【広告】Amazonにて人気の 日替わり商品毎日お得なタイムセール

 

光明掲示板・第一

 

本流宣言掲示板光明掲示板・第二」「光明掲示板・第三」「光明掲示板・伝統・第一」「光明掲示板・伝統・第二」「谷口雅春先生に帰りましょう・第一」「谷口雅春先生に帰りましょう・第二

ご投稿は「谷口雅春先生に帰りましょう・第二」へ

重要リンク集
本掲示板の目的に従い、法令順守、せっかく掲示板社の利用規約及び社会倫理の厳守をお願いします。 なお、当掲示板の管理人は、聖典『生命の實相』および『甘露の法雨』などの聖経以外については、どの著作物について権利者が誰であるかを承知しておりません。 「著作物に係る権利」または「その他の正当な権利」を侵害されたとする方は、 自らの所属、役職、氏名、連絡方法を明記のうえ、 自らが正当な権利者であることを証明するもの(確定判決書又は文化庁の著作権登録謄本等)のPDFファイルを添付のうえ、 当掲示板への書き込みにより、管理人にお申し出ください。プロバイダ責任制限法に基づき、適正に対処します。
トップページ/Página de topo/Top page

 


『平和への道』  (『聖道へ』より) (1982)
日時:2012年09月28日 (金) 22時11分
名前:童子

 《次に掲ぐる論文は大正十一年十一月二十五日 浅草小島町の某家の二階に寓居せる当時、今から約三十年前執筆せるもので、当時の私の論文集新光社発行『聖道へ』の一一四頁から一二五頁に至る十二頁に亙って掲載せるものである。


 今読んで其の予言的性質を見てみづから驚くほどである。此の時既に私は生長の家の思想信仰の出発点なる『人間本来円満完全なり』との自覚に到達していたのである。この自覚なくして人は真に民主主義となることは出来ないのである。


 この自覚なくして民主主義が主張され、一切の束縛や統制が解除せられるならば、その人はただ奔放不検束に流れて混乱と自壊とが相ついで起るほかはないのである。


 私は其の頃此の人間本来自由にして円満完全なりとの自覚を持ちながら、それをただ内在未発の仏性として観じ、それを現実界に持ち来す方法(メソッド)を知ることが出来なかった。


 そして、此の『聖道へ』なる論文集の第一七六頁に次のように云って歎いているのである ―― 『人間は自己が最高の真理を体現する時、大円覚を成就する時、自己の外(そと)に何物をも求めないでもそれ自身で一切円満に具われる如き究境地に到達するであろう。この境涯に到って人は‘外に’求めざるを得ないような自己の内面的欠陥は、実は積極的なる存在には非ずして、‘覚り’の欠乏に伴う消極的幻影に過ぎないことを知るであろう。自分はまだこの境地に到達するに甚だ遠い。自分としては自分の一生涯のすべてを通じてこの境地に到達したいのが自分の念願である・・・・・・』


 ところが私は或る日生田神社に参拝しての帰るさ、その左側にある永田文進堂と云う古本屋でフェンウイック・ホルムス氏の『創化活動の心の法則』(The Law of Mind in Action)と云う書を得たのである。その書が此の『大円覚成就』の私の念願に方法(メソッド)を与えてくれたのである。


 此処に日本の宗教と基督教との調和の道も開かれたし、天地一切のものと調和する道もひらかれた。生長の家はかくして日本の本当の精神が、アメリカの光明思想の触発によって具体化したところの真理運動なのである。



 それは兎に角、左記の論文は既に今より約三十年前に書かれているのに、戦争惹起者を殺人犯として痛烈に攻撃せるところなど、実に現在のアメリカの新聞評論を読むような明快な戦争否定論である。

 これを生長の家の全集中に載せることが出来なかったのは既に軍国主義の圧迫があってこの種の論文をのせたら、吾々は拘束せられる虞れがあったので、この一篇のみを省いて論文集『聖道へ』は『佛教の把握』の中に収録したのであった。》


              『生長の家』誌 昭和20年12月号(平和特輯号)

『聖道へ』 より 「平和への道」 (1988)
日時:2012年09月28日 (金) 22時45分
名前:童子

             一. 為政者のために



 平和は好ましきことである。恐らくこれに何人も異存はないであろうと思う。しかもこの何人にも愛好せらるべき筈の平和が、この地上に永遠に確立するに到らないのは何故であろうか。人類が他の生物と争う生存競争のことはここでは説かないことにする。そしてこの創造(つく)られたる世界の基礎に或る錯誤があることを論ずるのは別の機会に譲ろうと思う。ここで自分は『平和』という言葉を国際戦争なき世界ということに小さく意味を限って、かかる世界に到達する根本原理についてゆるされたる被造物の分限の範囲に於いて為政者、国民及び全人類に対(むか)って自分の考えを述べて見たい。



 先ず自分は国交の破れる時の国際談判にあたる、相互折衝国の全権委員の心理状態を想像する。若し彼等がその刹那に彼等自身の最も親しき同胞が、開かるべき戦争によって晒されるべき不幸の性質について、はっきりとこれを思い浮かべることが出来るならば、彼等は果してその言葉の折衝をば武器の戦争にまで導くことが出来るであろうか。

 彼等がその戦争に於いて傷つき、呻き、血を流し、腹腔破れ、腸露出し、虚空を掴んで悶えくるしむ、数千の、或はそれ以上多数の同胞の姿を、眼(ま)のあたりありありと見るが如く思い浮かべるならば、彼等はその談判を破裂さすことによって、自分が将に何をなさんとするかを暁(さと)らねばならないであろう。

 国交を破裂にまで導くものはこれ等の夥しき殺人の下手人である。彼等はその責任を回避することは出来ない。「彼等は数千人の同胞を殺戮した殺人犯である。」天の審判(さばき)に於いて彼等はこの非難を甘んじて受けねばならない。

「平和への道」  一. 為政者のために (2) (2004)
日時:2012年09月29日 (土) 09時18分
名前:童子

 戦争が国際間に開かれるに到るのは、相互折衝国の首脳為政者の教養の欠乏と蠻性(ばんせい)とが主たる原因となり、輿論を形造る国民全体の教養の欠乏と蠻性とが与(あずか)って力がある。

 ここに云う教養の欠乏とは某大臣は幾度泰西を視察したとか、どれだけ国際法に精通しているとか、云うような意味ではない。それは人格的教養が欠乏していると云う意味である。想像的同情が鋭くされないままで琢磨されていないと云う意味である。「生命」と云うものに貫穿する愛の教養が充分でないと云う意味である。


 自分の観る処によれば同胞の運命に対して鋭い想像的同情をもつのは、すべての人間の血に対して平気でいる訳には行かない。すべての人間の血に対して平気でいることが出来ないものは、戦争を好む訳には行かない。もっとも悪いことは小さな国際的反感から、聡明な智慧を曇らすことである。


 猜忌、嫉妬、憎悪 ―― これらの愛から離れた多くの粗野なる悪徳は国際間に於いても個人間に於けると等しく争闘の原因となる。この点に於いて一国の為政者たるものは、理想的には、如何なる場合にもこれ等の悪徳から離れて愛を実現し得る徳の高き人でなければならない。


 過去の武人的功績を表彰するためにこれを一国の為政者の位置に措くというが如きは平和を期待する道から著しく遠い。功績ある武人とは戦術によって敵軍を最も有効に悩まし得たる人である。換言すれば国家の名に於いてではあるが、策略を弄することによって最も多く殺人罪を犯し得た人である。


 無論過去の世界に於いては、かかる武人は社稷(しゃしょく)の安泰を維持するためにも、国民の幸福を保護するためにも、必要欠くべからず場合が多かったであろう。吾等が外的の攻略から免れて一日を安寧に生活し得る幸福を思うとき、吾等はかかる武人に感謝しても感謝し切れない。


 吾等はかかる武人を国家の高き地位に措いてその勲功を表彰したくならざるを得ない。しかし高き地位においてその勲功を表彰することと、これを為政者たらしめることとは別の動機からであらねばならない。この動機を混同する時、一国の政治は武人の専断に帰する虞れがある。


 戦いに慣れたる武人は概ね人類の流す血に対して鋭き感覚をにぶきものにされている。血を見ることに平気でないものは戦いに勝つことは出来ない。戦いに勝つことが出来ないものは武人として表彰されない。武人として表彰されないものが一国の首脳為政者となることが出来ないとするならば、その国の政府は人類の血を流すこと平気なる者の手に握られることにならざるを得ない。かかる為政者が外交の衝にあたる時、相互国の要求が衝突するならば彼等が容易に武力的解決を選ぶのは当然のことである。

「平和への道」  一. 為政者のために (3) (2013)
日時:2012年09月29日 (土) 15時10分
名前:童子

 若し国民が功績ある武人を国家の首脳為政者に推薦するならば、その武人は如何なる態度をとるべきであろうか。彼は国民からの光栄ある鑚仰とは反対に、いよいよ謙って自分の剣によって流したる人類の血に対して自分を恥ぢねばならない。


 例えば剣を翳して愛児を将に殺さんする‘如き’侵入者を、愛児を殺さしめざるために拳銃をもって射殺したる父は、愛児からは、まことに尊き吾が保護者として鑚仰されることは当然過ぎる。しかし彼は侵入者の血も亦自己の愛児の血と等しく人間の血であることを知らねばならない。彼は愛児の血と同じく、侵入者の血をも亦尊ぶべかりしことを悟らねばならない。


 彼はこの点に於いて天を畏れ、人類の前に恥じ、かかる手段をとらざるを得なかった自分の被造物たる小ささに対して、愈々謙遜にならなければならない。



 この父の如くして、よく人類の前に謙遜であり、自己が機縁となって流したる血に対して天を畏れ得る心情に到達し得たる者のみ、彼がたとい武人であろうとも一国の首脳為政者たる資格が賦与される。


 彼は人類の流す血に対して平気でいられない。かかる人が為政者となるとき談判を武力的解決に持来す惧れは当然少ないと言わざるを得ない。しかしかかる尭瞬の如き心情に到達し得たる武人はこの世界に殆ど見出すことに骨が折れる。


 この意味に於いて軍閥が為政者となる時には、隣国から一瞬の恐怖心をもって見られることは巳を得ない。隣国に一種の恐怖心を抱かせることは、ただそれだけでも平和に対する脅威である。


 如何に多くの根拠なき恐怖心が隣接国を脅かし互いの武備が拡張され、やがて次第に真実の戦闘に入るに到ったであろうか。これは多くの戦乱の歴史が証明して余りある。根拠なき恐怖心を唆ることは、単にそれのみにても罪悪である。


 この点からだけでも軍閥は為政者となることから謙だらなければならない。日本に於いても次第に軍閥政治家がその数を減じつつあるのは、世界平和の理想のために次第に望ましき傾向に進みつつあるものと目し得るであろう。

平和への道 (つづき)   二. 国民全體のために (2035)
日時:2012年09月30日 (日) 11時08分
名前:童子

               二. 国民全體のために



 如何なる好戦的為政者と雖も、国民全体の輿論が唯平和に眷々として、戦争に参加することを拒むような態度をとるとき、敢て戦端を開くべくその外交談判を導き得るものではない。この理由に於て戦端が若し開かるるならば、それについて国民全体は責任を分け持たざるを得ない。


 好戦的政治家が隣国と戦わんと欲する時には、彼等は御用新聞紙その他の手段によって、国民全体をして、相手国に対する激昂の情に駆られるようにしむける。彼等は相手国の暴状を誇大に言い触らし、自国の立場が如何に危殆にあるかのように言い伝える。国民は概ね実際の国情が真に如何なる立場にあるかを理解することが出来ない。


 彼等は為政者のプロパガンダを真に受けて激昂に駆られはじめる。ここに真に国民の前に置かれたる危険なる陥穽がある。人格的教養なき国民がこれらの陥穽におちいらないことは殆ど出来ない。


 群集の多くの場合狂暴なる方向に盲動すべき傾向をもっているものである。好戦的政治家が群集の前でする熱烈なる演説は好戦的輿論を喚起せずには置かない。群集を動かすのは綿密なる数字上の統計や、正確なる理論的体系を必要としない。


 彼等は催眠術にかかれる人の如くである。一語の肺腑をつくような暗示的言語は彼等全体を相手国に対する激昂に駆り得るであろう。

平和への道  二. 国民全体のために (2) (2099)
日時:2012年10月02日 (火) 06時50分
名前:童子

 現在吾国の首脳為政者がかかる好戦的態度をとっていないことを吾等は兎も角も喜ばなくてはならない。しかし内閣は何時如何なる事情で更迭するかも判らない。首脳為政者のこの平和的態度がいつまで継続するかは、吾等は神でないから知ることは出来ない。それ故国民たるものは為政者が何時如何なる事情で好戦的態度に変じようとも、そのプロパガンダに乗ぜられないように人格的教養を積んで置くことが必要である。


 反感や激昂に仍って戦端を開くと云うが如きは何等の人道的根拠もない。それは賢き智慧の周密なる観察を窒息せしむるに過ぎないであろう。激昂によって揮い立つ前に国民はそれによて流さるべき人類の血の量を計算して見なくてはならない。吾等はこのことを世界の人類に、殊に文化ある国民の前に、その道義心に愬(うった)えて告げざるを得ない。


 過去に戦われたる多くの戦争によって人類はどれだけ福利を得たであろうか。負けたるの悲惨は言うもさらなり、戦勝国と雖も、その流したる血の分量を償うに足るべき如何なる獲得を得たであろうか。例えば日露戦争に於いて流されたる同胞の血は樺太の一部の獲得や、満州の一部の利権の獲得によって相殺せらるる程に、しかく安価に過ぎぬものであろうか。


 吾等はこれに対して否と答えざるを得ない。激昂によって賢き智慧のはたらきを蒙(くら)くされ、戦いの犠牲者に対する同情の念を去勢さるる時、国民はこのわかり易き計算をすらなし得ざるが如き愚かさにまで到達する。吾等は戦争がこの明智を欠く自己破滅の衝動によって導かれている限り、それを永久に祝福することは出来ないであろう。


                 〜 つづく

平和への道 三. 全人類のために (2267)
日時:2012年10月06日 (土) 17時29分
名前:童子

             三. 全人類のために



 一人の流す血の分量は物的価値に換算する時は幾等に値するであろうか吾等は知らない。恐らく如何なる物質的価額も一人を償うにはあまりに小さ過ぎると云うことは真理であろう。仮令、一つの戦争によって流されたる血の分量が悉く秤量せられ、またそれを償う物質的代償が悉く十全に満たされたにしたところが、尚償うことの出来ぬ精神的損害が二つの方向から報い来るに相違ない。


 その一つは血に曝されることに慣れたる国民がその性格の上に必然に印〈いん〉せられるべき感情の粗野と云うことである。新聞や号外が敵軍の潰敗や死傷を、吾等の歓呼すべきこととして報道し来る時、人間の血を流すことを歓ぶ如き野蛮なる性情が養われないことは稀である。

 彼等は敵の血に対してのみ歓び、味方が血を流すことには歓びの情を現すことが出来ないかもしれない。しかし人類が味方であり敵であると云うことは、唯利害が相合するか、利害が相反するかの相違に過ぎない。

 利害の相反する場合に、その人間の血を流すことを歓ぶ如き野蛮なる性情がその国民の内に蔓延し来る時、その国民は必然呪われたるものとならざるを得ないであろう。

 外に利害のために剣を用いるものは、内に利害のために剣を用いかねない。欧州戦乱〈註:第一次欧州戦〉に於いて寧ろ独逸に対して優勢を持(じ)していた露西亜が突然内乱のため、みづから呪われたる混乱状態に陥らざるを得なかった如きは、自己にいづるところのもの又自己に帰り来たれる好適例と云うべきであろう。

 欧州戦争に参加したる国民はいづれの国民も亦何等かの程度に於いてこの償い難き精神的損害を獲得している。一人の人間の魂の粗野と云う損害だけでも如何なる物質的代償を以てしても償い切れない。

 欧州戦に参加したるが如きは多数の国民が利害の反目する人間の不幸を歓ぶと云うような魂の野蛮性を獲得したる損害は、果して何によって代償し得られるであろう。

                〜 つづく




 ――― ・・ ――
 谷口雅春先生が生長の家を立教される以前の大正11年の論文で
 第一次欧州戦争の時代であります。

 

平和への道  三.全人類のために (2) (2348)
日時:2012年10月09日 (火) 11時51分
名前:童子

 長期に亙る欧州戦争の結果、概ね国民はその戦乱の不幸に飽き来たって、反動的に平和を翹望(ぎょうぼう)する念愈々高まり来るも事実である。ヴェルサイユ平和会議に於ける国際連盟の提唱や、華盛頓(ワシントン)会議における軍備縮少の提議はこの傾向の最も顕著なる表現と言うべきであろう。


 しかし国際戦争に飽きたる各国民が、内に獲得したる魂の粗野性はこれをもってしても償い尽すことは出来ない。外に於いて利害のために人類の血を流すに飽きたる国民は、今や内に於いて浅猿しくも利害のために血を流して兄弟牆(けいていかき)に閻(せめ)がんとしつつないであろうか。


 大戦乱以後の罷業や直接行動の悲惨さは、大戦乱以前の‘それ’に比べて著しく多数にのぼりつつないであろうか。吾等はこの事実を思い潜めなくてはならない。無論それは大戦乱の影響を受けたる経済界の変動の著しさにも帰因するであろう。しかしそれすら戦乱の悪影響であるが、著しき内的原因は利益のために同胞の血を見るに平気であるような国民の粗野なる利欲心の増長であると言うべきであろう。

                〜 つづく

平和への道  三.全人類のために (3) (2477)
日時:2012年10月13日 (土) 23時57分
名前:童子

 戦争の持来す償うことの出来ぬもう一つの精神的損害は、戦敗国の国民の魂の上に刻まれる戦勝国に対する消し難き怨恨である。この怨恨こそ最も忌むべき性質のものである。怨恨のある所常に善意さえ悪意に解せられる。日支の外交が、大体に於て日本が支那に著しき好意を持ちつつあるに拘らず、常に悪しき方向にのみ誤解さるるは、遠き因縁を日清戦争に見出すのでなくて何であろうか。


 怨恨は個人的悪徳でもあるが甚だしき国際的悪徳でもある。国際的怨恨のあるところに、温かき国際的気分を生じることは出来ない。仏蘭西と独逸との関係は吾等にとって貴き例を示した覆轍である。彼等は互に復仇敵武備と、復仇に対する防禦的武備とをおさおさ怠ることは出来ない。如何に多くの人類の勤労が、若し国際戦争の惧れだになからんには、生活に必需なる生産事業に振向けることが出来たであろう。


 人類はこの点に深く思いを致さなければならない。為政者は過激なる労働運動の発生を恐れるが、労働運動の過激的気分と、労働運動を起さざるせ得ざるが如き貧富の懸隔や、甚だしき一部の生活の貧窮は、為政者が国民の輿論を駆って遂に敢行したる戦争行為及びそれに伴う経済状態から主として来るのである。


 「剣をとる者は剣にて滅ぶべし」とは耶蘇(イエス)の言葉であるが、独逸や露西亜の現状はまさにその言葉の妥当性を証明して余りがある。

                〜 つづく

平和への道  三.全人類のために (4) (2529)
日時:2012年10月16日 (火) 22時24分
名前:童子

 以上によって、およそ戦争の害悪は戦勝によって如何に多くの賠償が得られようとも、また如何に多くの土地が獲得せられれようとも、その万分の一すらも償いがたき程、救われの望みなきものであることが判ったであろうと思う。


 自分はこの提言が、永久平和への道に一歩を進める機縁とならんことを熱望せざるを得ない、この熱望の故に自分は国民と為政者とまた人類のすべてに向ってこのことを録(しる)すのである。


 しからばその平和への道の第一歩は如何にして進み得るか。それは戦争の害悪が全く救済の望みなき絶望的性質のものであることを悉く遺憾なく全人類に知らしめることである。


 “人間の血の如何に高価な貴きものであるかを痛切に体認せしむることである。一個の人間が粗野なる性質を得るならば、全世界を得るとも其の甲斐なきことを痛感せしむることである”。況や戦争は全国民を過激なるインフルエンスの下に置き、国外に得たる獲得を国内の過激化によって数倍に廓大して失うと云うことを為政者に知らしめることである。


 国際的猜忌を生ぜしむる如き軍閥政治家を出来得る限り排して、有徳なる君子政治家をもって置きかえることである。 ―― 根本の解決策はおおよそ是にて尽きるであろう。爾余の枝葉の問題に到っては是等の根本問題の解決と共に自から道が拓けて行くと信ずる。


         ―― 大正11.11.25 ――



名前
メールアドレス
スレッド名
本文
ファイル
URL
削除キー 項目の保存


Number
Pass

ThinkPadを買おう!
レンタカーの回送ドライバー
【広告】Amazonにて人気の 日替わり商品毎日お得なタイムセール
無料で掲示板を作ろう   情報の外部送信について
このページを通報する 管理人へ連絡
SYSTEM BY せっかく掲示板