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悪運をさける〜徳久克己先生 (8553)
日時:2013年05月20日 (月) 06時16分
名前:伝統


     *徳久克己・著「幸運をよぶ」(P184〜200)より

悪運をさける「唯一の法則」(その1)

《災難は偶然ではない》

災難とか不幸とか病気というような、「悪運をさけたい」という気持ちは誰でもありますが、
それをどのようにしたら、さけられるか、ということを知りませんと、恐怖心がおこります。

そして、現在どんなに幸せな生活をしていましても、
いつ災難が自分にやってくるかわからないという、不安感がありますので、
本当の幸福を味わうことができません。


『生命の實相』を読むまでの私は、心配性とでもいいましょうか、
いつ災難にあうかわからないという、不安感をいつも持っていました。

ですから、表面的には、とても朗(ほが)らかな性格のようですが、
心の底から明るく楽しい生活が味わえませんでした。

ところが『生命の實相』第一巻の第四章
「心の世界における運命の形成」を、何回も何回も読みまして、
現象の世界におこるイロイロのことは、すべて、まず「心の世界」で、
「心的存在」としてできて、それがあらわれてくるのである、ということを教えられました。

つまり、「環境も運命も肉体も、すべて心の影である」という、
「心の法則」を教えられたのです。

『生命の實相』(頭注版)第一巻に、
「わたしが常にいうことでありますが、誰も自分の心で招ばない不幸には出くわすことは
できないのであります」とまことにハッキリ書かれています。

つまり、それまで私は「災難にあう」ということは、偶然で仕方がないのだと思っていましたが、
災難が自分に偶然にぶっつかってきたのではなく、自分が災難をよびよせているのだ、
ということが書かれているので、本当にビツクリしました。

今まで病気になったら、バイキンが入ってきて病気になったのだ、とバイキンに責任をかけて、
自分は被害者だと思っていたのに、『生命の實相』を読みますと、病気になる心があるから
病気になったのだ、ということになり、病気の責任はバイキンではなく、自分であるという
ことになります。

自動車を運転していて、誰かの自動車にぶっつけられたら、ブッツケテきた相手が悪い、
と思っていたのに、自分の心にブッツカル心があるから、ぶっつけられたんだということになり、
これも自分の責任になります。


《自分の考えに合わなくても》

このように、すべての出来事は自分の責任であるということになりますと今まで、
自分には責任がなくて、相手が悪いのだと思っていた私は、すっかり苦しくなりました。

すべて悪いことは相手の責任にして、自分はイイ子になっていた私でしたので、
『生命の實相』に「すべては自分の責任である」と書いてあるのを読んで、
腹立たしく苦しくて、私は読んでいた『生命の實相』を投げすてたことを、よくおぼえています。

「もう、こんな本、読むのはやめた!」と、投げ出したのでした。
病気や災難までが、自分の責任だったら大変なことになる、と私は思ったのです。

それは昭和16年の正月、はじめて私が『生命の實相』を読みはじめた頃のことでした。
一時は『生命の實相』を投げだしてみましても、なんとなく引きつけられるように、
また『生命の實相』をとりあげて読みつづけた私でした。

今まで、自分が考えもしなかったことが書かれていますと、その考え方に同意しますと、
自分の長年にわたって考えてきたことが、崩れさってしまうので、なにか恐ろしいのです。

ところが、今まで教わりもしない、今まで考えたことのないような、新しいことを
教えてもらえるからこそ、自分の運命が変わるのであって、今まで自分で考え知っているのと
同じことを教えられても、自分の運命をかえることはできません。

とにかく『生命の實相』という本は、今まで大学まで行って学んだこととは、
ちがったことを教えていますので、はじめは反発する心がおこってきます。

私は「病気はない」ということに、大いに反発しました。

病気はあると思うからこそ、苦労を重ねて医科大学を卒業し、大学の研究室へ残って4年、
あと1年で医学博士がもらえる時に『生命の實相』を読んだら「病気はない」と書いて
ありましたので、とても反発し、そんなところへ来ると、赤鉛筆でその部分を消して、
その上に「これはウソ」と書きながら読んだものです。

それと同時に、病気も災難も、みな自分の心がよびよせたものだ、
ということにも大いに反発しました。

ですから、繰り返し繰り返し読んで、どこかがまちがっているのであろうと思い、
そのまちがいを探しつづけまた。

しかし、何回読んでも、まちがいはなく、結局は自分の方がまちがっていたということに
気がつきましたら、それからはまことに素直に『生命の實相』を読み、真理を吸収することが
できるようになりました。

         <感謝合掌 平成25年5月20日 頓首再拝>

悪運をさける「唯一の法則」(その2) (8580)
日時:2013年05月21日 (火) 04時39分
名前:伝統

《自分でよぶ不幸》

悪運も不幸も災難も病気も、突然どこかからやってきて、自分をおそうものである
と思っていました私が、自分の心がまねくのであるということを知り、本当に驚きました。

『生命の實相』(頭注版)第一巻124頁に、

「誰でも“災難にあった”というような時には、外から“災難”というとんでもない乱暴な奴が
やって来て、自分にはなんの罪もないのに、ぶっつかったと思うのでありますが、われわれか
災難にあって自分か傷つくのは、その災難と自分の心の状態とが、類似性をもっていて、
互いに“類をもって集まる”ようになるからであります。
自分の心が招(よ)ばない物は何一つ、この世で自分に近づいて来ることはできないのであります。」

このように書かれているのを読んで、ほんとにビックリして、
「誰が自分の心で災難を招(よ)ぶものがあるものか!」
と私は思いました。

ところが、この第四章には、「心」と「事件」との関連性のある実例が多く書かれています。
「心」は目に見えない存在でありますから、どうしても見のがされやすいのでありますが、
その「心」をとてもわかりやすく説明し、それを事件と結びつけて説明されていますので、
何回も読むうちに私もナルホドとようやく理解することができました。

同書の133頁に、

「どんな事件でも、最初は“心的存在“であって、自分の心もまた”心的存在“である。
そしてこれらの"心的存在”は“心の法則”すなわち、“類は類を招(よ)ぶ”という法則と、
“類でないものは反発する”という法則とに支配されて、互いに牽引し合ったり反発したり
しているのであります。」と説明しておられます。

なにか起こりましても、それを一つの出来事として、現象的にあらわれた部分だけを、
私たちはとらえるのでありますが、それが現象界にあらわれるまでは、「心的存在」として
「心の世界」に存在しているということを、多くの実例をあげて書かれています。

現象にあらわれてくることは、まず「心の世界に」形づくられて、
「心的存在」としてあったものなのだ、ということがわかるように説明されています。


《心のスケジュール》

私がアメリカへ行った時も、ブラジルへ行つた時も、行く前にチャンと何年何月の何日には、
どの飛行機に乗って行って、どこへ泊るというような、精しいスケジュールが、
まず「心の世界」につくられて、私はそのスケジュールに従って行動するのですから、
考えてみますと、まず「心の世界」で形づくられたことが、行動となってあらわれたことに
なります。

ですから私たちの行動は、まず「心の世界」にスケジュールとしてつくられて、
それが「形の世界」にあらわれているのである、ということがわかります。

私は「形の世界だけを見て、その前に「心の世界」でつくられている、スケジュールがある、
ということに気がつかなかったのです。

この「心の世界」と「形の世界」との関係がわかってきますと、どんな出来事も、
まず「心の世界」のスヶジュールがもとであると知ることができます。


聖経『甘露の法雨』の「神」の項に、
「『心』はすべての造り主」とハッキリ示されています、が、私自身もぺラペラと読んで、
『心』がすべての造り主であるということが、本当にわかっていませんでした。

現象というものは、心のあらわれであると知的に知っていて、
もう一つ深く自覚されていなかつたのです。

ですから、すべての出来事は、まず「心的存在」である、ということを、
もう一度ハツキリと自覚することによって、災難、悪運をさける法則を発見し、
それを応用することができるようになります。

ですから、
「どんな事件でも、最初は"心的存在"であって、自分の心もまた"心的存在"である」という、
この根本的なところを、ハッキリ認識することが最も大切なことであります。

このことがハッキリわかっていませんと、「悪運をさける唯一の法則」が、
ハッキリわかってこないのです。

肉体の五官(かん)の感覚で、現象界に生活していますと、
五官で感じたものを把握することが多くてつい、その五官的な存在とみえるものも、
実は、最初は「心的存在」であったのだと知るためには、やはり常に訓練をすることが必要です。

日常生活の小さい出来事のなかに、まず、「心的存在」を発見する習慣をつけることです。

         <感謝合掌 平成25年5月21日 頓首再拝>

悪運をさける「唯一の法則」(その3)  (8602)
日時:2013年05月22日 (水) 04時53分
名前:伝統


《メタフィジカル・ヒーリング》

現象にあらわれる、どんな出来事でも、最初は「心的存在である」ということが理解されますと、
「生命の實相」に説かれている、メタフィジカル・ヒーリング(神癒)の原理がわかります。


『生命の實相』(頭注版)第一巻119頁に

「われわれの災難とか不幸とか病気とかいうことも最初は“念(こころ)の世界”に造られる
のでありますが、これも“物質世界”に顕われてくるまでに“念(こころ)の世界”に
まだ事件があるうちに、修正(しゅうせい)しておいたら、災難が災難にならず、
不幸が不幸にならず病気が病気にならずに“物質世界”にあらわれてくるのであります。

つまりメタフイジカル・ヒーリングというのは“念(こころ)の世界”における事件を修正(なお)
しておいて、こん後“物質世界”へそれが映(うつ)って現実の事件として出てくるさいに
不幸や不健康をなるべく出さないようにする方法だということがいえましょう」

このように教えておられます。

どんな出来事でも、最初は「心的存在」でありますので、現象の世界にあらわれる前の、
「心的存在」の時に修正(なお)したら、その出来事はちがった形であらわれてくるのです。

海外旅行をしようと思っていましても、まだ行く前にその計画(心的存在)をかえてしまえば、
どんなにでも変更することができるのです。やめることもできますし、目的の国をかえることも、
飛行機をかえることもできますし、行く日をかえることもできるのです。

たとえば、災難にあうような旅行日程にきめてあっても、行く前に(心的存在のうちに〉変更
すれば、その災難にあわないですむことになります。また、ちょうど災難にあう旅行に変更する
こともできます。

そこで、私たちはある出来事が「心的存在の時に、「心の法則」によって、
自分の「心」がそれに引きつけられるか、あるいは反発するかによって、災難や悪運にあうか、
あわないかが決きまるのです。

それでは、どのようにしたら、悪運をさけることができるかといいますと、
同書の139頁に、

「ここがわれわれにとって最も注意を要する肝要な所で、
われわれが未来の不幸を避けるためには、
その不幸を予知する霊感などをいくらもっていてもなんの役にも立たたないのであります。

予知された未来はすでに起こりずみであるからそれを取り消す道がない。
それを取り消そうとあせるのは活動写真の映写機に一定の事件のフイルムをかけて活動写真を
写しながら、舞台面の映画を消しゴムで消そうとするのと同じ愚であります。

現実世界という舞台面にこんな事件が映ってはいかぬと思うならば、
“念のフィルム”にそんな事件を撮影しておかぬがよろしい。

他のひとびとが集まってそういう事件の“念(こころ)のフイルム”を合作しそうであったら
自分だけ“類でないものは反発する”という法則によって、
そのフイルムに入らなければよろしいのです。

“類でないものは反発する!”これこそわれわれが悪運を避ける唯一の法則であります」

このように教えておられます。


《類でないものは反発する》

イロイロの悪運でも災難でも、最初は「心的存在」でありますので、その「心的存在」と
私たちの「心」とが、「類でないものは反発する!」という、「心の法則」によって、悪運や
災難の「心的存在」と反発すれば、現実世界の悪運や災難をさけることができるのであります。

「類でないものは反発する!」

この「心の法則」こそ、私たちが悪運、災難をさける「唯一の心の法則」であったのです。
唯一ですから、ほかにはありませんので、私たちは常に悪運や災難の「心的存在」と、
徹底的に反発する「心」をもっていればよいのです。

「類は類を招ぶ」という、「心の法則」は、魚釣りの好きた人は、魚釣りの好きな友人が
できますし、酒の好きな人は、酒の好きな人ができることによって理解されます。

友だちから酒をのもうとさそわれて、のみに行ったと弁解しますが、
友だちにいくらさそわれても、私のように酒がのめない者は、酒をのみに行きません。

結局、「類でないものは反発する!」という、「心の法則」によって、
私には、酒のみの友人がいませんし、のみにも行きません。

このようにして、悪運、災難をさけるためには、
「類でないものは反発する!」という「心の法則」によるのですが、
それでは、どのような「心の持ち方」が悪運や災難と反発するか、ということになります。

         <感謝合掌 平成25年5月22日 頓首再拝>

悪運をさける「唯一の法則」(その4)  (8630)
日時:2013年05月23日 (木) 04時53分
名前:伝統


《悪運をよばない心》

悪運、災難をさける「唯一の法則」というのは、「類でないものは反発する!」という、
「心の法則」であるのですが、現実世界の悪運、災難というものは、最初は「心的存在」
でありますので、そのような「心的存在」と反発する、私の「心の持ち方」はどうしたら
よいかということになります。

そこで『生命の實相』に「悪い事件が映つている“念のフイルム”に自分だけ映るまい
と思うならば、自分の生命に、その悪い事件と親和し、互いに引き合うようないろいろの
心持ち暗い心持ちとか、鋭い心持ちとか、心で人を刺す性質とか、窮屈で人をいれない性質とか、
恐怖の感情とか、取り越し苦労の感情とかを捨てて・・・」と教えておられます。


これを読んだ時、悪い事件と親和し、互いに引き合う、いろいろの心持ちを、
私は全部もっていると思いました。『生命の實相』にふれる前の私は、
本当にここに書かれている心持ちを、もれなく持っていました。

「これは大変だ、私は悪運や災難を呼びよせる心の持ち主だ」と思いましたので、
却(かえ)ってとても恐ろしくなりました。

それでは、どのような心の持ち方になればよいのか、と思いますと、次に、

「明るい、愛深い、人を咎めない、赦(ゆる)しの深い、寛大な、平和な、落ちついた、
角(かど)のない、円満な、白信のある、自分を神の子として神と一体であると信ずる心を
養成すればよいのであります。

これだけの心の準備ができるならば、自分の周囲にどんな不幸な事件が起こって来ても、
自分だけはその不幸な事件の映画俳優の一座(ざ)に加えられず、一緒に不幸の分け前を
味わわねばならぬようなことはなくなるのであります」

このように教えておられますが、とうてい私はこんな「心の持ち方」はできないと、思いました。

今までの私の「心の持ち方」と、全然反対の聖人、君子のような「心の持ち方」にはとうてい
なれるものではない、とあきらめかけましたが、しかし、なれなければ悪運や災難を、
自分で招(よ)びよせるのですから、それも大変なことです。


《だれでもできる》

ところが、同書には続いて、

「こう申しますと、なかなか繁雑(はんざつ)な種類の心の修養をしなければならぬようで、
この忙しい世の中に、とてもとてもわれわれには実行できそうでないと思われる方もあるかも
しれませぬが…」

と、ちゃんと、私の心を見抜いて書かれたような気のする、説明をしておられます。
そして、

「これを一つの根本原理に還元しますと、決してこの修養は皆さんの想像されるほどは
繁雑なものではないのであります。この修養の根本原則は、“自已が神の子であって、
自已の生命は神の霊(れい)である”との事実に目覚めることであります」

と教えられておられます。

結局、「われ神の子なり、わが生命は神の霊である」とい事実に目覚めることによって、
とうていできないであろうと思った、その「すばらしい心の持ち方」が、全部できてしまう
のである、と教えておられます。

生長の家では、いつも、「人間は神の子である」と教えられていますが、その事実に目覚めて、
その事実を自覚いたしますと、悪運や災難をさける「心の持ち方」が養成されてくるのです。

「私は神の子だ」という、事実に目覚める、つまりは自分は今まで「つまらない者だ」と
思っていたのは、ウソであって、本当の自分は「完全円満神の子であったのだ」と自覚する、
つまり気がつけばよいのです。

「悪い自分」が「善い自分(神の子)」になるのではなく、『生命の實相』には
「人間は神の子である、あなたは例外である」とは教えていないのであって、
「人間はみな神の子である」と教えてあるのです。

だから、自分が「すばらしい神の子だ」と気づけば、それが出てくるのだ、と教えておられます。
「悪い自分」が「善(よ)い自分」になるのなら、とてもむずかしいのですが、
どんなに悪いようにみえていても、本当はすばらしい神の子である事実に、めざめればよいのです。

悪運や災難をさけたい人は、ぜひ『生命の實相』第一巻第四章、
「心の世界における運命の形成」を何回も何回も繰り返しお読みになることをおすすめします。

(以上で、完了です)

         <感謝合掌 平成25年5月23日 頓首再拝>

「心の世界における運命の形成」は、 (9073)
日時:2013年06月06日 (木) 04時53分
名前:伝統

既に、このスレッドの投稿は終了しておりますが、徳久先生が、繰り返し読むことを推奨している
『生命の實相』第一巻第四章「心の世界における運命の形成」については、次のスレッドにて
確認することができます。

 → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1616

         <感謝合掌 平成25年6月6日 頓首再拝>



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