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感謝の日々 (1211)
日時:2012年09月08日 (土) 04時50分
名前:伝統


谷口雅春先生は、「天地一切のものと和解する」ことが大切であり、
「和解する」とは「感謝する」ことです、とお説きになっております。

このスレッドでは、「感謝」についての題材を紹介して参ります。

なお、このスレッドは、
「生長の家“本流宣言”掲示板」内スレッド「感謝の日 (7427)」
http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=1759

からの続きという位置づけて進めてまいります。

・・・

天地万物に感謝せよ

     *「幸福を招く365章」(P212)より

ブラザー・ローレンスは
「自分は神の愛を感じながらフライパンの上でケ−キを焼く。
神の愛を感ずるには自分にとっては地に落ち散っている藁ひと筋を拾うだけで充分である」
と云ったそうである。

「木の切株に腰をおろすときにはその切株を拝んでから腰をおろせ。
大根を抜くときには、大根にお礼を云ってから抜け」
と云うのが金光教祖の教えであった。

一筋の藁、一本の大根、それに神の愛を感じ、感謝出来るのが宗教的境地であって、
金が儲かるから集ると云うのは相場師の境地である。

百丈和尚は一枚の大根の葉が流れ行くのを追っかけて往って拾って頂いたと云う。

人生が退屈であったり、無意識に見えたりするのはその人の愛が乏しいからである。
愛して何事でも、愛のために行うならば自然と歓喜が湧いて来て退屈であったり、
無意識に感じられたりする筈はないのである。

仕事が退屈なのは、その仕事を経済的理由で自分の労力を切売するような気持ちでするからである。

「神様、あなたの愛をこの仕事を通して実現させて頂きます。有りがとうございます」

と感謝しながら仕事をするならば、決して仕事は退屈な重荷となって来ないのである。

利己主義のところに真の悦びは湧いて来る筈はない。

神の愛を実現する処にのみ真の悦びは湧いて来るのである。  

         <感謝合掌 平成24年9月8日 頓首再拝>

人生に奇跡を起こす言葉 (1310)
日時:2012年09月11日 (火) 04時45分
名前:伝統


「ツイてる・癒快・ありがとう! 」

     *佐藤伝・著「行動習慣コンパス」(P36〜39)より要約

   *「ゆかい」は、本来は「愉快」ですが、「癒快」と表記したのは、
    癒し癒されて、心地良くなるという意味を表すためです。

(1)日本語で「最高の波動」がある言葉

  @日本語の中でいい波動を出している言葉は、
   第3位「ツイてる」、第2位「ゆかい」、そして第1位が「ありがとう」
   ある企業が、ドイツの波動測定器と使って調べてみた結果だそうです。

  A世の中の多くの人は、なぜかこの真逆な言葉を使っています。
   「もう、最悪! 」{ツイてないなあ〜」とため息をつく。
   出来事に対して、「ふゆかいだなあ〜」と舌打ちする。
   ダメ押しで、何でも「あたりまえ」だと思う。

(2)意識してこれらの魔法の言葉を使う

  @「ツイてる・ゆかい・ありがとう!」という言葉は、
   オリンピックのメダルで言えば、金・銀・銅。
   この3つの言葉をまとめてハッピーセットにすると、パワー全開です。

  A意識してつぶやき続けると、うれしいことや、楽しいことや、
   ありがたいことが、どんどん起こってきます。

  B最強無敵の波動の言葉なので、それにいいことが寄ってくるのです。
   「ツイてる・ゆかい・ありがとう!」は、まさに、黄金のマジックワード。
   人生に奇跡を起こす言葉です。

         <感謝合掌 平成24年9月11日 頓首再拝>

すべての人と物と事とに感謝せよ (1510)
日時:2012年09月17日 (月) 04時50分
名前:伝統


    *『幸福を招く365章』(P97)より

若しあなたを訪ねて来る人に、そしてあなたの周囲にあらわれて来る出来事に
あなたが不快を感ずるならば、それは、あなた個人の「好き嫌い」が関係して起こる感情で
ありまして、自然があなたに捧げようとしている最善の贈り物を拒むことになるかも
しれないのです。

すべて幸福になるためにはそのような個人感情を取去らなければならないのです。

すべてあなたを訪れる人と物と事とに感謝し礼拝し、
出来るだけそれらの人と物と事とを丁寧に取扱うようにしなければならないのです。

若しあなたが、誰かを憎む心や、嫌う心がありましたならば、
それは結局あなたに還って来て、あなたを傷つけることになるでしょう。

自己より発したものは自己に還ることになっているからです。

         <感謝合掌 平成24年9月17日 頓首再拝>

小さなことに大きく感謝できる人 (1941)
日時:2012年09月28日 (金) 04時48分
名前:伝統


    *メルマガ「人の心に灯をともす(2012年09月03日)」より

   鍵山秀三郎氏の心に響く言葉より…


   私が講演したときのことです。

   講演中、私が白板に板書した文字を、タイミングよく消してくれる人がいました。
   消してもらうたびに、私が軽く会釈して感謝の意を表していたのです。
   その所作を見ていた参加者の感想文に書いてあったのが、次の一文です。

   「講演の内容もよかったのですが、
   文字を消される人にいちいちお礼を言っておられた鍵山さんの姿に感動しました」。

   この感想文を読んだとき、「小さなことに大きく感謝する」ことが、
   いかに大きな力なのかということを再認識しました。

   たしかに、大きなことにはだれもが感謝します。
   しかし、小さなこととなると、ほとんどの人が軽くあしらいがちです。

   小さなことに感謝できない人は、どうしても不平不満だけが大きくなります。
   その結果、小さな困難をますます大きくする傾向があります。

   反対に、小さなことに大きく感謝できる人は、
   大きな困難を小さく受け止めることができるようになります。

   感謝の念には、困難を和らげる効果があるからです。

   だからこそ、幸せな人生を送るためには、
   小さなことに大きく感謝できる感受性豊かな人間になることが、
   何よりも大切なことなのです。

     <『困ったことばかりでも、何かひとつはよいことがある。』PHP>

   ・・・・・

人は、大きなことには感謝できるが、小さなことには、なかなか感謝できない。

例えば、「命を助けてもらった」等の大きなことには、誰もが感謝するが、
レストランで、お水を注いでもらったり、料理を運んできてもらったりした時に、
「ありがとう」という人は少ない。

些細なことだから、当たり前のことだから、お金を払っている客だから、
と思っている人はなかなか感謝しない。

大事なことは、人はその小さな行為をよく見ていることだ。
そして、そのことで、大きく評価が上がったり、下がったりもする。

小さなことや、当たり前のことに感謝できる人は、「下座(げざ)」の心がある人だ。
下座とは、どんなに実力があろうが、はるかに下の位置に座るという謙虚な心であり、
自らの高慢を戒める行いのことを言う。

小さなことに大きく感謝できる人でありたい。

         <感謝合掌 平成24年9月28日 頓首再拝>

一切に感謝せよ、奉仕せよ (2304)
日時:2012年10月08日 (月) 04時32分
名前:伝統


    *「光明法語」(P31)より

この世の中には宿命というものもなければ僥倖というものもないのである。
吾々の成功は吾々の心の産物である。
吾々の失敗も又吾々の心の産物である。

吾が能力を如何に見るかその程度に従ってその人は成功するのである。
吾如何ほどに人々に深切をつくすかその程度に従ってその人は成功するのである。
吾如何ほどに人々を拝むかその程度に従ってその人は成功するのである。

吾如何ほどに人に感謝するかその程度に従ってその人は成功するのである。

あらゆる成功の鍵はあなたの心の掌中にあるのである。

         <感謝合掌 平成24年10月8日 頓首再拝>

自分自身に感謝すること (3243)
日時:2012年11月05日 (月) 05時05分
名前:伝統


    *『如意自在の生活365章』(P198)より
 
神に感謝し、周囲の一切の事物に、周囲のすべての人々に感謝するだけでなく、
自分自身に感謝することを忘れてはならないのである。

なぜならあなたの生命はあなたが造ったものではなく、
神から与えられた生命であり、神の生命の延長であるからである。

  次の如く念ずるとよい。

  ”われはわが生命(いのち)を讃えん
   汝は神より来たりて
   われに宿れるいと潔(きよ)き尊き神の生命(いのち)なり
   常にすこやかに
   常に強くたくましく
   いかなる困難にも挫折することなく
   いかなる試練にもよく耐え忍び
   神から与えられたる
   尊き使命を果たすなり
   われ汝を称(ほ)め讃え、感謝し奉る”

        <感謝合掌 平成24年11月5日 頓首再拝>

20年ぶりに出た「言葉」〜「ありがとう」 (3464)
日時:2012年11月11日 (日) 04時43分
名前:伝統

    
   山根利正さんの、心に響く言葉より…

      *人の心に灯をともす(2012年11月10日)

   母は、車椅子での散歩が大好きだった。

   知人や、通りすがりの方からも、野の花や励ましの言葉をいただいた。

   コースの途中の理髪店の奥様は、母が通る時間を見計らって、
   いつも労わりの言葉や四季の花をくださった。

   下校時には、小学生が寄ってきて「大丈夫ですか」とか「楽しそう」と声をかけた。

   「おばあちゃん気をつけてね」

   「がんばってね」

   と、手を振る。


   基地の中の道路で、若い婦人自衛官の隊列に出会った。
   母に対面し、一斉に挙手の敬礼で「がんばってください」と声がかかった。

   母は感激のあまり、目を潤ませ、何度も、何度も、お辞儀をしていた。
   私の胸のうちにも、熱くこみあげるものを感じた。

   「ありがとう」と、声が出ている。

   びっくりした。


   以前、糖尿病の麻痺で、人前で言葉が出なくなっていたのに、
   20年ぶりの「ありがとう」である。

   「声が出たねえ」

   と、母と目が合ったとき、

   「いっぱい出会ったからね。とても楽しかった」

   と、にっこりした。

   母がこんなに喜ぶのも、多くの方からいただいた温かい心のお陰だと感謝しております。

          “山口県防府市 山根利正(69歳)”

      <『胸が熱くなるいい話』河出書房新社>

   ・・・・・

「敬礼」とは、敬意を表し、うやまうことだ。

一般人なら最敬礼の儀。

        <感謝合掌 平成24年11月11日 頓首再拝>

実相十全の恵みを見よ (3530)
日時:2012年11月13日 (火) 04時54分
名前:伝統


      *『生命の實相』第六巻聖霊篇下(P13〜14)より

「実相」において本当に与えられている神の恵み
―― 「実相」において本当はすでに受けているわがあらゆる善き物 ――
を認めえないで、

現象界にあらわれた個々の出来事に感謝しているのでは、
蟻を探し出して、象を見のがしているのと同じであります。
それは神様から見れば見当違いの感謝であります。

神様は「お前にはもっとよいものが与えてあるのに、それには感謝しないで、
人間はつまらないことに感謝するものだな」とおっしゃいましょう。

また実際それほどありがたいとも感じないのに、
神様は讃美や感謝の言葉でおだて上げれば、いっそうよき恵みを与え給うであろうと
思って、讃美歌を歌ったり、感謝の祈りを捧げている人もあるようですが、

何もかも知っていられる神様の目から見たら、人間の心情が見え透いて、
「偽善もいい加減にせよ」とおっしゃるでありましょう。

そうしますと、われわれは真に神から歓ばれる感謝を捧げるには、
どうしても神がすでにわれわれに与え給うている十全の実相を明らかに見て、
それに対してありがたさを感じなければならないのであります。

そうでない感謝は見当違いの感謝になるか、偽善者の感謝になるのであります。

すでに与えられている「実相」の十全の善さを知ることができない場合に、
われらはただ「神想観」をつとめ修して、
実相の十全の善さを観ずるようにつとめることが必要なのであります。

        <感謝合掌 平成24年11月13日 頓首再拝>

今与えられているものに感謝しなさい (3962)
日時:2012年11月25日 (日) 04時55分
名前:伝統

    *「あなたは無限能力者」(P154)より

今あるものに感謝しなさい。
屹度、何かあなたは神から、又は周囲の誰かから感謝すべきものを
与えられているにちがいないのです。

空気を与えられています。
水を与えられています。
日光を与えられています。

眼を与えられ、耳を与えられ、口を与えられ、手足を与えられています。

・・・まだまだ数えあげれば無数でありますが、その今与えられているものに
感謝することから、心の喜びがわき出て来るのである。

心の喜びがわいて来ると、その喜びの心の波長が、
次の喜びを引き寄せる波長となるのです。

何故なら「類(るい)は類(とも)を招(よ)ぶ」と云うのが心の法則であるからです。

        <感謝合掌 平成24年11月25日 頓首再拝>

すべての経験に感謝しましょう<十ニ月の手紙>  (4155)
日時:2012年12月01日 (土) 05時02分
名前:伝統


     *「聖光録」(神国実現への手紙)より

ですから全ての経験を有り難く感謝して迎えましょう。
そこから魂の進歩があるのでございます。
感謝の念の中には恐怖がございませぬ。

感謝が若し極点に達しますならば、
「死んでもよい」の境地に達するのでそれがお判りになりましょう。
恐怖や不平があるのは感謝がないからでございます。

すべての経験は吾々を導いてくれる砥石のようなものでございます。
経験に和解しましょう。全ての経験に和解いたしましょう。
経験に感謝いたしましょう。全ての経験に感謝いたしましょう。

まったくこれは素晴らしい真理でございます。

全ての経験がそれがどんなに渋面をつくった恐ろしい姿をして眼の前にあらわれてまいりましょう
とも、それは悉く自分自身を高め上げ、自分の魂を向上させ、自分の生命を光輝あらしめる
ために来た天の使だと云うことが判るほど有り難い素晴らしいことはないと思います。

何だかこの手紙を書いていると、私は嬉しくなってまいりました。
全く素晴らしい真理なんですもの。

世の中に我を害するものは何も無いという真理、
あなたも屹度嬉しい感じがして此の手紙を読んでいらっしゃるのだと思います。
その喜びの顔が私は見えるようです。

  ものなべて吾を生かすと云う浄土(くに)に生まれ来し身の幸いを憶う

                (「静思集」より)

        <感謝合掌 平成24年12月1日 頓首再拝>

空気に感謝せよ、空気は単なる物質ではない (4489)
日時:2012年12月11日 (火) 04時28分
名前:伝統


       *「幸福を開く鍵」(P50)より

空気は、神の恵みのあらわれである。
空気を呼吸することは神を呼吸することである。
空気を呼吸することによって、物質の栄養が活ける血とあんるのである。

水に感謝せよ。水は単なる物質ではないのである。
水は私たちの生命(せいめい)を活かす活力素として神が吾々に与え給うたものである。
私たちは1週間水がなければ、生きることが不可能となる。
人体の90幾%は水で出来ているのである。

そのような貴重な空気や水を大自然は常に無料で私たちに与えて下さっていることを
知るとき、神に感謝せずにはいられない筈である。

太陽に感謝せよ。太陽は唯の物質ではないのである。
太陽の神霊は日本では天照大御神として知られているが、
その宇宙浄化の働きは住吉大神(すみよしのおほかみ)である。

住吉大神の御はたらきなる太陽熱によって地上に於ける水分の蒸発や
電気的流れを生じて宇宙は浄化されつつあるのである。
住吉大神はミカエル大天使長として、19世紀宇宙浄化のお役目を執行すべく
大権を委任されているのである。

大地に感謝せよ。大地は地上の生命(せいめい)の生みの親である。
大地がなければ私たちは住む家を築くこともできないし、
食料を生産することもできない。

一切の植物も動物も生まれて来ない、よき景色も見られないし、
美しい花を楽しむこともできない。
大地は神の生命(せいめい)の実現である。

土地を無駄に汚してはならない。
痰唾(たんつば)をはいたり、紙屑をちらしたり、汚してはならない。

・・・・

なお、ミカエル大天使長と生長の家については以下のWebにてご確認ください。

(1)「生長の家“本流宣言”掲示板」において、
   ”童子 さま”による『ミカエル大天使』 (3213)に詳細が掲載されております。
  → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=631  

(2)スレッド【聖ミカエル祭】 (1999)
  → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=426

・・・・

        <感謝合掌 平成24年12月11日 頓首再拝>

感謝は積極的な心の浄化法である。 (4762)
日時:2012年12月18日 (火) 06時46分
名前:伝統


      *『健全の眞理』(P280)より

赦しと懺悔は消極的な心の浄化法であるが、感謝は積極的な心の浄化法であり、
従って祈りに対して神の解答が流れ入って来るための道を浄めるために、
重大な働きとなるのである。

「天地一切と和解せよ。和解せよとは感謝せよの意味である」と
『七つの燈臺の點燈者』の神示に教えられているのはそのためである。

神はすべてのすべてであるから、すべてのものに感謝した時に、
神との真の和解が成立し神の力が豊かに流れこんで来るのである。

然しどうしても、ありがたいと感じられない時に如何にすれば感謝することができるであろうか。
すべての事物が食い違い、失敗し挫折して、困難相継いで来るという時に如何にすれば感謝の心を
おこすことができるであろうか。

嬉しい時に、ありがたいと思い、自分の好きなことが出来た時に感謝するのならば
誰でもできるのであって、別に殊更感謝せよと教える必要もないのである。

重大なのは感謝すべきような事柄が全然なくて、悲しむべき失敗や、憤慨すべき出来事ばかりが
充満したとみえる時に如何に感謝し得るかと云うことである。

ウイリアム・クラウ氏は次のように書いている――。

「ある日、私の今迄の努力が全然くつがえされてしまうようなそう云う状態が四方八方から
叢(むら)がりおこって来たのでした。私の勇気はくじけ、心はふさぎこんでしまい、みじめな心
の状態になってもうどうすることもできないと思へるのでした。

私はこの凡ゆる四面楚歌の中のような状態に面しながら、光明思想で教えられたよき言葉の力を
試みてみようと決心しました。そして私は坐って目をとじ、神に感謝し始めたのです。

――神さまが今私に喜びと勇気と自信力とを以てみたしているのである。
そして自分は凡ゆる境遇の主人公であって、既に自分の事業は成就しているのである。
これを神に感謝いたします。

神は私に正しき決断力を與え給い、その決断力を完全に遂行する力を與え給うたのである。
そして自分の前途に横たわる一切の障碍物をのりこえる所の力はすでに與えられている事を
感謝いたします

――斯ういうように繰りかえし繰りかえし念じました。
最初はそういうように念じていても反対の観念が知らず識らずの中に浮かび上がって来るのでした。
それから反対観念を私は歯をくいしばり一所懸命感謝の言葉の力によって自分の心から追いだそうと
努めたのでした。

その時何がおこったと思いますか。
もしあなたが同じ様な場合、同じようになさいましたならば、同じ様な結果がおこるに違いないと
思います。

私の失望落胆し意気阻喪した恐怖にみちた感情が次第次第に鎮まってまいりました。
そして真に楽しく感謝できる様な気持ちになって来たのでした。

自分が祈りの中で表現している感謝の言葉にふさわしいような事物そのものが現に近づいて来つつ
あるのだと感じられるようになって来ました。
信仰と信念と喜びとが湧き上がって来て私の心をみたしました。

その時、私は自分が待ちのぞんでいる善き物は常に永遠に今ここにあるのだという実在感を
はっきり獲得しました。」


ウイリアム・クラウ氏のこの体験談に似た様な体験談は沢山あるのである。

私は『神癒への道』の本の中でそういう実例を沢山のべておいたが、その中でも
医師の春日雄氏が赤痢と、骨髄炎と、肺壊疽と、殆どたえきれない激痛とに悩まされながら、
その痛む毎ぶ「ありがとうございます」と念じていると、その翌朝うとうとと一時間まどろんで
忽然目がさめてみるとそれらの病気が悉く癒されていたという体験談がある。

春日氏は自ら医師であり乍らこの体験を公会の席上で大衆の前で発表されたのであるから、
無論嘘はないのである。丸亀市の森伝氏胃癌及び肝臓癌の診断を受け乍ら数時間神想観をしながら
「ありがとうございます」と唯感謝の言葉のみを繰返し繰返し唱えていたところが、
その胃癌と肝臓癌とが気がついて見ると完全に治ってしまったのである。

この人は胃と肝臓とに腫瘍が出来て函館の木内尿研究所でハッキリと癌と診断を受けていたのである。

よき言葉及び感謝の言葉をくりかえしのべる事は、
たとえば煉瓦をひとつひとつ積んで大建築物を造るのと同じことなのである。

どこにも鉄筋コンクリートの建物のようには、あらかじめ描いたはっきりとした骨組はない
のだけれども、感謝の念を積み重ねて行く時、それはやがて目に見える一大功徳の建築物が
できるのである。

實相の中にはすべての善きものが満ちてあるのだけれども、
それは建築家の心の中にある図面の様なものであって、それを信念によって、
感謝の言葉で積み上げて行く時に於いて、始めて目にみえる現実の功徳が成就するのである。

今現れている現象によきものが現れていないからと云って吾々は現象の不完全に
とらわれてはならないのである。

すでにのべた通り現象の不完全さは、中味は立派な栄養剤が入っているのに、
外側に「劇毒物」と書いたレッテルをはりつけてあるのと同じことなのである。

外からみれば劇毒物にみえるかも知れぬけれども、
實相はよきものばかりが充満しているのである。

常に間断なく感謝できるためには、現象のレッテルをみないで中味の「よきもの充満せる」
實相のみをみるようにしなければならないのである。

現象の不完全のまっただ中に於いて感謝するには現象は心の影であって、
「ない」のだということを知らなければならない。

目にみえる外側のレッテルは實在ではなくて、
目に見えない内にある完全さこそが實在であると知らなければならないのである。

        <感謝合掌 平成24年12月18日 頓首再拝>

魔法の感謝の言葉 (5153)
日時:2012年12月31日 (月) 04時54分
名前:伝統

【よかったなあ、という感謝の言葉】

     *メルマガ「人の心に灯をともす(2012年12月30日)」より

  西沢泰生氏の心に響く言葉より…


  桑田真澄と清原和博のいわゆる「KKコンビ」がいた時代のPL学園は本当に強かった。

  2人は1年生からレギュラーでしたが、夏の大会は特に強く、優勝2回、準優勝1回。

  つまり彼らは夏の甲子園で、たったの一度しか負けなかったのです。


  「夏のKKコンビ」に黒星を付けた唯一のチームは、
  名将・木内監督が率いていた当時の取手二高(茨城)。

  試合は取手が1点リードで迎えた9回裏。

  PLが起死回生のホームランで同点に追い付きます。


  延長に入れば、サヨナラ勝ちができる裏の攻撃のほうが有利。

  優勝目前で追いつかれて気落ちしてベンチに戻る取手の選手たち…。


  その時監督は…


  「よかったなあ、まだ甲子園で野球ができるぞ!」


  甲子園の決勝戦。

  ということは、他のすべての球児の「夏」はもう終わっている。

  この大舞台で、まだ野球を続けられることがどんなに幸せなことなのか…。


  この魔法の一言で、心機一転。

  プレッシャーを「喜び」に変えることができた選手たちは、
  10回表の攻撃でなんと4点を奪い、取手二高は茨城勢で初めての甲子園優勝を
  果たすことができたのです。

   <『壁を越えられないときに教えてくれる一流の人のすごい考え方』アスコム>

・・・ 

たった一言で、打ちひしがれた心が元気付けられることがある。

渇いた砂に水がしみこむように、心にしみる言葉。


それは、どんな時でも、「よかったなぁ…」で始まる言葉。

どんなに、ひどい目にあっても、嫌な目にあっても、
よかったなぁと、心から感謝できること。


感謝の言葉、「有り難し」とは、この世にある事が稀(まれ)なこと、
つまり奇跡のようなこと。

その反対は、「当たり前」。

「当たり前」の日常が奇跡の連続だと気がつけば、そこに感謝が生まれる。

        <感謝合掌 平成24年12月31日 頓首再拝>

「ありがとうございます」という言霊 (5213)
日時:2013年01月03日 (木) 04時49分
名前:伝統


     *Web:経営いろは帖(Vol.272 2008/05/26)より

============================================================
「ありがとうございます」という言霊が意味すること −大和言葉−
============================================================

日本人が日本人であるためには、日本語を使うことが不可欠であることが、
角田忠信先生の研究(右脳と左脳/小学館)で明らかになりました。

虫の音を聞いて、物悲しさを感じることができるのは、
ポリネシア語圏の人々と日本語圏の私たちだけだということです。

そして、現代日本語のルーツこそ、縄文時代に形成されたと言われる大和言葉です。

私たちの祖先である縄文人が伝えてくれた言霊の意味を、
特に大切な感謝を表す言葉「ありがとうございます」で考えてみましょう。


◆「ありがとう」の意味

「あ」〜「明かり」「開ける」「新しい」など、光源・生命の本源、
    全ての始まりを意味しています。


「り」〜「ら行」は、「変わる」「くるくる」など、語尾に付いて変化や活動を表しています。
    さらに、「り」には「い」の響きがあり、「命いのち」の活動を暗示しており、
    いろんな要素が組み合わさって「らせん状」に変化しながら、あらゆるものを
    生み出す働きを意味しています。


「が」〜「か」は、「神」「風」「影」「可能」「輝き」など、
    奥深い実相とエネルギーを表しています。

    「が」は、「か」をダブらせていますから、「輝きに輝く」という意味で、
    「無限に輝いている」という意味です。


「とう」〜数字の10は、「とう=十」と漢字で表現できます。
     「十字」にみて、縦横の組み合わせと見ることができます。

     または、「ありがたし」の「た」と「し」というふうに分けた時は、
     「田んぼ」の「た」が縦軸で、「清水」の「し」が横軸と表すことができます。

     縦横に組み合わせて一つのものを創りあげる。
     だから無限の光源が、出発点「あ」にあって、そこから創造活動が行われて、
     それが完壁に組み合わさって、大宇宙の姿をとっていると考えることができます。

     これが「ありがとう」の意味です。


◆「ございます」の意味

「ありがとう」が現象化してくる過程が、「ございます」です。


「ご」〜「こ」をダブらせて、「凝り固まって、凝り固まって」、「物質化する」
    「完成へと向かう」という意味があります。


「ざ」〜「先々」「栄る」「ささやき」など静かな時の流れを表しています。
    その「さ」をダブらせて「さらさら流れる」、宇宙の全てが移り変わる流れ、
    生命の営みなど、万物流転の法則です。

    それが自然に移り変わっている状態を表現しています。


「い」〜「い」というのは「命」、生きているという意味です。
    単なる移り変わる「物」じゃなく、本当に生きてる「働き」、
    命が躍動して輝いてるという意味です。


「ま」〜「誠」「丸い」「間に合う」「居間」など、真理・時間・空間を表しています。
    「完全な、完壁な、まったきもの」という、形として現われる完全な状態を意味しています。


「す」〜「鋭い」「進む」「統べる」など、
    「あ」で始まった中心に「統合されて戻る」という意味になるんですね。


「ます」〜「ま」と「す」の組み合わせの「ます」で、増えるという意味で、
     今現われたものが更に大きく良くなる、「増える」「栄える」という意味でもあります。


このように、「ありがとうございます」という言葉は、絶対的存在から生まれた無限に輝く
エネルギーのようなものを、この世に現象として、物質化させ、また中心へ戻って行って行く、
という「循環の法則」を起動するスイッチの意味を持っています。

言いかえれば、大宇宙の働きそのものを活用できる言葉だということです。


「ありがとうございます」という一言を普段使うだけで、
無から有を生み出すことができる魔法の言葉なんですね。

「幸せな人生」を創造したいなら必須の言葉だと断言しておきましょう。

         ( http://www.sk-k.co.jp/iroha/bk03/vol272.html )

        <感謝合掌 平成25年1月3日 頓首再拝>

苦痛にも感謝せよ (5278)
日時:2013年01月05日 (土) 04時48分
名前:伝統

       *『眞理』實相篇(P96)より

苦痛は肉体の何処かに故障があるのを警告するために霊が送って来るところの信号である。
苦痛はまたその痛むところへ全生命力を集中して早く治癒に導くための信号である。
苦痛のあるところに生命力は集中し、その復旧に必要なる細胞と養分とが送られるのである。

だから肉体の何処かに苦痛が現れた場合には、その苦痛を憎んではならないのである。
むしろ其の苦痛の起こる毎に「これで私の病気は癒されつつあるのだ」と念ずるがよいのである。
むしろその苦痛に感謝せよ。

苦痛にも調和するとき、その苦痛は消滅してしまうのである。

「天地一切のものに和解せよ」と云う教えは
「苦痛にも感謝せよ」と云うことを含んでいるのである。
           
        <感謝合掌 平成25年1月5日 頓首再拝>

空気にも感謝せよ! (5431)
日時:2013年01月10日 (木) 04時26分
名前:伝統


         「生命の實相」第37巻幸福篇上(P12<1月10日>)より

冬の日光ほど嬉しいものはない。
寒いときに日光の恩恵について考えるほどには、われわれは空気の恩恵について感謝していない。
われわれは食物に感謝するように空気にも感謝しなければならぬ。

われわれは空気の恩恵について感謝すべきことに気がついたとき、
われわれの周囲に感謝すべきものがかくも多数に充ち満ちていることに気がつくだろう。

大地、家、畳、すべての調度 ――
ひとつも自分が造ったことのないこれらのものを
われわれは平然と使いながら生きているのである!

        <感謝合掌 平成25年1月10日 頓首再拝>

【感謝】と【不満】の仕組み (5588)
日時:2013年01月14日 (月) 04時14分
名前:伝統


     *メルマガ「人の心に灯をともす(2013年01月03日)」

   西田文郎氏の心に響く言葉より…


   憎しみ、悲しみ、怒り、不平不満といった否定的な感情に集中してしまうのは、
   感謝が足りないからです。

   脳は同時に相反する情報を受け入れることはできません。


   たとえば上司に叱られても「自分のことを思っていってくれているんだ。ありがたい!」
   と思うと、「何ていやな奴だ」という怒りなどは起こらないのです。

   不満などは左脳が二者択一の理論で分析している思考ですから、
   何かが起こり不満だという結論を出すまでには0.4秒かかります。

   しかしあらかじめ脳に感謝がインプットされていれば、
   たった0.1秒で感謝という感情が起こるため、不満は感謝のスピードについてこられません。


   それをよくわかっていたのがお釈迦様です。

   お釈迦様がすすめた教えに、“六方拝”があります。
   これは“東西南北天地”の六方に感謝するというもので、
   東を向いて両親やご先祖様に、西を向いて家族に、南を向いて恩師に、
   北を向いて友人に、天地は大気、大地など自然のすべてに感謝をします。

   このようにすべてに感謝をすると「生かされている」という想いが生まれてきます。

   あなたがこの世に生を受けるためには、20代前で104万8576人のご先祖様の存在があり、
   この中で一人でも早世していたり、ほかの人と結ばれていたら、
   あなたという存在はなかったのです。

         <『驚きの最強思考「赤ちゃん脳」』 ワニブックス >

   ・・・・・

感謝を先にするクセをつければ、不満や怒りなど、否定的な感情は生まれないという。

つまり、嫌な人やキライな人に会ったときは、
気持ちとは逆に、感謝の言葉を口にするということ。

キライな人の態度や言動がなぜ気になるかというと、
自分にも似たような欠点があることが多いから。

だから、人は自分の鏡であり、そのことを気づかせてくれたことに感謝、なのだ。

「良いことが起きたら感謝する」、というのはもちろんのことだが、
「悪いことが起きたときでも感謝する」、という習慣を身につけたい。

        <感謝合掌 平成25年1月14日 頓首再拝>

万物有り難く合掌する日 (5747)
日時:2013年01月19日 (土) 05時06分
名前:伝統

         *『光明道中記』(1月19日)より

【そのままで既にその本来相が仏であり神の子である。(『生命の實相』第六巻)】

そのまま有難いと拝むこころが仏である。
仏はどこに在るかと探して見ても判らないが、有難いと汝が感謝している心が
そのまま仏である。

感謝が仏であり、慈悲が仏である。
仏が隠れた相(すがた)が鬼である。
鬼と云うものが別にあるのではない。仏が隠れたのが鬼である。

死んだら鬼に成ると云うのは、死ぬとは生命が其処から離れたと云うことに他ならぬ。
生命が現れたら鬼は自ら消えるのである。

お前は鬼のような心をしている ―― と言われたら、
大抵の人間は「そんな筈はない」と言って驚く。

併し「貴方はそれでは感謝と慈悲とに充たされているか」と効くと
「そうではありません」と答える。

感謝に充たされていない者は鬼なのである。
慈悲に充たされていない者も鬼である。

今日から鬼である事を止め、今日から仏にならんとするのは大いなる進歩である。

        <感謝合掌 平成25年1月19日 頓首再拝>

【なぜ、感謝するとうまくいくのか】 (5919)
日時:2013年01月25日 (金) 04時37分
名前:伝統

     *メルマガ「人の心に灯をともす(2013年01月16日)」より


五日市剛氏の心に響く言葉より…


会社で上司にキツく叱られた、とします。

「ちくしょう、なんでオレばっかりが。腹たつなぁ」。

そんなとき、すぐに自分に「ありがとう」といってみます。

ちょっと深呼吸して間をおいて、もう一度「あ・り・が・と・う」。

すると、不思議とそれ以上、腹が立ちません。


次に、つぶやいた言葉に見合った行動をとります。

実はこれがいちばん大事なポイントなんです。

行動なき言葉は弱く、やがて消え去ってしまうからです。

僕なら、自分を叱責した上司のもとへトコトコ歩いていき、もう一度謝罪します。

そして、二度と同じミスを犯さないための具体的な対策と決意を伝え、
さらに注意してくださったことに「ありがとうございます」と頭を下げて感謝します。

上司は目を丸くするでしょうが、心の中ではとても感謝するでしょうね。


これで上司に対してのわだかまりはなくなると思います。

そんな行動をとった自分も「よっしゃ!」とガッツポーズ。

そして、腹が立ったときにすぐにつぶやいた「ありがとう」がそのきっかけであることを
思い返し、「ほんとうにありがとうだよなぁ」としみじみ感じるわけです。


このように、嫌なことがあっても前向きな行動が伴う感謝の言葉は、
結果的に感謝の想いを深め、状況を生きやすい方向へと導いてくれます。

愚痴(ぐち)をこぼしたり、陰口をたたくなんてことはなくなるでしょうからね。


ある日、こういう質問がありました。

「先日、私は犯罪の被害にあいました。
こんなとき、犯人に対して、あるいはその事柄に対して“ありがとう”というのでしょうか?
大切な家族や友人が被害にあっても、やはり“ありがとう”ですか?」


僕は次のようにお返事させていただきました。

「犯人に対していうのではありません。
“ありがとう”は自分に対していうのです。
落ち込んだ自分を励ます“ありがとう”であり、不幸の連鎖を断ち切る言葉なんです。

この言葉を自分に対し心を込めて発すると、それ以上嫌な気分になりませんし、
続けてマイナスの言葉が出てきにくくなります。

そして、物事の流れをよりよい方向に切り替えてくれ、
後の自分の成長のきっかけとなると思っています。

どうか、魔法の言葉の真意をご理解ください」

    <『なぜ、感謝するとうまくいくのか』マキノ出版>

         ・・・・・

心は、ある言葉を発すれば、それに見合った状況を探すようになる。

それは、インターネットの検索と同じで、
「ありがとう」と言えば、有り難いこと、感謝することを探す。

たとえ、怪我をしたとしても、「この程度で済んでよかった、ありがたい」、というように。


しかし、愚痴や不満を言えば、それに見合った、辛い嫌なことばかりを探し出す。

付き合っている人が、汚い言葉や、愚痴や泣き言、悪口ばかり言う人なら、
自分も汚い言葉や、不平不満ばかりを言うようになるのと同じだ。

言った言葉が、現実を引き寄せる。


「行動なき言葉は弱い」

嫌なことがあっても「ありがとう」と発し、それに見合った行動をとりたい。

        <感謝合掌 平成25年1月25日 頓首再拝>

感謝は恩恵の流れに対してスイッチを捻る事である (6137)
日時:2013年02月01日 (金) 04時51分
名前:伝統


       *谷口雅春先生・著「光明法語」(P37<2月1日の法語>)より

吾々は電燈の光を得ようと思えば先ずスイッチをひねる事が必要である。
先ず吾々みずから或る力を与えるのである。
すると光が与えられる。

太陽は照っていても、その光を受けようと思えば先ず自分が眼を開かなければならぬ。
眼を開くと云う動作を与えることによってのみ太陽の光は与えられるのである。

そのように吾らはすべての恩恵を与えられているのであるが、
それは先ず自分が恩恵に向かって感謝することによってのみ、
その恩恵がわがものになるのである。

感謝すると云うことはスイッチを捻(ひね)る事に当る。

          <感謝合掌 平成25年2月1日 頓首再拝>

一切に感謝謝する (6309)
日時:2013年02月07日 (木) 04時18分
名前:伝統


      *「光明道中記」(P48<2月6日 一切に感謝謝する日)より

【天気に小言を言うな。すべてについて小言を言うな。小言はすべて暗い気分を招く。
 暗い気分は病気と不景気のもとだ。(『生命の實相』第十一巻)】


「あなたは心に不平を持っているから、それを直さなければ、その病気は治らないでしょう」と、
道場へ来た人に助言してあげることがある。すると「私は決して不平など心に持ったことは
ありません」と答える人が多い。そう云う人は、自分の心に反省がないのである。

負債があるのに負債のあることに気附かず、借金があるのに借金をしていることに気附かぬ人である。
そんな人は恐らく借金を払おうとしない人だろうし、自分の悪癖を直そうとしない人で、
最も始末に了(お)えない種類の人間である。

そんな人が道場から帰る時間になって雨でも降って来たなら直ぐ「チェッ雨が降って来て弱った!」
と言って天気の小言を言う現場を度々見せられているのである。

不平を持たぬ心とは、どんな事が起っても小言を言わぬ、小言を思わぬ心である。

観世音菩薩とは「世音」即ち「世間の念波」を観じて、
その念波そのままの姿を以て顕れたまう菩薩である。
だから千手であったり、十一面であって、三十三相随宜(ずいぎ)変貌するのである。

自分が腹立っている時に周囲が自分に腹立った相(すがた)をするなら、
その周囲の相が観世音菩薩である。

          <感謝合掌 平成25年2月7日 頓首再拝>

”感謝婦人” (6745)
日時:2013年02月27日 (水) 06時13分
名前:伝統

     *小林正観・著「豊かな心で豊かな暮らし」(P96〜105)より抜粋。

   ・・・三浦綾子「忘れえぬ言葉」(エッセイ”感謝婦人”)より・・・

   来る日も来る日も臥(ね)ているだけの私に、母はどれほど心を痛めていた事であろう。
   私は24歳で発病した。
   病いは重くなるばかりで脊椎カリエスも併発した。

   友人達が次々と結婚し、子供を2人3人ともうけても、
   私だけはただベッドの上に臥ているだけであった。

   そんなある日、母からある婦人の話を聞いた。

   その婦人はいつも、いつも「感謝です」「感謝です」と
   二言目には感謝の語を発する人であった。
   自然その顔は、常に喜びにあふれていて誰からも敬愛されていた。

   たまたま、その人の住む地方に長雨が続いた。
   10日、20日と雨は続きいっこうに止む気配はない。
   人々は 「困った雨ですね」 という言葉を挨拶代わりに交わしていた。

   そんな最中、一人の人がその「感謝婦人」のことを思った。
   (いくらあの人でもこの長雨ばかりは感謝してはいないだろう)
   そして、彼女に会うなりに言った。
   「なんと長い雨ですこと、困ったものですわね」

   すると

   「長い雨で感謝だと思っています。
   こんなに長く続く雨が、もし一度にどっと降ってごらんなさい。
   洪水になって、家も人も、畑も押し流されるに決まっています。

   神さまはその大雨を長い日数に分けて、こうして毎日少しずつ降らせて下さっております。
   ありがたいですね、神様に感謝ですね」

   と晴れ晴れとした顔で答えた。

   私は長雨に感謝した婦人の心に打たれて、自分の長い病気の事を思った。
   私の病気も長いものであった。

   身動きも出来ないベッドの中に寝返りも出来ず、毎日天井を見るだけの日々であった。
   一生続く状態かも知れなかった。

   そんな中で聞いた「感謝婦人」の言葉は大きかった。

   彼女の考えを持ってすれば、
   神は痛みや熱や、倦怠感が短時間にどっと襲うことを許されなかった。
   10年を超える長い年月に分けて、私はその苦しみを少しずつ味わうことになった。

   考えてみると、それは誠にありがたいことであった。
   症状が一度に悪化すれば、耐え切れるものではない。

   確かに私は長い病気ではあったが、父母がいた、兄弟がいた、親切な友人達がいた。
   目も見え、耳も聞こえ、口も利け、手足も動く。
   感謝すべきことはたくさんあった。

   私は人間感謝しようと思えば、それは実に多い事に気がついたのである。

   ・・・以上、三浦綾子「忘れえぬ言葉」(エッセイ”感謝婦人”)より・・・


あれがつらいとか、これがつらいとか、
人間は嘆いたり愚痴を言ったり、泣き言を言ったりすることは、誰にでもできます。
しかしものの考え方を変えると、ここまで崇高な考え方ができるのです。


たとえば数年の間に、車を何度もぶつけ、凹ませたとしましょう。
何回もそういう事故があって、自分は不運だ、ついていないと考えることもできます。

しかし、三浦綾子さんふうに考えるならば、
数年の間に何回かの事故に分けてくださったという考え方もできるのです。

もしその数回分の凹みが一度に来たならば、車はつぶれていたかもしれません。
その結果、死んでいたかもしれません。

それが何回かに分けていただいた結果として、救われたのです。
小さな事故ですんだ。
だからありがたいという考え方もできます。

いろんな現象を、どのようにもとらえることもできます。
肯定的に前向きににとらえることもできます。
否定的なイヤなこと、つらいことととらえることもできます。

それを繰り返しているうちに、周りにそれなりの友人、
それなりの状況、それなりの環境が整っていきます。

愚痴や泣き言を言っていると、愚痴や泣き言を言いたくなるような現象が自分を取り囲みます。

同じように、喜びや幸せを口にしていると、喜びや幸せを口にしたくなるような現象が
自分を取り囲みます。


神様は、私たちの発言の一つひとつを注意深く聞いているように思います。
その人が好んで口にする言葉を、「そんなに好きなら、もっと言わせてあげよう」
と考えるようです。

聖書に「はじめに言葉ありき。言葉は神とともにあり。言葉は神なりき」
という言葉があります。

もしかすると、神はそういうあなたの好きな言葉通りの現象を起すのですよ、
という宇宙の法則を伝えた一文なのかもしれません。

          <感謝合掌 平成25年2月27日 頓首再拝>

「感謝の日」 (6970)
日時:2013年03月09日 (土) 04時50分
名前:伝統


今日は3月9日。
「サン(3)キュー(9)」(THANK YOU)で、「感謝の日」。
過去の感謝したいことや人に 思いを寄せる日です。

・・・

        *Web:相手に響くありがとうの伝え方 より

(1)「ありがとう」の気持ちを伝える5つのポイント

  @すぐにハッキリと伝える。
  Aタイミングをみながら何回も伝える。
  B相手の目を見て笑顔で伝える。
  C相手の負担にならないような贈り物をする。
  D電話や手紙やメールを併用する。

(2)いつもの「ありがとう」にプラスαしたいワードとは?

   感謝の気持ちを伝えたいなら、いつもの「ありがとう」に
   “名前や理由を入れる”のが効果的です。

(3)「お気遣いありがとうございます」という言葉より、
   「お心遣いありがとうございます」という言葉のほうがよい場合があります。

(4)いろんな場面で「ありがとう」

   身近な人に日頃の感謝を伝える時、自分の間違いや欠点を指摘された時など、
   「ありがとう」の言葉は様々な場面で使えます。

   ささいなことでも感謝の気持ちを伝えるようにすれば、
   相手にも良い印象として残ります。

   たった一言をきっかけに、思わぬ“嬉しいこと”が起こるかもしれません。

     (http://b.hatena.ne.jp/articles/201103/2881

          <感謝合掌 平成25年3月9日 頓首再拝>

ありがたい心 (7011)
日時:2013年03月10日 (日) 04時48分
名前:伝統


        *『生命の實相』第三十五巻下化衆生篇(P173〜177)より抜粋

《体験談〜大塩秀雄》

私は昭和9年初めて谷口先生が住吉から東京へお移りになりました時入信させていただきました。

私は体験と申しましても、ごく平凡な体験しか持合せがないのであります。

昨日、姫路まで帰る間、下関行きの汽車はいっぱいすし詰めで、手も足も伸ばせないでおりましたが、
「ありがたい」と思うと、どんなに混み合っていましても「すみません、ありがとう」という心で、
どの方のお顔を見ましても、皆様大変ありがたお顔をしておられまして、いっそうありがたい思いで
帰りましたら、年寄りがまた非常に晴れやかな顔でいろいろ私を喜ばしてくれるのでありました。

今日はまた勤務先の岡山県に近い所で、汽車の窓から眺めますと、
海の色、山の色、皆とても美しく見える。

それからまた沢山のありがたい現象がありました。

      ・・・・・(ありがたい現象の要約)・・・・・

(1)よい貸し出しの注文をいただいたこと。
(2)但馬のお話に寄せていただいた帰途、汽車の乗換えでの待ち合わせの際、
   無料で特別列車に乗せていただき、姫路に4、50分早く着くことができたこと。

(3)お話に寄せていただいた際、話を聞いてくださったお嬢さんから、話を聞いてから、
   弟と大変仲良くなった、とのお手紙をいただいたこと。

(4)飾磨へお話をするためにご足労願います、とお誘いをいただき、姫路から飾磨線へ乗ろうと
   し急いで階段を降りかけますと、ピリピリッと汽車が出かけだし、諦め歩いておりますと、
   汽車が待っていてくれたこと。

   そして、飾磨でお話をしたところ、素直にお聴きくださって、病気が治って、
   後日、お礼に見ましたこと。

      ・・・・・(ここまでが、ありがたい現象の要約です)・・・・・

どれもこれも、大変ありがたいばかりであったということを知らせていただきました。

それから先般岡山県の片上という所から、二十八の婦人が肺病で休んでおって、その叔父にあたる
方が話してくれないか、というて見えましたので、「それでは」と参りまして、いろいろお宅の
事情など承りました。

私は話が下手ですから、ちょうど枕頭にありました水飲み(ガラスの器です)それでうがいをしたり
水を飲んでおられますので、「私もお茶の代わりに頂戴します」といって、その長い管から水を
およばれしましたら、叔父さんが啜り泣きしまして、ご本人もまた涙で、病気を忘れたかのように、

大変喜んでくださいまして、ずっと寝たままの人が、一緒に起きてご飯を食べられそのままグングン
快(よ)くなられました。

私はなんいも、よう話しませんから、自分だけで「こうだ」と思っておりますと、
ちょうどそこに自他一体ということが現われ、まことに愛は癒やすの真理の実証を戴きまして、
大変ありがたいことでございます。
                             (姫路市下手野)

          <感謝合掌 平成25年3月10日 頓首再拝>

感謝の気持ち (7334)
日時:2013年03月28日 (木) 04時41分
名前:伝統


   *原田真裕美・著「あなたの人生で本当に大切にするべき27のこと」(P54〜56)より

人間は感謝の気持ちを持って生まれてきておりますが、その大切さを教えられないと、
与えられることが当たり前と思ってしまう人が多く、感謝の気持ちというのは、生まれながらにして
持ち備えたものの中でも、わりと簡単に消耗してしまうもののようです。

ですから、精神的に健康な人でも、意識して何にでも感謝できるようにしないと、失念してしまって、
いつの間にか横柄になってしまうことがあります。

感謝できない人は、それまでの人生で、何かしらのトラウマがあるようです。
感謝の念が少ないかもと思える人は、すぐにでもその原因を追究して、その根を引っこ抜く努力を
始めてください。

そして、感謝することで自分にいいことが回ってくる、感謝することは幸せの種を蒔くこと、
感謝できないと、自分の未来の可能性を見つけるアンテナが鈍くなってしまう、そんなふうに意識
して、惜しみなく感謝するよう心がけましょう。

何がなくても、ささいなことにでも感謝できるのって、とっても幸せな時間ですし、
自分が魂の底から幸せである証拠です。

具体的には、感謝の気持ちをできるだけ伝えるようにしてみると良いと思います。

「ありがとう! 」と言われて、悪い気のする人はいません。

なかには、感謝されると照れて、ぶっきらぼうに逃げてしまう人や、何か頼まれるのは面倒だから
反応しないみたいな人もいるかもしれませんが、相手がどう受け入れようと、感謝の気持ちを
伝えることは、ポジティブなエネルギーの交換になりますから、スッキリ爽やかな気分になれる
ものです。

感謝の気持ちは、繰り返し、惜しみなく伝えるしかありませんから、
どんどん感謝をするようにしてください。

感謝の気持ちが伝わった瞬間に生まれる一体感に、とても意味があるのだと思います。

          <感謝合掌 平成25年3月28日 頓首再拝>

すべてのものに感謝する祈り (7564)
日時:2013年04月09日 (火) 04時49分
名前:伝統


        *『光明法語』(P81 4月9日の法語)より

また神はすべてのものの内にましますが故に、すべてのものに感謝し、
それを讃(ほ)めたたえることは偉大なる祈りである。

神に感謝しても万物に感謝しえないものは、
真に全く神に感謝しているのではないのである。

ただ神に対する祈りは、神の表現である「万物」に対する祈りよりも、
尚一層直接的であると言い得るのである。

されば吾々は毎日或る一定の時間は神に対して
心を完全に振り向ける祈り(神想観)を行事なければならぬ。

それと共に神の表現である万物に感謝しなければならぬのである。

          <感謝合掌 平成25年4月9日 頓首再拝>

「ありがとうございます」は、人生を劇的に変化させます (7813)
日時:2013年04月22日 (月) 04時24分
名前:伝統


     *はづき虹映・著『人生でいちばん大切な自分との約束』(P16〜18)

《「ありがとうございます」は感謝の言葉ではありません。》 

もちろん、感謝の意を表す言葉として使っても、間違いではありませんが、
英語の「Thank You」と日本語の「ありがとうございます」とでは言葉の成り立ちが
まるで違います。

「Thank You」のほうは、本来「 I Thank You 」であり、
これは「私はあなた(のしてくれた行為に対して)に感謝します」という意味です。

これに対し、日本語の「ありがとうございます」は「わたしはあなたにありがとうございます」
という言い方は決してしません。

「ありがとうございます」のほうには、主語も目的語も最初からないのです。

なぜなら、日本語の「ありがとうございます」は、
最初から「目に見えるもの」「目に見えないもの」すべてを対象にしている言葉だからです。
ですから、主語も目的語もつけようがありません。

「ありがとうございます」の語源は、「あり難し」。
つまり、「あり得ないような出来事・現象」という意味です。

それに「御座居(ござい)ます」。
つまり、「今ここに確かにいらっしゃる(現れている)」という意味の言葉が加わって、
成り立っています。

ですから、「ありがとうございます」を正しく直訳すると、
「あり得ないような奇跡的な現象が今ここに、確かに現れています」となるのです。

その「あり得ないような奇蹟的な現象」を目の当たりにするから、
「あぁ、在り難や、在り難や」と手を合わせて、拝むことになるワケです。

つまり、「ありがとうございます」を口にするということは、
「今ここに奇跡が起きている!」ととらえる人と、
「そんなの当り前・・・。別にたいしたことではない・・・。」と思う人。

どちらの人の元に本当の奇蹟が降り注ぐことになると、あなたは思われますか?

あなたがもし、神様だとしたら、どちらの人を応援したくなるでしょうか?

自らの人生を本気で変えたい・・・と思うのなら、
「ありがとうございます」という言葉のチカラを活用しない手はありません。

イエ、「ありがとうございます」という言葉を使わない限り、
あなたの人生が劇的に変化することはあり得ないと言い切ってもいいぐらい・・・。
それぐらい、素晴らしい価値のある言葉なのです。「ありがとうございます」という言葉は・・・。

理屈は抜きにして、とにかく自らの人生にポジティブな変化を起こそうと思うのなら、
「ありがとうございます」を声に出して唱えること。

誰かに何かしてもらったときに、「ありがとうございます」と言うのではありません。
それでは人生に劇的な変化を起こすことはできません。

何も在り難いことがない状況で、先に「ありがとうございます」と口に出して唱えるから、
あとから在り難い、奇蹟的現象が降ってくるのです。

「唱えるのが先。現象は後」です。

まずはたった今から、「ありがとうございます」を1日最低100回、唱えてみましょう。
それだけであなたの人生は劇的に変化します。

          <感謝合掌 平成25年4月22日 頓首再拝>

毎日、自分の身体に感謝する (8403)
日時:2013年05月15日 (水) 04時23分
名前:伝統

     *はづき虹映・著『人生でいちばん大切な自分との約束』(P56〜57)

もし、あなたが「24時間、年中無休、無報酬で働いてほしい」とお願いされたら・・・、
どうでしょう。そんな無茶ブリに応えられるハズはありませんよね。
でも、実際にその条件で働いているとしたら・・・。それも、あなたがよく知る人物で・・・。

その人とはズバリ!  あなたです!  イエ、厳密にはあなたの身体です。
あなた自身は「24時間、年中無休、無報酬で働いている」とは思っていないでしょうが、
あなたの身体は間違いなく、「24時間、年中無休、無報酬で働いている」のです。

あなたがリラックスしているときも、あなたの身体は休むことなく、ずっとあなたを支えて、
あなたのために無報酬で働いてくれているのです。

そんな健気な自分の身体に、あなたは感謝の言葉をかけてあげたことはありますか?

「身体さん、いつもありがとうね」 「心臓さん、肺さん、胃さん、大腸さん、小腸さん、
各臓器さん、いつも活動してくれて、感謝します」 「筋肉さん、血液さん、細胞さん、いつも
支えてくれて、本当にありがとうございます」 と口に出して、自分の身体に感謝し、
その労をねぎらってあげたことはあるでしょうか?

あなたのことを一番身近で、ずっとずっと支え続けてくれている自分の身体に感謝しないで、
一体誰に感謝するというのでしょう。それをせずに、人生を変えようなんて・・・。

身体は「からだま」。
魂がなければ、カラッポの状態になる「魂の容れ物」です。
あの世に還るときは、神様にお返ししなくてはならない「借り物」です。
そのときまで大切に扱う義務が、私たちにあるのですから・・・。

          <感謝合掌 平成25年5月15日 頓首再拝>

食卓は感謝の心を育む いい教えの場 (8552)
日時:2013年05月20日 (月) 06時12分
名前:伝統


    *中山靖雄・著「すべては今のためにあったこと」(P30〜34)より

生きていると、どうしようもない出会いや出来事があるものです。
そういう時、目に見える世界だけではなく、見えない世界のことを知っていれば、
より心豊かな人生を送ることができるようになります。

特に、子どもには目に見えない世界や、昔ながらの大事なものを伝えていきたいものですね。

とは言っても、家におじいちゃんやあばあちゃんもいない。
仏壇もない。神棚もなくて、どう伝えていけばいいのかと聞かれることがあります。

天の神様がいてくださるのだ、と子どもや人様に素直に感じてもらうためには、
目に見えないものがあるということを、日々の生活の中で伝えていくことです。

本来、人は目に見える世界や心の世界だけでは生きづらいものです。
それでも目に見える世界、心の世界以外を理解することは簡単ではありません。
だから、まずは見えるところで実践することが大切になります。 

その一歩は感謝です。すべてに感謝して生きること。
感謝しているうちに、だんだんと見えない世界にきづいてくるのですね。

食卓は感謝の心をはぐくむいい教え場です。
食事の時に「これ作ってくれたのはだれなのかなぁ」というように、
その話の中に感謝を見つけていく。毎日いただくものに感謝していく。

ひとつ、感謝が湧いてたら、その先が見えてきます。
目の前にいないけれど、おいしいお米や野菜を作ってくれたお百姓さんの姿が見えたり、
スーパーで売ってくださる方が見えたりしてくるわけでしょう。

「こういう人がいてくれるから、こうしてこの食卓に並んでいるんだね」
という会話ができる。こうやって感謝を形にしていくわけですね。

実際には見えない世界に感謝するわけだから、だんだんと「見えない世界があるんだなぁ」
ということが、わかり始める。

  今朝食べたもの、誰がつくってくれたのか。
  今着ているもの、誰が縫ってくれたのか。
  今住んでいる家、誰が建ててくれたのか。
  かく思う自分、誰が育ててくれたのか。
  かく思ういのち、誰が与えてくれたのか。

そう思えたら、今朝食事ができたのも、いろいろな人のおかげだな、
服を着ていられるのも、いろいろな人のおかげだな、
ここまで育ってきたのも、いろいろな人のおかげだな、と感謝の気持ちが湧いてきます。

ありがとうと思うたびに、愛は広がっていきます。

そして、こうしていろいろな人のおかげで自分は生きていられるのに、自分は人のお役に立つ
ことをあまりできていないな、まだまだ足りないと思うと、ごめんなさいの気持ちが湧いて
きます。そのたびに、愛は深まっていくのです。

こういう見えない世界に触れていると、ありがとうのたびに愛は広がり、
ごめんなさいのたびに愛は深まるのです。

昔、高校生の女の子が書いた、次のような内容の詩を読んだことがあります。

「かたちあるもの 目に見えるもの 耳に聞こえるもの
 それだけしか 信じることが できないとするなら 私はさびしい
 愛情、平和、思いやり
 一番大切なものは、見えないところにあるのだから」

私たちがこうして生きていられるのは、見えない世界のおかげです。
このことがわかると、次の世代に何か良いものを残したいという、
人が本来持っている良き思いが湧いてくるのではないでしょうか。

          <感謝合掌 平成25年5月20日 頓首再拝>

感謝の波動で満ちた職場 (8962)
日時:2013年06月03日 (月) 04時27分
名前:伝統


       *メルマガ「人の心に灯をともす(2013年05月25日)」より

(ノエル・C・ネルソン氏の心に響く言葉より… )

   感謝には、感謝している側と感謝されている側 双方の要望を同調させる力があり、
   それが感謝の力の源です。

   つまり、あなたが従業員、管理職、顧客に感謝すれば、
   彼らはあなたが彼らに対して望むこと(期待していること)を、
   自発的に行なうようになるのです。


   相手が期待に沿った行動をするようになるため、
   業務はよりスムーズになり収益は上がります。

   感謝することによって双方の要望が同調すると、ビジネスでも大きな利益に結びつきます。


   具体的には…

   (1)従業員の意欲が増す。
   (2)無断欠勤や離職が大幅に減る。
   (3)製品やサービスの品質が高まり、信頼性が増す。
   (4)固定客が増える。

   感謝はたくさんの好ましい状況をもたらします。

   たとえば、

   (1)従業員と管理職の能力が高まる。
   (2)「もうひとがんばり」する意欲が高まる。
   (3)従業員と管理職の学習意欲や向上意欲が高まる。
   (4)問題解決に向う姿勢が高まり、責任感が増す。
   (5)対立が減る。
   (6)従業員の心身の健康が高まる。


   波動が他の波動と調和する、あるいは共鳴する科学現象は、「同調」と呼ばれます。

   たとえば、悲嘆に暮れている人たちの部屋に入ってしばらくすると、
   確実に憂鬱(ゆううつ)になります。

   あるいは、楽しく笑っている人たちの部屋に招かれると、すぐに幸せな気分になります。

   いずれも、同調現象が起きているのです。

   部屋にいる多くの人たちの集合的な波動は、概して個人の波動より強いので、
   彼らの波動に引っ張られるのです。

   したがって、あなたの波動はあえて抗(あらが)わないかぎり、
   幸せや悲しみといった彼らの波動と同調します。

   また、あなたの行動が強くフォーカスされた波動を放っているときは、
   相手はそれに巻き込まれまいと意識していないかぎり、同じように反応を返してくる
   ものですが、これも同調現象によって説明できます。

   たとえば、誰かに腹を立てると、あなたが怒っている相手も、同じように腹を立て、
   自己防衛的になる可能性が高いのです。

   あえて抗わないかぎり「類は友を呼ぶ」のです。

   他にも「出ていくものが戻ってくる」「与えたものを受け取る」といった
   同義の言葉がありますが、それらはこの科学的現実に基づいています。

   宇宙とその中に存在するすべては、振動するエネルギーで構成されています。
   あなたが与えるエネルギーは何であれ、似たエネルギーを引き寄せ、強めるのです。

   感謝とは、私たちが手にしうる最も強力なエネルギーの一つです。

      <『仕事で感謝するということ』サンマーク出版>

  ・・・・・

仕事においては、顧客に対して感謝するということは、当然のこととして言われている。

しかし、リーダーや管理職と従業員が双方に感謝し合うということの必要性はあまり言われない。

すべての組織において、そこに属する人たちが「対立」し、
「非難」し合うことからは何も生まれない。

創造性や、チャレンジと言ったパワーは、「調和」や、「ほめ合う」といった、
「感謝」の波動から生まれる。


「与えたものは返ってくる」

感謝の波動で満ちた職場や家庭でありたい。

          <感謝合掌 平成25年6月3日 頓首再拝>

《「感謝」という字は元気のパワーを持っている》 (9089)
日時:2013年06月07日 (金) 04時53分
名前:伝統

      *「子どもと声に出して読みたい『実語教』」齋藤孝・著(P92〜93)より

「孝」という字は前にも説明しました。
これは「恩」という気持ち、感謝の気持ちといってもいいでしょう。
親に感謝して恩返しをしようとする気持ちです。

恩を観じて生きるという姿勢を持つと、それは自分自身の心の柱にもなります。
「ここまで育ててくれて、ありがとう」という気持ちを持っている人は、自分も強くなれます。

そう考えると、恩の気持ちは単に人に感謝するだけのものではなくて、
自分自身が豊かになっていくためにもだいじなものなのです。

私自身、今の仕事をしているのも、親が本好きだったり、小学校の先生が音読を教えてくれた
おかげです。本当にありがたいと感謝しています。

先日、テレビ番組で高校のときの先生と会いました。
高校を卒業して30年ぐらい経っていますが、二人の関係は全然変わっていませんでした。
先生はずっと先生のままなのです。お話をしていて、まさに「我が師の恩」を感じました。

書道家の武田双雲さんは、「感謝の気持ちを持つとパワーが出ます」といわれています。
感謝という字を書くだけで、書いているほうが元気になってくるというのです。
これも本当だと思います。みなさんもぜひ、試してみてください。

          <感謝合掌 平成25年6月7日 頓首再拝>

感謝体質になるには (9197)
日時:2013年06月12日 (水) 04時02分
名前:伝統


   *『「ありがとうを言う」と超健康になる』町田宗鳳・著(P20〜22)より抜粋

「ありがとう」
日ごろ、誰もがいろいろなときに口にするこの言葉。
たった五文字のこの言葉には、計り知れない力があります。

そこで私は、「ありがとう」を呼吸法や念仏と合体させることにしたのです。
誰でも気軽に簡単にできる方法です。
これは、あなたの心と体を元気にし、光り輝かせる力があります。

この方法は、あなたがあなた自身を信じて行なう方法であり、
あなた自身であなたを元気にする「声のラジオ体操」です。

その中心となる念仏は、ただ「ありがとう」という言葉(厳密には「アリガト」の四音)を
唱えるもので「感謝念仏」といいます。

感謝念仏は、「アリガト」の声の力によって、自分では予想もしなかったすばらしい気づきや
さまざまな効用が与えられます。声を出して唱えるのはあなた自身、気づきや効用を引き出すのも、
無意識の深いところにいるあなた自身なのです。

そして、あなた自身の声があなたの耳から入ることで、その力が増幅してきます。
家族とともにやったり、大勢でいっしょにやったりすれば、もっともっと力と効用が増します。


私たちの心と体は一つですから、「ありがとう」と言っているうちに、
「ありがたいなあ」という気持ちが湧いてきます。

言葉には必ず語感というものがあります。
それを言霊(言葉の持つ霊的エネルギー)といい、語感そのものが人の心に作用すると考えます。
難しい話ではなく、攻撃的な言葉を常用していれば、その人自身も攻撃的になり、
穏やかな言葉を多用していれば、その人自身も穏やかになるというシンプルな話です。

「ムカつく」と言っていたなら、どんどんムカムカして殺伐たる気持ちになります。
逆にたくさん「ありがとう」と言っていたら、なんでも「ありがたいなあ」と
思えるようになります。

物ごとを喜びやうれしさにつなげるのが上手で、
「ありがとう」と口に出やすい「感謝体質」になるのです。

          <感謝合掌 平成25年6月12日 頓首再拝>

ゴミを受取って「ありがとう!」 (9219)
日時:2013年06月13日 (木) 04時39分
名前:伝統

   *『「ありがとうを言う」と超健康になる』町田宗鳳・著(P26〜29)より

「ありがとう」は、感謝やお礼の気持ちを表す言葉ですが、
もう一段深い意味をいうなら「すべてを受け止める言葉」です。

人としてこの世を生きるとなると、本当にいろんな苦労があり、悩みや悲しみがあります。
経験したくない出来事、おきてほしくない出来事、避けて通りたい出来事だらけですが、
「ありがとう」は、それら全部を受け止める「絶対肯定」の言葉なのです。

喜びも悲しみも、怒りも悔しさも、「ありがとう」の炎で燃やし尽くす。
「感謝念仏」は、誰でも出来る護摩供養です。

私は、毎日のように新幹線に乗って旅をしていますが、
新幹線に乗るたびに感動することがあります。

それは、クリーンスタッフというのか、若い女性が二人ペアで、
客席にゴミを集めに来てくださることです。

彼女たちは、乗客からゴミを渡されて「ありがとうございます」と言います。
弁当の空き箱でも空き缶でもなんでも、両手で受け止めて「ありがとうございます」と。
本当にすばらしいと思うのです。

外国にはこんな文化はありません。日本特有の美しい文化です。

私たちも、人生においてゴミだと思っているものがいっぱいあって、
たいていはそれを「嫌だ、要らない」と言って拒否します。
すると、拒否している間は、それがどんどんくり返し起きてしまいます。

実は、それを「ありがとうございます」と素直に受け止めることによって、
このくり返しが起らなくなります。
なぜなら、その人にとっての課題を一つクリアしたことになるからです。

学校の先生がレッスン1のテストで100点を取った生徒に、
二度はレッスン1を教えないのと同じです。

ちょっと宗教的に説明するなら、人間がこの世に生まれてきたのは魂の修行のためです。
魂の修行のためには肉体が必要で、肉体をもっているがゆえに、
病気も含めていろいろな悩みが出てきます。

それをいつも「要らない」と言って受け止めないと、魂の進化につながらないので、
同じような課題がくり返し起きてしまうのです。

そこで、「自分にとっては価値がない。ゴミだ」と思うものでも、
あえて「ありがとうございます」と受け止めると、次のステージに行くことができるのです。

といっても、実際に悪い出来事や病気を「ありがとう」と受け止めるのは並大抵ではありません。
あんなことさえなかったら...と、恨み辛みならいくらでも出てくるけれど、
その悪しき出来事に感謝せよといわれても、簡単にはできないのが私たちです。

だからこそ、まずは声を出すのです。
「感謝念仏」は、内観療法(身近な人とのかかわりをテーマに自己の内面を深くみつめる心理療法)
を兼ねていますので、そのときどきのテーマを決めて「アリガト」と発声していきます。

その中には、それこそ感謝したくないどころか、思い出したくないような人や出来事も含まれて
くるでしょうが、あえてテーマにあげて、思い出したくない「アリガト」の声を出していきます。

「コンチクショー」と、「アリガトの石をぶつける」という気持ちでいいのです。
ただ体を使って声を出しているうちに、あなた自身の声があなたを磨き上げ、恨み辛みを
そぎ落としていきます。そうなったら、しめたものです。

過去の出来事は変えようがなくても、それを思う気持ちが変わります。
苦手な相手自身は変わらなくても、自分から見た関係性が変わります。
症状そのものは変わらなくても、病気のとらえ方が変わります。

すると、やがては不思議なことに、相手の態度や症状そのものにも変化が出てくるのです。

          <感謝合掌 平成25年6月13日 頓首再拝>

《感謝という鍵 》 (9403)
日時:2013年06月22日 (土) 04時17分
名前:伝統


    *「正負の法則」(ドクター・ジョン・F・ディマティーニ・著)<P22〜24>より

何事にも感謝する人は、そうでない人よりも、人生で恵まれることが多く、
願望が実現する可能性も高くなります。

これはシンプルな原則ですが、人生を変える力があります。

誰かにプレゼントをあげたとき、相手が贈り物をちらっと見ただけで、
お礼も言わずに脇に置いたら、また何かをあげたいと思いますか?

思いませんね。

宇宙の反応もちょうどそれと同じです。


宇宙が贈り物をする先は、贈り物に対していちばん感謝をする人です。

いま与えられているものに感謝をしない人に、宇宙がそれ以上のものを与えようとするでしょうか?

「感謝とはいったい何なのですか? 」とよく尋ねられます。
感謝の念が湧くのは、完全にバランスがとれていると感じるときです。
人生のどんな分野にせよ、完全にバランスがとれていると感じたり、宇宙の秩序に気づいたとき、
感謝が生じます。

感謝と高揚感を混同する人はたくさんいます。
そういう人たちは、心がワクワクする体験をして、「ありがとう! 」と口にすることが
感謝だと考えています。

しかし実のところ、一時的な喜びや高揚感は、真の感謝とはあまり関係がありません。
真の感謝は、精神的にバランスがとれえ心が落ち着いている静かな状態のときに起こります。
そうしたときに、心から感謝の念が湧いてくるのです。

宇宙の秩序に気づき、すべてをあるがままで受け入れてください。

感謝とは、ありがたいという気持ちを込めた真の祈りのことです。

祈りには2種類あります。


ひとつは偽の祈りです。
人生に不満を抱きながら「ああ、神様、めちゃくちゃです。なんとかしてください!」と
つぶやくことです。

もうひとつは真の祈りです。
すでに存在しているものに宇宙の秩序と完全性を認めつつ、
与えられているものに対して、心からありがたいという気持ちを抱くことです。

心からありがたいという気持ちを抱くと、さらに多くの贈り物を受け取ることになるでしょう。
感謝をしている人間には、さらに多くのものが与えられるからです。

感謝しない人間からは、さらに多くのものが取り上げられます。
贈り物が取り上げられて初めて、感謝をすることの大切さに気づきます。

これまでにあなたの人生に起きたこと、これから起きることはすべて、宇宙からの贈り物です。

とはいえ、一見ネガティブに思える出来事の中に潜む隠れた贈り物を理解するまでは、
感謝することは難しいものです。

          <感謝合掌 平成25年6月22日 頓首再拝>

【感謝しないことは奪うことに等しい】 (9536)
日時:2013年06月28日 (金) 04時57分
名前:伝統


       *メルマガ「人の心に灯をともす(2013年06月24日)」より

   (ロンダ・バーン氏の心に響く言葉より… )

   ニュートンの科学的な発見は宇宙の基本的な運動の法則を含みます。
   その一つに、次の言葉があります。

   「全ての作用は常にそれと等しい反作用を伴う」

   ニュートンの法則に感謝の気持を当てはめると、
   全ての「感謝する」という作用は、必ず「受け取る」という反作用を引き起こす
   ことになります。

   そして、あなたが受け取る量は、あなたが与えた感謝の量に等しいのです。
   つまり、感謝するという行動が受け取るという反作用を引き起こすのです!

   そして、より誠意を込めて深く感謝すればする程(言い換えると、
   「より多く」感謝を与えれば与える程)「より多く」を受け取ります。

   何千年も前の人類最初の記録まで遡(さかのぼ)ると、人々は感謝の力について教えられ、
   それを実践していました。

   仏陀は、人は感謝と喜びのためにこそ存在する意義があると説きました。

   ダビデ王は、天と地の間にある世界の全てに感謝をすると言いました。

   イエス・キリストは、奇跡を起こす前に必ず「ありがとう」と言いました。

   そもそも感謝をしないということは「奪う」ことに等しく、
   日々物事を当然の権利のように受け取ってしまっているということです。

   何かを当然の権利のように思うと、
   無意識の内に自分からも何かが奪われていることになります。


   引き寄せの法則では「類は友を呼ぶ」と言います。
   何かを当然の権利のように思うと、それが自分からも奪われてしまうのです。

   「誰であろうと感謝しない人は、今、持っているものも奪われてしまう」ということを
   覚えておいて下さい。

      <『ザ・マジック』(山川 紘矢, 山川 亜希子, 佐野 美代子、訳)角川書店>

・・・・・

「感謝」の反対の言葉は、「当たり前」。
日々の暮らしの全て、すなわち、お金、健康、仕事、家庭、友人等々が当たり前だと
思っている人には感謝がない。

当たり前、と思っている人は次第に「権利意識」が芽生え、次には必ず不満が出てくる。

「もらうのが当たり前」、「もらう権利がある」と思えば、
「なぜもっとくれないのか」、「もらわなければ損だ」そして、「もっとよこせ」となる。

つまり、人から「奪う」こと。

「誰であろうと感謝しない人は、今、持っているものも奪われてしまう」

感謝を多くし、人に与える人生でありたい。

          <感謝合掌 平成25年6月28日 頓首再拝>

【「感謝」の法則】 (9606)
日時:2013年07月02日 (火) 07時19分
名前:伝統

       *メルマガ「人の心に灯をともす(2013年06月29日)」より

   (斎藤一人さんの心に響く言葉より…)

(1)「お互いわかっているから、『ありがとう』『感謝してます』って言わなくてもいいんだ」
   ではないのです。
   お互いわかっているのに、言いあわないから、血みどろの戦いになるのです。

   もっと、幸せになりたかったら、お互い感謝してください。


(2)「感謝してます」

   といえば、その問題は終わるんです。

   でも、最初から問題そのものに感謝するという流れには行かないものなのです。
   だから、最初は問題を起こしていないまわりに感謝から始めるのです。

   まわりへの感謝から始めると、やがて、その問題にも感謝できるようになります。
   そして、魂が上にあがります。


(3)「感謝」の法則は、誰がやっても、どんな場合でも絶対通用します。

   そして、感謝で魂は向上すると同時に、問題が解決することになっています。

   運命が好転するようになっています。


(4)もちろん、「ありがとう」といってもいいですよ。

   ただ、「感謝してます」の波動が100点だとしたら、
   「ありがとう」の波動は60点ぐらいです。

   高い波動のある言葉だから、これを使ったほうがいいですよ。


(5)会社へ行っても、そうですよ。

   給料日に、当然という顔をして給料をもらっている人もいるけれど、社長さんに、

   「ありがとうございます」

   「感謝してます」

   って言ってごらん。

   この一言を言えるか否かで、人生、えらく違ってきますよ。


(6)この世で人生の成功者になるには、ただ一点、感謝です。

   逆をいうと、「当たり前」といった瞬間から、不幸が始まる。


      <『斎藤一人 仕事がうまくいく315のチカラ』KKロングセラーズ >

・・・・・

本当は、世の中の全てのことは、当たり前のことなど一つもない。

日本に生まれたことも、息ができることも、食事をいただけることも、
そして今この世に生まれたことも…

ありえないくらい不思議なことだから、「有り難し」という。


「当たり前」と思った瞬間から、傲慢になり、感謝がなくなる。

どんなときにも、「感謝してます」と言う習慣を身につけたい。

          <感謝合掌 平成25年7月2日 頓首再拝>

感謝は、神の無限供給の流入口を拡大する (10193)
日時:2013年07月28日 (日) 04時43分
名前:伝統

        *「眞理 第9巻生活篇」(P387)より

現在与えられている物に感謝したとき、次のより大いなる恵みが与えられる

1日に1回(又は朝夕2回)心を平和に明るくして、心を神の方向に振向け、既に現に与えられている
神の恵み(空気でも水でも日光でも皆神の恵みである。私たちはこれに感謝することを忘れていた)
に感謝しましょう。

その感謝の念が、既に与えられている供給の流入口を拡大することになるのです。

その次には自分の欲する事物の状態を心に描いて
「神は私のなくてはならぬものを知りたまう。既にそれを与えたまうて有難うございます」と云う、
欲する事物の成就と感謝の思念を致しましょう。

暗い考えや、危惧の念をいだいたりしてはなりません。

暗い考えや、危惧の念は既に与えられている事物が、
実相界から現実界へ投影するための「心のレンズ」を曇らせることになるので、
完全にその事物が現象界にあらわれて出なくしてしまいます。

          <感謝合掌 平成25年7月28日 頓首再拝>

「ありがとう」の言葉を習慣にする (10516)
日時:2013年08月12日 (月) 04時43分
名前:伝統

100%好かれる1%の習慣

       *メルマガ「人の心に灯をともす(2013年08月10日)」より

   (日本コミュニケーションマナー協会代表、松澤萬紀氏の心に響く言葉より…)

   国内線のCAとして、多いときで1日に2000人以上のお客様と接してきた私は、
   「人の思いや気持ち(内面)は、日常の行動(外面)にあらわれる」ことを学びました。

   12年間のフライト生活を振り返ったとき、
   たくさんの方の笑顔が、いまも心に残っています。

   なかには「もう一度お会いしたい」と思う、素敵なお客様もいらっしゃいます。

   たとえば、歌手の松田聖子さん。

   私が松田聖子さんに惹かれたのは、彼女の振る舞いに、
   CAに対する気づかいが感じられたからです。

   そのひとつが、お礼のしかたでした。

   私がお茶をお出しした際、彼女は、となりの席の方とお話をしていたにもかかわらず、
   可能なかぎり上体を私のほうに向け、私としっかり目を合わせ、笑顔で
   「ありがとうございます」とお礼をしてくださいました。

   それも一度ではありません。
   フライト中、何度も同じようにおじぎをしてくださいました。

   そして、なんと飛行機を降りるときにも、
   「おいしいお茶をありがとうございました」とお礼を述べてくださったのです。

   松田聖子さんの振る舞いに、本当に、一瞬で心をつかまれたのを、覚えています。

   私は、松田聖子さんが「有名人だから」という理由で、
   「もう一度会いたい」と思ったわけではありません。

   彼女が多くのファンに慕われているのは、
   「相手がどう思うか」「なにをすれば相手が喜んでくれるのか」を察する
   「相手を気づかう心」があり、それを言葉と行動に込める習慣を持っているからなのです。


   そんな人は、ほぼ100%に近い確率で、どんな人からも好かれます。

   ですが、その気づかいの習慣を持っている人は、わずかに「1%」でしょう。
   そして、やろうと思えばだれでも実行できる、たった「1%」の習慣です。

   「お茶をいただいたら、『ありがとう』を言う」のは、
   だれにでもできることかもしれません。

   ですが、レストランで見ていても、スタッフにお礼を言う人はとても少ないです。

   相手に向き合い「だれにでもできる簡単なこと」だけれども、
   「1%の人しかやっていないこと」を習慣にしている人は、
   ほぼ100%に近い確率で、まわりの人の心を「あたたかく」するのです。

      <『100%好かれる1%の習慣』ダイヤモンド社>

   ・・・

私はお金を払っているお客なのに、なぜ自分がお礼を言わなければならないのか、
という意識の人は多い。

だから、レストランや、コンビニで、お礼を言う人はわずかに「1%」の人。

お店で物を買っても、レストランでも、「ありがとう」を言う習慣を持っている人は、
家族や、友達や、会社の同僚に対してごく普通に「ありがとう」を言うことができる。

「気づかい」や「ありがとう」という感謝の気持ちは、それが習慣になっていない限り、
自然な形で出すことはできないし、相手の心に響かない。

どんなときも誰に対しても、「ありがとう」の言葉を習慣にしたい。

          <感謝合掌 平成25年8月12日 頓首再拝>



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