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常に明るく微笑せよ 徳久克己講師 〈全文記載〉 (1318)
日時:2012年09月11日 (火) 05時21分
名前:童子

    
  『常に明るく微笑せよ』
          徳久克己 青年部長

 
 若人よ!

 君の明るい微笑こそは
 何にもかへがたいすばらしい君の質なのだ。

 無限価値そのものなのだ、
 此の世を明るく照らす光なのだ。

 君のその明るい微笑が、
 如何に多くの人々に
 希望と勇気と悦びとを與へてゐるかを
 忘れてはならない。

 君の明るい微笑を見るたびに
 君のお父さんお母さんは
 生きる希望と勇気と悦びを感じてゐるのだ。

 君を愛する總ての人々は、
 君がただ明るく微笑さへしてゐれば
 それで満足なのだ。

 君が常に明るい微笑をたたへてゐてくれるやうにと、
 こひねがってゐるのだ。

 君が明るく微笑すれば、
 君を愛する總ての人々も微笑するのだ。

 君の明るい微笑こそは、
 君が愛する人々へ與へ得る
 最大の贈物なのだ。

        
           
 

(つづき) (1329)
日時:2012年09月11日 (火) 11時50分
名前:童子

 若人よ!

 君の明るい微笑こそは、
 何にもかへがたいすばらしい君の宝なのだ。

 無限価値そのものなのだ。
 此の世を明るく照らす光なのだ。

 君の持つ美しく、しかも雄渾な理想を、
 此の世に実現するために
 最も必要なものは、
 君のその明るい微笑なのだ。

 如何なる困難がやってこようとも、
 君は決して明るい微笑を忘れてはならない。

 苦しければ苦しい程
 君は莞爾と明るく微笑するのだ。

 如何なる困難も苦しみも
 君が明るく微笑しながら突き進んでゆきさへすれば、
 それは一瞬にして消え失せてしまふのだ。

 君のその明るい微笑こそは
 神から與へられた理想實現への第一の鍵なのだ。

(つづき) (1367)
日時:2012年09月12日 (水) 11時54分
名前:童子

 若人よ!

 君の明るい微笑こそは
 何にもかへがたいすばらしい君の宝なのだ。

 無限価値そのものなのだ、
 此の世を明るく照らす光なのだ。

 君は如何なる人に接する時も、
 常にその明るい微笑をたたへて接するのだ。

 たとへ彼が君を憎んでゐても、
 或は怨み、或は怒り、或は敵意をもってゐたとしても、
 それが何だ。

 それは彼自身のことなのだ。

 君はただ明るく微笑さへしてゐれば、それでよいのだ。

 そして、心から彼の為に祈るのだ、
 神の愛深き祝福が彼にみちあふれますやうにと。

 神は總ての人々を愛してゐ給ふ、
 神は一人の悪人をも創り給はない、
 だから、彼が如何に悪人の如く現はれてゐようとも、
 それはニセモノの彼なのだ。

 本物の彼は神の創り給うたそのままの愛深き彼 ― 神の子 ― そのものなのだ。

 神の子なる彼を少しでも憎むといふことは、
 君自身神の子の自覚を既に失ってゐる証拠なのだ。

 相手が如何なる人間に現はれてゐようと、
 そんなことは関係ない。

 ただ君の憎む心、そのものが神と一つになってゐない心なのだ

(つづき) (1401)
日時:2012年09月13日 (木) 06時21分
名前:童子

 さあ!

 若人よ! 兄弟たちよ!

 相手が如何なる人間であらうとも、
 今、君は彼をゆるしたのだ、
 ゆるしただけではない、
 更に積極的に彼を愛するのだ。

 君が總ての人々をゆるした、愛した、
 その時こそ
 君は心から明るく明るく微笑することの出来る時なのだ。

 その明るい微笑こそ、
 君の中の神の顕現なのだ。
 神の子、人間のシンボルなのだ。




 若人よ! 兄弟たちよ!

 君は大地にしっかりと足を踏みしめて、
 雄渾な理想を青空に描きながら、
 グッと胸を張って、
 常に明るい微笑をたたえつつ
 神の國の地上顕現のために
 ただまっしぐらに前進するのみだ。
               (二六.一.一五.成人の日に

(つづき)  (1635)
日時:2012年09月20日 (木) 09時51分
名前:童子

        神を信ずる者は常に明るくあるべきである




 信仰をもった人間というと、凡そシカメッツラをした、窮屈な、弱々しい、妙にいじけた感じのする人間を、私は若い時に想像していた。

 特に青年で信仰を持つと、どこかへ溌剌とした青春を忘れてきたような若年寄のような青年を思い起し、若い間は信仰などもつものではないと思っていた。そんな感じのする青年が多かったからである。

 生長の家に入るまで、私はこの考えを持ち続けていた。信仰をもつと、ちょっと悪いことをしても神罰が当るのではないか、自分の信ずる神に気兼ねをして、絶えず戦々恐々としておづおづとした生活をし、自分の行動に対して何時も自己批判をしてくよくよと考え、人生から明るさを取去ってしまったような生活をするものと考えていた。



 生長の家の御教にふれて、自分の信仰に対する今迄の考えが根本的に間違っていたことに気がついたのである。信仰は深くなればなる程、明るい生活を送るようになるのが当り前で、神を信じながら暗い生活をしているならば、それは何処かに間違った所があるからであることを知ったのである。

 神は愛そのもので、人間に対して罰を当てて喜ぶような、そんな残酷な存在ではないことがわかり、又神は全智全能者であるから、神に全托した時、神の愛はその全智と全能とをもって吾々を導き給うのだ、と知った時、神を信ずれば信ずる程、吾々は人生に対する希望と喜びと明るさが増すものであるということがわかったのである。

(つづき) 神を信ずる者は常に明るくあるべきである 2. (1667)
日時:2012年09月21日 (金) 09時23分
名前:童子

 「明るさ」 ―― しかもそれは希望と悦びに裏付けられた「明るさ」こそ、信仰者の必然的な雰囲気であるのであった。

 日本人の知識階級の人々は、この「明るさ」に対して往々間違えた考え方を持っている。『生命の實相』に触れて、初めて私自身もそれまでの間違った考え方がわかったのであるが、知識人といわれる人程、つまり高等の教育を受けた人程、深刻な顔をし、人生の暗黒面を見て深刻に考えるのであるという考えである。

 小学生は皆朗らかによく笑う。中学生も下級生はよく笑う、中学を卒業し高等学校へでも入る頃になると、ぽつぽつと深刻な表情をするようになるのである。余り笑っていると、「ゲラゲラ笑いやがって、あいつは少し足らないのだな」などと馬鹿扱いにされる。

 秀才と云われる人程、眉の間にシワを寄せ、人生の暗黒面を見て世の苦しみを一人で背負って立っているようなことを云って、偉いと思っている。大学へでも入ると「明るいこと」は「馬鹿」の別名の如く考えている学生がいる。

 私はどちらかと云うと明るい性格だったので、秀才の友人達から「少し足りない男」のように批評され、奮然として眉と眉の間へシワを寄せる練習までしたことすらある。

 このような考えは、明るさというと漫才でも聞いた時の馬鹿笑いを想像するからこんなことになるので、それは大変な間違いであって、本当の「明るさ」は、神の叡智に照らされた愛深き「明るさ」でなければならない。そして、その人に逢っただけでホノボノとした悦びとか暖かさを感ずるのが、本当の「明るさ」である。

 知性のない「明るさ」は薄馬鹿と云われても仕方がないが、神を信ずることによって生れてくる「明るさ」は、決してそんなものではない。自己の中なる全智にして全能なる神を自覚し、自己の中なる無限の愛を表現する「明るさ」は、実に気高い「明るさ」である。

(つづき) 神を信ずる者は常に明るくあるべきである 3. (1724)
日時:2012年09月23日 (日) 09時37分
名前:童子

 この「明るさ」の出てくる本源は、「生長の家」の御教が「光明思想」という別名で呼ばれている如く、信仰の根本となる『人間神の子、罪本来なし、悪本来なし』の人間無罪宣言であり、人間無悪宣言である。

 この『實相人間』つまり『神の子・人間』の直指、實相直観の真理こそ、今まで人類を悩ました所の「迷い」を照破した、一大光明真理である。この「人間観」に立つ時、吾々は憂鬱になれと云ってもなれないのであって、ただ明るくなるより他に仕方がないのである。

 諸君が神を信じていながら、尚どうしても心から明るくなれないならば、諸君の信仰の根本である『人間神の子』の自覚はまだ徹していない証拠である。

(つづき) 神を信ずる者は常に明るくあるべきである 4. (1863)
日時:2012年09月26日 (水) 12時07分
名前:童子

 「人間神の子、罪本来なし、悪本来なし」

の自覚をうれば、諸君は決して人を怨んだり、憎んだりすることがなくなる筈であって、もし諸君が心の中で誰か一人の人間でも怨んだり憎んだりしているならば、諸君は本当の「明るさ」をもつことが出来ないのである。

 何故なら「怨み」や「憎み」は、諸君の愛の心の現われていない証拠であって、諸君が愛の心を表現していないと云うことは、諸君の中なる「愛なる神」が生きていないのであるから、神の表現されていない所に本当の「明るさ」はないからである。

 諸君が誰か一人をでも怨み憎みしているならば、その怨みや憎みは争いの念波であって、神と波長があわないのであって、『甘露の法雨』冒頭に、

   『争いの念波は神の救の念波を能う受けぬ』

と書かれている如く、神と波長が合わなければ、諸君は神を表現することが出来ないのであって、明るくなれないのは当然である。

 本当の「明るさ」の本源は、総て神にあるのであって、神の現われない所に本当の「明るさ」は存在しないのである。

 
 
 諸君が本当に明るい雰囲気を得るには、先ず第一に、

  『吾は神の子にして、無限智、無限愛、無限生命、無限供給、無限歓喜、無限調和なる神と一体なり』  との絶対自覚に入り

 第二に、総ての人々をゆるし、総ての人々を愛することである。


 かくして初めて、諸君の顔に、美しく明るい微笑が常に照りかがやくのである。明るい人は、総ての人から愛される、幸福は自然にやってくるのである。そして、そこに神の国の地上顕現があるのだ。

 再び歌う ―――


  若人よ!  兄弟たちよ!
  君は大地にしっかり足を踏みしめて、
  雄渾な理想を青空に描きながら、
  グッと胸を張って、
  常に明るい微笑をたたえつつ、
  神の国の地上顕現のために
  ただまっしぐらに前進するのみだ。

                『生長する青年』 26年3月号



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