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心ある信徒の皆さん、本部「見解」もはっきりと認めましたよ!谷口雅春先生の新刊書の発刊停止に、磯部和男理事長が深く関与していたことが明らかとなりました! (2223)
日時:2012年10月05日 (金) 09時03分
名前:「靖国見真会」参加者


平成24年10月2日付けで、「久保文剛氏の平成24年9月26日付書面について」と題して生長の家ホームページに、次のような「見解」が掲載されています。

〉宗教法人「生長の家」
株式会社 日本教文社

ブラジルにおける「谷口雅春先生を学ぶ会」の講演に関する宗教法人「生長の家」の平成24年9月21日付見解に対し、生長の家社会事業団の久保文剛氏が平成24年9月26日付で教化部宛に「ブラジル講演への原宿教団の誹謗中傷に対する当職の反論」なる書面を送付しています。その久保氏の書面について当方の見解を示します。

(中略)

 議事録によると、第1号議案としてA取締役から「日本教文社書籍出版方針(主に外部出版)案について」が提案され、同提案に対して磯部取締役が意見を述べ、その中で「谷口雅春先生の旧神誌(会員向けも含む)に発表された原稿による新刊の出版には無理があり、原則として打ち切るべき」という提案がされました。〈


いやあ、ここまで、氏名を明らかにして「見解」を出していただき、心から感謝申し上げます。

これで、生長の家本部の「意志」が、はっきりと致しました!

端っから、教団は、谷口雅春先生の新刊書は発刊しないという断乎たる決意をもっていたということですね。

磯部取締役は、「谷口雅春先生の旧神誌(会員向けも含む)に発表された原稿による新刊の出版には無理があり、原則として打ち切るべき」と提案したようですが、「無理」だろうと、何だろうと、何としてでも、尊師・谷口雅春先生の新刊書を世に出したい、そう願い、そのための労を惜しまない!それが弟子の取るべき態度ではないのですか…?

ところが、磯部和男理事長は私などの考えとは全然、違う考え方の持ち主であったようで…。

逆に新刊書発刊は「無理」だという事情を無理矢理こじつけて、「原則として打ち切るべき」だという方向へ導こうとしたというのですからね。

これは、長年、本部の事情に通じている人であれば、常識になっている話しなのですが、最近、生長の家に入ってきた方などにはわからないようなので、敢えてここで補足説明をさせていただきますと…。

磯部和男理事長という人は、常に、谷口雅宣先生の意を受けて動く人なのです。

だから、磯部和男理事長が何か言うと、それはそのまま谷口雅宣先生の「意志」である…、こう受け止める雰囲気が暗々裏に教団内には出来上がっているのです。

ですから、磯部和男理事長の提案に反対するということは、とりもなおさず、そのまま谷口雅宣先生の「意志」に反旗を飜すという覚悟を固めないとなかなかできるものではない…。

今回の本部「見解」を読むに当たっては、ぜひ、そういうことを考慮に入れて読んでいただければと思います。

たとえば、本部「見解」の中のこういう箇所です。

〉上記の日本教文社取締役会の当該提案に係る意思形成過程に明らかなように、自由かつ活発な討論を経て採決した結果、可否同数となり、中島省治氏自らが議長(代表取締役社長)として変節のうえ決裁したことについて、「鶴の一声の結果、磯部和男氏の提案が強引に可決されました」、「ただ谷口雅宣氏と磯部和男氏、三浦晃太郎氏らの強要による日本教文社取締役会単独の決定」という中島氏の陳述は常軌を逸したものであり、自己弁護と妄想の産物でしかありません。それを言うなら、「谷口雅春先生の新刊聖典出版停止は私(中島省治氏)によって決定されました」と言うべきです。〈

「自由かつ活発な討論」ですか…?

目の前に谷口雅宣先生がいての会議がどれほどのものか…?

それを体験した人に言わせると、常に反論したらその後の仕打ちを覚悟しなくてはならない、それが脳裏によぎるような雰囲気だと言っていましたよ…。

ある人は、「御前会議」だとか言っていましたね。

それほど、緊張が強いられるということでありましょう…?

だって、そこでの一言で、その後の身の振り方が決まることもなきにしもあらずなのですから…。

そう言えば、当時、日本教文社の会議に、谷口雅宣先生が出席すると、社長以下、全員、起立して迎えたと言います…。

もう既に、この段階で、社長よりか、「取締役」の方が上位にあるではありませんか!

それにしても、何で、生長の家副総裁という公職についている者が、日本教文社という株式会社の「取締役」に就いていなければならないのでしょうか…?

何とも解せない話しだと思っていたんですが、この「取締役」という言葉でハタと思い至りました。

そうなんです、日本教文社を自分の意向のままに取り締まる、そのための「取締役」だったんです!

納得です。

いやはや谷口雅宣先生という方は、教団もそして日本教文社も自分の思うままに取り締まりたいという、強い願望の持ち主だということがこれでよく分かりました、恐れ入りました!


教団はなぜ磯部氏を批判しないのか? (2236)
日時:2012年10月06日 (土) 03時37分
名前:関東の信者

原宿本部の反論によって、谷口雅春先生の御著書を発行停止にすることを言い出したのは、磯部氏であることが確定しました。

だったら、磯部氏が最も批判されるべきではないのか?
生長の家の教えを封殺するという提案をしたのですよ。


それにしても、本部と教文社の反論を読んで思い浮かんできたことは、「日本国憲法」が押し付けられたときの様子です。

米国が力を背景に「これを呑まないと許さないぞ」と脅して「日本国憲法」を日本に押し付けたのに、決めたのは「日本人」とさせたことです。

実に卑怯と言うべきでしょう。


本部の反論に問いたいこと、以下数点。

○谷口雅春先生の御著書の発行停止を決定した平成4年7月15日の日本教文社取締役会において、
谷口雅宣取締役は、磯部取締役の提案に賛成したのか、反対したのか?

○生長の家教団は、谷口雅春先生の御著書を発行停止にしていることに賛成なのか、反対なのか?

○日本教文社は、谷口雅春先生の御著書の出版を停止していることを是としているのか、非としているのか?

○原宿教団も日本教文社も、出版停止の責任を中島省治氏に押し付け、中島氏を批判するのであれば、その決定を覆せばよいだけのことではないのか?

○日本教文社は、「弊社は、生長の家の布教伝道のため文書伝道を創始された谷口雅春先生の著作物群を一手に出版するべく同先生によって創立された会社として、同先生の殆ど全ての著書の恒久的な出版権を著者である同先生から付与され創立以来77年その与えられた使命を遂行し続けて参りました。」(「生長の家社会事業団等との訴訟について」平成23年3月16日)などと自負を込めて述べているが、その会社が、なぜ谷口雅春先生の御著書を出版停止しているのか?

以上は、簡単な疑問であろう。

本部「見解」に伺える、その“潜在意識”を考えてみましょう… (2248)
日時:2012年10月06日 (土) 09時38分
名前:「靖国見真会」参加者


読めば読むほど、今回の本部「見解」には、???がつきまといます。

例えば、“変節”という表現の遣い方であります。

本部「見解」は、中島代表(当時、日本教文社社長)を意図的に貶めようとして、代表に“変節”という言葉を浴びせかけています。

〉ここで、その場に居た他の取締役たちが明瞭に記憶している決定的な事実を提示します。前記した通り、自由かつ活発な討論を経て、当該提案について採決が行われました。結果は「可否同数」で、議長決裁となりました。議長はほかならない、代表取締役社長の中島省治氏、その人です。この事実について、中島氏は口に緘をしているようですが、その中島氏がどのように決裁したかは自明でしょう。当該提案について「反対」の意思を手のひらを返すように突如として翻し、「賛成」に“変節”したのです。〈

こういうときに“変節”という言葉を使いますでしょうか?

そもそも、この“変節”という言葉には、それ自体に「悪い」というイメージの刷り込みがありますよね。

私ども、谷口雅春先生の新刊書の発刊を望む者が、最初はそれに賛成していながら、発刊阻止へと裏切ったら、それこそまさしく“変節”と言えます。

しかし、中島代表は、本部「見解」によれば、最初、新刊書発刊を望む立場にありながら、最終的に発刊阻止動議に賛成した、つまり本部の意向に添う決断を下したわけです?

これは、本部としては喜ぶべきことではありませんか?

自分たちの言うことに従ってくれて、本来、有り難がるべきなのに、何でそれを“変節”と呼ぶのか、とても不思議な感じがします。

自分たちの言いなりになってくれてありがとうというべき人を、“変節”呼ばわりするのは、もしかして、本部「見解」も、谷口雅春先生の新刊書を出さないなんて、何て悪いことをするのだろうと思っていたということなのかもしれない、そう思えて仕方がないのです。

そうです、誰がどう考えても、谷口雅春先生の新刊書を阻止する正当なる理由なぞ、ないに等しいのです。

そういう無理筋を、「副総裁」という権力を笠に着て、ゴリ押ししてきた谷口雅宣先生の態度は厳しく指弾されなければならないと私は思います。

「無理が通れば道理が引っ込む」

まさしく、これと同様のことをしたのですからね。

中島代表の“変質”を指弾するのであれば、それと同様に、そのように仕向けた「権力者」をも合わせてその責めを負うべきものであると私は思います。



ユダの巣窟 (2282)
日時:2012年10月07日 (日) 04時43分
名前:関東の信者

「靖国見真会」参加者様のおっしゃるとおりですよ。

本部の反論は支離滅裂ではないでしょうか。

谷口雅春先生の御著書を発行停止にすることは是なのか、否なのか?

本部の反論の主旨は否なのでしょう?

だったら、なぜそれを提案した磯部氏が批判されないのか?
さらに、(中島省治氏の陳述書によると)それに賛成した谷口雅宣取締役が批判されないのか?

ところが、批判されるどころか、磯部氏は教団の重鎮であり、雅宣氏は総裁ですよ。


ということは、教団は谷口雅春先生の御著書を発行停止にしたかったのでしょう。

だったら、問題は教団にあるということではないですか。
教団が中島省治氏を批判するのはまったく筋が通らない。


教団の反論は、「自由な議論が行なわれて議決された」ことを重要だと強調していますが、それこそ論点のすり替えでしょう。

そんなことは重要ではありません。
重要なのは、谷口雅春先生の御著書の発行停止を提案し、それを議決し、それを現教団と教文社が肯定し続けていることです。

生長の家教団は、「ユダの巣窟」であるというのが至当でしょう。

日本教文社の会議 (2334)
日時:2012年10月09日 (火) 01時20分
名前:質問

そう言えば、当時、日本教文社の会議に、谷口雅宣先生が出席すると、社長以下、全員、起立して迎えたと言います…。

と上にありましたが、雅宣総裁が出席する日本教文社の会議は、日本教文社でではなく、生長の家本部で行なわれるようになったと聞きました。

この会議の時もそうだったのでしょうか。



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