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 = 第一回御陵巡拝特別練成会 =     〈附〉 ブラジル留学生の体験発表 (4194)
日時:2012年12月02日 (日) 06時24分
名前:童子

 山ちゃん1952様が御自身のブログにて「御陵巡拝練成会」に触れておられましたので、『生長の家』誌38年新年号掲載のルポ記事から。

 なお当38年新年号は『皇恩に感謝する特輯号』となっており、口絵には宮内庁から御下賜いただいた 天皇皇后陛下の御真影があります。 




  
           ◆「歴代天皇があってこそ」




 「・・・一日目は何か、御陵があんまり広いので、『ああ、こんな広いところは売ってしまって、国民みなに分けてやったなら、皆な喜んでいいのに』と思っておったんですね。『わぁー、すごい財産もっている』と思ったんですよ。

 ところが、二日、三日と御陵の前の砂利の上に坐って神想観し、天皇の徳をたたえる歴史上の話をきいていると、財産なんか問題でないようになって来るですね。まあ、なんとも言えない有難さが湧いてきて、天皇があってこそ、〈註・録音のまま〉日本があるということが分って来たですね。

 これは、日本は天皇がなくなったら、日本は滅びてしまう、と思えてきたんです。そして昨日ですが、神想観してて、天皇の力は大したもんだと感じました。

 今朝なんか、畝傍山の麓の神武天皇の御陵の前で、神想観と聖経読誦のあと、楠本先生が読まれた谷口雅春先生の文ですね。〈註・「人類光明化運動の選士の参加を熱願す」・・・・橿原練成者に賜る〉あれを聞いていて、「あー、谷口先生はこれほどまでに日本を愛し、人類を愛して下さっているのか」と思ったら、一番前に坐っていた自分はポロッと涙が出るんですよ。

 『わぁー、済まん、谷口先生にすまんなぁ』と思ったんですね。俺もこの日本の男子として、この生命なんか捨てても、一所懸命この谷口先生の思いを果してやろう、と誓ったですね。(一同拍手)これは絶対やります。有難うございます」
                  (合掌、拍手、涙ぐむ人あり)



 四日にわたった御陵巡拝の最終日の昼食のあと、九州小倉の熱血漢、茂田慶一君の決意感想発表である。

 茂田君は高校生時代に生長の家を知り、一度は飛田給練成も受けたが、父につぐ母の死に信仰に不信をもち、社会に反抗するようになった。

 今回、親類の愛念で宇治練成に参加、毎夜、本当の生き甲斐を求めて祈りの間にこもり、一心に神想観にはげんでいたまじめな求道者である。れだけに、九州なまりの朴訥な心情の吐露には、練成参加の一同、しみじみとした思いにひたるのだった。場所は応神天皇御陵の入口、陵墓監区事務所の一室である。

 歴代天皇の御陵の前にぬかずき、神想観に日本の実相顕現を祈る・・・・御陵巡拝特別練成は、その日の夕方、仁徳天皇御陵前の閉会式まで、第一回として予期以上の様々の成果と新たな問題解決への足がかりをもたらしつつ、極めて有意義に行われた。

                       〜 つづく

『国民運動への胎動(めばえ)』 (4225)
日時:2012年12月03日 (月) 02時14分
名前:童子


 生長の家練成と御陵との関係は、本年〈※昭和37年〉二月の橿原練成に始まる。

 そのときの練成参加記 ― 本誌四月号六十八頁に「御陵を浄めよう」との見出しで御陵奉仕の重要性を強調しているが、畝傍御陵衛士との話しが直接の契機となったものだった。

 それが四月四日、高校・大学練成のあと飛鳥一帯の御陵めぐりとなり、その後の橿原練成に御陵参拝は大きな意義をもつようになった。

 
 これと前後して、義宮様の関西御旅行、御陵御巡拝〈四十二陵〉という画期的行事が行われた。そして義宮様の行(こう)を祝するように、御陵清掃奉仕の呼びかけが、日本国民会議より加盟団体になされた。五十余年、全国の御陵巡拝をつづける『みささぎ』の著者、田中望子(もちこ)女史の提唱である。

 国民会議のメンバーたる生長の家はこの呼びかけに応え、東京の多摩御陵に東京都連合会より五十余名参加、仁徳、伏見御陵等に、宇治や阿倍野道場より延べ八十名が参加した。そして宇治道場では、十月の橿原練成を四日間の御陵巡拝練成にふりかえるべく企画準備、着々と機運の熟する感があった。


 十月の宇治練成は十七日で終り、十八日から宝蔵神社秋の大祭と谷口先生の特別講習会が開かれ、先生は特に、『個の救いから国救いへ、日本の実相顕現』を強調された。そして祖先祀りと先生のこのお話を祓い清めと承けて、第一回の御陵巡拝練成が始められたのである。それだけに、この練成には、開会式の前より並々ならぬ気魄のもり上がりがあった。


 それはこの御陵巡拝を単に生長の家の練成に止めず、國體の明徴を確立する一大国民運動のさきがけたらん、その一粒の麦となろう、という自覚だった。

 すでに〈国民総自覚運動として〉日の丸会運動や建国の日制定、皇室の尊厳をお守りする署名請願なぞ推進されているが、より直接的に、皇祖皇宗の御陵前に額ずき、皇恩感謝の赤誠(せきせい)を誓おうとするものである。


 一方、日本弱体化の占領政策につづく國體蔑視、天皇制破壊の左翼攻撃はますます組織的に勢力を増大し、最近では特に日本神道の破壊工作に、巧妙にして積極的に活動している由である。

 日本神道はいうまでもなく日本建国の神話に発し、皇祖皇宗のお祀りを第一義とされる天皇は神道の中心にあられる。その日本神道の破壊とは、天皇の大御親と仰ぐ君民一体の日本の伝統的精神、天皇信仰ともいうべき日本民族の精神的バックボーンを骨抜きにすることに他ならない。

                  〜 つづく

『御陵巡拝の宗教的意義』 (4227)
日時:2012年12月03日 (月) 02時51分
名前:童子


 かかるときに御陵巡拝が始まったことの意義は、やはり神意という他はないと思う。人為的には、先に述べたようないきさつがあったが、実相界においては実に周到に最も良い時期を選び、ここに神集い集められた、と感ずる。


 即ち神の配慮は、先に愛国の書『限りなく日本を愛す』『我ら日本人として』『日本を築くもの』を識者に読ましめて國體を明らかにし、天之岩戸開きの先駆けとして伊勢湾台風をもって神宮に奉仕練成を行わしめ、次いで建国の地橿原に霊の選士を集めて日本の理念を確立せしめ、御陵への眼(まなこ)を開かせられた。

 しかも、永らく秘められてあった日本国の実相を明示する生長の家大神の神示を公開せられ、伊邪那岐大神の宇宙浄化の働きをされた住吉大神の今日的使命たる生長の家出現の意義を明らかにされたのである。



 このことは、【生長の家教義の大要】に明らかにせられている。

  『國體を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ、尽忠報国、忠孝一本の国民精神を昂揚し、悪平等を排して一切のものに‘人’、‘時’、‘処’、相応の大調和を得さしめ、兼て天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』


 更に【奉斎主神、安置仏等の称号】において天皇信仰を明示してある。

  『・・・・心に幽斎する主神としては宇宙大生命〈その幽之幽なる神として天之御中主神、幽なる神として天照大御神、現人神として天皇〉を礼拝す。 ・・・・・ 宇宙大生命の道を顕揚し、日本国威を発揚し、皇威を顕揚する東道(みちびき)の神として心に幽斎する副神として生長の家大神〈住吉大神即ち後に塩椎神、釈迦、観世音菩薩及び応化仏、キリスト教の『黙示録』第一章に顕われたる七つの燈台の点燈者〉を礼拝す ・・・・・ 』


 更に附言するならば、【教典、其の衍義】の文末にも〃生命の實相〃哲学の根源として謳ってある。

  『 ・・・・ 更に遡りて生命の本源なる神なる宇宙大生命の親様がそのままに顕現ましませる方こそ天皇なりと仰ぎ奉り、我等人類各々を天皇の赤子即ち『神の子』と称し、あらゆる世界の宗教を天皇信仰に帰一せしめ一君万民中心帰一の世界こそ生命界の実相なりと説く』


                 〜 つづく

童子さま 有難うございます (4243)
日時:2012年12月03日 (月) 17時14分
名前:コスモス



 童子さま

 合掌 ありがとうございます。

 お忙しい中を精力的に、私達が中々読めない貴重な御文章を、次々と書き込んで頂き、本当に有難うございます。
 心から感謝申し上げます。

 今後の御活躍をお祈りするとともに、御自愛をお祈り申し上げます。有難うございます。再拝

『宇宙大生命(みおやがみ)の現れたる天皇』 (4272)
日時:2012年12月04日 (火) 02時47分
名前:童子

 
 これは『生長の家の本尊について』として特に谷口雅春先生が掲載せしめられた『生長の家三十年史』と、伊勢神宮奉仕活動者必携たる『聖使命の實践』以外には最近ほとんど公開されてないので、初めて知る方が多く、奇異に感じられるかもしれない。


 しかし、和解の神示には厳然と『皇恩に感謝せよ』と明示され、終戦後も一貫して〈意識しない人もあったかもしれぬが〉称えてきたことは、反って他の心ある愛国者より絶賛され、彼ら同志に無形の勇気を与えつづけてきたことは、生長の家のかくれた功績〈日本の実相顕現の〉だったのである。


 ここで表明している天皇信仰とは、表紙裏に掲げた運動方針第五條にもあるように、日本人として日本国の元首なるが故に尊崇するのみでなく、宇宙大生命 ― 御祖神の現れ、宇宙的本尊として礼拝するわけであります。

 それが招神歌にある ― 「生きとし生けるものを生かし給える〃御祖神〃・・・・」 であり、生長の家の大神は、招神歌の第四首にある通り 「天地の祖神の道を伝えんと顕れました」のである、

 光明思念の歌の「天照す御親の神」もいうまでもなく宇宙大生命であり、天之御中主神より一貫する宇宙理念の継承者 ― 天皇の御徳をいただいているのである。

 いわゆる右翼的な偏った天皇観でなく、生長の家の大神出現の必然より出た天皇信仰であり、〃実相〃礼拝の究極において一致する宇宙大生命としての天皇である。

 そして「天皇信仰」の語に抵抗を感ずる誌友も、招神歌、光明思念の歌の中に自ずと天皇信仰につながって精進していられるのである。


 又万教帰一も究極においては、全ての宗教が日本神道に、宇宙の真理の生ける体現者であらせられる天皇信仰に帰一すべきことであることを根本義としているわけである。

 ただ説法の方便として、未だ述べられていないに過ぎない。


 しかし、今や時節到来したとの感が深い。今月号の『明窓浄机』における伊邪那岐文化発揚の悲願、『光の泉』十二月号の『生長の家出現の意義と使命』などいづれも、天照大御神の御誕生につぐ第二の天孫降臨を迎えるべくその心構えを示されつつある、と思わずにはいられない。

 個人の救いより、日本国の実相、天皇の実相を充分悟り、生長の家出現の重大使命を果すべきとき近づけり、と。




 それを思いこれを思うとき、歴代天皇の御陵を巡拝するという練成は、単に個人的感動や信仰の問題ではなく、正に国家的意義をもつ、国民運動のさきがけという自覚に粛然となるのである。

 そして〃昭和の蒲生君平〃とも。明治維新の原動力として『山陵誌』を著し皇室崇敬の勤皇思想をもり上げた君平の功績は大きい。しかし、戦後の歴史書、辞典ではこの偉大人を殆ど黙殺している。これらマスコミ文化人の嘆かわしい傾向についても、現時点においてその迷妄を解きうるのは生長の家のみである。
                        〜 つづく

『中心(すめらぎ)に帰一する』 (4309)
日時:2012年12月05日 (水) 04時16分
名前:童子

 前置きがいささか長くなったが、戦後はじめてといわれる今回の御陵巡拝が単なる参拝でなく、〈戦前には講のようにして団体で参拝する人が多かったが、一種の流行にのった向きがあった〉宇宙大生命(みおやがみ)の全徳の御顕現たる歴代皇霊に対して、御祖神の子 ― 天皇の赤子として尊崇を捧げる、という筋を立てたのである。



 十月二十二日、四時五十分の起床より早朝行事のあと午前八時、宇治大拝殿の前で出発前のお祈りをし、補助席とも七十二人の定員に一人の過不足もなく、第一日の御陵巡拝に向った。

 前夜の開会式における田中望子(もちこ)女史の解説につづき、車中でも御陵をめぐる歴史、付近に見える史蹟について語られた。歴代天皇の御製が朗誦され、瞑目合掌のうちに『秘められたる神示』『限りなく日本を愛す』を拝聴した。車内(バス)がそのまま道場である。



 宇治川を渡り、車は桃山御陵の参道に入る。最初の参拝は明治天皇御陵である。その前の石段は二三○、かなり勾配も急である。ゆるやかな参道も別にあるが、みな石段を登る。七十八歳を最高に年配の方もかなりあるが、青年が腕をとり、手をひいて励まし登る。

 「無限力ですよ・・・有難うございます・・・」期せずして〈伊勢練成の登山のような〉扶けあいの美しい雰囲気が生れ、練成の始めに七十二人の気持がピッタリ一つに結ばれた。御祖神の霊前に額くに当り老人をいたわる〃家〃の美しさを眼のあたりにして、〃忠孝一致〃というような高潮したものを感じた。石階を登りきって正面に天智天皇以来の古制ゆかしき御陵を拝す。
 

 明治天皇五十年祭に際し、岡山国体に行幸の両陛下が二日前に御拝されたばかりの霊域は、神々しい上にもますます神気ただよい、身内のひきしまるのを覚える。

 正式参拝を許された私たちは傍口より入り、陛下の歩まれた白石の上を御陵前に進む。玉砂利の上に正坐、二礼二拍手一揖、瞑目合掌して感謝と世界平和の祈りを捧げる。

 日本はもとよりブラジル、ハワイ、沖縄から参加した練成員一同、この日本に生をうけ、天皇の御慈愛の下に恵まれた日々を送り得る喜びをしみじみと思うのだった。終って菊地藤吉理事より、天皇の御徳をたたえるお話を聞き、坂道を東へ昭憲皇太后御陵に向う。


 大阪の福田由子さんはこの二御陵で神想観中に、きらめくような五色の光と共に、神々しいお姿を拝し、お訓しをいただいた、と感激しておられた。福田さんは伊勢練成に十数回参加した方で、今回も付近の方をさそってきておられる。


 一同は又バスに乗り、仁明天皇の深草陵、十二帝を祀る深草北陵を巡拝する。明治天皇の壮大にして厳粛な桃山陵に比べ、田の中や人家に囲まれたここは、閑寂の感にたえない。深草陵はすぐ後を名神高速道路が走り、北陵は土塀をゆるがして国鉄奈良線が走っている。北陵は南北朝のころ、持明院系の方の御合葬の法華堂で、今にして当時の皇室式微の様が偲ばれる。その中にあって御仁政を布かれ、ひたすら国民の幸せのみを願われた歴代天皇の御霊に、「私たち霊の選士、日本の実相顕現のためにがんばります」とお誓いする。

                        〜 つづく

中心に帰一する (つづき) (4352)
日時:2012年12月06日 (木) 11時38分
名前:童子

 このあと、八十五代仲恭天皇の九條陵、十四天皇を合祀する泉湧寺の月輪陵 ・・・・ と巡拝するそれぞれの天皇の御事蹟、みささぎの雰囲気に、さまざまの感動を受けたが、頁の都合で一々の巡拝記録は次号に廻し、本号では総括的な感想と参加者の決意をもって特集にまとめます。


 第一日は醍醐、朱雀天皇陵に星をいただいて参拝すし、六時すぎ宇治道場に帰った。夜は一般練成と同じく聖経読誦、体験発表、更に、田中さんの御陵の説明と菊地講師の愛国心の講話に、昼間の感動を脳裡に、胸に深く焼きつけた。



 第二日は京都市西北より嵯峨方面へ向う。初めの後朱雀天皇より三代の御陵は石庭で有名な竜安寺に接している。

 前日もそうだったが、史蹟名所に富む京都には各所に観光バスや人の波が続き、ここでもバスは十台以上も駐車していたが、御陵に足を向ける人は一人もない。それだけに、この度の巡拝練成に一そうの自覚をかみしめながら、ただ坐り、真剣に祈った。


 どの御陵に参っても不思議に思うのは、その雰囲気に実に霊々妙々、大自然と一つに調和したそれぞれの風格である。田畑の中のみささぎ、人家に囲まれたみささぎ、山を背にした ・・・・ それら一つ一つが天皇の御人柄と時代、国情を表しつつ、自からなる威厳をもっていることだ。実に美しい。数奇をこらした名園や、もっと歴史の古い立派な神社仏閣はたくさんあるが、どことなしに違うのである。


 戦後三分の一位に縮小された宮内庁の機構の中で、二、三陵かけもちの衛士もあり、参道をはじめ充分な手入れはできない由だが、金銭や人工の遠く及ばぬ大自然の恩恵をうけて、平和の気にあふれているのだ。どこの木々も実に生き生きと、蝉が舞い鳥が啼き、白雲の下に或いは粛然と、広大無辺な天皇の御徳さながらなのである。

                        〜 つづく

いよいよこれから (4432)
日時:2012年12月09日 (日) 04時25分
名前:童子

 第三日は元明、元正天皇より聖武天皇、光明皇后と巡る。ブラジルの戎谷さんが感動した北本陵墓監の丁重な出迎えをいただく。氏の話では、奈良の街なかにある聖武天皇陵の参拝者が日に十四、五人。来る人はもっとあるが、休んで弁当を食べてお参りはしないという。近くのドリームランド、東大寺、三笠山は人の波であった。


 政務天皇、隣接する垂仁皇后陵は堀をめぐらした前方後円の立派な古墳だ。(七十三頁写真)終戦後はこの堀をつぶして田畑を作れなどと左翼の攻撃がはげしかったそうだが、川の少ない奈良に堀の果してきた灌漑の力は大きい。そういう話を聞き、眼のあたりにする毎に、ますます天皇の御徳の深さに敬服する。

 さんさんたる秋の陽射しを全身に浴び、大地と一つとなって祈る中に、この身このまま天皇と同じ時代に生き、慈しみを受けている喜びにひたる。黄金の稲田、たわわな柿、あちこちに陪塚のみえる大和の平和な風土は、見あきないほど美しい。正に日本の自然の縮図の感である。その中を愛国心を語り、体験を真理を語りつつ歩いたことも、練成を一そう感銘深いものにした。



 三日目の最後は神武天皇陵に参拝し橿原道場で体験発表など、夜の練成に入る。九時すぎ、有志のみで畝傍御陵の前に神想観する。九割が進んで参加、澄みきった星のまたたく下で、心を鎮めて建国の理念に帰一する。

 翌日の決意表明によるとこのときの体験が多くの人に決定的自覚をあたえているが、御陵の雰囲気は別として精神統一による宗教的深まりが、御陵巡拝を意義あらしめていると感じた。特に福井の創文堂から社長命令で派遣された七人の男女青年は、ここで初めて生長の家に目ざめている。



 第四日朝、五時十分より再び畝傍御陵前に神想観、聖経読誦、楠本講師より谷口先生の檄文『人類光明化運動の選士の参加を熱願す』をいただく。


 この日は奈良王寺より河内へ六つの御陵巡拝し、昼食後、応神天皇陵の事務所にて決意発表、夕方四時、仁徳陵前で閉会式を行った。周囲約四キロ、世界一といわれる壮大な仁徳陵の前に一同真剣に祈る。


 建国以来百二十三代の中、四日間に巡拝した六十余の御陵、その間の感動が大地を伝わって甦ってくる。一人一人が形容し難い悦びと、これを他のため国のために尽さんと決意に祈りをこめる。

 楠本講師の 「先祖の霊と共に行動し、心から喜んでいます。護国の英霊も感謝し祝福している」 との結語が印象に残る。君が代、万歳三唱にも常にない力がこもる。



 御陵印を戴いた御軸をもって、各自は郷里に向ったが御陵巡拝はいよいよこれからだ、との感が深い。己一人が幾つかの御陵に額ずいて済むことではなく、一人でも多くの人が皇恩に目覚め、國體の本質、日本の実相開顕に起上るまで、私たちの祈りと行動はたゆみなく進められねばならない。

 そこにはじめて、生長の家出現の使命が果され、陛下の赤子としてみ教えにふれた生き甲斐がある。

 終りに、終始行を共にして有益なお話をいただいた田中望子さん、御陵関係者にお礼申し上げます。

                         〜 つづく

「土を通して祖先の心が」 楠本加美野 本部講師 (4452)
日時:2012年12月10日 (月) 06時38分
名前:童子

 建国以来三千年、百二十四代の天皇の中でお一人でもいらっしゃらなかったら、今日の日本はなかったのだと、これほど、一人一人の心に深く刻み込まれたことはなかった。各御陵前でただ感涙にむせんだ。その天皇の御徳をたたえる言葉、天皇の御製は心に深く焼きつけられた。

 
 御陵前にひざまづいた時、今、坐っている同じ場所で、同じ様にぬかづいたであろう祖先と一つになることができた。その土を通して祖先の心がつたわって来るようであった。祖先の心そのまま、どの御陵も少しもそこなわれることなく、現在まで護られているのだ。そこに祖国の偉大な姿、中心帰一の真理を地上に顕現した真理国家日本の姿を見出すことができた。

 四日間の御陵巡拝はさながら三千年の歴史を生きたような感に打たれた。どの御陵も、その時代を反映した所に、ふさわしい形式で築かれているが、いづれの時代でも萬世一系の天皇に誇りをもって、天皇を中心とした一大家族国家として日本は築かれて来た。


 しかし終戦後の日本の姿は、どうであろうか。占領軍の弱体化政策によって、天皇の歴史的存在を知らない青年が多くなり、御陵の存在はすべての国民から忘れられた。しかし御陵巡拝に参加していただき、歴代天皇に感謝することによって日本の真の姿を見出すことができる。如何に私達の使命が重大であるか、生長の家出現の歴史的必然性が魂の底から自覚された。

〃日本人〃の誇りと使命 〈四日目の決意発表の録音より〉 (4486)
日時:2012年12月11日 (火) 02時03分
名前:童子

           〈青年の部〉

 
東京・野中福美子】 郷里の御先祖様の墓前に御報告に参ろうと思っています。そして親戚の方にも大いに奨めてから東京に帰ります。


尼崎・中川芳子】  この練成で一つ残念なことは、もっと若い方が沢山いらしたら、ということです。それというのも、日本人であることの誇りがこの練成で本当に分ったので皆さんにも分ってもらいたいと思ったのです。歴史をもっと勉強します。


福岡・原口隆】   御陵に坐るとき、はじめ痛かったのですが、なれてきて、すぐ終ってしまうので、もう立つのかなあと、ずっと坐っていたい気持ちになりました。一月の巡拝にはみんなに来るようにぜひすすめます。


山口・平田愛子】  本当に天皇の有難さを分らせて頂きまして、有難うございました。父(真一氏)がとても喜んでいる顔をみると、私とても嬉しいんです (涙ぐむ)


宇治・岡田桃子】  私は自分の意識よりも先に道場に奉仕させていただくようになり、御陵にも参拝できたことは、私の先祖がすばらしい愛国者で、私がその精神をうけつがしていただいて、先祖が〃しっかりやれ〃と言っているのに違いないと思うのです。

 それで御陵へ参る度に偉大なる先祖を感じて、ボンヤリしていられないと思います。私たちの世代では、御陵なんて名前も聞いたこともないし、橿原神宮もどこにあるかもしりませんでした。そんな世代がどんどん増えつつあることは恐ろしいことだと思います。



           〈壮・老年の部〉

山口・平田真一】  野心的希望をもって、学問的立場で来たのですが、祖先の姿がおぼろげながら判ってきたような気がします。土べたに坐るのは生れて始めてですが、遠くは祖先、近くは親に会えるような喜びを感ずるようになりました。帰って、何十年前に死んだ親に会いたいときには、土べたに坐ろうと考えています。


大阪・大城静江】  第一日、桃山御陵の石段を登ったとき、しんどくてもう脂汗かいてしもうてから水を二杯のんだら、目をまわしてしもうて、今に死んでゆくのかしらと思って、思わず福田由子さんの肩をつかんで、ああ神様、どうぞこの苦しみをお救け下さい。ここで死んだら生長の家の皆様や明治天皇さまにも申訳ないという気持で、自分で祈ったんです。

 それから二十二貫の体が飛ぶように軽うなって本当に霊気に充たされているような気持になっていつも先頭を歩いています。今まで独りで信仰してましたが、これから組織に入らせてもろうて、お役に立ちたいと思います。

私も天皇を君主に戴く (4551)
日時:2012年12月12日 (水) 10時38分
名前:童子

        日本のよさに魂でふれるまで
                   ブラジル留学生 戎谷 末美


 四十九日間の船旅を経て生れて始めて日本に来ましたが、もうあと四十日たらずの十二月二日には横浜を出帆してブラジルに帰ります。

 今度の御陵巡拝には、楠本先生に八月頃から「ぜひいらっしゃい」といわれていましたが、幸いにも実現しました今、体験発表に出ようか出まいかと、ためらっていました。が、今立たなかったら、一生悔いを残すと思って、出てきました。


 ブラジルにいても、やはり日本に対してあこがれといいますか、日本人を良いものだという位の自信はあったんです。ですけど私が教育を受けていたころ戦争が始り、日本は負けたということが大体ブラジルにも分ってきましたが、日本は勝ったのだという人もあって、私たちはどっちが本当かサッパリ分らなかったのです。そんな状態が五、六年つづき、日本人同士で戦って無数の人が死んでいきました。


 そのように乱れた日本人社会の中で育っていろんな話を聞くにつれ、日本人は何と馬鹿な民族だろうというような考えが、子供ながら感じてきました。しかも学校へ行っていて、日本が敗れた事実が判ってきますと、年寄りの人は勝っていると言うけど、やはり情けなく思い、日本人は劣等民族だという風に感ずるのです。

 すると日本語で話すことも恥かしいし、日本人の顔をしていることも卑屈な感じで、母と街を歩いていても、母が大きな声で日本語で話すとドキッと感じて返事しないんです。そして泣き出してしまって、母と一緒に歩かないようにし、乗物でも別な座席に坐っていました。そうしたことから親に対する反抗がひどくなり、外人にも反抗していました。




 そのころ松田己代志先生の愛国心と國體の話を聞きましたが、私は納得がいかないのです。日本で日の丸があるのに赤旗を振るのは日本人として恥ずべきことだが、私たちブラジル人〈二世」に対して何のために、日本の理念や中心帰一などややこしいこと言わないといけないのかと反発し、二世の気持を判ってもらえないと残念に思っていました。

 そんな疑問がずっと続いて生長の家の本当の使命も、ほとんど分らなくなって来たんです。青年会活動も、単に個人の幸せだけのためであったら、他の団体だって結構楽しんでいるんですから、それで良いじゃないかという風に思えてきたんです。


 ところが、『生長の家』誌の「秘められたる神示講義」と『理想世界』の「古事記講義」を初めはイヤイヤながら、谷口先生の御文章だからと思って読んでいたんですが、九月頃拝読した中に、日本の実相について、日の本とは光の本だと書いてあったんです。菊の花でも、樹でも太陽系にも中心がある。それを読んで理屈でなく、本当にそうなんだなあと分ったんです。

 だったら、この世界にだけ中心がないことは間違っている。そうしたら、日本が日の本、光の本ということで、実相における一つの中心が、現実にあらわれているのが日本国だ。なぜなら、天皇が二千六百年来一筋に続いている国はどこにもない。それは中心帰一の理念が現実に現れているからだと分ったんですね。

 そうしたら嬉しくて嬉しくて、日本の国の素晴らしさをもっと深く知りたいと思っていたところ、幸いにも留学生として選ばれて、日本で、谷口先生の御許でお勉強させていただいているわけなんです。

 しかしまだ魂で、日本人としての本当の素晴らしさは分らなかったんです。八月に橿原に来ましたけれども、余り感じていなかったんです。それを今度の御陵巡拝を紹介されて、本当に魂でふれてみたいと思っていました。



 で、今度は何か感じたい、日本人として、理屈でない、この日本の土地から、歴代天皇の御陵の中から魂にふれるもの知りたい、感じたいと思うのですけれども、一日目二日目はなかなか感じないんです。お年寄りが感激して、頭を地につけて涙を流しておられるのを見ましても、ああ、あんなに感ずるものなのかなあ、と思って、やはりどこかに「私はブラジルで生れたんだなあ」という気持があるんですね。

 理屈ではたしかに、天皇陛下がおられたお蔭で現在の私がいるんだ、日本の実相はすばらしい。天皇陛下はすばらしいということは分っているんです。ですから、先生のお話は一つ一つうなずいて合掌礼拝しましたけれども、やはり感激というところまでいっていなかったんです。



 ところが今朝〈三日目、二十四日〉最初にお参りした元明天皇の御陵の入口で、諸陵部の方が宮内庁の車で迎えて先導して下さったとき、「宮様あつかいですよ」と言われるのを聞いて、ああ何と自分たちは恵まれているんだと思ったのです。そしたら、最初の日に、昭憲皇太后の御陵前で菊地先生が 「今こうして御陵参拝ができるのは、御先祖のお守りがあるんですよ」 と言われたことが甦ってきまして、元明天皇の御陵の前で正坐しているとき、「 ああ御先祖様なんだなあ!!」と強くこみ上げてくるのです。

 本当に代々の御先祖様が 「末美がそこに気がついてくれたか、良かったなあ」 と私を周囲から見守って喜んで下さっている。そして二千六百年つづいてきた天皇がおられる。そして海外にいる私達が、日本人は勤勉だ、正直だ、と信用されて幸せに暮せるのも、あの終戦のときの陛下の御聖徳のお蔭である。

 このことを思いますと、今上陛下が今おられるのはこれまでの百二十三代の天皇の御仁政の賜ではないか、もし一人でも道を誤まられたら、現在の日本はなかったのではないか ・・・・・ そう思いますと、天皇陛下の有難さが本当に無条件に身にしみてきて、涙が出て、その後三つか四つ御陵を巡拝する間、馬鹿みたいにただ泣いていました。


 私はまだまだ日本の皆様の感じておられるだけの感激まではいっていないと思いますけれども、私は私なりに、海外で生れていても、この私の身体の中には日本人として、天皇陛下を君主としていただくところの血を、私の全身にいただいているんです。


 私はブラジルに帰りましたら、私が写さしていただいた御陵のスライドを同志の皆さんにお見せして、「何も話を聞く必要はない、ただ御陵の前にぬかづいて、あの静かな平和な雰囲気の中にふれることが、どのように日本人として喜びが湧くか」ということを伝えさせていただきたいと思います。


 明後日は伊勢神宮にお参りさせていただき、それから自分の御先祖の墓参りさせていただきます。これも生長の家のみ教えのお蔭であり、御先祖のお守りがあったからだと信じております。 有難うございました。〈拍手〉

     御陵巡拝練成三日目〈十月二十四日〉の夜、橿原道場で発表



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