちが、
「日本の美容室のシャンプーの技術は世界一」といつも話しているのを思い出します。

あるいは、買い物した品のラッピングの丁寧さ、おしぼりの文化も私たちにとって当たり前ですが、
来日した外国人の友だちはいつも驚いています。

・・・・

なお、この本を手にするキッカケは与えてくれたのは、別の掲示板での次の記事からでした。


   組織 板 (http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1322573377/1359
   トキ:2013/03/14(木) 12:48:50

   余談ですが、昨日読んだ本は面白かったです。

    http://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-80684-6

   無形の力 インタンジブルが会社を変える 山川和子 著 PHP

    この本の内容は特別目新しいとまではいきませんが、著者は実際にビジネスで
   成功し(現在は引退)た人だけに説得力があります。現在の生長の家の組織が崩壊した
   理由も、この本を読めば納得がいきます。教団側には勉強になると思います。また、
   日本文化への評価はもっと高くてよい、という提言もしているので、本流復活派の
   方々にも参考になると思います。

”トキ さま”に感謝申し上げます。ありがとうございます。

           <感謝合掌 平成25年5月15日 頓首再拝>

江戸時代の日本の素晴らしさ (8453)
日時:2013年05月17日 (金) 04時53分
名前:伝統

今日、5月17日は、
ユネスコより世界遺産に指定されている日光東照宮の春の祭礼
【日光東照宮・春季例大祭】が行なわれます。

御祭神は徳川初代将軍徳川家康公。

徳川家康は、江戸に幕府を開き、220年近くも続く平和な江戸時代の基礎を築きました。

そこで、今日は、江戸時代の日本の素晴らしさを、紹介いたします。


    *メルマガ「RPE(2013年05月15日)」より
 
【日本は昔、野蛮で遅れた非文明国だったのでしょうか??? 】

今日は、皆さんに「自虐史観」とおさらばしていただきましょう。

(とはいえ、RPE読者のみなさんは、とっくにおさらばしている人が多いと思いますが・・・。)

皆さん、日本はいつから発展しはじめたと教わりましたか?

そう、「明治維新から」ですね。

その前の江戸時代は、まったく遅れていたと、多くの日本人が考えている。

しかし、江戸時代の日本にも、「世界一」がたくさんあったのです。

今日は、私が非常に尊敬する大川半左衛門先生の、
「誇れ!世界の奇跡、日本」(大川半左衛門・著、文芸社・刊)を参考にさせていただきます。


(1)世界一の大都市・江戸

  @江戸時代のころ、もっとも発展していたのは、欧州です。
   当時、ロンドンやパリの人口は、約40万人でした。

   さて、このとき、江戸の人口はどれくらいだったのでしょう?

   答えは・・・。

   100万人。
   ~~~~~~~~~~

   なんと、江戸は、ロンドンやパリの2.5倍の人口を抱える巨大都市だったのです。

  Aそして、100万人を養う体制が、きちんと整備されていました。

   <人々が便利で快適に暮らせるために幕府は努力しました。
    まずは飲み水です。 水がなくては生きていけません。

    幕府は生活用水を確保するために多摩川から水を引きました。
    玉川上水と言います。
    長さ四十キロメートルあります。

    これを江戸の街の中に通しました。> (誇れ!世界の奇跡、日本  39p)


  B水があっても、100万人分の食料が必要です。

   これはどうしていたのでしょうか?
   米は腐らないので、全国から集められていました。

   しかし、腐る野菜は?
     ↓
   <江戸の周りの農家が、野菜を生産し提供していました。
    これも高い農業技術を持っていたからできたことです。
    また、生産したものが、人々に行きわたる仕組みも整っていたのです。>(同上 40p)

  Cしかも、江戸には、世界の大都市にはたいていどこにでもある
   スラム街がなかったのだそうです。

(2)平和な江戸時代

  @私たちは、江戸時代の欧州について、「世界一進んだ地域」と考えています。
   そして、その通りの点もあるでしょう。

   だって、欧州列強は、世界のほとんどを植民地化するパワーをもっていたのですから。
   しかし、当時の欧州は、「戦争ばかりしていた野蛮な国々」ともいえそうです。

  Aで、日本にも誇れる点があります。
   そう、「長い平和」。
    ↓

   <戦国時代が終わり、徳川家康が江戸幕府を開いてから国内では戦がなくなりました。
    二百二十年間です。
    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    この記録は世界の歴史の中でもいちばん長い記録です。>
    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ (同上40p)

    ↑
   すごいですね?。

   徳川幕府により戦がなくなると、どんどん治安がよくなっていきました。
    ↓

   <戦がなく世の中が安定してくると、当然、犯罪も少なくなります。
    そうなれば、安心して旅に出ることができました。
    松尾芭蕉はあれだけ長いこと旅をしたにもかかわらず、
    一度も盗賊にあわなかったのです。

    海外では考えられないことです。>(同上42p)

(3)清潔だった江戸時代の日本

  @江戸時代の終わりころ、日本に来た外国人の多くが、あまりの清潔さに驚いたそうです。

   日本人は、毎日掃除をする、ちょくちょく洗濯する、風呂に入る。
   なんだか「当たり前じゃん」という感じですが、欧州はそうではなかったのですね。
     ↓

   <一方、ロンドンや花の都パリはどうでしょう。
    当時の人たちは、おまるに用を足していました。 桶のような物です。
    普通はそれを川に捨てて流していたのです。

    しかし、ふとどき者になると川まで行って捨てるのがめんどうなので、
    道端に捨てました。
    だから、道路にはいつもうんこが落ちていたのです。>    (同上 47p)

     ↑
    うぎゃあ????!
    皆さん、うんこだらけの道を想像してしまいましたね?

    人々も大変ですわ。
     ↓

    <通行するレディーはたいへん。
     うんこを踏んでも足が汚れないように、ハイヒールをはきました。
     時には、二階からうんこが降ってくることもあるので、つばの広い帽子をかぶりました。

     ジェントルマンは、ステッキ持って、レディーのために、
     うんこをどかしてあげたのです。>          (同上47p)

     ↑
     ジェントルマンになるのも大変ですね。

     このように江戸時代の日本は、おそらく世界一清潔な国でした。

   Aでは、なぜ清潔だったのでしょうか?
     ↓

    <昔から日本人は、どんなところにも神様がいらっしゃるという考えを持っていました。
     山にも川にも、台所にも、便所にも、いたるところにです。
     きれいにすれば、当然、神様が喜びます。>        (同上48p)

    なるほど?。

    日本人は神様に喜んでいただこうと、せっせと掃除に励んだのですね。

(4)世界一の教育水準

  @これも幕末に来た外国人の話。
   彼らは、日本の教育水準の高さに驚愕しました。

   武士ばかりか、一般市民も、女性も子供も、ほとんど「読み書き」できる。

   では、欧州では?
    ↓

   <このころロンドンの識字率は20%。 パリは10%以下だったそうです。

    それに対して、江戸はどのくらいだったと思いますか。

    なんと、70%以上だったそうです。
    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

    つまり、ロンドンでは10人中2人しか字を読める人がいなかったけれど、
    江戸では10人中7人以上字が読めたのです。>      (同上 49p)

     ↑
  A明治維新後、日本は奇跡の成長を成し遂げました。

   そして非白人で唯一の近代国家をつくりあげた。
   植民地化をまぬがれた。
   日清戦争、日露戦争、第1次大戦に連戦連勝した。

   これらは、結局「もともと江戸時代に十分な成長の基盤が築かれていたから」
   できたことなのでしょう。

(5)誇れ!、世界の奇跡、ニッポン

   今回は、大川先生の本から「江戸時代」の部分をご紹介させていただきました。

   しかし、この本には他にも

    ・天皇陛下
    ・歴史を変えた日露戦争、大東亜戦争
    ・武士道
    ・モノづくりと日本人
    ・恵まれた自然

   と日本人が自国を誇ることができる話が満載。

   この本を読めば、「自虐史観」から自然と脱却できることでしょう。

   ちなみに大川先生は、小学校の先生です。

   そのため、非常に読みやすくまとまった本に仕上がっています。

   闘病されながら、日本のために、日本の未来のために
   この本を執筆された大川先生。

   日本を愛するすべての人の読んでいただきたい本です。


           <感謝合掌 平成25年5月17日 頓首再拝>

【世界最古の国家】 (9091)
日時:2013年06月07日 (金) 04時58分
名前:伝統

      *メルマガ「人の心に灯をともす(2013年06月06日)」より


  (竹田恒泰氏の心に響く言葉より… )

   学校教育で建国の歴史を教えない国は、世界中で、日本だけではなかろうか。

   わが国は現存する世界最古の国家である。

   日本人なら素直に喜び、誇りに思えるこの重大な事実を、なぜ日本人は知らないのか。

   世界には190を超える国が現存するが、
   そのなかで世界最古の国家が日本であることはあまり知られていない。

   このことは、戦前までは誰もが共有していたことだが、
   戦後は国民の記憶のなかから抹消されてしまった。

   老舗(しにせ)が「創業何年」と銘打つように、
   古い時代から継続してきたことは、大きな誇りである。

   長い歴史のなかで、価値のないものは淘汰(とうた)され、失われてきたが、
   ほんとうに価値のあるものだけが守られ、今に継承されてきた。

   継承されてきた伝統には、必ず相当の意味や価値があるものなのである。


   世界の歴史は王朝交代の歴史だった。
   世界史の年表を眺めれば、国家は数10年や100年程度で
   成立と滅亡を繰り返してきたことがよく分かる。

   人類史上、400年以上国を守ったのは、数えるほどしか例がない。

   ところが、そのなかで日本だけが、古代から続く王朝を守り、今も存在しているのである。
   そして、わが国の建国よりも前にあった王朝は、いずれも滅び、今は存在しない。

   では、日本の建国はいつなのか。

   正式な歴史書である正史『日本書紀』によれば、
   初代神武天皇の橿原宮(かしはらのみや・奈良県橿原市)での即位がわが国の建国で、
   これは紀元前660年、すなわち今から約2700年前に相当する。

   もっとも、これには考古学者からは神話的要素が強いと根強い批判がある。
   そこで、考古学の立場から考察し、最も短く見積もっても、
   わが国の建国はおよそ2000年もしくは、それ以上前と表現して大きく外れることはない。

   日本の国の歴史の長さは、他国と比較すると理解しやすい。
   現存する国家のなかで日本に次ぎ、2番目に長い歴史を持つのがデンマークであるが、
   その歴史は千数十年と、日本の半分程度に過ぎない。

   次いで3番目が英国で、九百数十年前のことである。

   国連の常任理事国は英国を除いていずれも歴史が浅い。
   アメリカが独立戦争を経て英国から独立したのが1776年、
   フランスはフランス革命が始まった1789年、
   中国は毛沢東が天安門広場で成立を宣言した1949年、
   ロシアはソヴィエト連邦が崩壊して独立を宣言した1991年が建国の年である。

   日本国が2000年以上の間、王朝を守ってきたことは、
   人類史上奇跡といっても過言ではない。

      <『日本人はなぜ日本のことを知らないのか』PHP新書 >

 ・・・・・・

2009年の英国の新聞エコノミストが発表した調査によると、
世界33ヶ国の中で、自国に対する誇りが最も高い国はオーストラリアで、
最も低い国は日本だったという。

2位からは順に、カナダ、フィンランド、オーストリア、シンガポール、インド、中国、
フランス、スペイン、チリ。

「オーストラリア国民は、自国に対する信頼・称賛・尊重・誇りがより高い」とある。


これは、戦後の日本の教育の結果に他ならない。

自国の素晴らしさを教えず、
逆に自虐史観を教えてきたから、自国に誇りを持てない人が増えてしまった。


正しい歴史教育は、愛国心を育て日本人としての誇りを持たせるために最も必要なことだ。

歴史教育とともに、神話や、偉人の伝記、道徳教育なども必須だ。


国家を家族と置きかえてみたら分かるが、
自分の両親や先祖、あるいは家族に愛情や誇りをもてなかったら、
家族はバラバラになってしまう。

これは、郷土愛や、会社や学校、あるいは友人に対する愛情も同じ。


自国の正しい歴史を学び、日本人としての誇りを取り戻したい。

           <感謝合掌 平成25年6月7日 頓首再拝>

世界を変えた日本 (10680)
日時:2013年08月18日 (日) 03時39分
名前:伝統


       *メルマガ「RPEジャ−ナル(2013/8/15)」より

「終戦記念日」。

「自虐史観」に染まった人たちにとっては、
「ああ、日本が侵略戦争をしたせいで、コテンパンにやられた。反省しなくては・・・・」

という日。

しかし、今回は、別の視点から歴史を見てみましょう。


(1)植民地にならなかった日本

   皆さんご存知のように、1853年、ペリーが来航しました。
   そして、幕府は1854年、アメリカの圧力に屈し、開国を決めます。

   私たちが知っておかねばいけないこと。
   当時、世界のほとんどの国々は、欧米列強の植民地だった。
   世界一広大な植民地をつくったのはイギリス。

   そんな国が、「日本は軍国主義で、アジア諸国を侵略して迷惑をかけた」などと
   いっているのです。

   「自分はどうなんだ!?」ってことですね。

   なにはともあれ、幕末。
   日本も、イギリスかフランスの植民地になる可能性が高かった。
   しかし、なりませんでした。

   アジアで植民地にならなかったのは、日本とタイだけだそうです。

   では、なぜ日本は独立を守れたのでしょうか?
   
   まず、外的、客観的要因がありました。

   日本を強制的に開国させたのはアメリカですが、同国では1861年、
   国を二分する「南北戦争」が起こりました。

   日本にかまっている余裕がない。
 
   ロシアは1854〜56年、フランス・イギリス・オスマン帝国とのクリミア戦争で敗北。
   さらに、ポーランドの反乱や、農奴解放問題で悩まされていた。
   日本にかまっている暇はない。

   ドイツ・イタリアは、当時分裂しており、統一運動が熱心に展開されていた。

   フランス皇帝ナポレオン3世は、
   ドイツの統一を目指すプロシアと対立を深めていました。

   イギリスは、清における太平天国の乱、インドのセポイの反乱で忙殺されていた。
 
   要するに、欧米列強はことごとく事情があって、
   日本の植民地化を進められる状況になかったのです。


   国内の要因もありました。
   それは、日本人の質が高かったこと。
   (日本は当時、識字率が世界一高い、教育超大国だった。)

   例えば、以下の文をみてください。

      <修行中心得大意
       一、片時も忠孝を忘れず、修行第一の事。
       一、諸道具に心移り銀銭を費やさざる事。
       一、色情にうつり、国家の大事を忘れ心得違ひあるまじき事。
       右三ヶ條胸中に染め修行をつみ目出度帰国専一に候。以上
       丑ノ三月吉日                      老父>

   これは、19歳の坂本龍馬が、江戸に剣術修行に出る際、
   父直足がしたためた訓戒書です。

   「片時も忠孝を忘れず…」の、
   「忠」は国家や主君、「孝」は親に尽くすことをいいます。
   「常に忠孝を忘れず、修行に励みなさい」といっている。

   「色情にうつり、国家の大事を忘れ心得違ひあるまじき…」。
   「女にうつつを抜かして、国家のことを忘れるな」と戒めています。

   どうでしょう。

   現代の親で、田舎から東京に出る子どもに、
   「国家の大事を忘れるな」と訓戒する人がいるでしょうか?

   せいぜい「しっかり勉学に励め! そうすれば、いい会社に入れるぞ」くらいでしょう。

   直足の「修行中心得」を読んで、「これだから龍馬は偉人になれた」と思うでしょう。

   しかし、龍馬は江戸から遠く離れた田舎の侍です。
   彼の生まれ育った土佐藩には上士と下士の区別があり、下士は激しい差別を受けていた。
   龍馬は下士の出身。

   こんなド田舎の下級武士ですら、さらりと「国家の大事を忘れるな」と訓戒する。

   龍馬家に限らず、それほど「忠孝の情」「武士道」は一般的だったと
   考えるのが自然ではないでしょうか?

   こういう心意気が、「尊王攘夷運動」「倒幕運動」、
   ひいては「維新の原動力」となったといっても過言ではないでしょう。


   もう一人例を。
   これも江戸から遠く離れた長州生まれの吉田松陰。

   松陰は1854年、弟子の金子重之助と共に、黒船に密航を試みました。
   そして、「アメリカに連れていって欲しい」と懇願したのです。
   もちろん拒否されましたが。

   この事件について「ペリー日本遠征記」の著者フランシス・L・ホークスは、
   こう記しています。

      <この事件は、厳しい国法を犯し、知識をふやすために生命まで賭そうとした
       二人の教養ある日本人の激しい知識欲を示すものとして、
       興味深いことであった。

       日本人は確かに探究好きな国民で、道徳的・知的能力を増大させる機会は、
       これを進んで迎えたものである。

       この不幸な二人の行動は、同国人に特有のものだと信じられる。
       また、日本人の激しい好奇心をこれほどよく示すものは他にはあり得ない。>


   密航に失敗した松陰は、故郷の長州で松下村塾を開きます。
   こんな田舎の塾から、明治維新の英雄たちが続出することになりました。

   例をあげれば、

     木戸孝允(参議・内務卿・文部卿)、
     高杉晋作(奇兵隊総督)、
     山縣有朋(元帥・陸軍大将・日露戦争時の参謀総長)、
     伊藤博文(首相)、
     品川弥二郎(内務大臣)、
     野村和作(内務大臣)等々。

   松陰は1859年、井伊直弼による安政の大獄で死刑にされています。
   享年わずか30歳。
   新生日本を見ることはできませんでした。

   彼は死の間際、辞世の歌をよんでいます。

    【身はたとひ
     武蔵の野辺に朽ちぬとも
     留め置かまし大和魂】

   死に臨んで、なおも祖国を守ろうとする「気概」に満ちた歌です。
   松陰の生命は尽きました。
   しかし、その壮絶な生涯と辞世の歌は
   志士たちの魂をつきうごかし維新の原動力になったのです。

(2)日ロ戦争の勝利と歴史の転換点

   植民地化を逃れた日本は、すごい勢いで近代化を成し遂げていきます。
   そして、他国との軋轢も出てきました。

  @1894年には日清戦争が起こり、日本は勝利。
   アジアの超大国・清を打ち負かした日本は、世界に知られることになりました。

  A1904年2月、日露戦争勃発。
   世界的軍事大国ロシアとの戦いにむかう私たちのご先祖様たちは、
   何を思ったのでしょうか? 

   ロシアの皇帝・政治家をはじめ、
   日本が勝利すると考える人は、ほとんどいなかったのです。
 
   しかし、日本軍は203高地の戦い・奉天大会戦・バルチック艦隊を撃破した
   日本海戦等、歴史に残る激戦を勝ち抜き、この戦争に勝利します。
 
   1905年10月、アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトの斡旋により、
   ポーツマス条約締結。

   日本は、遼東半島の租借権、南満州鉄道を譲り受け、樺太半島の南半分を獲得します。

  B有色人種ではじめて白人の大国に勝った日本。
   日本の勝利で、人類は「自由」「平等」に大きく前進しました。
 
   日ロ戦争における日本の勝利は、世界でどのように受け取られたのでしょうか?

    (以下は、メルマガ「JOG(平成9年10月18日)」からの転載)
 
   【転載ここから】

   日露戦争の真実は、ロシアの南下をくい止めて、当時の帝国主義時代に、
   日本が国家の安全と独立を保った、という点にあるが、そればかりではない。
   当時の国際社会で、この日露戦争がどのように受け止められたか、を以下に見てみよう。


  ☆中国の国父孫文

   どうしてもアジアは、ヨーロッパに抵抗できず、ヨーロッパの圧迫からぬけだすことが
   できず、永久にヨーロッパの奴隷にならなければならないと考えたのです。(中略)

   ところが、日本人がロシア人に勝ったのです。

   ヨーロッパに対してアジア民族が勝利したのは最近数百年の間にこれがはじめてでした。

   この戦争の影響がすぐ全アジアにつたわりますとアジアの全民族は、
   大きな驚きと喜びを感じ、とても大きな希望を抱いたのであります。


  ☆インド・初代首相ジャワハルラル・ネルー

   日本の戦捷(せんしょう)は私の熱狂を沸き立たせ、新しいニュースを見るため毎日、
   新聞を待ち焦がれた。

   (中略)五月の末に近い頃、私たちはロンドンに着いた。

   途中、ドーヴァーからの汽車の中で対馬沖で日本の大勝利の記事を読み耽りながら、
   私はとても上機嫌であった。


  ☆フィンランド大統領パーシキピ

   私の学生時代、日本がロシアの艦隊を攻撃したという最初のニュースが到着した時、
   友人が私の部屋に飛ぴ込んできた。
 
   彼はすばらしいニュースを持ってきたのだ。

   彼は身ぶり手ぶりをもってロシア艦隊がどのように攻撃されたかを
   熱狂的に話して聞かせた。

   フィンランド国民は満足し、また胸をときめかして、
   戦のなりゆきを追い、そして多くのことを期待した。

  
  ☆トルコ

   昭和44年に、山口康助氏(現・帝京大学教授)がトルコの古都ブルサに泊った時、
   ある古老が片言の日本語を混えて、

   「ジャポン! ニチロ、アラガート
    (日本の人たちよ! 日露戦争に勝ってくれて有難う)」と、呼びかけてきました。

   続いて古老は、日本が日露戦争に勝った時、トルコ人は狂喜して、
   息子や孫に「トーゴー」「ノギ」の名前をつけ、イスタンブールの街には、
   「東郷通り」「乃木通り」ができた事など、語ったそうであります。


  ☆ポーランド

   大戦後、私(加瀬俊一氏)がヨーロッパの大使をしていた時に、
   東ヨーロッパの状態を見たいと思い、ポーランドを自動車で視察したことがあります。
   (中略)
   それで、道を尋ねるためにある教会に立ち寄ったんです。

   年輩の上品な神父が出て来てね、日本人だと言うと、
   「ああ、いらっしゃい。日本の車があちこち走っているって聞いてました」、
   そういって喜んでお茶を出してくれたんです。

   そうしたら傍らに、小さい男の子が来てね。

   それで私は、「君の名前はなんていうの」って聞くと、「ノギ」って言うの。

   「えっ。ノギ?」。

   すると神父さんが言うんです。「ノギというのは乃木大将のノギですよ。
   ノギとかトーゴーとかこの辺はたくさんいましてね。
   ノギ集まれ、トーゴー集まれっていったらこの教会からはみだしますよ。」

   「トーゴー」はもちろん東郷平八郎に因んでのことです。

   ポーランドはロシアの悪政に反抗して、独立闘争に多くの血を流した歴史を
   もっているんです。

   そのロシアを打ち倒した英雄に因んで名前をつけるわけです。
   なるほどと思いました。


  ☆アメリカの黒人

   日露戦争当時、黒人新聞各紙は、西洋帝国主義の重圧に苦しむ日本人を「アジアの黒人」
   と呼び、白人に挑む東郷艦隊を声援したり、一部の黒人社会では驚くことに、
   日本ブームが起きて、日本の茶器や着物も流行。

   さらには、黒人野球チームの中から、「ジャップ」(当時、この言葉は日系人に対する
   侮蔑語ではなかった)を自称するチームも出ていたという。


   日露戦争は非白人が本格的な近代戦で白人をうち負かし、
   世界中の抑圧されていた人々の希望に火を灯した。

   20世紀は、世界の諸民族が自由と独立を勝ち取った世紀として、世界史に記述される。

   日露戦争での日本の勝利は、まさにその夜明けを告げる鶏鳴であったのである。

   【引用ここまで】

(3)そして、世界から植民地は消えた

   1929年10月24日、ニューヨーク市場で株価が大暴落したのをきっかけに、
   世界恐慌へ突入。
 
   これに対し、広大な植民地をもつイギリス、フランスはブロック経済体制をつくります。
   アメリカは、ニューディール政策で危機を乗り越えようとしました。
 
   一方、植民地をあまり持たない日本、ドイツ、イタリアなどは、
   世界市場からしめだされ、より深刻な危機に陥っていきます。
 
   苦境の中で、ドイツではヒトラーが、イタリアではムッソリーニが権力を握り、
   ファシズム体制を構築していきます。

   一方、日本は米英仏を見習い「円ブロック」を形成すべく、
   中国大陸への進出を加速させていきました。


   1932年3月、満州国建国。
   中国はこれに反発し、国際連盟に提訴。
   国連は日本の行動を「侵略」とし満州国を承認しなかったため、日本は連盟を脱退。

   国際社会から孤立する中で、
   日本は似た立場のドイツやイタリアに接近していきます。
 
   こうして日中関係は悪化しつづけ、
   1937年7月、盧溝橋事件をきっかけに日中戦争がはじまりました。

   日本の行動は、中国利権を狙うアメリカを怒らせます。
   1939年、アメリカは日米通商航海条約の廃棄を通告。
   クズ鉄・航空機燃料の対日輸出を制限し、日本経済に打撃を与えました。
 
   また、アメリカ・イギリスは、
   日本と戦う蒋介石の中国国民党に物資を送り支援していました。

   日本は1940年9月、このルートを遮断すべく、フランス領インドシナに進駐。
   また同月、日独伊三国軍事同盟を締結します。

   これによって、アメリカは日本を完全に敵国と見なすようになり、
   イギリス・中国・オランダと共に、資産凍結、対日石油禁輸などの
   経済封鎖で日本を追い詰めます。(いわゆるABCD包囲網)

   日本はアメリカと、全面戦争回避のための日米交渉をつづけていきました。

   しかし、同年11月26日、アメリカ国務長官コーデル・ハルから、
   「中国大陸からの完全撤退」を要求する「ハル・ノート」が渡されると、
   日本はこれを「最後通牒」と受け取りました。
 
   12月8日、日本は真珠湾を攻撃。太平洋戦争がはじまります。
 
   日本は、アメリカ・イギリス・ソ連・中国の大国連合と4年の月日を戦いぬき、
   1945年8月15日に降伏しました。

   この一連の流れについて、日本ではさまざまな解釈がなされています。

   私はここで、二つの点に言及しておきましょう。
 
   まず、第二次世界大戦は、「善の民主主義国家」(アメリカ・イギリス・ソ連等)対
   「悪の全体主義国家」(日本・ドイツ・イタリア等)の戦いだったというのが
   一般的見方です。

   これは大ウソ。

   まず、民主主義国家群に、なんでスターリンの全体主義国家ソ連が入ってるのですか?
   さらに、インディアンを虐殺し、黒人を奴隷にしてこき使い、日本に原爆を落として
   20万人を大虐殺したアメリカに、「悪の日本」なんていわれる筋合いはありません。

   イギリスだって同じこと。
   世界一広大な植民地をもっていたこの国に、
   日本の植民地支配を非難する道徳的根拠などないのです。


   もう一つ、「自由・平等」という観点で見てみましょう。
 
   絶対勝てない戦争に突入した無謀な国・日本は、世界が「より自由に」「より平等に」
   なるために、何か貢献したのでしょうか?
 
   強調しておかなければならないのは、アジアは第二次世界大戦勃発時、
   ほとんどイギリス・オランダ・フランス・アメリカの植民地だったということです。
 
   日本が参戦しなければ、アジアのほとんどの地域は、
   いまだに欧米の植民地だったかもしれません。
 
   しかし、太平洋戦争の序盤戦、
   日本は破竹の勢いで欧米のアジア植民地を攻撃していった。

   非白人国が、白人の宗主国を打倒している。

   これを目撃したアジアの人々は、白人への劣等感を克服し、
   後に独立を達成する大きな力になった。

   こんな風に、台湾の李登輝元総統、マレーシアのマハティール元首相、
   インドネシアのスカルノ元大統領などが語っています。

    「日本が欧米の植民地支配を終わらせる原動力になった」
   
   とアジアの指導者たちは認識しているのです。

   私たちはこれまで、アメリカGHQの洗脳と、中国・韓国の反発により、
   「日本がすべて悪い」と思いこんできました。

   しかし、別の見方があることも知っておく必要があります。
 
   経営学者ドラッカーは、その著書「新しい現実」の中で、第二次大戦とその後の世界に
   ついて、「自虐史観」に染まった私たちが驚愕するような事を書いています。


      <しかし、結局のところ最後に勝ったのは日本だった。
      日本が採った道、つまり自らの主権の下に近代化、すなわち西洋化を図る
      という道が、結局西洋を打ち負かした。
 
      日本は西洋を取り込むことによって、西洋の支配を免れた。
 
      軍事的には日本は第二次大戦において歴史上最も決定的な敗北を喫した。
      自ら植民地大国たらんとする政治的な野望は達せられなかった。
      しかし、その後の推移では、政治的に敗北したのは西洋だった。
 
      日本は西洋をアジアから追い出し、
      西洋の植民地勢力の権威を失墜することに成功した。
 
      その結果、西洋はアジア、次いでアフリカの西洋化された非西洋世界に対する
      支配権を放棄せざるをえなくなった。
 
      第二次大戦後、世界中の非西洋諸国が1868年の明治維新において
      日本がつくりあげたモデルを範として再出発した。

      いずれも自らの支配の下に西洋化を進めた。
      まさに、これこそ反植民地主義が意味したものだった。>

   どうですか?

   偉大な経営学者ドラッカーが、「世界から植民地が消えたのは日本のおかげだ」
   と断言しているのです。

(4)今、私たちは「歴史」を創っている

   歴史には、いろいろな事実があります。
   しかし、同じ事実を、「日本が全部悪い」とみることもできるし、
   「日本は人類がよくなるのに貢献してきた」とみることもできます。

   私がご紹介したのは、
   「日本は、白人の世界支配を終わらせ、人類の自由と平等に大きな貢献をした」
   という見方です。

   そして、今に生きる私たちが自覚しなければならないこと。

   それは、「歴史は今もつづいている」ということ。
   「私たち自身が歴史を創っている」ということ。


   日本では今、「歴史見直し」がブームになっています。
   私が今回書いた内容も、いってみれば「歴史の見直し」でしょう。

   もちろん、歴史を見直して、ご先祖様を解放することは大切です。

   しかし、さらに大事なのは、「よりよい未来」を作ること。
   日本のために命を捨ててくださったご先祖様たちが、

   「がんばってるな!

   日本はいい国、世界で尊敬される国になっているな。
   俺が命を捨てたかいがあったぞ!」

   と誇りに思ってもらえる、国を創ることです。

   終戦記念日の今日。

   私たちは、日本を守るために戦ってくださったご先祖様に心から感謝します。

   そして誓います。

   私たちも、日本を守ることを。
   そして、よりよい世界を創ることを。

           <感謝合掌 平成25年8月18日 頓首再拝>



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