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『嫉妬なき愛』 (8153)
日時:2013年05月04日 (土) 01時59分
名前:童子


     『嫉妬なき愛』
             谷口雅春先生 『白鳩』誌 23年2月号



 人と人との和を破るもの嫉妬心より甚だしきものはない。

 嫉妬の心は独専慾より起るものである。独専の心は利己主義又は極端なる個人主義より起る。

 独専慾のあるところ、排斥心を生じ、ものの實相を見ること能わず、深切にして貰っても、それは自分の妻を、子を、他に奪わるるような氣がして少しも心が安穏ではないのである。

 太陽はただ照っているのであって、何者をも独専しようとはしない。しかし太陽に照らされていても、嫉妬心のある者は、自分の妻が、子供が、太陽から奪われはしなかと恐れて、彼らを影につれ込むのである。其処から家庭の暗黒は生ずるのである。

 排斥と追放とは自己を貧しくし、自己を弱体化する根元である。独逸の敗北の一因はユダヤ人の科学者を自国から追放して、世界最大の科学者がアメリカに逃れて行き、アメリカの戦力増強に役立ったからであるとも云える。

 嫁を憎む姑、多くは嫉妬を因(もと)とす。父をにくむ子、多くは嫉妬をもととす。阿闍世王の悲劇にその典型的なるものを見る。ユダがキリストを売ったのも、ユダはキリストを愛していたからキリストを独占したかったのである。それだのに他の多くの弟子を愛するかに見えたからである。

 特にマグダラのマリアがキリストのみ足に香水を打ち注ぎ、それを彼女の頭髪でぬぐい、そのみ足に接吻した如きは耐えがたきことであった。この時ユダはキリストを売る決心をしたのである。


 師が弟子に対する愛、父母が子に対する愛、夫婦が各々の配偶に対する愛、息子が父母に対する愛、娘が父母に対する愛 ・・・・・・ その他。これらは各々位相を異にして共存共在して、互に人生の味わいを複雑にし、深化する愛であって、決して衝突する愛ではないのである。

 嫉妬心あれば事物に対する正鵠の判断力を失う。正しきことでも文句をつけたくなり、あらを探して、それが間違っているかのごとく悪しざまに云いたくなる。理窟よりも感情で是非が左右される。

 嫉妬の争い、阿闍世王コンプレックス、エディポス・コンプレックスなどいづれも嫉妬による死闘である。



『釈迦に何故提婆があるか』 (8154)
日時:2013年05月04日 (土) 02時51分
名前:童子


   「思索と体験」より 『釈迦に何故提婆があるか』
              谷口雅春先生 『白鳩』誌 21年8月号



 何故天照大御神のような和魂(にぎたま)の慈愛そのものであらせられる女神の弟君に、素盞嗚尊のような乱行をする者が出たのであろうか。

 何故、釈迦無尼仏には敵対する提婆があり、キリストには主を売る反逆の弟子ユダがあり、親鸞聖人には善鸞のような不肖の子があり、天照大御神はついに素盞嗚尊を追放し、親鸞聖人は善鸞を追放したのであった。



 三界は唯心の所現、環境は心の影と云う原則から云うならば天照大御神の環境に素盞嗚尊があらわれるのは、天照大御神の心の反影としての素盞嗚尊の乱行があり、親鸞聖人の心の反影としての善鸞の不信があり、イエスの人を売る心の反影としてのユダがあり、釈迦の心の反影としての意地悪の提婆があると言い得るだろう。


 しかし、反影と云うことは如何なることであるか。反影には二つの場合がある。鏡に映るようにそのままが映る場合と、漆器の滑澤なる表面が愈々清く拭き清められている場合には、小さな埃がその面におかれてもハッキリと眼に映る場合とがある。

 

 暗は光を慕って集るが、集ったものは光の下では必ずしも優遇せられない。集魚灯の下に集った魚は漁られて殺され、誘蛾灯下に集った昆虫は焼き殺されたり捕殺せられる。

 光の救う力は必ずしも甘くはない。その救いは峻厳である。しかし本統の救いは其の峻厳なる優遇せられない事の中にあるとも言い得るのである。必殺必浄である。


 磨かれた滑澤な漆器面にある微かな埃は看のがせされないで拭き除られる。看過されないで拭き除られることの中に、埃自身の浄化があり、昇華があり、業の浄化があるのである。

 魚は集魚灯のために見出され、本来の使命を完うして、その霊魂は一層高き段階に上るのである。誘蛾灯で捕殺された蛾も、本当は死んでいないで、一段高き『生命』として自己の浄化を遂げるのである。


 素盞嗚尊の乱行は、あまりに明るい天照大御神の光のためである。光それ自身の中に埃はないけれども、埃は光によって一層ハッキリとあらわれるのである。

 光は‘温める’(愛)と同時に審判(智慧)くのである。神は愛であると共に智慧である。神は盲愛でなく智慧ある愛である。イエスは愛を説いたが、再臨のイエスは最後の審判(智慧)を約束するのである。


 光の前に行われる乱行は業の自浄作用である。滅せんとする際の最後の自壊過程である。

 素盞嗚尊は其の乱行の果に、爪を抜き、髯を抜かれて、尖ったところをなくし、円満化されて放逐されたのである。かくて八岐大蛇を退治し、葦原中国を平定するのである。それは天照大御神の和魂が素盞嗚尊を円満化して放逐した結果である。


 側近に置くのが必ずしも愛ではない。放逐するのも愛である。側ニ於いて堕落するものは放逐して発憤せしめ、遠くにいて堕落するものは近くへ誘うて捕殺する。捕殺するとは表面のこと、一層浄めて、その魂を向上せしめるのである。

 神の計画は深謀遠慮。凡慮の及ぶところならずと知るべきである。 ・・・・・(以下略) ・・・

光と影 (8155)
日時:2013年05月04日 (土) 02時59分
名前:童子

 
 GHQ検閲下での執筆でありますから、
 かなりその深意を読み取らねばなりません


 しかしストレートに読みますなら
 60年後の今日の状況を説明して下さっている

 祖父母への嫉妬心、姉弟への嫉妬心、高弟たちへの嫉妬心・・。

 その光があまりにも強力なために
 それを映した影も濃く顕れている・・・


 さてさて・・・・・
 



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