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雅宣総裁「法燈継承」無効論 (7084)
日時:2013年03月12日 (火) 22時49分
名前: 亀の子

はじめに:

『維摩經』「菩薩品」には、維摩居士が弥勒菩薩(みろくぼさつ)に「汝は釈迦牟尼佛から五十六億七千萬年後に佛となる記(よこく)授けられたというが、一体、どの生涯に佛になるのか」という質問をしたことが書かれている。
(『維摩經解釋』谷口雅春先生著 P163「絶対時間"久遠の今"を生きる」の章参照)

そこには、「授記」「受記」という語がでてくる。ネットで調べてみると、

「授記とは、仏が修行者に対して将来必ず仏となる予言し保証を与えることをいう。仏の側からは「授記」であり修行者の側から言えば「受記」となる。」
(フリー百科事典『ウィキペディア』参照)


 今回、自分がこの「雅宣総裁「法燈継承」無効論」を書こうと思いたったのは、雅宣総裁が単なる「自称法燈継承者」であり、「法燈継承」がなされていないことを自らのために鮮明にせんとしたものであり、いままで多くの人がなされきたことを再確認するためである。

ようやく自分が探し求めていた「言葉」が見つかったことが、今回の試論(論といえるかどうかは、皆さんの判断におまかせする次第である)を書くきっかけとなりました。その「言葉」は、後述します。


 最初にその発端となった平成十五年度生長の家教修会−本部講師(教化部長含む)、本部講師補対象の研修会を取り上げ、極力、現教団側の話に耳を傾けつつも、雅宣総裁は「法燈継承」していない事を明らかにしていきたいと思います。


まず、その「生長の家教修会」で、黒河内 潤本部講師(当時)が発表した「生長の家の法燈継承の意味」から引用します。それは、この「法燈」の定義が、重要なポイントとなると思うからです。


以下、引用。

一「法燈」の定義
生長の家においては、「法燈」は次の二つの意味に用いられると思います。

@「法燈」は、一つには真理(久遠を流るるいのち)そのものを意味します。

「龍宮実相世界に超入し 大神の龍宮無量寿の生命を蒙り享けて 谷口雅春師の開かれたる万教帰一の真理眼晴を継承せしめ給えと 慎しみて生長の家総裁法燈継承の儀 厳しく仕奉らんとす」
(「生長の家総裁法燈継承詞」より/表記は常用漢字、現代仮名遣いに変更、以下同じ/傍線は黒河内)

『生命の實相』の著者は本当は「久遠を流るるいのち」なのである。釈迦も「久遠を流るるいのち」を把握したし、キリストも「久遠を流るるいのち」を把握したのである。
(谷口雅春先生著『生命の實相』第二十七巻、一四九頁)

−(中略)−

Aまた、「法燈」は、法燈継承の位(総裁の位置)をも意味します。

生長の家総裁の法燈を継がせ給う   アオウエイー
(「生長の家総裁法燈継承詞」における「宇宙浄化の祈り」より/傍線は黒河内)

以上、引用。


※この「法燈」の定義には、「法燈」には二つの意味があるという説には、自分は少なからず首肯するものであります。

 しかし、一般的な意味に於いて、@の「「法燈」は、一つには真理(久遠を流るるいのち)そのものを意味」すると云うことの方が、Aの「位」を意味することよりも重大な事であることは、多くの人が首肯するところであろうと思うし、本流復活派の皆様が問題にするところで、いままで多くの「法燈継承」無効論が述べられてきた所以でしょう。

 「久遠を流るるいのち」を正しく把握したる者が、Aの「法燈継承の位(総裁の位置)」に着くのであれば、なんら問題は無いかと思います。


次回は、発端となった雅総裁宣が法燈を継承したと自称している根拠を書きます。


<平成23年3月12日 記>

1.発端:雅総裁宣が法燈を継承したと自称している根拠 (7106)
日時:2013年03月13日 (水) 23時09分
名前: 亀の子


前回は、『歴史から何を学ぶか』−平成十五年度 生長の家教修会の記録− 谷口雅宣監修 宗教法人「生長の家」発行 より引用した。

※ この書は、副題にあるように平成十五年七月十六日に東京のお台場のTFTホールで行われた生長の家本部講師(補)を対象にした「生長の家教修会」の記録である。この「生長の家教修会」は谷口雅宣氏が副総裁になってからはじめて開かれた「教修会」であるとともに、大東亜戦争侵略論、「法燈継承」宣言、「国際平和信仰運動」(俗に言う「今の教え」)を宣言をした(教団としては)記念すべき「教修会」となった。


 さて、今回は、『足下から平和を』谷口雅宣著 宗教法人「生長の家」発行 から見てみてみたいと思います。この本のp294からは、2004年6月13日の生長の家青年会全国幹部研修会の講話筆記が記載されている。

 この講話であの有名な「自分(雅宣総裁)の書いた本は聖典と言わないでほしい」ということの再確認と詳細が述べてあるが、本流派の人達(私も含め)は、当然、雅宣総裁の書く本など「聖典」と呼ぶに値しないと思っている方がほとんどだと思うが、雅宣総裁は、違った意味で「聖典」と言わないで、などと変な理屈をこねて責任のがれをしているように見えるのは自分だけであろうか?


以下、引用。

最後になりましたが、大分教区の古田俊哉さん、どちらにいますか?ありがとうございます。(拍手)。法燈継承について質問をいただきました。

今年の生長の家代表者会議の総裁谷口清超先生のお言葉の中で生長の家教規からの引用で「〜次期の総裁候補として副総裁の位置につく」の箇所を引用されました。以前、副総裁先生が、総裁先生に法燈継承者として「面授」されているのかご確認されたというお話をどこかでお聴きしたことがあります。(正確でないかもしれません。)
実際に副総裁先生は、ご自身が将来生長の家総裁となられるお覚悟をお持ちになられたのはいつか、例えば、新聞社をお辞めになられて、本部に奉職された時ですとか、(略)その時のご心境をお聞きできればと思います。


”ご心境”の方は時間がないので次回にしたいと思いますが、私が総裁先生に確認したという話は、この『歴史から何を学ぶか』の本にはっきり書いてありますね。一七八頁です。


それから、最後に確認しておきますが、法燈継承がいつ行われるかという問題です。

(中略)

実はですね、私も完璧な自信があったわけではない。(笑い)(これは半ば冗談に言ってます)そこで、この教修会のプログラムを谷口清超先生のところへ持っていって「こういうものをやりたいと思いますが、この法燈継承の問題で参加者から質問が出ると思うので、一応確認の意味で教えていただけないでしょうか。私への法燈継承はあったのでしょうか?」(笑い)−ズバリそのまま聞きました。すると、先生は不思議そうな顔をされましてですね。「それはあなたが副総裁になった時に・・・・・・」とおっしゃた。(拍手)

こういうエピソードがあるわけですよ。この本の「生長の家における”法燈継承”とは」という章をじっくり読んでいただくと分かると思いますが、このことは、単に「あったか」「なかったか」という個人的で不確かな会話のことを言っているのではありません。
 まず、この法燈継承には、「私的」な面と「公的」な面があることを理解してください。
 (『足下から平和を』谷口雅宣著 「神と人の”境界”をめぐって」の章 p358〜 )


※ 以上が、『足下から平和を』谷口雅宣著の文章である。しかし、基になっている『歴史から何を学ぶか』を確認すると、大きな違いがある。

以下、引用。


実はですね、私も完璧な自信があったわけではない。(笑い)そこで、この教修会のプログラムを谷口清超先生のところへ持っていって「こういうものをやりたいと思いますが、この法燈継承の問題で参加者から質問が出ると思うので、一応確認の意味で教えていただけないでしょうか。私への法燈継承はあったのでしょうか?」(笑い)−ズバリそのまま聞きました。すると、先生は不思議そうな顔をされましてですね。「それはあなたが副総裁になった時に・・・・・・」とおっしゃた。(拍手)
 (『歴史から何を学ぶか』 「まとめの講話」谷口雅宣 p178〜 )

※以上が、『歴史から何を学ぶか』谷口雅宣総裁の講話筆記である。さて、違いがお分かりだろうか。


『足下から平和を』の方には、「実はですね、私も完璧な自信があったわけではない。(笑い)の次に「(これは半ば冗談に言ってます)」という言葉が加わっている。


「法燈継承」という宗教上の最重要事であるべきものに「(これは半ば冗談に言ってます)」というなんともフザケた話をしているのである。


「半ば冗談」ならば「残りの半分は本気」だったということになる。言い換えれば「半ば本気」で自分への「法燈継承」はあったのかと谷口清超先生に訊いたというのである。そして、そのことを生長の家青年会全国幹部の前で公言したということである。

では、本部講師(補)の時の教修会の時(前年の2003年)は、どうだったのか。「(すべて)本気」で訊いたのではないのか?

「冗談半分で」自分に「法燈継承」があったか無かったを訊いたという話は、自分は寡聞にして知らない。ましてや副総裁になってからその自覚(半ばか全てかは、分からないが)が無かったという重大事は、どう説明するのであろうか?


・・・(言葉にならない)。


次回は、この問答に関する諸問題を取り上げてみたい。

< 平成25年3月13日 記 >

2.「法燈継承」問答に関する諸問題@ (7122)
日時:2013年03月14日 (木) 22時41分
名前: 亀の子

今回は、総裁谷口清超先生(当時)と副総裁谷口雅宣氏(当時)の「法燈継承」問答に関する諸問題に就いて考察してみたい。


※ この問答の存在自体を疑問視する向きもあるが、最初に書いたように「現教団側(雅宣総裁も含む)」の話に耳を傾けるという意味で、この問答が存在したこと前提に進めさせて頂きたい。また多くの疑問点、問題点を孕んでいるが、すべてを問題提起することは膨大な時間を要することでもあるので、肝心と思われる事を提起したい。


1.まず雅宣副総裁(当時)のこの問答時に於ける「法燈」の認識はどうだったのか確認しておきたい。


はじめの投稿で、「生長の家の法燈継承の意味」には、二つの意味があるという黒河内 潤本部講師(当時)の説を紹介したが、当時、副総裁だった谷口雅宣氏が総裁谷口清超先生に質問したとされる「法燈」の意味は、当然、@の「真理(久遠を流るるいのち)」の意味であることは明白である。なぜなら、その時は「法燈継承の位(総裁の位置)」に就いていないのであるから。


再度、黒河内 潤本部講師(当時)の説を確認し整理しておきたい。

@「法燈」は、一つには真理(久遠を流るるいのち)そのものを意味します。
Aまた、「法燈」は、法燈継承の位(総裁の位置)をも意味します。



結論@ 雅宣副総裁(当時)の「法燈」の認識は、「真理(久遠を流るるいのち)」であり、その継承が有ったか無かったを、総裁谷口清超先生(当時)に訊ねた。



2.次に今度は「継承」という問題について確認したい。

最初の投稿の谷口雅春先生の御言葉も再確認しておきたい。

『生命の實相』の著者は本当は「久遠を流るるいのち」なのである。釈迦も「久遠を流るるいのち」を把握したし、キリストも「久遠を流るるいのち」を把握したのである。
 (『生命の實相』頭注版 第二十七巻、一四九頁)


※ 「継承」ということは、「(真理の)把握」と同義と捉えてもよいと考える。だらかこそ黒河内本部講師(当時、理事長経験者でもある)が、取り上げたのであろう。
 また、「継承」と言うことを別な言葉で言い換えれば「(真理の)自覚」「(真理の)理解」という言葉でも言い表せることが出来るであろう。そのことは、当時の総裁谷口清超先生の御言葉からもうかがえる。

 谷口清超先生の著書から「継承」ということに書かれてある御文章も次に掲げ「継承」ということの重大性を再確認しておきたい。

一月十八日 永遠の継承
日本国のすばらしさは、天皇陛下が永続してましますという所にある。それは中心帰一・実相世界の秩序をそのまま表現している。実相世界はただ安楽で完全だというだけではない。その完全さは、秩序整然である。しかもそこには秩序の中心がなくてはならない。これを釈尊は金波羅華をもって示された。それを迦葉尊者が自覚された時、「正法眼蔵を汝に付嘱す」と言われたのである。仏法の極意は、まさに「中心帰一」実相世界の「正法眼蔵」(大真理)にあったのだ。それが日本に於いて現成しつつある。天皇陛下は代々、この日本国という華を示され、次代の天皇に継承されるのだ。「継承」の中に、永遠の実相が示されているのだ。

二月二十八日 神の絶対秩序性

神の国の中心は永遠不滅であり、その「一」が展開して「多」となるところの根元的「中心」である。そのような「実相」を、釈尊は、金波羅華を拈ずることによって暗示されたのだ。それを理解した迦葉尊者は独り破顔微笑したが、他の大衆は黙然として不明であった。それ故、釈尊は迦葉に「吾れに正法眼蔵あり」として、仏法を付嘱されたのである。従って「中心帰一世界」のその中心の会得が、いかに重大事であるかが判るのである。単なる自然の成り行きや、勢力均衡の「棲み分け」の妥協とは、根本的に違うところの「神の秩序性」がここにある。
(『伸びゆく日々の言葉』谷口清超先生著 日本教文社 より)


※「一月十八日 永遠の継承」「二月二十八日 神の絶対秩序性」ともに「それを迦葉尊者が自覚された時」「それを理解した迦葉尊者」とある。ここでは「それ」とは、「正法眼蔵」(大真理)の事であり、それを「自覚」「理解」した「迦葉尊者」が釈尊から仏法を付嘱され、禅宗では、第二祖ということになっている。


結論A 雅宣副総裁(当時)は、「法燈」の継承が有ったか無かったを、総裁谷口清超先生(当時)に訊ねばならなかったことは、「法燈」=「真理(久遠を流るるいのち)」の把握、「正法眼蔵」(大真理)の「自覚」「理解」をしていなかった証拠であり、なんともお粗末な話である(例えそれが「半ば冗談」だとしても)


< 平成25年3月14日 記 >

2.「法燈継承」問答に関する諸問題A (7160)
日時:2013年03月17日 (日) 23時34分
名前: 亀の子


3.認可の公表の疑問: 雅宣氏が副総裁になった時に、「法燈継承」があったのなら、何故、総裁谷口清超先生は、そのことを公表されなかったのか?


※ この問題は「法燈継承」問答が本当は無かった。雅宣総裁の自作自演である。という自作自演論の根拠とも繋がる問題だが、この教修会(平成十五年)後も総裁谷口清超先生からは公式な発表も無いまま帰幽された。


 では、前総裁谷口清超先生の時は、どうだったのかを振り返ってみることも意義のあることであろう。

 開祖谷口雅春先生の『菩薩は何を為すべきか』昭和35年2月15日初版発行の「第一章人類光明化運動指針の解義」のかの有名な第九条の御解釋には、

「私が死んでも、私は一種のパイプでありスピーカーに過ぎないから −中略− 
 既に清超先生が私に劣らず教化の力を発揮しておられまして、今後ついに私を凌駕することになることは必然であります。」


 また、昭和五十年十一月号の『生長の家』誌上で谷口清超先生の『正法眼蔵』の解釋を見られて驚嘆されて、

「私は安心して私の跡を継ぐ者ありとして、安心して涅槃に入ることが出来るのである。」

との御文章を書かれている。この御文章は、『正法眼蔵を読む』上巻 谷口清超先生著の「はしがき」=新総裁襲任生長の家秋季記念式典に於けるお言葉(昭和六十年十一月二十二日/生長の家総本山)にも収録されているので、詳録は避ける。

では、谷口輝子先生はじめ他の教団関係者はどうだったかというと、

「荒地清超の出現といふことは、谷口家にとつても、生長の家にとっても重要なことであった。」
  (谷口輝子先生 「心に強く残りしこと」『生長の家四拾年史』より)


この谷口輝子先生の御文章のあと谷口清超先生の「文化の本源としての神想観」が収録されている。この論文の註とも言うべきものが表題の後に書かれている。次の文章である。

この論文は、『生長する青年』創刊号(昭和二十二年)に掲載された。谷口清超先生が谷口家の人として「生長の家」の法灯の継承者となられた当初の記念すべき論文として、ここに再録する。(編者)

以上、引用。

「文化の本源としての神想観」は、その後、『神は生きている』昭和51年4月25日初版発行 現在は、谷口清超新書文集2『神は生きている』に掲載されている。その『神は生きている』昭和51年4月25日初版の壱岐の島の赤い鳥居が印象的なカバーにも上記と同様の次の文章が記載されている。

「著者が谷口家の人となった翌年創刊の、『生長する青年』(現『理想世界』)に発表された「文化の本源としての神想観」は、「法灯」の継承者としての真面目が、あますところなく発揮されている。」
(『神は生きている』昭和51年4月25日初版カバーより)


 上記のように谷口雅春先生、谷口輝子先生をはじめ幹部が、谷口清超先生が「法灯(法燈)」の継承者であると認識を抱いていたことが充分にうかがえる。


 ひるがえって、雅宣氏の場合を『歴史から何を学ぶか』(この教修会には、総裁谷口清超先生、白鳩会総裁谷口恵美子先生のお姿はなかった)から見てみると全国の教化部長をはじめとする本部講師(補)達237人に、自分が法燈継承されたかどうか、手を挙げさせたという、そして「だいたい半分ぐらい」の割合だったという(P178より)しかも前述したとおり「私も完璧な自信があったわけではない」(同じくP178)と自分でもわからない事を本部講師達に訊ねているというのである。そして清超先生に「法燈継承」の有無を訊いたというのである。


結論B「だいたい半分ぐらい」の本部講師(補)、237人の半分としても120人ほどしか副総裁が「法燈継承」されたという認識しかなく、しかも自分でも「法燈継承」の有無がわからなかったということは「自作自演である」と言われてもしょうがない有様である。しかし、総裁谷口清超先生からは、おおやけな発表も無いままだったことは、全信徒への公案として受け取るしかない。(後生に託されたと云うべきか)


< 平成25年3月17日 記 >


4.「法燈継承」問答の本質 (7185)
日時:2013年03月18日 (月) 23時16分
名前: 亀の子


 前回は、谷口清超先生が「法灯(法燈)」の継承者となられた時の周りの認識を取り上げたが、「法燈継承」問答の内容に入る前に、引き続き谷口清超先生の法燈継承について記載したい。


『生長の家五十年史』昭和五十五年十一月二十二日発行にも「法燈の継承者定まる」(P365)として詳細に記されている。一部を引用させて頂く。


「昭和二十一年十一月十三日、望まれて谷口恵美子様と結婚され、谷口家の養子となられて谷口雅春先生の法燈を継がれることになったのである。」


※ ここには「谷口雅春先生の法燈」と記載されていることに注意が必要であろう。


その後、昭和22年に「文化の本源としての神想観」を発表。

翌、昭和23年に生長の家青年会初代会長に就任。

昭和28年青年会総裁に就任。

昭和32年2月、生長の家副総裁に就任(37歳)。


結論C 谷口清超先生は、生長の家副総裁に就任される以前に、「法燈の継承者」としておおやけにも認識されていた。


さて、雅宣氏の場合はどうか?再度、「法燈継承」問答を確認しておこう。


実はですね、私も完璧な自信があったわけではない。(笑い)そこで、この教修会のプログラムを谷口清超先生のところへ持っていって「こういうものをやりたいと思いますが、この法燈継承の問題で参加者から質問が出ると思うので、一応確認の意味で教えていただけないでしょうか。私への法燈継承はあったのでしょうか?」(笑い)−ズバリそのまま聞きました。すると、先生は不思議そうな顔をされましてですね。「それはあなたが副総裁になった時に・・・・・・」とおっしゃた。(拍手)

 (『歴史から何を学ぶか』 「まとめの講話」谷口雅宣 p178〜 )


前回の結論Bで「「自作自演である」と言われてもしょうがない」と書いたが、自分は、この問答は、存在したものと思っている。そして実際、谷口清超先生からの「面授」はあったと確信している。


 では、その根拠はと問われると根拠は乏しいが、いままでの雅宣氏の言動(特にブログ)を見ていると意外に正直なところが多分にあることがわかる。根が正直であるがため、たまにポロッと本音が出てしまい、つけ込まれる隙を自ら作って墓穴を掘ってしまう性質であることが、その根拠といえる。


だから本部講師(補)の居並ぶ前で臆面もなく「私も完璧な自信があったわけではない。」などと言うことが出来たのだろう。そして平成十五年という「谷口雅春先生を学ぶ会」の発足、「生長の家オーストラリア法人独立」という背景を踏まえ、どうしても谷口清超先生から「法燈継承」の言質を取っておきたいという本音が垣間見える。


先ほど「谷口清超先生からの「面授」はあったと確信している。」と書いたが、それでも自分は、「雅宣氏は「法燈継承」などしていない」ということを、次回、明らかにしたい。


< 平成25年3月18日 記 >



5.「法燈継承」無効論の根拠 (7232)
日時:2013年03月20日 (水) 23時34分
名前: 亀の子

前回、結論Cで「谷口清超先生が生長の家副総裁に就任される以前に、「法燈の継承者」としておおやけにも認識されていた。」ことを書いた。

この場合の「法燈」とは、言うまでもなく、「法燈」@の意味すなわち「真理(久遠を流るるいのち)そのもの」であり、前回引用した『生長の家五十年史』の言葉を借りれば「谷口雅春先生の法燈」(谷口雅春先生の説かれた真理であり御教え)であることは、明白である。

「法燈」のもう一つの意味は、「法燈継承の位(総裁の位置)」であり、谷口清超先生が生長の家総裁に襲任されたのは、昭和60年11月22日なのだから・・・。谷口雅春先生がご昇天されたのが、昭和60年6月17日であるから、約5ヶ月の間は、「法燈継承の位(総裁の位置)」は空位であったということになる。


前回の最後に「「雅宣氏は「法燈継承」などしていない」ということを、次回、明らかにしたい。」と書いたので、いよいよ「法燈継承」無効論の根拠となる「言葉」と雅宣総裁「法燈継承」無効論の結論を書いてみたい。また、長文になるので2回に分けさせて頂く。


まず最初に法燈の継承についての昭和60年の新総裁に襲任記念に出版された、谷口清超先生の御言葉を見てみよう。


「法(大法)の継承というものは、「自分がそう思う」だけでは成り立たないのである。それを道元禅師は「面授」の巻でくわしく述べられ、「師と弟子とが対面して」師がそのことを認可しなければならぬ。」
(谷口清超先生著 『正法眼蔵を読む 上巻』<生長の家総裁 法燈継承記念出版> 昭和60年11月22日「はしがき」より)

※ この『正法眼蔵を読む 上巻』<生長の家総裁 法燈継承記念出版>となっていて、黒河内本部講師のいう「法燈」の意味のAである「法燈継承の位(総裁の位置)」を意味していることに注意する必要がある。


では、早速、道元禅師の『正法眼蔵』の「面授」の巻の解説が収録されている谷口清超先生著『正法眼蔵を読む 下巻』を見てみることにする。


まず、かの有名な「世尊拈花」すなわち釈迦牟尼仏が、インドの霊鷲山の集会で、多数の仏弟子に対し、優曇華(金波羅華)を拈じて目をしばたたかれた。するとただ一人迦葉尊者だけがニッコリ微笑した。それをごらんになった釈尊は「われに正法眼蔵涅槃妙心の真理がある。これを迦葉よ、お前に付与するぞよ」と認可を与えられたという。(p237より)


次に「心授・身授・眼授」の項の御解釈に次の言葉がある。


「迦葉尊者は親しく世尊の面授を面受されたのだ。」(同、p240より)


次に「面授面受」という項がありその御解釈にも、この「面受」という言葉が出てくるが、その箇所を列挙してみる。


「従ってこの今の数十代に到る嫡々相承は、まさに仏面の面々たる相承であり、本源の仏面が「面受」されているのだ。この正伝の面授を礼拝するのは、まさしく七仏・釈迦牟尼仏を礼拝し奉るのである。」(同、p242より)

「面授と面受とは、師と弟子の面が受授されるのだ。仏心が心授され、心受する。」(同、p242より)

「中国より東では、ただこの仏祖直伝の達磨を祖師とした門下にのみこの面授面受があったのである。」(同、p242-p243より)


※ 実は、この御文章の中の出てくる「面受」という言葉を自分は探していたのであった。


さて、ここに説かれているように、「法燈継承」は、与える師の方から云えば「面授」であり、受ける弟子の方から云えば「面受」ということになる訳だが、はたして雅宣総裁は「面受」したのであろうか?


そういうつもりで、前述の谷口清超先生の「法燈継承」問答を読んでもらえばすべて辻褄(つじつま)があうだろう。

念のため雅宣氏が「法燈継承」の有無を訊かれた時の谷口清超先生の反応を振り返ってみよう。

「すると、先生は不思議そうな顔をされましてですね。「それはあなたが副総裁になった時に・・・・・・」とおっしゃた。」


「先生は不思議そうな顔をされまして」となっている。そう谷口清超先生は、すでに「面授」されたおつもりだったのに、なぜ今頃になってそんな質問をするのだろうと思われたはずだ。だからこそ「それはあなたが副総裁になった時に・・・・・・」と最後まで御言葉が続かなかったといえる。

谷口清超先生は、「副総裁」という優曇華(金波羅華)を拈じられたが、雅宣氏は、黙然として不明であったということである。


この最後の「・・・・・・」は、谷口清超先生の絶句であり、悲嘆の表れではなかったのか。この「・・・・・・」に秘められた谷口清超先生の思いは、筆舌を尽くしがたいものだったと推察される。まことにも言葉にならない言葉である。

この質問を発した時点で、「法燈継承者」の自覚がなかったことを谷口清超先生は察せられ、ついに谷口清超先生の口からは雅宣副総裁が「法燈の継承者」であることの発表はなかったのである。(この「自作自演」ともいうべき「法燈継承」劇は、平成15年教修会後の「聖使命」新聞八月一日号で報じられた。)


< 平成25年3月20日 記 >


6.「法燈継承」無効論の最終結論 (7233)
日時:2013年03月20日 (水) 23時36分
名前: 亀の子

最終結論@:谷口清超先生は、「面授」されたおつもりだったが、雅宣氏は「面受」が出来ていなかった。

※ だからこそ、谷口清超先生の「法燈継承」の有無を訊ねなければならなかったわけであり、237人の本部講師・本部講師補(もちろんこの中には長老をはじめ理事、全国の教化部長も含まれている)達に自分が「法燈継承者」として認識しているかどうかを訊かねばならなかったという訳である。



最終結論A:「人類光明化運動指針」の第9条「生長の家大紳―総裁・副総裁−御教」の生長の家大神様と総裁を結ぶ霊的パイプが断絶していることは明らかであり。雅宣総裁は「法燈継承」していない名前だけの「総裁」に過ぎず即刻、「法燈」のいま一つの意味である「総裁」の位は、返上して頂きたい。

※ このことが現教団を取り巻く諸悪の根源であり、はじめの投稿の最後に結論として書いたように、真理「久遠を流るるいのち」を正しく把握したる者が、Aの「法燈継承の位(総裁の位置)」に着くのであれば、なんら問題はなかっただろう。


最後に余談になるが、谷口雅宣氏の『歴史から何を学ぶか』「まとめの講話」から、笑える文章をとりあげてこのスレッドを終わりにしたい。


「私が生長の家副総裁になったのは平成二年の十一月の秋季大祭の時です。−中略− 昭和五十一年九月二十五日に改正された生長の家教規において法燈を継承したことになるのですね。」(p179)

「生長の家教規において法燈を継承した」などとのたまわれているが、「法燈継承」は師資の「面授」と「面受」によるはずではなかったのか。「教規(条文)」で真理(大法)が継承できるわけなどない。

※ この後生長の家教規、教規の条文が記載されているが、「総裁」の襲任や副総裁の任命について書かれているだけであり、「法燈継承」については書かれていない。


おわりに:
最初に申し上げたように、これはあくまでも私自身の私論であり、試論であります。
書き漏らしたこと書き足りないことあえて触れなかったことなど多々ありますが、この辺りで終わりにしたいと思います。拙い長文に最後までお付き合い頂いた皆様には深く感謝申し上げる次第です。

感謝合掌

< 平成25年3月20日 記 >



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