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恐怖心を追放するのが、「生長の家」の念願の一つ (2064)
日時:2012年10月01日 (月) 04時56分
名前:伝統

谷口雅春先生は、「恐怖心を人生から駆逐する」ことの重要性を
”「生長の家」誌<創刊号>の巻頭のことば”で示されております。



恐怖心を追放するのが、「生長の家」の念願の一つ

    *「生長の家」誌<創刊号(P1)>より

 巻頭のことば

 蛇に睨まれた蛙は恐怖のために動けなくなって蛇にのまれる。
 国が国を恐れるとき莫大な軍費を要する。

 就職試験に臨んで恐怖心を起す青年はその就職に失敗する。
 入学試験に臨んで恐怖する学生はその入学に失敗する。

 恐怖が自己の境遇を支配すること斯くの如く甚だしい。
 更にそれが自己の病気や健康に影響するに至っては云うまでもないのである。

 此の恐るべき恐怖心を人生より駆逐すべき道を示さんとするのが
 『生長の家』の念願の一つである。

・・・

    *「聖光録」(十月の手紙)より

病気に於て恐怖心が自然療能を妨げるばかりではなく、
事業に於ても恐怖心は自然の運命の修正力(なおすちから)
を妨げることになるのでございます。

「何でも受ける」と云う心は何でも受けてその儘そこに倒れて了う
と云うことではございませぬ。

「何でも受ける」と云う心境は、
今の位置をそのまま最も有利な足場として活用することでございます。

柔道なら倒されたその姿勢、将に倒れんとするその姿勢そのものが、
自然に相手に発する最も有利な攻撃態勢になっているのでございます。

「倒れた、困った!」と思う代りに、倒れつつあるその姿勢をそのまま有難く受けて、
自分を一層活かす道を静かに講ずるのでございます。

「熱が出た、困った」とは考えないで、熱が出て呉れたそのことに感謝して、
その熱を最も有利に利用して侵入病菌への対抗機能たらしめるようなものでございます。

これが無抵抗の真理でございます。
「その儘受ける」の生活の妙味でございます。
総感謝でございます。


事業が見せかけの姿に於て失敗いたしましても、これは外面のみせかけでございまして、
冬になって木の葉がが枯れると同様でございます。

見せかけの奥に本当の栄えを見出して下さいませ。

・・・

<関連のWebとして、
「生長の家“本流宣言”掲示板」内のスレッド「恐怖心を消すには (4210)」があります。
 → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=861  >

       <感謝合掌 平成24年10月1日 頓首再拝>

<何でも受ける> (2337)
日時:2012年10月09日 (火) 04時39分
名前:伝統

         *「靜思集」(P78)<「聖光録」(九月の手紙)>より

何でも起って来るものに敵意をもって立ち騒ぐことは、
発熱や、発汗や、下痢や、喀血や・・・・その他のどんなものでも増悪せしむるばかりであって、
不幸はその「起って来るもの」に対する不調和の念によって増悪されるばかりでございます。


「何でも受ける」と云う覚悟が出来た時に病気の治った人は沢山ございます。

若しあなたが病気であって治り難いのでございましたならば、
此の「何でも受ける」と云う心境が無いのではございますまいか。

「あれも嫌や、これも可(い)かぬ」と言って
素直に受ける心境におなり遊ばされねば、心の調子(リズム)が騒がしいので
神の療能(なおすちから)が働きかねるのでございましょう。

「何でも受ける」という心境におなりなさいましたならば、第一恐怖がなくなります。

恐怖と云うものは、遁れる道がまだあると思い、何とかして逃れたいと思うからでございます。

もう宣告を受けた囚人には恐怖がございませぬ。
逃走中の犯人の心は恐怖で充満しておりまする。

「逃れるような卑怯はすまい、すべてを受けよう」
斯う決心した時に恐怖心は消えるものでございます。

恐怖は神経の過労を惹起(ひきおこ)し、血液の循環を不平等にし、
血液その他内分泌(ホルモン)中に毒素を造り、自然療能を妨げるのであります。

今日から私達は恐れないと決心致そうではありませんか。

            <感謝合掌 平成24年10月9日 頓首再拝>

神は神罰を当てぬ (2954)
日時:2012年10月29日 (月) 04時57分
名前:伝統


      *「幸福を招く365章」(P260)より

「往きて福音を宣(の)べ伝えよ」と云うのがイエスの教えであった。
祈りが成就しない原因のなかには、その福音を宣(の)べ伝えないことが
原因になっていることもあるのである。

東京渋谷区にセブン・デェイ・バプチストの基督教会が出来たが講話をききに来てくれと
私の宅まで挨拶に来たニ十歳位の娘さんがあったのである。
その勇敢な伝道ぶりには感じさせられたと私の家内が云っていた。

何とか云う新興宗教は、「一人で百人を信者に勧誘しないと、その病気は治らぬ」
と云っておどして信者獲得をする方便としている。
この種の恐怖宗教は決して少なくないのである。

××教では、「人を救えば我が身たすかる」と云って、自分の業が解消し、
因縁を切り病気が治るためには、他の人をその宗教に引き込まねばならぬと教える。

自分が助かりたいために血なまこになって病人を探して伝道している××教信者はそれである。

生長の家のみ 神は神罰をあてぬと云う。
本当の正しい宗教は人に安心を与えるのである。

恐怖を与える教えは宗教の仮面をかぶった説教強盗みたいなものである。

            <感謝合掌 平成24年10月29日 頓首再拝>

恐怖は神から離れた時に起こる (3432)
日時:2012年11月10日 (土) 05時06分
名前:伝統


   *「光明法語」(P25)より

神の霊、自己の中に宿り給う。
自分の中には無限の智慧と力の源が埋蔵されているのである。

自分は何事が出てこようとも決して恐れはしないのである。
神と共にある者の心は常に平和である。

もはや吾が行く所の道に横たわる如何なる危険も困難も自分は恐れない。
困難よ消え失せよと吾念ずれば困難は消え失せるのである。
危険よ消え失せよと念ずれば危険は直ちに消え失せるのである。

波を叱咤すれば波は消え、山を叱咤すれば山は去るであろう。
吾これをなさんと決意すれば何事も必ずなすことが出来るのである。

            <感謝合掌 平成24年11月10日 頓首再拝>

恐怖は「把む心」である (4052)
日時:2012年11月28日 (水) 04時34分
名前:伝統


   *『生命の實相』第三十八巻幸福篇下(11月28日<P150〜151>)より抜粋

金銭の喪失に対する恐怖、友を失う恐怖、愛情を失う恐怖、・・・
これを一言(いちごん)にして言えば「把(つか)む」こころである。
恐怖はすべて把む心である。

恐怖すれば手に汗を握る。(握るは把むである。)
すべての心が元であって、恐怖する念が起これば全身にその形があらわれるのである。

血管は収縮し、皮膚は収縮して肌(はだ)に粟を生ずる。
心臓も急激頻繁に把むがゆえに、その鼓動を増加し、血圧は高まり、時として狭心症を生ずるのである。
直腸も肛門を収縮して「尻(けつ)の穴の狭い者」となり、排便しえない状態になるのである。


われわれは他(ひと)を釈(ゆる)す心にならなければならない。
「釈(ゆる)す」は「放つ」であり、「放つ」は開放するのである。

他(ひと)を釈(ゆる)すことのできない者は「尻(けつ)の穴の狭い者」であり、
人(ひと)を害する心あるがゆえに、自分自身をも他(ひと)から害される恐怖があるのである。

かくて内臓も筋肉もすべてみずから把(つか)むことによって硬化し萎縮してしまうのである。
それを癒す道は、症状に対して直接的には「人間は神の子であるから、害されるものではない。
われ○○(肉体の諸器官)によって生きず、神の生命(いのち)によって生くるなり」と
大らかな気持ちになって心から症状を放つのである。

そして間接的にはもっと根本的には、ゆたかに釈(ゆる)す念(こころ)を起こすことである。
いやしくも人を釈(ゆる)さず、やっつけてやろうというような考えを起してはならないのである。

他(ひと)を傷つける心は自分を傷つけ、
他(ひと)を愛する心は自分を愛することになるのである。

            <感謝合掌 平成24年11月28日 頓首再拝>

不安恐怖を除くための祈り (4394)
日時:2012年12月08日 (土) 05時05分
名前:伝統


      *『生活の智慧365章』(P216)より

何よりも心の迷い、恐怖、不安等を取り除きなさい。

毎日の祈りの際に、神が無限の供給源であり、無限の生命源であることを念じなさい。
そうすることによって、一切の心の迷い、恐怖、不安等を取り除くことができるのです。

「神は無限生命であり無限の供給でありたまう。
わたしは神の子であるから、常に神より無限の生命と無限の供給とを与えられているのである。
だから私は常に健康であり、裕かであるのである。

神は常にわたしを護りたまうが故にわたしには何らの不安も恐怖もない。
心は常に明るく愉快で、私は神の生命と財福の供給が無限に流れ入るパイプになって
いるのである」

と云う風に祈るならば、恐怖心も不安も除かれ、
真に「神」の流入する不思議のパイプとなることができて、
日常生活に必要なあらゆる物を得ることができるのである。

            <感謝合掌 平成24年12月8日 頓首再拝>

困難を恐怖するなかれ! (4726)
日時:2012年12月17日 (月) 06時37分
名前:伝統


      *、『生命の實相』幸福篇下(第38巻)<12月17日>より

恐怖というものは誤解の上に築かれている。
およそ恐怖すべてものは実相には無いのである。

人は困難を恐怖するが、困難がどれだけわれらを高め上げてくれるものであるか、
その困難の功績を知らない者が多いのである。

もし、困難の功績というものを、われらが知ることができるならば、
われわれは困難を苦痛と感じなくなるであろうし、
困難に対して恐怖を感じなくなるであろう。

困難と苦痛とは異(ちが)うのである。
困難を苦痛と感ずるのはただ誤解に因(もとづ)いている。

困難は時として立派な遺産を置いて行ってくれるものなのである。

・・・(以下、「12月18日の言葉」より抜粋)

困難を静かに受けて、与えられた意義を見出せば、その人にとってそれは
あるいは運命向上の、あるいは人格向上の、あるいはいっそう健康となるための
素材であるはずのものがどんなにか多いことであろう。

            <感謝合掌 平成24年12月17日 頓首再拝>

何も恐るることはない (6176)
日時:2013年02月02日 (土) 04時58分
名前:伝統


      *「光明法語」(P93〜94)からの抜粋

信ずるとは知ることである。生命をもって直接に知ることである。
自己の生命は神より出でたるものであるから、
自己の生命は實相に於いては既に神を知っているのである。

だから危急のときには人間は思わず神を呼ぶのである。
しかし神を呼んでも感応がないのは恐怖心や狭い心があるからである。

種子(たね)を植えて恐怖なしに土地の力に委ねることが出来るのは、
法則が支配していることを知っているからである。
法則の支配を信じなければ恐怖するほかはない。

神は法則であり、蒔いた種子の通りの芽を出さしめるのであり、
例外なしにそうであるから吾々は恐れる必要がないのである。
何も恐るることはないのである。

神は法則であり偏頗はない。

            <感謝合掌 平成25年2月2日 頓首再拝>

恐れるな! 神があなたを守る (6907)
日時:2013年03月05日 (火) 04時49分
名前:伝統


     *松島修・著「聖書に隠された成功の法則」(P62)より

聖書には「恐れるな」という言葉が、365回出てくるといわれています。
ちょうど1年の日数と同じ数です。

聖書の神が人に恐れるなと言っているように、
私たちは積極的に前進する中では「恐れるな」と自分自身に言い聞かせる必要があります。
それほど私たちは《恐怖》にとらわれやすい傾向があるということです。

イザヤ書には、

   恐れるな、わたしはあなたとともにいる。
   たじろぐな。わたしがあなたの神だから。

   わたしはあなたを強め、あなたを助け、
   わたしの義の右の手で、あなたを守る。

           (イザヤ41・10)

            <感謝合掌 平成25年3月5日 頓首再拝>

神による「恐れ」からの解放 (7137)
日時:2013年03月16日 (土) 03時42分
名前:伝統


     *松島修・著「聖書に隠された成功の法則」(P214)より

恐れの感情はやっかいなものです。
しかし、この恐れを逆手に使うことも可能です。

自分が何に対して恐れを感じるかを知ることによって、何に支配されているかが分るからです。

お金が失われることを恐れている人はお金に支配されています。
お金持ちになればなるほど、お金が失われる恐怖が大きくなる傾向があります。

病気になることを恐れている人は、病気に支配されています。
人に嫌われることを恐れている人は、人間関係に支配されています。

神が支配しているものから解放してくれると分かると、恐れは解消します。

たとえ、その確信がなくても、自分が何に支配されているかを知るだけでも、恐れは半減します。
恐れの感情は客観的に見据えることで自分の弱点・問題点を悟り、
問題解決に取り組むきっかけになるからです。

            <感謝合掌 平成25年3月16日 頓首再拝>

「恐れ」という仮面を剥いでやるのだ (7315)
日時:2013年03月26日 (火) 07時03分
名前:伝統


      *、『生命の實相』幸福篇下(第37巻)<3月26日>より

まず恐れないで虎穴に降りて行かなければならない。
待っているということと、降りて行くということは両立しないことではない。

恐ろしいものは何も出て来ない。
もし恐ろしい者に出逢(でくわ)したら、それはただ仮面を被っているだけだから
恐れるにはおよばない。

まずそいつと取っ組んで征服し、その仮面を剥いでやるのだ。
すると本当のそのお化けの正体は「幸福」というものであったことがわかるであろう。

            <感謝合掌 平成25年3月26日 頓首再拝>

恐れないようになる秘訣 (10269)
日時:2013年07月31日 (水) 07時27分
名前:伝統


          *「人生読本」(P279〜281)より

では恐れないようにするには、どうしたらよいのでしょう。

それにはこの世の中には本当に恐ろしいものとては無いことを知ることです。
人間は神の子であり、この世界は神の造り給うた世界であり、
私達は常に神に護られていることを知ることです。

これを知らないで、恐れるなと言っても駄目です。
だから皆さんは『生命の實相』の本や、この『人生読本』をよく読んで、
なるほど人間は神の子だという事実を知るのがおそれなくなる一番の捷径(ちかみち)です。

高い所へ上がっても恐れて下を見れば、足が顫(ふる)えて堕ちるでしょう。
恐れないでおれば足が顫(ふる)えないから墜ちないのです。
墜ちると墜ちないとは、恐れると恐れないとできまります。

ですから皆さんは、常に心の内で「自分は神の子だから、決して悪いことは起ってこない」
と、常に自分が神の子であることを思い出す毎に、こう心の中で、又は口の中で称(とな)えて、
自分が神の子であるという自覚を強めて、何事にもいかなる時にも恐れない心を
養わねばなりません。

凡そ恐怖心は今現に無いことを恐れることが多いのです。

高い所に立って下を見て恐れるのも、墜ちたら怖いと思うのですが、
まだ墜ちていないのですから、墜ちたら怖いという考えは今は無いところの事柄を
恐れているのです。

有(あ)ることなら恐ろしいのも無理はありませんが、無いことを恐れるのは馬鹿なことです。
試験に辷(すべ)ことを恐れるのも、まだ辷っていないのですから、
無いことを恐れているのですから、恐れるのは愚かなことです。

却(かえ)って落第してしまった人は、恐れはしないものです。
却って高い所から落ちてしまった人は、痛かったかも知れませんが、
もう恐れはしないものです。

凡(およ)そ、「恐れる」ということは今は「無い」ことを恐れるのですから、
有り得ないウソの心なのです。

            <感謝合掌 平成25年7月31日 頓首再拝>

恐れる心を無くする方 (10338)
日時:2013年08月03日 (土) 04時31分
名前:伝統


          *「人生読本」(P281〜282)より

そこでこんな事が判りましょう。
恐れる心は無い物に対して起る感情なのですから、
「恐れる心」があるようにみえていても、本当はないものなのです。

それは幽霊と同じように《無いもの》なのですけれども、
《ある》と思っている間だけ《ある》ようにみえるのです。
ですから恐れる心は無いものだと知ったときに、恐れる心は消えてしまうのです。

恐れたら悪いから恐れないようにしようと思って、
「恐れまい、恐れまい」と恐れる心を抑えても恐れる心は消えるものではありません。

恐れる心をなくするには、「自分は神の子だから、恐れる心はないものだ。
恐れているようにみえていても、自分はちょっとも恐れていない。
この恐れる心は神の子である自分の心ではない。自分は少しも恐れていない。
自分とは別のありもせぬ心が恐れているのだ。勝手にしろ!」
という気になったら却って恐れる心は消えてしまうものです。

恐れるようなケチ臭い心が自分の心だと思っていたのが悪かったのだ、
自分は神の子だから恐れるものはこの世にひとつもないのだと思うようにし、
どんな難しくみえることでも、喜んで愉快にやることにいたしましょうね。

そうすればあなたは必ず立派な仕事ができて、出世をするのに定(きま)っています。
神の子は恐れないので、その時その時を生かして行くようにすれば、
成功するのに定(きま)っているのです。

            <感謝合掌 平成25年8月3日 頓首再拝>

恐怖滅すれば一切の不幸滅す (10698)
日時:2013年08月19日 (月) 04時52分
名前:伝統

          *「女の浄土」(P13)より

あなたは何事が起っても恐怖してはならないのである。
一切の”悪”や”禍(わざわい)”は、人間の妄想のあらわれであるほか何物でもないのである。

どんな損失も神の支配し給う”實相世界”には無いのであり、一切の困難も不幸も病気も
神はそれらを造り給わないのであるから「無い」のである。「無い」ものが「ある」ように
見えているから、それはサカサマであるから、顛倒妄想というのである。

「無い」ものを「無い」と知り、どんなにそれらが襲いかかって来るように見えても、
こちらが動じなければ、それは消えてしまうのである。

恐怖心によって「無い」ものをアルかの如く想念して、
その存在を支えるからいつまでもきえないのである。

            <感謝合掌 平成25年8月19日 頓首再拝>



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