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人は死なない (10474)
日時:2013年08月09日 (金) 21時26分
名前:伝統

スレッド「光明版☆文化情報局☆ (9399) 」で
”童子 さま”と”亀の子 さま”が話題にしておりました以下の書の要約を紹介いたします。
   ( → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1789 )


        *『人は死なない』矢作直樹・著より


(1)著者は、東京大学大学院医学系研究科・医学部救急医学分野教授にして、
   さらに東京大学医学部附属病院救急部・集中治療部部長です。

   本書に書かれてあるような内容は、目新しいことではありません。
   これまで多くの宗教家やスピリチュアル研究家がすでに述べてきたことばかりです。

   されど、本書は、何と言っても、現役の東大医学部の教授で臨床医である著者が
   「霊」の存在を確信し、「人は死なない」と言い切ったところに最大の価値があります。


(2)(著者の体験)母の死

  @著者の亡くなったお母さんは、3日間浴槽に水没していた。
   検視に立ち会ったときは著者のみであり、発見者の弟を含めて他の身内は誰も故人の
   顔を見ていませんでした。

   その故人の顔を、葬儀社のスタッフがさりげなく
   「白い布で覆って棺の小窓には出ないようにしましょう」と言って気遣ってくれました。

   これは、著者が「遺体の顔はどうするんだろう」と心配しかけたまさにそのとき、
   心中を読み取ったかのごとく絶妙のタイミングだった。

  A「思えば、煩雑な諸手続きを代行し、傷んだ遺体をきれいに整えてくれた葬儀社という
   プロフェッショナル集団のおかげで、どれほど助かったことか。

   本当に、人は人に助けられている。
   我々医師は、患者やその家族にこれほどの心配りができているだろうかと、
   思わず考えさせられました」

  B「遺体というのは不思議なものです。遺体は遺体でしかなく、単なる『モノ』でしかない
   わけであり、したがって執着するような対象ではないということを頭では理解していても、
   愛する者にとっては抜きがたい愛着を感じずにはいられないというのが、偽らざる本心
   です。

   おそらく、遺体への配慮は理屈ではなく、情として自然に出てくるものなのでしょう。
   『愛する人を亡くした人へ』という好著があり、自ら冠婚葬祭の会社を営んでいる
   一条真也氏は本の中で、

   葬儀とは『成仏』という儀式(物語)によって悲しみの時間を一時的に分断し、
   その物語の癒しによって、愛する人を亡くして欠けた世界を完全な状態にもどすこと、
   と願っています。私も、まったくその通りと思うのです」


(3)死後の母(霊)との会話

   私の友人に、Eさんという会社経営をしている60歳代の女性がいます。
   Eさんとは、電話でのやりとりは何回もしていたのですが、
   実際に会ったのは平成21年の3月でした。

   彼女は、非常に霊能力を持った人なのですが、
   自身の能力については長い間口外することがなかったそうです。

   しかし、私が本書を執筆することを話すと、自分のそれまでの体験や能力について
   話してくれました。その内容は非常に多岐にわたり、また実際に目撃しなければ到底
   信じられないようなことばかりなので、あえてここでは述べません。

   そのEさんから、平成21年3月のある日の朝電話がかかってきたのですが、いつもの
   率直な話し方と違って何かいいにくそうな気配なので私は訝しく思いました。そして、
   一呼吸置いてEさんが私に話した内容は、実に驚くべきものでした。

   Eさんは、言いました。
   「実は、あなたのお母様のことなんです」
   「はっ? 」
   「矢作さんとお会いした後からお母様が矢作さんのことを心配されて、息子と話したい、
    と私にしきりに訴えてこられるのです」

   それを聞いた私は、
   心中「ええっ、まさか」と驚き、俄には信じることができませんでした。 
   (交霊のことは知識としてはありましたが、いざ自分の身内となると驚きを禁じえません)

   「どうして母は私のことを心配しているのですか」と私が訊くと、Eさんは
   「矢作さんがお母様に、申し訳ない、という非常に強い思いを送っていらっしゃった
    からのようです」と言います。

   「どうしてそんなことが母にわかるのですか」
   「そういうふうにお母様がおっしゃっていますよ」

   私は、黙ってしまいました。確かに私は、生前の母に対して親孝行らしきこともせず、
   また晩年の母にも十分な対応をしてやれなかったことがひどく心残りで、
   毎晩寝る前にそうした悔恨の念を込めて手を合わせていました。

   そんな私の思いを知ってか知らずか、Eさんは「どうしますか?」と訊いてきました。

   (中略)

   結局、母との交霊はそれから2週間あまり後、3月の末にEさんの知人のFさんの
   お宅で行なうことになりました。
   (Fさんは審神者の役、Eさんを通して母の霊を降霊し、直接著者が話す)

   (以下は、交霊での、母の霊と著者とのやりとみのみに限定して紹介いたします)

   「直樹さん、ごめんなさいね、心配をかけてごめんなさいね、ごめんなさいね」
   「お母さん、私は元気でやっています。心配いりませんよ」

   「直樹さん心配させて本当にごめんなさいね」
   「私は元気で心配していないから大丈夫ですよ」
   「そう、それなら安心したわ」

   (著者が一息入れて、さらに話しかけました)

   「お母さん、ちょっと訊きたいことがあるんだけど。
    お母さんは、どうして亡くなったの。すっと疑問だったんだけど」
   「心臓発作らしいの」

   「いつ亡くなったの? 薫(著者の弟)が電話をかけなかった日? それより前?」
   「薫さんが電話をくれなかった日には、もうこちらに来ていたわ。直樹さんが帰った
    日の夕方ね(注:5月6日、死体検案書に記載された日)」

   「亡くなる前に、同居をもっと強く勧めておけばよかったですかね?」
   「そんな必要はありません」
   「でも、最期はずいぶん不自由だったでしょう?」
   「それは、問題ではなかったわよ」

   (質問を続けました)

   「そちらでお父さんには会ったの?」
   「お父さんには会わないわ」
    
   そう言って、母は少し右下を向きます。
   それ以上の質問を拒むような雰囲気でしたので、それ以上は訊きませんでした。

   「お祖父さん、お祖母さんには?」
   「会ったわ」
   「伯母さんには?」
   「会ったわ」

   「ところで、どうして私がお母さんに申し訳ないと思っていることがわかったの?
    ずっと見ていたの?」
   「そうよ」

   「私が毎晩念じていたのも?」
   「そうよ」

   「そちらの居心地はいいのかな?」
   母は、嬉しそうに頷きました。

   「私(著者)がいつ頃そちらに行けるのか知らない?」
   「そんなことは訊いてはいけませんよ」


   「とにかく、こちらのことは本当に心配しないで」と、母は再び念を押しました。
   「わかりました。でも私が毎月行っている納骨堂へのお参りは続けていいでしょう?」
   「それは嬉しいわ」

   「お供え物をしなくてよろしいですか?」
   「ええ、要りません」

   「私(著者)は摂理を理解しているつもりなので宗教を必要としていないから、
    儀式らしいことを一切しませんがいいですね?」
   「それでかまいません」

   「じゃあそうするから、後のことは心配しないでね」
   「わかったわ、兄弟仲良くね」 
    母は安心したように、大きく頷きながらそう言いました。

   「大丈夫ですよ」
   「そう」
   「じゃあ、これでもうこちらには来ないんですね?」
   「ええ。お別れよ。元気でね」

   私は一瞬拍子抜けしましたが、万感の思いを込めて言いました。
   「お母さんも元気でいてくださいね。さようなら」

   ・・・

   交霊後、Eさんは
   「よかったですねえ。それにしてもすごくサッパリした方ですね」と、
   感動したように言いました。

   Fさんも呼応するように「本当に竹を割ったような人ですね」と言いました。

   ・・・
   
   通常、交霊を頼んでくる人(霊)は、現世の事柄に執着が強く、
   もっと感情的なやりとりになり、ときとして修羅場になるそうです。

   ・・・

   後日、Eさんから聞いた話では、交霊中は体の8割方が霊によって占められ、
   自分はかろうじて意識だけがあるような状態で、霊が勝手にしゃべるのを
   横で普通に聞いているといった感じだといいます。 


(4)日本人の死生観

   「古代から日本人は、人は死ぬとその霊は肉体から離れてあの世にいくと考えて
   いました。
   そして、亡くなった人の冥福を祈る追善や供養を営々と続けてきました。

   盆には仏壇に精進料理を供え、お寺の迎え鐘を突いて精霊を迎え、
   精霊流しをして帰すといった先祖供養を行ってきました。
   昔の日本人はみな、直観的に『人の死後の存続』を信じていたのだと思います」


(5)人は死なない

   @「人の一生は一瞬の夢にも似た儚く短いものです。だからこそ、人は現世に執着する
    のかもしれません。愛する人の死を悼み、自分の死を怖れる、
    その気持はよくわかります。

    併し摂理、霊魂の永遠に思いを重ねつつ、今に没頭すれば、肉体の死を恐れる
    ことなく勇気を持って生きることができるのではないかと思います」

   A「人は、今生を生きているうちは、生きることを懸命に考えなければなりません。
    なぜなら、我々は摂理によって創られた自然の一部であり、摂理によって生かされて
    いるからです。したがって、自分の体はまず自分自身で労り、よりよい状態を維持する
    ように努力しなければなりません」

   B「人はみな理性と直観のバランスをとり、自分が生かされていることを謙虚に自覚し、
    良心に耳を傾け、足るを知り、心身を労り、利他行をし、今を一所懸命に生きられたら
    と私は思っています。

    そして、『死』を冷静に見つめ穏やかな気持ちでそれを迎え、
    『生』を全うしたいものです」

   C「寿命が来れば肉体は朽ちる、という意味で『人は死ぬ』が、霊魂は生き続ける、
    という意味で『人は死なない』。私は、そのように考えています」


(6)別れ

    「死別の悲しみは、現世が現世限りだと思うと底知れぬ深いものとなってしまいます。
    特に自分の子どもを亡くした親の悲しみは喪失感だけにとどまらず、ともすれば
    子どもの夭折の原因を自分に帰し、自らをひどく責め生きる意欲さえなくしてしまい
    ます。はては家族の間にひびが入り、ときに離散に至ることもあります。

    けれども、人の魂は肉体が消滅した後も存続すると考えれば、
    ずいぶんと心が安らかになるのではないでしょうか。

    現世で二度と会うことはできないという喪失感は、残されて現世を生きる者にとって
    確かに大きなものですが、大切な人と幽明の境を異にするのは一時のこと、
    他界した人はどこかで自分を見守ってくれている、いつの日か再会できると考えれば、
    死別の悲しみの本質が変わってくるのではないでしょうか」


(7)あとがき

   人間の知識は微々たるものであること、摂理と霊魂は存在するのではないかということ、
   人間は摂理によって生かされ霊魂は永遠である、そのように考えれば日々の生活思想
   や社会の捉え方も変わるのではないかということ、それだけです


<参考Web(動画):" 人は死なない " 東大救命医独自の死生観
            → http://www.youtube.com/watch?v=VO66Y3ACOFU >

           <感謝合掌 平成25年8月9日 頓首再拝>



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