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検証: 雅宣総裁・新刊「生長の家(雅宣教)ってどんな教え?」<第2回> (4298)
日時:2012年12月04日 (火) 18時45分
名前:信徒連合



      < 検証 >



          雅宣総裁・新刊「生長の家(雅宣教)ってどんな教え?」



                  <第2回>



< 生長の家講習会では何をするのか?(P.2〜12)>の検証


生長の家の講習会を開祖・谷口雅春先生、清超先生、雅宣総裁と三代に亘って受講してきた信徒の立場から、現在行われている三代目・雅宣総裁の講習会を検証する。



[ T ] 総裁講習会の性格は、「真理の法宴」から「教養講座イベント」へと、レベルダウンした。


先ず言える事は、三代目・雅宣総裁の講習会は「生長の家講習会」とは決していえたものではないという事である。明確な表現を使わせていただく。「生長の家講習会」は、いわば『真理の法宴』である。明るく活気ある歓び満ちたなんとも言えぬ霊的雰囲気が漲ったものであった。清超先生の時代まではそうであった。

『生命の實相』には、東京の富士小学校というところで開催された開祖・谷口雅春先生の御講習会の時には天空から妙なる音楽が聞こえてきたと書かれていたことを思い出す。霊界からも多数の高級霊が降りてきて開祖・谷口雅春先生の御講話を拝聴していたらしい。

時代は下って、三代目の講習会は「真理の法宴」ではなく、単なる「教養講座的イベント行事」となり、霊的雰囲気等これっぽちもなくなってしまった。それというのも、元々が“神様が始められた講習会である”という自覚を雅宣総裁は持っていなかったからである。

「聖使命菩薩讃偈」冒頭の言葉 < 掛巻くも畏こき宇宙の大神、人類の苦悩を見そなわし、応化して仮りに聖姿を顕じ、広大の慈門を開き給えり、名づけて生長の家と謂う。一切衆生を証入せしめんがためなり。人天誰か入らざるものあらんや。> 宇宙の大神のこの御言葉に従って「生長の家講習会」は行なわれなければならない。「神示」と、開祖作詞の「聖歌」を中心とした霊的雰囲気の中で・・・これが「真理の法宴」である。

ところが雅宣総裁はこの「聖使命讃偈」の言葉を無視して、実体的には自己の左翼思想を生長の家用語で巧妙に、実に巧妙にカモフラージュして発表する霊的雰囲気の無い「教養講座イベント」としてしまっているのだ。


三代目・雅宣総裁の講習会が如何にレベルダウンしたか、彼の講習会の話は、今日一日のスケジュールの説明から始まる。その説明によると、雅宣総裁の講習会に於いては――


@ 宗教の講習会であるから、「生長の家」の『御教え』の成り立ちに関する開祖・谷口雅春先生のことについての話をまずしなければならないのに雅宣総裁はしない。(検証・<その一>で触れたように)


A 宗教の成立過程に於いては、神秘現象が必ず伴うものであるが、生長の家立教初期に現われた神秘現象についても一切触れない。この神秘現象については信徒の関心が最も高いにかかわらず、である。


B 講話内容も極めて無味乾燥。学者の講義である。体験談の解説を伴なわない単なる教義文句の講義であるから何の感動も湧かない。


C 開祖・谷口雅春先生作詞による聖歌を講習生が全員斉唱する事が段々と少なくなっていること。従って、雅宣総裁の講習会場にはかつての霊的雰囲気がまったくなくなった。


D 国家に関する講話、愛国心に関する講話が全くなくなった。左翼的平和と地球環境の破壊防止の話の比重が次第に大きくなる一方である。


E 「神想観」実修時間が一番最後に付けたし的にしか行われなくなった。時間も10分間程度、本当は、雅宣総裁自体が神想観ぎらいである。


F 恒例となっていた講習会最後の時間の講習生全員による「使命行進曲」の連続2回大合唱は廃止されてしまっている。かつては、この「使命行進曲」の最後の大合唱で会場の霊的雰囲気が最高潮となったのであり、日本人としての自覚と喜びを無条件で感じ取り、生長の家地上出現の使命に向かう高揚した感情を持って帰路についたのであるが、今や、全く隔世の感がするのである。


G 開祖・谷口雅春先生の御講習会は午前9時から午後4時までの7時間であったと記憶している。或いは、9時半から午後4時までであったかもしれない。現在の雅宣総裁講習会は、午前10時から午後3時までの5時間と短くなっている。しかも、雅宣講習会は、遅刻者の数が極めて多く、11時ごろ来てサービス弁当を食べて帰る割合が多く(義理だけで来ている)、午後3時の終了まで残る人は昼前のピーク時の三分の一を少し越える位しかいない。如何に雅宣総裁の講話内容が魅力を感じない内容であるかを象徴しているといえる。




[ U ] この様なスケジュールの説明は不要!
 

 生長の家立教当初に現われた神秘現象を総裁たる者、話すべきが至当! それでこそ、< なるほど生長の家はこういうものか。>(雅宣総裁の新刊・P.12)にある言葉の解説となるのである。 その神秘現象の中の代表的なものを掲げると――



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@ 『生長の家』とわたし(谷口雅春先生)=「生命の実相」第1巻P.14〜16=

<< わたしはこの『生長の家』の生き方がどんなに善い生活だかということについては、確信をもっている。諸方の読者から集まって来る多くの賛辞はわたしのこの確信がただのウヌぼれでないことを第三者として証拠だてている。なかにはわたしを教組あつかいにしてくださる誌友もあるが、わたしは『生長の家』の教組ではない。わたしは諸君とともに「生長の家」の教えを聴聞して、ひたすら、その教えのごとく生き行こうと努力する一求道者にすぎない。わたしがまだこの世的な悩みを幾分でももっているのはわたしの生活がまだ『生長の家』の生き方には完全になり切っていないからである。
 むろんこの雑誌の原稿はわたしの手にもったペンにより書かれる。しかし、ひとたび『生長の家』を書こうとしてわたしがペンをもって机に向かうとき、わたしはもうふだんのわたしではないのである。 霊きたりてわたしを導く。弱い性質のわたしにはとても書けない強い言葉が流れるように湧いて来る。第二号の『生長の家の歌』のごときは自分ながら驚くほど強いことが書けている。わたしが亀岡にいたとき、わたしが専念、教えのことを書いているのをかたわらで見ていた霊視能力者の加藤氏は、わたしと別な霊人が筆をとっている姿を見たといっていた。それは信じてよいかどうかは知らない。しかしもし『生長の家』に教組というべきものがあるならば、この地上のわたしではないであろう。
 およそ宗教的な深さをもったものはそれが教えであると芸術であるとを問わず、その源は霊界にあるのである。古来から神品といいインスピレーションといったのはこれである。われわれはすべて霊界および現世の人々からラジオ的に放送されて来る思想波動を感受するところの受信機であるのである。しかしJOAKの放送を受けるにはラジオの受信機の調節をJOAKに合わさなければならぬであろう。それと同じくわれらが“一層高き世界”より来る思想波動に感ずるためには、自分の心をその思想波動に調子を合わさねばならぬのである。ここにわれらは不断に心を清め、心を“一層高き世界”よりの波動に感ずるように訓練しなければならない。この訓練がたりないとき雑音が混じる。受けるインスピレーションが不純なものとなる。もしわたしの書くものに純粋でない雑音が混じっているならば、それはわたしの罪であって、霊界よりこの地上に『生長の家』運動をはじめた神秘者の罪ではないのである。 ところが、埼玉県から霊眼によって、わたしが『生長の家』の原稿を書いている現場を透視した人があって、わたしが霊感によって書くということを客観的に証拠だてた人があります。それは埼玉県の笠原政好君であって、昭和6年6月1日付で報告が来ています。

「 神想観を実修して、大虚無の境地に入っていた。ふと目に映じ出した、私の処から西南に当たる方向に先生の姿が髣髴として見える。実はまだ私は一度も先生のお顔を拝見したことはない。それが霊の性質かもしれないが確実に見える。さっきから先生は広間の片隅で穆々しく机に向かっておなじみのペンを持って何かお考えを書いている。姿勢よく座し、しかとペンを握り十分に含ませたインク、あたりの光景は手に取るように見える。光明は先生の軀から無限にも放出する。ちょっと弱そうな容貌、しかしその熱烈さ。『道』に奉ずるの御決心は一目瞭然である。生き生きしたペンはソロリソロリ走り出した。まだなん行とも書かぬうち先生は無我のうちにおかれ、またたくまにペンのスピードは前とはまるで変わってくる。走る走るあらっと思う間もなくぜんぜん先生とは違った人になっている。口元の締まった、あご髯の胸まで垂れ下がった、見るだに気高き霊人だ。あれ先生はどこにと、見詰めた。ああ先生は霊人の内に溶け込んでいるのだ。霊人は全支配権を握り、わき目もふらず書を進めてゆく。あれなんという、推敲もせずそしてペンの早さは目も及ばぬほどだ。まあ不思議なこと一体どこから来た方だろう。霊人の軀から神々しい霊光が放たれ付近は光明浄土と化した。静寂また静寂、付近はまだ霊人の占領地となっている。やがてペンははたと止み、霊人はどこにか姿を消してしまった。目的の文ができあがったらしい。後は先生の独座とかわった。やれやれ重荷でもおりた様子。籠の鳥が放たれたように急にのんびりして今書き終わった短文を精読している。精鋭な先生の視力はやたらに文字に引きずられてゆく。二回も三回も熟読してますます神秘の霊感に打たれている。『無理はない』渺漠の領境に導かれるどころか独専霊人の書だ。数十分の間私は恍然としてこの光景につりこまれて、ひたすら現象のなり行きを見つめていた。先生はこれを整理してまた他の目的に向かってお働きになられた。(付言)、先月14日にも神想観実修のおり、目に映ったことがあり、昨夜も同然御動静を拝し、当夜はまたこんなに勝れた光景にまで出くわしました。政好は年若く、世の経験に乏しいものです。ですがすべてを政好の感性の所産と思し召しくださるな。私は初めて自分の偉大さを知る。私は私の背後にもやはり常に私を操ってくださる方のいることを信ずる故に。頓首。(12月30日夜)」 >>


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A 『生命の実相』は久遠の昔からある!=「生長の家四十年史」P.1〜2=

<< 奈良県に山村恵津子さんという熱心な生長の家の誌友がある。何でも学校の先生をしていられるらしいが、学校の暇なときには、生長の家の宇治別格本山へ奉仕のために来られる事があり、時々、私と顔を合わすことがあるのである。その恵津子さんのお父さんは山村楢次郎さんといって天理中学の国語の教師をしていられた。『生命の実相』が、私が東京に移転して、はじめて、光明思想普及会と称する株式会社組織の聖典出版機関が出来、そこから出版されることになった時、その最初の版は、黒紬の布製で、松本俊介君の図案になる、線画の雲から三本の金線の光が出て、その光に照射されて、植物の若い芽生が、地上のすべての生命の萌芽を象徴するかの如く描かれてあった。その三本の金線が妙に印象的であるのである。

 この『生命の実相』の本を山村楢次郎氏が現実界で手にした時、氏は、これをいつか以前に手にした事を想い出したのである。記憶を手繰って見ると、それはその時から数えて十八年前、夢の中で神様からその『生命の実相』の本を授けられた。その時のドッシリと掌にこたえた重みの感触が、十八年後になった今でも、記憶にハッキリ現実のように残っていると山村氏は私に話されたのである。

山村氏がその話をせられた頃、生長の家の教育専門の雑誌『生命の教育』が発行されていたが、氏は時々、それに寄稿せられて同氏の原稿が載っていたものである。当時の十八年前と言えば、昭和九年に生長の家は兵庫県から東京へ移転しているので、概算したところ、私が大本教にいた頃か、或いは大本教を脱退した頃に、既に山村楢次郎氏は『生命の実相』が実相世界又は“霊の世界”に存在したのを拝受せられたのだった。それが十八年後になって“現実の世界”でそれを拝受したことになっているのである。やはり『生命の実相』は久遠の昔からあるのが時節到来因縁熟して現実界に姿を現したのだと言う事になるのである。>>


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B 講演中の谷口雅春先生がキリストに変貌 =『生長の家』四十年史(P.15−17)=

<< 高岡市の郊外に「雨晴」(あまばらし)と名ずけられた海岸の村がある。その村の中腹に、清都理門さんの別荘があった。そこで講演会の翌日、もっと話を聞きたいと思う人達が集まっていた。・・・中川さんは「実は私、午後の講演も聴かして頂いたのでありますが、その時、先生のお顔がキリスト様のお顔に変貌いたしました。これは私の眼の錯覚でそのように見えるのだろうと思いまして、角度を変えて見たら本物のお顔が見えるかも知れないと思いまして、体を横に曲げ左斜めから覗くようにしてみましてもやはりキリスト様に見えるのです。色々の角度から透かして見ましてもキリスト様のお顔に見えるので、ハッと悟らして頂きました。生長の家の教えはキリスト様が先生を通して、お説きになっているのだから、もう間違いはないと安心いたしましたのです。」と丁寧にお辞儀をされるのであります。・・・けれども私はその言葉を素直に承認しなかった。「君はキリスト様に僕の姿が変わったというけれども、君はキリスト時代に生きていた人でないから、キリストがどんな顔をしていたのか知らないじゃないか。どうしてその顔がキリスト様だと判るんだ」と私は追及した。「いや、それは判るんです。だってキリストの油絵の複製を街で知っているんです。その通りのお顔におなりになったのです」と中川さんは答えた。私はあの講話のとき、キリストの喇叭になっていたのだった。
 いつか『栄光』という京都教化部から出ている教化連絡紙の第一面に和田秀雄氏が書いておられたが初めて生長の家の講演をきくために京都の同志社大学の講堂“栄光館”に入った途端、演壇に立っている弁士の姿がキリストそっくりに見えた。それが谷口の姿だったのだという。そのほかにも松尾キクさんという八十歳のおばあさんでお山で集まりのあった時には始終来ておられた熱心な信者があったが、この人も変貌のキリストの姿を見たといはれたし、福島県郡山の誌友連合会長をしていられた柏木周造翁もキリストの姿を見たといはれるし、宮崎県の富高で終戦後はじめて講演のあったとき私の講演をきいて感激して声涙共に下るような調子で懺悔し入信せられた横尾栄一氏も私の顔がキリストに見えたと言われたので「あんた、キリストが本当にどんな顔をしていたのか見たことがないのに、どうしてキリストに見えたなどと言えるのですか」と私の方から却って反駁した事もあった。その時の返事も、やっぱりどこかでキリストの描かれている油絵を見た事があるという意味の返事であったと思うのである。ともかく私は釈尊の喇叭であり、キリストのスピーカーであるのである。そこから万教帰一の教えが出て来る所以である。>>


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C 住吉の大神の神姿を見た人々 =『生長の家』四十年史(P.18−19)=

<< 私の背後に、白髪の老翁の姿をしたキリスト(「ヨハネ黙示録」の第一章に出現している“久遠のキリスト”)の姿を最初に見たのは私の家内であった。それは生長の家の最初の原稿を書いた所謂“発祥の家”で、私と家内とが互いに向かい合って神想観を実修している時、私の背後に空中に立っていられる白髪の老翁の神様の姿を拝したというのである。 この神姿はその後、他の信徒の集まりにもあらはれたし、その頃熱心に私の宅へ日参のように来ていられた長尾初枝さんも見たと言はれた。その頃、非常に熱心で、誌友会の集まりを“三日会”の名の下に、毎月三の日に催しておられた畑中猶三氏の集まりにも度々その神姿が見えた。「しかも一人のひとに視えるだけではなく、集まっている人の全部にではないが、数人の霊眼に同一神姿が、同一の位置に於いて見えるので、それはほんものでしょう」といって畑中氏は私に訪ねられた事がある。私自身はこの神姿を見たことがないのは、一寸妙に感じられるが、自分自身の顔は自分には直接見ることができないというような原理によるのかも知れない。 神宮前1丁目23−30(旧地名“原宿”)にある本部の旧館の正面玄関の上部に安置せられてある神像は、服部仁郎氏が、家内の霊視せる神姿を詳細に聴き、それによって模型を造り、家内が「此処はこんなでなかった。此処はこうであった」といちいち訂正して、家内の霊視した神像に出来るだけ近づけて製作せられたものであるが、服部氏自身は、神姿を見たことはなかったが、天才的彫刻家の一種の霊感で本当に家内の見た神姿そっくりに出来ているらしいのである。数年前、今は横浜に居る誌友が、はじめて、この原宿にある本部を訪問して、その正面玄関上の神像を見て“オヤ!”と驚いた、といって手紙を私に寄越された事がある。その手紙にはこう書いてあったのである。この神姿は、谷口が嘗て早稲田大学の大隈講堂で講演している時に、その谷口の姿がこの神像に変貌していたのを思い出して不思議な神秘感に打たれた。どうして大隈講堂で自分が見た霊姿をこんなに正確に再現できたのであろうかと。家内の霊視した神姿にもとずいて塑作されたこの神像が、横浜の誌友の霊視した神姿そっくりに出来ていたということは、服部仁郎氏の制作技術の素晴らしさと、霊界の神秘の相互関連を語るものとして注目してよいと思うのである。>>


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D 光明輝やく実相の世界に住む神 =『生命の実相』第二巻・実相篇下巻(P.134−137)=

<< そのうちにこの『生長の家』の事業が神の人類生活光明化運動であると言うことが明瞭になってきたのであります。ちょうど、仏教にも護法の神といって持国天だの、多門天だの帝釈天だのという神がある。それに比すべくこの『生長の家』にも護法の神が出現したのであります。・・・『生長の家』誌の第一集第四号を執筆している頃「光明の国」という私の霊感的長詩を家内が校正いてくれましたとき突然神憑りとなったのであります。わたしは審神者(さにわ)として、その時いろいろ神誥を聞いたのでありますが、この神はわれわれの祖先の霊でも、われわれ家族個人の守護神でもなく、家のうちに祭祀してある神でもない、名はいうに及ばぬ、光明輝く実相の世界に住む神である。これから『生長の家』を読んで病気の治る者があいついで出るけれども、それは読んで真理を悟って治る人もあれば、神が救いの方便に治すのもある・・・などという意味のことがあったのであります。ところが今まで家内には霊眼がひらけたということなどは全然なかったのでありましたが、その時突然天空高く白衣を裾まで垂れ、鬚髯(しゅぜん)を旨まで垂れた尊き神姿を拝したのでありました。この事実と相前後して香川県の某氏からは従弟に『生長の家』を読ませたところが神経衰弱が癒えた事実があり、それではわたしの霊力に頼れば親戚某氏の精神病もよくなるだろうとある日「生長の家」までこられたところ、その日を境にして快方に赴いたりしました。・・・護法の神の顕現ということについては、なお多少の疑いを抱く人があるかもしれません。ところがある日、霊覚ある某女史が来られて私に鎮魂してくれと頼まれたので二階で鎮魂してあげると、ある神の姿をその方は拝されたのであります。その拝された神の御様子をその方がわたしに話そうとしていられる時に、かつてその神の姿を見た家内が二階に上がってきて「そうあなたもお拝みになったのですか」といって互いにその神の容貌はこう、服装はこう、と両方から話して照らし合わせてみるとピッタリ一致するのであります。それでこの神の存在がたんなる幻覚ではなく時を異にして別々の人に、同じ姿を顕現せられたので、客観的になにかあるという証拠になってきたのであります。そののち私はその神から『神想観』という一種の座禅のような方法で、本当の自己は肉体の自己ではなく円満玲瓏たる神である如来であると言う事を自覚するための精神統一法を教えられ、その方式に従って行えばいかなる遠方へでも、この神みずから顕現して指導するとの啓示がありましたので、その修行を毎日一回三十分間やっているのであります。>>


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E 観世音菩薩と生長の家マークの由来 =『生長の家』四十年史(P.26―29)=

<< 私が住吉村から移転いたしまして上京して二年目位でありました。生長の家にもマークを拵えなければならないと言う事になり、生長の家は一宗一派の宗教ではないから、神道を表現したところの日章旗、仏教を表現した所の卍(但し、吉祥卍)、それからキリスト教を表現したところの十字と、日本に現に行われている三大宗教の印である十字と、卍(但し、吉祥卍)と、日章旗の三つを一つに纏めたような、そう言うマークを拵えたいと思いまして、当時文部省主催の展覧会なる帝展(今は“日展”と言っている)の審査員をしていられた山根八春先生に頼みまして、生長の家の徽章を拵えて貰ったのであります。 それは、七種類ほど考案して下さったのでありますが、その中の一種類を私が選びまして現在の生長の家のマークが定められたのであります。私がこの時計の鎖につけているマークですね。・・・観世音菩薩がこのマークをつけておられたと言う事を私は全然知らずに山根八春先生がこのマークを考案して下さったので、これをバッジにして当時の大阪の生長の家連合会に送って、“大阪の誌友達に皆に分けて下さい”とお願いしたのであります。 その時の連合会長が門脇観次郎と言う人でありました。海事審判の弁護士をしておられた人でありまして、胃潰瘍その他の諸病がなおって非常に功徳(おかげ)を得たので、あんまり有難いと言うので、神想観をせられたときに、「生長の家の神様の御姿を拝まして下さい」と熱心に祈られたのであります。 そうすると、神想観中に、目をつぶっているけれども、霊眼に観世音菩薩の姿が顕れたわけであります。この門脇観次郎さんの所へ、大阪連合会用の生長の家のマークが行った時に、「おや、このマークはどこかで見た事あるな」と門脇さんは思い出したのです。 「あゝ、四年ほど前、あの神想観している時に観世音菩薩が出て来られた。宝冠をかぶっておられたが、その宝冠の真ん中にこのマークがついておった」と言う事を思い出されたわけであります。 現実世界では、それから四年ほど後に、山根八春先生の拵えられた七種のマークの図案の中からその一つを選んだのがこのマークであるのにですね、人間界では四年ほど後に出来ているのですが、霊界では、観世音菩薩が四年も前から宝冠にこのマークを附けておられた言う事がわかったのであります。>>


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[ V ] 換骨奪胎の典型――完全に“雅宣教”化した「神想観」の時間と内容


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開祖・谷口雅春先生:「神想観のすゝめ」のお言葉

<<此のまゝ『神の国』である世界(宇宙)の實相とそのまゝ『神の子』である人間の實相とを想い且、観ずるのが神想観である。想念することと観ずることによって既に在る『神の国』と『神の子』とが現われ至幸至福、無礙自在の境に達し得られる。 神想観は生長の家の最も重要なる行法であるから神想観指導宝典を精読し、熟練せる先輩を導師として、又教化部や相愛会などの早朝神想観に参加し真剣に根気よく修練するのが最もよい。>>

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@ このように開祖・谷口雅春先生は「神想観」を<生長の家の最も重要なる行法>と位置付けられ、
「この神想観という観法は、神様から私が無料で啓示されたものであるから、信徒の皆さんへも無料で伝授いたします。神想観は現象観ではない。ひたすら唯観実相、実相覚によって真の自己を把握するのが神想観であります。神想観は実相観なり。「われ・今・此処」ということが大切なのです。「われ」と「今」と「此処」が一つなのです。(要旨)」と説明されておられます。


A 然るに、雅宣総裁は、平成20年12月27日の谷口清超先生追善供養祭で、「如意宝珠観のなかには、家族一人一人の名前を呼んで感謝する言葉があります。・・・・けれどもこのお祈りの言葉をよく考えてみますと、<身健やかに>ということは肉体のことですし、<相形うるわしく>というのも肉体のことです。だから、この言葉はふさわしくないことに気がつきました。それで如意宝珠観では(清超)先生のお名前を呼ぶのは止めようと思った。・・・・このお祭りを区切りとして唱える言葉を工夫したいと思います。」と述べ、「神想観」を「現象観」として理解し、自身の肉体頭脳知で考え出した「四無量心を観ずる神想観」などになし崩し的に置き換えていっているのであります。最も大切なポイント<「われ」と「今」と「此処」が一つ>と云う説明など無いのである。


B このように大切な「神想観」の実修時間も、午後の最初の30分であったのが、大半の人が帰ったがらんとした会場の最終の時間帯へ変更し、全くの付けたし的に仕方なくやっていると云う態度で、通り一遍の文句を唱え、すぐ世界平和の祈りに移る、この間10分間位、しかも、「招神歌」を唱え「気合を掛けますから驚かないで下さい!」と雅宣総裁は気合を掛けるのであるが、期待に反して、まるで蛙を踏み潰したような弱々しい気の抜けた声の気合である。ああ、「ナルホド、この弱々しい気合ならぬ気合に驚かないで欲しい、スミマセンです!」と云う意味だったのかというのが正直な感想である。開祖・谷口雅春先生の神想観の気合は、「まことに、“い”のちが“湧(わ)”き出る“裂ぱくの気合・イユゥー!”であって、決して余人の追随を許さないものであった。この気合を聴いただけで豁然大悟したほどの人もいたと何処かに書かれていた。雅宣総裁はこの気合に自信がなければ、開祖・谷口雅春先生の神想観の録音テープによって行えばよいのであるが、彼は元来「神想観」がキライなものだから、テープも使わず時間帯も最後の付け足しで終らせているに過ぎない。




<まとめ>

雅宣総裁は、<初めての方も案外多い>とP.2に書いているからには、開祖の立教経緯と立教時に起った神秘現象についての一つや二つ位を紹介してこそ「生長の家とはどんな宗教であるか」がよく解るのである。そんな神秘的な話は主観的な偶然の出来事であって、なんら客観的科学的証明なきものとして意識的に避け、「理性的宗教」であるといっても、<案外多い初めての人>の関心を引くものではないのである。

更に、神想観を軽視し、最後の「使命行進曲」の大合唱を止めてしまったわけであるから、講習会全体から宗教的荘厳なる高揚した霊的雰囲気はなくなり、往時の「真理の法宴」から単なる「教養講座的イベント」となってしまったのである。こんなところに雅宣総裁講習会の不人気の最大原因がある事に当の本人は気がついていないのである。

「なるほど生長の家はこういうものか」(P.12)ではなく「なるほど雅宣教とはこういうものか」と書き替えて貰わねばならないのである。




『真理の法宴』への復活を! (4348)
日時:2012年12月06日 (木) 10時03分
名前:白鳩支部長S



合掌、ありがとうございます。確かに >総裁講習会の性格は、「真理の法宴」から「教養講座イベント」へと、レベルダウンした。< とのご感想、私もつくづくそのように感じております。地球環境大学の雅宣教授のイベント的要素を加味した講演会とでもいいましょうか、宗教的な感動が全然感じられません。雅宣教授には早く退陣していただき「真理の法宴」に戻るようにお祈りしております。私も現組織からの脱退を決意し皆様方のお仲間に入れていただきます。 合掌









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