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黒住宗忠公の奇蹟 (10381)
日時:2013年08月05日 (月) 04時28分
名前:伝統

”平賀玄米 さま” のスレッド「本流復活に燃える皆様 有難うございます (9856)」で、
黒住宗忠公のお話の紹介がありました。
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1874

黒住宗忠公は、大悟の後、数々の奇跡(病を癒す)を起こしております。

このスレッドでは、宗忠公のエピソード等について、
「生命の實相」や橋本徹馬師の著書、その他の文献等から紹介して参ります。

・・・・・

<宗忠、父母との死別>

       *「黒住宗忠」原敬吾・著(P7〜9)より

江戸時代、文化9年(1812年)8月、宗忠の父と母とは揃って「痢疾(りしつ)」を病み、
医薬の効もなく、その月の28日に母が、ついで9月5日には父が、相次いで死去した。

父は72歳、母は69歳であった。(宗忠は33歳) 

幼少の頃から人一倍孝心の篤かった宗忠が、わずか7日の間に一時に父母を失ってしまった
のである。傷心やる方なく、悶々として日を送っていた宗忠は、翌10年秋からついに病の床に
つき、そして年を越して文化11年を迎えると、容態は次第に悪化して、やがてもはや再起の
望みもうすれるほどの重態におちいった。

そして、その窮地から立直って、言わば生まれ変わるという大きな体験を経てのち、
はじめて宗忠の本領は発揮されることとなったのである。

つまり、父母の相次ぐ死去を原因とする宗忠の病気こそ、実に宗忠を今日に伝えられる宗忠
たらしめる転機となったのである。

黒住教で最も重要視するのは、文化11年11月11日、冬至の朝が、
その決定的な体験の時だったという。
黒住教ではこれを「天命直授」と呼び、立教の時としている。

・・・

< 天命直受 >

      *黒住宗開祖・黒住宗忠師伝「真人宗忠」(延原大川著)P.31−34より
       (生長の家「今昔物語」 より転写)

それは今を去る141年前(昭和31年基準)、
彼のスティーブンソンが始めて蒸気機関車を走らせた年、正確にいえば、
文化11年の庚戌の旧暦11月11日の冬至一陽来復の朝のことであった。

冬至は古来太陽の更新する日として、東西の諸民族の間に待望され且つ祝われた吉祥日である
と共に、宗忠にとりては記念すべき誕生日にあたるので、幼少の頃から深く日輪の神性を信じた
彼は、早起きして浄衣を着し、含漱潔斎して、心も清々しく日輪を礼拝したのである。

備中中野の地は、南に児島の常山を望み、西に有名な吉備の中山を、東に操山、北に金山を
望む広濶な備前平野の一角を占め、朝日夕日の分けても美しい土地である。

未明に起きいでた宗忠は、操山の南端のあたりをさしのぼる真紅の大日輪を拝して、
常にもまさる感動に打たれた。紫雲の厚い襖の底から、ゆらゆらと揺れのぼる太陽ほど、
この世にありて、崇高なものはあるまい。

それは彼にとりては、単なる自然の一情景ではなかった。
それはこの世に於ける奇蹟の中の最高の奇蹟というべきものである。

「ありがとうござります!」

と、宗忠は思わず叫んだのである。

次の瞬間、彼は無意識のうちに、アッパと口をあいた。
すると、団々たる紅輪は、無限の天空を一気に馳せ来って、彼の胸中にとびこんで来たのである。
彼は思わずハッとして眼をとじた刹那、彼の全身は、大光耀の中に完全に融合した。

それは、時間にすれば、一秒か二秒にすぎなかったかも知れない。
しかし、彼は、その短い時間の中に、『永遠の自己』、『本来の自己』に面接したのであった。
『永遠の自己』それはまさしく、真の大父母であった。

真の大父母には、生まれることもなく死ぬこともなく、
いわゆる喜びもなければ悲しみもなかった。
それはただ、限りなき豊富であり、充実であって、自他の区別はなく、善悪の差別もなかった。

それは相対的な認識の世界ではなかった。
認識できるものは、みな有限のものにすぎなかった。
言葉にすることも筆にすることもできないものに、彼が吸収された。

かくいうても、もとより画餅にすぎない。
宗忠自身の口を以ってしても元より表現出来ることではない。


高弟・星島良平は、これを、

「天地生々の霊機を自得し給えり」(御小伝)

といっている。比較的真に近い表現であろうが、霊機とは、普通の語句にない。
霊とは眼に見えない神秘の気であり、機とは「はたらき」と読む。

星島氏は、この一行に振仮名して、

「天地生々の霊機(いきもの)を自得(つかまえ)し給えり」という。
天地宇宙を生々発動せしめている所の目に見えない活物に感じて、
これを自らのものとなし得たとするのである。


高弟・河上市之丞は、

「円霊秘を漏らし、造化の柄を握る」

と、流石に学殖の人らしい表現を与えている。
円霊とは太陽(宗教的には日神)を意味し、「造化の柄」とは宇宙造化の根元力のことであろう。


更に、高弟・赤木宗一郎は、一段と宗教的な、而も神秘的な観点からして、

「文化十一年冬至の旦、天照太神、教祖に神憑ましまして・・・」

と、謳っている。
結局、天照太神の勅命を受けて、衆生済度の当主となったという意味が下に来る訳で、
後人は、この旦の霊体験を称して「天命直受」(てんめいじきじゅ)といっている。


表現はいろいろあるであろうが、端的にいって、
宗忠は、「活ける神」に面接したのであり、身心共に脱落した訳である。

       (http://blog.zaq.ne.jp/sinseityounoierengou/article/617/

         <感謝合掌 平成25年8月5日 頓首再拝>

朗らかに笑って生きよ (10425)
日時:2013年08月07日 (水) 04時35分
名前:伝統


       *「生命の實相 第七巻生活篇」(P22〜23)より

『道は満ちるなり。天照大神の御分身のみちてかけぬよう遊ばさるべく候。
人は陽気ゆるむと陰気つよるなり、陰気かつ時は穢れなり、
けがれは気枯れにて太陽の気をからすなり、そこから種々色々のこと出来するなり。

何事もありがたいありがたいにて日をおくりなされ候へば、
残らずありがたいに相なり申すべきなり。』


『何ほど道を守り候とも、心陰気に相なり候わば出世なり難く申し候、
何卒春の気に相なり候て御執行(ごしゅうぎょう)なさるべく候。』


これは七日間に両親を相ついで失い、悲嘆のあまり肺結核にかかりて命旦夕に迫りし
黒住宗忠が豁然大悟してすべてがあり難く感ぜられ、明るき心になりし結果、
さしもの大患、太陽の前の霜のごとく消滅せし体験をば人に教えられし書簡のうちの一節である。

世の病人よ恐るるなかれ。心さえ明るくなれば肺結核でも癒えるのだ。

諸君よ、笑え、笑え、盛んに笑え。

黒住宗忠も肺結核をみずから治した当座は、人から気が違ったかと思われるほど、
間断なく笑ったそうである。

では我らは快活に小鳥のように陽気に満ちた生活を送ろうではないか。
陽気のみちた家は必ず生長する。その家は『生長の家』となる。

この世界は何も我々が悲しんでやらなければ悲しみに不足して困るというような
ことはないのである。

黒住教祖に倣え、陽気になれ、嬉しいことを語れ、はしゃげ哄笑せよ。
しかし苦笑や冷笑はおことわりだ。

         <感謝合掌 平成25年8月7日 頓首再拝>   



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